疲れも程ほどに取れた夕方
クーラーの効いた部屋で一人、一息つく
掴まれた腕を見ながら首もとに手を当てる
手足からも、彼女たちの感触が離れなかった
優しいとは···何なのだろう
ループするその問いが、頭の中を回る
んん···と、思わずその悩みに声が出る
誰のでもない、自分の事なのだから
「零次様ー!夕食のご準備が出来ましたわー!」
部屋の外からは、その悩みの種の一人であるアグレッシブお嬢様が俺を呼んでいる
ふかふかのベッドの上でその感触を名残惜しみつつも起き上がり、出入口のドアを見る
足音がしないところを見ると、琴歌はそのままドアの前で待っているようだった
俺は簡単なTシャツに短パンと、ほんの少しこの場に慣れたのか特に気にすることなくラフな格好のままドアへと向かう
「皆さん揃っていますわ。零次様は少し···お寝坊さんでしたので」
琴歌も昨日の''羽目を外した''と言っていた服装とは少し変わって、ピチッと体にフィットするようなものではなく、作り的に余裕のある少し大きなTシャツに短めのミニスカートと窮屈ではなさそうな格好になっていた
「それはなんか、いつものイメージに近い感じだな」
「はい!今日のために卸したのですわ!色々な私を見て欲しかったので、中々零次様とこういう機会がなかったものですから」
「そうだな、お互いに仕事仕事だし。その格好、似合ってる···とは言っておく。ちょっと下が短い気がするけど」
「まぁ、零次様ったらエッチですわ」
なんか昨日も同じ様なセリフを誰かさんから聞いた気がする
でもその言い回しにしては、琴歌はなんだかウキウキと嬉しそうに俺の一歩前を歩いていた
帰ってきてまた軽くウトウトしているだけかと思ったら、結構時間が経ってしまったようだった
窓から見える景色ももう夜の暗闇が見え始めている
せっかくの絶景だったので写真に収めておきたかったのに
廊下を抜けて、階段を降りて、食堂へと続く道を二人で歩いていくのだが、何が違う
昨日の昼と、夜と、今日の朝、昼、まだ二日しかいないがその違和感に気づくのには十分だった
「なぁ、なんか人の数が少ないっていうか、誰もいなくないか?メイドも執事も昼に比べてみんな見ないんだけど」
「それは、夕食の時にご説明しますわ。それに伴ってその···零次様、お手柔らかにお願いしますね」
言ってる意味がよくわからないが、琴歌はそのまま食堂の扉を開く
眩しい高そうなシャンデリアの光に照らされて、その二階まで吹き抜けている開放的な大きな食堂は夜の闇の中、煌々と輝いていた
長いテーブル、そしてその上にはそれはそれは豪華で美味しそうな食事が並んで···なかった
何もない、それどころかシェフ達の姿も見えない
星花もゆかりもいない、完全に俺と琴歌の二人だけだった
シン···と静まりかえっている食堂に琴歌が扉を閉めた音が響く
見渡してもやはり誰もいない、そんな中琴歌は食堂の奥、長いテーブルの端の一角の俺たち三人分の椅子が用意されているところへと歩いていくのだった
「零次様。さぁ、こちらに。どうぞお掛けになって」
琴歌はそう言うと、左右同じ様に二つ並んでいる椅子の一つを少し後ろに引いた
ご丁寧に上座の一席だった、その椅子の背もたれを持って俺がそこに座るのを待っている
俺はそう諭される通りにその椅子に座り、琴歌のアシストで椅子を戻されて言われるがままに待つことにした
「もう少しだと思うのですが···。すみません、私も様子を見てきますわ」
すると琴歌は食堂の壁にある、おそらくキッチンへと繋がる扉を開いて中へと入っていく
思った通り、その開いた扉の隙間からは厨房で使うようなステンレスの調理台や調理器具がチラッと見えた
一体何をする気なのか···、少し待っていると、また扉が開いて琴歌が出てきた
出てきたのだが、その頭にはカラフルなバンダナ、そしてエプロンとまるで家庭科の授業の時のような格好に変わっていた
「お待たせしましたわ。今お持ち致しますね」
琴歌はそのままそこで扉を手で押さえていると、厨房からワゴンに乗せられて料理が食堂へと入ってくる
見たところ···ハンバーグのようだ、しかし見た目や盛り付けがプロっぽくない
そう、前に琴歌の家でも食べたことがある、その見た目からプロの料理人が作っているのが素人でもわかるレベルだったが、今回は料理が乗っているお皿こそ高級品だが料理のほうは言ってしまうとそう、家庭科で作ったような、俺の家でも他の奴らが作るようなクオリティだった
「星花、ゆかり」
「す、すみません。お待たせしてしまいましたわ」
「どうぞ、お口に合うかどうかはわかりませんが」
そのワゴンを押していたのは、なんと星花とゆかりだった
琴歌と同じ様に自前のエプロンと、頭にバンダナを巻いて、俺たち四人分のその料理をテーブルまで運んでくる
「材料は一級品ですので、美味しくなくはない···とは思うのですが。なにぶんあまり経験がないもので···」
「このハンバーグは琴歌さんが形を作ったのですわ。ボウルに叩きつけるそのお姿はまさにプロのようでした」
「や、やめてください···!教えてくださった響子さんのほうが全然お上手でしたわ。私はもう見よう見まねで···!」
他二人に誉めちぎられる琴歌はやはり出来に不安があるのか素直に受け入れられないようだった
「それを言うなら見事な焼き加減ですわ。星花さんもゆかりさんもお料理がお得意なのですね!」
「わたくしはお母様から教わった通りに···。お母様のアドバイスがなければここまでは出来なかったですもの。もっと''女子力''を高めなくてはという一心で必死でした」
「やはり響子さんには感謝ですね。寮でよくお料理をしているみたいなので、私もご教授いただきました」
俺がハンバーグが好きだという情報を事前に聞いていたらしく、三人で計画して今日のこの晩餐会を開いたのだという
そのエプロンもバンダナもやはり自前で、家庭的な印象が新鮮でいいと伝えると、三人はそれはもう嬉しそうに喜んでいた
「さぁ、お料理をいただきましょう!早くしないと冷めてしまいますわ。少し緊張しますが皆さんのお口に合うかどうか···」
「三人で作ったのですから、緊張も三等分です。では零次さん、こちらです。どうぞ」
ワゴンの中からそれぞれの席のテーブルの上に料理が運ばれる
真っ白い食器の上に美味しそうにこんがり焼けているハンバーグと、千切りにしたキャベツ、ミニトマトとシンプルだが料理としてはしっかりまとまっている献立だった
普段料理を作ってないわりにはちゃんと出来ていると思う
「では最後に、ソースを···」
ゆかりが小さいステンレスの容器に入ったソースを俺たちのハンバーグにかけていくと、その瞬間それはそれは美味しそうなジューシーな匂いが漂ってきて、途端に食欲がみるみる湧いてくるのだった
「これ凄いな、めっちゃウマそうだ。ゆかりが作ったのか」
「これもその···響子さんからアドバイスをいただいたもので···」
少し照れながらもソースをかけ終えて、それぞれの席に食器が並び、三人もエプロンとバンダナを外して自分の席へと座るのだった
星花もゆかりも、琴歌と同じ様な余裕のあるラフな格好で少し大きめのサイズのTシャツが目立つ
いつもとは違う、来た時とも毛色の違うお嬢様らしからぬ格好だ
揃いも揃って何か理由があるのだろうか
「では!お料理も揃ったことですし!いただきましょう!いただきます!」
「いただきます」
「「いただきます」」
琴歌の号令の下、夕食が開始される
ますは、何はともあれハンバーグだ
右手でナイフを持ちゆっくり切っていくと、その瞬間中からぶわっと香ばしい匂いと共に湯気が立ちのぼり、自分の食欲を刺激していく
昼間の運動でお腹が空いていたこともあり、すぐにフォークでその切り分けたハンバーグを口に運んだ
「うん···うんうん。美味い、美味いわ。よく出来てるよ」
固唾を飲んで見守っていた三人に笑顔が広がる
美味い、本当に美味しい
確かに、昨日までご馳走になっていた高級料理たちも凄く美味しかった
違うんだ、それとは違う、全く別方向の美味しさだった
家庭的で、一生懸命作ってくれたような、そう、家で食べる味
みんなで飯作って食べるときのような、そんな楽しい味のする料理だった
「本当に···作ってよかったですわ。まだまだ修行が足りませんが···」
「きっとこれからもっともっといいものが作れるようになっていきますわ琴歌さん。それこそ、お母様も言っておりました''花嫁修業''ですわ」
その言葉からこいつらが将来家族を持って、家庭に入る光景が目に浮かんできた
こいつらの···お嬢様の家のそういう事情は詳しくはわからないが、できれば本人が望んだ形での幸せを掴んでほしいという考えが、どの家柄にも根付いていることを願っている
「ゆかりも、このソースは美味しかったぞ。俺にはここまで作れない」
「まぁ零次さん、お上手ですね。私だけではありません、皆さんで掴んだ勝利です」
そう言うとゆかりを含む三人も、美味しそうに料理を口に運んでいくのだった
ここまでしてくれたこいつらには感謝しかないが、それ以上に気になることがある
しばらく食事が進んだタイミングで、俺はその話題を琴歌に切り出すことにした
「なぁ琴歌、なんで今この屋敷に俺たちの他に誰もいないんだ?偶然かもしれないけどさ、俺は全然ここに来るまで誰にも会わなかった」
「それはその···」
琴歌は一旦フォークをテーブルに置いて説明を始めた
「お父様のご配慮で、今日は昨日の夜以上に···と言いますか、私たち以外の人間は今この屋敷にはおりません。緊急時の連絡の時は駆け付けられますが、お父様の指示により、明後日の朝までは誰もお屋敷には近づきません。シェフの方々も同様ですわ」
なるほど、だから厨房にも廊下にも玄関にも誰もいなかったわけか
自分たちが作る料理をプロのシェフに見られるのは確かに恥ずかしいかもしれない···とは思ったけど、本当の目的はそこではないと思う
「やはりスタッフの方々が周りにいると、伸び伸び羽を伸ばすのがやはり難しいということで、私たちだけの時間をなんとかできないかと気を配ったみたいで···。なので、その···今この屋敷にいるのは、私たちだけです···。なので何をしても···外に漏れることはありません」
少し顔を伏せ、語尾を恥ずかしそうに呟く琴歌を見て、俺はその瞬間妙な空気が漂い始めるのを感じた
琴歌も、星花も、ゆかりも、その言葉にお互いに目を合わせて何かを伝え合っているように見えた
俺にだけわからないアイコンタクトで、何を伝えたのかは三人ともわかっているようだった
「···零次様」
「···なんだ」
最後の一口を食べ終えたところで、琴歌から声がかかった
「夕食を終えたあと、また、昨日と同じように···それぞれ準備を終えましたら、四人で遊びませんか?」
ーーーーーーーーーー
「···いえいえ、お気になさらないでください。琴歌も、よき友人を持ったと言っていました。私は、彼女たちと彼に···できることをしてあげただけです」
窓から自分の家の庭を眺めながら、男は携帯電話を片手に相手と話し込む
窓ガラスには、夜の闇に反射して室内の高そうな逸品の数々が写し出されていた
自分が築き上げてきた、様々な功績
会社が獲得してきた勲章や賞状が、その書斎の壁際の棚の上で光り輝いているのだった
「ええ、私も···娘には窮屈な思いをさせてしまったこともあると、自覚しています。なので娘には、自分の生きたい人生を歩んでほしいと伝えたのです。なので···ええ、そうですね、アイドルの道を志したのも、彼女の心からの願いだったからこそ、私もそれをサポートできるように寄り添おうと妻とも話しまして···」
「あなた。あら···ごめんなさい」
部屋に入ってきた婦人が、男が電話していたことに気づかなかったのか、すぐに頭を下げて静かに謝っていた
それを見た男は何も言わず、ただ手を上げて彼女を部屋に招き入れる
婦人はそのまま男の元へと近寄ると、窓際にある大きな机越しに、窓の側で話す男を見ているのだった
「彼は···ええ、はははっ、そちらもそうですか。はい、先ほど水本さんの社長も同じことを言っておりました。うちの娘も、彼とのことをとても楽しそうに話すのです。その時の顔といったら···それはもう、見ているこっちがなんだか昔の私たちを思い出してしまいそうになってしまって···」
そう言ったあたりで、男を見ていた婦人が少し恥ずかしそうにしていたことに気づく
男はそこで昔の話はそこそこに、また彼女に手を上げる
今度は少し申し訳なさそうな顔をしていた
男は電話を続ける
「はい···そうですね、あんなに楽しそうな娘を見るのは初めてで、今回の旅行も、みんなで楽しんでもらえるようにと願っています」
それから男は、自分が用意した島の屋敷や浜辺や海の家等の設備について説明し始めた
それがお金持ちの性なのか、あまりヒートアップしないように男はブレーキをかけながら穏やかながらも熱く語ったのだった
「それに、娘も彼に大変興味を持っておりますから···なんと、涼宮さんのお宅でも?私の家も彼を招いて食事会を···ええ、···ははは、はい。それは···水本さんも同じことを言っておられました。しかし、私の娘も手強いものですから、そう簡単に渡しはしないと思いますよ。思い込んだら一直線なもので。何か進展があれば···そこは娘に、任せようと思っております。···ふふふ、そうですか、ということは私たち三人は競合しているということですね。まだまだ若いですから、彼女たちも色々なことに興味があるでしょう。未来はどう転がるか楽しみですね。それでは、夜分に失礼いたしました」
男が電話を切ると、婦人が近づく
男は彼女を一度見ると、再び窓の外を眺め、物思いにふけるのだった
「言われた通りにしましたわ。これで、娘たちは伸び伸びと···できると良いのですけれど」
「ありがとう。···そうだね、そこは彼女たち次第、そして彼次第だ。北崎君、娘は中々に手強いぞ。どうなっていくかは、私も楽しみだよ」
「ええ、本当に···昔の私たちを見ているようですわ。一体、誰に似たのやら」
「あの時は、お互い若かったからね。それを言うなら君だって、私も彼と同じ様な体験をする事になってその時はビックリしたよ。彼を見ていたら、なんだか懐かしくなった」
「ふふふ、すみません。その時は私も積極的···でしたから」
そのまま二人は、懐かしい会話に花を咲かせる
夜はまた、さらに更けていくのだった