せめて狂気のベクトルは別々に表現したいな……
この館の地下室には、代々の当主が集めていた奇妙な蒐集品が死蔵されている。集められた理由は知らない。ただの趣味か、それとも何か意味があったのか。
ただ何かに駆り立てられるように妄執的な情熱で、これらの品は世界中からかき集められている。
私は暇つぶしがてらに地下室を歩いて、陳列された品々を見て回るのが趣味だった。
逆向きに針の回る過去を刻む大きな柱時計。この地下室にある唯一の時計。この地下室の時間はこの時計が決めている。本当に時間が遡行するわけじゃない。
真っ黒に燃え尽きた絵画。僅かな焦げと灰がこびりついていて、何が描かれていたのかさっぱり分からない。不思議なのは、絵は燃えているのに画材用紙が健在なこと。紙は無事でも塗ってあった絵の具の方はよく燃えたみたい。
白い楔文字が綴られた大きな黒い石板。周りには石板から剥がれ落ちた大小の破片や塊が転がっている。刻み込まれた文字も意味不明で、宝石のように価値あるものには見えない。
何十本という単位で束に集められた、赤褐色の捻じれた剣。螺旋状の刀身はものを斬るにも叩くにも相応しくない。少なくとも剣として使えない。だというのにそんな剣が何十もある。何の役にも経たなさそう。
他にもたくさんある。毒を唾のように吐き出す地蔵とか、白骨死体が合体したトゲ車輪とか。そういう訳のわからない奇妙な珍品がここにはろくな手入れも施されずに並んでいた。
そういった品々を眺めながら歩みを進め、そのうちの一つ、大人一人の全身が収まるほどの大鏡の前で足を止めた。楕円形の外縁部には白銀の装飾が施されている。
一見すると高尚な姿見鏡だが、これも例に漏れずまともな鏡ではない。
鏡面は光を反射するどころか、闇の底に通じるような暗黒を映し出している。
鏡はまるで手を伸ばせばそのまま鏡の中に入れてしまうのではないかと錯覚してしまうような、深い深い虚が映っている。
鏡としては欠陥も良いところだ。光を反さず暗闇に繋がる鏡など何の価値も無い。
この部屋にある品は全部そうだ。何の為に存在しているのか、どうして生み出されたのか首を傾げるような品ばかり。
そして、存在価値の無い品々と一緒にこの地下室に閉じ込められた私は。
「要らない子ってことかしら」
黒い鏡に自分の姿が映る。
真っ赤な瞳に金の髪を横に纏めた幼い少女の姿。赤い服に身を包み、背からは枝のような羽に極彩色のプリズムがぶら下がっている。
吸血鬼は鏡に映らない。でも、どうしてかこの鏡は私の姿を闇の中に浮かび上がらせることができた。
フランドール・スカーレット。それが私の名前。物心ついたときからずっと私は、まるで臭い物に蓋でもするようにこの地下に幽閉されていた。
出ようと思えばいつでも出れるけれど、外に興味も無い。
食事は出るし、ここは太陽の光も差し込まない。ちょっとばかし退屈だけど、好き好んで引き籠っているという側面もあったりする。
あらゆるものを破壊する力。私が疎まれ地下に追いやられているのは、この力と──何よりも私自身の気質のせい。
加減が下手だから、ちょっと遊ぶだけで壊してしまう。少し昂ったら、瞬く間に玩具が壊れてしまう。
私は気が触れているらしい。お前は狂っているのだと、人は私を指差して言う。
『どこが?』と私は思う。周りは私を狂気だというけれど、だったら私の狂気を決めつけるあなた達の正気は、いったいどこの誰が保証しているのかしら。
なんてね。そんな屁理屈を考えてみたこともあるけれど。それでも私はやっぱり狂っているのだろう。
だって私のそばに在るものはすぐに動かなくなってしまうもの。他の人はそうじゃないんでしょう?
こんな私が側にいれば皆だって心中穏やかではいられない。それも分かっている。分かっているからいつでも出れるこの地下に私は自分で引き籠っている。
別に、外の世界や、正気でいられることに憧れなんてないけど。
でも、退屈だわ。
白い金属に縁取られた鏡には、真っ暗な世界に一人佇む私の姿。
これが私の姿。これが私の世界。
鏡の中で誰もいない、何もない暗闇の中で独りぼっちの私が映っている。
──はずだった。
「……えっ?」
鏡の中の私の隣に、知らない男の人が立っていた。
慌てて隣を見ても誰もいない。男は鏡の中にだけ居た。
鎖を編んだ変な服を着た人はこちらに気づくと、鏡の向こうから何度もこちらを殴りつけ始めた。
拳が鏡にぶつかるたび、鏡に小さなヒビが入る。
鏡を割って外に出ようとしてるのだとすぐに理解できた。
「任せて!」
突如鏡の中に現れた謎の男性。私は彼への恐怖よりも、この未知の存在への興味の方が勝った。
あらゆるものを破壊する能力。私は万物に存在する弱点の『目』を手のひらに移動させ、それを握り潰すことで対象を破壊できる。
この鏡は門だ。これを丸ごと破壊するのはきっといけない。鏡面を壊す? いや、きっと違う。それをやってしまうと、この繋がりは喪われてしまう。
考えろ、失敗するな。
私と彼との世界を隔てる境界のようなものがある。それを壊せばいい。
「きゅっとして、ドカーン!」
ばりん、とガラスが粉砕されるような音と共に色の無い欠片が飛び散り、鏡を叩いていた男がそのままこちら側に飛び出し、勢い余って転げ出てくる。
彼は仰向けの大の字になって体を投げ出した。
すかさず駆け寄り、上から顔を覗き込んで声を掛ける。
「あなた、だあれ?」
「やっと出れたと思えば、また金髪に赤い瞳……」
男の人はくたくたに疲れ切った覇気のない顔をしていたが、私と目を合わせた途端に眉を顰め、一層老け込んだ顔でそう呟いた。
私が金髪で紅い眼をしていることに何か不都合があるのかもしれない。
なんでも構わない。
自分がズレていることを私は自覚していた。生まれてからいつか死ぬ日まで、何の変化も無くこの地下室で暮らし続けるつもりでいた。
私がどういう存在で、どういう世界に身を置いているのか。
色んなものを諦めて、独りでいる自分を見つめるために私はこの鏡の前に立った。
そうしたら、この人が私の隣に立っていて。
もう、私の世界は一人ではなくなっていた。
"運命"という言葉は嫌いだけど。
「ねえよ、俺に名前なんて」
今日、この人に出会ったことに私は特別なものを感じた。
♦
「ねえお兄さん、鏡の向こうからやって来たのよね? 一体どこの誰なの?」
「あー……まあ、異世界人みたいなもんだ。あながち間違いじゃねえだろ」
「異世界!?」
興味を抑えきれず、飛びつくように質問してみれば、男の人からはこれまた飛び上がるような答えが返ってきた。
無気力に老けきった顔立ちの彼をお兄さんと呼ぶことには若干の違和感を覚えたが、おじさんと呼ぶのも変に思ったのでこれで構わないだろう。
「おい、落ち着け。お前は誰でここはどこだ。まるで状況が掴めん」
「私は吸血鬼のフランドールで、ここは紅魔館の地下!」
「吸血鬼? 初めて見たぜ」
「私も人間を見るのは初めてよ」
「あー?」
頭をかきながらお兄さんが胡乱な目で私を見る。人の血を吸って生きる吸血鬼が、人間の姿を見たことが無いのはおかしい。筋の通らない私の発言に、彼は私が本当に吸血鬼なのか疑問を持ったのだろう。
「食用に加工された後の姿なら毎日見るんだけど」
「ああ、さいで」
そう言うと、お兄さんはすんなり納得してくれた。元からそれほど疑っていたわけではないらしい。吸血鬼がありふれた存在なのか、それとも彼の適応力が高いだけなのか。私には判別がつかなかった。
ただ、順当に考えてみれば人間はもっと吸血鬼を畏れるのではないだろうか。だって吸血鬼と人間は捕食者と、被捕食者の関係にあるのだから。
でも、目の前のお兄さんに私から逃げようとする素振りはない。
「お兄さん、吸血鬼は怖くないの?」
首を傾げながら問いかけてみる。
たまに地下に放り込まれる
大の字で寝そべっていたお兄さんが私の言葉にのそりと身を起こし、足を胡坐に組んだ。
それに合わせて、私も彼を上から覗き込むのをやめて床にぺたりと座り込む。
「俺は不死身の人間だ」
お兄さんは誇るでもなく、何の感慨もないようにそう言った。
「……不死? 人間って死ぬんじゃないの?」
「普通はな」
「へー。死なない人間もいるんだ」
「俺だってちょっとばかし死に損なってるだけだ。滅多に居るもんじゃないから勘違いするなよ」
「はーい」
返事をしたあと、人指し指を口に当てながらお兄さんの身体をじっと見る。
全身は細かい鎖の服で隠れているけれど、顔と首筋だけは露出している。顔も首も、どこを見ても大小さまざまな傷跡がびっしりと刻み込まれている。
今にも血がにじみ出しそうなそれらを見ていると、思わず食欲をそそられる。
死なない人間と一緒に過ごせるなら、吸血鬼の私は永久にご飯には困らないんじゃないかしら。
私の視線に気づいたお兄さんが、口元に皮肉気な笑みを浮かべた。
「吸血鬼って言ったか? 忠告しておくが、俺の血は飲めたもんじゃないぜ」
「え、そうなの?」
「なにせ、腐ってるからな」
「うえー……」
それを聞いた途端、急激に食欲が失せていく。私は血にこだわりのあるグルメではないけれど、腐った血を好き好んで食すような物好きでもない。
お兄さんから血を貰わなくても毎日食事は運ばれてくるから、血はそっちで我慢しよう。
「ま、人間は死なないようにはできてないからよ。長く生きすぎると色んな齟齬が出てくるわけだ」
「それで血が腐っちゃうの?」
「そういうこった。他にも色々あるが、どれもろくでもないもんさ」
脆くてすぐに死ぬのが人間なのに、死ななくても不都合ばっかりなんて。
おもちゃもそう。
まあ結局、
「人間って大変なのね」
「お前ら吸血鬼だって大差ないだろ。太陽の光とかダメって聞いたことあるぜ」
「言われてみればそうね。ずっと地下で暮らしていたから気づかなかったわ」
わたしたち吸血鬼は不死の種族だとされている。血を呑んでいる限り、他の生命のように寿命が訪れることがないそうだ。
加えて高い再生能力や魔法力、身体能力を持ち、体をコウモリや他の魔性の獣に変じたりできる。
そして、その強力さの代償として無数の弱点を持っていた。
では、この人間もそのような存在なのだろうか。
「試してみよっと」
バキン! と、いつもと違う音が聴こえた。
「ほんとだ。お兄さん死なないんだね!」
お兄さんは無事だった。潰した感覚はあったのに。普通なら細切れになったあと影も残さず消えるんだけど、お兄さんは何ともないみたい。
「……指輪がオシャカになった」
お兄さんは手のひらを広げ、嵌めている指輪に視線を落としていた。
その内のひとつ、楕円形の緑色の石が嵌った指輪が木っ端微塵に粉砕されている。
さっきの音はこの指輪が壊れる音だったらしい。
「……惜別を貫通したのか。おっかねえ幼女だ」
「──」
「純狐に唐突に殺された経験が活きたな。装備しておいてよかった」
それを見て私は──心底失望した。
何が起きたのかくらい見ればわかる。指輪に死を逸らしたんだ。
理屈はわからないけど、やったのはそれだけのこと。
これが不死のからくり? 死をたった一度きり誤魔化して壊れるような指輪ごときで、この人は自らを不死と豪語していたの?
これじゃ、ただのおもちゃと変わらないじゃない。もう一回壊したら終わり。
せっかく、あの不思議な鏡から出てきた人だから期待してたのに。
何か変わるかもって思ったのに。期待するだけ無駄だったみたい。
あーあ。冷めちゃった。
私はもう一度手のひらの上にあるものを握り潰した。
お兄さんの姿が消える。
「つまんない」
結局一人だ。
壊したら壊れるような人間なんて要らない。やっぱり私はここで孤独に引き籠っているしかないんだ。
理解者なんて、友人なんて望むべくもない。
「もしかしたら変わるかも……って思ったんだけど」
僅かでも希望を持ってしまったから、かえって落ち込む。
そんな曇り淀んだ内心でいると──ふと、視界に妙なものが映った。
「……なにこれ」
黒い何かが宙に浮いている。
怪訝に思いながら近寄ってよく見てみると、それは穴だった。
黒い穴が空間に開いていたのだ。
あの人間が居た場所には、黒い穴が残っていた。
中を覗いても何も見えない。
私のあらゆるものを破壊する能力で、何かが残ることはなかった。
私はそれをひどく不気味に思い、この穴も壊そうとした。
でも、壊せなかった。
理屈はなんとなくだけど分かる。これは穴だ。あのお兄さんが居た場所には、小さな虚無が穴のように残っていた。
無いものは壊せない。自明の理だ。
これをどうにかするには、きっと何かで塞ぐしかない。
「どうしよう」
言い知れぬ不穏な印象をこの穴からは感じる。無害に見える。無害に見えるが、放置しておくのはとても恐ろしい事のように感じた。
けれどこの穴には妙に心が惹かれる。試しに指でも入れてみようか……と、無謀な考えが脳裏をよぎった瞬間、穴に変化が起きた。
火が出たのだ。
穴から噴き出すように、ではない。炎がこの黒い穴の外縁を走り、輪のようになって沸々と燃えている。
思わず息を呑む。
私はこれを、この輪を見たことがあった。
名前も知っている。
「ダーク、リング……」
これの存在をどこで知ったのか。
私が知識を蓄えられる場所なんて、この地下室を置いて他にない。
この地下で仕舞い込まれている無数の珍品の一つに、目前にあるこれと同じ炎の輪が挿絵に載っている本があったのだ。
それは扉ほどある巨大な本。あまりにも大きすぎる本は真ん中あたりのページで開かれたまま、この地下の壁に立てかけられている。何で書かれたのか、綴られた文章は濃い橙色の筆跡が力強く光を放っていた。
中身はおとぎ話のようで、同時に色んな世界の様々な時代の伝記でもあった。
酷く劣化していて、あちこちが掠れて読めない本だったけれど、私にとってこれは数少ない娯楽で、この本を何度も何度も読み直していた。
私が知っている唯一の物語だ。
『火』と呼ばれた古い時代の話。
この時代では、歴史の節目において『火継ぎの王』と呼ばれる偉大な王が誕生する。『火継ぎ』というキーワードの意味は、この本からは失われており、知ることはできなかった。
この本の筆者は、ありとあらゆる時代の王たち。
時を超え、時代の覇者たちの手を脈々と渡って記されてきた一冊の本。
ただし、この本の主役は『火継ぎの王』ではなかった。
彼ら『火継ぎの王』たちはみな、王へと至る試練のさなか独りの不死の助言に導かれてきたという。
名も無き不死の外見に特別なものはなく、一目見てそうと判断することは難しいとされる。
ただ彼には他と違う一際強く輝く印がある。
それこそが深紅の炎の輪。名をダークリング。消えない炎の輪。
私はこれを架空の、ちょっとばかし大がかりな作り話だと思っていた。
王たちはかの不死へ強い感謝の念を抱いており、それがこの書を書くに至った経緯だと言う。
すなわちこの本は彼ら王たちが記した、名も無き不死の書。
タイトルは──
「どうやら俺も、まだ終われないらしい」
『王の鏡』
ダークソウル2のボス、鏡の騎士の盾。
鏡の騎士はオンラインで遊んでいると、鏡を通じて戦闘中にほかのプレイヤーを召喚してきます。
フランちゃんは静かに狂っています。軸は傾いてるし同心もずれてる歯車みたいな。
なんかこのままフランちゃんとうふふしてるとヤンデレタグを付けざるを得ないをような展開になる気がする