「コーヒーでいいか?あいにく今、茶葉を切らしてしまっていてな。346カフェ程の腕前ではないが、そこはわかってくれ」
どこか懐かしい、一年前と同じようなやりとりをしながら俺は専務に促されて、前と同じ場所に座る
コーヒーを淹れたカップを二つ持った専務が一つを俺の目の前へと置くと、テーブルを挟んだ向かい側、前と変わらない黒いソファーに専務も腰掛けた
少し沈黙が続く
お昼過ぎのあのなんともいえないフワッとした午後の雰囲気の中に、少し緊張感が走る
部屋の中の壁掛けの時計の音だけが響き、お互いコーヒーに一口、口をつけた
「・・・君の言いたいことはわかっている」
少しトーンを落とした声色で、専務はそう口を開いた
「だったら話は早いです。考え直してもらう事は出来ないんですか」
「・・・はぁ」
どこか疲れているのか、専務はいつものように言葉を並べるでもなく、一つため息をついて自分の机へと向かった
さっき片手に抱えていた資料を広げて再び俺と相対する
「君の言いたいことはもっともだ。アイドル達の意見もわかる、つい先程も千川ちひろを含め多数のプロデューサー達からも返答をいただいた。しかし、もうこの件はアイドル部門だけではない、我が美城グループのアーティスト、俳優、モデル、どのグループの未来にも大きく影響すると言っても過言ではない案件となっている」
美城プロダクションは複合企業、それは俺も聞いていた
様々な部署が設立され、アイドル部門は比較的新しく設立されたものであると、楓さんや川島さんからも聞いていた
実際、楓さんはモデル部門からの移籍であるとも
「なので今回だけは私も、特例ということで条件を飲むことにした。もっとも、元凶となった人物は既にそのテレビ局を退職している」
「・・・しかし」
俺はそう切り出そうとしたが、専務は鋭い眼光を向けて言葉を遮る
「''しかし''だ、その君の気持ちもわかる。未だ我がアイドル部門のメンバーには被害者はいなかったが、相手もその快楽に溺れてしまった者もまだ他にいるだろう。だが、相手側も我々に警戒されているということは重々承知だ、そう簡単に手は出してこないと私は思う」
言ってることはもっともだ、だが、それでもだ、それでもやっぱり引っかかる
根は真面目なアイツらのことだ、自分のプロデューサーの言うことは素直に聞くだろう
だが、本当にそれでもいいのか?
「・・・勘違いしないでもらいたいが、私が先程会長室へと赴いていたのは、反対の意志を示すためだった」
専務はそう言うと資料を片付ける
コーヒーをまた一口飲むと、再び俺の目の前のソファーに座り、話を続ける
「私としても、今回の一件を素直に飲み込むことは出来ない。だが、上の言っていることにも一理ある。これは、アイドル部門が大きく羽ばたくチャンスでもあるのだ。上手くいけば美城の名が更に知れ渡ることになるだろう。しかしそれで私たちのシンデレラが傷ついてしまっては元も子もない。だが、今は君がいるだろう?」
そう言って、専務は顔を上げて俺と目を合わせる
「君を雇った理由だ。前にここで言ったことと同じ、私たちでも目が届かないことはやはりある。そこで君が、いや、もう''君たち''かな?私たちのシンデレラを守ってやってはくれないか。普段の様子からも、随分と信頼されているらしいからな」
あいつら、普段どんな事を話しているんだ?
俺は何だか恥ずかしくなって頭を掻く
「君と話が出来てよかった。伝えようとは思っていたのだが、中々機会がなくてな。よろしく頼む。それともう一つ、君自身の事だ」
「俺自身?」
「わかっているな?」
「・・・ええ、まぁ」
そう返事をすると、専務は一言''そうか''と言って机へと戻っていった
「今私が言えることはこれだけだ。こうして部下と現場の話ができたことだけでも収穫だ。私は・・・人から好かれるタイプではないから、こういった機会が中々ない。慣れた事だが」
だが、そう言う専務はどこか寂しげな様子である
「今度飲みにでも行きますか?」
「・・・ありがとう。その時は連絡する」
いつもと変わらない口調でそう言う専務だったが、その口元は若干緩んでいるように感じた
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そして、午後はそれから何事もなく進んでいき、辺りが暗くなり始めた
そこまでお客さんが来たわけではないが、お昼前と同じように、預かる車両が多かった
そこで私も、雛子さんがやっていたのと同じように書類を取り出し、事務所へと持っていくという仕事を手伝っていたのだった
会社に来るお客さんも様々で、プロデューサーの様にスーツを着ている男性や、どこかの会社の作業着を着ている人、エプロンをしている主婦の方など色々な人が来た
その主婦の方は''待ち''というすぐ整備をしてそのままお客さんに返すという作業だったので、私もその時は工場で最後の洗車の作業を手伝った
「あー、やっぱ軽はいいわ。工場に入れやすいし出しやすいし。うん、ありすちゃんありがと。事務所行ってていいよー」
車を拭くタオルを片手に立ち尽くす私に美空さんはそう言うと、車を工場から出して事務所の前まで持っていく
私はタオルを元の場所に戻し、言われた通りに事務所へと向かった
「はい、こちらオイル交換の領収書と明細書になります」
事務所では、雛子さんが料金のお釣りと同時に明細を渡していた
「はーい・・・あら、お嬢ちゃん。もしかして手伝ってくれたの?」
「はい、綺麗に洗っておきました」
「あらあら〜、それはそれは」
「お待たせしました〜。お車、出入り口まで持ってきましたので〜」
すると、美空さんが事務所に入ってきてお客さんに説明を始めた
雛子さんが言うには、私たちみたいな受付が説明するより、ツナギを着た整備士の人が説明するほうが説得力があるからだそうだ
「じゃあ、失礼しますね。家族がお腹空かして待ってるんですよ。あっはっは!」
「そうですよねー、そんな時間ですもんね〜そろそろ」
そんな世間話をしながら事務所を出て行く二人を目で追っていると、雛子さんについて行ってあげてと耳打ちされた私は、後を追うように出入り口から出て行った
「それじゃ、お気をつけて!」
「はいはーい、どうも!あ、お嬢ちゃん」
私に気づいた主婦の方は、車に乗る手前で私へと向き直った
「どうもありがとう」
「あ・・・、いえ」
頭を下げた主婦の方にそう言って私も軽く頭を下げるが、私が頭を上げた時には目の前にお菓子が差し出されていた
「さっき近くのスーパーで買ってきたの。みんなで食べてね。またねー」
そしてそのお煎餅の袋を受け取ると、それじゃと美空さんに会釈し、主婦の方は出て行ってしまった
美空さんと二人頭を下げて見送ると、私はそのお菓子を持って立ち尽くす
「よかったじゃーん、アイドルのみんなで食べな〜」
「でも、美空さんたちは・・・」
「いいのいいの!いつもくれるんだあのお母さん。ありがとね〜って」
「は、はぁ・・・」
事務所の中へ戻って、自分の席へ座る
そうか、こういうこともあるのか
ファンの方からの贈り物などは、ライブの後などに楽屋に届くことはよくあるが、こうやって手渡しで貰ったのは久しぶりだ
特に食べ物なんかは、自分で受け取ってはいけないとプロデューサーにも言われている
「どうだった?色々なお客様がいただろ?」
「こうやって物を貰うなんて、仕事なのに」
「困った時はお互い様ってね。そう仕事だから」
「でも、こっちは仕事なんですよね?どうしてそこまでするんでしょう?」
「それは、ありすちゃんも経験することがあったらわかるか・も・ね?」
美空さんはそれだけ言うと、ツナギの上に上着を羽織って、工場へと向かっていった
それに合わせて雛子さんも、上着を着て、ラジオの機械を止め、立ち上がる
「さて、そろそろ閉める準備かな。ありすちゃんも手伝ってくれる?」
「あ、はい!」
「姉さんが車を工場にしまうから、しまい切れなかった車の鍵を取ってくるの」
そして私は疑問を抱えたまま、同じように上着を羽織ると雛子さんと外へ出た
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「お、安いじゃん」
「たくみんたくみーん、ここにあったぽよ〜。みんなが言ってたお菓子」
夜、拓海とりなぽよを連れて、街中の殿堂的な激安の店へと出向いていた
専務との話も無事に終わって事務所へ帰ると、すでに工場も閉めて、事務所でみんな俺の帰りを待っていた
何故か煎餅の袋を持っていたありすも、何か掴んだのかそうでないのか、複雑そうな顔をして立ちすくむ
どうだった?と尋ねても、まだわかりませんと一言返すばかりで、ひな先輩に連れられて美城プロへと帰っていったのだった
「しっかし、なんか締まらねーよな。せっかくありすが選ばれたってのに、またそのヤロー共とつるまなきゃいけないなんてさっと」
「あ、たくみ〜ん。まだ見てたぽよ・・・ああ、今回はたくみんの奢りってことかぁ」
「誰もそんなこと言ってねーだろ!おい零次サンよー、何とか言ってやってくれよ」
床にしゃがみ込んでいたりなぽよの頭の上から、拓海は手を伸ばしてお菓子を取り上げるが、今度はあーでもないこーでもないと二人で言い争いを始めた
周りに他に客がいないからまだ騒ぎにはならないが、こいつらもまたこういうナリだがアイドルなんだな
「・・・なんだよ、さっきから黙りこくって」
「いや、別に。仲良いんだなーって」
「たくみんママうるさいんだぽよ〜。零次サンもお菓子食べたいん?」
「誰がママだこの野郎!表出るか?ん?」
りなぽよに食ってかかる拓海だが、その言葉とは裏腹に冗談めいた口調で言うあたり仲はやっぱりいいんだろう
「何かあったら言えよ零次さん。そんなに一人で考え込んでたら疲れちまうぜ、ホラ」
そう言って通路の端の方に置いてあった栄養ドリンクを一本俺に渡してくる拓海だった
「なんだこれ」
「前に風邪ひいた時に奢ってやるって言っただろ?」
いいから受け取れ!と拓海は俺の手を取ると、強引に手に持たせて渡してくる
「あぁ〜、零次サンズルいぽよ〜。たくみん私のもお願いするぽよ〜」
「ああもううるさ・・・引っ付くな鬱陶しい!」
渡された栄養ドリンクと、やり取りを続ける二人を交互に見比べる
そうだ、コイツらはこうやってバカやってる姿のほうがしっくりくる
''守ってやってはくれないか?''
専務にもそう言われたことだし、少し考えてみよう
落ち込んでるところは、見たくはないしな
「ん〜?零次サンどうしたぽよ〜?」
「いや、ありがとう拓海。おかげで元気満タンになりそうだ」
「それならいいけどよ。だけど本当に何かあったらメンバー集めてカチコミに行ってやるからな。ってなんだよ里奈、今度は・・・っておまっ!」
「これなら必要なんじゃないの〜?たくみん」
りなぽよの手には、表にデカデカと数字が三桁書かれた小さな小箱が握られていた
胸の前で両手で持ち、からかうようにニヤニヤしながらこれ見よがしにと見せつける
「なんてもん持って来てんだお前は!さっさと返してこい!ひえっ・・・!」
「たくみん意外と純情だぽよ〜」
顔を真っ赤にして慌てふためく拓海とは対照的に、さっきの仕返しと言わんばかりに拓海を煽っていくりなぽよ
「ええ〜?たくみんもしかして使わない派なん〜?まぁいいや。じゃあこれは一応自分で買っておくぽよ〜」
「何馬鹿言ってんだお前は!そんなことしたらガチでマ・・・ママになっちまうだろうが!」
なんとか言ってくれ!と助けを求められたが、俺に聞くなと突き返し何だか見ていて面白かったからしばらくそのままにしておいた