ヘイ!タクシー!   作:4m

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番長21

転びそうになる奈緒を支えて玄関をくぐる

とにかく駆け足でスタジオを目指す

なんとか間に合いそうだ

上り階段で走るのを止め、一息つく

かなり急いだ甲斐があった

 

「ちょっ···!まっ···!待ってくれよ···!凛ー!加蓮ー!」

 

空港の、上の階へと上る階段の中段、奈緒は私たちよりも少し下で手すりを掴みながら息を整えている

 

「はぁ···はぁ···まったく、そこまで急がなくたって···、走り通しじゃないか···」

「朝のアニメに釘付けで中々動こうとしなかったのはどこの誰だっけかな~」

「だ、だって加蓮···!今日の朝に''新·フルボッコちゃん''の映画情報解禁が番組内であるって言ってたから!」

「録画してるんだから後で見ればいいじゃん」

 

そうやって冷静に言い放つ凛だった

ただ奈緒は違う違うと顔を横に振る

 

「違うんだよ凛、違うんだよ。最新の情報をいかに早く取得するかが大事なんだよ。あのな、この''新·フルボッコちゃん''は独特の見せ方で有名な監督がリメイクするシリーズで、まさかフルボッコちゃんが題材として選ばれるなんてファンもだれも想像してなくてさ」

「わかった、わかったから。ほら奈緒」

「お、おう。ありがと」

 

早口で色々と説明しようとしている奈緒を遮るように、私たちは奈緒の手を引っ張って階段を上がっていく

このまま放っておいたら奈緒はずっと喋り続ける時があるから···

 

二階のバルコニーに着くと、そこには大きなガラス窓があって滑走路の様子がよく見える

周りにはスタッフの人達なのか、それとも美空さんの知り合いなのか、比較的女の人が多い

 

「やっぱりちょっと思ったんッスけど、大丈夫ッスかね?」

「心配するな、姉さんならやってくれるさ。精一杯のことはやったつもりだ」

 

男の人もいるが、この人達も美空さんの仲間なのだろうか?

だとしたらどこまで人脈があるのか、ここまで人を集めるということは過去にどんな活躍をしたのか、改めて考えてみると気になってくる

普段は面白いお姉さんというイメージだが、一体どういう人物なのか謎は深まるばかりだった

 

「あら、あなたたち」

「早苗さん?」

 

意外な人物の姿があった

他の人達の影に隠れて見えなかったが、その愛らしい小さなシルエットがこちらに向かって歩いてくる

早苗さんの格好を見ると今日はオフだったのか、何だか涼しげな格好だった

 

「おはよう。あなたたち、今日は仕事じゃないの?」

「午後からなんですよ。昨日は奈緒の家に泊まって···それで今日はみんなで応援に行こうかなって言ってて、そしたら奈緒が」

「そこからは言わなくていいだろっ」

 

奈緒に肩を掴まれて遮られる

逆に早苗さんにも質問してみた

 

「私は···そうね、ちょっと···懐かしい気持ちになっちゃってね。久しぶりに、''仕事''の気分に浸るのもいいかなって」

「仕事···?」

 

凛もその言葉に首を傾げていたが、私は滑走路へと目を向けていた

 

番組のセットと撮影スタッフたち

その近くにいるのは、智絵里ちゃんだ

そして智絵里ちゃんのプロデューサー

たくさん有名なスポンサーのロゴが書かれているツナギを来てる男の人は···相手のレーサーだろうか

美空さんたちの姿はまだ見えない

だけど零次さんの車は見えた

その近くのテントの中にみんないるんだろうか

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「いやー、この企画ももう一度できるとは思いませんでしたね。思いの外視聴者からの評判が良くって···」

 

司会者の進行の元、番組が始まった

この広い滑走路の一角に設けられた番組のセットと、そこで動いているカメラマンさんやスタッフさんたち

その後ろで見守っている、プロデューサーさんと···相手側のテレビ局の人たち

 

番組前の打ち合わせでは、車内のレポートターとして美空さんの車の助手席にもテレビ局の人が乗るみたいなんだけど···

美空さん大丈夫かな···

嫌なこと、されなかったらいいんだけど···

 

「というわけで、本日のゲストは346プロダクションから緒方智絵里ちゃんにお越しくださいました。どうでしょう智絵里ちゃん、これから車どうしによるレースが行われますが、智絵里ちゃんは車は好きですか?」

「そう···ですね、私は···車についてそこまで詳しくは···ないんですが、みんなでお出かけしたり、その時にみんなでお喋りしたり···そういった時はとても楽しくて、車でお出かけするのは···好きですね」

「そうですよねー!やっぱりそういう楽しみも車ならではというか、ああいう団らんの場も大事だと思いますよね!それで旅行先の予定も増えたりしますし···」

 

私の返答から、その場の中で会話が繰り広げられていく

さすがプロの司会者だ

話の広げかたのバリエーションが凄い

そこから今回のスポンサーが経営しているリゾートホテルの紹介まで話を進めていくのだからトークとは奥深い、私も勉強しなくては

 

しかし、今日の私は少し違った

さっきからチラチラと目が行くのは、この広い広い滑走路の一部分に左右を分けるように設置された白くて大きい柵

それが一直線に真っ直ぐに並んで置いてあるのだ

 

そこを、私の大事な友人が走る

競争をすると言っていた、しかしどんな風に車を走らせるのか想像がつかなかった

だからこそ、そっちばかりが気になってそわそわしてしまい、収録に中々集中できなかったのだ

カメラマンさんは上手くその様子を抜かないでくれてはいたが···

今日の私はプロとして失格かもしれない

 

「ではでは、今回のメインイベント···その主役たちの準備が···整った···との連絡が入りました!みなさんどうぞ!決戦の場へと移動していただきましょう!」

 

司会の人の言葉に合わせて、私たちは台本に書いてあった通りその場から立ち上がって移動を開始する

 

「いや~、楽しみですねっ!こういうスポーツカーみたいなカッコいい車、私好きなんです~」

「そ、そうですね···、凄く速い車ですし···」

 

相手側のテレビ局から来たタレントの女の子がそう言ってきたので、私も何とか返事を返した

しかしそのタレントの女の子の口振りが、何だかこちらを下に見ているかのような印象だった

勝利を確信しているのか、なんだかこちらの返事をまともに聞いている様子もない

美空さんを信じていないわけではないが、若干不安を覚えながら次の場所へと歩いていく

 

晴れ渡る快晴、時折吹き込む風が心地よく、髪をなぜていく

広々とした空港の真ん中に贅沢に用意されたその場所は、真っ直ぐに伸びているコースから少し後ろ、離れた場所にあった

近くには大きな白いテントが二つ、片方には346プロダクション、もう片方には相手側のテレビ局の名前が張り付けられている

 

「それでは皆さん、どうぞどうぞ。席にお座りください」

 

司会の人に諭されながら、私たちは言われた通りに傍に用意された場所へ座る

簡単なテーブルと椅子、そのテーブルの上には飲み物が用意され、すぐにカメラ、マイクがセットされていった

まわりで動くのはテレビ局のスタッフの人達ばかりで、美空さんや零次さんたちの姿は見えなかった

美空さんたちテントの近くにトラックや零次さんの車があるからここにいるとは思うけど···

 

「では、登場していただきましょう!こちらが!我がテレビ局がご用意した''スーパースポーツカー''でございます!」

 

まわりがざわつき始めると、テレビ局のほうのテントの中からエンジンが掛かる音が聞こえて、ボボボッと低くて大きい音が響いてきた

パサッとテントが開くと、よりその重低音がこの辺りにこだまして、テーブルの上の飲み物の液面が揺れていた

ものすごくスラッとしたボディに、後ろには大きな羽のようなものが付いていて、ドアは片方に一枚ずつしかない

色も赤色で鮮やかで、すごくすごく速そうな車に見えた

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「''スーパースポーツカー''だって、実にインタレスティング」

「80スープラじゃんか。ちょっとイジってあるけど」

 

正面のテントの出口から、シロさんとクロさんがこっそり覗いていた

その時に外からはその車についての解説が途切れ途切れに聞こえてくる

やれこの車の歴史はなんだ、コックピットはなんだ、エンジンの馬力は800馬力だなんだと説明しているが、普通の人にはわからない部類だと思う

 

「800までパワーが出てるなら、中々頑張ってるんじゃない?」

 

運転席に座っている姉さんが、車のインパネに付いているスイッチを触りながら、そう呟く

姉さんは助手席に置いてあるパソコンとにらめっこしていた

 

俺はそんな姉さんを外から運転席の窓越しに眺めている

暑いからと窓を開けていたおかげで中の様子もよく見えたが、確かに白いレーシングスーツをガチガチ着込んでいた姉さんは暑そうだった

 

「それにしても、スーツが着れてよかった。あの頃からあまり体型が変わってないってことよね···もうちょっと痩せてもよかったかも~」

 

なんつって~、とこれからレースをするとは思えない口振りで話す姉さんだった

 

「···姉さん、あまり無茶はしないでください。こんなんやっぱり無茶苦茶です。一方的に相手から言ってきたことです。きっと何か企んでいるに決まってます。今からでも遅くありません、俺が走っても···」

「よしっ、電装系も問題なしと」

「きっとそのほうが」

 

パソコンを持って車から出てきて立ち上がった姉さんは、言葉を遮るように人差し指を俺の唇に当てる

 

「気持ちだけ受けとっておくわレイジ君。そうね、もしかしたら、そうかもしれないわね。普通に考えたら、怪しさ満点だものね。今回のこの場も、スムーズに事が運びすぎてる気がするね」

「だったら」

「だけどそれは''普通''に考えたらね、私はどっちかというと普通ではないことが多かったから~。自分でも自分のことは中々の変態だと思ってるわ。レイジ君に言えないことも色々···きゃっ、言っちゃった」

「···はぁ」

 

心配するだけ無駄だったかもと思い始めたが、姉さんは真面目な顔で続けるのだった

 

「だ·か·ら、もしかしたら、事があり得ない方向に飛んでいって、何とかなるかもしれないじゃない?普通にやってダメなら、あり得ない事をぶつけてみるだけよ。久しぶりに喧嘩を売られたんだから、後輩に任せておくわけにはいかないわ」

 

はい、と姉さんは持っていたパソコンを俺に手渡してきた

 

「そうねぇ~、そこまでレイジ君が言ってくれるなら···今度''ご褒美''をくれてもいいかもしれないわね~。ナニとは言わないけどっ!···まっ、お姉さんに任せておきなさいな!」

 

そう言って俺の肩をトントンと叩いてシロさんとクロさんのほうへと歩いていく姉さんを俺は呆然と見ているのだった

 

これが姉さんが慕われている理由なのだろうか

あの背中を見ていると何が起きても本当に何とかしてくれそうな気がする

俺はパソコンを胸に抱えながら、姉さんの車を一周ぐるっと歩いて、車を改めて見回す

 

あの姉さんをそこまで言わせるお前も中々のもんだ

これまでにどれだけの死線を乗り越えてきたのだろう

今回はお前に頼ることになる、悪いがあいつらを助けてやってほしい

あのクズ野郎どもから···

 

「こんにちは。おやおや、ドライバーさんじゃないか。お呼びしてしまったのだから、一言ご挨拶をとね。くっくっくっ···」

 

噂をすれば

新しいディレクターがテントの裏の入り口から入ってきやがった

 

「···お前」

「ど~も~、こんにちは~。本日はお招きいただきど~も~。美城プロダクションの担当ドライバーの海道っていいます~」

「おお、それはそれはご丁寧に」

 

俺が詰め寄ろうとした瞬間、その間に姉さんが割って入ってきた

口調はいつものように感じるが、その言葉の端々のテンションが低い

日頃の姉さんとはちょっと違う、違和感のある話し方だ

相当抑えてるんだと思う

 

「なんと···ドライバーが女性の方だったとは、しかもこのような美人さんで···」

「お褒めに預かり光栄です~」

 

そのディレクターは姉さんの身体を舐め回すように上から下まで観察していた

類は友を呼ぶというが、やはり···こいつも例外ではない

 

「あんた」

 

俺は姉さんの身体の前に手を差し出してそれを止めさせようとするが、そいつは構わず話を続ける

 

「そうだ、ここに来たのは一つ提案がございまして」

「提案?」

「はい、どうも···私たちとあなた方とは因縁があるようで、どうでしょう?ここは一つ白黒ハッキリつけてみるというのは」

 

くっくっくっと薄気味悪くその男は笑う

 

「ただ競争するだけじゃ面白くない···、だったら、そうですね、お互いの車を賭けるというのは?勝ったほうは相手の車を自分の好きなように出来るとか、乗るなり''壊すなり''くっくっくっ···どうせなら、賭けるのはそっちのお兄さんの車でもいいんですよ?」

「いいぜ、やれるもんならやってみろ」

「レイジ君」

「話のわかるお人だ。もしそちらが勝ったら、私の外車を差し上げますよ。もちろん、勝てればの話ですが···」

 

一瞬姉さんに止められるが、姉さんにやってもらう以上それくらいしなくちゃ釣り合わない

だが、相手は勝てる気満々のようだ

あの新車同然のベンツを賭けるぐらいなんだから

 

「ああ、それと、レースの際はそちらの車にレポーターとして私たちの局のディレクターが同乗することになりましたので、あしからず。ではでは、これ以上邪魔するのも申し訳ない。失礼致しますね」

 

まるで捨て台詞のようにそう言うと、その男は去っていった

それを見ていたシロさんとクロさんも、俺たちの所へと寄ってくる

 

「今''同乗する''って言ったか?つまりはあの元凶の逆ツーブロックハゲ親父がアネキの車に乗るってことか。なるほど」

「リーダー大丈夫?」

「···たぶん」

 

あいつら本気で言ってるのか?

俺はどうなっても知らないぞ

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

出てきた相手側のスポーツカーを整備士の人達が囲んで最後のチェックをしていた

そして車のボンネットが閉じられると、司会の人がマイクを握る

 

「いやー、凄いですね。このマシンに果たして346プロダクションは太刀打ちできるのか!それでは登場していただきましょう、どうぞっ!」

 

司会の人の言葉に、その場のキャストの人達やスタッフの人達が346プロのテントへと目を向ける

私も、美空さんたちの車を見るのは初めてで、少し緊張していた

 

美空さんは大丈夫なのかな?

相手の車は凄く速そうだけど、本当に勝てるのだろうか?

この速そうな車を、スタッフの人達は''マシン''と言っていた

相当の自信があるようだった

 

美空さんたちの登場を、私は固唾を飲んで見守る

 

テントが開いた、いよいよエンジンの音が聞こえてくるのかと思いきや···中からとても静かにゆっくりとその車は現れたのだった

 

「これは···スカイラインですね~。クーペスタイルの···スポーツタイプ。2000年代前半に発売されたモデルです」

 

司会の人の反応もパッとしない

その普段美空さんが乗っている車と同じような色に、同じような前側

ゆっくりと、後ろから零次さんと···美空さんのお友達の女の人、シロさんとクロさんが押してくるのが見えた

 

まわりのキャストやスタッフたちの反応もイマイチで、何だかもう勝負は決まったような雰囲気が漂う

 

が、しかし、その車の後ろ側

全体が見え出した頃に、まわりの人たちも私もざわつき始めたのだった

 

「おっと~···これはこれは···!何というスタイルでしょうか!信じられません!」

 

その姿は異様だった

後ろ側に付いている物凄く太いタイヤ、前側のタイヤに比べるとふた回りくらい大きいのではないのだろうか

まずそれが目に入ってくる

 

それから後ろ側に付いている筈のバンパーが無くなっていて、その車の中の鉄の棒などの部分がむき出しになっており、そこからさらに後ろに長い棒が縦に伸びて地面と接触している

普段私がよく見る車の形とは大分違う、まるでファンタジーの世界の乗り物みたいだった

 

「見事なドラッグカー!これは勝負がわからなくなって参りました···なんと、ドライバーは女性の方です!」

 

車から出てきたのは紛れもなく美空さんだった

白いピチッとしたツナギに身を纏って、腰にヘルメットを抱えて立っている

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

ざわざわっと、空港の二階ロビーがざわつき始めた

それは私たちにもハッキリとわかるレベルで、奈緒もキョロキョロとまわりを見回してその様子を観察していた

 

「···やっぱり、そうだよ。私見たことある、あの格好」

 

そんな中、凛は滑走路に現れた美空さんを見て、顎に手を当てながらそう言うのだった

 

「あら、凛ちゃんに覚えてもらってるなんて、美空姉さんも幸せ者ね」

「早苗さんも、昔から知ってるんですか?美空さんのこと」

「知ってるもなにも、あの人には散っっ々お世話になったわ。主に···このお方々だけど」

 

そう言って早苗さんはまわりで見ていた女性たち

美空さんと同じくらいの年代から年下に見える人まで様々だったが、みんな仕事の合間なのかスーツだったり、どこかの工場のツナギ姿だったりで、色々な職業の人がいるように見えた

 

「あの人がまとめてキッチリ面倒見てくれたから、この子たちも荒れてたのにキチンと就職できて、あの手際の良さといったら···やっぱり世の中やり方なのよね~。普通のやり方ではないんだけど···」

 

うんうんと早苗さんはしみじみとした様子で頷いていた

 

「あ、思い出した」

 

凛が何かを思い付いたかのようにそう言う

ほら、あそこ、と人差し指を立てながら私のほうを見る凛だった

 

「前にサーキットで···レースクイーンの仕事をした時に、そのサーキットのロビーに賞状とかトロフィーが飾ってあったんだけど···その中に沢山女の人達が写ってる写真があって、珍しいなぁって思って何となく覚えてたんだけど···」

「でも···そんなの全然想像つかないぞ?あたしは面白いお姉さんだなぁって思ってたけど」

 

そんな凛と奈緒のやり取りを、早苗さんはクスクス笑いながら見ていた

それは今からやるレースを見ていたらわかるわと早苗さんは滑走路を人差し指で指差す

私たちは言われた通りに行く末を見守ることにした

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「では、いよいよ準備に入ります!それぞれの車の助手席には、レポーターとして我々のスタッフが乗り込ませていただきますので、キャストの皆さんはどうぞ、こちらのモニターをご覧ください」

 

司会者がそう言うと、セットの端に用意されたモニターに、分割画面で色々な映像が映し出される

私の車に、相手の車、このコースを斜め上から全体を映したものに、画面端には二つほど空いている画面がある

恐らくはここに車内の映像が映るのだろう

 

そんな映像たちに智絵里ちゃんを含むキャストの人達は今か今かとレース開始の合図を待っていた

 

「いやいや、今日はよろしくお願いしますよ。まさかこんな美人さんなドライバーだとは、私のほうが緊張してしまいますなぁ。はっはっは」

「···どうも~」

 

ニヤニヤと少しイヤらしい笑いを浮かべながら、歳のいったおじさんが小型カメラを持って私の元へと近づいてきた

平静を装っているが、私の体を上から下まで舐め回すように見てくる視線は嫌というほど感じる

恐らくこの人だろう、カメラを自分で持っているならハッキリ映ることもない

スタッフは全員こいつの味方だ、何をやってもこいつが映されることもない

 

相手側は綺麗な黒髪の長髪、こちらとは違い助手席には女性が座るようだ

 

「両者、ドライバーとカメラマンが揃ったところで対決の説明をさせていただきます。今回はこの目の前に真っ直ぐに伸びている直線を走っての勝負になります。ルールは簡単、この400m先にあるゴールラインを先に通り抜けたほうが勝者となります!ただそれだけの簡単なレースですが、簡単故に奥が深いのがこのレース。簡単なミスが命取り、それだけで勝敗が決定してしまうこともしばしば」

 

今回のレースは直線400m

つまり、ゼロヨンでやり合えと言っている

コースはご丁寧にセンターに相手側に飛び出さないように柵が設けられていて、予算が下りたのか距離を正確に測るドラッグセンサーなんていうお高いものまで設置されている

中々に本格的だった

そしてゴールラインにはタイムが表示される巨大な電光掲示板が見える

 

「では、それぞれ準備をお願いします!レース開始までもう少々お待ちください」

 

私はそれを聞くと、車の運転席へと乗り込んでいく

室内は必要最低限の物だけが揃い、プラスチックのインパネからドアのフィニッシャー、床のマットまで邪魔なものは全て取り外し、至るところが普段は隠されている筈の金属の鉄板が剥き出しだった

後ろの座席もない、あるのは運転席と助手席だけ

後は車が転がってもいいように、車体が潰れないようにするためのロールバーが車内に張り巡らされている

 

「よいしょよいしょ、どっこいしょ。いやいや、凄いですね~、本物レースカーみたいで、感服致しますなぁ~」

「···どうも~」

 

私は精一杯の作り笑いで応える

私はシートベルトを着けようと手を伸ばすが、このおじさんは着け方がわからないとか何とか言って私に着けさせようとする

わざわざ外に降りるわけにもいかず、私はそのおじさんに正面から覆い被さる形でシートベルトを着けてあげていた

 

「いやいや、申し訳ない。いや~、申し訳ないね~、お姉さん」

 

両肩の上から体の前へ通し、両方の脇腹から体の前へ、そして股下から体の前へとベルトを通してあげる

その度に私の手や腕や胸など至るところが触れてしまい、端から見たらイヤらしく抱きあっているように見えてしまう

 

「申し訳ないね~、お姉さん。これで安心だ。いやいや~、ありがとう、''ありがとう''、むふ~」

 

わりかし新しめの車だから遮音性が高く、車内に響くのはベルトをバックルに差し込むカチャカチャした音と、そのおじさんの荒い鼻息だけだった

 

もう我慢できない、加齢臭が漂ってくる

これは確かにこっちから願い下げだ

レイジ君に抱かれたほうが一億倍マシ

 

「お姉さん、どうだい?私、お姉さんのことが気に入ってしまってね。嘘ではないよ、非常に魅力で、それに···素敵だ。いい匂いもするしね」

 

やっとおじさんから離れると、今度はそんな事を言ってくる

私は態度を変えず、そうですか~と一言言うと自分のベルトを締めてヘルメットをかぶり、準備を整える

その時左のほう、隣から相手の車のエンジンが掛かる音が聞こえてきた

そちらに顔を向けてみると、またこのおじさんと目が合う

 

「お姉さんも、そこそこ遊んでる感じかい?それなら···実はね、私もよく''パーティー''を開くんだが、よかったらお姉さんもどうかな?とても面白くて、気分よく···''気持ちよく''なれるんだが、わからなかったら私が案内してあげよう」

 

カメラの録画開始のランプが点いていないところを見ると、オフレコなのをわかっていて私を誘ってきている

ここまで急に誘ってくるとはもう我慢が利かないのだろう

冗談でも何でもなく、本気で私を引き込もうとしているのだろう

 

しかし、私の視線の先はそんな変態親父ではなく、車の外にいる、番組のセットで不安そうに私の事を見ていた智絵里ちゃんに向いていたのだった

偶然を装ってなのか、私の太ももに手を伸ばそうとするおじさん

私はその手を払いのけて、中央のオーディオのインパネに付いているスイッチに手を伸ばした

そこには四つのスイッチが並べて配置してある

 

「あんたにだけは」

 

一番左のカバーを開けて、中にあるスイッチを押す

それから隣の小さなレバー式のスイッチを上に上げ、さらに隣のスイッチも上に上げる

最後に一番右の、泳ぐときに足に付けるフィンのような形の赤いスイッチに指を添えた

 

「''お姉さん''って呼ばれたくないね」

 

そして私は、その''START''と書かれているスイッチを、優しく上に押し上げるのだった

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

まわりのキャストの人達も動き出したので、私も美空さんの車の近くへと歩み寄っていった次の瞬間、美空さんの車からキュルン、キュルキュルキュルキュルという甲高い音が聞こえて、車が左右に振動し始めた

 

「智絵里ちゃん、こっちおいで」

 

驚いて車の後ろで立ち止まっていた私の手を引いて、クロさんがテントの前まで連れていく

 

その時だった

そのキュルキュルキュルという音と入れ替わるように物凄く低い音が聞こえ始め···途端にバンッ!バンバンバンッ!と何かが弾けるような爆音が辺り一帯に響き渡る

あまりのその音の大きさに、私は思わず耳を塞ぐが、それでも音が入ってくる

相手側の車の音が一切聞こえなくなってしまった

 

そんな私の肩にクロさんが耳当てのようなものを当ててくる

私はそれを受け取ると、催促された通りに耳へと当てた

 

『もしもし、聞こえる?』

「はい、聞こえます。あの、す、凄い音···ですね」

 

耳当ての中からクロさんの声がハッキリと聞こえてきた

レース場のような大きな音が響くところでも会話ができるように開発されたものらしい

おかげでこの状況でも会話が出来ている

 

『そうだね、それはよく言われるんだわ。車内にも相当響いてると思うよ。慣れてない人ならそれだけで気分が悪くなっちゃうかも』

「···さまじい爆音です!一体我々は何を目撃しているのか!そして、一体何を見せてくれるのか!両者がスタートラインへと進みます!」

 

あまりの音に司会の人の声も途中で途切れて聞こえてくる

地面が小刻みに振動して、文字通り地の底から響いてくるような轟音だった

飲み物が置いてあるテーブルがガタガタ震えて、今にもテーブルから飲み物が落ちそうになる

車がスタートラインに進む度に、ブォン!ブォン!とエンジンの音が大きくこだまし、私の体の芯から震えて、心臓に響いてくるようだった

 

『さて、バーンナウトだ。面白いもんが見れるよ』

『リーダー!いいねー!今日は思いっきりブンブンしてオッケーよー!』

 

シロさんの声も聞こえてきた

その言葉通りに美空さんの車からブンブンと音がし始めたので、私はただならぬ雰囲気を感じ、胸の前で手をギュッと握って備える

 

「では!審判も揃ったところで最初の見せ場です!みなさん存分に楽しんでください!」

 

審判の人が車と車の間へと歩いてきて、それぞれの車へと合図を送る

すると美空さんの車の音がどんどんと大きくなっていき、外の音がそれ以外一切聞こえなくなった

ババババババッ!と途切れず音がしたと思った次の瞬間だった

 

『いけー!リーダー!!』

 

シロさんの声と共にキュルキュルキュルッ!と音が聞こえてきた

何が起こったのか確認しようとしたが、次から次へと美空さんの車から白煙が巻き起こり、辺り一帯がその煙で支配されていく

 

「ゲホッ!ゲホッ!」

 

私は思わず口元を押さえて咳き込む

その音の迫力と白煙

近くのテーブルの上に置いてあったペットボトルが地面へと落ちた

 

『うひゃー!これだよ!これこれ!燃料が焼ける匂い!リーダー最っっっこーう!燃費なんてクソくらえ!ファックしてやるー!!』

 

なんだか白煙と共に鼻にツンとするような、焦げ臭いともいえない、まるで理科室に置いてある薬品のような匂いもしてくる

 

「こ、こんなに···!ガソリンの匂いがするものなん···ですね···!」

『違うな智絵里ちゃん、ガソリンじゃなくて、混合エタノール』

 

バンッ!バンッ!バンッ!と銃で撃たれた時のような音と共に、白煙の中にオレンジ色の光が一瞬チラついた

煙が段々と晴れていくと、美空さんの車はその場から一歩も動いていなかった

しかしその後ろのタイヤの下には黒い跡がハッキリと残っていて、エンジンが静かに···それでも凄い音だが、さっきとは少し違い今度はゴムの焼ける匂いもしてきた

思わずまた私は咳き込んでしまう

これは一体何をしたのか···

 

「見事なバーンナウト!!マシンのパワーをここぞとばかりに見せつけてくれました!!これは面白いレースになりそうです!」

 

司会の人の声が聞こえてきた

まわりのキャストも驚愕とした表情のまま立ち尽くしている

 

「これは···一体何をしたんですか?何か···意味があるんですか?」

『ああ、これはタイヤをその場でホイルスピン···空転させて無理やりタイヤを温めたんだよ。ゴムも冷たくて固いより、熱くて柔らかいほうがネチャッてなって滑りにくくなるだろ?それで力をしっかり路面に伝えるんだ』

『リーダー最高!イェーイ!!フォー!!』

 

そしてまた車のエンジンの音が響き始める

クロさんが少し構えるように車に目線を向ける

いよいよ始まるのか、私も車たちに目を向けた

しかし、気になるのはカメラ映像が映っているモニターに美空さんの車の車内が映ってないことだった

 

審判の人がコースの上からいなくなるのと同時に、そのコースを左右に分けている柵の上部分、信号機のように縦にいくつも並んでいるランプが点灯する

 

『智絵里ちゃん、見ててみ。一瞬で終わるから』

「や、やっぱり、速いん···ですよね?」

『真っ直ぐ走ることしか考えられてない作りになってるから。この車の後ろにくっついてるウィリーバーも、ドラッグダンパーも、このぶっといタイヤも、真っ直ぐ走ることしか考えてない。完全にぶっとんだ直線番長だな、この状態じゃ子どもが乗る三輪車のほうがよく曲がると思う』

 

ブォン!ブォン!ブォン!とエンジンの音がさらに響く

信号機のランプが消灯して、より音が激しくなっていった

 

「美空さんは···大丈夫なんです···か?」

『逆にアネキじゃないと大丈夫じゃない。アレを操れるのはアネキだけ、だてに普段から重い部品持って鍛えてないから。ちょいとブランクはあるけど···カンは鈍っちゃいないだろう』

『エンジンがパないからねー、3500馬力くらい出てるんじゃないかな、エンジン本体からタービンまでぜーんぶ取っ替えてスピードアップに極振りしてるからね。ほら、リーダーって思い込んだら一直線だから。正直言って他の普通の人から見たらアホだって言われちゃうかもね、こんなおもちゃみたいな車に命掛けるんだし』

 

なんとか馬力っていうのはよくわからないけど、物凄く速い車だっていうのは私にもひしひしと伝わってくる

 

『でもね、そんなリーダーがカッコよかったんだよ。少なくとも、私たちにとっては。絶対に揺るがない芯みたいなのを持っていて、曲がったことが大っ嫌いなリーダーのそんなところに憧れて···ついてきた人達が沢山いたのよ。そして、ひねくれてたどうしようもない私たちを、なんとかして社会で生きていけるようにしてくれたのもあの人。いやー、頭上がんないね、''なんとかするのは私の責任だっ!''なんつってさ。だからみんな''姉さん''なんて呼び方するのかも』

『おい、始まるぞ』

 

信号機のランプが上から順番に点灯していった

司会の人が何か言っているが、もうエンジンの音で何も聞こえない

 

『じゃ、これから時速400kmくらいまで加速していくんだろうけど···リーダーはともかく、心配なことが一つ』

「な、なんでしょう···?」

『横に乗ってるおじさん、普通の人っしょ?まず、まともに息できないと思う』

『死ぬかも』

 

そして信号機のランプが緑に点灯した瞬間だった

轟音、爆音、爆発音と共に車がその場から消えてみるみるうちに小さくなっていった

 

それは本当にもう、文字通り一瞬の出来事だった

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

一瞬の出来事だった

空港の大きなガラス越しから聞こえるほどの轟音と共に、二台の車が一気に右から左へと消えていった

正確には違う、美空さんの車がそれこそ一瞬で相手の車を大きく引き離してぶっ飛んでいった

 

あんなの車のスピードじゃなかった、零次さんのやつよりも何倍も速い

一体何者なんだろう、あのお姉さん

 

「美空さんはレーサーだったんですか?」

「ここじゃなくて、海外でね」

 

凛と早苗さんが話している

早苗さんが自分の携帯の画面を凛に見せていた

 

「そう、これ。私がサーキットで見た写真」

「やっぱりか、これはね、日本での最高速を出した時の記念写真なんだって」

「そうなんだ···でも」

「でも、そんなことしたら有名になるんじゃないんですか?それだったらニュースになるかもだし···相手のテレビ局もこんな勝負しないだろうし···」

 

奈緒が早苗さんにそう言うが、早苗さんはやれやれと首を横に振るのだった

 

「''非公式''ってことにしたんだって、引退するから有名になるのはもうやだって。だからその道の人達からは伝説だけど、その記録の正体を知ってるのはほとんどいないの。でも仲間たちからはこれだけは残そうって言われて写真だけ残したそうよ。ひっそりとね」

「それが···これ」

「そ。女性で''ドラッグライセンス''っていうレーサーの資格を持ってるのも日本で彼女だけ。···これ以上は、あの子が恥ずかしがるから今は止めとくわ」

「じゃあ···早苗さんはそれを知ってて」

「ええ、だから今日のあの人の相手は誰でもよかったの。どうせ追い付けないから」

 

その安心しきった早苗さんの言葉に、いかにあの人が凄い人なのかというのがわかった

これだけのことを早苗さんに言わせるのだ、只者ではない

 

「姉さん···!」

 

隣で見ていた男の人達が騒ぎ始めて走りだし、まわりからもどよめきが聞こえてきた

目線をコースに戻すと、そこにはゴールラインを越えた遥か先で、白煙と共に車がクルクルと駒のように回転し、その場に停止する様子が見えた

ボンネットからも煙が上がっている

 

まだ中からは美空さんたちは出てきていない

何故かモニターにも、美空さんの車の車内の様子だけが映し出されていなかった

 

「!!」

 

奈緒と凛も思わず口元に手を当てる

きっと私も同じことをしているだろう

 

その時だ、撮影用のセット横のテントから、白い荷台のついたトラックと零次さんの車が飛び出して、美空さんの車のあるほうへと向かっていった

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

車に飛び乗って、俺たちは姉さんの元へと向かう

回転しながら白煙の奥に消えていく姉さんの車

その瞬間に、俺たちの脳裏には最悪の事態が浮かんでいた

姉さんが走っていった後を追いかけ、ゴールの''6.7''と書かれた巨大な電光掲示板の下をくぐり抜けて、アクセル全開で姉さんの車の元へ急ぐ

近くに停めて車から飛び出すと、俺たちは一目散に姉さんの車へと掛け寄っていった

ボンネットから煙が立ち上っている車

タイヤの焦げた匂いと、クーラントの焼ける匂い

既に相手側のスープラも近くに到着していて、助手席側から男性を引きずり降ろしていた

 

「リーダー!!大丈夫!?」

「うーん···」

 

運転席のドアを開けると、姉さんは額を手の甲で押さえながら唸っていたが、どうやら命に別状はないようだ

呼吸もしっかりしていて、さっきのスピンで目を回しているだけのようだった

 

「後輩、あっちはどうだ」

 

クロさんもわかっているみたいで、俺に様子を見てくるように言ってくる

助手席側にまわってみると、ちょうどスープラのドライバーの人がその地面の上に横たわっているディレクターのヘルメットを外して、声を掛けているところだった

 

しかしそのディレクターは、ヒューッ、ヒューッ、ヒューッと妙に早いタイミングで呼吸を続けているばかりで、まるで受け答えが出来ていない

丁度その時に、待機していた救急隊員が駆けつけて容態を見る

 

「呼吸あり、過呼吸を起こしている模様です。目は開いていますが···ライトとその光を追っていません。ブラックアウトに近い症状かと思われます」

「ディレクター!」

 

救急隊員の横から、新しいディレクターが話し掛けるが、すでに担架に乗せられて車へと運ばれようとしていた

 

「私が同行します。ディレクターはこのままこの現場での対応をお願いします」

 

スープラの助手席に乗っていたカメラマンの人だろうか

そう言い残してヘルメットを被ったまま救急隊員の人と車に乗り込み走り去っていく

思っていた展開と違ったのか、その場に残された新しいディレクターは膝から地面に崩れ落ちた

 

「後輩、手伝え」

 

クロさんの声が聞こえた

俺は姉さんの車へと戻って、座ってる姉さんの前を横切るように車内に入り込むと、姉さんのシートベルトを外して、バックルを股下へと戻す

とりあえず姉さんを社外に出して車から離すことが最優先だった

 

「レイジくん···に、触られちゃった···えへへ」

「今は黙ってください、よい···しょっと。ゴホッ!ゴホッ!」

 

充満してくる煙に咳き込みながら、姉さんを抱き抱えるように引きずり出す

姉さんを外へと立たせるが、当の本人はフラフラしていて車の屋根に手をついた

 

「やっぱり···ブランクはおっきいわね···。もうちょっと鍛えておけばよかった···」

「リーダーぁぁぁ!よかった本当にぃぃぃ···!」

「そりゃ···そうよ。最低限のことは···守ったもの···。そこはクセが抜けてなくて···よかっ···た」

 

車から離れるように姉さんは歩き出したが、途中で膝を地面につき、倒れ込もうとするが、俺の車から聞こえてくる小さな駆け足の主に助けられ、抱き留められていた

 

「智絵里···ちゃ···」

 

そのまま地面に座り込むと、姉さんは智絵里の太ももを枕にするように横たわった

普段なら泣いて喜ぶようなことなのに、姉さんの様子を見ると相当体調がキツいようだった

その代わり

 

「う···ぐすっ···うぅ···」

 

涙を流していたのは、智絵里だった

 

「うんうん、小さなナイトの登場ね」

 

シロさんが頷いていた

涙を流しながらも、智絵里は姉さんの手をギュッと握って離さない

 

「ありがと···智絵里ちゃん···私が助けてあげるはずだったのに、これじゃあ立場が逆ね···」

「ぐすっ···今度は···私が助けるって···決めてたから···!美空さん···もう無茶しないで···ありがとう···」

 

智絵里の脳裏にも最悪の事態がよぎっていたのだろう

その言葉に、姉さんも手を伸ばして智絵里の頭を撫でていた

 

···さて、姉さんもとりあえず無事だったし、後はやり残したことを実行するまでだ

それに気付いたのか、シロさんが俺と一緒に助手席サイドで項垂れている新しいディレクターの元へと歩いていく

 

「おい」

 

話し掛けてみると、そのディレクターは恐る恐るこちらへと振り向いた

 

「あれ、アンタの車?」

 

そう、そのディレクターは自分の車でここへやって来ていたのだ

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「やめろっ!やめてくれぇぇぇ!!」

 

司会者等、キャストやスタッフ一同に俺たちが交わした約束を説明すると、ノリノリで場所を用意してくれた

パーツが飛び散らないように普段の飛行機の離着陸に影響のない場所へと移動して、準備を始める

 

最も、準備といってもカメラで綺麗に映りやすいところへ車を置いておくだけなんだが

 

「まさかジャパンでお仕事をすることになるとは!いいんだね!?やっちゃうよ私!」

「思いっきりどうぞ。これはもう俺たちの車らしいからどうしようが勝手ですので」

「悪かった!止めてくれ!!これからいい人間になるから!お願いだ頼むぅぅ!」

 

今までのイメージぶち壊しで懇願されていた

そんな制止も聞かず、シロさんは自分の車の中へと入っていった

 

「司会者の方、どうぞ」

「え、あぁ···ゴホン!えー、突然ですが本日のスペシャルイベント!デモリッションダービーを体感してみたいと思います。ドライバーさん、何か意気込みなどは···」

「うぉっほん!大事なのは''お尻''です!」

 

それだけ言い残すと、シロさんは車を走らせて少し距離をとる

そして定位置に着くと、その視線の先には新しいディレクターのキラキラと光っているベンツがあった

 

「ではどうぞ!お願いします!」

「行きますよー!」

 

司会者がそう言うと、シロさんは一気に車をこちらへ走らせてくる

そして途中でその車の向きが180度回転して正反対になり、その車はベンツ目掛けて一目散に駆け抜けてきた

 

「大事なのはー!お·し·りー!!」

 

そのまま車は速度を緩めることなく、リヤから一気にそのベンツへと突っ込むのだった

衝突の瞬間、これまた清々しいほどの破壊音が聞こえてベンツがベンツ''だったもの''へとあっという間に変貌したのだった

 

「あぁ···!いいっ···!このカイカン···ほんっと最高···!一度ピカピカの外車に突っ込んでみたかったんだ···」

「あああぁぁぁぁぁぁぁ!あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

新しいディレクターの断末魔が響き渡り、膝から崩れ落ちていく

これで今日の撮影は終了となった

衝撃で外れたシロさんの車の運転席のドアは''全く気にしないから''と荷台からガムテープを取り出してドアに張り巡らして固定していた

 

もうあのクソディレクターも再起不能だろう

これで、全てが終わればいいんだが

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

例の緒方智絵里のレースから数日後、私は呼び出されて会議室へと足を運んでいた

彼らのおかげで全てが終わったと思った矢先の、予想もしていない出来事だった

私は再三抗議したが、もう上はこの方針で行くようだった

彼らの言い分は間違ってはいない、だが私には納得出来なかった

私にはもう···道は残ってはいなかった

 

「美城専務、よろしいかな?では、賛成多数で決定だ。度重なる問題の発生により、わが社としても広告塔となってくれていたテレビ局との取引中止など、多大な損失を被った責任はアイドル部門と契約を結んでいる青葉自動車が原因と断定された。よって青葉自動車との送迎運転手の契約を、所定の期日までに破棄するものとする」




次回予告
最終章

''水平線''
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