相当専務も参っているようだった
連日この問題に悩まされていたという
出口に向かって歩く姿も元気がない
もうほっといたら倒れそうなレベルだった
「ちょっ、専務大丈夫ですか?」
話し合いが終わり、それぞれが帰る準備を始めると、出ていこうとする専務の様子を見て俺は思わず引き留めて声を掛けた
何だかフラフラしていて、頭に手を当てている様子も見えた
倒れるんじゃないかと思わず腕を掴んで支えたが、専務は''すまない''と弱々しく一言だけ言ってカウンターに手をついて立つ
そんな様子を見ていられなかったのか、ひな先輩も近づいてきて声を掛ける
「専務、最近ちゃんと寝てます?ご飯はしっかり食べてますか?」
「···少し、寝付けなくて···」
その言葉から、最近の専務の生活スタイルが想像できたのか、ひな先輩も頭に手を当てて首を横に振る
眠れないということは、わざと寝ないか脳が寝ようとしていないか
わざと寝ないなんてことはないだろうから理由は後者で間違いない
眠れないほどの悩んでいる案件に、それに伴うストレス、それなら合点がいく
ストレス障害一歩手前といっても過言ではない
真面目な専務のことなら尚更だ
「ですが···自分のことですので、何とかしますから」
「何とかって···、出来てないからこうなっているんじゃないですか?それが既に問題です」
「それは···申し訳ない···」
専務はもう何も言い返せなくなっていて、ひな先輩の目を見れなくなっていた
まるで子どものように言いくるめられて、相当状況はひどいようだった
一体どうしてやったらいいのか、このまま放っておいたらヤバいのは俺にもわかる
「ですが、明日は休日を頂いているので···休む時間はありますから」
「あら、専務さん明日オフなの?」
「はい、今西のほうから···休むように打診されまして。私としては···そんなことをしている暇はないと言ったのですが···」
「絶対休んだほうがいいと思います。私も絶対そうします」
ひな先輩もそれには強く頷いていた
ここまで悩んでいるのだから、一度仕事から離れたほうがいい
普通の生活が送れない程になっている
誰かに話を聞いてもらえる環境なら尚いいが、それなら今日ここに来たことで少しでも気が楽になっている事を願う
「それなら···レイジ君。今日は専務さんに付き合ってあげて」
「俺ですか?」
「そ、こんな状態じゃ一人で帰せないし。専務さんもレイジ君のこと好きに使っていいから。こんな騒ぎになってるなら、きっと送迎の依頼も来ないだろうし」
「ですが···彼も予定があるでしょうし、それに仕事も」
「明日ウチも休みだから、きっと何かの縁ですよ。今夜はもう好き勝手使ってください。専務さんも、もっと相談したいことあるでしょ?」
姉さんもうんうんと頷いて、ひな先輩もそれに合わせるように頷く
専務は申し訳なさそうだったが、そんな様子の中にも今回ばかりは誰かに頼りたいという雰囲気が見え隠れしていてやはり放っておけない
「俺は···全然いいですよ。何かこのまま帰らせたらぶっ倒れそうで俺もなんだか気分悪いし···それに、今度飲みに行こうって言ってましたしね」
「それがいいわ!もうこんな時こそパーッとやって来なさいな!辛いこと何もかも忘れてパーッと!!」
「あんたはいつもやりすぎ」
はははっと笑う姉さんに、釣られてやっと専務は少し笑ったのだった
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「じゃっ、レイジ君専務さんのことお願いね」
「無理して帰ってこなくてもいいから。車だけ駐車場に停めて朝乗って帰るでもいいし」
「どこかネカフェにでも泊まります」
事務所の玄関の前で話し合い、夜の予定を決めていく
どこか、専務の家の近くにでも車を停めてタクシーで飲みにいくのでもいいし、近くに歩いていける店でもいい
専務そっちのけで予定を決めてしまっているがいいのだろうか
何も言い返さないから悪い気がしてくる
「では、北崎君。専務さんをよろしく頼むよ」
「はい、わかりました」
社長にそう言われて、専務も頭を下げる
ひな先輩が最後に事務所の鍵を閉めて、それぞれが帰路につき始めた
桃華のところのSP二人もすでに帰っており、ここに残っているのは俺たちだけになった
「じゃあ···行きましょうか。車まで歩けそうですか?」
「···ああ、それくらいなら問題ない」
こうは言っているが、やっぱり辛そうだ
やはり今日は飲みに行くのをやめて、大人しく家に送り届けるだけでいいのかもしれない
外はもう雨がすっかり上がり、夕日がビルとビルの隙間に沈んでいく
涼しい風が吹いてきて、夏みたいに暑いわけでもなく、冬のように寒いわけでもない
外で食べ歩いたりするには丁度いい季節だが、これは難しそうだった
「専務は···何か好きなお酒はあるんですか?行ってみたい店とかは?結構強いほうなんですか?」
「私は···、飲むと言っても晩酌をしたりはしないんだ。君はまだ経験がないかもしれないが、付き合いでお偉方と飲むことが多くなると、嫌でも飲むことなるから自然と強くなっただけで、楽しんでお酒を飲むなんて···いつからしてないんだかわからない」
「そうなんですか」
スタスタと俺たち二人の歩く音だけが広い駐車場に響く
考えてみたら、こうして専務と二人でいるなんて初めてなんじゃないだろうか
そもそも俺の車に乗るのも初めてな気がする
「さぁ、どうぞ。後ろのほうがゆったりできると思うので」
「すまない、ありがとう」
後ろの扉を開けてあげると···油断していた
少し待ってもらうように専務に言い、あいつらの小物を素早く片付ける
ヘアピンにシュシュにタオル、またヘアピンに···まったく何でこんなにヘアピンが発掘されるんだ
ガチャガチャの空きカプセルを後ろのシート上に押し込み、スイーツの冊子を助手席後ろのシート裏のポケットに適当に入れる
あいつら今度片付けなかったらまとめて捨ててしまおう
「君は随分と···多趣味なんだな」
「違います、これはあいつらの物で勝手に置いていくだけなんです。決して俺の趣味ではないです」
「···重ね重ね、うちの社員が申し訳ない」
専務が悪い訳じゃないと念を押して、後ろの席へと乗り込んでもらう
専務は大人しくシートに座ると、室内を興味深そうに眺め始めた
「すいません。専務がいつも乗っているような高級車ではないので、乗り心地は保障できないです」
「構わない。アイドルたちが普段どのようにしているのか興味があったが···尋ねる機会がなかった。丁度いいタイミングだ」
「古い車ですし···」
「懐かしい、学生時代を思い出す」
座ると少し楽になったのか、その声色が普段に近くなる
やはり今日は休ませたほうがいい
今日は家にいたほうがいいと言って、とりあえず専務の家に向かうことにした
専務に家の場所を教えてもらって、車を走らせる
街灯に光が灯り、駅前や大通りには会社帰りのスーツ姿の人たちで溢れていた
明日が世間的にも休みだからか、複数人で固まっては楽しそうに話ながら飲食店へと入っていく姿を見る
信号で止まると、中には学生たちがカラオケやゲームセンターに出入りしている様子も見えた
一方俺たちはというと···会社を出る時に専務が家の場所を教えてくれたきり、会話がない
専務は黙って外の様子を見ているし、俺も何を話していいのか話題が思い付かない
趣味等プライベートが一切不明なため、どう話題を振っていいものなのかわからないのだ
この車に乗っても文句を言わないあたりはあいつらよりも大人だと思うが···
「···君たちは」
「はい?」
「ああいう風に遊んだりするのか?」
バックミラーで、専務が指差している方向を見てみると、目の前の横断歩道を渡っていった学生たちが近くのゲームセンターに入っていく様子が見えた
専務にはあまりそういう経験がないのか、興味深そうに眺めている
「専務はそういう経験は無いんですか?」
「まったくと言っていいほどない。父の会社を支える存在になるために精進する毎日だった。今にして思えば、それは自分を成長させるという意味では有意義だったが、まわりの景色は文字や数字にまみれていて···灰色だった」
「···そうですか」
専務のように上層部まで上り詰めるエリートは、みんな同じような悩みを抱えているのだろうか
俺やあいつらとは違うベクトルの世界だ
根っから理解するのは相当時間がかかるだろう
専務にはそういった悩みを話せる相手はいるのだろうか
「だが、経験がないからといってその世界を否定するのは間違っている。人を魅了しているからこそ、ここまでの発展と歴史があるのだろう。そういった世界に踏み込む勇気を持つのも、商売を生業とするうえでは重要なことだ」
「そうですか···」
「そこから新たな世界が開くこともある」
物凄い説得力だ
俺も響子を見習ってキチンと自炊を···いや、それは後でゆっくり考えよう
別に商売じゃないし
「···ここは、あいつらにせがまれてよく仕事帰りに寄ったりしますよ。そうですね、紗南はメチャクチャゲームが上手いです。それはもうプロ級でしたね。俺も素人ですが見ていて相当上手なのがわかりました。比較的小さい奴ら···小学生組なんかは今のテクノロジーに慣れているのか、呑み込みが早くてみんなすぐに楽しく遊んでます。俺はもうついていけません」
「そうか···、そうすれば今話題の''ゲーム配信''なんかも検討できる。その動画に広告を載せれば、さらに広いジャンルの人間に宣伝もできる。アイドルも心から仕事を楽しめれば印象も良い。テレビではなく動画だからこそ、その雰囲気は直感的に伝わるだろう」
「ゲーム配信とか見るんですか?」
「会議で議題に上がっていただけだ。最近のニーズに合っていて興味はあったが、私自身はまったくわからない」
やはり専務は''専務''だった
すべてアイドル部門の発展に繋げようとしている
信号が青になって車を走らせると、駅近の飲食店の前を通る
「ここは凛とか加蓮とかがよく待ち合わせに使ってるファストフード店で、主に加蓮がフライドポテトが好きだから、一緒に行ってるみたいです。そこのファミレスは美穂とかあと寮に住んでる奴らもよく使いますし、牛丼屋にはりあむやあきらたちがよく行くみたいで」
「···寮の食事では足りないということではないだろうな?食費をまかなえないほど給料は安くはないと思うのだが···」
「違います違います。あくまでみんなで食べにいくのが楽しいんです。そんなガッツリ食べるわけじゃなくて、軽くスイーツ食べたりとか。まぁ、かな子は例外として···牛丼はりあむが昔から食べていたから食べに行くみたいで、それで''連れ牛丼''するだとかなんとか。ほら、今はSNSがありますから」
「SNSか、なるほど。日常を切り取るだけで話題になるのだから、今の時代は便利になったものだ」
専務にとっては俺がする話が新鮮らしく、その後も通りすぎる飲み屋や駄菓子屋、ホビーショップなど、あいつらがよく行く場所でこれまであったことを話してあげると、熱心に聞いていた
「やはり私より、君のほうが彼女たちについて詳しいようだ。よかったら、もっと教えてほしい」
そんなことを言って、道中専務は俺の話に耳を傾けていたのだった
美城プロの会社であったこと、現場であったこと、今のように車の中であったことなど、話せば話すほど話題が尽きない
逆に俺が愚痴を言っているような感じになっている
しかし掘れば掘るほど出てくる話題に専務は興味があるみたいで、幸いにも話し手と聞き手で利害が一致していた
「···そこだ。そこの左側から駐車場へ入ってくれ」
気がつくと、目的地に到着したのか専務が俺に合図を送ってきた
その区域は文字通り高級住宅街で、高そうな一軒家に高そうな外車、そしてその一軒家たちを取り囲むように、いくつも窓が付いている高層マンション達が天高くそびえ立っている
その中の一つの高層マンションに入っていき、外にでも停めるのかと思いきや、専用のゲートがある地下駐車場へと案内されていった
そこに停まっているのはやはり高級車ばかりで、俺の車が変に浮いてしまう
「君の趣味ではないだろうが、ここは我慢してくれ」
初めて会った時に俺が言ったことを根に持っているのか、専務はどこか嫌みっぽくそう言ってきた
まぁ場所が場所だから俺も文句を言うつもりは全くなかったが、ソワソワするのは本当だ
早いとこ専務を降ろして今日は退散しよう
姉さんたちには専務は本調子じゃないから休ませることにしたと言って、自分の家に帰るのもいい
「そこだ」
「···そこ?」
「そうだ、そこの建物の入り口を過ぎてすぐ。角にあるのが私の駐車場だ」
おかしいな
降りるだけなら入り口の前にでも横付けして降りればいいだけの筈なのに、わざわざ専務の駐車場に停めるだなんて
そもそも、そういえばこの地下駐車場にわざわざ入って来なくても、地上にも入り口があるのだからそこで降りればよかったのではと今更思った
「ここでいいんですか?」
「ああ、ここが私に割り当てられた場所だ。停めていても何も問題はない」
問題はないのはいいけど、降りるだけなのだからここまで律儀にしなくても···
俺は車をしっかり枠内に収めて、サイドブレーキを引いて停まる
が、しかし、専務が一向に降りようとしない
どうしたのだろう、やはり結構体の調子が悪いのだろうか
「···どうしたんだ?」
「いや、どうしたんだって···専務こそ。お家ですよね?」
聞いてみようとしたが、先に専務から尋ねられる
なんだ?何か俺が忘れていることでもあるのだろうか?
高級マンションに車を停めるしきたりとかあるのか?
係員を呼んで車を登録するとか?
「今日は家にいたほうがよいのだろう?あまり期待はしないでくれ、今はお茶くらいしかないかもしれない」
「···それって」
「今夜は付き合ってくれるのではないのか?あまりいいおもてなしは出来ないかもしれないが、ゆっくりしていってくれ」