イベント3日目
今日の天気は昨日と打って変わって曇り空が広がる
雨こそ降ってはいないが、どんよりとした雲が空を覆っており、時々隙間から僅かに光が差し込む程度
嫌な少し黒っぽい雲がまるで私達を嘲笑うかのように、そこにただ存在していた
「ありがとうございます。・・・はい!来ますよ?皆さん待っていてくださいましたから!」
イベント会場は昨日と変わらず、ショッピングモールを使用して行われていた
しかし開催場所は変更し、モール内のCDショップ前の一角を借りることができた
外の天気を考えると不幸中の幸いだったかもしれない
「新曲出たらCD買います!もう絶対買いますよ!」
「うん!ありがとうございます!楽しんでくださいね!」
ファンの人たちからも、この天気での開催を心配していた声もあったがそれも杞憂で終わり、それどころか心配していたファンの気持ちを盛り上げて帰させるという癒しスポットさながらの相乗効果を生んでいた
と、私は何を言っているんだろう
そんな効果はデフォルトで備わっている能力だ
人間、慣れとは恐ろしいものだ
信仰心が足りない、もっと大天使チエリエルへの愛を深めなければこの先どうm
「お姉さん?」
「はい、はい!なんでこざいましょう!」
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お店への客足がほんの少しだけ落ち着き、ほっと一息ついていた頃、お姉さんが天使・・・とかなんとか呟いて考え込んでいたので気になって声をかけてみたら、なんでもないなんでもないと手を振って慌てた様子で何かを否定していた
顔を少し赤くし、手を頭の後ろに当てて、はははと笑っている
少し疲れちゃったのかな?
「こんにちは」
気がつくと、自分の前に置いてあるテーブルを挟んで、一人の男の人が立っていた
「握手会をやってるって聞いたんだけど」
「はい!皆さんに会いに来ました!ありがとうございます!」
他のファンの方と同じように、私は手を差し伸べる
すると、その男性もそれに応えるようにゆっくりとその着ているグレーのパーカーの袖をめくって手を出して、私の手を握った
「会えてよかったよ、初めてアイドルを生で見ることができた」
「本当ですか?よかったらライブも来てください。11月に大きなライブがあるんです!」
握った手を少し上下に揺らしながら、私はその男性に話しかけるが、フードを深く被っていることからその表情全体を見ることは出来なかった
口元が笑っていることから、少なくとも不快な気持ちにはさせていないみたいだ
CDの話、テレビの話、その男性以外に珍しくファンの方がいなかったため、普段より長めに話をした
お姉さんも止めに入ることもなくその様子を見守り、男性も私の話に合わせて相槌を打つが、大分他のファンの方の姿がチラホラ見え始めたので、いよいよお姉さんが割って入る
「お兄さん、今日は来てくれてありがとう。またこの後も応援してね」
お姉さんも慣れた流れで男性と私の間に入り、サラッと笑顔を浮かべて手を離すように促す
「そうか、もっと話していたかったけど仕方ないね」
特に抵抗することもなく、その男性は素直に手を離し、最初と同じように袖の中に手を隠した
「じゃあ''お姉さん''の言う通りに今日は帰るね。頑張ってね、応援してるよ」
「はい!ありがとうございます!」
そう言って私はペコっと頭を下げてその男性を見送るが、お姉さんはその瞬間、男性を険しい表情で見つめる
他のファンの方にはそんなことしなかったのに、疑問だけが私の中に残っていた
そんな視線もつゆ知らず、男性はパーカーの両ポケットに手を入れて、何事もなく去っていく
私はお姉さんに尋ねようかと思ったが、またファンの方の対応に追われ始める
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「あ、ここだったんだ!」
「お兄さん!」
夕方、終了時刻間際にいつものお兄さんがやってくる
パラパラと外は雨でも降ってきているのか、着ている上着には水滴がつき、本人もその髪や額に付いている水滴を慌てて袖で拭う
「いやいや、必死に探し回ったんだけど、全然見つからなくてさ!やるとこ変えたなら教えてよ〜」
「ごめんなさい、私も急だったからSNS更新できなくて・・・」
ははは・・・と苦笑いを浮かべる私に合わせて、お兄さんも笑顔を浮かべていた
それからも会話が続き、それは短い間だったがいつものように、終了時刻であったことをコッソリとスタッフに告げられると私はお兄さんの手を離す
「あ、もう終わりの時間か。ごめんね、何だか話し込んじゃって」
「いえ、いつもありがとうございます」
お兄さんは一歩下がり申し訳なさそうに頭に手を当てて謝罪する
私は他のファンの方と変わらぬ返事を返すと、それに満足したのかお兄さんは私に背を向けた
その間にもスタッフたちの片付けが始まり、私も後ろに下がろうとすると隣からお姉さんの声が聞こえた
「ちょっと待って」
「・・・へ?」
ポケットから携帯を取り出した直後に呼び止められたお兄さんは、胸の前で携帯を握りしめたままこちらに向き直る
「へ?・・・へ?へ?」
「そう、あなたよ。あなた」
お兄さんは自分以外の人に声を掛けたのではないかとキョロキョロと周りを見回すが、お姉さんの視線は変わらずお兄さんに向けられていた
「お、お姉さん・・・?」
「聞きたいことがあるの」
腕を組みながらそう言うと、お姉さんは私が下がろうとしていた控え室を顎で指し示す
困惑する私とお兄さんを連れて、お姉さんと私達は控え室へと入っていった
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控え室には長テーブルを二つ平行に繋げたものが一つ、壁際にはもう一つの長テーブルと、その上にお茶が入っている給水タンクが備え付けられており、そのまた隣には紙コップが置いてある
壁の隅には美空と智絵里の荷物が置いてある小上がりになったスペースがあるが、美空たち三人は中央の繋げた長いテーブルに集まる
テーブルには向かい合うようにパイプ椅子が二つずつ備えられており、片方に男性が座り、隣の席に荷物を置いた
向かい合って智絵里が座り、その隣には美空が腕を組んで腰を下ろしている
「それで、あの・・・聞きたいことって?」
男性が恐る恐る美空に尋ねた
「あなた、智絵里ちゃんに詳しいのよね?」
「それはもう!世界一のファンだと思ってます!イベントにもほぼほぼ全部行きましたし!」
「ふーん・・・世界一ってとこは腑に落ちないけど」
男性の言葉に少し子供っぽく不機嫌になるが、美空は構わず話を続ける
「これまで智絵里ちゃんに、特に有名になってから、誰かから恨みを買ったり、怪しい奴が近づいてきたりしなかった?」
「とんでもない!」
男性はテーブルを叩き、少し前のめりになって美空と向き合う
「恨みを買うだなんて、そんなことは絶対ありません!智絵里ちゃんがそんなこと・・・するわけがありません!これだけは絶対に絶対に断言できます!」
「お兄さん・・・!」
「・・・」
「ですが・・・」
男性はポケットから携帯を取り出す
「怪しい人物については自分もわかりません。智絵里ちゃんには悪いけど・・・少なからず''アンチ''は存在します」
携帯を操作して、智絵里には見えないように美空に見せる
「今の時代はSNSですから、誹謗中傷だけでなく、こういったものも・・・」
そこには、『あの子は俺の子』や『僕がずっと守ってあげなきゃ』というような、いわゆるストーカー紛いの呟きやコメントが多数表示されていた
「自分もファンではありますが、流石にここまでは・・・。智絵里ちゃんのことは大好きですよ?でもこれはあまりにも行き過ぎてるところはあると思います」
「・・・実は」
無言で話を聞いていた美空が切り出す
「このイベントが始まってから、変な視線を感じるの。智絵里ちゃんをずっと見ているような、何だかむず痒くなるような、そんな視線」
「見られるのは慣れていますが・・・」
「違うの智絵里ちゃん、そうじゃないの」
普段とは違う真面目な表情で話を続ける美空
「私の勘違いならいい、でも私の経験上アレは明らかに智絵里ちゃんを狙っているような視線だった。こっちを舐め回すような・・・そんな類のもの」
美空の言葉に二人は思わず固唾を飲む
智絵里に関してはその得体の知れない恐怖に身をすくませるが、美空が隣からその太ももで小刻みに震えている手を握る
「大丈夫よ智絵里ちゃん!私の勘違いかも知れないし、少なくともイベントの間は私が隣にいるわ」
「お姉さん・・・」
「はがし役だしね〜、これでもちょっとは上手くなったんじゃない?」
美空はそう言って笑いかけると、智絵里にも少し笑顔が戻った
「・・・わかりました!」
俯いていた男性も顔を上げる
「イベントは明日もありますし、自分も会場周辺を回っておきます!そうすればセキュリティも万全でしょう!」
「お、お兄さん。そこまでしなくても・・・」
「何言ってるのさ智絵里ちゃん!これも智絵里ちゃんのため!頼ってもらえるなんてファンとしてこんなに嬉しいことはないよ!」
そう言うファンに対し、智絵里も思わず笑顔が溢れる
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イベントが終わってお兄さんと別れた後、お姉さんから''ちょっとデートしよっ!''と誘われたので、私達は少しショッピングモールに残り、色々なところを見て歩いた
ゲームセンターに立ち寄って一緒に太鼓のゲームをしたり、お洋服屋さんに行ってお互いの服をコーディネートしたりと、普段アイドルの活動で忙しく中々遊びに来れなかった私にとって、その時間はとてもとても楽しくて、そしてなんとコーディネートした服をプレゼントしてもらった
お姉さんが言うには、こうやって女の子と服を買いに来る機会って滅多にないから、プレゼントするのが夢だったの!とのことらしい
ひなさんはあまりこういうところには来ないのだそうだ
私もお返しに、普段のお仕事でも使えるように手袋をプレゼントしてあげた
お姉さん、手がお仕事で汚れることが多いと思うからと渡してあげると凄く喜んでくれていた
帰り際、お兄さんも心配でまだショッピングモールに残ってくれていたようで、車で出て行く瞬間まで見送ってくれた
そして今日もあのガレージにお邪魔してしまい、また四人で楽しく夜を過ごした
そして夜中
私がお手洗いに起きると、下の休憩スペースで電気がついていることに気づく
周りのみんなを起こさないように静かに螺旋階段を降りていくと、スタンドの電気をつけたまま、作業用の机に突っ伏して寝ているお姉さんがいた
その脇には工具が散らばり、お姉さんもドライバーを握ったままスヤスヤと寝息を立てていた
私はその後ろにあるソファーの上にタオルケットを見つけると、そっとお姉さんの背中にかける
・・・ふと疑問に思う、何故私にここまでしてくれるんだろう?
仕事仲間だから?それでもお姉さんはそれ以上に仲良くしてくれた
一緒にご飯を食べたり、私の事について聞いてくれたり、この3日間本当によくしてくれた
様々なことを考えたが一向に答えは出ず、私はスタンドの電気を消し、その場を後にした
月明かりが部屋を照らす中、私は時折お姉さんの方を振り返るが、変わらずお姉さんは寝息を立てている
疑問だけが残るまま、私はお手洗いに向かった
そして、最終日が始まる