いきますわよ~と声が掛かる
ロケットのように腕を上に上げ構える琴歌
勢いはいいが、ボールは適当な方に飛ぶ
ロングスカートがふわっと舞い、慌てた表情
納得していないのか、頬を膨らませていた
「大丈夫だ琴歌、こっちまで一応届いてる」
「お情けは要りませんわ!」
ポテッポテッと転がりながら俺の足元まで届くボールに納得がいかないのか、お嬢様は大層お怒りのご様子だった
まだどこかにすっ飛んでいかないだけまだマシだ
離れたとはいえ超高級車がすぐ側に控えている
今のところ社長は俺たちを見て楽しんでいるようだが、何を言われるかわかったもんじゃない
「次はそちらですわー!バッチこーいですわよー!」
日々のレッスンの成果か声量が半端ない
意気揚々とグローブを構える琴歌はやる気満々で、普段の高貴な様子とはまるで似つかない子どものような楽しげな表情を浮かべていた
「はっはっは。琴歌も、''普段と違って''楽しそうでよかった」
「はい?」
「とっとっと···!あぁんっ、零次様!」
社長が突然そんなことを言うもんだから、思ったよりボールは大きく放物線を描いて、琴歌のグローブを掠めて背後へと飛んでいってしまった
慌てて琴歌はトコトコとそれを追いかけていく
あっち側に車がなくてよかった
「まぁ、それは私のせいでもあるんだがね」
俺に代わり、今度は社長が俺の位置に立って構える
ボールを拾ってこちらに向かい嬉しそうに大手を降っている琴歌から、いわゆる''女の子投げ''から放たれたボールが大きく放物線を描きながらこちらへ飛んできた
それを慣れた手付きで社長は受け取り、流れるような所作で琴歌へと返した
まるで経験者のような動きだ
「あの子は世間知らず故に、昔から周りに流されることが多かったようだ。それが善意でも邪念でも、疑うということを知らなかった。君も薄々気づいていたのではないかい?」
「多少は···そうですね」
社長の言う通り、普段周りのメンバーに対して新鮮な反応を見せるのも、そういうところがあるからかもしれない
俺の反応から察したのか、社長も遠慮がちに笑い、再び戻ってきたボールを琴歌に向かって投げ返す
「私はもっと、琴歌に色々な経験をさせてあげたかった。広い世間を見せてあげたかったんだよ。しかし、私の立場上周りには経営者やそのご子息、はたまた財界や政界の名だたるメンバーばかりがいてね。世間体も考えて通う学校も考えなくてはいけなかった。そういう意味ではとても窮屈な生活を強いてしまったようだ」
琴歌は予想より大きくボールを放り投げてしまい、めちゃくちゃな軌道でボールが飛んできたが、それをいとも容易く社長は腕を伸ばしバックハンドで捉える
そして胸元でボールを軽く上に投げながらその手元を見つめるのだった
「きっと、他の子のように伸び伸びと、青春を全うすることができていれば···あるいは、別の人生が待っていたのかもしれないね。これでも私は、最初からお金持ちだった訳ではない。幼い頃は、友人とグローブを持ってよく公園に集まったものだ。共に遊び、笑い、そしてケンカもした。今となっては良い思い出だよ」
「お父様~、零次様~、何をなさっているんですの~?」
話が弾み、中々投げ返してくれない俺たちに今度は大層ご不満なご様子で抗議してくる琴歌だった
そんな琴歌に社長は''すまない''と一言伝えると、再び満面の笑みを浮かべてグローブを構える琴歌に俺たちも何だがその光景が面白くなったのか短く笑い、社長は琴歌にボールを投げ返す
「これから琴歌も私達の手を離れて世間に出ていくことになる、その時に周りにたくさんの味方がいれば心強い。きっと辛いことや苦しいことを数えきれないほど経験していくだろう。環境も環境だから、もしかしたらこの世の闇の部分に触れることもあるかもしれない。そんな時に支えてくれる存在がいれば、これ程頼もしいことはないだろう」
「大丈夫ですよ、社長」
パシッと琴歌から返ってきたボールを受け取った社長に対して俺は言う
「あいつの周りにはもう、ほっといてくれと言っても離れてくれないやつらがたくさんいます。きっと何も言わなくても、自然と琴歌に手を伸ばしてくれるでしょう。断言してもいいですね。そういうやつらなんですよ、身に染みてわかります」
「···どうやら、嘘は言っていないようだね」
「ええ、それはもう。毎日の事ですから」
俺の言葉に納得したのか、社長は静かに手に持っているボールを俺のグローブの中へと落とし、俺と場所を入れかえる
もう満足したのだろうか?
手に付けているグローブを外した
「君のその言葉を信じよう。どうやら琴歌も、君の事は信頼しているようだからね」
社長が琴歌のほうを指差すと、琴歌は嬉しそうに俺が投げるボールを今か今かと待っていた
「今までも娘に声を掛けてくる男は少なくなかったが、皆どうも···その後ろに私の影がちらついているようだった。相手側の親には、''将来''の関係を匂わせるような事を言ってくる者もいてね。私はなんだか、娘が道具のように扱われているような気がしてならなくて、そういう輩からは娘を遠ざけてきた。しかし、琴歌が外に出るようになってからは心配だったよ。私の手が必要な時に届かないからね。だが、それももう杞憂になろうとしているようだ」
琴歌にボールを投げ返す俺の横に立って、社長は腕を組み立ち尽くすと、琴歌に聞こえないように声を少し抑えながら話す
「どうやら君は、琴歌の中では特別目立った存在のようだ。家で君の事を話す琴歌はそれはもう楽しそうでね。ここまで男性に興味を持っている娘は初めてだよ。北崎君はどうかね?親バカかもしれないが、娘は中々美人かと思うのだが」
「···そうですね」
ヒソヒソと耳打ちしながら話しているように見える俺たちに、琴歌は不思議そうな顔をしてボールを今投げていいものかどうか右往左往しながらこちらの様子を伺っていた
そのクリっとした目と、整った顔立ち
女性らしい長髪に、プロポーションの良さ
そう、それはまるで···
「娘さんは、アイドルのように輝いて見えますね」
「はっはっは、そうかそうか」
「ええ、だからこそプロデューサーにスカウトされたのだと思います」
「ふふふっ。君もその''彼''と同じことを言うんだね」
「零次様ー!いきますわよー!」
いてもたってもいられなかったのか、琴歌は大きく声を張り上げて俺に合図を送る
普段のボーカルレッスンの成果を遺憾なく発揮していた
「しかし、わが娘ながら、中々に手強いと思うぞ。興味を持った物には一直線だからね。私も、信頼できる男に娘を任せたい」
「ご期待に添えるかわかりません」
「それはこれから判断すればいい話さ。引き続き、娘をよろしく頼むよ」
「えーいっ!」
女の子投げから放たれたボールは、今度は予想以上に飛距離を伸ばし、車が停まっている方向へとすっぽ抜けていく
「ほわぁぁぁぁ!」
全力で追いかけた
それはもう全力で追いかけた
ここで何とかしないと西園寺家に永久就職が決まってしまう
「ナイスキャッチですわー!」
「もうここでやる必要なくないですかね!?」
思いっきりボールを胸元に抱え込んだ俺を見て、琴歌と社長共々同じように笑っているのだった
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「···彼はどうでしたか?」
「そうだね···」
自室から窓を覗き、門を抜けて走り去っていく零次を見ながら、社長は答える
「中々、面白い人物だったよ。琴歌が興味を持つのもわかる。他の男達とは娘の扱い方が違った。彼は''西園寺''ではなく、きちんと''琴歌''を見ている」
社長がそう言うと、婦人は''そう''と一言だけ返事をして、社長の横に立つ
「琴歌には悪いことをしてしまったね。どうやらてっきり彼は泊まっていくものだと思っていたようだが、明日は明日で早いと言って帰ってしまった。引き止められなかったのは残念だ、私も彼とお酒でも飲んで語ってみたかったが」
「···なんだか、懐かしい光景ですね」
「そうだな。まぁ、今後は若い彼らに任せようか」
二人は懐かしむように、窓の外を見る
もうすっかり、辺りは夜の暗闇に覆い隠されているのだった
「ところで、あなた。何故キャッチボールを?」
「あまり、慣れないところに招待したせいか緊張しているようだったからね。リラックスしてもらおうと思ったのだが···どうだろうか?」
「私は好きですよ、キャッチボール。それもまた、懐かしい思い出です」
「そうだね。それじゃあ、私達も休もうか。明日からもまた、飛び回らなければならない」
「いい息抜きになりましたか?」
「ああ、とても楽しかったよ」