十分な睡眠時間とはいえないな
んわぁ···とだらしないあくびが出てしまう
背もたれに寄りかかったまま寝てしまいたい
一気に体を起こして喝を入れる
俺の中の使命感が勝った
「このままじゃいけないな」
こんなにだらしない姿を見せたらそれこそひな先輩に怒られてしまう
俺は車を降りて鍵を閉めると、大きく腕を上に上げて体全体を伸ばす
今日一日仕事を全うできるように体に言い聞かせて、事務所へと向かっていった
ひな先輩の車が目に入るが、相変わらずひどい有り様だった
今日にも板金が取りに来る予定みたいだが、なんだか未だに信じられない
こんなことが実際に起こったことを嘘だと思いたい自分がいる
そう思いながら俺はまた、ひな先輩がいない事務所の扉を開いた
また一日が始まる
「···はよーございまーす」
返ってくる筈がないとわかっていても、いつもの流れで挨拶をして事務所に入る
この時間帯なら姉さんは工場だし、社長はまだ来ていない
誰もいない事務所で俺は一人、自分のデスクを目指すのだった
「おはよう」
ひな先輩のデスクの前を通りすぎた瞬間だった
誰もいる筈のないひな先輩のデスクから、聞いたことのない声が聞こえた
少しハスキーがかった、低めの女性の声
ひな先輩の声じゃないのは明らかだった
ゆっくりとひな先輩のデスクを見る
そこにはひな先輩とは真逆の、黒い綺麗な長髪の目立つスーツ姿の女性が座ってディスプレイと向き合いながらパソコンのキーボードを叩いていた
身長的にはひな先輩と同じくらいだが雰囲気が違う
ひな先輩も真面目で少しピリッとしたオーラを感じるが、この人はまるで、誰にも何にも染まることがない、そう言わしめるような迫力があって近寄りがたい
一体この人は誰なんだ、ヘルプの人か何かなのか
「···あの」
「待て」
恐る恐る話し掛けたが、人差し指一本立てられて一言で切り捨てられる
再びその女性がキーボードを叩いている間俺は無言でその様子を眺め、手を止めたと思ったら隣にあるプリンターが動き始めた
印刷されてきたのは、今日会社に入ってくる予定の仕事の詳細、車の種類や来店時間などが分かりやすく、見やすく書かれていた一覧表だった
一目で何がどういう仕事なのか簡単にわかる
「今日の入庫リストだ。この通りに入れれば全員定時で帰れる」
「はい···」
手渡してきたその紙を受けとると、また女性はキーボードを指先で軽快に叩き始める
俺のことは全く気にしてないようだった
姉さんかひな先輩の知り合いか何かなのだろうか
「そのパソコン···どうやったんですか?」
もう気にせずにはいられなかった
名前とかそれ以上にそこが気になった
ひな先輩のパソコンだからパスワードはひな先輩しか知らない筈だ
あの姉さんですら入庫の一覧を見るためにひな先輩に尋ねていたくらいだから
「クソシステムだな」
また一言でそう切り捨てられてしまった
「純正ソフトをそのまま使っている。これじゃあ外部から侵入されても必要最低限の抵抗しかできない。私がその証拠だ、もう少し今は危機感を持て」
「···はぁ」
なんていう人だ
一体何者なのだろうか
何かを盗もうとしているようではなさそうだが···
「クロっ!もう来たの~?もうちょっと時間遅らせてもいいって言ってたのに~」
「現状の把握と、暇だったのと、あと、こいつ」
「···俺?」
姉さんがこの''クロ''と呼んでいる人がすでに会社にいることに驚くのと、このクロ···さんが俺を指差してそれに俺が気がつくまでの流れがメチャクチャスムーズだった
自分の席に座ろうとしていたが、思わず自分で自分を指差してしまう
「アネキに昔ケンカ売ってきたクソガキがどんな風になってんのか気になってて」
「もう~クロ~。あれはそんなんじゃないって言ってるのに~」
ってことは···姉さんの仲間?
それも昔の、まだ俺がここに入る前のことを知ってるってことは、散らばっていったっていうあのメンバーの一人か
どうしてここに···というかどうして日本にいるんだ?
「おいお前」
「はい···なんでしょうか?」
「女遊びも時間を考えて早々に切り上げろ。ひどい顔だ、目が据わってんぞ」
「別にそういうのじゃ···」
「でしょ~?レイジ君モテモテだから~」
事務所の壁に掛けてあった大きな鏡で改めて自分の顔を見てみると確かにひどい顔をしている
吹き込んだのは姉さんだろうが、別に···そういうわけじゃない
「というわけで、弟子が身動き取れない間、私がここにいる。よろしく」
「クロがいたらパソコン関係は大丈夫よ!社長が後で臨時のアカウント作ってくれるって言ってたからもう少し待ってね!」
社長には既に彼女が来ることを知っているみたいだった
そしてまた、彼女はパソコンのキーボードを叩く
自分の席に座ってパソコンの電源を入れながら横目でそのクロさんを観察するが、脇目も振らずにパソコンと向かい合っていた
人手が増えるのはいいが、ほんの少しだけ不安な気持ちになるのであった
姉さんは一体何か考えがあるのだろうか
他にももしかして、仲間が動いているのかもしれない
ーーーーーーーーーー
「んっ!んっ!んおりゃあっ!たぁっ!おらっ!閉まれこのっ!ファックがっ!!」
仕事に行く道中、なんとなく零次さんや美空さんの様子が気になって私は青葉自動車さんに少しだけ顔を出して挨拶しようかと立ち寄ってみたのだが、事務所の入り口の横に停めてあった荷台がついている乗用車のドアを開けては蹴り飛ばしてる派手な格好の女性を、私は少し離れた場所で呆然とそれを眺めながら立ちつくしていた
「よしっ!閉まった!全く···アナタ今日はまったくもってクレイジーねっ!」
誰だろう···
腕を組みながら車に向かって話し掛けている謎の女性
ひなさん···は今入院しているし、髪の色がひなさんよりも白くて短いし後ろで縛ってまとめていて、身長も違う
胸も大きいし···だけど美空さんじゃない、そもそも髪の色が違う
おへそがチラッと見える白いTシャツと、短いショーパンデニムに白いスニーカー、そしてそのスタイルの良さはまるで外国人のように見えた
「ん?あらあら、これは可愛いキュートガール!おはよう!あなたのご用事なあに?」
「お、おはようございます。あの···私、美空さんに会いに来て···」
やっぱりこの会社の人なのかな···、でも今まで見たことないし···
私は恐る恐る近づいていくと眩しいくらいの笑顔で出迎えてくれたが、それよりも近くにあった彼女の車が所々へこんでベコベコになっているほうが気になっていた
引っ掻いたような傷もあるけど···直さなくていいのかな?
「私のダットラちゃんが気になる?なんだか恥ずかしいわん、こんなにボコボコのボコちゃんだから~」
トントントンと車を軽く叩くお姉さん
確かに、ドアだけではなくて後ろの荷物を乗せる荷台から、前側のタイヤが付いているところまで至るところにへこみや傷が目立っていた
そういうところで働いている人···っていうことも考えられる
零次さんとも知り合いなのかな、元カノさん···ではないよね?たぶん···
「ああ、ごめんね。リーダーに何かご用事だったっけ?」
「そう···ですね、はい」
リーダーっていうのは···たぶん美空さんのことなのだろう
ということは美空さんのお友達か何か···だろうか
美人さんだし、二人並んだら凄く絵になりそうな気がする
「じゃあ一緒に入ろっか!はいはいこっちこっち、中へどうぞどうぞ」
「あ、す···すみません」
手を引かれて、私はなされるがまま事務所の入り口へと連れていかれるのだった
「リーダー!可愛いリリィが何かご用事だって~!」
二人で事務所の中に入るが、中に美空さんはいなかった
零次さんの姿もなかった、車は駐車場で見かけたのに、工場にいるのだろうか?
「いないよ」
「あらそう!」
誰もいない筈のひなさんの机からひょっこりと顔を出すこれまた知らない人
ひなさんとは真逆の綺麗な黒髪に整った顔立ちをした綺麗な人
でもちょっと厳しそうな感じ···かな、まぶたの一重がより一層それを際立てている
この人も···零次さんの知り合い?
知らない人ばかりで、なんだか違う会社に来たみたいだった
呆然としていると、知っている声が事務所に響いた
「あら!千枝ちゃんおはよう!どーしたのー?もしかして、心配して来てくれたの?」
「はい。ひなさん···本当に大丈夫かなって···」
工場から美空さんが事務所へと入ってくると、嬉しそうにニコニコしながら私の元へと近寄ってきた
その様子はいつもと変わらないように見えるが、それは私に心配をかけないようにしてくれているのだろうか
「ありがとー、でも大丈夫よ。ちゃんとひなちゃん治って帰ってこれるみたいだから。車はあんなになっちゃったけどね」
「それは···はい。私もちょっと···初めて見ました」
事務所に入る直前にチラッと見えたひなさんの車はもうボコボコにへこんでいて、事故が本当にあったことなんだと実感させられていた
でも、ひなさんが大丈夫そうでよかった
入院はしているけど、また元気な姿を見られることを知れただけでも来たかいがあった
「ああ、そうだ、紹介しとくね。そこのひなちゃんの机に座ってるちょっと恐そうなお姉ちゃんがクロで、この全体的に白っぽいお姉ちゃんがシロ」
「恐そう···」
「よろしくねリリィちゃん!」
どちらも美空さんのお友達だそうだ
ひなさんが入院している間、会社を手伝いに来ているらしい
お友達···なんだよね?美空さんの
「おお、千枝」
「あ、零次さん。おはようございます」
零次さんも美空さんに続いて工場から事務所へとやってきた
やはり、少し忙しいのだろうか
早めに出ていったほうがよさそうかも···
「あ、丁度よかった。レイジ君千枝ちゃん会社まで送ってってあげなよ」
「え、でも···零次さん忙しいんじゃ···」
「大丈夫だよ、今は私たちがいるから、そうだろ後輩」
「ええ、まぁ」
クロ···さんがそう催促すると、美空さんも首を縦に振っていた
どうやら零次さんはこのクロさんとシロさんにも頭が上がらないようだ
二人も零次さんの事を知っているみたいだし、どういう関係なのだろうか
「そうそう、私たちがいるしね!リリィちゃんを一人で歩かせるなんてダメよ!私が送ってあげたいくらいなんだから!」
「シロ」
「なあに?リーダー」
「車のドア、開いてるよ」
「ファックがっ!!」
美空さんにそう言われると、シロさんは一言そう叫び事務所を飛び出して再び自分の車のドアをバタンバタンと閉めては勝手に開いてを繰り返しているのが窓から見える
最終的にまた足で蹴り飛ばしているけど···いいのかな?あれ
「ちなみにあのお姉ちゃんはちょっと変わってて変態だから、気にしないで」
「へ、変態···」
美空さんのその言葉に誰も何も言い返さなかった
「ぶつかりすぎて頭おかしくなったんじゃないの?」
「でも普段そういう仕事だし~」
「あの人まだ現役なんですか?」
三人ともそれでも信頼は置いているみたいで、腕は確かだと口を揃えて言っていた
当の本人はドアを蹴り飛ばすのをやめて、車の中からガムテープを取り出し始めていた
とりあえず零次さんが会社まで送ってくれるというので、私は申し訳ない気持ちのまま零次さんと車へと乗り込んだ
シロさんとすれ違う時に目が合ったが、その際には素敵な笑顔のまま手を振ってくれて、次の瞬間には意気揚々とガムテープを引っ張り出してドアへと貼り付け始めていた
「···ドアヒンジとロックアクチュエーター取り替えりゃいいのに」
「なんだか、凄い人なんですね」
「凄いっていうかメチャクチャ横着で大雑把な人っていうか···ある意味で変態」
「それは美空さんも言ってましたけど···本当にその···変態さんっていうのは···」
「もうちょっと大人になったら話してやる。色々な意味で···過激すぎるから」
再びシロさんを見ると、駐車場から出ていく私たちに向かって大きく手を振っている傍らでまたドアを押さえていた
美空さんには様々なお友達がいるようだ
これならひなさんも安心してお仕事を任せられる···のだと思う
一体ひなさんの身に何があったのか、詳しく聞くことは出来なかった
会社に到着するまでの間に色々聞いてはみたものの、なんだかふわっとした解答ばかりで、まるで私を事件から遠ざけるような、庇うような感じで話しているように思えた
私がまだ子どもだから、気を使ってくれているのかもしれない
心配することはないと、そう言う零次さんはなんだか寂しそうにも見えた
ーーーーーーーーーー
「ありがとうございます」
「ああ、今日も一日頑張ってこい」
そう言うと千枝は素直に車を降りて、美城プロの本館の玄関へと入っていった
色々と聞かれたが、最後は素直に引き下がっていくところは育ちがいい証拠だろう
おかげで余計な心配もさせなくて済むし、こっちとしてもありがたい
「···さてと」
帰ろうと車を移動させようとした矢先だった
ドリンクホルダーに置いていた携帯に連絡が入った
···未央からだ、俺が会社に来たことに気づいたのだろう
「なんだ」
『おはよう、レイさん。少しばかり話があるのだ』
厳かな雰囲気を纏ったような声で未央はそう言うのだ
なんなんだ朝っぱらから、付き合ったらめんどくさそうな雰囲気プンプンだ
『今、ヒマ?』
「暇になったけど嫌だ」
釘を刺すようにあらかじめそう言っておいたが、''オフィスまで来るように''とだけ言われて電話を切られた
一体何なんだ