ヘイ!タクシー!   作:4m

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26 水平線の終わり

「零次···!」

「何故だ···!」

 

ロビーの中で拍手が広がり、まわりでその復活したスカイラインに感心するかのように談笑が広がっている最中、二人を取り巻く空気だけが違っていた

カオルの顔には笑みが浮かび、男の顔はひきつり始めた

 

モニターに映るのは本来の力を取り戻したスカイラインが颯爽とコースの中を駆け抜けて、前の車と差を詰めていく様子だった

まるで翼を与えられたような可憐な姿に、ギャラリーから応援する人も現れ始める

 

最新の車が多い中、ハンデを一切感じさせずそれらをなぎ倒すように唸るスポーツカー

そんな姿に人々が魅了され始めていたのだ

 

「何故だ···一体何が起こっている···。おい君、しっかりと''仕事''は果たしたんだろうな。どうなんだ、このままでは君もただでは済まないぞ。ええ?わかっているのか···!」

「···はい、言われた通りに、言われた仕事を私は果たしたまでです」

「では何故こんな結果になっている···!可能な限り隠密に、車を走行困難にしてリタイアさせろとのご命令だぞ···!」

 

本当は声を荒らげて男は叫びたいのだろう

必死に声を殺し、拳を握り、カオルに対して睨み付けるような視線を送るのだった

 

しかしカオルの目線は、モニターから離れない

 

「わかっているのかと聞いているんだ···!」

 

尚もカオルの目線はモニターから離れない

男がその腕を掴んでも、何の返答もしないままただモニターを見続ける

 

「···!もういい···!もう結構だ···!」

 

男は乱暴にカオルの腕を離すと、懐から携帯を取り出し、ロビーの陰に消えていく

 

その時だ、その男の目に影が差したことに、カオルは気がつかなかった

 

「···私だ、もう後が無くなった。このままでは私たち共々''処分''させられる。どうやら···''最終手段''に出るしかないようだ。···そう、その通りだ···なに、大丈夫だ。こういう場面では···アクシデントは付き物なのだろう?君たちなら上手くやれる。そうだ···あくまでこれはじk」

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

車が暴れる

もっともっと走りたいと叫び続ける

もっともっともっと風を感じさせろとそのボディーを震わせる

そんな1トンを越える''暴れ馬''をたった二本の腕で押さえつけなければならない

アクセルを踏む度にお尻に伝わるタイヤの滑る感覚

正しく路面に伝えられない程に高められたモンスターと呼ぶに相応しいエンジン

誰が何と言おうとも、これをコントロール出きるのは今は自分しかいない

 

零次はシフトレバーを握りしめギアを上げると、車はさらに加速していくのだ

ガタガタと窓が揺れ、まるで自分がその強大なパワーに押し潰されそうになる感覚が、零次に襲いかかってくるのだ

とてつもない負荷が体にかかり、こんなことならもっと体を鍛えておけばよかったと、零次は内心反省していた

 

今にも心がくじけそうになる

 

『レースも中盤を終え、フィニッシュに近づいてきました!依然トップはマクラーレン、続いてS2000、R35 GT-Rと連なっていきます』

 

「あの34···厳しそうだな」

「まぁ···まだチャンスはありそうだけどさ···」

 

実況の声と共に、レースの結末を予想する声がチラホラ観覧席に広がり始める頃

彼女たちは夢中になって観覧席の柵へと詰め寄る

 

「零次さんはどこですの?」

「あ、あそこっ!白い車の後ろ!ホラッ!今みりあの目の前!」

「白い車ったってまわりに白い車だらけじゃないのよ」

 

まわりの予想も気にせず、彼女たちは彼の勝利を信じ、目の前を通り過ぎる度に大きな声を上げて声援を送った

今回もホームストレートの端に零次の車が見えると、手を振って応援を送る

 

「ちょっと李衣菜ちゃんこっちが上にゃ!もう零次さん来ちゃうにゃあ!」

「違うって!こっちが上に決まってるでしょ!」

「はやみんちょっと!ちょっと手伝って!」

「しょうがないわね···」

 

そんな柵に寄りかかっている一つ後ろの席で、みくたちは手作り感満載の長い布のようなものを広げ始めて、それがキチンとコースから見えるように掲げる

 

「はやみんが左で、みくにゃんリーナが真ん中、そして私が右!これで真っ直ぐ!完璧!」

「···って未央!それっ逆じゃん···!」

 

コース上では、先頭集団のすぐ後ろ、どこかのレースチームなのか白で統一されたシビックたちをいかに捌くかホームストレートで零次は格闘していた

ヘルメット内で息が詰まり、自分の荒い吐息が嫌というほどこもって耳に響く

ハンドルを握りしめているレーシンググローブの中も汗だくで、ハンドルを切る度に痛みが走るところをみると、きっと中で手のマメが潰れてる

 

これだけ激しくマシンを振り回したんだ、レースが終わったら手とグローブの中が血だらけなのは覚悟したほうがいいな

そう思いながら零次はハンドルを握りしめた

 

『タイミングはお前にまかせる』

「わかりました。車のほうは大丈夫ですか?」

『心配ない、水温もまだ想定内だ。油温も大丈夫、ブーストも下がってない、多少の無理も今なら大丈夫だ』

「ありがとうございます。油断せずに···」

『それと』

「はい?」

『左上の観覧席だ』

「観覧席?」

 

言われたとおりに観覧席の前を通り過ぎる時に零次はチラッと見てみることにした

するとそこには、何やらはしゃいでいる女の子たちの姿があり、その後ろには垂れ幕に何かが書かれているが···

 

「···逆じゃねーか」

 

ついボソッとヘルメットの中で呟いた

そこには彼に向けてのメッセージなのか···逆さますぎて何と書いてあるのか過ぎ去る一瞬では解読不能だった

 

「待って待って!しぶりんちょっとこっち持ってて!こうすれば真っ直ぐになるから!」

「ちょっ···!未央···!早くしないと···あ」

 

気がつけば零次の車は無情にも、彼女たちの目の前を駆け抜けていってしまう

 

「···こっち見てねーし」

 

やっぱり何だか締まらない

しかし、応援に来てくれただけマシだと零次はハンドルを握りしめ、コーナーに備える

 

「抜きます」

『任せる、無茶はするな。台数的にも一台以上抜けば上出来だ。まだ間に合う』

 

雛子からの無線が切れ、ホームストレートを抜けた最初のコーナーが近づいてきた

目の前に二台、左に一台、まるで零次を取り囲むように走行している

この''魚群''を抜けない限り、前に行くことはできない

 

『コーナーに差し掛かろうとしていますが、GT-Rは苦しい様子。ここを突破できるのか、それともシビック軍団に阻まれるのか、ドライバーの力量が試される瞬間です』

 

実況の言葉に、彼女たちは再びモニターを見る

まだ零次の車は軍団の中だ、コース外に置いてある看板の数字が150、100とコーナーまでの距離を示し始めた

 

「ダーリン頑張って···!」

 

ここまでは軽快にオーバーテイクしてきたが、先頭集団はそうはいかない

こんな状況に慣れ親しんだドライバーばかりだ

チャンスなんて作らせてくれないし、見逃してもくれない

巨大な鉄の塊で牽制するかのように接近し、プレッシャーを掛けてくる

だが、ここで怯んでしまったら相手の思うツボだ

 

『零次、まだだ』

「はい」

 

目の前を走る二台のスピードが緩んできた

もう頭をコーナーに突っ込む準備を始めている

しかし、まだブレーキは踏まないままだ

相手も零次を警戒し、ギリギリまでブレーキを踏まない作戦に出るようだ

 

『チャンスを作れ、零次。相手の想定を越えられれば必ず突破できる』

 

雛子の無線にシフトレバーに手を掛けて、ブレーキに足を移動させる零次

目の前の二台のブレーキランプが光った

 

『ここでシビックが減速!···するが、GT-Rはワンテンポ遅れた!抜けた!GT-Rが抜けた!しかし···!コースアウト···しない!何というブレーキング!この勝負はGT-Rに軍配が上がりました!』

 

零次は一瞬だけ、相手よりもブレーキを遅らせた

その分だけ相手よりも一瞬スピード落とさず走ることができ、その隙に抜き去る技術

しかしそれは確固としたブレーキ性能がなければ諸刃の剣であり、下手をすればそのままコースアウトしてしまうテクニック

 

『よくやった、今回は誉めてやる』

「そりゃあれだけ練習しましたから···」

 

改めてこの車の性能の高さに零次は感心した

ここからは遥か先のR35のGT-Rを追わなければならない

背後に過ぎ去っていくシビックたちを確かに確認すると、零次はアクセルを踏み込んでいく

 

「これは琴歌に感謝しないといけないですね」

『ブレーキだけで200万だからな、終わったら琴歌ちゃんの言うことなんでも聞いてやるんだぞ』

 

何を言われるのかは大体想像がついていた零次だったが、今は考えないことにしたのだった

 

とにかくこれで道が開けた

次はいよいよ先頭集団、まずは35を何とかしなければならない

残りの周回数的に猶予はあまりない

これまで以上に攻めなければならなかった

 

 

「あの人凄いデスね」

「あ、見てよこれ、ほらデレぽが。あきらちゃんホラ凄いこれ」

 

りあむが自分の携帯をあきらに見せる

その画面には次から次へと書き込みがなされていき、残念ながら今日このサーキットへ来られなかった愛梨、きらり、雪美など、年齢問わずに応援のメッセージが届いているのを見て、あきらは改めて零次の信頼の高さに驚いた

 

この場の···この場でないところにいるアイドルたちも、零次の勝利を信じてレースを見守っているのだ

 

『ブレーキングではテクニックを見せつけましたが、多様は厳禁です。スカイラインのその''弱点''が牙を剥き始めるのも時間の問題でしょう』

 

「弱点?弱点なんてあるん?」

「このまえ原田サンが···」

「あの車は重いんだよ」

 

後ろから話しかけられたりあむとあきらが振り返ると、そこにはあかりに案内されてやってきた美世がいた

りあむとあきらと同じように柵に近づいて、レースを観戦し始める

 

「お疲れ様デス」

「うん、ありがと。やっと仕事が終わったからさー。あの34の戦闘シーンを見られないなんて嫌だったから来れて本当よかった。あかりちゃんありがとー、迎えに来てくれなかったら私ちょっと迷ってたかも」

「いえいえ···!それでその···重いっていうのは···」

「あの車はね、35に比べて···あ、来た。んー···最初のコーナーじゃちょっと無理かなー···」

 

ホームストレートに快音が轟き始め、ほんの少し待つとテレビ局のマクラーレン、一般チームのS2000、そして35GT-R、そこから少し遅れて零次のスカイラインが目の前を走っていくのだった

 

「頑張るんごー!!」

「悪くないね、さすが雛子さんたちが手掛けただけはある。あの加速は美空さん譲りかな?」

 

美世の言う通り、ホームストレート端の最初のコーナーでは零次は少し追い付いただけだった

そこを抜けてS字コーナーへと入っていくが、そこでも中々前に出られていない

 

「あわわ···やっぱり前の車速いんじゃんか···!零次さんの古い車じゃあどうしようも···!」

 

頭を抱えるりあむに対して、美世は冷静に観察を始めるのだった

 

「んー、まぁ、普通に考えたらそうなんだけど···でもあの車を組んだのはあの''シルヴィア''さんだから···面白いものが見れるかもね」

「面白いもの?」

 

その言葉にあきらも首を捻る

 

 

「くそっ···やっぱり35速い···バケモンだな···」

 

零次も思わず声が出る

 

名前は同じでもやっぱり新型は新型だった

''スカイライン''という名前を捨て去ったことで専用設計にて開発されたそのボディのスタビリティは中々のものだった

ジリジリと追い詰めてはいるが、決定打を見つけられない

S字を曲がりながら走っている姿一つとっても、全く車体がロールせず左右にブレないその姿勢はさすが日本最速の看板を背負っているだけはある

その自信の表れと言ってもいい進化したエンジンの快音が前から聞こえてきて、後ろの零次を包み込み、黙らせようとしてくる

 

しかし、諦めるわけにはいかない

残りの周回数も少なくなってきた今、踏み込まなければ突破口は開けなかった

 

『零次、その35、次の第三コーナーで脇が甘くなる。抜くならもうそこしかない』

 

確かに、雛子の言う通りだった

この先のヘアピン、そして最終の直角コーナーなどタイトなコーナーでは気を張っているが、緩やかなコーナーでは内側を開けるように走る癖がある

他のコーナーで隙がない分、どこかで気を抜かなければならないのか、抜くならそこしかない

 

『罠の可能性もある。国産でもスーパーカーだ、いくらでもリカバリーが出来るって言いたいのか···』

「ですが、そこしかないなら行きます。もう時間がありません」

『無茶を''しすぎるな''よ。そこまで言うならお前を信じる』

 

零次はアクセルを踏み込んだ

R35のエンジン音が消え失せるほどにエンジンが唸る

目の前に車が迫り、第三コーナーへと突っ込んでいった

 

 

「どう?ひなちゃん」

「私は出来る限りのことはした。後はあいつがモノにするだけ」

 

ピットでは美空、雛子がモニターでその様子を見守る

R34が性能で勝るR35に下剋上を仕掛ける瞬間

誰がどう考えても勝敗は想像がついているはずだが、その場の誰もがその行く末を見守り、その表情に僅かながらの期待が入り交じっていたのだった

 

『二台がコーナーに差し掛かっていきます。おっと···!35GT-Rが内側を開けた!その後ろから34が仕掛ける!インへと切り込む!切り込んでいく!だが!ここが限界か!両者並走状態!その性能差に、34は屈してしまうのか!35は!35は譲らない!その絶対王者は、許してはくれない!』

 

二台が並走し、35が外側を走っているのに頭を出すことができない

その性能の高さから、コンピューターが車体を完全に制御し、アクセルを踏んでもスピンせずに曲がり続け、零次の34を外側から押さえ付ける

信じられないトラクション性能、四輪をそれぞれコントロールし、スピンしないように曲がらせる技術の結晶、トランスアクスル

その壁はとてつもなく高く、抜き去るのは容易ではない

 

だが、今はその壁も越えなければなからなかった

 

「零次、どうした」

『やっぱり···!速いです···!喰おうとしても···!押さえられます!ギリギリで攻めても···!これ以上は···!』

「もっと速い筈だぞ」

 

雛子の言葉に、美空は思わずふふっと笑う

デスクに着いていた男三人組も、思わず雛子に振り向くのだった

 

「踏め」

『本気ですか···!?』

「いいから踏め」

 

『34の···動きが変わりました!えぐるように走っていきますが···!これ以上いけば姿勢が崩れ···ない!崩れない!何というテールスライド!35を牽制しています!頭が前に出る!35が思わず、外側に膨らむ!』

 

零次が言われた通りにアクセルを踏み込むと、車は体勢を維持できず思わずお尻が滑り出し、徐々にハンドルを反対方向へ切り始める

 

『こ、これ以上は···!』

「もっとだ!全開で踏み込め!」

 

雛子を信じ、零次は全開でアクセルを踏み込む

みるみるうちに車体は横へ向いていき、タイヤの焦げた匂いが車内へ充満してくる

もうほぼ車は横を向いていた、しかし全開でエンジンを唸らせてハンドルを曲がる方向とは反対に切る

 

『ああ!っと34がスピン···しない!しないしない!何と!持ち直して35の前に出た!34の勝利だ!信じられません!』

 

会場が一気に沸き上がる

 

もう一回転して止まってもおかしくないのに、零次の車は後ろのタイヤを空転させながらコーナーを曲がりきり、車体を戻して加速していくのだった

 

『34のまさに、こうなることを予期していたかのような車両コントロール!まさにD1の大会を見ているかのような見事なドリフトでした!そして先頭へと加速していく!このレース、一体結末はどうなってしまうのか!』

 

まさかの結果に他のピットにもどよめきが広がる

四駆の車のはずなのにまるでFRのような動きをして駆け抜けたその様が信じられなかったのだ

 

「すご···雛子さんこれどうやったんッスか?」

 

デスクのモニターに表示されている項目の''ATTESA''の制御内容に、男たちは興味心身らしい

 

しかし雛子はそれを''企業秘密だ''と一蹴する

本来ならば車が滑った場合、そのシステムによって''前''と''後''に力を配分して、車の姿勢を元に戻そうと自動で制御するが、今回はアクセルを踏んでもその力全てが''後''のみに配分され、それ以外の信号を全てキャンセルされるようにプログラムされていたのだ

 

その時だけ、後ろのタイヤのみを回す、完全なドリフト専用車になっていた

 

「あいつならそれに気付くかと思ったが···図らずも、センスのみで体が動いてくれてよかった」

「零次先輩凄いね···そんなことどこで覚えたんだろう」

「誰が今まで教えてきたと思ってる」

 

腕を組んでそう言う雛子だった

 

 

「ほんっっとあの人ったら心臓に悪い···」

「奏さん!あれはね、ドリフトっていう技なんだよっ!雛子さんが教えてくれたのっ!」

 

零次の車が横を向いた光景に、事故なんじゃないかとヒヤヒヤして胸を押さえる奏

他にもそういう子がいたようで、柵に寄りかかって脱力している姿も見える

どうやら実況の言葉に最悪の光景を想像したアイドルもいたようだった

 

「零次さん···頑張って···!」

 

だが何はともあれ、後は前を走る二台を追い越せばいいだけ

千枝はモニターから目を離さず、ギュッと手を握りしめてその行く末を見守る

自分たちの為に戦ってくれてるその姿を目に焼き付けようと、モニターを見つめながら千枝は祈る

 

一生懸命隠そうとしていたみたいだが、裏で動いている大人の事情を千枝はうっすらとだが聞いていた

 

自分たちのために戦ってくれている

本人は直接口にはしないが、その不器用な優しさが嬉しかったのだ

 

『レースも終盤に差し掛かっています!S2000が猛攻を仕掛けるがおおっと!!コースアウト!マクラーレンとの差が開く!!グラベルへと突っ込みスピンするS2000!丁度芝生の上で止まった!少々強引にマクラーレンがカットしたように見えましたが···!ペナルティは!?』

 

そのモニターに映った映像と実況の言葉にハッとなり、嫌な意味で高鳴る心臓の鼓動がその握りしめた手に伝わってくるのを千枝は感じていた

まわりで見ていた未央も凛も、その光景に口元に手を当てて''ヒッ''と息を飲む

砂ぼこりを激しく撒き散らしたものの、実況の言った通りそのスピンした車はコース外で止まっただけで事なきを得たが、誰もが悲惨な状況が一度は頭をよぎった

 

そう、それは考えられる可能性の一つ

決して他人事ではない、起こりうるかもしれない未来の一つだった

 

「ダーリンなら大丈夫だよ千枝ちゃん」

「で、でも···」

 

そんな不安を書き消すように、零次の車が轟音と共に千枝の目の前を通りすぎていく

 

いつもそうだ

いつも悩んでいたりすると、それを吹き飛ばしてくれるような、そんな存在だった

千枝は過ぎ去っていったエンジンの音に、再び希望を託す

勝利を勝ち取ってくれると信じて

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「···後はお前だけか」

 

誰もが一度は憧れるスーパーカー、その流線型のフォルムはまさに走るために生まれた存在そのものだった

獲物を狩る狩人、鋭く尖ったノーズに、獲物を捉えるような鋭い形のヘッドランプ

だが今は、その立場は真逆だった

 

『最終ラップに入っていきます!泣いても笑ってもこれで最後!勝利の女神はどちらに微笑むのか!勝つのは当たり前といわんばかりの世界のスーパーカーか!はたまた意地を見せつけ勝利をもぎ取ろうと粘る日本の''スーパーカー''か!意地と意地のぶつかり合い、ハンドルとアクセルに力が入る!』

 

このストレートも、このコーナーも、これで最後

そして相手のケツを見るのもこれで最後

俺はアクセルを踏み込んでいく

 

ハンドル、シート、シフトレバー、ペダル

触れている全てがまるで自分の体の一部のような、そんな感覚が零次を包み込んでいく

 

『零次、お前に全てを託す。抜かすも何するも、お前の自由だ。お前ならやれる』

『零次先輩!!行くッス!!ここまで来れたんだから俺はもう何も文句はないッス!!』

 

それだけじゃダメなんだ

俺は行かなきゃならないんだ

あいつの先に、その先を勝ち取らないとダメなんだ

 

ホームストレートを走る度に、あいつらの顔が見えるんだ

 

何でだ、何でそんな顔をするんだ

今だけじゃない、ここ最近だって、何だってそんな顔をするんだ

こんな、本来ならお前たちに関係ないただのドライバーなのに、お前たちなんていつもみたいにヘラヘラ笑ってればいいんだ

 

笑顔にするのが仕事なのに、お前たちがそんな顔をしてどうするんだ

めんどくさいことなんて俺たち大人に押し付けて、お前たちは笑っていてくれてればそれでいいんだ

 

その元凶であるこいつを、今から俺が食い付くしてやる

 

『GT-Rが仕掛ける!マクラーレンが、マクラーレンがたじろぐ!!インに入る!インに入る!!GT-Rがその頭角を!日本は俺の故郷だと!GT-Rが!GT-R···が!?』

 

その時だった

その違和感、その最低限引いているはずのマージンに侵入してくる感覚

慌てて俺はハンドルを切って離れようと車を外側に振ると、左側のタイヤがコース外側のグラベルを捉える

背後に砂ぼこりとちぎれた芝生が舞い上がっていくのがバックミラーで見え、その隙にマクラーレンに先頭を再び許してしまった

何とか車をコース上へ戻すと、また再びケツを追いかける

 

『また強引な幅寄せ!!ペナルティは···!なし!ペナルティはなし!今回はGT-R、マクラーレン共々順位に変更はなし!!しかし今のは一歩間違えば···』

『おい!危ないだろ!何考えてんだ!!うちのドライバーが危うく···!』

 

無線の先からひな先輩の怒鳴り声が聞こえてきた

その向こうからは相手側の声なのか、なんの悪びれる様子もない返答が返ってきて、誰かが壁か机を叩く音が聞こえてきた

 

『···レイジ君』

「姉さん」

 

冷静な声が聞こえてきた

修羅場には慣れているのか、後ろでざわざわしている中、姉さんは落ち着いて語りかけてきた

 

『いい?言ったとおり''それ''は、最後のホームストレートでも追い抜けなかった時に使ってね』

「これ本当に何なんですか?」

『いいからっ。レイジ君ならきっと使いこなせる。大丈夫、頑張って』

 

事前にも知らされていたその機能

ハンドルの左下辺りにある、昔のサイドレバーのような形をした奇妙なレバー

これをその瞬間がきた時に思いっきり引き抜けと姉さんは俺に言ったのだった

 

『またGT-Rが仕掛ける!ここを逃したら今度は最終コーナーしか無くなってしまう!GT-Rが仕掛ける!GT-Rが仕掛けた!!』

 

だがそれまでは俺はやるべきことをやるだけだ

俺はまた切り込んでいく、ここでビビッて引いたらもうチャンスはない

ハンドルを切り込んでインに入ろうとした

 

すると···相手は驚くほどあっさりその場所を譲った

簡単に前に頭が出ていく、こんな簡単に終わっていいのかと思った次の瞬間、後ろから衝撃が走った

 

『接触ー!接触だー!マクラーレンが後ろからGT-Rに接触ー!!そのテールランプが粉々に散らばっていく!!これは悪手!対応が求められます!』

『お前らなぁ!!どういう神経してるんだ!!』

 

姉さんの無線からひな先輩の声が聞こえるあたり、姉さんが何とか抑えてくれているんだと思う

三バカの三人組の声も聞こえない

必死に今は耐え忍んで、後で爆発しないことを祈るだけだ

 

「···くっそ!」

 

ズレた体をシートに押し付けて、ハンドルに力を入れる

幸いトランク部分がやられただけで車は走れる、リヤの駆動系もやられてない

そしてそのまま最終コーナーを駆け抜けて、ホームストレートへと出た

 

『最終ストレート!!マクラーレンとGT-Rが並ぶ!!どっちだ!どっちなんだ!頂点に輝くのはどちらの''スーパーカー''だ!!』

 

右にはあの忌々しいテレビ局のステッカーがデカデカと貼ってある金を積んで手に入れたであろうスーパーカー

そんな車と俺の···俺の親父の宝物である旧車がしのぎを削っていた

 

ここまで体を張ってくれたんだ

その期待に応えなくてはならない

 

『零次!!もういい行くんだ!!アクセルを踏め!!』

『零次先輩行くッス!!やっぱり俺勝ちたいッスー!!』

『レイジ君、前を見て。そこにあなたの欲しいものがある』

 

目の前に見えるのは、ゴール横で振っているチェッカーフラッグと、観覧席から俺に向かって大手を振っているあいつら

 

こんな遠くからでも見分けられるようになっちまった

 

『姉さん、ひな先輩。ありがとうございます』

『レイジ君、行っていいのよ。行きなさい』

 

様々な思い出がよみがえってくる

初めて会ったときのこと、会社に入ったときのこと

そして···あいつらに会ったこと

 

俺はハンドルの左下にあるレバーに手を伸ばした

それを言われた通りに、力を入れて一気に引き抜いた

 

するとその瞬間だ、一気にメーター内のタコメーターの針が振り切り、限界まで踏んでいた筈のアクセルペダルがさらに奥まで押し込まれ、一気にスピードが上がっていく

 

『GT-Rが加速!マクラーレンは抑え込もうとするがもう間に合わない!GT-Rが、フィニッシュラインへ向けて猛烈に加速していくー!!』

 

とてつもない加速感

俺は車を抑えるのに必死だった

目に入ってきたのは、みるみるうちに上がっていく水温計の温度と、スピード

スピードメーターの針が、センサーが速度を検出しきれず、一気に針がゼロへと戻った

 

そして···

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

『ゴール!!優勝したのはなんと!!34GT-R!!最新の車たちをものともせずに、その勝利を勝ち取ったー!!』

 

その実況の言葉に場内が沸いた

それはアイドルたちも例外ではなく、心の底から叫び勝利を喜ぶ

奏も、悠貴も、悲鳴にも似た声を上げて互いに抱き合い、まわりのアイドルたちと手を組んで目尻に涙を浮かべていた

 

「千枝聞いてるの!?勝ったのよ!あのお子ちゃまドライバーが勝ったのよ!!やったのよ!!もうたくさん手伝った恩返しをしてもらわないと!何してもらおうかしら!!アッハッハ!!」

 

千枝は未だ呆然としていた

取り出した携帯のデレぽにも、次々とお祝いのコメントが届いてとんでもないことになっている

 

零次が勝った、勝ったんだ

その現実に、これからも一緒にいられるその未来に、千枝の口元にも笑みが浮かんできた

一生懸命みんなで作り上げた車、それが勝利を飾り、成し遂げた感覚

それらが自分からも、まわりのアイドルからも伝わってきて、喜びを分かち合う

ピットからも拍手が聞こえてきて、雛子や美空も両手を上空に上げるのだった

 

みんなみんな喜んでいる

 

『次々に、このレースを共に戦い抜いた仲間たちがフィニッシュラインを越えていきます!戦いが終わればそれはもう敵ではなく···』

 

その時、その場違いの''異音''が聞こえたことに誰もが気づいた

観覧席の少し先、コース脇のフェンスの外側からだった

悲鳴、そして何かが転がる音

千枝たちがその音に気付き見つめると、その黒くて細長いパーツがフェンスに当たって跳ね返り、コース外のグラベルに激しく転がるのが見えた

とても見覚えのあるパーツだ

車のトランクに付く羽部分

 

『止まらない止まらない!GT-Rが止まらない!おっとスピン!体勢が崩れたか激しくスピン!!回転しながら最初のコーナーのグラベルへと突っ込む!!土埃が巻き上がっています!!』

 

タイヤは完全に停止しているのに車が止まらない

激しい回転、スリップするスキール音

巻き上がる土埃

そして聞こえてきてしまったのは、その音

 

ドンッ!!、ドドドッバンバンッ!ガシャッ!!

 

誰が聞いてもわかる、金属の何かが激しくぶつかり潰れるような音

土埃が晴れないうちに、今度は聞き覚えのある音がピットのほうから聞こえてくる

回る赤い赤色灯に、赤いラインの入った車が一気にその場に走っていく

 

『これは···なんということでしょうか···ドライバーの安否が気になるところですが···』

 

まわりの空気が一変する

誰もかれもが柵に寄り、その行く末を見守っている

 

「···ねぇ、ダーリンは···?」

 

その声に、誰も何も返せなかった

その代わりに聞こえてきたのは

 

『おっと!煙が上がっています!激しく炎が上がる車!緊急活動が優先されます!ドライバーの皆さんは速度を落として··』

 

それは、誰かが願ったことなのか

 

「お願いだよ···もうやめて···みりあこんなの嫌···」

 

それとも、こうなる運命だったのか

 

世界は許さないのか、争いの''原因''を取り除く、世界はその選択肢を選んだのだろうか

 

元に戻る、元へ戻す、みんながハッピー

 

この世界を作った神様が、そう望んだのだろうか

 

「零次さん」

「···千枝、待ちなさい」

「零次さん、零次さん零次さん零次さん、零次さん···」

「千枝···!」

「だって、零次さn」

 

激しい爆発音がした

消防車が駆けつけて、消火を始めようと準備する叫び声と、サイレンの音がサーキットにこだまする

 

上空へと吹き出す黒煙

それが遥か高く舞い上がるか消えるかという瞬間に、その声は聞こえ始めるのだ

 

「お願いやめて···」

 

あるものは顔を覆って、あるものは柵を血が出るほどに握りしめて、あるものはうなだれて

あるものは、あるものは、あるものは、それぞれが違う行動を取るが

 

それぞれにして共通なのは、その口から出た叫び声だった

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