扉を開けて、というよりはテントから出る
車をまわす前に、あの子に会いにいくのだ
荷物を片手に、駐車場へと歩いていく
興奮が抑えきれない、準備は万端
琴歌ちゃんも側にいない、完全に一人だ
「お、いたいた」
俺は着ている服の襟を正し、まわりで機材を運んでいるスタッフの間を縫って駐車場のその一角、歩道部分で立ちすくんでいるそんな彼女の元へと近づいていくのだった
「お疲れさまっす~。あ、お疲れさまっす~。明日もよろしくおねしゃ~す」
適当に挨拶を交わして適当に返事を貰い、何気なく自然な様子ですり抜けて、たどり着いた駐車場の入り口
もうここからでもわかる、歩道端にちょこんと佇んで待ってる愛らしい姿
小さなバッグを両手で手前に持って、時おりまわりをキョロキョロと見回しているその様子はまさに小動物のようで、それだけでも天然記念物級の可愛さなのになんだその服装は!
比較的下が短いピンクのワンピースにカーディガンを羽織って、その折れそうなくらいに細い生足が華奢な体を支えてる
ワンピースのおかげでボディラインも見えていて、年相応の未成熟な体つきが丸わかり
まるでまさしく芝生の中にある一つの小さなクローバーのような、そんな魅力を放つ
彼女のトレードマークは間違ってはいない
「やっ、お疲れさんっ」
近づいていって声を掛けると、その瞬間にピクッと肩を一瞬震わせて智絵里ちゃんはこちらに振り向いた
相当驚いたのか、体を素早く反転させた勢いでワンピースのスカートの部分がフワッと広がり、もうちょいでパンツが見えそうな感じだった
惜しかったな~、もう少し離れた位置から呼び掛ければよかった
「あ、あの···!お疲れ様でした···!」
智絵里ちゃんは素早く体勢を立て直し、俺に失礼のないようにカバンを手前に持ちながら頭を下げていた
んん~、礼儀正しい
これは教育の賜物ですな~
アイドル活動で芸能界に揉まれてさぞ大変でしょう
俺よりも全然若いのに十分立派、ご立派
そのたどたどしい所作は、まさにまだ花の十代と言ったところ
うんうん、恐れ入る、誠に
その顔を上げたときの俺を見るキョトンとした表情、大事な大事なプロダクションという名の''箱''の中で育てられたお花は穢れなんて知らないんだろうね
「今日も智絵里ちゃん上手だったよ~。琴歌ちゃんと向き合ったときの真剣な表情、画になってたし、なんだか引き込まれそうな感じだった!」
「そんな···、私なんてまだまだで、琴歌さんのほうが凄いと思います。儚げな表情とか、向かい合って演技してるときなんて私の方こそ引き込まれそうで···、そのおかげで雰囲気を出すことが出来ました。そんな感じで···こっちが助けられてばっかりで···!」
我ながらオーバーに褒め称えると、その小さな胸の辺りでこれまた小さなお人形さんみたいな可愛い手をパタパタと左右に振りながら、智絵里ちゃんは遠慮がちにそう答えるのだった
なんて謙虚なんだ
こんなに可愛らしくてたまらない生き物他に思い付かない
今までの誰とも違う、愛想ばかり振り撒いて裏では毒ばかり吐きまくる性悪女どもとは住む世界が違う、純粋無垢な存在
他に手を付けられる前に俺がその花を摘んで上げないとねぇ
「···あはは」
「?」
悟られないよう俺はいつものように笑顔を振り撒く
そして次に、ポケットからその切り札を取り出すのだった
「こ、これは···」
「あ、やっぱりわかっちゃう?」
説明の手間が省けてよかった
やはり知名度というのは便利なものだ
智絵里ちゃんは俺の手からおずおずとそのチケットを受け取ると、まるでこの世の物ではないものを見るかのように目を見開いて凝視していた
そしてそのぽつらぽつらと開いては閉じる小さな唇からは、チケットに書かれているレストランの名前と場所が少々跳ねるようなテンションで呟かれる
知らない者は恐らくいない超有名どころ
グルメ雑誌、女性用の情報誌などでも必ずといっていいほどに紹介されている最早十八番な場所
それ故に予約なんて何ヵ月、下手したら数年なんてザラだ
料理も逸品で、まわりの体験者からも絶賛しか聞かない
もちろん智絵里ちゃんもこの業界にいるんだ、一度くらい聞いたことはあるだろう
「でも、こんな···どうしたんですか?これ、中々手に入らないんじゃ···」
「ん?知り合いにね。俺も前から行ってみたかったし。それなら、前にご飯行こうって智絵里ちゃんに言ってたから丁度いいなって」
「そ、そんな···!こんな場所に行ったら私なんて!それなら、琴歌さんとかのほうが似合うと···思います!私なんて全然···!」
「そんなことないよ」
チケットを持ったままぶんぶん振り回すその手を俺は両手で軽く握りしめて止めると、一歩智絵里ちゃんに近づいて見つめる
その透き通るような薄茶色の瞳が、小刻みに揺れつつも俺の目を確実に捉えていた
「智絵里ちゃんだから、俺は誘ったんだよ。だからそんなこと言わないで、他の人とか、お金持ちとか関係ない、俺は''智絵里ちゃん''がいいんだ。今日の夜は、俺を兄貴だと思って任せてくれない?」
「お、お兄ちゃん···ですか?」
「うん。絶対楽しいよ、絶対に満足する夜にしてあげる」
完璧、完璧だよ
やはり智絵里ちゃんも女の子
背伸びしたい気持ちは絶対にある
憧れと経験、それも今回は普段なら絶対に味わえない高級品、もうカンペキにリーチがかかってる
後は最後、君がその首を縦に振ってくれさえすれば、今夜は俺のエスコートに従ってくれる
君の手を引いて、夜の街に消えることが出来るのだ
「あ···、えっとその···」
「?」
どうしたんだろう、反応が芳しくない
何だか気まずそうに顔を少し傾けて、眉が下がって目線が外れた
持っていたチケットを俺の手に返すと、智絵里ちゃんの手が俺からスルッとすり抜ける
申し訳なさそうな顔をしながら、智絵里ちゃんは続けて頭を深々と下げるのだった
「ご、ごめんなさい···!今日はこの後、お友達と予定があるんです!お誘いは本当に嬉しかったです!でも、どうかそれは他の方に使ってあげてください。きっと喜ばれると思います」
頭を下げたまま、智絵里ちゃんはそう言う
な、なんだと···
おかしい、何故断るんだ
お膳立ては完璧だったはず···断られる要素は微塵もないはずだ
ボディタッチだってなるべく控えてきた、そりゃあもっと勢いよくいきたかったが、智絵里ちゃんは他とは違って繊細だ、慎重に事を運ぶ必要があったからまずは準備と言わんばかりに接してきた
何故だ、上手くいくはずだったのに
俺は智絵里ちゃんが頭を下げてる前で、自分でも驚くくらいのしかめっ面をしていたのだった
「あっ···」
智絵里ちゃんが一言そう呟くと同時に頭を上げて、駐車場の出入口方向に振り向いた
すると聞こえてくる、低い地響きのような野太い音
それと同時にこちらに近づいてくる黒い車
駐車場の灯りに照らされて、そのボディは艶やかに輝きその黒い車体を一層と目立たせていた
そしてその黒い車はそのマフラーの音を響かせながら、智絵里ちゃんの目の前に止まった
古い車だ、もう二十年近く前じゃなかろうか
なんだ?智絵里ちゃんの会社の人か何かか?
「悪いな智絵里ちゃん、待たせちまって」
「きゅーまるさん!」
そう言うと智絵里ちゃんはその運転手に駆け寄っていった
車から出てきたのは、それはそれは筋肉質な図体をした背の高いグラサンの男
頭を坊主に刈り上げて、お洒落とはいえない黒のTシャツ一枚に青のジーパンとシンプルな姿
だがその風貌は厳つく、智絵里ちゃんとは全く釣り合わない
この人は一体何なんだ?
「道が混んでてさ、遅れてすまん。すぐに家まで送ってやるからな」
「いえいえ、全然待ってないですよ。今日はありがとうございます」
「いいんだいいんだ、どうせ暇人さ。ところで···そっちのにーちゃんはなんだ?」
「ひゅっ···!」
その男の厳つい顔がこちらに向けられる
智絵里ちゃんもポカンとしたような表情でつられてこちらに振り向くが、いかんせん俺はそんなまともな状態じゃない
まったく身動ぎできず、完全に蛇に睨まれた蛙の構図になっていた
「今撮影してるドラマの共演者の方です。いつも私に色々とアドバイスしてくれて···」
「''いつも''?」
「あ···、いやその、えっと···」
俺が口ごもっていると、その屈強な男は頭を下げ始めた
「そうかそうか!そうとは知らず失礼した!智絵里ちゃんがお世話になっとります!」
「そんなそんな!こっちこそ智絵里ちゃんがいるといつも場が和みますし、そんな感じでいつも···はい···、助かってます!」
男が頭を上げる前に、俺は慌てて持っているチケットをケツのポケットへと隠してペコペコと頭を下げる
そうか、そりゃあよかったと男は先程とは違い少し雰囲気が柔らかくなると、慣れた手付きで車の助手席のドアを開けた
「それじゃあすみません。お誘いありがとうございます。またの機会があったら是非、今日はお疲れ様でした」
「あ、うん、お疲れ様···」
「ありがとな、にーちゃん。それじゃ、俺も失礼するぜ」
智絵里ちゃんとその男は俺に一礼すると、また低い音を響かせながら颯爽と駐車場を後にしていった
しばらく遠くからその低い音が微かに聞こえる中、俺は一人で駐車場に立ち尽くす
い、一体何だったんだあれは
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「ふ~、今日もご苦労さん、智絵里ちゃん」
「あ、いえ···私の方こそ、お願いしちゃってすみません」
「いいってことよ、智絵里ちゃんにお願いしたらいつでも飛んでくるぜ。それにしてもプロデューサーさんも大忙しだな、迎えにもこれないなんて。あ、そうだ、足元寒かったら後ろに毛布積んでるから使ってくれ」
「ありがとうございます。そうですね、プロデューサーさんは他にも色々な子たちを見てますから、だからご飯も食べず···あ、ひゃっ···!ご、ごめんなさい···」キュー
「はっはっは、智絵里ちゃんのお腹も大忙しだなぁ」
「も、もう、こんな時に限って···!すみません、あんまりお昼ごはん食べてなくて···」
「おっ、それだったら俺オススメの超美味いラーメン屋があるんだよ。どうだい?行くかい?」
「あ、前に言ってたところですか?是非行ってみたいです!」
「いいね、ノリがいい。でもよかったのかい?さっきのにーちゃんとどっか行くんじゃなくって俺で」
「はい。今日はきゅーまるさんが迎えに来てくれるって言ってたから、久しぶりに会いたくて断っちゃいました」
「あ~!何て嬉しいこと言ってくれるんだ!今日はチャーシュー大盛までなら奢ってやる!」
「本当ですか?じゃあ甘えちゃおっかな···。な、なんて!」
「よし、決まりだ。俺も腹減ってるから直行すっぞ!あいつらも多分いると思うから!」
その後車内は、笑いの絶えない会話が続いたまま、車は目的地へと走っていくのだった