ヘイ!タクシー!   作:4m

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ジューンプライド22

しばらく、車の中で琴歌と二人でいた

ただただ、琴歌の体調が気になっていた

今朝になり良くなって普通にしていたが

どうもあんなことの後で嫌でも気になる

 

「···本当に大丈夫か?琴歌」

 

教会の駐車場に到着し、車のエンジンを切って運転席のシートに深く腰掛けると、俺は助手席で静かに座っている琴歌にそう話し掛けた

数秒考え込むと、琴歌は普段と変わらない笑顔を浮かべながら、こちらをジッと見る

その顔は演技なのか、それとも心の中で何かを受け入れているのか、それは俺には分からなかった

 

朝になってすっかり吐き気も収まり、琴歌は撮影に臨めるまでに回復していた

志希に一応報告してみると、この様子だと副作用の症状はまだ軽症のほうらしい

柳さんにも相談したら、なんでもっと早く教えないのかと俺が怒られてしまった

なんにせよ、知り合いの病院に予約をしておいたから絶対に行くようにと釘を刺されたため、素直に従うことにしよう

 

あの人怒らせるとおっかないから

 

「あの、零次様···」

「ん?」

 

キーシリンダーから鍵を抜いて降りる準備をしていると、琴歌がおもむろに話し掛けてきた

 

「色々と···ありがとうございます」

「いや、俺は何も出来なかった。礼なら志希に言ってやれ」

「でも···それなら、あの時私も···何も出来なかったですから」

「あの時?」

「教会の玄関で···零次様が押し倒された時に」

 

ああ、あのイラつくイケメン俳優に倒された時か

 

「いいよ、どうせ今更何か言ったってあの性格だから深く考えてないだろうし。それに、俺は芸能人でも何でもなくてただの運転手だから」

「ですが···!」

「いいのいいの、誰か怪我したってわけでもなかったんだから」

 

本当に幸いにも、琴歌も星花も怪我をすることがなかったのは事実だ

それこそ俺が怒られてしまう

 

琴歌はあんな状態になってしまったが、それでも琴歌はあの薬を誰からもらったかは言わなかった

何故なのか、琴歌の心の内までは俺には理解できない

相手に何らかの恩を感じているのか、それか相手がただ間違えただけだと信じているのか

 

あんな薬を持っているということは相手は女性なのか

考えるほど分からなくなる

 

「零次様。私、そろそろ···」

「ん、ああ、そうだな」

 

ここで話していたら遅れてしまう

既に駐車場の周りでは撮影スタッフが機材を手に持って教会へと向かい始めていた

 

「よいしょっと···。んー···これ晴れるのか?」

 

天気予報では午前中くらいには雲が開けて晴れると言ってはいたが、いまだ空には薄く白い雲が太陽を遮って、雨が降りそうなものではないが、うっすらと青空が見える程度だ

気温は適温で、これならウェディングドレスの姿のまま外に出ても寒くはないだろうけど···どうなんだろうか

 

「では、零次様。あの···帰りはその、お迎えはいらないので···」

「そうか、なんか用事か」

「はい。撮影の打ち上げと···その、お食事に行こうと前から誘われていて···」

「···そうか」

「それが終わったら、病院へ行きます」

 

それさえ忘れてなければそれでいい

だがなんだか、琴歌の表情は浮かばなかった

 

「では···行ってきますね!」

 

最後に琴歌は元気にそう言うと、教会への道中で待っていた星花とゆかり、智絵里と合流して歩いていく

その様子はもう、普段の琴歌と変わらない

今日の撮影が上手くいくことを願うだけだ

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

襟を正し、ボタンを確認し、この白のタキシードがしっかりと着られているかどうか確認する

 

『では、入場五秒前でーす』

 

そう言って、教会の扉に手をかけるスタッフ

その姿に自然と背筋が伸びる

昨日までの雨が嘘みたいに、空には一面の青空が広がっていた

これなら天窓から教会の中に丁度いい光が入るだろう

なんとこの撮影を神が祝福してくれているようではないか

 

そして、扉が両端にいるスタッフによって手前に大きく左右に開かれる

 

思ったとおりだ

天窓から光が差し込み、その彼女を輝かしく照らしていた

 

ああ、美しい

その白無垢のドレス、そしてそれが包んでいる誰の手も及んでいない純粋無垢なその体

この快晴だ、もう撮影の邪魔をするものは誰もいない

俺がバージンロードを歩き、ギャラリーが驚き、そして琴歌ちゃんと契りを結ぶ

 

本番の撮影だ、監督が望んでいる通り情熱的な最終回にしないと

 

驚いた表情をしている琴歌ちゃんの元へ、俺は歩みを進め始めた

仕事モードに感情を切り替え、これまでのことを思い出しながら、バージンロードを踏みしめていく

ゆっくりと得意気に、並べられた長椅子たちの中央を、琴歌ちゃんが待つ祭壇へ足を進め、その二人の前へと並び立つのだった

まわりからざわめく声を聞きながら、隣に並ぶ男の胸の辺りに手を当てて、その男を突き飛ばす

 

その後に、その倒れた男の姿を微塵も気にせず、琴歌ちゃんを見つめる

そうだ、その表情だ

俺を見つめるその表情

その見目麗しい整った顔をもっと見せておくれ

お膳立ては済んでいる

完璧なエンディングが俺を待っているんだ

この撮影が終わり、君の手を引いて二人···、そう、''全て''が終われば、君も''西園寺''も手に入れることができる

その瞬間をどれほど待ち望んだことか、その為に、''体調''も整えられているはず

二人で力を合わせて命を吹き込んだ''作品''を作り出す準備は出来ている

そうなれば君はもう、俺を認めざるを得なくなるはずだ

 

さぁ、言ってほしい、その言葉を、その綺麗なお口から、さぁ

 

『はい、誓います』

 

牧師の言葉に続いて、琴歌ちゃんがその言葉を口にしてくれた

その瞬間に、俺の体にむず痒くなるような感情が走る

 

我が物にしたい、いや、もうこの娘は俺の物に等しい

 

そして、そう、その瞬間が訪れる

この女に触れられるその瞬間が

 

『では、誓いのキスを』

 

もう言葉はいらない

今の俺たちを邪魔する者は誰もいない

誰もが祝福してくれるこの瞬間

それがこの台本、このストーリー

揺るぐことのないシナリオなのだから

 

向き合った琴歌ちゃんの腰に手をまわし、自分の体へと引き寄せる

逃げられないようにピッタリと密着させて、その折れそうな、女性らしい柔らかい肢体に触れる

良い、この成熟したばかりといえる身体

ああ、衣服がなければどれほど気持ちよかったのだろうか

 

いや、それは後にとっておけばいい、今は我慢だ、自分を抑えないと

そうすれば、彼女と密着するどころか、彼女と繋がり、一つとなって、溶け合うことができるのだから

 

『あ、ん···』

 

そんな彼女から吐息が漏れた

戸惑う彼女、これなら撮れ高も稼げるだろう

俺に感謝してほしいものだ

 

そしてその時はやってくる

天窓から差し込む光に照らされて、彼女は、ゆっくりと目を閉じた

俺は上半身を倒しながら、その艶やかで綺麗なピンク色の唇に、顔を近づけていく

キスしたフリでいいだと?そんなの許されるはずがない

いい作品にするには、それ相応の行動をとらないとねぇ

 

1cm、また1cmと彼女の唇へと近づいていく

もう少し、もう少しで、口づけを交わすことができる

俺はゆっくりと、顔を琴歌ちゃんとは反対の方向に少し傾けた

そして···

 

 

触れた

中央、そしてそこから折った紙を中央から伸ばすように唇の両端へとその感触が広がる

少し乾燥したような感覚から、徐々に湿っぽい感覚に変わっていく

 

『ん···んむ、んん···』

 

琴歌ちゃんの鼻から漏れる息が自分の顔に当たるのがわかると、より俺の感情を盛り上がらせた

より彼女の体を引き寄せて、自分の唇を彼女の唇に押し付けて開き、それに合わせて彼女の唇が少し開くと、そこに滑りませるように自分の舌を入れる

 

『ん···?んむっ!···んちゅ』

 

より湿っぽい感触に、琴歌ちゃんの口内に侵入したのがわかった

突然のことに驚いたのか彼女は少し離れようとするが、腰を抱きかえて引き寄せてそれをよしとしなかった

そして味わうように、舐めるとるように琴歌ちゃんの口内を堪能する

 

ああ、いい、すごい、柔らかい、舌が内頬、若干歯にも当たる、続いて歯茎にも

まだまだ若々しい、今すぐ手に入れたい

 

最後に自分の舌が琴歌ちゃんの舌に触れたのがわかると、口に力を入れて口内を吸いとるように唇を強く密着させて熱く口づけを交わし、俺は口を離した

カメラには映らない、絶妙なカメラワークだからこそ成し得た本当に愛し合う二人の情熱的なキスシーン

今の行為は、俺と琴歌ちゃんの二人にしかわからない

 

そう思うと、何だか誇らしげに感じてくる、俺は彼女を奪うことが出来たのだから

 

『はぁ···はぁ···』

 

琴歌ちゃんは息も絶え絶えに目がトロンとなり、全身の力が抜けている

俺の顔をボーッと見続け、唇はまだ俺の唇との間に細い唾液の糸を引き、それが光に反射して艶々と輝く

俺に全てを預け、後はあのセリフを俺に言うだけだ

 

''わたくしをさらってほしい''と

 

まわりから俺たちの行動に拍手が巻き起こっている

そうだ、早く言うんだ、そうだ···言ってしまえばいい、俺にまかせてしまえばいいんだ

そうだいい子だ

それでハッピーエンドなんだ

 

そして琴歌ちゃんはゆっくりと口を開いて、ついにその言葉を口にするのだった

 

 

『ジリリリリリリリリリリリリリリリ

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

リリリリリリリリリリリリリリリ!」

 

 

うっすらと、ボンヤリとする意識の中、頭の横で、けたたましく何かが鳴り響く

目の前に琴歌ちゃんは存在せず、代わりに白い枕が俺の腕に抱かれて、くしゃっと潰れていた

今は何時だ?

朝日が窓から眩しく差し込み、ベッドの上でその光に目を細めていると

 

何の前触れもなく、突然''それ''は襲ってくるのだった

 

「うぐっ!がっ···!あがあぁぁぁあぁあぁああ···!」

 

今度は頭の中で、それはけたたましく鳴り響く

ガンガンと内側から激しく突かれるような、頭の血管の中で血が激しく沸騰し、頭を割られかねないような激痛に、たまらなく俺は布団を押し退け、ベッドから転げ落ちて両手で頭を抑えながら悶える

 

思い出せない、何も思い出せない

あいつと居酒屋まで行ったのは覚えてる

その後に確か···いや、ダメだ

もう何も考えられない

 

ガンガンと頭の中に響く鈍痛に耐えながら、床を這うように何とか枕元横のラックの上にある携帯に手を伸ばす

その途中、そのラックについているデジタル時計が目に入った

俺はそこでけたたましく鳴り響くアラームを手探りで止める

そうだ、確か局が取ったホテルに泊まってそして···

 

「うぐぁ···!ぐっ···!ああぁぁぁっ!」

 

ダメだ、頭の中が止まらない

そして、胃の中から逆流するように吐き気も襲ってくる

たまらなく玄関横のトイレへと駆け込むと、頭に響く音とは別に、部屋の出入口の扉を叩く音が聞こえていることに気がついた

 

ったくなんだ!こっちはこんなに吐くほど苦しいのに迷惑な奴だ!

 

しかしまたそれとは別の甲高くうるさい音が鳴り響き始めた

正体を確認すると、手に持っている携帯から鳴っていることがわかった

画面を確認すると、同じ番号から何度も着信がきていることが画面に表示されているのに気づく

 

それと同時に、段々と頭の中に今日の予定がポツポツと浮かんできていた

今日は確かドラマの撮影で、遅れたらマズいから近くのホテルに泊まることにして、そして···

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「···ん?なんだ?」

 

教会に来ることなんて中々ないので、神様に感謝しつつ外に出て新鮮な空気を吸っていると、教会のまわりでスタッフが慌ただしく動きまわっているのが見えた

それが電話をしていたり、スケジュール表のような紙の束を確認していたりと、何かトラブルがあったのか焦っているように見える

 

確かに考えてみると、もう教会の扉を開いて撮影が始まってもおかしくないのに、未だにスタッフの人が持っている···なんだったっけ、レフ板?とかいうのも端っこに置いてあるし、まだカメラもスタンバイしていない

気になって近くまで観察に近寄ってみたけど、やはり慌ただしい

 

「いや、参りましたねー···、どうします?監督」

「今日しかない、何とかして撮らないと。もうスケジュール押さえられるのホント今日しかないんだから···でも他はもうそれぞれの仕事でいっぱいだからなぁ」

 

後ろから、監督とそのマネージャーと思われる二人が忙しなく歩いてくる

隣を通りすぎる時に、二人して携帯とタブレットを操作しながら頭を悩ませていた

確かに、これだけ入念に準備してきたんだからそうなるのも当然だろうな

 

琴歌、何だか今日は天候といいどうなるか本当にわからないぞ

 

「···お?」

「はい?」

 

その監督さんが隣を通りすぎて少しした時、その二人が途端に足を止めた

そして急に俺のほうに体を向けると、早足でこちらに向かって歩いてくる

 

「え?な、何ですk」

 

そんな俺の反応もお構いなしに背後にまわりこんで来ると、俺の後ろ姿をじっくり観察してくるではないか

しかも途中で''うーん''とかなんとか考え込んでは、隣のマネージャーみたいな人と相談してるし

 

「君、346プロのドライバーさんかい?」

「え?あ、ええ。どうも、琴歌たちがお世話になっています」

 

とりあえず頭を下げておく

今は看板を背負ってる立場だ、何か失礼があっても申し訳ない

 

「だ、そうだ。どうだい?」

「そうですね···。確かに、体格等、特に後ろ姿は申し分ありませんね···。よし、やってみましょう!」

「うむ!」

「···は?」

 

いやいやいや、二人で何か得体の知れない話を進められても困る

いやいやいやいや、そんな手を引いてどこへ連れていこうというんですか

 

いや、いやいやいやいや

 

いや、さすがにそれは···!いやいやいやいや···

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「病める時も、健やかなる時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も···」

 

神父様のありがたいお言葉を、彼女は黙ってその前に立ち尽くし、顔を少しうつむかせながら黙って聞いている

その隣で、男ははるか後ろの玄関が気になるのか、カメラに映らない範囲で演技に合わせてチラチラと観察するが、一向に変化はない

 

そんな二人を見つめている、長椅子に座っているエキストラの人たちも、中々変わらない天候と、そして一向にスタートの合図が鳴らない現場に少し戸惑っていたが、カメラがまわり始めたんだからきっと間に合ったんだろう、そう思って撮影に臨んでいた

 

一番後ろに座っている智絵里もゆかりも、朝、星花から聞いていた琴歌の体調を心配していたが、本人が''大丈夫です''と言ったことで、一応気にしつつも撮影の様子を見守っていた

 

「···愛することを、誓いますか?」

 

神父様から、その言葉がついに目の前の二人へと降り注いだ

琴歌の中で、覚悟を決める時がきた

もうすでに、隣の俳優は返事を返している

この時ばかりは、琴歌も生唾を飲む

昨日の一件で、琴歌の中にも不信感が浮かんでいた

きっと彼も、自分の事を''そう''思っているということに、心のざわつきが止まらなかった

 

この後自分は、彼の物になることになる

 

彼と深く触れ合う、たとえ演技だとしても、その心の中で様々な感情が絡む

だが、受け入れなければならない

ここまで積み重ねた物もある、だから、受け入れなければならないのだ

 

そう葛藤している彼女を、星花は黙って見守る

いや、本当はもう叫んでしまいそうになるほど、彼とそうなる前に連れ去ってしまいたい

一番前の長椅子に座っているからこそ、琴歌のそんな複雑な表情がよく見えていたのだ

だが、星花はそんな彼女と彼の結末を、驚きの表情で見つめ、祝福しなくてはならない

 

昨日の夜、志希から事の顛末を電話越しに聞いた直後、会社でプロデューサーが目の前にいるにも関わらず一人でキレ散らかしてしまった

そんな普段の様子とは全然違う自分の姿にプロデューサーはもちろん、一緒に打ち合わせしていた杏までもが怯えた表情を浮かべていたので、今日その彼が琴歌の手をとりキスをする光景を目の前にして何をするかわからない不安もあった

 

だが、やり通さなければならない

これが大人の世界なんだと星花は自分に無理やり言い聞かせた

昨日事務所のソファーに叩きつけたクッションが杏のうさぎクッションじゃなかったことだけが不幸中の幸いだった

 

「···はい、誓いm」

 

琴歌がそう言おうとした瞬間に、玄関の扉が思いっきり開く音が聞こえてきた

 

しかし、琴歌はそちらを振り向くことが出来なかった

この行動は台本にはない、本当なら振り向かないといけない筈なのに、しかし不思議とカットの声は掛からなかった

後ろからは、段々と足音がこちらに近づいてくる音が聞こえる

その音に合わせて、琴歌の心臓ははち切れんばかりに忙しなく鼓動を打ち始め、''その時''が迫っていることを告げていた

 

「···!···!!」

 

後ろから、今度は星花が驚き息を飲む声が聞こえてくる

なんてリアルな演技なのだろうと感心していると、自分のすぐ隣でその足音が止まったのが琴歌にはわかった

もう覚悟を決めるしかないと、琴歌は最後にもう一度自分に言い聞かせ、ゆっくりと隣に顔を向ける

 

「な、なんでおま、がっ···!」

 

若手の俳優が言ったそのセリフに、琴歌は最初アドリブかと思った

 

しかし、相手のその人物は、リハーサルとはまったく違う、ただ若手俳優の胸に手を当てて押し倒すではない、全然違う行動に出ていたのだった

 

相手の胸のあたりを叩いて自分の方向に向けさせると、その胸ぐらを掴み一言、カメラには聞こえないように小さな声だが強く、俳優の彼に投げかける

 

「''失礼''」

 

その瞬間、若手俳優の彼は思いっきり突き飛ばされ、ギャフンと倒れたその若手俳優には目もくれず、残ったその人物は琴歌にゆっくりと向き合うのだった

 

その時初めて、琴歌はハッキリと彼の顔を見る

それは、琴歌にとってはとてもとても見覚えのある人物で、その声にとてもとても心が落ち着いていき、その代わりに琴歌の表情にとたんに溢れたのは、とてもとても大粒の涙だった

 

少し戸惑う彼、だが琴歌の目からは涙が止まらない

今まで我慢していたものが、一気に溢れていく

 

長椅子に座っていたお母さん役の女優が神父様に無言で一つ頷くと、神父様は再び琴歌に誓いの言葉を投げ掛ける

その間、琴歌の表情は先程とは全然違う、まるで希望に満ち溢れているような、そんな満ち足りた笑顔を浮かべて、そう、さっきとは違う、そのセリフを口にするのを今か今かと待ち構え、彼と向き合っていた

 

そして、神父様のお言葉を受け、彼女は彼の目をしっかりと見て、その言葉を口にした

 

「はい、誓います」

 

それは、台本に書いてある''少し嬉しそうな抑揚で''という指示を受けずとも、すっと自然に口から出てきた

琴歌の顔には満点の笑顔が浮かび、彼の目をまっすぐ見つめている

彼はまた困ったような表情をしたが、そんな彼を気にすることなく、その瞬間は訪れるのだった

 

「では、誓いのキスを」

 

会場の誰もが、後ろ姿が似ているからきっと代役を見つけてきたんだろうとまったく疑う様子もなく、一部の事情を知っている身内を除いてそのシーンに移る

このドラマを締めくくる最後のワンシーン、花嫁である琴歌が本当の恋人と結ばれる瞬間だった

 

するフリでいいから、それだけ監督から伝えられた彼は、その口もとをカメラから隠すようなポーズだけ教えられて、琴歌に一歩近づく

そしてなるべくくっつかないように、ちょこっとのパーソナルスペースを確保しながら、遠慮がちに琴歌の両肩に手を置いて、カメラから見えないように顔を近づけていくのだが、それを彼女がよしとしなかった

 

琴歌は彼の腰に手をまわし、体をピッタリとくっつけると、もう片方の手で彼の頭の後ろに手を添えて一気に自分のほうへと引き寄せるのだった

彼が抵抗する隙すら与えない、そうした結果、彼女のその艶やかで柔らかそうなその唇に、彼の唇が吸い込まれていった

 

その瞬間、なんとさっきまで曇っていた天気が嘘のように、その教会の天窓から淡く薄い淡黄色の綺麗な太陽の光が、今丁度二人がいる位置に降り注いだのだった

 

まるでそれは絵本の中の物語のワンシーンのようで、観客からは自然とそんな二人に向かって割れんばかりの拍手が巻き起こっていた

 

「ん···、ん、ん、ん···ちゅ」

 

目を閉じて、彼の唇をついばむようにその瞬間を味わい続ける琴歌から、必死に彼は離れようとするが、彼女は彼にしがみついたまま中々離れようとしなかった

 

それはほんの数秒だったが、彼には何分にも感じられ、やっと離れたと思うと、琴歌はなんとも満足げな表情で彼を見つめ、その自分の唇を舌でペロッと軽くなめるのだった

 

そしてその最後のセリフを彼女は口にする

 

「どうか、私をさらってください」

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

俺は教会の玄関の扉を体で思いっきり開き、外へと駆け出していく

俺たちの両脇にはレフ板を持ったスタッフとカメラを構えたスタッフたちが並び、走っていく俺たちを撮りつづけているのだった

 

いや、正確には走っていく俺と、その胸に抱き抱えられた琴歌なんだけども

 

さっきの天気が嘘のようにカラッと晴れて日差しが差し込む中、俺は慣れない白いタキシードに身を包んで、教会から走って遠ざかっていく

 

「はい!オッケー!OK!OK!ありがとう兄ちゃん!お疲れ様ー!」

「はい···!お疲れ···様でした」

 

やっと監督からOKが出て、お姫さま抱っこの状態の琴歌を地面に降ろす

 

さて、こいつに聞きたいことが山ほどある

 

「お前···するフリでいいって言ってたじゃないか」

「あら、お嫌でしたか?酷いですわ、私とても嬉しかったのに」

「いや、別に嫌ではなかったけどさ···」

「なら良いではありませんか。私がしたかったからしたんです、女の子のこういうお願い、零次様はお嫌ですか?」

「いや、だから嫌ではないけど···」

「なら、よろしいですね?」

 

そう言って俺の手を引いて教会へと戻っていく琴歌

こいつ、なんだか吹っ切れたように元気になりやがって

 

その途中、琴歌が指差しているほうを見ると、スタッフたちが動いているその中に、こちらに向かって大きく手を振っている智絵里とゆかりと星花がいた

智絵里の顔が少し赤いのを見ると、あのメンバーは薄々気づいているのだと思う

 

そんなに口が軽いとは思わないけど、なるべくなら周りには言わないでほしいと、密かに願うまでである

特にLiPPSの奴らにとか

ドラマ本編ではうまく隠されていると思うが

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「う···うぅ、まだちょっと頭が痛いかな~」

「あんなに飲むからでしょまったく」

 

ガレージの二階のソファーの上で頭を抱えて唸っている姉さん

なんだか外は晴れててお出かけ日和だというのにガレージにこもり、私はそんなあの人に一杯の水をコップに汲んで、テーブルの上に出してやった

 

「ありがと~、ひなちゃん。ん、ん、ん、ぶはぁ~、染みる~」

「あんだけ飲んでその程度なのが逆に恐いんですけど」

 

昨日、居酒屋に美優ちゃんと瑞希さんと一緒に飲みに行った時に、なんか変な男どもに絡まれた

どっかでみたことあるようなそうでないような、そんな男どもから美優ちゃんと瑞希さんを守る~とか言って片割れのそこそこ歳のいった男と飲み比べをしてこの様だ

 

普段はそんな飲んで二日酔いになるほど弱くはないんだけど、昨日の量は異常ともいえるレベルだった

なんとか姉さんの挑発に乗って、そのそこそこの男がぶっ倒れるまで飲んだけどその後は···相手側の若い男が大変そうだった

店にタクシーを呼んで、その若い男がその男をなんとか引きずって一緒に帰っていったが、大丈夫なんだろうか?

 

その後はまた女だけで飲み直すぞ~とか何とかで、結局介抱したのは私で、姉さんは起きたけど、まだ二人は下の奥のソファーでパンストも何もかも脱ぎ捨ててぶっ倒れるように寝ている

 

「今度はもっとセーブしてよね。私が大変なんだから。今日休みだからよかったけど」

「まぁまぁ、ひなちゃん。私が二日酔いになって助かった人がいるかもしれないじゃん?···うぅ、吐きそ」

「アホなこと言ってないでさっさとトイレ行って」

「お店は助かったじゃ~ん。売り上げに貢献したんだからさ~」

「まだ酔ってんのかあんたは」

 

未だ若干フラフラしている姉さんを、結局私が下まで運ぶ

 

零次、たまには手伝ってくれてもいいんだぞ




次章予告


一夏の思い出 関係 最後の始まり
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