空気が一層引き締まる
ルビーのような鮮やかな色のテーブルクロス
夜空の星と街のネオンが窓から見える
上手いことその調和が取れたこの空間
二度とこんな機会ないかもしれない
「では、早速夕食にするとしよう。すまない、頼むよ」
「畏まりました」
琴歌のお父さんが側で待機していた料理人、シェフというほうが正しいのか?
とにかくその人に慣れた口調でそう伝えると、シェフは頭を下げてこの食堂の隅にある大きな両開きのドアから出ていった
これが当たり前なのか、琴歌のお母さんも琴歌もそれに対して座ったまま軽く頭を下げるだけで再び視線を前に戻す
俺もどうしていいかわからず、同じように席に座ったままただ深々と頭を下げるのだった
「北崎君」
「はい!」
自分でも驚くほど大きな声で瞬時に返事を返した
「挨拶が遅れてしまって申し訳ない。西園寺グループ代表取締役社長兼、琴歌の父だ。こうして顔を合わせるのは初めてだね、よろしくお願いする。あ、名刺は後日お渡しするよ。今日はそういう場ではないからね、気を楽にしてほしい」
「あ、いえ。わざわざご丁寧に···」
社長の一言一言に俺は頭を下げて応える
そんな俺の様子に社長はまぁまぁと手振りを交えて気を使ってくれていたが、どうも萎縮してしまう
「初めまして、あなたが''零次さん''···ね。琴歌からよく話を聞いています、琴歌の母です。肩書きが大きいのですが、西園寺グループの副社長を兼任しています。実際は経理の仕事が多いので、役職だけが独り歩きしてしまっているようなもので。どうか、お気軽に声を掛けてくださいね」
「ですがお母様、前にお話しした即席ラーメンの商標展開はその後、お母様の決断あってこその黒字だったとお聞きしましたわ」
「そうだ、それこそ北崎君のおかげだ。彼が琴歌に紹介してくれなかったら、妻にまで話が回らなかった。この場を借りてお礼を申し上げる。本当にありがとう。西園寺グループの選択肢が一つ広がったからね」
「いや、本当に俺は大したことは何もしてないので···」
腹が減ってるっていうから琴歌の仕事の帰りに適当にコンビニに寄ってカップ麺買ってやってその場で食べた話がここまで広がっているとは···
後は俺の家に来る度に勝手に作って食べてるだけで、他に食べたいものが思い付かないというのが困ったものだ
「あなた、今日はそういう話は無しにしましょう?せっかく零次さんが来てくださっているのですから」
「それもそうだな、それなら···普段琴歌はどのように活動しているのだろうか?何分忙しくて、プロデューサーさんからは淡々とした報告しか受けていなくてね。迷惑など掛けていなければよいのだが」
「お、お父様···!」
琴歌が恥ずかしそうにしていたので、それはそれは綺麗なオブラートに何度もぐるぐる巻きにして普段の琴歌の様子を語る
仕事の事のみならず、周りのアイドル仲間達との付き合い方など、元々LiPPSメンバーほどぶっ飛んでいるわけでもないので説明はしやすかった
多少世間知らずなところはあるが、そこも琴歌の魅力の一つなのだろう
琴歌も話に合わせて楽しそうに口を開く
「···ということで、この前は皆さんで''ゲームセンター''に行ったときはとても楽しかったのですわ!皆さままるで別人のように釣竿を握りハンドルを握り、奈緒さんや李衣菜さんは楽器を引いていたりと楽しいものが沢山で···」
「なるほど···」
社長が真剣な表情で琴歌の話を聞いていた
まずい、このままだとまた事業を広げようとか考えているんじゃなかろうか
あの顔はどう考えても商談中にするような表情だぞ
琴歌、あんまり詳しく言わないほうがいいかもしれない
今にゲームセンターの筐体にさりげなく西園寺グループのロゴか入るようになるかもしれないぞ
「あなた」
「はっ、これは失礼。つい普段のクセが···ん?」
社長の視線の先では、シェフの方が扉の前で頭を下げていた
続いてそのシェフが社長に近づくと、耳元で何かを報告している
「どうやら準備が整ったようだ。お待たせして申し訳ない、では夕食にしよう」
社長がそう言った瞬間、さっきシェフが立っていた扉が開き、ぞろぞろと同じような白いエプロンと帽子をかぶったコックさんたちが料理を乗せたキッチンカートを押して室内へと入ってくる
それと同時に食堂には香ばしく、美味しそうな肉の焼けた匂いが漂い、鉄板の上でその肉が今もなお熱されて、肉汁が跳ねる音が食欲がかき立てられる
「本日は琴歌からの要望で、ハンバーグをチョイスさせてもらった。これでよかったかい?琴歌」
「はい!この前、仕事終わりに零次さんに連れられて星花さんとゆかりさんと一緒にレストランに行った際、好きだと言って美味しそうに召し上がっていたので···あの、よろしかったですか?零次様」
よろしいも何も、俺は全力で二人に向けて頭を縦に振った
そんな俺の様子に二人は満足していると、その間にそれぞれのテーブルへと食事が並べられ、コックさんたちは頭を下げて邪魔にならないように足早に扉から出ていった
目の前に来ると一層感じる、このハンバーグのただならぬオーラと気品
そこら辺のファミレスの物とは違う、素材、形、焼き加減、そしてハンバーグと同時に運んできたご飯と付け合わせの野菜類などの前菜等もめちゃめちゃ綺麗に盛り付けられていて···
食べる前からわかる、これはヤバい逸品だと
「せっかくの機会なので、こちらも腕を奮わせていただいた。''たまたま''良いお肉が見つかってね、こちらの野菜も''たまたま''良いものが収穫出来たと報告が上がったので是非ともと家に仕入れたのだよ。食事は大勢で食べたほうが美味しいだろう?だから今回''たまたま''琴歌が北崎様を誘ってくれてよかった。偶然が重なったのだ、だからそう構えずに、気楽に召し上がってくれたまえ」
「そうですのよ。たまたま零次さんが来ることになってよかったですね琴歌。レストランではご馳走になっているのですから、お返しをしないとと思っていましたので」
「そうですわ零次様。''偶然''が重なってよかったですわ。ただそれだけの事ですの。ふふふっ、決して''今日の為に''というわけでは''決して''ありませんので、ふふふふっ」
見るからに気を使ってくれているのがわかる
きっとおそらくこの場の為に色々用意してくれたのだろう
俺の様子を伺いながら目が爛々と輝いている
「おっと、料理が冷めてしまうね。では、いただくとしよう。いただきます」
「「いただきます」」
「い、いただきます」
社長の号令に合わせて、食事会が開始された
他の方々の真似をするように、料理の両脇に置かれているこれまた高そうな食器を手に取ると、俺は早速右手のナイフでハンバーグに切り込みを入れた
するとどうだろう、切り口から溢れた肉汁が鉄板の上に流れ、美味しそうな油の跳ねる音が響く
たまらない、同時に美味しそうな匂いも鼻に登ってくる
そして俺は左手のフォークでその切り分けたハンバーグを口に運んだ、すると
「!!」
な、何だこれは!
肉が、肉汁が、フワッと口の中で溶けていく
全体に広がる、完成された味
食べ初め、味わう行程、そして喉越しまで完璧に計算された作り
妙なしつこさもない、これはまさにそう···いや、これまでの常識がひっくり返る、''美味しい''という概念が揺らぐ
そのレベルを軽く越えていく、言葉が出ない
まさに···''感動''の一言だった
「どうやら、お気に召してくれたようだね」
「最高です!」
もうこうなってしまっては手が止まらない
奥さんも琴歌もそんな子どものように料理にありつく俺を楽しげに眺めながら、自分たちも食事を進めるのだった
ーーーーーーーーーー
「琴歌」
「はい?いかがなさいましたか?零次様」
食事の後、お父様に誘われて三人でガレージに向かう際、零次様にふと声を掛けられた
一体何だろう、先程どこかに電話をしていた件だろうか
まさか、他にご予定が出来たとか?
「あのさ」
「はい」
私は黙って零次様の言葉を待つ
「俺今日は、まだ帰りたくない」
「···へ?」
予想していなかった言葉に、私の心臓がはね上がり、すっとんきょうな返事を返してしまった
頭の中で勝手にその言葉の真意を探ってしまう
それと同時に、様々な妄想が広がり始めてしまった
一体どういう意味なのでしょう、一体零次様は私に···
いや、ダメですわ!そんなはしたない!
そんな事を考える私は···!いや、でも···万が一ということもありますし···
しかしそんな···!私、まだシャワーも浴びていませんのよ!
色々と準備もあって···
「琴歌?」
「は、はい。いえ、なんでもありませんわ」
そう言って私は、並んで歩く零次様との距離を少しだけ詰め、肩と肩がふれ合うくらいの幅で歩く
不思議そうにする零次様に、私も少しだけ緊張しながら歩みを進めるのだった
ーーーーーーーーーー
「零次さん今日帰って来ないって~」
「えぇ~」
「なんとっ!」
フライパンの上でハンバーグを焼いている私の後ろで、携帯を片手に持った志希の声を発端に所々から声が聞こえて会議が始まっていた
気になって少し振り返ってみると、テーブルの端、ソファーの上、そして半開きの引き戸を挟んだ奥の部屋のベッドの上から続けて抗議の声が部屋の中で入り交じる
私はそれを聞き流しながら、菜箸でハンバーグをつつき、焼き加減を確認する
うん、中々上手く出来たんじゃないかしら
「ふぅ~、サッパリサッパリ···って志希!アンタそのままソファーに寝そべったらダメじゃない!レッスンで汗かいてるんだから!」
「えぇ~、だって美嘉お姉ちゃんのお風呂が長いんだもーん」
「そうだそうだー」
「ってアンタもその格好で布団に潜らないの!汗がシミになるでしょうがっ!」
出なさい!と風呂上がりにも関わらず美嘉は汗だくになる勢いで首にタオルを掛けたまま布団をひっぺがしベッドからフレデリカを一生懸命引きずり降ろしていた
他のメンバーはマイペースにも、周子はリビングの上のテーブルで首にタオルをかけた格好でネイルを整え、志希はソファーに寝そべりながら携帯をいじっていた
周子がテレビのチャンネルを勝手に変えてモノマネ番組を流しながらクスクス笑っていると、寝室から''テーブルの上片付けないとご飯食べらんないでしょ!''と美嘉から激が飛び、周子はちぇ~とか言いながらしぶしぶ片付けを始める
なんだかんだ言っていうことを聞いてくれる所は私も嫌いじゃない
「でさ、気になったんだけど、何で今日零次さん帰って来ないん?」
「なんか''お夕食''に招待されたらしいよ。めちゃ美味しかったって」
キッチン台の上にある人数分のお皿にハンバーグを盛り付けていると、志希がそう言っていた
私も何となく耳を傾ける
「今までに見たこともないハンバーグが出てきたって、そりゃもう何ていうかどうのこうの~って何言ってるのかサッパリわかんないくらい美味しかったみたい」
「ふーん···あ、奏ちゃんありがとう」
「いえいえ」
私は何も言わず、完成した料理をテーブルに運ぶ
そうね、きっと美味しかったに違いないわ
「でも、零次さん残念だね。ね、奏ちゃん」
「···何が?」
片付け終わった周子がテーブルの前に座り、ふと話し掛けてくる
「奏ちゃんのハンバーグ食べそこねちゃったんじゃん?」
「いいのよ、さすがに最高級のお料理には敵わないもの」
「私は奏ちゃんの作ったハンバーグ食べたい人なんて世界中に100億人くらいいるとおもうんだけどな」
「地球の人口越えちゃってるじゃない」
「ハンバーグ!」
「あ、ちょっ、フレデリカ!」
美嘉の声を振り切り、フレデリカはテーブルに駆け寄ってくると、キラキラした目でハンバーグを眺めていた
「すごく美味しそうだね!奏ちゃん!」
「そう?」
「そう!だって久しぶりのお肉だよ!プロデューサーに言われたお肉禁止週間明けての始めてのお肉だよ!前のライブ頑張ったご褒美だよ!それが奏ちゃんの手料理だよ!素敵!」
「···そう」
「素敵なステーキ」
「···ステーキではないわ」
「···ん?あ、ご飯」
ソファーの上の志希も匂いにつられたのか、寝そべっていた体を起こして覗き込んでくる
まったく、やっぱりあなた達変わってるわね