いつもの日常が変わっていく
後ろ姿を見ながら自分はそう思う
伸ばした手と足と、体
僅かな狂いも許さない完璧なパフォーマンス
「ワン·ツー·スリー·フォー·ファイブ·シックス·セブン·エイッ!相葉!最後腕をもっと水平に伸ばせ!それじゃ一人だけ浮いて見えるぞ!」
「は、はい!」
長髪のベテラントレーナーさんから厳しく指導を受けるのは相葉夕美さん
音楽が止まるのと同時にベテラントレーナーさんが、持っているバインダーを指で軽く叩きながらそう言い放つ
昨日から引き続き、職場見学ということで見てまわっていて、今日は辻野さんと久川姉妹と入れ替わる形で午後のレッスンの様子を見学していたのだが···
「あわわ···こんなの無理だよぅ···、絶対ぼくなら逃げ出す自信ある。いや、その自信しかない」
隣で怯えた表情をしながら自分と同じように壁際に体育座りでレッスンの様子をけんがくしていたりあむサンがそうボソッと呟いた
その気持ちはわからないでもない
レッスンが始まってからというもの、この場に集められた人気アイドルたち、トライアドやニュージェネ、鷺沢文香さん、大槻唯さん、前川みくさん、遊佐こずえちゃん、佐々木千枝ちゃん、そして相葉夕美さんとプロ中のプロ、そうそうたるメンバーたちが集まっているにもかかわらず、最初から今までベテラントレーナーさんの厳しい指導の声が響く
着ているトレーニングウェアは汗でビショビショになり、額から流れる汗で顔はテカテカになるなど、普段テレビで見ている姿とはまるで違う、華やかな姿の裏側、本気の彼女たちが垣間みえている
「それじゃあ少しだけ休憩だ。私が席を離している間に各自要点をまとめておけ。···本田、聞いてるのか?」
「聞いてる···!ハァ···聞いてるから!ちょっと···ハァハァ···息上がってて···!」
膝に手をついて前屈みになりながらそう言う未央さんにベテラントレーナーさんから指摘が入るが、未央さんは取り繕ったかのようにすぐに腰を上げて返事を返す
そんな様子を見たベテラントレーナーさんは、まったく···と一言呟くと自分たちの脇を通りすぎ、扉から出ていった
その際にりあむサンが目を合わせないようにと膝を抱えて縮こまる
「んん~!はぁ~~~~···」
ベテラントレーナーさんが出ていった瞬間に、未央さんは大きなため息をついて床に座り込んだ
それに続きポツリポツリと床に座っていくメンバーたち
夕美さんは完全に床に横になってしまっていた
「わ、私もダメです~···」
「ああ、しまむ~。私もダメ~···」
「うんぐぇ」
続いて横になった卯月さんのお腹の上に頭をおいてこれまた横になる未央さん
そんな二人の様子に、凛さんがすぐに立ち上がって飲み物を取りに行き、二人に渡していた
「奈緒~、私にも持ってきて~」
「自分で取りにいけよまったく···」
「こずえちゃん、大丈夫?」
「うん···だいじょうぶ···、のみもの···いる~?」
奈緒さんが自分の荷物の隣から加蓮さんの分の飲み物を取り出して渡していて、こんな厳しいレッスンだったのにわりとケロッとしているこずえちゃんは、千枝ちゃんの分の飲み物を取りに壁際まで歩いていった
「ダメにゃ···最近撮影の仕事ばっかだったから体がなまってるにゃ」
「私もです···。最近は雑誌のインタビューが多かったですから···」
「今度は李衣菜ちゃんも一緒に来てしごいてもらうにゃ」
床に女の子座りでペタンと座り込む文香さんと、後ろに倒れそうになる体を手をついて支え顔はそのまま後ろへと傾けて天井を見ながら''あぁ~''とため息をついているみくさん
みんなまるで満身創痍といわんばかりにへたりこんでいる
昨日の優しそうなルーキートレーナーさんとはまるで違い、プロの皆さんでもキツそうなレッスン
入ったとして自分たちがはたしてついていけるのだろうか?
「二人ともお疲れ~。これ飲むー?っていうか持ってきちゃったから飲んでー?」
「すいません。あの、ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
「よいしょっと」
そう言いながら自分とりあむサンの間に腰を下ろすのは、大槻唯さん
わざわざ自分たちの為にサーバーからスポーツドリンクを汲んで持って来てくれた
足を前にぬっと伸ばし、首に掛けたタオルで顔の汗を拭き取りながら、''ふぅ~、まいったまいった~''とため息混じりに呟いて、渡された飲み物を飲んでいる自分たちに目を向けていた
「で、どう?今日のレッスン。昨日も見たんだったっけ?」
「いえ、あの、自分たちは踊ったわけではないので、そうですね···凄く、大変そうだなと思いマス」
「まぁ最初はそう思うよね~、唯もそう思ったもん」
そう言いながら飲み物を飲む唯さん
だがその顔はさすがプロなのか、すぐに普段の様子に戻りつつある
本場のライブでは本気で何曲も歌いながら踊るのだ
それくらいのポテンシャルは必要だろう
「絶対無理だよぅ···、ぼくがやったら死んじゃうよ、みんなですらこんなんなんだもん。はぁ···やむ」
「大丈夫だいじょーぶ!本当にダメんなったら倒れたまま何も喋らなくなるから!意外とみんなまだ大丈夫だよー?」
それを確認するかのように、比較的近くにいた未央さんに唯さんが''あーゆーおっけー?''と声を掛けると''アイムオッケー!''と返事が返ってきた
枕にされていた卯月さんまでもが''オッケーですぅ~''と手を振りながら答えている
「ねっ?大丈夫そうでしょ?」
「確かに、本当デスね···」
「ありえないよ、みんなあんなのやって大丈夫って、はぁ···やむ」
それを見ていたりあむサンが余計落ち込んでしまっていた
「でも、唯もたまに思うんだ。周りには凄い人が何人もいて、こんなにいるなら唯がポッといなくなっても何とかなって、そのままやってくのかな~って。そう思わない?だってこーんなにいるんだよ?」
唯さんが手を広げる中に、その場のみんなが収まる
自分も美城プロには大勢のアイドルが所属していることは知ってる
ここに来て、自分の目で見て改めてそれを実感できた
「···自分は」
何かを答えようとしても、答えが出ない
「お、みんなお疲れ!」
突然ドアが開くと、聞き覚えのある声がした
どこかせっかちそうなその喋り方と話すスピード、そして何より男性の声
どこか緊張したような面持ちで手を上げながらそう言うプロデューサーサンに、レッスン室のみんなが''お疲れ様です''と声を掛ける
「どうしてプロデューサーサンがここに?」
「どうしてって俺もプロデューサーだし、見学の様子はどうかなって。ライブも近いみたいだし、ついでに様子も見にこようかと!」
「唯たちは大丈夫だよー。ね?」
唯さんがそう声を掛けると、他の皆がそれぞれ頷く
未央さんも''心配しないでっ!''とプロデューサーサンに声を掛けていた
「そうか!それならよかった!じゃあ俺は予定があるからこの子たちをよろしく頼むよ。じゃ、頑張ってくれ!おっと!すみません三船さん!」
「あ、いえ。お疲れ様···です」
再び、来た時と同じように手を上げると颯爽とレッスン室から出ていくのと同時に三船さんが中に入ってきた
すごい、何秒もいなかったんじゃないだろうか
入れ違いで入ってきた三船さんも入り口付近でキョトンとしてるし、あれ?私は入っても大丈夫なのだろうか?と言いたげなそんな三船さんに未央さんが手招きで入るように言う
「あの~···よかったん···ですか?何かお話されていたんじゃ···?」
「ううん、全然。お疲れって言ってただけだから。それよりみゆみゆこそお疲れっ!」
「はい、お疲れさまです。よろしくお願いしますね」
「三船さーん、荷物こっちに置いちゃいなよー、唯たちのほう空いてるからー」
「あら、ありがとうございます」
未央さんに返事を返した三船さんは、続いて唯さんの言葉に従って持っていた荷物を自分たちが座っている壁際にしゃがんで置き、必要な物を取り出していた
その際に目が合うと三船さんはニコッと微笑むと''こんにちは''と一言挨拶をしてくれた
その様子に自分はとっさに声が出ず頭を下げる後ろで、りあむサンはフリーズしている
三船さんが上着を脱いだ瞬間、柑橘系のような凄く良い匂いがふわっとただよい、それに気づいたりあむサンの喉がきひゅっと変な音を出していた
「よいしょっと、それにしてもやっぱりあのプロデューサーは真面目だね~。未央ちゃん的にはもうちょい気を抜いてもいいような気がしてならないのだがー?」
「ダーリンくらい?」
「それはそれでビミョー、ふひゅー···」
「へごっ」
一度起き上がったと思ったらまた倒れ込む未央さん
未央さんの言うことに一理あるのか、他のメンバーも納得するような表情を見せる
それにしても唯さんが言う''ダーリン''って誰なんだろう
「もうちょっとこう···なんて言うの?ダラけるじゃないけど、肩の力を抜くっていうか、ふみふみも本を読むときとかって凄くリラックスしてるじゃん?それに近い感じ?」
「私は、リラックスと言いますか、本を読むときは別段意識しているわけではなく、自然とそうなるので···。すみません、私もどうしたらいいのか、解決策が見つかりません。あっ」
「そうだよねー、それなら私みたいにしまむー枕でいっそのことだらーんとダラけきったr」
「随分な態度だな、本田」
「ひぇぇぇっっっ!!」
「へごむぐぅっ!」
突然レッスン室に響いた凛々しい女性の声に、思わず勢いよく卯月さんの頬に手をついて立ち上がる未央さん
そしてふらふらと続いて立ち上がる卯月さんだった
未央さんが周りを見回すと、すでに他のメンバーは入ってきたベテラントレーナーさんに気づいており、ピシッとした態度で立ち上がっていた
「そんなに余裕があるということは、先程までの私のレッスンはお気に召さなかったのかな?」
「いえっ!そんなことはっ!決してっ!ございませんっ!身に染みてその愛のムチを噛み締めたしだいでございます!」
「ほほう、それならよろしい。てっきりもっとハードなのをご所望かと思ったぞ」
「いえっ!そんなことはっ!決っっっっしてございませんっ!!」
必死に弁解する未央さんの姿を、後ろの加蓮さんや凛さんたちが笑いを必死に堪えながらその場に立ちすくむ
そんな中、ベテラントレーナーさんは一つため息をつきながら部屋に入ってくる
「スタッフが心配を掛けてすまない、そこの二人と同じように彼も新人なんだ。細かいところは、今は大目に見てやってくれ」
「やっぱりベテトレさんもそう思います?私も少し力抜いたほうがいいかなーなんて思ってたところd」
「だが、それは私のレッスンには一切関係ない。さて、まずは本田からサビ部分の反復練習といこうじゃないか。な?本田。新人二人にカッコ悪いとこ見せるわけにはいかないよな?お前はもう新人ではなく''プロ''なんだから」
「ひ、ひぇぇ···」
後半のレッスンはそんな未央さんの弱々しい返事から始まった
そんな中、唯さんを見ると''さっき言ったことは気にしないで''と言っているような合図を送っているように見えた
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「···しょっと」
バケツ、ブラシ、洗車ガン、ホース、必要な物は揃っている
それをバスの目の前に置くと、少し日が傾いた空に軽く体を伸ばすように仰け反った
続いてその汚れたバスの車体に目を向けると、軽くため息が出る
まったく、社用車が全部出払ってるからって送迎にコレをあてがうかね
古いバスだから逆に目立たないのか、だが汚れが目立つ
休みの日に何をやってるんだか俺は
とりあえず場所がなかったので、美城プロの別館の前に車を停めて、ホースを入り口横の蛇口付近へと伸ばす
そしてホースをバスまで伸ばし、先端にガンを取り付けて準備完了
別館の上の階の窓から聞こえてくるあいつらのレッスン曲を聴きながらボチボチ始めることにしたのだった
「おっと!すいません!急いでいたものでっ!」
「いえ、こちらこそ。···ってアンタは」
ヘッドライトを洗おうと移動しようとした矢先、バスの前方から飛び出してきたのはあの慌てん坊のプロデューサー
たくさんの資料を手に抱え、汗だくの前髪を手で払っていた
「あっ、あなたは···ドライバーさん」
「···ども」
急いでいたようなので俺は特に気にすることもなく作業に掛かろうとするが、肩を掴まれて向き直される
「丁度よかった、あなたに伝えておきたいことがあるんでした」
「···なんですか?」
特に悪いことした覚えはないんだけども
「彼女たちに対する態度のことです。彼女たちは今ライブを前にして緊張しています、そうでなくても普段のあなたの態度は少々···''乱暴''な節が見受けられるので、どうか''大人の対応''をといいますか、''普通''に接するよう、よろしくお願いします」
「···でも俺は」
「では急いでいるので失礼します」
それだけ言い残すと、プロデューサーはそそくさと別館へと入っていってしまった
何秒も話してないような気がする
「···何なんだありゃ」
俺は再びホースを持ち直すと、バスの前側へと向かった