「凛?・・・凛?、り〜ん。どこー?」
車の運転席に座りながらドアを少し開けて、私は若干前後を見回しながら凛を探す、歌う時よりボリュームを抑えた声でも、その建物内に反響し、満遍なく音が広がっていく
返事がないので左右、斜め後ろと探してみると、車の前側から青いタオルを持った手が上がり、パタパタと左右に触れていた
「あ、いた。ねぇ凛、ガラスクリーナーとってくれない?なんかなくなっちゃってさ〜」
続いて凛の顔がゆっくりと現れこちらの様子をうかがっていたので、ガラスクリーナーの入っているノズルがついた容器をドアの隙間から出して同じようにパタパタと振る
それを凛は一瞬確認すると、頭と手を引っ込めて再度手だけを上に出し、人差し指でガラスクリーナーが置いてある壁の棚を指差した
「ちょっ、凛のほうが近いじゃん」
抗議も虚しく、そのまま凛は手を広げ軽く左右に振るとその手を下にゆっくりと下げていった
「・・・もう」
車内で一旦シートに深く座って一言文句を呟き、車から降りて渋々ガラスクリーナーを取りに行こうとドアを開けると、ちょうど書類を書き終えて車へと持ってきた零次さんと鉢合わせした
「おっと、びっくりした」
「あ、零次さんごめん。大丈夫?」
「大丈夫だ。・・・どした?加蓮」
「うん、ガラスクリーナーなくなっちゃって。それで・・・凛が取ってくれないんですよ」
最後のほうを凛に聞こえないように、零次さんにコソコソと耳打ちする
少し頬を膨らませている私の顔を見た後に、零次さんはそのまま顔を横に向け今度は凛の方を見る
「・・・ふむ」
車の前側を拭いている凛を見て何かをふと思いついたのか、私を見ながらシーッと唇に人差し指を当てた
はて・・・?と私も同じように唇に人差し指を当てて首を傾げると、零次さんは上半身だけ私の前を横切って車の中に入り、ハンドルに手をかける
私に後ろ手で3、2、1、とカウントダウンすると、0のタイミングでハンドルの中央を押す
すると次の瞬間、クラクションの音色が大きく工場内に響き渡った
「キャッ!わぁっ!!何!?ビッ・・・クリしたぁ・・・!」
工場の残響音に負けないくらいの可愛い悲鳴が工場内に響き渡り、タオルを持った凛が勢いよく立ち上がりその手を胸の前でギュッと握り、少し腰を引いて縮こまりながらその場で立ち尽くしていた
「あっっっはっはっはっは!!!」
次の瞬間に私は色々と堪えきれなくなり、手を叩いて車の中で爆笑していた
「んん〜!かーれーん!!」
両手でギュッと拳を作り、凛は少しむくれながらガラス越しに私を睨んでくる
滲んでくる涙を人差し指で拭いながら事の張本人を見てみると、車の屋根に肘を置いて、さも何事もなかったように凛から目を逸らして口笛を吹いていた
まだ笑っている私に頬を少し膨らませ始めた凛に向かって、人差し指で零次さんを指差す
すると凛のその視線は零次さんに向き、それに零次さんも気づくが、何も知らないと言わんばかりにすぐ目を逸らした
「んんん〜!!」
凛がタオルを握り締めたまま、肩を少し開いて前屈みになり、不機嫌な態度全開で車の前からスタスタと零次さんに歩み寄る
ジャージ姿でもわかるそのスラっとしたスタイルで、レッスンにより鍛えたその体幹を存分に無駄遣いし、排水溝や洗車機のレールなどを器用にかわして零次さんにタオルを持った手で振りかぶった
「ん!んー!んっ!んっ!んっっ!!!」
「わかったわかった、わかったって。悪かったって」
悪びれながらも、からかうように笑いながら両手を上げて無抵抗を決めている零次さんの様子に凛は更に顔を真っ赤にして歯を食いしばり、子供のように何回も何回もタオルで叩いていた
「はぁ〜、よいしょっと」
最終的に零次さんがその振り回している手を掴み抑えるが、力づくで抜け出そうと全身に力を入れている凛は一歩も引かない
そんな、二人がムードもへったくれもなく互いに目を離そうとせず睨み合っている横を素通りして私はガラスクリーナーを取りに行った
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「はい。ほら、買ってきてやったぞ」
「わ〜い。ありがと零次さ〜ん」
おやつの時間どき、休憩スペースのテーブルに置かれたのは、複数の茶色い紙袋が入った透明なビニール袋だった
それは二重になっているにも関わらずほんのり温かく、香ばしくておいしそうな匂いをその周辺に漂わせている
「いっただきま〜す。ほら、凛も食べなよ〜」
「・・・」ムスッ
さっきの事をまだ根に持っているのか、不機嫌そうな表情はそのままに、テーブルの上に置かれている期間限定のバーベキュービーフフライドポテトを時折眺めながら、肘をついて零次さんを見つめている
「しっかし、お前も好きだなぁこういうの」
「うん、凛や奈緒とよく一緒に行くし。ん〜、やっぱ最高〜」
一口、また一口と食べる手が止まらない
甘じょっぱい風味が口の中に存分に広がっていく
零次さんもそれは同じなのか、ちまちまと摘んでは携帯を触っている
「喜んでくれるのは嬉しいけど、いいのかアンタら的には。太るぞ」
「あ、言っちゃう?それ言っちゃう?あーあ、言っちゃうんだ。ふーん、へ〜。アイドルに向かって」
まったく、零次さんったら失礼しちゃう
ポテトも元はじゃがいもなんだから野菜食べてるのと変わりないじゃない
それにレッスンだって頑張ってるし、今日だって零次さんの仕事手伝ってるし、その分のご褒美よご褒美
かな子ちゃんだって、「美味しいから大丈夫だよ!」ってお菓子沢山食べてるけど痩せたって言ってたし大丈夫なのに
「ねぇ?凛」
「私に振らないでよ・・・」
零次さんに言われてもなおその手を止めることなく、パクパクと食べ進めている私を今度は呆れた表情で眺めている
「凛も食べなよ〜、そんなブーたれてないで」
「ブーたれてなんか・・・ん、じゃあもらう」
そう言って摘もうとするが、直前に零次さんを見て何かを思いついたのかその手を止めて、さっきのように再度零次さんを見つめる
「ん?何だ?食いたいなら食え食え」
ポテトに手を伸ばした瞬間にそれに気づいた
零次さんもその手を止めて、再び見つめ合う二人
薄っすらと傾き始めた太陽の光が事務所の窓から入り込んで、そんな二人をちょうど良く照らし、まるでドラマのワンシーンのような雰囲気に仕上がる中で私は、何が起こるんだろうと楽しみに見つめていた
「・・・なんだよ」
眉間にシワを少し寄せて、少し不満そうにする零次さん
すると凛は、自分の口元を少し零次さんの方に突き出す仕草をする
え?と零次さんは声に出すことなく、表情だけで凛に抗議すると、凛はまた少し口元を突き出し、今度は目を閉じて少し口を開ける
「お前まさか・・・食べさせろってか」
零次さんの声に答えるように、小さくうんうんと凛はうなずいていた
「まったくお前・・・」
零次さんがそう小さく呟くと、凛は「早く」と小声でまくし立てる
助けを求めるように、零次さんは目線を私に向けるが、ニヨニヨとポテトを摘みながら見ていた私に観念したのかポテトを一つ摘む
「ん」
少しぶっきらぼうに、携帯を片手にポテトを凛の方へと差し出す
「・・・ん」
ポテトが唇に当たるのがわかると、凛は口を上下に動かして食べ進めていった
「ん・・・ん・・・ん、うん、美味しいね」
少しずつ少しずつポテトが凛の口の中に吸い込まれてゆき、零次さんの指に軽く唇が触れるくらいになると、零次さんはポテトから手を離す
「・・・おい」
「いいよ、別に気にしないし」
凛はそう言うと舌を少し出して唇をペロッと軽く舐める
「凛、なんかちょっとエロい」
「そう?」
気に入ったのかもう一つ、もう一つと携帯を片手に零次さんと同じようなスタイルで自分で食べ始めた
「・・・二人って、なんか何処となく似てるよね」
「「どこが?」」
まったく同じ返事をし、同じようにポテトを片手に、同じように携帯を持って、同じように脚を組んでソファーに座っている二人がどこか可笑しくて、三人しか今はいない事務所の一角で、346にいる時とは少し違う、なんとも言えない時間がゆっくりと流れていた
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「ん?誰だ?」
ポテトを食べ終わってからしばらくして、零次さんが出してくれた飲み物を飲みながらゆっくりしていると、零次さんが持っていた携帯から普段は聞いたことがない着信音が鳴る
「はいもしもし、姉さんどうしました?・・・へ?はい、まだひな先輩は帰ってきてませんが・・・え?俺はいいですけど・・・わかりました、ひな先輩にも聞いてみますね」
立ち上がって休憩スペースから離れ受付のデスクに行くと、電話でやり取りが行われていた
会話の内容から、おそらく海道さんだろうか?
仕事の事なのかそうでないのかはわからないがそのまま会話が続いている
「ただいま。おっと・・・おお、お疲れ」
「あ!お疲れ様です〜」
「お疲れ様です」
ひなさんが事務所の扉を開けて中に入ってくると、零次さんが手を上げてひなさんに挨拶する
ひなさんはその横をすり抜けて休憩スペースまで顔を出し、私たちに合流した
「今日も来てるみたいだけど、あっちの仕事はいいのか?秋休みなんだから、家でゆっくりするなりしててもいいんだぞ」
上着を脱いでソファーに座り一息つくとひなさんはそう言う
「いえ、好きで来てるんでいいんですよ。それに、色々楽しかったですし〜」
すると凛が「加蓮」と肘で私の脇腹を小突く、テーブルの上に片付けて置かれているファーストフードの袋と、私達のそんな様子を見てひなさんは鼻でフフッと笑った
「ふぅ〜。あ、ひな先輩お疲れ様です」
「おお、お疲れ。で、姉さんなんだって?」
「それが今日の夜、緒方智絵里を」
そこまで零次さんが言いかけると、そのやり取りを私達が聞いていることに気づく
零次さんはその後の言葉をあー、あー・・・と濁すと、手に持っていた携帯をポケットにしまい、テーブルの上のゴミを片付けると、夕日が窓から差し込む中改まって私達の前に立ち、わざとらしく胸の前で手を叩く
「さ、二人とも。今日はありがとう!とても助かってお兄さん嬉しかったよ!もう今日は遅いし帰りなさい。家帰って飯食ってゲームして寝なさい」
「いや、ゲームはしないと思うけど・・・何?突然。さっきの智絵里どうこうは何なの?」
違和感バリバリな零次さんの対応に凛がつっこむが、私はそれ以上に気になる事がある
「ねぇ、零次さん。さっき着信あったとき聞いたことない着信音だったけど、あれ何?」
「ったく何だお前ら質問ばっかり、あれは俺のプライベート用の携帯だからだ。いつものは美城から貰った携帯で連絡とってるから違・・・あ」
零次さんが説明し始めたくらいのタイミングでひなさんが奥の更衣室へと消えていった
「へぇ・・・へぇ〜〜〜」
ひなさんが角を曲がって見えなくなるくらいに、みるみる口角を吊り上げてニヤニヤ笑い始める私に、さっきまで合わせていたはずの目を次第に零次さんは逸らし始める
「まぁまぁ零次さん、ちょっとここ座って」
「は?嫌だよ。なんでちょ、おいやめ・・・!ちょっ!」
嫌がる零次さんを凛が半ば無理やり私と凛の間に座らせ、逃げられないように私が零次さんの膝の上に背中を向けて座る
「これ、私の携帯の番号とトークのアカウント。零次さんも教えて?ね?」
「絶っっっっっ対やだ」
「凛」
私が一声掛けると、凛は逃げようともがく零次さんのポケットから携帯を取り出し、零次さんの顔の前に持ってくる
ロックまでは解除されまいと必死に顔を逸らし続ける零次さんだが
「教えてくれないと私、さっきの凛とのチュー画像間違ってデレポにあげちゃうかも〜」
「お前・・・小悪魔みたいなやつだな!」
動きが一瞬止まった瞬間、凛が携帯を零次さんにかざすとロックが解除され、アプリのアイコンが表示される
「そんな画像、加蓮撮ってないよ」
「・・・ハッタリかよ」
そんな呆れた様子の零次さんに、顔を上に向け逆さに目が合う状態で私は悪戯っぽく、べーっと舌を出した
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二人が事務所を出て、携帯に『お疲れ様』『お疲れ様〜、今日も楽しかったよ!』とポップアップが二つ表示される様子を横目に、ソファーの背もたれに首を乗せて天井を見ながら深くため息をつく
「随分楽しかったみたいだな」
「勘弁してくださいよ。今日も奢らされたんですから」
「ふーん」
コーヒーを持ったひな先輩が逆さに映り、俺は体を起こすと、そのままスタスタとひな先輩と同じように自分のデスクに行き、パソコンをシャットダウンする
「で、本当に来るのか?」
「はい、でもどうしてでしょうかね?」
「さぁ・・・とにかく、帰って来客の準備だ」
姉さんの言う事が本当なら、智絵里が今日ガレージに来る
姉さんは何を考えているのか、いつもとは違う電話口での違和感に、俺は疑問を感じていた