入る時に声をかけると、いつもの返事
はやる気持ちを抑えて店の扉を開けた
美味しそうな匂いが早速食欲を刺激する
安くて美味い、時間は気にしないけど
学生に人気なのはそれが理由なんだろう
「こんばんはーっす!」
私は意気揚々と挨拶をして店内を覗くが、中にはお客さんが一人
店内は大きな四人がけのテーブルが奥へと並ぶ形で四つ、そして接客と調理台に向かい合うようにカウンター席が設けられている
そのお客さんは長くて綺麗な髪を器用にかき分けながら、奥の席で一人美味しそうにラーメンを食べているのだった
「あっ、二人ともいらっしゃい。好きな席にどうぞ」
「ありがとー。んー、せっかくだからカウンター席がいいかなー。智絵里ちゃんもいい?」
「はい!私も、そこがいいです!」
店内に入ると、美味しそうな香ばしい匂いと暖かい空気に包まれて、あのラーメン屋独特の雰囲気に体が慣れていく
私に続いて智絵里ちゃんが中に入り、そして私に続いて隣のカウンター席に座るのだった
智絵里ちゃんがこのお店を知っているのは意外だった
せっかくの···そう!仕事の送り迎えとはいえ二人っきりのそう!ランデブーだったのだから、帰りにでもそりゃあもう文字通り何でも言ってくれたものを食べさせてあげようと思って智絵里ちゃんに聞いてみたんだけど、返ってきたのは予想外の返答だった
「はい、お水です。注文決まったら声かけてください」
「さんきゅさんきゅ。110の調子はどう?」
「ええ、今のところ快調です。オイルを変えたくらいですね」
前に90おバカに連れてきてもらったらしい
まったく、一声掛けてくれれば私もすっ飛んでいったというのに
「あの、皆さんお元気ですか?」
「みんな?うん、元気だよ。商店はかきいれ時だって言ってたし、クリーニング屋さんはYシャツの件数が増えたって言ってた。暑いからね。智絵里ちゃんは熱中症とか大丈夫?」
「はい、大丈夫です。この前もきらりちゃんたちと遊びに···」
歳が近い分話しやすいのか、若い二人は話に花を咲かせていた
あの二人を含めた三人組と智絵里ちゃんで、前に来たときは仲良くご飯を食べていたらしい
もう目に入れても痛くないくらいに可愛い妹分なんだろう
三人とも智絵里ちゃんからサインを貰うことが出来て大変喜んでいたと''ママ''も言っていた
「そういえばあの···今日はママさんはいないんですか?」
「ママ?うん、裏にいるよ。どこ行ったんだろ、伝票書いてるのかな」
これが、テーブル席ではなくカウンター席を選んだ理由なのだ
ここに座ればあの人が、レディースの頃から私も仲間もお世話になっている人が色々な話を聞いてくれる
「ママ、智絵里ちゃん来たよ。あと姉さんも」
「あら、久しぶりね」
おっさんの野太い声が、目の前の調理台の裏から聞こえてきた
ノシノシと裏から出てきたのは、涼しげな格好をしたいい感じに体格のいい少し太った50過ぎのおっさん
おっさんの割には顔立ちはほどほどに整っていて、優しい雰囲気が漂っている
そんなところが、色々と相談しやすい流れを作ってるんだと思う
いわゆるおネエさんというやつだ
「ママさん···!」
「智絵里ちゃんいらっしゃい。この前はサインありがとう、早速飾らせてもらったわ」
ママが指差した方向を見てみると、壁に智恵理ちゃんが書いたサインが額縁に入れて綺麗に飾ってあった
「来てくれてありがと。高級レストランとかのほうがよかったんじゃない?」
「それでも私、ここに来ると思いますよ?」
智絵里ちゃんがそういうと、ママはあら~と口元に手を当てて喜んでいた
きっと三人組同様、実の娘のように可愛いのだろう
この前もたくさん話をしたと智絵里ちゃんが言っていた
「さて、今日は何にする?お酒はダメよ、それはオトナになってからね」
「あらあら、智絵里ちゃんごめんね。はい、メニューあげる」
私は目の前に置いてあったメニュー表を智絵里ちゃんに渡すが、既に決まっていたのかさほど目は通していなかった
私も大体ここで頼むものは決まっている、醤油ラーメンにチャーシュー丼だ
特にママのチャーシュー丼は肉にソースと謎に激ウマなので、昔から仲間達と来る時には必ず頼んでいる
なんでこうラーメン屋のサイドメニューって美味しいんだろう
「私は、醤油とチャーシュー丼、そんだけ~」
「じゃあ私は···味噌ラーメンの小さいのと、チャーシュー丼をください」
「あら、智絵里ちゃん。もしかして前の時に気に入ってくれた?」
「はい!とても美味しかったです!その時は、ご馳走さまでした」
サインを貰った日に、そのお礼としてチャーシュー丼をママがご馳走したと聞いている
それを食べたときの智絵里ちゃんの衝撃や否や、相当なものだったという
グルメ番組並みに感動を伝えていて、あの三人組も自分のことのように嬉しかったんだとか
「じゃ、ちょっと待っててね。はい、話し相手になってあげてて」
「わかったよ」
そして入れ替わるように、ママは厨房の奥へと入っていくのだった
「姉さんは、あのメンバーたちと会ったりするの?」
私のコップに水を注ぎながら、彼が聞いてくる
「ああ、あいつらかい?ん~、最近は全然だね~。みんな仕事が忙しいし、ママになったりで忙しかったりするからね~。二人くらいかなぁ、来るとしたら。一人は海外だけど」
この歳になると、中々またみんなで集まってワイワイやるというのが難しくなってくる
まだ30にはなっていないが
まだ!''30''には!なってはいないが、もっと遊んでおけばよかったって思ったりはする
「美空さん、たくさんお友達がいるんですね」
「友達っていうか、仲間?」
ドライブしたりどこかに遊びに行ったり、乗り合わせて一台で行けばいいのにわざわざ自分の車で行くもんだからもう大行列になって、その度に駐車場に困る
常に警察に目を光らせて走らないといけないから気を遣うし、後ろの席がない2シーターだから車中泊どころかシートを後ろに倒して寝ることも出来なかったけど、めっちゃ楽しかった
そんな乗りにくい車でって関係ない人に言われてもめっちゃ楽しかった
「最初僕も恐かったよ、この人たち何なんだろうってね。でも話してみると楽しい人たちばっかりで、その辺の会社のサラリーマンよりも全然気さくに話してくれたんだ。細かいことごちゃごちゃ言わないし」
「意外とね、工事現場の人とかそういうお客さんのほうが話しやすかったりするよね~。全部が全部じゃないけど、サラリーマンとかああいう人たちは仕事でピリピリした人が多かったりするよ」
「確かに···、プロデューサーさんも忙しそうにしているときは、話しかけても聞こえない時があるみたいで···」
仕事が忙しくなると、頭の中はもう第一に仕事の事が浮かぶようになって、休日になってもそうなのだから遊びに行こうという気持ちになれなかったりする
それが続くとそう考えるのが日常になり、外に遊びに行くのが億劫になってくる
責任ある立場になった人なら尚更だ
「職場にもよるけどね~。まぁ私は今の仕事が楽しいからそんな外に出たくないってな感じにはならないけど。でもそういう遊びはご無沙汰だからちょっと寂しい」
「姉さん彼氏は?」
「いないわよ~、いたことはあるけどもうはるか一万年くらい前の話~」
だからそんなイベントがある日に一緒に出掛けるなんてロマンチックなのはそれこそ最近無いし、エッチもしばらくご無沙汰だし、エロe···色々と溜まるいっぽうだから、一人さみしく発散するしかないのが悩みかね
あんまりがっつきすぎるのが問題なのよねぇ···、あなたには車でもなんでもついていけないって最後に言われたちゃったし、体力無さすぎよ
どっちも一晩中楽しませてくれないと
「あんたはどう?あの時彼女何人出来た~?」
「やめてよ姉さん。あれはあの人達が勝手に自分で言ってるだけなんだから」
「お、大人ですね···」
真に受けてる智絵里ちゃんに彼は必死に弁解するのだった
「男なんて、みんな子どもよ」
厨房の奥から、そう言いながらお椀を二つ手に持ってママがゆっくりとカウンターへと出てくる
チャーシューと特性ソースの美味しそうな匂いが湯気と共に漂ってきて、食欲をそそってくるのだった
「あんたのとこの、あの坊やと同じ。はい、お待たせしたわね。ラーメンも裏から持ってきて」
「わかったよ」
「''坊や''って、レイジくんのこと?」
私たちのテーブルにチャーシュー丼を置くと、彼と入れ替わるようにママはカウンターを挟んで座り込み、一息つくのだった
「あの···ママさんは零次さんの事を知ってるんですか?」
「それはもう、あの時のことはよく覚えてる。ショボくれた顔して引っ張られて入ってきてた。少しはマシになったのかしら?あの子も」
「ええ、あの時に比べればだーいぶマシになった。最近はお友達もたくさん増えたみたいだし」
私達とも話すようになったし、ここまでなってくれてよかった
まだまだ運転テクは敵わないけどね
「さぁお二人さん、冷めないうちにどうぞ召し上がれ。話が長くなりそうだから、食べながら話しましょ」
「それもそうね!いただきます!久っしぶり~」
「い、いただきます!」
一口放り込むと、昔から変わらないなんともいえないお味が広がっていく
「はい、ラーメンです」
そう言ってそれぞれの目の前にラーメンが置かれ、今度はそちらも箸を進める
これよ、この感じ
特製ソースの甘い味にマッチするように、ラーメンの醤油のしょっぱい味が広がっていく
お互いに打ち消し合わないような、余韻を残すような感覚
さすがママ、腕は衰えていないようだ
「うん、智絵里ちゃんも美味しそうに食べてくれるわね。ここの楽しみ方がわかってくれて嬉しいわ」
「すいません、もう美味しくて···」
いいのよいいのよと、ママは嬉しそうな表情で私たちを見ている
また新たな常連客が増えそう
「そういえば姉さん。零次さんって、今いないんだよね?」
「うん。お嬢様方とバカンス~よ。まったく羨ましいったら」
「そうか、そうだよね···。じゃあ気のせいなのかな···」
「何よ、どったの?」
何か引っ掛かる言い方だったので詳しく尋ねると、昨日今日でいないはずのレイジ君の車が走っているのを見たという話を智絵里ちゃんづてに聞いたらしい
「はい、私も346プロの近くで見たっていう話を事務所で聞いて、おかしいなってママさんにも聞こうかと···」
「そういえば、そんな噂も聞いたような気がするわね。こういう店だから噂話には事欠かないから」
だとしたら一体誰なんだ?
あんな古い車、昔ならまだしも今の時代好きな人しか乗ってないような車種だし
それに、美城プロのまわりで見るっていうのも引っ掛かる
本当に単なる偶然なんだろうか?
「あら、はい。ありがとう。また来てね」
「いえ、ご馳走さまです」
「こんばんはー。おう!智絵里ちゃん」
「こんばんはー、お疲れさまでーッス」
ママが会計の為にレジに立つと、同時に店の入り口が開いて中にいたお客さんと入れ替わるように二人は入ってきた
まぁ、いくら気にしてもしょうがないし、やっぱり失礼よね
しばらくは情報収集にあたるとしますか