「有り得んっ……我が、混沌の神々より
『……』
「凡人、如きにっ……!!」
そこは、名も無き洞穴。
そこは、異界からさ迷い居場所を見失った孤独の場。
溢れる、小鬼の死体。
浸す、紅の生命の水。
戦き、憤怒する闇人は膝を付いて。
影の精霊……夜を纏う一頭の竜は、紅の軌跡を宵闇に写し、獲物を断つ。
牙を鎚に、翼を刃に、尾を槍に。紅い二つの彗星は獲物を見て、狩人を魅る。
黒と紅は流れた。
さて……血を流すものは、何処に在る。
ーこれは王都を龍が襲撃し、半壊の悪夢を見せるより……少し前の物語ー
「うむ、漸く準備が整った……!」
狩人が待ちに待った日の到来である。
変化への慣れ。狩人としての鍛練。生活を営むための下準備……。
最早洞穴などとは呼ばせない。
そこは、別荘だ。マイルームだ。それ程までに充実し、快適さを求めた空間がそこにある。
だからこそ、口惜しくも感じるのだ。
「いざ出ていくとなると、愛着があるものだな……」
そう。ハンターは今日、この洞穴から出立する。
と言っても、完全に引き払う訳ではない。そもそも膨大な装備やアイテムを運び出す伝手がないのだ。
歴戦のハンターと言えど、その身は一つ。運び上手なんてスキルは存在しない。
だからこそ、今日は待ちに待ち、そして何処か避けていた人との接触を試みると決めた、運命の日なのだ!
……大袈裟?
私は前兆もなくモンスターに変貌する呪いに犯され、一年はまともに会話もしていないのだ。こんな覚悟染みた気持ちにもなるだろうさ。
そう……一年だ。それも"少なくとも"一年。
記していた日記が数札に及んだからこそ分かるその期間。情けないことに、変化の度に意識と記憶を失っていた私には、その期間すらも朧気。
そんな曖昧模糊な状況で未曾有の地の生活を改善し、順応して生き延びていること。私は最初こそよくやっていると自らを誉めたものだが……そうも言ってられない。
一年間、文化や文明から外れていた。
これは異常なことだ。それも、異界の地で。
その原因として例の変化もあるのだが……いい加減、それを理由に引きこもる訳にもいかない。
「……元の世界に戻る方法を探さねば」
それが私の最終目標。私がこの世界にいる意味。
方法を探すとなれば、必要なのは情報だ。つまり人の助けがいる。
ただ生き残るだけならば私一人で幾らでも生き残ろう。獣を狩り、作物を育てよう。
だが私は生き延びたいのではない。
繰り返そう、私は帰りたいのだ。
だからこそ、その第一歩として今日、街に向かうのだ。
「……あいつらも、この世界に……」
相棒であり、狩友であり、お供である二匹の小さな勇姿が脳裏を走る。
最後にある記憶は、あの荷馬での出来事。
迷いこんでいないのならば、それに越したことはない。だがもし私と同じであるならば……探し出さねばならない。
……そうだ。探さなくてはならない。
……ならない、はずだ。
会いたい、そう願う私がいる。
会いたくない、そう願う
ーカラカラと、音が響いたー
「……はっ、タイミングが良いのか悪いのか」
来訪者を伝える竹の音。
誰が来たか?決まっている。奴等以外にここへ来る物好きなどいないのだから。
何と言うタイミングなのか。笑ってしまう。
出立を決めた、今日この日と言う時に。
覚悟新たに過去を振り返っていた時に。
相棒らに複雑な感情を向けていた時に。
苛立ちはしない。
分かりやすく、明確な目的をわざわざ提示してくれたのだから。
「……さて、最後の出迎えをするとしよう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
……本当に、狙ったようなタイミングだ。
「まさか、最初の会話がモンスターの頭目とはな。素直に喜ぶことも出来ない」
「何を宣っているのか分からんが……貴様を喜ばせる気概など毛頭ない、憐れな
その男は苛立ちを隠さずに言い放つ。
その前には、緑の獣人の群れ。それは軽く五十以上……随分なもてなしだ。
モンスターを率いているのが知識人であったこと。それについては大した驚きもない。
私自身がアイルーをお供としているのだ。言葉は通じずとも知識のある緑の獣人の頭目としては考えられたことだ。
しかし……宗教者のように派手な身だしなみ。褐色の肌に、尖った耳……竜人か?
……まぁいい。
敵であることに変わりはないのだから。
「今までの襲撃もお前の指示だった訳だ。約一年も付き合わされたが……何が目的だ」
「知れたこと。貴様は我が下僕を殺し過ぎた……替えが効くとは言え、崇高な計画を邪魔立てした貴様には、相応の対価を与えてやろうと思うてな」
「……わざわざご苦労な奴だ」
私は知っている。
"崇高な計画"……この言葉に酔う輩には、ろくな奴がいないのだと。
ならば、語る言葉は無しだ。
「……」
「どうした、お得意の剣は抜かないのか?フッ、その潔さを早くに示しておくべきだったな、凡人」
じりじりと、緑の柵が迫る。
出立の見送り人にしては、随分と大所帯だ……あぁ、そもそも人ではないか。
何ともまぁ、豪華な話ではないか。
……だから私も、その見送りに答えよう。
「……君は、闇を怖れたことがあるか?」
「はっ、混沌と無秩序の使者たる我が?馬鹿げた問答だ」
「人は闇を怖れる生き物だ。それは抗えない本能……闇を怖れぬ者は……勇敢な者か、単なる阿呆か」
「……何が言いたい」
「断言しよう。君は……後者だ」
ー紅い獣の瞳が、捕らえるー
「くそ、くそっ……有り得ん……っ!」
その男は、凡人を相手取って
だがそれも、過去の話。
その男には、獣人には人間など見えていない。
今の私は、人ならざる獣なのだから。
『GORRB!GOBッ』
「また……っ、糞がぁっ!何処に潜んだっ!?黒の化物がぁ!!」
黒の化物。
それは影を絶つ、闇より生まれし絶影。捕食者としての本能を極限まで極めた漆黒の竜。
ー迅竜ナルガクルガ
「ただの凡人が竜に化けるだと……!?認めてなるものかっ!!我だっ!我こそが混沌の……!!」
『G、ORRー!!』
「ぐっ!?」
竜人は酔ったように喚いているが、この狩場でのそれは自殺行為と変わらない。
何より、ナルガクルガを相手にして雑木林に逃げ込んだ時点で奴らに勝ち目などないのだ。
巨体だからこそ、開けた洞穴の前は不利と踏んだようだが……やはり、奴らはモンスターへの対処を知らないらしい。
いや、モンスターという存在そのものを知らないのだ。
変化を扱いきれるかを試すためにも、迅竜の姿を晒したが……この世界が私たちの世界のモンスターを知らないのならば、人の姿であっても下手な言動は不振に思われかねないな。
しかし、丸腰で人の街に向かうと言うのは……。
……思考は止めよう。
まずは、目の前の存在からだ。
『GORRB!!』
『GOB、GORBッ』
尾の刺を放ち、貫く。
刃翼が小さな獣人を、更に小さく裁断する。
しなる尾が奴らを弾き、潰し、赤い水溜まりが増えていく。
……人である時は、その武器を通して、そして防具を通してモンスターとの命のやり取りを感じていた。
しかしこの姿は、それ以上に。命そのものに触れている。命が消えた感覚が直に伝わってくる。
私は、生きているのだと。
緑は減り、赤と黒が男の周囲を囲む。
さぁ、どうする。
『GOBッ』
「盾にもなれぬか、使えぬ小鬼共が……凡人こどきが竜を真似るなど……粋がるなぁっ!!」
獣人が絶命した場所に私がいると予想していたのか、私の姿を捉えると、憤怒の怒りを上げて剣を振りかざした。
……そんな玩具で迅竜の翼を斬れると思ったのか?
「な、に……っ!?」
余程の勢いで振り下ろしたのだろう。硬質な音を奏でて弾かれた男は、思い切り後ろへと倒れる。
対モンスターを想定としていないであろう、細い刀身。
その剣に、その男あり。剣術は明らかに対人のそれ。
迅竜の肉質を理解していない、より硬質な刃翼を狙うという愚策。
『クルルル……』
今の私に人語は話せない。
迅竜の言葉を借りて、笑う。
目の前で獣人を失いながら。そして迅竜の圧倒的な力を見てなお、飛び込んできた男の勇気は誉めよう。それが苦し紛れの児戯だったとしても。
だが残念だ。
この場の狩人は……私なのだから。
「ごは……っ……!!」
迅竜の体躯を回転させるように捻らせ、最大の力を上乗せした尾を男の腹へと叩き付ける。
男は狩人としての装備などではない。
故に、今の一撃で絶命するものだと予想していたが……
「ご、ほっ……かほっ……!ぎざ、ま……ぁ……!」
……驚いた。血反吐を吐き、地面に身体を投げ出してなお息があるとは。この世界の人は身体の作りも違うのか?
だが息といっても、虫の息だ。簡単に始末がつく。
緑の獣人の姿も、もう見えない……。
『……?』
……見えない?
最初に奴らと向き合ったとき、五十はいたはずだが……私が討伐した数とは……
そんな思考に陥ったとき、遠方で頭に響くような、キィンと甲高い音が響いた。
迅竜の卓越した聴覚だからこそ届いたそれを聞き、私は瀕死の男もそのままに全速力で駆ける。
間違いない……!
あの音は洞穴に罠として仕掛けていた、トラップ式の音爆弾だ。私が街に赴く今日のために仕掛けたそれが発動したということは、あの洞穴に侵入した輩がいるということ……!
そして、その輩とは想像通り。
『GOB!?GORRB!』
ーやはり、あの獣人どもか!
奴らは洞穴から紅色のアイテムボックスを運び出そうとしている最中だった。
罠も十全に仕掛けていたつもりだったが……洞穴の間際に出来た血の池を見るに、数でごり押したようだ。何と言う執念……何をそんなにも欲しているのか。
奴らへの認識の甘さ、自らの罠への驕りに腹が立つ……!
『ゴアァッ!!』
当然、奴らにくれてやるアイテムなど有りはしない。
飛び掛かり、アイテムボックスに集る獣人を蹴散らし、擂り潰す。
……その時。
力加減を誤ったのか、精神の不均衡が表に出たのか、はたまた運が悪かったのか……ボックスに収納されていたアイテムの幾つかが放り出されてしまった。
今の私に、それらを手に取る器用さなどない。
ただ弧を描いて、周囲に散乱した。
ーやわな仕舞い方はしていないと言うのに、こんな時に限って……全く、嫌な一日だ。
本当に最悪な一日だ。
とは言え、漸く片付いた。肉塊と化した獣人の数も、襲撃時のそれと一致している。
もう取り逃がしたなんて事態もあり得ないだろう。
満を持して今日を出立と決めたのに、また片付けからやり直しとは、迅竜の姿であっても溜め息が出る。
ーさて、後は死に体の頭目を始末すれば……
「ふ、ふふ……ははははは……っ!」
背後から笑い声。
何なんだ……次から次へと世話しない……!
誰かなど知れている。虫の息であった頭目だ。よもやあの身体でここまで戻れるとは思わなかったが……気でも狂ったのか。
私はあまり、良い気分ではない。
手早く片付けようと首を動かし、彼の姿を捉える。
……それを見た時、迅竜と化した私は……動くことが出来なかった。
「我は選ばれた……選ばれたのだぁ……!世界を狂わせん、狂喜の渦中に!はっ、くははははっ!!」
頭目は嗤う。それはどうでもいい。
頭目の手には、あるアイテムが握られていた。しかし、それも今や思考すべきことではない。
では何を。何を見つめ、思えばいいのか。
決まっている。
それから、一つの龍が顕現しているという……馬鹿みたいな現実だけだ。
「これは……一体……」
その声が、変化を解いた私のものであることなど、どうでもいいことだ。
私の目の前で。嗤う頭目は足元で、それを見る。
腕の中に収まるようなそれから。まるで肉の内側から新たな肉が覆っていくように、それは確かな形を持って、私たちを……そして大地を見下ろしている。
それは私の知っている存在。
この世界では、初めて目の当たりにした絶対的な存在。しかし、回顧の念などあり得ない。
だからこそ、どうしようもなく笑みが溢れるのだ。
「全く……とんでもない一日だな……!」
ー老山龍ラオシャンロンー
災害が、歩き出す