イベント最終日
この日は生憎の雨模様だった
雲は黒く染まり、外ではザーザーと激しく雨が降り、その雨粒が建物に当たる音が室内へと響く
昨日と同様に会場を変更して、本来であれば大型書店の店先を借りて行う予定だったが、室内の一角に場所を移されて行われていた
このような悪天候にも関わらず、ファンの人たちは会場となる書店へと足を運んでくれており、ガラス張りとなっている壁からは外で楽しそうにこちらを見ながら列に並ぶ様子がうかがえた
「よかったわね〜、今日も大盛況で!」
「そう・・・ですね」
間に挟む少しの休憩時間の合間に、お姉さんとの会話が弾む・・・と、思っていたのだが、中々思うように言葉が出てこない
用意されたパイプ椅子にお姉さんと並んで座り、私はペットボトルを持ちながら、言葉をつまらせていた
「?」
そんな私の様子に不思議そうに首を傾げているお姉さんだったが、私は沈黙を保ったままだった
この4日間、こんなに充実した日々は久しぶりだ
こんなに仕事が終わってしまうのが惜しいと思ったのはいつぶりだろう
握手会・・・ましてやライブなどファンの人たちと触れ合う機会なんてこれまでも沢山あったのに、こんなに楽しいと思ったのはいつぶりだろう
こんなに・・・夜一緒に食卓を囲んで食べるご飯が美味しいと思ったのは・・・いつぶりだろう・・・
「智絵里ちゃん・・・もしかして、楽しくない?」
「へ?あ、いや・・・そうではなくて!」
あまりにも私が黙ったままだったので、いよいよお姉さんが恐る恐る私の様子を確かめながら話しかけてくる
その真っ直ぐに私を見つめる瞳からは一切の曇りはなく、私の目を心配そうにジッと見つめていた
「何だか・・・今日で終わりなんだなって思ったら、寂しくなってしまいまして・・・せっかくお姉さんとも会えたのに・・・」
そう返事を返すと、お姉さんの口元が少し笑って私から目を離し、壁にかけられている時計へと顔を戻して、お姉さんはペットボトルのお茶を一口飲む
「だったら、いつでも遊びに来なよ!」
「え?」
「私は基本工場にずっといるし、誰かしらフロントにもいるから、暇なときはまた一緒にお茶しましょ!」
お姉さんはポケットから携帯を取り出して私に画面を見せる
「さっきひなちゃんから送られてきた写真」
「へ?・・・ふふっ」
そこには、青葉自動車さんの事務所でテーブルを挟んでお互いにソファーに座り、同じようにコーヒーカップを持って睨み合っている梨沙ちゃんと零次さんの姿が写っていた
梨沙ちゃんの隣では、千枝ちゃんが苦そうな表情を浮かべてコーヒーにスティック状の砂糖を入れている
「こんなふうにわりかし皆遊びに来てるみたいだから、智絵里ちゃんも遠慮しないでいいのよ?私も智絵里ちゃんに今日で会えなくなるのは寂しいわ」
「はい!是非!それならあの・・・!」
私もバッグから携帯を取り出す
「おね・・・美空さんの連絡先を・・・教えてくださいませんか?」
私がそう言うと、お姉さんは心底驚いた表情をした後、信じられない速度で画面をタップしてトークアプリを開き、画面を再度私に見せる
「は、はい、もち・・・もちろん、い、いいですとも・・・お、お、OK牧場ですとも・・・!」
「おーけー・・・ぼくじょう?」
ちょっとわからない単語と共に、少し震えた手つきで画面をみせる美空さん
その画面に映っている美空さんの連絡先を登録し、確認のためにスタンプを送る
「ありがとう・・・ございますぅぅぅ!」
「こちらこそ、ありがとう・・・ございます?」
美空さんは私が送ったスタンプを確認すると、テーブルに手をついて顔を伏せながら、まるで神様に祈るように手を合わせていた
そう言う私も、追加された美空さんの連絡先を見ながら、新しい友人ができた事に心が踊っており、先ほどとは違い、最後の仕事に臨む元気が湧いてきた
ーーーーーーーーーー
その後も、イベントは昨日美空さんの言っていた心配とは裏腹にスムーズに進んでいき、連日のイベントに出てくれたファンの方、今日初めて来てくれた方も変わりなく、今日で終わってしまうことを惜しみながら去って行く
いよいよ終わりの時刻が刻々と迫り、列に並ぶ人の数もあとわずかとなった頃、一番最後にお兄さんの姿が見えた
「智絵里ちゃん〜」
「お兄さん!」
そしていよいよ最後お兄さんの番となり、私はいつもと変わらず握手を交わす
「よかった間に合った、一応周りをぐるぐるしてたら、時間が全然過ぎていって、間に合わないかと思った・・・」
「本当に見てくれたんですか・・・!ありがとうございます!」
お兄さんは息も絶え絶えに、その勢いのまま一歩前に出て私と握手を交わす
やっぱり、私は幸せ者だ
事務所の仲間だけではなく、大勢のファンの人に囲まれて、零次さんがいて、ひなさんがいて、そして美空さんがいて
こうして色々な人と出会えてよかった
あの時、一歩を踏み出してみてよかった
あの時・・・あの帰り道でプロデューサーに会えてよかった
私は、人を笑顔に出来る人間に・・・なれているのかもしれない
「智絵里ちゃん?」
「あ、はい!今日はありがとうございます!」
お兄さんにそう言いながら精一杯の笑顔を向け私は頭を下げる
その時。自分の胸にかけられている四ツ葉のネックレスが目に入る
幸運は、案外そばにあるのかもしれない
「はい、お兄さん。今日も来てくれてありがとう」
美空さんの流れるような慣れた台詞が割って入り、お兄さんと私の手が離れる
「あ、終わりか〜。残念、またね智絵里ちゃん。きっとまた会いに来るよ!」
「はい、お兄さん!バイバイ!」
そう言うとお兄さんは、名残惜しそうにこちらを時々振り返りながらお店を後にしていった
それとほぼ同時にお店の時計が鳴り、イベント終了の時刻となる
「智絵里ちゃん、お疲れ様!」
「はい、美空さんもお疲れ様でした!」
スタッフが片付けに入り、私たちは控え室に行き帰り支度を整える
上着を着て、私はバッグを持ち、そして傘を持つ
今日は現場がガレージの近くということもあって、歩いて現場に来ていた
ーーーーーーーーーー
「やっぱりまだ雨か〜」
「夕立・・・ですかね」
店の自動ドアを抜け、雨避けとなっている軒下で、美空は傘の先を地面に置き、一言呟いてうな垂れる
「はぁ〜・・・」とため息をついている様子を智絵里にクスクスと笑われている事に気付くと、ピシッとした姿勢に戻り威厳を取り戻そうとするが時すでに遅く、その一連の流れも裏目に出てさらに笑われていた
美空の顔が少し赤く染まる
「じゃあ、行きましょうか」
「ええ、まずは大きい荷物を取りにガレージへ・・・」
そうして傘を差して二人が歩き出した瞬間、後ろから声がかかった
「智絵里ちゃん!」
「あれ・・・お兄さん?」
振り向いてみると、そこには先程店から出ていった男性が立っていた
同じように傘を差し、少し慌てた様子でこちらを見ている
「やっぱり、最後まで見送ろうと思ったんだけど、車が見えなかったから・・・思わず声掛けちゃった」
「そんな、そこまでしなくても・・・私は大丈夫ですよ。イベントも無事終わりましたし、これから美空さ・・・このお姉さんに送ってもらうので」
「いえ、ちょっと待って」
美空はそう言って振り返ると、智絵里より一歩前に出て、男性と向き合う
「見送るなら、これから目的地まで少し付き合ってもらうわ。いいでしょ?」
「もちろん!智絵里ちゃんに何かあったら困りますから!」
「お兄さん・・・でも・・・」
「大丈夫、自分も暇だから!」
困惑している智絵里に対して、美空は大丈夫よと伝え、三人で目的地へと向かうことになった
道中は智絵里と男性の間で会話に花が咲いていた
イベントとは違い時間制限がないため様々な話題が飛び交い、雨が降りしきる中、会話が続いていく
「それにしても、智絵里ちゃんのその服可愛いね!何だか初めて見た気がする」
「はい、これは昨日お姉さんにプレゼントしてもらったんです」
信号で止まっている最中、唐突にファッションショーが始まる
美空が買ったそれは、普段の智絵里のイメージを崩すことのない、可愛らしいミニスカートに、四ツ葉のネックレスが生えるように白の可愛らしいトップ、秋のイメージに合うようなコーディネートとなっていた
智絵里は腕を少し上げて、自分の服装を見回しながら説明していた
「にしても・・・やっぱ歩いてても遅いわね、この信号変わるの」
「そうですね・・・」
そんなファッションショーとは裏腹に、美空は変わらない信号に思わず足をトントンと地面に向かって叩いてしまう
「あ、そっちに、あっちに抜ける地下道がありますが・・・」
男性が指差した先には、私たちが行く対角の歩道へと繋がる地下道が伸びている
「え、なんだか怖いです・・・」
上からでもわかる、中を照らしている蛍光灯がチカチカしている様子に思わず智絵里は身をすくめ、美空の後ろに一歩下がる
「大丈夫大丈夫!急がば回れなんとやらって言うじゃない!早く帰ってみんなにただいまって言いましょ!」
「で、でも・・・」
「大丈夫!後ろには自分がいます!」
男性もそう言うので、智絵里も渋々了解し、三人は地下道へと入っていった
ーーーーーーーーーー
その空間は階段を降りるごとに薄暗くなっていき、徐々に徐々に地下空間特有のジメジメした感触が三人に伝わっていく
カツンカツンと足音を立てながら降りていくと、すぐに右に折れ曲がる構造になっており、その先には出口の階段が見えている
距離にして大体50mくらいだろうか、そんなに遠くはない・・・しかしその空間の雰囲気に、思わず智絵里の足が止まる
一定間隔で、タイル式の壁に設置されている薄暗い蛍光灯がその道を照らしており、地面の脇に走る排水用の溝には、上から流れてきた水がチョロチョロと中央にある排水溝へと流れていく
雨は未だ止む気配はない
先程と同じように降り注ぎ、その場の空気を振動させて、不気味な反響音が地下道内に響いていた
入り口の側のものと同じように、出口付近の蛍光灯の一本が不規則に点滅している様子がより一層場の不気味さを煽っている
「み、美空さん・・・」
「・・・早く抜けちゃいましょうか」
美空の号令と共に、傘を畳んで手に持ち直すと三人は歩き出した
排水用の溝から少し溢れた雨水が少しアスファルトの上に溢れ出し、歩くたびにピチャピチャと音を立てながら出口へと歩を進める
美空のすぐ後ろにピッタリと智絵里はくっつき、少し美空の服を掴みながら恐る恐る続いて歩く
男性もそれに続いて智絵里の後ろを歩き出した
後ろを歩く智絵里の吐息に若干の震えを感じた美空は後ろ手で智絵里の腕を掴む
そして、出口まであと半分くらいといったところで、突然美空が立ち止まった
「んむ・・・美空さん、どうしたんですか?」
唐突に止まったため、美空の背中に思わず顔を埋めて智絵里も立ち止まってしまう
「?」
尋ねても返事がないため、思わず男性の方を振り向くと、男性も目を丸く見開き出口の方を直視している
視線を前方に戻し、智絵里は顔を上げて今度は美空へと目を向けると、今までにないほど真剣な表情で目の前を睨み付け、口を固く結んでいた
そんな二人の尋常じゃない様子に、智絵里はゆっくりと美空の背中から体を右に動かして前の様子を確認すると
「ひっ・・・!」
目の前の光景に、思わず乗り出した体を勢いよく元に戻し、美空の後ろに隠れる
段々と息が絶え絶えになり、心臓がバクバクと脈打ち始めるのがわかった
全身の血の気が一気に引き、全身から冷や汗が噴き出てくる
智絵里が見たその先には二人の人影があった
普通の通行人ではない、どう見てもすれ違う気など全くなく、二人並んで出口付近の通路に立ち、三人をジッと見続けていた
一人は両手をポケットに、一人は後ろに手を組んで立っている
サングラスを掛けた男、そしてもう一人の帽子をかぶっている男は同じような黒いレザージャケットを着て、その場の不気味な空気とマッチするかのように笑みを浮かべていた
そんな二人の男を、点滅を繰り返す蛍光灯がまるで警告灯のようにその影を映し出す
「姉さん、久しぶりだな」
「・・・あんたたち」