オフィスに一人、ソファーに座っている
まだマグカップはほんのり温かい
えらく落ち着いた様子に見えた
ただ、本心はそうではないみたいだね
千枝君を始めとしたアイドルたち
望まれた未来に向かって行ければよいが
「彼も···随分と悩んでいるようだね」
誰もいなくなったオフィスで、一人マグカップを持って給湯室へと戻っていく
直接彼と話すことが出来たのは幸いだった
アイドルのみんなの事で思うことがあるのは彼も一緒だっただろう
それに彼も彼で自分たちにも大変なことがあったのだから、青葉君同様に私も少し気にかけていた
アイドルのみんなが口々に言っていた''ある事''についても気になっていたことだしね
「どうやら、アイドルのみんなのことを大事にしているようだから、そこまで心配することはないようだ」
マグカップを持って給湯室に入っていく
あとはこのマグカップを洗って、乾かして、元の食器棚へと戻せばいい
「私はそう思うんだが···君はどうかな?」
給湯室へと入ると、私は台所の横に置いてある丸い椅子に黙ってちょこんと座っていたその女の子にそう声を掛けた
そうするとその子は口を可愛らしくへの字に曲げながら、足を少し浮かせてパタパタと仰ぐ
「でも···ダーリンはウソつきだもん」
「ウソつき?」
そう言いながら彼女···大槻唯君はご自慢の綺麗な金髪の髪の毛を手で整えながらぷくっと頬を膨らませていた
彼が私に会いに来るとどこで聞いたのか、彼女は直接彼の口から考えを聞いてみたいと私のオフィスを訪ねてきた
なんとも珍しいこともあるものだ
「そうだよ?だって、付き合ってる人はいないって言ってたのに、あんなに綺麗な人と一緒にいて···。せっかく周子ちゃんとダーリンを元気づけてあげようって話してご飯作りに行ってあげたのにヒドイよ。ただの友達って言ってたけど、絶対ウソ」
「おやおや、随分と彼は人気者のようだ。ふふふっ、しかしそれは一重に、君たちに心配を掛けないようにという彼なりの心遣いなのかもしれないよ?」
「なんで?どうしてそれが心遣いになるの?」
「もし本当に彼にそういう大切な人がいるのだとすれば、君たちと一緒にいても、嫌なことをされるかもという不安を君たちに与えないだろう?」
「それは···そうだけど」
「彼なりに君たちのことを大事に思っていると私は思うな。そうでなければ今日だって、仕事のお話だけで帰ればいいのに、わざわざあんな質問をしないんじゃないかな?」
「···ダーリン」
まだコーヒーメーカーに水が残っていたので、マグカップを一つ取り出して一杯注ぐ
この猫の手形のイラストが描かれた可愛いマグカップなら唯君も気に入るだろう
夜寝られなくなったら困るからほんの少しだけ量を減らして、唯君が座っている丁度目の前の調理台の上に置くのだった
「まぁまぁ、今は彼の事を信じるしかないだろう。青葉君も、悪い人ではないと言っていたしね。もしかしたら、唯君が彼を信じて追いかけてあげれば、遠くない未来で彼の心が変わるかもしれないよ。だけどその為には自分も変わっていかなければならない時もある、いつも助けてくれる彼を、今度は唯君が助けてあげられるようになったりね」
「そうかな?」
「うん。きっとね」
「···そっか、唯が···変わっていけばいいのかな」
「そうさ、そうすれば彼もきっと唯君のことを見直すと思うよ」
私がそう言うと、唯君は目の前に置いてあるマグカップを手に取ってまじまじとそれを見つめているのだった
「おっと、ごめんね。お砂糖はいるかい?」
「ダーリンはこのまま飲んだの?」
「ああ、彼はブラックが好きだと言っていたから」
さすがに苦いと思うよと私は忠告したが、唯君はそのままマグカップに口をつける
最近はコーヒーショップなども街の中に沢山あるから、若い人もブラックを飲み慣れているのだろう
そう思っていたが、唯君は飲んでいく度にだんだんと口元が歪んでいって、ついにはマグカップから口を離してしまう
「うげ···、苦い、ダーリンすごい。大人ってなんでこれが美味しいって思うんだろう」
「それはきっと、唯君がもっと大人になったらわかるんじゃないかな」
私が自分のマグカップを洗い始めると、唯君はまたまたコーヒーに挑戦していた
飲んでは苦い顔をして口を離しているその様子を見ると、どうやら将来は安泰のようだ
北崎君もつくづく愛され上手みたいだね
「でも···でも、唯は納得してない···唯たちがいるのにそんな人と···!絶対ダメ!」
「おやおや」
これはこれは、北崎君は随分と贅沢な悩みを抱えてしまっているようだ
ーーーーーーーーーー
「あー!」
「···おう」
本館のエントランスの端にあるソファーの上から騒がしく俺を指差しているウサミミパーカー
仁奈は一人何をしていたのか、その体よりも一回り大きいソファーの背もたれに手を掛けて通りすがる俺に向かって一生懸命指を指し続けていた
「ちょっと待つでごぜーますよ!」
「なんだ、どうした。もう帰る時間だろ?」
帰り支度はいいのかと聞いてみたが、まぁまぁいいではねーでごぜーますかとか何とか言いながらソファーから飛び降りて俺の手を引くと、自分が座っていたその休憩スペースのような一角へと俺は連れていかれるのであった
「言われなくても仁奈はもう帰るでごぜーます。ここにほら!ちゃんと準備してるですよ!プロデューサーがもう少しで送っていってくれるんでごぜーます!」
パンパンと仁奈は自分が座っているソファーの足元を手で叩いた
よく見てみると、そこには可愛らしい何かのマスコットの大きなキーホルダーがついた小さいバッグが床の上に置かれている
「ヒマだから話し相手になってほしいでごぜーますよ」
「俺はそこまで暇じゃないんだわ」
「女の子のおさそいでごぜーますよ?」
「20年早いわお前、誰に教わった」
「早苗おねーさんでごぜーます」
それでも仁奈はひまーひまーと駄々をこねるので、誘われるがままに空いているソファーへと座るのだった
しかし···、話題が出てこない
隣にいる仁奈はソファーに座って足をパタパタさせながら、まわりに視線をチラチラさせて黙ったままだ
これなら俺がいないのと変わらないじゃないか
「···千枝は大丈夫か?」
何も話題がないので俺から話を振ることにした
すると仁奈はハッとした表情を浮かべて、肘置きに前のめりになりながら俺に話し始めた
「そうでごぜーます!千枝ちゃんが···あのテレビ局に連れていかれたですよ···。プロデューサーは大丈夫だっていってたでごぜーますが···それに、みんなみんな今日は悲しそうな顔をしていたでごぜーます。いろんな事を考えてもいたですよ、はっ、言っちゃいけねーんだった」
またまた仁奈はハッとした表情をして口元を押さえた
後半の事は何となくわかるとして···そうか、千枝が一人で行ったわけではなくてよかった
プロデューサーと一緒なら何かあっても見ていてくれてるだろうし、それに一緒にいたらそもそも何かされるということもない···だろう
まだ俺も相手側の事をどうしても信用できない
一度会っただけだが、あのディレクターのあの態度で何となく人間がわかった
何を考えているのか油断はできない
「あー!」
仁奈は声を上げながら、玄関のほうを指差していた
一体何かと振り返ってみると、そこには相変わらず、書類を胸に抱えて忙しなく駆け足でエントランスへと入ってくるあのプロデューサーの姿があった
そうか、千枝を送っていったっていうのはあいつか
もう少し落ち着けばいいといつも思っているが、その様子だとそれは相当時間が掛かるみたいだった
「これは仁奈さん、お疲れ様です」
「お疲れさまでごぜーますよ!千枝ちゃんは大丈夫でごぜーますか?」
「ええ、もちろん!仕事が終わり次第すぐに自宅まで送り届けましたので···」
そこまで言うと俺と目が合う
仁奈と話していたときとは顔つきが変わり、まるで厄介者を見る時のような目付きになった
とりあえず立ち上がって俺は挨拶しておく
「お疲れ様です」
「お疲れ様です、またあなたですか」
何やら俺に言いたげな様子だったが、まくし立てて来るかと思いきや仁奈の俺たちを見守るような視線に一つ咳払いしてから口を開く
「御社のスタッフさんのことについては心からお見舞い申し上げます。これは決して許される事件ではありません。あなたや他のスタッフさんのお気持ちを考えると私も苦しい限りです。一刻も早い回復を願っています」
「それはご丁寧にどうも」
「しかし」
彼は胸に抱えている書類を体を動かして持ち直し、俺にまた不満そうな視線をぶつけてきた
「彼女たちが今日話している内容に、私はあなたに対して疑問を抱かざるを得ません。既に共に過ごすパートナーがいるというのにあなたという人は、アイドルである彼女たちに対して、まるで''期待''を抱かせるような態度を見せるその理由に納得がいかないのです。前に私はあなたにアイドルの皆さんには誠実に向き合ってほしいと申したことがありましたが、あなたはそれとは真逆の行動を取っているように見えてならないんです」
「···なるほど」
この人にはどうやら俺が100%悪いように映っているようだ
まぁ、端からみたらそう見えてもおかしくないんだろうけど
「彼女たちは多感な時期です。様々なことを真に受けてしまう感受性の高い年頃なんです。だからこそ我々大人が守ってあげなければならないのに、もう少し慎んでの行動を改めてお願い申し上げておきます。くれぐれも''騙す''ようなことのないように、彼女たちが魅力的に見えるのは私たちにとっても嬉しい限りですが、彼女たちの態度で勘違いすることのないようにお願い申し上げます」
「···はぁ、わかりました。すいません」
相当溜まっていたのか、息つく暇もなく、やはりまくし立てるように言われてしまった
俺は何も言い返さず黙って聞いていたのだが
「しかし」
まだ言いたいことがあるのか、彼はその場でまた俺にもの申したいみたいだ
今度は何を言われるのかと身構えたが、返ってきたのは意外な言葉だった
「こちらとしても、人手が足りないのは事実です。お恥ずかしい話ですが、猫の手も借りたいくらいなのは正直に申し上げておきます。あなたが手を貸してくれるというなら、喜んでご連絡差し上げたいと思っています」
「それは···どうも、ご丁寧に」
「いえ、あなたの運転技術は私も評価しておりますので。あまり乱暴な運転はご遠慮願いたいですが」
正直言って驚いた
良いことでも悪いことでも、この人はハッキリ言う性分のようだ
「それでは、これから会議ですので私はこれで失礼します。仁奈さん、帰り道に気をつけて」
「さよならでごぜーますよ!」
そのプロデューサーも仁奈も、エントランスいっぱいに響き渡る声で最後に挨拶すると、プロデューサーはまた慌ただしい様子でオフィスビルへと向かう渡り廊下へと歩いていった
その姿が見えなくなるまで仁奈は大きく手を振って見送っていたが、俺は再び座ってひとまず落ち着くことにした
「一体あのプロデューサーは何の話をしていたでごぜーますか?」
「···あんまりお前たちと仲良くするなってさ」
「なんででごぜーますか!あのプロデューサー意地悪でごぜーますね!」
俺の座っているソファーの背もたれにもたれ掛かり、俺の頭の上からプンプンと文句を言ってくる仁奈
この話が理解できるようになるのは、もう少し先の話だな
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あの後結局仁奈を家まで送り届けることになった
その間にとっくに就業時間が過ぎて、帰る頃には姉さんたちはガレージに戻り、既に焼き肉兼酒盛りの準備に入っていた
俺も合流して、その食事会が厳かに行われたと思ったら、お酒が入った途端に昼前のような会話が広がっていく
メンバーも相当溜まっているみたいで、あれよあれよという間に出来上がっていった
「···って感じで最後は覆い被される感じで終わった」
「素晴らしい、素晴らしいスピーチだったよクロ。その何気ないリアリティがもう···うん、体を駆け巡る感じ」
「実にエモーショナル、お尻の一つでも叩いてあげればよかったのに···って、リーダーリーダー」
そんな中俺は、みんなが騒いでいる傍らソファーに座ってグラスを持ったまま黙っていた
あのプロデューサーに言われた言葉が頭をよぎる
彼女たちと一緒にいることは間違いであるのか、彼女たちにしてあげられることなんて本当はないのではなかろうか
向けられている感情は好奇心から来るもので、琴歌たちのことも日頃とは違う環境からくる気持ちの昂りで、あの最後の一日も、夜のナイトプールの時まで、そういう場所だからこその出来事だったのかもしれない
「どうした少年!お酒が進んでないじゃないか!シンキングタイムもほどほどにしないと!ねぇ?リーダー」
「まぁまぁ、レイジ君はまたまたお悩みごとみたいだから~。私たちがこんな話をしてても見向きもしないわけだし」
俺の右隣にシロさんがドサッと座り肩に腕を回してくる一方で、姉さんは一升瓶を片手に俺の目の前にガニ股でしゃがみこむ
上はその首もとダボダボでゆるゆるな、ひな先輩にいい加減捨てなよそれと言われていた寝巻き代わりのTシャツを一枚だけ着ているその格好に、慣れてるとはいえ目のやり場に困る
Tシャツの胸元の垂れ具合と、時折その隙間からポチッと見える左右の小さな突起に、きっと窮屈だかなんだか言って下着は外しているようだし
「後輩、肉を食え肉を」
クロさんは紙皿にいくつかホットプレートの上からよそってくれて、左隣に座って差し出してくる
冷静に見えて、クロさんも大分酔っているようだ
目が据わっている
「どうした、私たちの相手もしないで何を悩んでる」
「まぁまぁ、クロ。悩みが多いお年頃だから。で、何を悩んでるの?」
結局姉さんも同じことを聞いてくるのだった
「もしかしてキュートガールたちのことかしら?」
続くシロさんは冗談で言ったんだろうが、間違ってはいなかった
あいつらのことも確かにあるが、仁奈が帰りの車内で言っていた話、千枝のことが気になっていたからだった
「美城プロに行ってなんか言われたの?レイジ君」
「···千枝が、明日もあのテレビ局で撮影があるって言ってたみたいなんです。なんだかそれが引っ掛かっていて···」
「ああ、アネキが言ってたクソ野郎がいたっていう局の話か」
クロさんがそう言った瞬間、姉さんの目付きが少し変わった
まるで、そうなることがわかっていたかのような、警戒するような反応を見せる
「それで、最近チョロチョロとその美城プロダクションとやらにちょっかいを掛けてきていたのは、そうやってまたアイドルたちに取り入ろうとしてるかもしれないってわけか」
クロさんのその言葉に俺は無言で頷いた
なるほどな、とクロさんは俺の顔を見ずに返事をすると、目の前のテーブルから自分の箸を取って持っていた肉を自分で食べ始めるのだった
「ありすの活躍もあって、単純に美城プロのアイドルに来てもらったほうが視聴率が取れるっていう考えなのか。美城プロの部長が言うには、あのディレクターはもういないから、反省はしてるって言ってたみたいで···」
ドンッとその瞬間、俺の目の前でしゃがみこんでいた姉さんはその手に持っていた一升瓶を床に音が響く強さで置いた
そのせいでその飲み口から中で跳ねた酒が少し吹き出し、姉さんの手を滴り落ちていく
そのまま無言でうつ向きながら地面を見つめ続ける姉さん
クロさんもシロさんも、そんな姉さんの様子にピタリと手を止めていた
「あ゛~~~~~~~う゛、っっっとにぃ」
「リーダー、No。ステイステイ」
まるで獣の声のようなドスの効いた声を上げた姉さんは、その場で立ち上がるとその着ていたTシャツを脱ぎ捨てて目の前にいる俺の顔に向かって投げ捨てた
視界が奪われて前が見えない
「相変わらず羨ましい体」
隣にいたクロさんがそう呟くのと同時に俺は顔にかかったTシャツをどかせてソファーに置くと次の瞬間、上半身素っ裸で一升瓶をそのままラッパ飲みしている姉さんの姿が目に入ってきた
クロさんが言うことに便乗するわけじゃないけど、男の俺から見ても出るとこ出てる体格だと思う
ブラを着けなくても形が整っている綺麗な胸元に、少し黒っぽい突起が目立つ
日頃重いものを持つ仕事だからかお腹周りは引き締まっていて、ほんの少しだけ腹筋が見えていた
「あっはっはっは!リーダー!おっぱいも大事だけど一番大事なのは···お·し·り」
「ゴクッゴクッ、プハッ!!ゲッッッホ!!ゲホッ!ゲホッ!」
二人とも慣れているのか、クロさんは姉さんのそんな姿に微動だにせず、シロさんに至ってはゲラゲラと笑っていた
「ゴクゴク···プハッ、あ゛~~レイジ君!」
「···はい」
その立派なモノを二つぶら下げてユラユラと揺らしながら姉さんは俺へと近づき、一升瓶を持っていない片手を俺の顔の横を掠めた背もたれへと当てて、至近距離で俺と見つめ合う
酒くさい
「明日の送迎、行ってきて」
「送迎に?」
「そう、千枝ちゃんの」
もう必要最低限のことだけ話して、姉さんは離れてまた一升瓶に口をつけ始めた
俺も気になっていたが、姉さんのお墨付きももらうことが出来た手前覚悟を決めよう
「こらぁ!あんたたちぃぃぃ!今日は無礼講!脱げ脱げ!」
「いいの?いいのリーダー!?あぁ···いいっ!いいっ!この解放感!!まるでぶつかり合った後みたいな···カイカン」
「単純に暑い。うん···すずしい」
もう俺がいることなんてどうでもよくなってるみたいだった
その後俺がいかにその場をおさめるのに苦労したかなんて、きっと説明してもわからないんだろうな
後書き
現在、接触21.9を執筆中ですが、あまりにも内容がアレな為、相応しい場所での公開を予定しています
また、あまりにも濃く、長すぎる内容となっている為、しばし時間が掛かります
万人受けする内容かどうかは何ともいえないところです