悲鳴をあげそうになるのを必死に抑える
つい口元をおさえて、冷や汗が出る
世の中狭いと聞いたことがあるが何故
受付にいるその女性
なんで、なんでここにいるんだ
彼女は一体、何が目的なんだ
詰め寄りたい気持ちを抑える
ただただ、立ち尽くしていた
「はい、この領収書を今西さんという方に渡したいのですが···」
オフィスビルへと繋がる渡り廊下
ダーリンが来ていたというので真相を確かめようと、レッスンを終えて真っ先に本館へと駆けつけてみたが、やはり千枝ちゃんの送迎で出発した後だった
その代わりにそこにいたのは、ダーリンの話の元となった人物
加蓮ちゃんの撮った画像にいた、昨日会った綺麗な女性
スーツ姿だから、やはり仕事だろうか?
ゆいたちが帰ったあとダーリンと何をしたのか、嫌でも嫌な妄想がアタシの頭の中に広がってくる
「そうですか、すみません。ありがとうございます。あちらの···渡り廊下ですね」
綺麗な声でその人物はそう言うと、ゆいのいる渡り廊下に向かって歩いてくる
どうしよう、そのままスルーするほうがいいのかな···
それとも、ゆいは''エージェント''だから、こんな機会は滅多にないし···
「あれ···?あ、あなたは···!」
そんなことを考えていると、あちらからその女性は話し掛けてきた
悪びれる様子もなく···と思ったが、ゆいを前にしてその女性は申し訳なさそうな顔をしてくるのだった
「ユイちゃん···だよね。この前零次の部屋に来てた」
「はい、そうですけど···」
ゆいのことを知ってる
ダーリンが話したのだろうか
「そっかぁ···あなたが仕事仲間のユイちゃんね。この前はごめんね、私がいきなり押し掛けちゃったから···迷惑だったよね」
「あ、えっと···全然そんなことなくて···ゆいたちも、勝手に来てたのが悪いんだし···」
この人、会話がとても上手だ
自分が悪くないように、ゆいが謝るように誘導して、話を進めてる
自分が上に来るように···これが大人の余裕というものなのか
「今度零次に言っておくからねっ、あんな乱暴な言い方しちゃダメだって。帰れだなんて言い方、ちゃんと女の子は大事にしないといけないって言っておくから」
「あ···そ、そうですね。あはは···」
···違う
この人、違う
対等に話そうと思ってない
ゆいのことを、まるで子どもように、ダーリンにただ懐いているだけの、ただの···子どものように、あやすように話し掛けてくる
違う···
違うもん
ゆいはそんなんじゃない
ダーリンを、渡したくない
このままだと、ダーリンがどこかへ行っちゃう気がする
このままじゃダメだ
ゆいだけじゃない、みんなも···このままじゃ悲しむに決まってる
私のことも···みんなのことも助けてくれたダーリン
ゆいたちには、あの人が必要なんだ
「···違うもん」
「違う?何が違うの?もしかして···私間違ったこと言った?」
「ダーリンは···あなたの物じゃない」
「ダーリン?」
私はその人と一歩距離をとった
「あなたは誰?何でダーリンと一緒にいるの?どこの人?何でそんな仲いいの?」
「···ああ、ダーリンって零次の事?」
「それ、なんでそんなに名前で呼ぶくらい仲いいの?」
「···そっかぁ、話してないのか···、零次」
距離をとったはずなのに、その人にジリジリと距離を詰められていく
夕日が差し込む渡り廊下、その光に照らされて、その女性は妖しく、妖艶に、そして不敵に微笑んでいるように見えた
この人は一体何を考えているのだろう
アタシは後ずさりしながらオフィスビルのほうへと戻されていくが、着ているレッスン着のTシャツの裾をギュッと握ったまま、視線だけはその人から離さなかった
「まず最初に、私はカオルっていいます。今日はお仕事で来ていてね、領収書を持ってきたの。うーん···言ってもわかるかなぁ、もう少しで前期末だから···いろいろゴタゴタしててね。それは本当、零次に会いに来たわけじゃないんだよ?」
「···お仕事は、何をしてるの?」
「うーん···、秘書。···みたいなものかなぁ」
封筒を見せながら、ジリジリとにじり寄ってくる
仕事っていうのは間違いなさそうだった
でも、そうじゃない
アタシが聞きたいことは、そういうことじゃないんだ
「···ダーリンとは、どういう関係なの?」
「気になる?」
アタシは少しだけ歩幅を縮めて、その人との距離を近づける
今も尚後ずさってはいるが、勇気を出して一歩踏み込み、心の内を探ることにした
「幼なじみ。小学校も、中学校も、高校も一緒。絵に描いたような幼なじみ。だからあの人のことはね、何でも知ってる。昔はどうだったとか、学生の頃の事とか、健康診断の採血が苦手だとか、何でも。ずっとずっと、一緒だったから」
「ゆ、ゆいだって、一緒だったもん!ずっとずっと、一緒に仕事して!ご飯食べに行ったり!お、お出かけしたり!」
「それだけ?ただ一緒にいただけ?彼の事を本当に知ってる?彼がどういう人間なのか、何を求めているのか、本当に本当に理解してる?」
彼女は逆に、アタシの心を探るように近づいてくるのだった
まるでアタシの事を見透かしているかのように、これまでのアタシを否定するかのように問いかけてくる
アタシと···というよりアタシたちとダーリンの間に割って入ってくるように、彼女がジリジリと迫ってくるその姿には威圧感さえ感じていた
「あなたはまだわかっていない、彼の事を。あの態度だから、わからないかもしれないけど。想像以上に、打たれ弱いの。それを支えてあげられるような存在に、ならないとダメ」
「···でも、それをゆいたちに言わなかったのは、きっと···ダーリンは···優しいから。ゆいたちの事を考えてくれているから···」
「それはね···半分正解だし、半分間違ってる」
渡り廊下を抜けてオフィスビルのロビーに入っても、尚もその人はゆいと対峙する
「あの人はね···恐いの」
「恐いって、どういうこと?」
「うーん···、勝手に言ったら怒られちゃうかも。まぁ、今はその事は置いておくとして···」
ゆいは、状況さえ違えば、ダーリンにやってみてほしかった方法で迫られる
ロビーにある太い支柱を背にゆいは追い詰められて、いわゆる···壁ドンというような体勢で迫られる
ロマンチックでも何でもない
みんな忙しいのか、ロビーには誰もいなくて、助けてくれる人もいない
「あなたたちが何をしても、最後には私たちが勝つ。あなたたちは、黙って見ていればいい」
「ゆいが···ううん、ゆいたちが勝つよ。何があっても、ゆいたちはあきらめない。ダーリンは、私たちのドライバーだから」
「奇遇だね、私も同じ気持ち。それにしても、いいね、ドライバーって。零次に送ってもらって助かったなぁ。私の車、いまちょっと壊れちゃってて···」
「こんばんは」
すぐ横の壁にあるエレベーターの扉が開き、その中から出てきた人物から、キリッとした口調で丁寧に挨拶が聞こえてきた
その場の空気が一気に変わり、その歩み寄ってきた小さな女の子を交えたやりとりへと変わっていく
その年相応とは思えないほど礼儀正しくハッキリとした物言いと鋭い目付きで、ゆいとこの人の状況を見てその子は首を傾げている
「どうしたんですか?大丈夫でしょうか?気分が優れないようでしたら、そちらのソファーに一旦座って···」
「ごめんなさいね、大丈夫よ。少し躓いてしまって、ついつい唯さんに寄りかかるような体勢になってしまったの。もう、大丈夫だから」
「はぁ···」
女性はありすちゃんにそう言うと、ゆいから離れて体勢を整える
一体この人は何者なのか
どこかの会社の人なのだろうか
ダーリンとどういう関係なのだろうか
「あ、ありすちゃんは、どうしたの?レッスン終わり?もう帰るの?」
その場を誤魔化すように、ゆいはありすちゃんを若干問い詰めるような形で話し掛けてしまった
やはりゆいたちを怪しんでいるのか、ありすちゃんはジトッとした目でアタシを見ながら、''···いえ''と首を振る
「プロデューサーを探しています。いくつか抗議したいことがあって、でも忙しいのか皆さん最近事務所にいないですし、今西部長に聞きに行っていたところで」
「あ、そうだ。私、今西さんのところへ行かないといけないんだ。ごめんね、失礼するね」
「あ、ちょっと···」
「はい、お疲れ様です」
話し掛けても振り向くことなく、ありすちゃんの労いを背中に受けてエレベーターへと乗り込んでいくカオル···さん
最後エレベーターの扉が閉まるときに、こちらに向かって笑顔で可愛らしく小さく手を振っていた
アタシはそれを見送ると、大きく溜め息をつく
不思議な人だ、隙がない、ちょっとでも油断すると踏み込んでくる
ダーリンの···大切な人、ダメだ、ダメだダメだ
自分をしっかり持つんだ、一緒にいた期間は短いけど、アタシたちの間にはきっと···何かがあるはず
切っても切れない大切な何かが
「唯さん、お知り合いだったんですか?」
「ううん、初めて会った。どこの人なのか···わからない」
「そうなんですか。てっきり唯さんは知っているのかと思いました。私は会ったことがあるので、テレビ局か何かの関係者かと···」
「···へ?」
唐突にそう言ったありすちゃんに、思わずすっとんきょうな声を上げてしまった
「いつ、いついついつ」
「ゆ、唯さん。落ち着いてください。会ったと言っても、お仕事でご一緒しただけです」
「···どこで」
「プレミア試写会の時に、私にオレンジジュースを持ってきてくれました」
ーーーーーーーーーー
「···そうか」
面会時間ギリギリ、俺はひな先輩の病室で今日あったことを話した
ひな先輩は何も言わず、熱心に聞いていた
自分が命を狙われたんだ、相当にショックなはずなのに
いつもと変わらない様子で、遠くを見るような目で、何に思いを馳せているのか、時計の針が進む音だけが聞こえるこの部屋で二人、その事について話し合うのだった
「まぁ、その時殴りかからなかっただけ偉かった。よく我慢したな、姉さんが自分で行っていたら···どうなっていたのかわからなかったし」
「でも俺だってわからなかったですよ。立ち上がって何するかわかったもんじゃなかったです。相手に止められたからよかったですが、結局悪いのは···自分ですね」
その時、相手に言われた言葉を思い出した
''君が悪いんだ''、その言葉が頭の中をよぎる
相手の言っていることが間違っているということはわかってる
でも、どこか身に染みて感じている自分がいるのだ
「いいか」
またひな先輩の前で悩んでしまっていた
それを見透かしたのか、ひな先輩に一喝されるように一言で振り向かされる
「間違っているのは、どう考えても相手側だ。その責任をお前に押し付けようとしているだけだ。お前はあの時正しいことをした、だからこそ、あの娘たちはお前を慕ってくるんだろう。お前とあいつらとでは関係が全く違うんだ。あいつらはあの娘たちを求めているみたいだが、お前は、あの娘たちに求められている。そういう状況がこれまでいくつもあったと、私は思うんだけど」
「それは···そうですね」
「それは私にもわかるさ、何があったのかは自分の胸の中にしまっておきな。野暮なことは聞かないよ、あの娘たちにも悪いしね。だけどそれは間違いなく、あの娘たちが自分で望んだことだ」
それだけ言うと、ひな先輩は病室のベッドに頭を預けて天井を仰ぐのだった
そんなひな先輩を見て、俺は考えを巡らせる
彼女たちの為に何が出来るのだろう
今彼女たちは、ひとたび目を離せば何をされるかわからない状況だ
何とかしなければ、それこそ本当に彼女たちの未来が危ない
「とにかく」
ひな先輩は再び起き上がって、俺と向き合った
「''アレ''を動かすとなると、万全な準備が必要だ。それは師匠もシロさんも、あの三人組もママもわかっているだろう。しかし、どんな結果になるかはわからない。姉さんもあれから随分時間が経っているから、押さえつけられるか、自分のコントロール下に置き続けられるかどうかわからない。それは、姉さん次第だろうな」
「ですが、姉さんはやる気みたいです。久しぶりですよ。あんな声聞いたの」
「相当トサカに来てるだろうね。あーあ、私知らないぞ」
俺も姉さんの''アレ''を見たのは過去に一度きりだった
それ以降は然るべき時の為にとっておいたのだろう
それを出してくるというのだから、これ程頼もしいことはないが、これ程恐いこともない
「しかし、相手は自分たちが用意する車のことを''マシン''と言ったのか」
「なんかそんなこと言ってましたね」
「マシン、マシンねぇ···。そうかそうか、それは大層なことだ。それはまた···面白いことになりそうだな」