「ここは……何処だ……」
かつてこうも鬱陶しい目覚めがあっただろうか。
古龍と対峙すればその者は体力も精神も磨耗し、三日はまともに動けないと言う。
しかし今回は、その比ではない。
覚醒した。その事実に気付くまで幾何時間を費やしたのか。身体を、指一本を動かせることに意識を向けたのは何日を隔てた後か。
そして今理解出来たこと。
私は仰向けに寝ているのだ。
「……っ」
目覚めは最悪。寝付きは悪夢。
それでも、ハンターとしての本能は諦観を許さなかった。未だ生きろと、誰かが言っている。
「ツキミ、カゲロウ……くそっ、居ないか……」
相棒らの名を呟く。
決して大声は出さない。ここは恐らく、洞穴だ。それも緩やかな光が視界を遮ることから、出入り口に程近い。
……モンスターが入れば、小型でも太刀打ち出来んからな。
彼らの返答は、無い。
「ぐ、う……」
どうにか身体を起こす。
頭が殴られるように痛い。身体の細胞一つ一つが激痛を訴える。
それでも絶望に浸ることは許されない。
「とりあえず、五体満足か……装備も無事だな」
痛みは酷いが、身体があればどうとでもなるだろう。ハンターとして培った能力を存分に生かすことは出来る。
何よりも装備が無事なことは、私に大きな希望を与えた。
今までもこの身一つ、そして愛剣と防具で狩り場を駈けてきたのだ。
安堵を覚える位の慢心も、今は許してほしい。
しかし、一つ気になることは……
「なぜずぶ濡れなんだ……?」
そうなのだ。
まるで豪雨の中を練り歩いたかのように濡れている。思い出したかのように寒気が襲ってきた。
ここは何処なのか。
お供たちは無事なのか。
そもそも、一体何があったのか。
他にも留意すべき点は山とあるはずなのに、どうしてもこの異常な濡れようが意識を反らす。
……そうだ。まるであの時の……"嵐龍と対峙した時"と似た感覚……?
……やはり止そう。
優先すべきことを忘れるな。
「……む、あれは……アイテムボックスか!」
これもまた見慣れた朱のボックスが、洞穴の壁沿いに鎮座している。
気分はまるで宝箱を見つけた子供だ。
「中身も無事……本当にカゲロウには感謝しなくてはな」
お供の一人がそっぽを向きながら、しかし喜びで耳を世話しなく動かす光景が浮かぶ。
取り敢えずの痛み止めと腹ごしらえのために、回復薬グレートを飲み干し、こんがり肉にかぶり付いた。
……漸く人心地着いたな。
「しかし、本当にここは何処だ……?」
アイテムボックスを探りながら考える。
記憶の最後に残っているのは、空白の空間……裂目……お供を投げた後、私は突飛ばされて……
何故私はここに?
……あのサイコロは、一体……?
ここにモンスターが住み着いていないことも、経験則ではあるが感じていた。
臭いだ。モンスター特有の、あの臭いが全くしない。
それ自体には安堵すべきだろうが……逆に気持ちの悪い不安感を煽ってくる。
温度、湿度、日当たり……そして外の気候……。
モンスターが住み着くにはもってこいの環境が整っているはずだ。
なのに、痕跡すらないなど考えられるのか……?
「外に出ないことには始まらんか……ん?」
……違和感。
そう、違和感だ。
私の覗き込むアイテムボックス。
……納品していた物が、明らかに減ってないか?
「どうなっている……素材の半分以上がないぞ」
勘違いなどでは決してない。
明らかに。明らかに、納品されていた"モンスターの素材"が半分以上、消え失くなっている……!
気絶している間に盗まれたか?いや、ならば装備や残りの素材があるのは不可解だ。
あの揺れの最中に紛失した?先程カゲロウの納品術に舌を巻いたばかりだ。事実、荷造りは解けていない。
ゆめゆめ有り得ないことだ。
ならば、何故?どうして……!?
「……ダメだ、落ち着け……?」
ふと、自身の右手を見る。
「嵐龍の角……?いつの間に持って」
ー狩人よ 狩人よー
「ご、ああアぁァ……!!!?」
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!!?
何だ……これは!!?右手が焼ける……身体の内側から、張り裂けそうだ……!!
今までの狩りでも味わったことのない激痛。
堪らず回復薬グレートを掴み、どうにか喉へ流し込む。
痛みは引かない。
なればと秘薬の巾着を破り捨て、その全治の粉を呑み込む。
……全く効果がないとは……!!!
「ぐ、おぁ……あがあぁァぁっ!!」
のたうち回る。立っていられない。
凸凹の地面に装備が擦れ、ガチガチと気味の悪い音を奏でる。それすらも、私の体内から響いているかのように感じる……!!
そして、防具の隙間から覗く腕の皮膚を見た時……刮目した。
「青い……鱗だと……っ!?
これは、私の身体から……!!?」
青い。蒼い鱗が私の身体を覆っていく。
身体に留まらない。装備ごと、飲み込んでいく……!
何だ……何だっ!何だと言うんだぁ!!
ー狩人よ 伴にー
意識が、ぶつりと切れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はっ、はっ、はっ……!」
走る。走る。ひたすらに走る。
私は、冒険がしたかった。世界を見たくて、知らないものを知りたくて。
だから木々生い茂る故郷から出て、冒険者になった。
同族はほぼおらず、他種属の文化や技術に振り回される毎日だったけど……私は確かに、世界を見れた。
楽しかった。綺麗だった。
私の弓手としての腕を必要としてくれる仲間がいた。
今日も、そんな冒険のはずだった……!
「あうっ……!」
視界が反転し、大地に身を投げ出す。
痛い……
「は……あ……っ……やだなぁ、もう……」
今日も新しいものが見つかるはずだったのに。
綺麗なものを見つけるはずだったのに。
仲間と美味しいものを食べるはずだったのに。
「こいつ等の……せいで……っ」
『GOBBU!!』
私だって、何度も殺めてきた最弱と揶揄される魔物。銀等級になってからはその姿はどころか、名前すらも聞かなくなっていた存在。
そんな格下の輩に、私の一党は潰された。
本当にどうして……こんな……。
ゴブリンは雄を喰い殺し、雌はその身体と心が朽ち果てるまで犯すという。そこに知恵ある者の尊厳などありはしない。冒険から想像も出来ないほどに醜悪な世界。
私はそれを新人の時に吐き気がする程聞かされた。
だけど、その現実を目の当たりにすることなく、ここまで来れた……来てしまった。
それは幸運なこと?それとも不幸なこと?
……今の私には、分からない。
ただ。こいつ等が私の仲間を虐殺した光景は。バラバラにした光景は。他のエルフが絶望に染まったその顔は。
紛れもなく、不幸なんだ。
「は、あはは……」
……何を笑っているのだろう。
仲間を置いて逃げ出して。弓矢はへし折られ。無様に転んで。立てなくて、逃げ場なんてなくて。
十数体のゴブリンに囲まれて。
「全然、楽しくないなぁ……」
『GORRB!』
あぁ、終わる。全部終わる。
……あの妹も、きっと冒険者を目指すんだろうなぁ。私がそう煽ったんだから。あの子、からかうとすぐ本気になるから、仲間が出来るか心配だけど……
せめて、私みたいな最後には、ならないでね……
涙が、一粒。
森の緑。奴らの緑。
……だからよく見たくて、涙をすぐに拭った。
『キィアァ!ギィアァッ!!』
蒼が、現れたから。
『ガアァアッ!』
『GOBR!!?』
蒼が緑の一つの首に喰らい付き……噛み千切った。
噛み、千切った。
「な、に……?」
何が起きているのだろう。
私は分からない。ゴブリンも分かっていない。その蒼すらも、分かっていないのかもしれない。
『ギイィッ!』
『G……BR……』
蒼は止まらない。
その黄色い嘴にも似た牙を赤く染めながら、もう一匹のゴブリンの頭を噛み潰す。
絶命。しかし放さない。その死体を、呆けている一匹に叩き付けた。頭部に直撃、ゴキリという音が聞こえる。
私の頬に、ピチャリと赤が付く。
「……」
『GOBBLE!!』
「っ、危ないっ!」
自らの状況も忘れて、蒼に叫んでいた。
怒りに還ったゴブリンが合図も無しに、一斉に蒼へと武器を振り下ろした。
棍棒、錆び付いた短剣、手斧。
私の仲間を殺したそれらが、蒼に吸い込まれる。
ーまた、あの嫌な音が出る……!!ー
しかし聞こえたのは、奴らの武器を弾く音。
『GOB!?』
『ギッ、ガアァア!!』
『GO……ッ!』
蒼の鱗には、傷一つ付いていない。
蒼の牙が奴らの命を刈り取っていく。しなる尾が奴らの身体構造を破壊する。
『GOBRU!?』
数十もいたゴブリンは、一匹になっていた。
身体の捻曲がった同胞。身体の一部が無くなった同胞を見た最後の一匹は、脱兎の如く逃げ出す。
『ギィアァ……!』
その背を見た蒼が、跳躍する。
「え……っ!?」
『GOB!?GORッ』
ゴブリンの声は続かない。
蒼の足が踏み潰したから。
……死んだ。
……。
「……あ、あの……」
『ギィアァ!!』
「っ!」
蒼。蒼い獣が私を捉える。
赤いトサカに、黄色の嘴。その眼は鳥類にも似た鋭い眼光を放っている。ゴブリンを踏み潰した足は細くも強靭な筋肉が付いている。
……いや、何をしてるの私は。何故声をかけた。
助けてくれたのではない。彼はそこにいたゴブリンを凪ぎ殺しただけだ。
それにどう見ても、意志疎通が図れる生物ではない……。
……私は全然助かってなんていないんだ。
蒼がゆっくり近付いてくる。殺される……?
「……ありが、とう……」
でも私は、そう言った。
言わなければならないと思ったから。
……何故か、自然に笑えたから。
蒼と私の視線が混じる。
『……ギィアァ』
「え……」
蒼が踵を返して駆け出した。
……行ってしまった。
森の音が聞こえ始める。風の後やさえずりの声。
……助かったの?
……彼は、何だったのかな。
「私、なんで"彼"なんて……?」
その後、私はギルドから派遣された冒険者の救助を受けた。何事があったとか、後遺症はないとか、仲間の遺品は回収されたと。
……蒼い彼のことは、誰も知らなかった。
※花冠の森姫とはまた違う人物です