同じようなことを何度も繰り返している
もうどれくらい時間が経つのだろう
色々な思考が頭をよぎる
黙って一人でテーブルの上で溜め息
しかしいい考えが思い付く筈もなく
何か対策を考えようにも頭が回らない
我慢して腹を括るしかないのか
楽な切り抜け方ではない
「で、何よ」
壁際に設置されていた自動販売機からコーラの入った紙コップを持ってきた梨沙さんは、テーブルを挟んで私の反対側の椅子へと腰を降ろした
手でいつもの長いツインテールを邪魔にならないように後ろに払い、背もたれに寄りかかるように座り、片腕を背もたれに乗せ、もう片方の手でテーブルをトントンと叩きながらそう言う
私にもこれくらいの気の余裕があればと少し思ってしまった
「何をそんなに悩んでるのよ」
梨沙さんの眉間にシワが寄る
「あの···実は、大変お恥ずかしい話なのですが···」
「ええ」
梨沙さんはコーラに口をつけ、私の次の言葉を待つ
しかし、私は中々言い出すことが出来なかった
両手で台本を握りしめたまま、口からは言葉ではなく小さな声の入り交じった吐息ばかりが漏れる
梨沙さんはそんな私に業を煮やしているのか、顔を少し傾けて···なんといいますか、''はぁ?''というような顔をしているように見えます
「梨沙さんはその···」
話し始めると、再びコーラに口をつけ始めた梨沙さんの視線だけがこちらに向き、チラチラと台本で口元を隠して様子を伺っていた私と目が合う
「あの···き、き、き、キ···」
私が続けて喋ると、それに安心したのか梨沙さんの睨み付けるような眼光が少し和らいだ
「男性とキスをした経験は、おありでしょうか···!?」
「ブフォッ!」
自分で言うのが恥ずかしく、咄嗟に持っていた台本で顔を隠してしまったが、その台本の向こう側で梨沙さんが吹き出している様子が音で何となく想像できてしまった
咳き込む声に少々罪悪感を感じた私は、ゆっくりと台本の上から顔を出して様子を伺う
「全く···!ゲホッ!あんたってのは···!」
「す、すみません!すみません!」
台本を胸元に抱え込みペコペコ謝る私を見た梨沙さんは口元を拭いながら立ち上がり、自動販売機の隣の棚に置いてある使い捨てのナプキンを持ってきてテーブルを拭くのだった
「何がどうしてそんなことを聞くのかまずハッキリ説明してから言いなさいそういう事は。順序ってものがあるでしょうに」
「すみません···。この業界は梨沙さんのほうが長いので、てっきりそういう経験が豊富かと勝手に思ってしまいまして···。とても頼りがいがあって、私よりも色々な事をご存じですから」
「···そうね、あんたも中々みる目あるんじゃない。ふふん、ありがと。何か飲む?取ってきてあげるわ」
よかった、怒ってはいないようだ
言った通り、梨沙さんはナプキンを自動販売機の横にあるゴミ箱へと捨てるついでに、私の分の飲み物を持ってきてくれた
砂糖二つ分のコーヒーを一口飲むと、その香ばしさと暖かさで少し気持ちが安らぐ
「で、何なのよ」
最初と同じようなセリフを梨沙さんが言うと、私は持っていた台本の1ページを開いてテーブルの上に置く
見開いた両ページには、今私が演じているドラマの最終回のワンシーンが事細かく描かれていた
最後の部分だけに、セリフだけでなく情景までこれまで以上にしっかりと書き込まれている
「結婚式当日、教会の中で···」
教会の中で、祭壇にいる私は相手と並んで神父様のお言葉をいただく
しかしその相手は親が決めた結婚相手で、私は親に逆らうことが出来ず、それを受け入れて結婚することに
お付き合いしていた主人公の男性は家の力で引き離されて、この結婚式の日程すら知らされていない
ドラマの中でも描かれていたが、相手の男性は表面上はとても優しくていい人だが、裏では様々な所へ手を回し、お金持ちの令嬢である私と結婚するためにどんな汚いことでもやってしまうとても悪い人
目的は私と、お金
でもその姿は私に見せることなく、私もその姿に騙されてこんな優しい人ならと主人公への想いを残しつつ、家の命令を受け入れかけてしまう
しかし誓いの口づけを交わすその瞬間、主人公の男性が乱入し、その相手の男性を突き飛ばして私の唇を奪い、教会から連れ去る
事情を知っていた友人役の星花さんとゆかりさん、妹役の智絵里さん、そして大人側で唯一の味方のお母様役の女優さんの拍手を受けながらハッピーエンド···という流れである
「···今時こんなベタベタなドラマ受け入れられるわけ?」
「意外と視聴率はいいんですよ?一周回って奥様方の評価が高いのだとか···。俳優の方も格好いい男性ばかりですし、週末には再放送も」
「ふーん···まぁ、王道な展開は続いてたからね。遊園地に、映画館って。これどうやって締めるのか気になってたけど···ってこれネタバレされてるじゃない」
「そ、そうですね。すみません···」
私としたことが迂闊だった
梨沙さんも(たぶん)楽しみに観ていてくださっていた筈なのに配慮が足りませんでした
ちょっとバツが悪そうな顔をしていると、そんな気にしないで、どうせ回りの雰囲気とか噂話でいずれ入ってきてたし、と梨沙さんが声をかけてくれました
梨沙さんはこう見えて優しい女性なのです
「···で、あんたが悩んでいる肝心な部分なんだけど。何でここまで詳しく書き込まれてるわけ?」
「はい···。監督さんが、重要なシーンだからと様々な要望を聞いているうちに、その様なことに···」
「ダメよ、あの監督は言い出したらキリないんだから。前のみりあと千枝の撮影の時だって尺ギリギリで、パトカーの走行シーン出来る人中々見つからなかったって言うじゃない。たまたま雛子さんがいたから何とかなったって聞いたけど」
「は、はぁ···」
本題に入る前に早速のダメ出しが入る、素直すぎるのがあんたのいいところで悪いところとお墨付きも頂いてしまった
梨沙さんはテーブルの上の台本に書きこまれていた私の直筆の監督の意見を、持っていたボールペンでチェックをつけ弾いていく
「キスをするときに目を閉じて相手が入れ替わっていることに気づかない···これはいいわ。肩に手を置かれた瞬間に目を開ける、その時に相手が主人公に変わっていることに驚いて涙を流し、そして満たされたような···満たされたようなって何?···まぁいいわ、そして自分から相手を引き寄せてキス···ねぇ。首に手を回す、相手の唇をついばむように数回に渡り···唇を···つ、つけて離して···!」
「梨沙さん、あの···お顔が」
「うっさいわね!何よ!?お顔が何よ!!ブサイクとでも言いたいわけ!?」
「いえ、あの、どうぞ···お飲み物でも」
「赤くなんてなってないわよ!!」
そんなことを言った覚えはないのだが、梨沙さんは私が言った通りにコーラを勢いよく飲むと途中でむせ返っていた
私は再び台本を手に取ると改めてそのシーンに目を通す
「ゲッホ!ゲホッ!···で、そのキスは本当にしないといけないわけ?」
「いえ、監督さんはする振りでいいと言ってくださいました。カメラのアングルもそう見えるようにするからと···。しかし、大事な最終回ですし、いずれはそういうシーンも撮ることがあるかもしれないと考えると···実際にすることになるのではと···」
「ふーん···」
梨沙さんは空になった紙コップをゴミ箱へと捨てると、また新しい物を持って椅子に座り、頭の後ろ辺りをポリポリと掻いていた
私も台本に目を通したまま、少し沈黙が続く
「···まぁ、そこまで考えてるんだったら割りきるしかないんじゃない?ほら、アレよ。ビジネスキスと思えばいいのよ。あんたも一回くらいはそんな経験あるんでしょ?」
「いえ、あの···ファーストキスはまだ、誰にも···」
「あら、意外ね」
私も少し恥ずかしくなり俯き加減でそう言うと、梨沙さんからはそんな予想外の返答が返ってくる
「アンタ積極的だから、てっきり経験あるんだと思ってたわ。ほら、アイツとかと」
「''アイツ''?」
「お子ちゃまドライバーとか」
梨沙さんがそう言った瞬間、私の頭に、頬に、熱い感覚が胸の辺りから立ち上ってくるのがわかった
「わ、私がっ!零次様となんて!そんなっ!おこがましいですわ!いえいえっ!そんなことは決して!きっと零次様には、他に素敵な女性の方がいらっしゃると!···思い、ます···楓さんとか···」
語尾にかけて、言葉のテンションが低くなっていくのが自分でもわかった
「それはちょっと高望みしすぎね。もったいなさ過ぎ」
その言い方もひどいような···
しかし、他の女性とそういうことをしている様子を想像すると、何だか複雑な気持ちになる
でも、実際どうしたらいいのだろう
こればっかりは練習するわけにもいかないし、お家にあるぬいぐるみにでも付き合ってもらうくらいしか思い付かない
「ハードルが高いのはわかるわ。でもここまで来たらもう腹を括るしかないわね。残酷だけど、視聴者の期待を裏切るわけにもいかないし。一番盛り上がる場面だろうし?」
「やっぱり···そうなりますよね」
「こういう仕事に就いたんだから、覚悟を決めなさい」
「は、はい」
私は年下に何てことをアドバイスされているのだろう
世間知らずで育ったことがこんなにも情けなく思うだなんて
男性との縁がなかったわけではない
パーティーなどでは話しかけてもらうこともあった
しかしそれは、私が''西園寺''という看板を背負っているからというのが大きく、彼らが見ているのは私の後ろにある大きな''力''
業界を担う財力と権力、人ととてつもなく大きなお金を動かすことが出来る程の圧倒的な信頼と、言葉ではもう説明がつかない現代のファンタジー
何か起これば政府からお達しが来るほどの人脈
そのご令嬢である私に取り入ろうとする方々は大勢いた
小さい頃からたくさんの贈り物を頂き、相手側のご子息、はたまたそのお父様お母様に至るまで、''お食事''という言葉を聞くのは日常茶飯事だった
それ意外でも業界雑誌などで写真が出ている著名な方々、''権威''と呼ばれている者など、私のことを''知り合い''だと紹介している人たちは数えきれなかった
それ故に、私に変な''汚れ''がつかないように徹底的にその西園寺家という''箱''の中で暮らしてきた人生だったのだ
そんな人生の中で出会うことができた彼女たちは、その夢に向かって宝石のように輝き、今ではスポットライトに照らされている
その道は楽ではなかったが、今まで経験したことのない達成感と高揚感、そんな仕事を経験できることを誇りに思っている
出来ればよりこの会社に貢献し、今は西園寺家ではなく''私''を知ってもらうことがやりがいである
その中で出会ったのが''彼''だった
私の頭の中にあった男性像を軒並み破壊しつくし、綺麗な言葉ではなく心のままに接してくる彼の存在は私の中でも大きなものとなっていた
今までのような、セキュリティが整っている高級店の中で男性といるような安心感ではなく、場所なんてどこでもいい、隣に座れば肩をかりて寝息を立てられるような、そんな感覚だった
「やはり、経験者に聞いてみるのが一番だと思います。零次様は本日はどちらに?」
「何あいつに聞くの?やめといたほうがいいんじゃない?」
「ですが、零次様には昔大切な方が居たと聞きましたので、やはり経験は豊富かと···」
「···ふんっ、あいつは今日は千枝たちのロケの送迎よ。少し遠いところみたいだから夜には帰ってくると思うわ」
「そうですか···」
私はそう言うと無意識に、本当に無意識に目の前にあった紙コップを手にとって口をつける
とたんに広がる甘い味と炭酸のピリッとした痛み
「あ、ちょ、アンタはほんとに···」
「すみません私···!無意識で···」
しまった、私としたことがこんな様子では、撮影が思いやられる
コーヒーとコーラを間違えるなど
「あの···、お詫びと言ってはなんですが、どうぞ」
「あ、そう。ありがとう」
そう言って梨沙さんは差し出された私のコップに口をつけ、一口飲む
その瞬間に梨沙さんの顔がくしゃっと歪み、コップから口を離して舌を少し出し、''うぇっ···''と嗚咽を漏らすのだった
これもキスの一種に、なるのでしょうか?