「私、そろそろ寝るわ」
「うん。おやすみー、ひなちゃん」
下の奥、私の作業場のソファーに座っていたひなちゃんが立ち上がって、その前にあるテーブルの上を片付け始めた
時計の針がもう、日付けの変わる一時間前と丁度いい時間を指していて、私ももう、もう少し作業をして上がろうかと思っていたところだった
「ああ、いいよひなちゃん。私が片付けておくから」
「···ホントに?」
「ホントにホント。あ、その最後の一切れは食べちゃってもいいよ」
私が丸椅子に座りながら回転してそちらを向くと、そのテーブルの上に残っている料理を指差した
その上には他にもビールの空き缶や買ってきたお総菜の残骸、そしてまたビールの空き缶と···意外と遠くから見ると散らかってるなぁ
ま、後で片付けるから、後で
「···もう食べる気にならない。太るし」
「ひなちゃん細いからもっと食べないと!久しぶりじゃん、ピザ買ってきて食べるなんてっ。それ置いといていーよ!」
そうは言ったが、ひなちゃんはその現状がやはり気になるのか小さな取り皿にピザを一切れ移すと、その買ってきて広げたままのピザの空き箱を綺麗に切り刻み、ゴミ箱へと捨てたのだった
''いいって言ったのにー''と伝えたが、忘れたら朝酷い匂いだからと一蹴されてしまった
これに関してはまだ信頼はないみたい
ま、その座ってたソファーも私の脱いだ服で最初埋まってたから無理もないかっ!
「じゃあ、ちゃんと片付けるんだよ」
「うん!わかってるわかってる!ちょっとは信頼してよー」
と言いつつ作業へ戻っていくと、ひなちゃんは''まったく···''と悪態をつきながら自分のカーディガンを胸に抱えて螺旋階段へと向かっていくのだった
「さてとっ」
まぁ、明日は休みだし最悪朝にゆっくり片付けても···ダメダメ、ダメね、だからひなちゃんに怒られちゃうんだわ
私は作業を一旦中断して、テーブルの上を片付けることにした
作業台のライトを消して、テーブルの上の天井に吊り下がっているライトのスイッチを点ける
「空き缶は···う~んと、ゴミ袋どこだっけ···っていうか、どのゴミ袋使うんだったっけ?地域指定のやつだったっけ···それとも普通の透明なやつ···?」
壁際のプラスチックの棚には生活用品が入っていてゴミ袋もあるのだが、いつもひなちゃんがやってくれてたから···
前にひなちゃんが入院してたときは事前に説明してくれたからよかったけど忘れちゃった···
なんか私、全然家事を手伝わないお父さんみたいになってる
「···レイジ君も、全然起きないしなぁ···」
レイジ君に聞いたらわかるかもだけど、ずっと寝坊助のまんま
あれからずっと、目を覚まさない
あの中で助かったのは奇跡だった
耐火スーツのおかげで車から火は上がったものの、早急に車から引きずり出されたおかげもあり全身やけどは免れた
体の骨はあちらこちら折れていたものの、これからの日常生活に支障をきたすものではなく、既に手術は完了していて完治していてもおかしくない時期になっている
唯一戻らないのが、意識だけだったのだ
お医者さんが言うには、これはいくら私たちが言っても本人次第で、それが明日なのか10年後なのかはわからないという
私たちに出来ることは、側で声を掛けてあげることらしい
きっとそれは耳を通して本人に届くとのことで、あれから毎日誰かしらがレイジ君の病室を訪れて、彼に語り掛けてくれていた
本当にいい仲間を持ったねレイジ君、あの時とは大違い
あんな可愛いアイドル達に好かれてるなんて、よっぽど気に入られたのね
「空き缶は透明なやつねー、壁際の棚の一番下に入ってるからー」
「わかった~、ありがと~」
私のことはやはりお見通しなのか、上からひなちゃんのそんな声がしていた
レイジ君が今ああなってしまっている以上、私がやらないとね
言われた通りの場所を探していると···ふと、正面のシャッターが目に入った
気のせいかもしれない、今何かがシャッターの前で動いた気がしたのだ
「···疲れてるのかしら」
作業場で使っていたライトの残像でもチラついたのかもしれない
気にすることなく片付けを続けていると、やはりシャッターの前で何かが動くような影が見えた
「んんん?」
さすがに私も気になり、手を止めてシャッターへ近づいていくと、やはり外で何かが動いている
もしかしてアイドルの誰かかしら、でもこんな夜遅くに?
女の子が一人で出歩くには危ない時間帯だ
私はシャッター横の扉の窓から外を覗いてみると···いた
外の照明に照らされて、人が一人立っているのが見えた
アイドルの誰かではなさそうだ、だがその姿に見覚えがある
私はゆっくりとその扉を開けた
「あらあら、こんばんは」
「どうも···ご無沙汰してます。美空さん」
その整った綺麗な顔立ちと、綺麗な長い髪、そして綺麗な声
私が見間違えるはずのない人物が、そこに立っていたのだった
「そろそろ来る頃だと思っていたわ。こうして会うのは久しぶりね、カオルちゃん」
「はい、この前は突然連絡してすみません。美空さんが''あの車''を出すだなんて思っていませんでしたから。それに···」
「まぁまぁ、積もる話は中に入って話しましょ。外は寒いしね、入って入って」
「え、でもいいんですか?こんな夜遅いのに···。私、来るのもちょっと考えたんですが···どうしても気になって···いるかどうかだけって」
「いいのいいのどうせ暇だし。このまま帰す方が心配よ、ホラホラ」
私は扉から半歩引くと、その人物を招き入れるように扉をあける
「お、お邪魔します···」
「どうぞどうぞ~」
するとカオルちゃんは申し訳なさそうに入ってくると、このガレージの中をまじまじと見渡していた
「あんまりジロジロ見ないでね~、ちょっと···散らかってるところだから~」
「ああ、すみません。あの頃と···変わらないなぁって思って」
「人間があまり変化無いからね~、無駄に歳だけ重ねてるようなもんだから」
私はカオルちゃんを下の奥へと案内し···ようとしたが、テーブルの上がいかんせんあの有り様だ
「ごめんね!、すぐ片付けるから!」
「いえいえ。ふふふっ、何だか懐かしいですね」
その様子を見て笑うカオルちゃん
何だか恥ずかしいやらホッとするやら、そんな中私は急いでテーブルの上の物を片付けていく
やっとのこと比較的マシな部類になるまで片付くと、ソファーに座るように案内できたのだった
日頃から片付ける癖をつけるようにしよう
本人は気付いているかわからないが、カオルちゃんの座っている隣にあるクッションの下に私のTシャツが一枚見えた
「さてと···ごめんね~、さっきビールは飲んじゃったから···あ、ジュースしかなくて~」
「いえいえおかまいなく、私は何でもいいので···」
冷蔵庫を開けてみてもアルコール類は全部飲んでしまったため、アイドルの子たちがここに来た用のジュースしか入ってなかった
「じゃあ、これを」
「あ、オレンジジュースですね。ありがとうございます。私好きです、オレンジジュース」
缶のまま渡すとカオルちゃんはそのまま蓋を開けて飲み始める
「ホント久しぶりね~」
「···そうですね」
ひなちゃんはもう寝てしまったのか、ガレージ内がシン···ッと静まりかえっている
二人の間の微妙な空気も相まって、カオルちゃんが私に何かを伝えようとしているのがひしひしとわかった
「···それで、カオルちゃん」
「はい···」
「私に何かご用事?」
「その···はい」
「GT-Rのこと?」
何かを言い出そうとしていたカオルちゃんに被せるように私は言うと、カオルちゃんは少しだけ目を伏せた
「···あれはカオルちゃんだったのね」
返事がなくとも、その態度でわかった
カオルちゃんも私に何を言われるのか、少し身構えるように体を強張らせる
何を言われても文句の付けようがないと、半分諦めているようだった
しかし、こんなカオルちゃんみたいな良い子が、理由もなくあんなことをするわけがない
その事が頭の中にある以上、私は頭ごなしに怒鳴るようなことはせず、本人に聞いてみた
「6番シリンダーの、イグニッションコイルのコネクター」
「···すぐに気付けたんですね。コースに出るのが早かったから」
「ふふふっ、そう仕向けたのはカオルちゃんでしょ?本当ならどこかのハーネスを切ってこいとか言われてたんじゃない?」
そう言うとカオルちゃんは再び黙ってしまった
あのレースの時、あの現象が起きた時、真っ先に浮かんだのがこの不具合だった
想像していたのは車の弱点とも言えるエンジン後方の5、6番シリンダーの配線類の熱による断線だった
構造上どうしてもそこに熱がこもり、その熱でその部分にダメージが溜まる
対策は施していたものの、普段とは違いエンジンを過度に回す状況が続く場面だ、何が起きてもおかしくなかった
「あの車で、あの状況でまず思い付くのはそこ。それを知っていたからこそカオルちゃんは素早く気付けるようにそこを細工した。ううん、細工してくれたんだね」
エンジンルームに頭を突っ込んですぐに気づいた
イグニッションコイルのコネクターが引っこ抜けていただけで、綺麗に見えやすい位置に引っ掛けて置いてあったのだ
おかげでそのコネクターを付けるだけでレースに復帰できた
これはこれと同じ種類の車に乗っていなければ気付けない
「カオルちゃんの34はお元気?」
「それが···実はその事でも謝らないといけないことがあって」
「私たちに?何?何もされた覚えはないけど」
「あの、違うんです。私ではないんですが···その、特に雛子さんに謝りたくて···」
カオルちゃんは語り始めた
美城プロダクションとの関係が怪しくなってきた某テレビ局の上の連中は、最近出入りしているドライバーと偶然知り合いであるカオルちゃんに目を付けた
そこで私が同じ型の車に乗っていることに気付き、そのドライバーに対しての偵察を命令してきたのだという
「それで皆がレイジ君の車と同じのを会社の周りで見たって言ってたのね」
「はい。それで···今度は自分の目で確かめたいと言った上司が、勝手に私の車に乗ってあんな···なんと謝ったらいいか···」
「カオルちゃん何も悪くないじゃない」
「でも上に協力していたのは事実です!今日はその事に関しても雛子さんに···怒鳴られても文句はないと思って···!」
「まぁまぁ落ち着いて落ち着いて、それならひなちゃん何も気にしてないって言うと思うわよ?」
少しヒートアップしてきたカオルちゃんを抑え、私は自分の作業場の片隅に置きっぱなしにしておいた''それ''を持ってくると、再びカオルちゃんと向き合うように座るのだった
「それに、あなたは初めからそんなことをしようと思っていたわけじゃないでしょ?バレていたらあなたが危なかったもの。はい、これ。ずっと借りっぱなしでごめんなさいね」
「あ、いえ。こちらこそ、あの時もいきなりですみません···」
カオルちゃんに''それ''を返すと、カオルちゃんは感慨深そうに見つめていた
思えば、そこから全てが始まったのだった
「私たち、少しはお役に立てたのかしら」
「はい。あの後、上層部の人間はしばらく身動きが取れなくなりましたし、それで終わってくれればよかったんですが···中々上手くいかなくて」
「ほら、やっぱりカオルちゃんは悪くないじゃない。そういう時こそ他人を頼らないと」
「半分騙すような感じになっちゃいましたけど···」
「まぁまぁまぁ~、過ぎたことだから!私がアイドル好きなのも味方してまぁ~ったく怪しまれなかったし、レイジ君も沢山お友達が増えたことだしね!」
カオルちゃんは、私が渡したボイスレコーダーの再生スイッチを押してみたが、重要な部分は軒並み削除されていて、その前後しか録音されていなかった
しかし、若干声が残っていたのを聞いてみるとレイジ君がキチンとお役目を果たしてくれた様子が見てとれたのだった
「昔の''仕事仲間''たちと同じ、この世界に夢を持って飛び込んだ子たちが、そんな目に遭う光景なんて見たくなくて、聞きたくなくて···私なりに上手くできたのかどうかはわからないですが、これで少しでもそういうのが減ればいいなって」
「うんうん、カオルちゃんはよくやったわ。まったくそうよ、この世界には女の子に''そんな事''をしようとする人間にはどんな制裁を加えてもいいっていう裏のルールがあんのよっ!だから大丈夫!ね?」
「あ、はい···あっ」
不安そうにしていたカオルちゃんの頭を撫でて上げると、やっとカオルちゃんの顔に少しだけ笑顔が浮かんだのだった
「大丈夫よ。私にも''お友達''は多いから、きっといいほうに向かうと思うわ。ただ···ね」
「···ええ、彼が···帰ってこないことには」
「きっと、大丈夫。レイジ君もいい子だから、神様が見ていてくれているはず。きっとね。さっ、飲みましょ飲みましょ!悲しい顔をしててもしょうがないから!」
後は、帰ってくるだけ
それで自体はハッピーエンドだ
それが一ヶ月先か十年先か、それはまだ誰にもわからない
でもきっと、私たちも彼女たちも信じている限り、神様は応えてくれると思う