エレベーターに乗って、目的の階層を目指す
零次さんのアパートとは違って、そこはとても高そうなマンションだった
入り口も部屋番号を端末で打ち込み、入居者がロックを解除しないと正面入り口の自動ドアが開かない仕組みになっていて、聞いていた部屋番号を打ち込んで自動ドアが開いたあたり、本人は部屋にいる
しかし、全く返答がなかったのが心配だった
それに入り口の郵便受けを見てみると、その投函口までチラシや小冊子などの郵便物の束がはみ出していた
本人の生活がどうなっているのか心配だった
エレベーターが上っていく間に、私は覚悟を決める
エレベーターの扉が開くと、その廊下はやはり高そうな造りになっていて、大理石なのか白くてキラキラしてみえる床に、落ち着く淡い天井のライト
それらが続く一直線の廊下の一番奥、そこに唯さんのお部屋があった
自分の足音しかしない静かな廊下を進んでいって、その扉の前に立った
高そうなお部屋だ、液晶とカメラ付きのインターホンのボタンを押して唯さんが出てくるのを待つ
「こんにちは、千枝です。唯さん、いますか?」
そう言っても、聞こえるのは自分の声だけで、唯さんの声はおろかインターホンのスピーカーが動く音すらしなかった
「唯さん」
もう一度インターホンを押して呼び掛けてみるが、全く反応がない
本当に本人が中にいるのかもわからなかった
もしやと思い、その玄関の扉の取っ手に手を掛けてみると、なんと取っ手が動きドアが開いたのだった
なんと無用心なのだろうと思ったが、私は本人が心配になり中へ入っていく
「唯さーん···」
玄関の中は電気一つ点いておらず、開いた玄関の扉から入ってくる光で何とか中が確認できるくらいに暗く、静まり返っていた
足元も暗くて何も見えない、私は返事がない中、ゆっくりと中へと入っていって扉を閉めた
「お邪魔しまーす···」
やはり返答がない
廊下の電気のスイッチがわからなかったので携帯のライトで照らしてみると、その部屋の実態が明らかになった
「ゆ、唯さん···」
廊下の端を埋め尽くす何かの山、その中央は何とか人が一人歩けるくらいのスペースしかなく、それが廊下の奥のおそらくリビングへと通じる扉へと繋がっていた
「い、居るんですよね?唯さーん···」
靴を脱いで廊下に上がり、ゆっくりとその道を歩いていく
玄関にあった唯さんの靴が動いていないあたり、ずっとここに閉じ籠ったままなのだろう
端に山積みになっていたのはどうやら衣類のようだった
廊下にある扉、おそらくはお風呂も兼ねた洗面所なのだろうがそこは特に山の積もり具合が酷かった
もしかして、一回着ただけで洗濯せず全部ここに置いているのか?
ガチャッとリビングへ通じている扉のドアノブに手を掛けて、ゆっくりと開き中の様子を確認していく
「唯さん···んっ」
思わず自分の鼻を押さえる
まず見えたのはリビングの中央にあるテーブルに山積みになったビニール袋とレシートの束
続けてそれが原因で発生しているであろう匂いが私を襲う
今は携帯で注文すれば自宅に簡単にデリバリーが出来る時代、様々なロゴマークが描かれたビニール袋があった
一体何を食べているのか、だがこれは一人の人間がまともに生活してると思える状態ではない
「唯さん···唯さーん?」
足元にも様々ものが転がっていた
空のペットボトル、ドライヤー、ヘアアイロン、チラシに雑誌、あれだけキラキラしていた唯さんからは想像もつかない環境だった
とりあえず電気を点けなければいけない
カーテンは閉め切られ、日の光が全く入らないのだ
足元に注意しながら歩いていくと、そのリビングの陰にモゾモゾと動く何かがあった
タオルケットのようなものが覆い被さっており、何なのかわからない
人一人くらいの大きさだった
「電気電気···」
携帯のライトだけでは埒があかない
リビングの扉まで戻ると、壁際にスイッチを見つけた
一ヶ所で管理出来るようになっているのか、様々なスイッチが集合していてどれを押せばいいのかわからない
とりあえず適当に押してみると廊下の電気が点いた
改めてその廊下の現状が見えたが、リビングの有り様といい勝負だった
「ってことは···これ、かな?」
そのスイッチを押してみると、やっと部屋の中がよく見えるようになった
しかしそこに広がっていたのは、それはそれは酷い有り様だった
リビングは廊下同様人が一人移動できるかできないかといったくらいのスペースしかなく、リビングに隣接している部屋のドアは開きっぱなしで、見るところその部屋たちもリビングと同じ様に物が散乱しているような状態だった
キッチンから何から何までゴミ袋のようなものが置かれ、次から次へと物を突っ込むような形で放置されており、分別もなにもあったものではなかった
ゴミ箱は既にいっぱいで機能を果たしていなかった
「あの···唯さん···ですよね?」
まず私は気になっていたそのモゾモゾと動くタオルケットを被る何かに近づき、そっとそのタオルケットを剥がす
するとそこには
「ゆ、唯さん···」
髪はいつもの可愛いヘアバンドもなくボサボサ、肌は潤いがなくザラザラで、着ている服はいつから着ていたのか汚れと匂いが目立ち、そんなことを気にすることなくうつむく唯さんが一度顔を上げると、その目元は真っ赤に腫れ上がっていてとてもアイドルと呼べるような感じではなくなってしまっていたのだった
「···何しにきたの」
「な、何しにって···」
声も抑揚がなく、私のことを鋭く睨んでくる
もうしばらく人と話してないのか、掠れ声なのが痛ましかった
こんな状態ではとても歌なんて歌えない
「その···心配でしたし、みんなも···心配していたから···」
「それもう何回も聞いた。家にも来るし、電話も鳴るし、トークも来るし、ほっといてっていってるのに···他の人にもそう伝えておいて」
「で···でも···」
「今、人に会いたくないの」
再びうつむいてしまう唯さん
その姿から何も言われなくても''帰ってくれ''と言われているのが伝わってくる
でも、私は帰るわけにはいかなかった
今回はただ連れ戻しにきたのではない、彼の言葉をみんなに伝えなければならない
この状況を打開できるのは、やはり''彼''しかいない
こんな状況になっても、彼は助けようとしてくれるのか
しばらく動けなかったが、私は彼女に伝えようと口を開く
「···あの、唯さn」
腹部に何かが当たり、それが床に落ちてカラカラと転がる
中身の入ってないペットボトルが転がるのが見えた
明確な拒絶、唯さんは更に私を睨み付ける
「帰ってって言ってるでしょ」
自分に対してこんな感情を向けられたことも、こんなことを言われたのは生まれて初めてで、恐くて震えてしまう
でも···でもダメだ、立ち向かわなくてはいけない
零次さんが命を掛けて私たちを救おうとしてくれたように、ここで逃げてはいけない
頼ってばかりではいけない、今度は私が助けてあげなくてはならない
そうでなければ零次さんの背中から何を学んだというのか
「···もう三ヶ月ですよ」
「···は?」
「あれからもう、三ヶ月経つんです。今の唯さんの姿を見たら、零次さんもきっとガッカリすると思います」
「···何も知らない癖に!」
唯さんがタオルケットを放り投げて立ち上がり、私に詰め寄ってきた
「唯のせいなんだよ!唯のせいであんな···!あんなっ···!あんなぁ···!」
「唯さんのせいじゃないって、美空さんもひなさんも言ってます。きっと零次さんもそう言うと思います」
「そんなことない!きっとそう思ってる!ダーリンもそう!唯のことなんてもう大っ嫌いに決まってるっ!!それにダーリンだって今···あぁ···あぁぁぁ···!」
膝から崩れ落ちて、私の体にしがみつき泣きじゃくる唯さんだった
レースの後落ち着いた頃に美空さんからみんなに伝えられたのは、あの時の状況だった
ゴールした後に外れたあの車のパーツ、車のトランクに付けられていたウィングというパーツらしいが、それが外れたことで空気の流れが乱れて車がバランスを崩し、ブレーキを踏んだが間に合わず壁に激突···ということだそうだ
そのパーツを車に付ける時に手伝っていたのが、唯さんだった
その事故の状況を聞いた瞬間から唯さんの様子がおかしくなり、次の日にはこの有り様だったとプロデューサーは言っていた
だがその事故の話にはまだ続きがあり、外れたといってもレース前の点検では固定は完璧で、直接の原因は零次さんの車が後ろからぶつけられたことでその固定が外れ、走っているときの空気の力で飛んでいってしまったことだという
そもそも唯さんが手伝ったといっても、唯さんに限らずさまざまなパーツを直接付けたのは零次さんたちで、美空さんは''何もあなたたちは悪いことはしていない''と、忙しい中手伝ってくれただけとても感謝していると言ってくれた
それを伝えようとしたが唯さんは既に塞ぎ込んでいて、他のアイドルたちも···相当ショックだったのだろう
中々聞く耳を持ってくれなかったと、アイドルの子たちもプロデューサーさんたちも言っていた
「だから帰ってよ···唯のことは放っておいて。誰も唯に会いたくないだろうし、唯も会いたくない」
「ダメです」
私はしゃがみこんで、自分のバッグから手紙を取り出して唯さんに渡す
「それじゃあダメなんです。私たちがこうしていることを零次さんは望んでいません。零次さんもそう言ってるんです。だから私はここに来たんですよ」
「···これは?」
「読んでみてください。今度は私たちが零次さんを助ける番なんです」
零次の手紙、ヒント1
''手紙の始まり''を見つけるのは意外と簡単かもしれません