番長01
動く度に、体に鈍い痛みが走る
レーダーは衝撃で下に転げ落ちていった
視線の先には四つの丸いテールライトの光
一気に加速して、それがこの場から消え去る
警察に連絡したいが思うように手が動かない
どうにか右手で携帯電話を掴む
「···もしもし」
夜の裏路地で、私の車のハザードランプの黄色い光が辺りを照らしていた
クラクションが一定のタイミングで鳴り響き、ボンネットから白い煙が上がっていたが、左腕に激痛が走って鍵を回すことが出来ない
そもそも運転席のドアがぶつかった衝撃でひしゃげて開きもしないし動けない
メーターの照明がチカチカと点滅を繰り返し、ありとあらゆる警告灯が異常を知らせていた
幸いにもエンジンは止まっていた、燃料が漏れている匂いもしない
よかった、燃料ポンプは止まってる
『火事ですか?救急ですか?』
「···救急です」
警察より先に救急に連絡を入れる
自分でも恐ろしいほどに頭がクールに冴え渡り、正確に事故の状況と怪我の具合を伝える
仕事柄こういう状況に出くわした場合の対処法を知っているからなのかもしれない
『通報した方は誰ですか?』
「私です。怪我したのも私です」
『今救急車向かいますから、このまま電話を切らないでくださいね』
「···はい」
携帯電話を右の助手席に放り投げて、私はシートのヘッドレストに頭をあずけて一息ついた
クラクションの音に誘われてご近所の方々が道路に出てくると、全員が驚いた顔をして携帯電話を耳に当てていた
「大丈夫ですか!?」
「···はい、まぁ···」
携帯電話のライトに照らされて、心配して駆けよってきてくれた住民の方に右手を上げて答えるが、そこで自分の手が血にまみれていたことに初めて気づく
運転席ドアの粉々に割れた窓ガラスの破片ででも切ったのだろうか、触ってみると頭から血が流れていることに気付いた
放り投げた携帯電話のカバーも指の形に赤く染まっている
駆けよってきてくれた住民の人たちが私を車から何とか出そうかと考えてくれているみたいだが、いかんせん今乗っている私の車は左ハンドルなので、ガードレールと接触したまま車が動けなくなっている状況もあり、どうやっても歩道側からドアを開けることが出来ない
たとえ車を動かすことが出来たとしても、ここまでドアが歪んでいたら人力では不可能だ
「うんんん···!ダメだ!助手席も開かないぞ!」
ぶつかったことでボディも多少歪んだのか、助手席のドアも開かなくなっていた
剛性が弱くなって簡単にボディが歪んでしまうのは古い車の宿命だから仕方ない
何だか妙に頭が冴え渡っている、出血しているせいなのかもしれない
「···ん···」
右手でバックルからシートベルトを外しても戻っていかない
ベルトASSYが付いているセンターピラーまで全部いっているみたいだ、巻き取り機能が動いてない
外から車の焼けた冷却水の匂いもしてきた
「救急車の音聞こえてきた!姉ちゃんもうちょいだ!頑張るんだよ!」
···そうだ、姉さんたちに何て言おう
あの子たちにも、これじゃあしばらくの間ガレージに遊びにきてもご飯を作ってあげられない
仕事も···私がいなかったら誰が引き継ぐんだろう
そんなことばっかり頭の中を駆け巡ってくる
妙に···頭から血の気が引く感じがする
目の前がチカチカしてきたのは、目の前にいる救急車の赤色灯のせいではないだろう
何だかボーッとしてきた、助手席の携帯電話から何か人の声が聞こえてくるような気がするが、もう考える頭が働かない
窓の外にいた人たちが一気に車から離れ、目の前の救急隊員に近寄り何かを必死に説明していた
「もしもし!聞こえますかー!?もう大丈夫ですよー!」
その言葉だけがなんだかハッキリ聞こえた
そうだ、意識を失っちゃダメだ
こんなこと、前にもあった
現役の時の、大会中だ
担架に乗せられるまではダメだ、何とか耐えるんだ、そして、覚えておくんだ
「担架!そう!助手席側にまわして!ドアこじ開けるから!」
当てられた、そう、あの車だ
みんなが言っていた、その車、間違いないと思う
何者なのか、どこから来たのか、何が目的なのか
まだ何も、何もわからなかった
「お姉ちゃん、今救急車乗ったよー、わかるー?お姉ちゃーん、しっかりしてー。頑張ってねー、お姉ちゃん聞こえるー?大丈夫大丈夫。頑張ってー、ダメダメダメダメ!お姉ちゃんわかるー?今こっちの腕触ってるのわかるかーい?」
必死に呼びかけてくれている救急隊の隊員の言葉に、私は何も返すことが出来ないほどもう意識が保てなくなっていく
治療器具の擦れる音と、消毒液の匂い
私が覚えているのはそんなことくらいで、あとはもう、流れに身を任せることにした
ーーーーーーーーーー
その一報を受けたのは、琴歌たちとのバカンスから帰ってきた、夏休みの連休最後の夜
久しぶりに俺がガレージに帰ってきたので、みんなでご飯を食べようとひな先輩を待っていた夕飯時だった
この日は、久しぶりにひな先輩が車を動かすついでに高垣さんを迎えにいって会社に送り届けてからガレージに戻るという予定だった
しかし、待っても待ってもひな先輩が帰って来なかったので、姉さんと一緒におかしいなと言いながら待っていると、会社の携帯に連絡が入った
相手は警察の人間で、蘭道さんが事故に遭ったからどこどこの病院に運ばれたとかそんな内容だった気がする
緊急用の連絡先に会社の携帯電話が指定されていたそうだ
すぐに姉さんの車に乗って俺たちはガレージを飛び出した
幸いにも搬送された病院は、この前に琴歌と一緒に行った西園寺グループ直系の大病院だった
中に駆け込んで受付に尋ねると、既に応急処置は終了していて、専用の個室の病室に運ばれたと聞くと、ひとまず二人して胸を撫で下ろした
受付のお姉さんから部屋の番号を聞いて、すぐ隣にあったエレベーターへと乗り込んでいく
「いやでも···よかったぁ~、ひとまず生きててほんとにぃ···」
二人きりになった瞬間、姉さんは溢れてきた涙を手で拭っていた
俺も段々と冷静になり、気持ちを落ち着けていく、エレベーターの中の静かな空間に居たのがよかった
冷静になっていくにつれて、どうして事故が起こったのかと考え始めていった
引退したとはいえ元プロのドライバーだ、それにもう無茶苦茶な運転をするような人ではないし、自分からスピンするとは考えにくい
車に異常があれば気がつく筈だし、考えられるとしたら、予想していない''何か''の力が外部から車にかかったとしか思えない
だとしたら···当て逃げになるのか
ひな先輩に聞いてみないと正直わからないことだらけだった
「どっちだろう~···、こっちかなぁ~···」
とにかく早く、ひな先輩に会って直接無事かどうかを確認したい
俺は姉さんを先頭に後ろをついていきながら一緒に病室を探す
番号を教えてはもらったが、ここのフロアは個室専用のフロアでズラッと個室のドアが並び、探すのも大変だ
さすが大病院、右へ左へ通路が伸びていて規模がデカい、個室ばかりだ
しかし相部屋でない分静かで落ち着けるのはいい
他人を気にせず気軽に面会したい人もいるだろう
「···あれですかね?」
病室が並ぶ廊下の中で、一際目立っていた部屋が一つあった
それもそのはず、制服姿の警察官が俺たちに背を向けて誰かと話している姿が見えたからだ
「···というわけです。なにぶん目撃者が本人以外いなかったものですから、現場に残された痕跡しか今のところ···あ、こんばんは。青葉自動車の社員の方ですか?」
「はい、そうです」
「ひなちゃん···!」
警察の人が今まで話していた人に変わって俺が話を聞く
姉さんはスライド式の病室の扉を開けてベッドの上に寝ているひな先輩を見つけるとすぐに駆けよっていき、容態を確認していた
頭に包帯と、左腕に骨折したときのギプスがつけられていて、すでに布団がかけられていたためそこから下はわからない
「···一体何があったんですか?」
「これからご説明します」
警察の人は、その手に持っていた手帳にボールペンのペン先を走らせる
「ではまず、身元引受人としての確認をお願いします。怪我の詳細は再度医師のほうから説明があると思いますので、まず事故の状況ですが···」
そのまま廊下で俺は説明を受けるのだが、俺たちが来るまで代わりに説明を受けていた人物、今俺の隣で黙って聞いていたその人は意外な人物だった
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「では、レッカーされた車は明日青葉さんの会社に運びますので、よろしくお願いします。では私はこれで」
「はい、ご苦労様です」
警察の人は最後に俺に一礼すると、そのままエレベーターのある場所へと向かっていったのだった
それと入れ替わるように、廊下の角から慌ただしく駆け寄ってくる人影が見える
「零次君!雛子君は!?」
「大丈夫です。怪我はしてますが、脳とか内蔵とか、体の臓器の部分は幸いにも問題ないとさっき病院の先生から説明があって、今はゆっくり寝てます」
「そうか、それは何よりだが···」
「しかし、腕の骨は内出血が引かないことには治療はできないと言ってました。それからでないと手術は···」
少し開いていた病室のドアの隙間から見えるひな先輩の痛々しい姿を見て、社長の顔には険しい表情が浮かんでいた
それもそのはずだ、頭は運転席の窓ガラスで切っていたみたいだし、ぶつけた左腕は折れていた
隣に袋に入って置いてあったひな先輩の上着の首もとが血で染まっていたのが生々しく、どれだけ大きな事故だったかが想像できた
「あ、社長···」
「すまない美空君、遅くなってしまった。ああ···雛子君···。今はゆっくり、休んでくれたまえ。会社のことは心配するな、家族にも連絡しておいたからね」
姉さんと入れ替わるように病室に入っていった社長が、ひな先輩の側に寄り添ってベッドの傍らにあった椅子に座り、ひな先輩にそう語りかけていた
廊下に出てきた姉さんは少し落ち着いたのか、壁に寄りかかりゆっくりため息をつく
「大丈夫ですか?」
「うん···ちょっと···うん、大丈夫···ではないけど大丈夫。レイジ君は?」
「無事だったことが···何よりです。怪我はしてますが···生きていてくれてよかったです」
「うん···そうだよね。うん···それだけでもね」
何とか二人してひな先輩がまだ体の中には異常はなく生きていたことに安堵して落ち着こうとするが、心穏やかではなかった
突然すぎた、どう声を掛ければいいのかわからない
こんな時ひな先輩だったら、ビシッと言ってくれるのに
「···よし、私は大丈夫だから。私も事故ったことはあるし、ひなちゃんもすぐピンピンして戻ってくる。零次君は···ね?あの子をお願い。私は少し外の空気吸ってくるから」
「わかりました」
姉さんが指差した先には、このフロアの休憩スペースがあった
自動販売機があって、座れるように横長のベンチが置いてある
そこには女性が一人座っていて、座ったまま少しうつむいて動かなかった
姉さんが歩いていく方向とは逆のその休憩スペースに、驚かせないようにゆっくりと歩いていく
自分の足音だけが響く廊下が少し恐かった
休憩スペースに着くとそこには彼女一人だけで、何もせず黙って座ってるだけだった
「高垣さん」
呼びかけたが、返事がない
眠っているわけではなさそうだが、聞こえていないのだろうか
「高垣さん?高垣さん」
やっと声が届いたのか、ゆっくりと顔を上げて俺のほうを見た
しかしその顔は、普段の高垣さんの優しい笑顔でもなんでもなく、不安と恐怖が入り混じったような、今にも泣き出してしまいそうな表情だった