部屋の扉がゆっくりと開く
柔らかい笑顔と、柔らかい口調
似て非なるその者は、俺にゆっくりと近づく
「お待たせしました。零次様」
手を前に添えて、そう言いながら琴歌は丁寧に俺の前で頭を下げるのだった
普段着なのだろうか、外で着ているものとは少し脚色の違う余裕のありそうなゆったりとした服装
外の服装とは別で上から下まで一枚ではなく、トップスとロングスカート、最近流行りの腰上でスカートを固定して、足回りに余裕を持たせていくスタイル
これならこの家の長い廊下を歩くのにはとても楽だろう
上も外で着ていたカーディガンを羽織るのをやめて、少し生地の厚そうな暖かい仕上がりの、少し色味がベージュっぽいような服を一枚着て、琴歌のイメージを崩さない温かい印象を醸し出している
それを前で止めるための黒いボタンがアクセントとなり、部屋着にしてはやたらお洒落になっていた
「あの···零次様。あんまり見られると、恥ずかしいですわ」
「ああ···悪い。なんていうか···あー、似合ってると思う」
「もうっ、零次様。部屋着ですのよ?お上手なんですからっ」
そうは言ってるが、その言葉とは裏腹に琴歌はスカートを広げるようにくるっと一回転すると、スカートの裾を持って左右に少し引っ張りながら、嬉しそうな表情で少し膝を曲げ、少し顔を傾けてお辞儀をしていた
まるで俺に見せつけるように
俺が反応に困っていると、そんな俺を見て琴歌は笑うのだ
そして俺はこの家にいる間はコイツには敵わないと、半分諦めて頷く
「では零次さま。不束ながらご案内させていただきます。よろしければ、私の手を取ってくださいませんか?」
本来ならその役割は男である俺なんだろうが、いかんせん恥ずかしながら今の俺は赤子も同然、右も左もわからない状態なので仕方なく琴歌の手を取る
こうなる事は計算済みだったのか、琴歌はそれを見ると満足げな表情で俺の手を軽く握り返し、俺を前へ前へと引っ張っていくのだった
「いらっしゃいませ、零次さま」
「いらっしゃいませ」
部屋を出て、廊下を歩く
大きな背の高い天井と、敷き詰められた赤い絨毯
その中を俺はまるで子どものように手を引っ張られ歩いていく
出迎えた時にはいなかったメイドさん達がそれぞれの仕事道具を片手に持ちながら、足を止めて丁寧にお辞儀をしてくれていた
仕事の手を止めさせてしまって申し訳ないと俺は頭を下げるが、通りすぎた後にはメイドさん達は互いに近づき、微笑ましいと言わんばかりの笑顔を浮かべて俺たちに聞こえないようにヒソヒソと耳打ちのように話しはじめると、チラチラと目線を送りながら俺たちを見送っていた
「···なぁ、俺たちの関係ってどのくらい伝わってんの?」
「はい?全員ですわ?」
なぜそんな当たり前のことを?とでもいいたげな表情で頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら琴歌は答えた
そうか、やはりこの屋敷にいる限りはどこにも逃げられない。使用人全員、天然物の監視カメラが至るところにあるのと一緒ということか
「お父様もお母様も、零次様に是非お会いしたいと常日頃仰っておりました。普段お世話になっている方なのだから、一度キチンとご挨拶したいと。私が普段零次様の話をしているからなのだと思いますが」
「それは···逆に緊張するな。ハードル高すぎないか?」
「ふふふ、プロデューサー様も同じ事を言ってましたわ」
···そうか、あの人も苦労したんだな
「ですが、その時はどうしてもお母様の都合がつかず、お父様もお仕事の都合で少ししかお話しできなかったと悔やんでおられました。しかし今回は''あの''零次様が来ると知った途端、突然の予定にも関わらずあらゆる部署に連絡して仕事の都合をつけ、今夜のお食事の手配をしていました。娘としてこれ程嬉しいことはありません」
「···ちょっと待て」
「お父様もお母様も、大層楽しみにしていたご様子でした。あんなに嬉しそうな表情をしていた両親を見たのは久しぶりですわ」
今こいつは何と言った
あの一時間に何億っていう金が動く西園寺グループのトップ二人に都合をつけさせた?
''つけさせた''と申したか?
今の話の内容だと同じ意味だよな···?
「零次様?」
「···」
無意識に琴歌の手を握る力が強くなる
''まぁ···''とか琴歌は呟いてクスって笑い恥ずかしそうに俯くが違うんだ琴歌
今はそうじゃないんだ琴歌
頭の中でこれからの人生とか今までの事とかが走馬灯のように駆け巡っていた
俺のために時間を割いてくれたことはもちろん嬉しかった
しかしそれは、下手に動けばこれからの人生がどうなるかわからない大博打に挑むようなもので、一切のミスも許されない綱渡りのような···いや、もう表現できるような言葉がない
何を言ってもここからはもう逃げることは出来ないのだから
「はっ、申し訳ありません零次様。私としたことが配慮が足りませんでしたわ」
「配慮···」
なんだ?何か策があるのか?
「心配なさっているのですね?お父様とお母様に突然無理を言ってしまったので機嫌を損ねているのではないかと。ですが心配はご無用です!いずれこの時が来ると、お父様は西園寺グループだけではなく取引先との契約の日程変更も視野にいれて活動していましたので、予定を後日に先延ばしにしても支障はございませんと仰っておりました。何やらお相手もそういう事に大変理解のある方々みたいで···」
ちなみにその取引先の名前は?と聞くと、琴歌はつらつらとその企業の名前を挙げていくが、それはそれは聞き覚えのあるものばかりだった
櫻井ホールディングス、涼宮グループ、水瀬財閥、水本···と最近どこかで聞いたような名前が沢山
よくよく考えてみれば今までとんでもない場所に放り込まれて活動していたんだと思う
「この縁もプロデューサー様のおかげ。そしてより仲を深めることが出来たのは、零次様が私達を存外に扱うことなく気にかけてくださったおかげですわ。共通の話題が出来て、私たち毎日がとても魅力的な物になりましたの。世間には知らないことが沢山···あっ、積もるお話しは是非夕食の場でと致しましょう」
そう言うと琴歌は、廊下の一角にある大きな扉の前で立ち止まる
扉の端には、さっき俺の車を運転していった執事のご老人が丁寧にお辞儀をして待っていた
「ありがとう、爺」
「お待ちしておりました、お嬢様。ご主人様と奥様の準備はすでに整っております。お二人とも楽しみなご様子でお嬢様と北崎様を待っておられますよ」
「それはよかったですわ。で、零次様のお車は無事に?」
「はい、問題ございません。鍵は厳重に保管してありますのでご安心を」
その執事は俺にも丁寧にお辞儀をしてくれた
そこまでしてくれなくてもと改めて伝えるが、その執事の人も含め琴歌も首を横に振る
西園寺家の者として当然のおもてなしです。それに零次様に対してなら尚更と伝えられ、特にお気になさらずと釘を刺されてしまった
「おっと、すみません。話が長くなってしまいました。どうぞごゆっくり、お楽しみください」
執事の人が扉の取っ手に手をかけてそう言った瞬間、目の前の大きな扉が横に開き、中から眩しいほどの淡黄色の光が俺たちに向かって差し込んできた
少し目を細めて立ちすくんでいると、不意に俺の手が引っ張られ、中へと踏み込んでいってしまった
廊下との部屋の温度差に、その室内は暖房が効いていて適温に保たれているのがわかる。まず感じたのはそれだった
そして眩しさに半開きだった目を徐々に開けると、目に入ってきたのはエントランスにも負けない高そうなシャンデリアが沢山並んでいる大きな天井と、天井から壁、床に至るまで西洋風の装飾に彩られた室内
壁には大きな振り子時計に、高そうな額縁に入れられたどこかのお城が描かれた絵画
さっきの待合室とテーマが統一されただだっ広い空間がそこにはあった
長テーブルと呼んでいいのか、木製のこれまたお洒落で高そうな長いテーブルが中央に配置され、上には豪華なテーブルクロス
その周りは椅子で取り囲まれている
振り子時計が動くリズミカルな音と同時に室内には心地よいクラシック調の音楽が流れていて、とてもすごしやすい
高級レストランも顔負けの内装に仕上がっていた
これ入るだけでも金取られそう···
「やぁ、よく来たね」
奥からとてもダンディな声が聞こえてきた
見てみるとその長テーブルの上座のほうに、それは高そうなスーツを着た、髪の毛や髭がピシッとカッコよく決められている男性が手を挙げて声をかけてくれていた
俺は無我夢中でダッシュで駆け寄り深々と、ふっっっっっかぶかと頭を下げた
「この度はお招きいただき本当に、ほんっっっっとうにありがとうございます!!」
「まぁまぁ、よしてくれないか北崎君。この場はそんなかしこまった物じゃない。むしろ私たちが誘ったようなものだからね。気軽に、楽しく食事をしようじゃないか。私も日頃忙しくてそんな暇がないから楽しみにしていたのだよ」
琴歌のお父さんはそう言って俺の肩を軽く叩くが俺は頭を上げることができなかった
隣で琴歌のお母さんもその様子を見て面白そうに笑っていたが、俺にはもうそんなことを気にしている余裕なんてなかったのである