握られた手を私はじっと見つめる
疑心、いや偽善とでも言うのだろうか
夜景に散らばるネオンがそんな私を照らす
彼はそんな私を見ると、そっと肩を抱く
匂いがする。彼の、そして私のものと混ざる
何気ない静寂。それは大切な一時の合図
包み込まれる愛情に、私は頭を預けよう
大切なこの瞬間を刻みこむように
「···はいカット!よかったよ!お疲れ様!」
「はい、ありがとうございます。お疲れ様でした」
監督の号令に、私だけでなくその場にいたまわりのスタッフの方々からも、次々と労いの言葉が飛び交う
カメラマンはカメラのスイッチを切り、頭上からはマイクが下げられた
そして近くで光源確保のための白いレフ板を持ったスタッフが監督の後ろまで下がると、その背後から上着とタオルを持ったスタッフが私と彼の元へと駆けよって上着を肩にかけてくれた
意外と照明の反射で暑くなるのでタオルは現場ではありがたい
「いやー、よかったよ西園寺君!バッチリな絵が撮れた。最初の頃から比べると腕を上げたね!」
「ありがとうございます。これも一重に監督さんのおかげですわ。私だけでは、どうしようもなかったですもの」
「はっはっは。嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
監督は嬉しそうに、腕を組んで私の肩を叩くと、満足したのかその場を離れて他のスタッフの元へも歩みより労いの言葉を掛けるのだった
「···もう、いいかな?」
「あ、すみません。お疲れ様でした」
隣で私と監督のやり取りを見ていた彼が、躊躇うように私に話し掛ける
ボーッと監督を見ていた私はハッとなって、謝罪の言葉を口にすると同時に頭を下げるのだった
いけない、つい監督とのやり取りで有頂天になってしまったばっかりに彼にまで気が回らなかった
「大丈夫大丈夫。あの監督は中々褒めるってことしないからね。俺の目から見ても、最初の頃から凄く演技が上手くなったし、本当に彼女が存在してるのかとも思った。監督の突拍子もないオーダーにも対応出来てたしね」
「そんな、私なんてまだまだですわ。あなた様にも頼ってばかりですし···」
「あはは。嬉しいことを言ってくれるね、今日は一日お疲れ様」
彼もまた、何だか嬉しそうに笑うのだった
何だか子供っぽい、私と歳が10歳以上も離れているのに
まるで零次様のような···ハッ、いけないいけない、いけないですわ。そんなことを考えてしまっては零次様に怒られてしまいます
梨沙さんも零次様の事を''おこちゃま''と言った際には喧嘩をしていましたし、それなら私も頭をパシッとされてしまいますわ
彼と似ているのは後ろ姿くらいということにしておきましょう
「あ、そうだ。琴歌ちゃん」
「はい···?」
まわりのスタッフが撤収を始めて、次々と機材を橋の下の控え場所まで運び込み、段々と寂しくなっていく現場で彼は戻ろうとする私を引き止めると、真剣に私の目を見つめる
さながらドラマのワンシーンのような真面目な表情だった
「よかったら、この後時間あるかな?実は···こんなところを用意したんだ」
「···ここは」
彼の手の中にあったのは、近くにある有名なレストランのディナーチケット
ビルの高層階、雑誌で取り上げられるほどの有名な場所だ
高級そうな装飾品で彩られた店内と、綺麗で美味しそうなお料理の数々
それはどれも簡単には手が届かない一品
街を一望できる綺麗な夜景。まるでそこだけが別世界のような、そんな空間に誘われる感覚が、人気たる一つの所以だろう
そんなおとぎ話のような場所への招待状が、今目の前にある
「驚かせてごめんね。前々から、一度は二人でお食事にでもと考えていたんだけど、中々誘う勇気がなくて。同じ現場で働く女性に、ましてやあの西園寺家のお嬢様をそうやすやすとその辺のお店に誘うのも···ってね」
「そんな···気を遣わないでください。私も、今は一人の人間ですわ」
この方も、相当私に気を遣って話し掛けている
私に残念な思いをさせないように、このチケットだって簡単には買えない代物だ
そんなチケットを握りしめて私の目の前に差し出してくるが、私は申し訳なく頭を下げてその差し出した手を彼の胸元へと押し戻すのだった
「本当に、本当に申し訳ありません。この後は大事な予定がありまして、あなたのお誘いはお断り致します。お気持ちは十分に嬉しかったですわ、どうかそのチケットは是非他の方とお使いになってください。また機会があれば、その時は是非」
「···そうか、急に引き止めてごめんね。わかったよ、じゃあ今度また誘わせてもらうね。今日はお疲れ様」
「はい、お疲れ様で···あ」
最後に、彼は私の手を握ってニッコリと微笑む
そんな彼に罪悪感を感じながらも、私は再度丁寧にお辞儀をしてその場を後にするのだった
すり抜けた彼の手は数秒その場に残り、彼もまた去っていく私に向かって軽く手を振ってくれた
私はなんて心ない人間なのか、心の中で罪悪感が少し大きくなる
嘘は言っていない筈なのに、彼の気持ちを無下にしてしまった後悔だけが残っていた
大人になるとこういう付き合いがあるのは知っていたが、いざそれが自分の事となると、こんな気持ちになるのだと今日は学んだのだった
ーーーーーーーーーー
「···」
「お疲れ様っす!どうすか?琴歌ちゃん、本当に行くんすか?」
「···ダメだ」
「やっぱそうっすよね~」
隣でうるさいやつが俺に声を掛けてくる
俺の手からチケットを取ってそいつが眺めている間、俺は橋の下の控え室用のテントに琴歌ちゃんが入っていくのを見ていた
この誘いを断ってどこへ行くというのか?
聞きたかったがあの様子だと話したくなさそうだった
今後の付き合いの事を考えると無理やり聞き出すのは俺のイメージに反する
「でもやっぱり琴歌ちゃん綺麗っすよね~。西園寺家の娘、礼儀はしっかりしてるし美人で綺麗だし17歳だなんて思えないっすよ。身体も出るとこ出てるし、あ、今あのテントの中でその琴歌ちゃん着替えてるんすよね。あぁ~なんかたぎりますね!ケータイのカメラで拡大したら覗けたりして!なーんてなーんてあっはっは!!やってみよー」
するとそいつはケータイを取り出してテントへと向け、ニヤニヤした下品な笑い顔を浮かべながらイヤらしく橋の手すりへと寄りかかる
テントの入り口が風でパタパタと揺れ、微かな隙間から見えた琴歌ちゃんの生足に興奮している様子だった
「···あれ?どこ行くんすか?」
「···帰る」
「え?今丁度いいところなのに···って、ちょっとちょっと!このチケットどうするんすかー?」
片手に持っていたそのチケットを俺に見せるが、俺は一瞬それを見ただけですぐに背を向けて歩きだした
「やる」
「マジっすか!」
もうそんな物に価値はない、断られた以上もう今夜は望み薄だ
こいつにも琴歌ちゃんを誘う勇気もないだろう
そうだ、俺しかいない
初めてこの現場で一緒になった時から、感じていた。彼女のオーラ、気品、そして何よりその身体から溢れる天然物の魅力
他の下品な芸能人が醸し出す''作った色香''ではなく、自然な、純粋な、芳醇な、完成された本当の意味での''高貴なる女性''
誰にも手を加えられていない天然の宝石のような女、俺も初めて見たときは驚いた
''これ''を自分の物に出来たらどれだけ幸せだろう
一心不乱にむしゃぶりつくせたら、どれだけ満たされるのだろう
今から考えても···あぁ、楽しみで仕方ない
その纏っている衣の下には、どれ程の''蜜''を蓄えているのか
お膳立ては済んだ、ドラマも終盤、お互いの雰囲気も良い、最終日にはきっと、節目だからと理由を付ければ彼女は誘いに乗ってくれるだろう
そして、教会でのキスシーンで''そこ''に至るまでの雰囲気を作ってしまえば、後はもう、''最後''までいけばいい
これで、''西園寺家''を手に入れることが出来る
それと同時に、男として最高のアクセサリーを手に入れることが出来る
翌朝隣で寝ているのは、全てをさらけ出している彼女···、これをきっかけに、その真っ白で無垢なキャンバスに自分の絵の具を塗っていけばいい
そして最後には、その画用紙は色を取り込み、混ざり合い一つとなって、俺と彼女によって命を吹き込んだ''作品''が産まれる
なんと美しい、そうなってしまえばもう誰も文句を言えない、相手は西園寺家なのだから
皆が祝福してくれるだろう
「よしっ!このチケットで俺は智絵里ちゃんを···!って先輩もちゃんと飯食ってくださいよ!いつもサプリばっかじゃお腹いっぱいにならないすからね!」
「ああ、大丈夫だ」
お腹がいっぱいになるまで''食べる''のは、まだ後でいい
もう少しの辛抱だ
ーーーーーーーーーー
「すみません、お待たせしましたわ!」
車に寄りかかって待っていると、土手を越えてピンク色の長髪を忙しく振り乱しながら、そのお嬢様は駐車場へと駆け寄ってきた
その肩を出したいつものスタイルが、この季節外れの寒空の下では少々心もとなく、車に着く頃には少し体を震わせている
「お前寒くないの?それ」
「あはは···天気予報では晴れだと言っていたのですが、こんなに寒くなるとは思ってなくて···あっ」
あまりにも目に余ったので、俺が来ていたジャケットをとりあえず肩にかけてやった
これなら外に肌を出してる部分はない
足はロングスカートだが、そこは我慢してもらおう
「すみません、ありがとうございます」
「風邪引かれたら俺が殺される。ホラ、車の中暖かいから早く入れ」
「零次様のジャケットもとても暖かいですわ。えへへ···」
琴歌はそう言うと、ほっこりした顔のまま車の後ろに乗り込む
そして俺がドアを閉めると、運転席に乗り込んでエンジンを掛けるのだった
「で、智絵里は本当にいいのか?俺は知らんぞ」
「はい、友人と夕食に行くと本人の口から聞きましたわ。とても楽しそうな様子でしたので、間違いはないかと」
「···そうか」
それなら···まぁそれでいい
俺はゆっくりと車を発進させる
ゆっくりと駐車場を出て、ゆっくりと道路を走る
まわりの車達に会わせながら、ゆっくりと琴歌の家を目指す
「あら?いつもの''バビューン''という運転ではないのですね」
「そりゃ、まぁ···俺だって緊張してるんだよ!だからわざわざ帰って着替えてきたんだろうが!」
「そんなに緊張なさらなくても、夕食をご一緒するだけですわ」
「場所が場所だわ!たわけ!」
「ふふふ、零次様のその格好、とても素敵ですわよ。ふふふ」
「ああそうかい、お褒めに預かりどうも」
やはりこの女、俺の今の状況を楽しんでやがる
バッグミラー越しに目が合うとクスクス笑ってるんだから間違いない
昨日の千枝との夕食の事を誰から聞いたのか、昼頃に琴歌から電話が入った
''今日は私が、夕食にご招待します''というシンプルなものだったが、その会場が問題だった
その辺の店に入るのとはわけが違う、やっているのは千枝の時と一緒だが、あの西園寺邸に招かれての夕食だった
送迎に行くときに何度も見ているおかげであのスケールのデカさとたたずまいは今まで見てきたどの家よりも群を抜いていた
どこまであるんだというほどの広い敷地に立派な正門、庭園、そして何より高級ホテルのような大きな邸宅
そのいくつもある窓の中では何人もの使用人が働いているのが見えて、世話しなく動いている様子は何度も見た
そんな異次元に足を踏み込むのだ、それなり身なりくらい整えないと何を言われるかわからない
「でもよかったですわ、零次様のご予定が空いていて。お父様もお母様も是非お会いしたいと言っておりましたの」
なんか、今日でメンタル相当持ってかれそうな気がする