本当にありがとうございます
アナスタシアがそんなことを考えているとは、普段の様子からはあまり想像できなかった
勝手な想像だが、そういったイメージから離れているせいかもしれない
新田ちゃんも揃って二人、何でもスマートにやってのける印象が強かったから
「結構考え込むこともあるんですよ。まだ日本のことでわからないこともあるからっていうのもあって、とっても真面目なんです。純粋に取り組んでますから」
新田ちゃんが言うことをまとめると、アナスタシアが抱えている漠然とした不安についてだった
ソロライブを行うにあたって、自分の故郷での開催ということで変に気を使ってしまい、パフォーマンスはすでに完成しているのに、それでも無事に成し遂げられるのか、という考えが浮かび、上の空になることが多いのだそうだ
「二人で仕事終わりにご飯を食べに行ったりする時も、最近はその話題がよく出たりして。私は大丈夫だよって言ってるんですけど、中々本人が・・・」
何を考えているのかわからないとは前にも言った気がするが、それが余計に拍車をかけてしまったせいか、気づくことが出来なかった
最も、気づいたところで何が出来るって話になってしまうが
「だから、力になってあげたくて・・・何かきっかけさえあれば、と。余計なお世話かもしれないんですが」
そうだな、こればっかりはあいつ自身も気づくべき問題だ
自分で解決できたことに越したことはない
どう殻を破るかが重要になってはくるが
問題自体は単純だ、しかしきっかけが重要になってくる
アイツの心を変えるような、そんな大きなことが起これば話は別だが、今回の北海道訪問で何か掴んでくれば御の字だけど
「ってすみません、零次さんにこんな話。プロデューサーさんに相談すればよかったんですけど、最近ライブの準備とかでバタバタで忙しくて。ゆっくりした時間が中々・・・そんな時に心配も掛けたくないですし」
乾いた口を潤すように、新田ちゃんはお茶を一口飲む
時計の針が進む音と、テレビのワイドショーの音声に包まれながら二人、頭を捻っていた
「考えても仕方ない、本人がいないんじゃしょうがないしな。それに、今回会場の下見に行ったら何かしら考えが変わるかもしれないし」
「それも・・・そうですね」
えへへ・・・とはにかんだ笑いを浮かべて、新田ちゃんは一旦キッチンへと消えていった
こんなとき、先輩方なら気の利いたアドバイスができるのだろうか
考えを巡らせていると、キッチンから一生懸命蛇口を捻る音が聞こえ始めた
「あれ?ん・・・んー?」
何だかボソボソと呟きながら、今度は水の出ていない蛇口を手のひらでポンポンと叩いたり、配管のところを指で軽く弾いたりと、新田ちゃんは誰がどう見てもおかしな行動をし始める
「・・・なした?」
「零次さんあの・・・これ、ど・・・?」
冷や汗全開で不安げな表情を俺に向けるもんなので、俺もキッチンへと赴く
新田ちゃんが蛇口の前から少しズレたので、いつものように捻ってみると水が一滴も出ない
「今日工事か何かで断水するとかあったか?」
「いえ・・・そういう事があったらポストに通知が入ってますし、そういう貼り紙もありませんでした」
さっきの新田ちゃんのように叩いてみると、確かにポタポタと少しは水滴が出る
だがそれをやめると沈黙が続いたままだ
蛇口を目一杯開いてもダメだし、まさかと思い逆に捻っても締まっていく感触しかしない
まぁ逆ネジはあり得ないだろうが
「ちょっと待てよ・・・」
俺はリビングを出てトイレに行き、レバーを捻って水を出してみる。しかし、タンクに溜まっている水が流れていくだけで、タンク内に水が溜まっていく様子がない
「ど、どうでしょうか・・・」
俺の後ろから恐る恐る覗き込んでくる新田ちゃんだったが、俺は俺で頭を抱える
流石にこれを直すって言っても専門外だぞ
「これ多分、水道管凍ってる」
「ええ!?じゃあ、どうすれば・・・」
確かに今日は朝から寒かったもんな・・・
事務所の暖房いくらたいても肌寒かったし、だからってこんなことになるとは、俺のアパートの部屋水落としておいて正解だった
「・・・詳しい人に聞いてみるか」
ーーーーーーーーーー
ステージの準備が着々と進んでいる傍らで、次々とおじいさんおばあさん達が集まってきました
子どもたちも一旦離れて、ステージ脇ののれんの中で準備をしています
「はい、これで大丈夫ですね。ユイ」
「うん、ありがとう!ニセモノのアーニャちゃん!」
前髪に可愛い髪留めをつけてあげると、ユイは嬉しそうに他の子ども達に混ざっていきます
まだユイは私のことを本物だと信じてくれません
しかしまだチャンスはあります。アーニャ、諦めません
「あ?だから業者呼べ、・・・予約でいっぱい?それだったら一日放置して自然解凍してみろ、今私も少し忙しいから後でな」
ヒナコはさっきかかってきた電話で忙しそうに隅っこでお話ししています
トーケツとかギョーシャとかいう単語が聞こえてきました
この時期ではよくあることです。水道はしっかり落とさなくては
電話の相手の方は少しうっかりさんなのですね
「アーニャちゃん。悪いけど、ちょっとスミ見てて貰える?」
「はい、喜んで!・・・サヤ!とってもとっても素敵です!」
「あはは・・・私はもう恥ずかしいんだけどさ、高三だし」
サヤ含め他の子どもたちも、私達のようなドレスではないものの、市販のお洒落な服に身を包んで、それをお互いに見せ合っていました
「昔からやってるからあまり抵抗はないけど・・・緊張はするよね」
「でもとても素敵です。ね?スミレ、あなたもとても素敵です。ほら、スミレも喜んでいます」
私の膝の上であっちを見たりこっちを見たり首を動かしてるスミレが、指を咥えてサヤを見た瞬間ニコッと笑いました
「うん、ありがとうねアーニャちゃん。ほらスミ、おいで」
「スミレ、出番ですよ。いってらっしゃ・・・あ」
サヤが私の膝の上からスミレを抱き抱えようと手を伸ばした瞬間、サヤの服の袖が少し捲れて腕が見えてしまいます
そこには、何かに強くぶつけたような大きなアザと、まるで火傷の後のような小さなシミ、うっかりして付けてしまったようなものではない痕が、両腕に沢山ついていました
サヤは私がそれを見つけたことに気づいたのか、申し訳なさそうに作り笑いを浮かべていました
それでもすぐに何事もなかったかのように舞台袖に待機している子ども達に合流します
サヤ・・・あなたは一体、どのような経験をしてきたのでしょう
私にはきっと想像もできないような、どのような人生を・・・
「・・・い、おい」
ヒナコの声と共に、私の背中がバシッと叩かれます
「またかお前は」
私は舞台袖にある衣装の確認用に置かれた姿見で自分の顔を確認します
そこには、初めて見るような自分の顔が映っていました
まるで何かひどいものを見たような、そんなことがまるわかりの酷い顔
こんな顔を私はヒナコの家でもしていたのでしょうか
「ほら、始まるぞ」
そんな私のことはお構いなしに、ヒナコはそう言います
舞台袖のカーテンをめくり、イオ、ルリ、ユイ、コウを先頭に、スミレを抱き抱えたサヤがステージへと出ていきます
私達のライブの時のような大きな歓声とまではいかないものの、おじいさんおばあさん達のあたたかい声が聞こえてきました
みんなに笑顔が広がり、本当に楽しみにしていたことがハッキリわかりました
「今日はありがとうございます。一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いしますね!」
サヤの司会に合わせて、パチパチと拍手が沸き起こりました
そして、サヤがそのままステージに座り込んでスミレを自分の目の前の床に下ろすと、それを見ていた反対側の舞台袖にいるヒナコママとヒナコパパが機械を操作します
すると、ステージの両脇に備え付けられていた大きなスピーカーから、小さい頃に聞き覚えのある、子どもの歌が聞こえ始めます
ママが時々歌ってくれた、日本の歌です
「わぁ・・・」
子どもたちの声が、力強く大広間に広がっていきます
それは、音程とか、リズムとか、普段私達が考えていることなどお構いなしに、力一杯、歌詞の一つ一つを、前のめりになりながら全力で歌い上げていました
そんな歌を聞いていたおじいさんおばあさんたちは、それはそれは楽しそうに歌に合わせて手を叩き、一緒に口ずさんでいます
「どうだ?物凄いパワーだろ?」
ヒナコが腕を組んでそう言いました
「おじいさんおばあさんたちは耳が遠いから生半可な声じゃ通じない。徘徊防止に窓も閉めてあるし、天井から床まで伸びるデカい布のカーテンも今は閉めてあるから音も吸収される。お前たちのライブのような立派な音響設備もない。だから普通に歌っても聴こえないんだ」
二曲目に入っても、ヒナコの言う通り子どもたちは全力で歌い上げます
スミレはまだ小さいので歌えませんが、後ろでサヤがその両手を持ち、歌に合わせて手を叩いたり、横に振ったりしています
「だから、文字通り魂を込めて全力で歌うのが私たちのスタンスだ。ある意味で英才教育だな。おかげで工場でいくら音がうるさくても姉さんに話しかけられるようになったわ」
そう言うヒナコを見ると、ステージの上にいるサヤを指差しました
サヤを見てみると、私のほうを見て手をこまねいているように見えます
「ほら、呼んでるぞ。お前もどうだ?」
「シトー!?ア、アーニャが・・・ですか?」
私が驚くと、ヒナコはイタズラっぽく笑い出します
一体どこで打ち合わせしたのでしょう
「ですが、プロデューサーに聞いてみないと・・・」
「だとさ」
すると、ヒナコの後ろにはさっきまでヒナコパパ、ママと一緒に反対側にいたプロデューサーがいました
「全国的なメディアに載るわけじゃないし、お金を貰うわけじゃないから大丈夫だ。アーニャに任せるさ」
「アーニャは・・・」
私はもう一度ステージを見ます
「レッスンばっかりだったんだ、たまには思いっきり歌ってみろ」
サヤは今度はスミレの手を取って私を呼び始めます
「・・・わかりました。ではプロデューサー、行ってきますね!」
そして私はステージの上へと飛び出していきました
「では、ここでスペシャルゲストの登場です。あのアイドルのアナスタシアちゃんに超似ていると私たちの間で噂の、アルトリアちゃんです」
「こんにちは、アー・・・アルトリアと言います。一生懸命歌います、是非聴いてくださいね」
サヤと入れ替わるように、子ども達がスミレの周りを取り囲むと、サヤはマイクを持って私の隣に並びます
そして拍手が聞こえる中、何だか聞き覚えのあるイントロが流れ始めると、サヤは恥ずかしそうにこめかみのあたりを指で触っていました
まさかここで、私のソロ曲を歌うことになるとは
私は一歩リードするように、その歌詞を歌い始めました