多少葛藤はあったが、引き受けることにした
伸ばせる羽を俺も伸ばしたかったし
仕事も夏休みだったから、丁度よかった
かなり普段から体に負担がかかってるようだ
つりそうになった足をゆっくり伸ばす
太陽の光が眩しく、窓から差し込んでいた
「···よし、誰もいないな」
右を見て、左を見て、もう一回右を見て、体の上を見て、足元を見てと、床に敷いてある布団に寝転がった状態で俺は自分のまわりをグルッと見回して何もいないことを確認した
さすがにあいつらも未成年は正当な理由なしに会社には泊めさせてもらえないか
盲点だったな、相手の懐に飛び込む方法があるとはふふふ···
飲んべえたちはガレージにいるはずだし
これでゆっくり朝の時間を満喫できる
今日は送迎はないし、会社に行くだけだ
もう少し時間はあるし、このまま少しここにいてもいいだろう
着替えもその冷蔵庫の前にあるカバンの中にいくつか···
「ん?」
その時に、何か違和感に気づく
おかしいな、昨日俺のカバンはクローゼットの前に置いておいたハズなのに、なんで移動されてるんだ?
昨日梨沙が冷蔵庫から飲み物を取り出していたはずだ
わざわざ俺がその後元に戻した記憶はないし···
「···え?」
耳を澄ますと、僅かだがクローゼットからコトコトと音がするような気がした
···なんだ?動物かなんかか?
アイドルの中でも飼ってるやつらはいるし···
ハナコだっつったって凛は今日はいないし
それに第一、俺のカバンをずらしてクローゼットに入って綺麗に扉を閉められるか?
扉は観音開きの作りになってるし
···とりあえず考えていてもらちがあかないので、恐る恐るそのクローゼットへと近づいていった
琴歌か?いや、琴歌は昨日すんなり帰ったはず、そしたら一体誰だ?
とうとうクローゼットの前に座り込む
床から俺の腰くらいまでの高さの小さい物だ
そして意を決してゆっくりと扉を開いていくと···
ギョロッ
と、朝日で光る二つの人間の目ん玉が暗闇の中から俺を見つめていた
「うわっ、うわ、うわ···!な、なんっ···!なんかいるなんかいる···!」
思わず開けた扉を秒で閉めて、後ろに後ずさりした
あれは人間の目だ、間違いない
なぜだ?なんだ?俺は何か恨まれるようなことをしたのか?
とにかく、そのクローゼットの中の物の正体を突き止めないことには話にならない
嫌だったけど、俺はしぶしぶそのクローゼットの扉を開くことにした
ゆっくりとクローゼットに近づいて、扉の取っ手に手をかけると、ゆっくりゆっくり開いていく
まったく、俺は朝っぱらから何をやっているんだか···
「···何やってんだ?おまえ」
その中にいたのは、灰色の長い髪を途中でリボンで結んだツインテールが特徴の、双子のアイドルの姉貴のほう
なんか賃貸住宅とか好きな
「···」ピース
「いや、''ピース''ってお前···」
俺と目が合うと、久川凪は無言でこっちにピースサインを向けて応える
久川凪
この春に新しく入ってきた新人アイドルの内の一人だ
一緒に入ってきた久川颯は妹で、双子でアイドルになったという
城ヶ崎姉妹とはまた違った姉妹の形だが、変わってるのはそこだけではない
「そろそろ346カフェがオープンする時間帯なので、一人寂しくえんえん泣いているという某梨沙ちゃんさんが言っていた噂を耳にした凪が暇だったので起こしにきた次第であり」
「もっと普通に起こせないのかお前達は」
「''日々の暮らしにワクワクを''が凪にとっての裏テーマですので」
この、独特の雰囲気といえばいいのか
アイドルとして活動していくうえでそれは十分武器になると思うし、そこに惹かれていくファンも多いだろう、だが···
「ふむ···これはロフトが欲しいところですね、あと洗濯機とお風呂とトイレも」
「無茶言うな」
クローゼットから出てきたと思ったら部屋の中を物色し始めて、立地とか間取りとか敷金礼金とか色々とぶつぶつ呟いて部屋をぐるぐる
一体ホントに何しに来たんだこいつは
「···ん、まぁいいや。とにかく俺はそのカフェで朝飯食うから。ありがとう、起こしにきてくれて」
「いえいえ、どいたまです」
それは''どういたしまして''っていう意味なんだよな?
「だからほら、''行ってくれ''」
「?」
「着替えるからほら、行け」
「···ああ、すみません。凪としたことがとんだお気遣いを。ただちに」
いいぞ、聞き分けのいい子は嫌いじゃない
淡々とした態度をしているが素直じゃないか
「よっこいしょ···」
「なんでクローゼットに戻る、よっこいしょじゃない。こら、こらっ···!あ·け·ろ···!なに?いやいや、ここが気に入ったじゃないんだよ···!あけなさい···!」
ーーーーーーーーーー
「そこで凪は言ってやったわけですよ、追い込みよりも逃げたほうがよいのでは?と。しかしあのりあむさんはまったく耳を貸さず」
「···ふーん」
346カフェのクーラーの効いた涼しい店内の、まだまわりが早く出社してきた社員でまばらな時間帯に、壁際の多人数で座るボックス席に二人で入って、俺は朝食を取っていた
窓からは清々しい程に晴れ渡った朝の青空から心地よい日差しが降り注ぎ、店内はそんな雰囲気に合わせてホテルのようなゆっくりとしたクラシックが流れている
ボックス席にこんなに堂々と居れるのも、まだお客さんがいない時間帯の特権だろう
「で、なんでお前まだいるんだ?」
「はーちゃんの付き添いです」
「はーちゃん?」
はーちゃんってのは、こいつの妹のことか?
久川颯だったっけ
まだ比較的ましなアイドルっぽいほう
「それと、昨日植えておいた割り箸で遊園地が採れるかどうかの確認を」
「はぁ?」
もうわけがわからない
俺は運ばれてきたパンケーキを口に運びながらこいつの話に耳を貸していたが、言っていることに理解が追い付かない
俺がおかしいのか?
これが今の流行なのか?
最近はラジカセとかレコードとか古いものが流行っているらしいし、何が流行るのかまったくわからない世の中だ
俺が学生の頃に流行った音楽が今SNSで流行ってるみたいだし
「···しかし、遊園地といえば凪も妙な話を耳にしました」
その時、俺の中に少し緊張が走った
「千枝さんがとても悩んでいる、というお話です。遊園地に撮影に行った日からなんだか時折、上の空になることがあると」
「···そうか」
「はーちゃんが言っていました」
「お前じゃないのかよ」
何者なんだはーちゃん
にしても千枝もか···
やはり、女の子はわからない
あんまり悩んでなきゃいいんだけど
「一口ください」
「ん?ああ、どうぞ。お好きに」
「では」
そう言って丸々一枚''いこう''としていたのを俺は流石に止めた
「千枝さんはまだうら若き乙女です。そんないたいけな少女を誘惑する存在がいるとすればそれは許しがたい。彼女には無限の未来があります。それをないがしろにするなど言語道断です」
「今の流れでそれを言うか」
「と、あのおっちょこちょいのプロデューサーが言っておりました」
話している最中にまたまた丸々''いこう''とするのを、今度は止められなかった
こいつの言っていることが的を射ているからだった
あいつらには未来がある、もちろんこいつにも
あどけなくパンケーキを頬張っているこいつも、テレビに映ればたちまちお茶の間の人気者になるだろう
独特なセンス、やはりこの会社は個性が生きている
「しかし、凪にも考えはあります。それを判断するには各々の意見をまとめなくては。といわけではーちゃん、一口どうぞ」
「えっ?いいの?じゃあなーのお言葉に甘えて···」
「はい、凪のおごりです」
「にしたってそれをどう···ってお前いつの間に!何がおごりだ元々俺のなんだよこらっ!」
「えぇ~、そんなケチなこと言ってたらモテないよ零次ちゃん!」
やっぱりこいつら苦手だ
ーーーーーーーーーー
「えぇ~、レイジ君南の島にバカンスに行くの~?いいじゃなーい、一夏の思い出、作ってきなさいな~」
「ま、会社は夏休みだし。別にどこでもかしこでも行ってきたらいいさ」
会社に戻って二人に報告すると、案外あっさり返事を返される
姉さんは気にせず机で書類を書いてるし、ひな先輩はパソコンで夏休み前の売り上げの整理を始めていた
もっと姉さんの抵抗にあうかと思っていたんだけど、なんだろう、この違和感
俺はこっそりひな先輩に聞いてみた
「あの···姉さんどうしたんですか?二日酔いから復活してから妙に元気ですけど」
「ああ、姉さんは姉さんでアイドルの子達とガレージでお泊まり会とか計画してるみたいだから···それなら私も料理の腕がなるし。ってこと」
となると、いつものあのメンバープラス誰かかれか来るわけだ
それなら姉さんも喜ぶだろう、サインの枚数もたくさん集まってたみたいだし、これを期に自分のスペースを片付けてくれればなおいいんだけども
「なんか、お手伝い出来ずすいません。二日酔いのメンバーで大変だったとか」
「いや、最近はいつものことだし。それに···今お前の場所が色々と···色々なことになってるから来ない方がいい。主にあの子たちの衣服類で、後で片付けるーとか言ってたけど」
あいつらめ、俺が最近帰らないことをいいことに好き放題やってるな···まてよ、それは俺のアパートも変わらないんじゃ···
まったく、頭を悩ませる連中だ
女の''後で''はあまり信用してはいけないとひな先輩も言ってたし
「それよかお前のほうこそ大丈夫なのか?ご令嬢三人だぞ?その上今をときめくアイドルの三人と、親御さんも心配じゃないのか?」
「いや、そうは言ったんですけど琴歌達が···おっと」
俺の携帯に着信が入る
誰からだ?おお、ちょうど琴歌からだった
「もしもし?どうし···!し、社長さん!」
琴歌かと思ったら琴歌のお父さんからだった
「いえいえ!こちらこそお世話になります!いや、逆にいいんですか!?だって···いやいや助けたなんてそんな!俺はただたまたま側にいただけで···いや、でも、はい!それは嬉しいですが···はぁ、わかりました。それでは遠慮なく···でも、あれ?社長さん?社長さん!?」
内容は、今度の旅行に関してのお願いと、先日の琴歌の一件に関してだった
一方的に感謝を述べられて、凄まじく手際よく予定を確認し、忙しそうに電話が切れた
「忙しそうだな、ははは」
「いや、笑い事じゃないですよ···あ、すみませんまた···」
今度は誰から···ゲッ!星花のお父さん!
「もしもし!はい!ご無沙汰しております!はい!はい!お世話になる予定でありまして!」
内容はさっきの琴歌の時と大差なく、俺が参加するか否かという内容だった
この後なんとゆかりのご両親からも、ゆかりの携帯を通じて連絡がきた
これで、なんの弊害もなくなった
···本当にいいのか?
俺は逆に不安になるばかりだった