ほんとうにただの余談。
幻想郷。人に忘れ去られたものたちの行き着く場所。人間の手になる科学の力は日々進化を続けており、今や多くの神秘が暴かれ、不思議の解明はなされてしまった。近い未来妖怪は完全に己の居場所を損なうだろう。
このまま順当にいけば、妖怪という存在はやがて滅び消え行くのが定め。そんな妖怪たちのために、私は日本の秘境に大規模な結界を展開し、現実と幻想を隔てる箱庭を構築した。そこはまさに妖怪にとっての理想郷といえる世界。
幻想郷の核となる根幹のシステム『博麗大結界』にはあの人の授けてくれた奇妙な人形が大きく影響している。参考となったのは隔てる力ではなく、呼び込む力の方。結界は境を明確にするが、幻想となったものを博麗大結界が導けるのはあの人形あってこそ。
そのおかげで、私は幻想郷を理想に極めて近い形で実現することができた。
だが、その肝心の幻想郷の運営はうまくいっていない。
幻想郷は博麗大結界という大仰な仕切りによって隔絶された閉鎖空間。その内側は妖怪の不可侵領域に住む多数の人間と、それを囲む大勢の妖怪によって構成されている。
妖怪の楽園に人間がいるのは、妖怪が存在するためには人間が必要不可欠だから。
妖怪は徹頭徹尾、人の感情や無意識から生まれる畏れなどが存在の理由となっている。人に想われない妖怪は泡沫のように消えてしまう。
皮肉なもので、人の畏れで生まれた妖怪が人の科学で消えようとしている。妖怪というものはそもそもが本質的に人に依存しているのだ。
だから妖怪の楽園にも人間がいる。それも妖怪に都合のいい人間が。
幻想郷に設けられた人里は、そんな人間たちの集落だ。妖怪は人を襲わないが、人里の外に出た人間はその限りではない。
故に人は妖怪の恐怖を忘れず、閉じた集落であるがゆえに文明の進展を懸念する必要もない。
ただし、この構造には『腐敗』という致命的な欠陥があった。
幻想郷という閉鎖空間を維持するためには、前提として人間と妖怪双方の勢力バランスを維持することが必要となる。当然人間は妖怪が増減しても困るから妖怪の退治をしなくなり、対する妖怪も幻想郷の人間が減っても増えても困るため、人を襲うことをしなくなった。
そんな最中、腑抜けた妖怪ばかりとなった幻想郷に外から侵入者がやって来た。外の世界の吸血鬼だ。連中は幻想郷を牛耳らんと力を振るって暴れまわり、腑抜けて弱腰となった幻想郷の妖怪のほとんどを傘下とした。
その外の吸血鬼は本拠地たる洋館を丸ごと幻想郷に転移させた。上から下まで隙間なく深紅に塗りたくられた悪趣味な風貌の館を根城に、吸血鬼は幻想郷の侵略を開始し始めた。
無論、この幻想郷の管理人たる私が幻想郷を支配せんとする勢力の進撃を静観するつもりはない。
可能な限りの戦力を幻想郷から収集し、これを叩き潰す。それと同時にこの騒動の結末を幻想郷のルールを新しく制定するきっかけとする。
この西洋妖怪との全面戦争が決して容易な戦にならないことはもちろん予感している。
敵の首魁は吸血鬼。
夜の支配者と謳われる彼らは、鬼に並ぶ怪力でありながら天狗に迫る速度を誇り、更には妖狐の術に比肩する魔術の数々を操るうえ、あげくの果てには身を霧に変じながら幾千の下僕を使役し、傷はたちまち癒え魂を無数に保有する死の超越者。
能書きだけでも西洋妖怪を代表するに足る存在であると納得できる。
ただ吸血鬼は無類の強さの代償とでもいうべきか、大きな弱点を複数抱えている。太陽の光や銀などが代表か。けれども弱点を突けば吸血鬼を容易く下せるかといえば、それは否。
吸血鬼は文句のつけようのない"強者"。少なくない妖怪があちらの味方に付いたことも十分理解できる。
とはいえ抗する幻想郷の勢力も十分強大。言わずもがな、私と式の藍は大妖怪というのに相応しく、今代の博麗の巫女も調停者として過去最高の武力装置であり、戦力として数えることに何の不足も無い。
加えて妖怪の山は天魔の代理に最高戦力たる懐刀を、それから強いものいじめの機会と聞きつけた花妖怪も参戦した。
戦力から見れば勝算はかなりある。少なくともあの人を召喚するほど追い込まれることは無いだろう。
……あの人といえば、彼とは幻想郷を創造が叶ったとき必ず招待するという約束を交わしたけれど、その約束は未だに遂げることができていない。
理由は単純明快で、彼を見つけることができていないから。
最後に彼と会ったとき密かに追跡式を仕込んでいたのだけれど当然のように反応が無い。
ただし本人や周辺人物が気付いて解除したという線は低いだろう。そんな粗末な式を組む私ではない。
考えられるのはもっと外的な──次元ないし空間との干渉によって破綻した可能性。例を挙げるならば、彼が私のもとに訪れるような召喚行為が考えられる。
次はそれも考慮したものを組まなくてはならないわね。
いやそうではなくて。とにかく彼が見つからなくて、幻想郷の創始からしばらく経ってもなお彼を招待できていないというのが現状。
本当は初めの博麗大結界の展開のときから居てほしかったのが本音だけれど、いつか彼が連れていた白い不死の娘に問いただしても知らないというから、もうお手上げ。
ただ、その渡りで大変強力かつ意外すぎる人材が助っ人に加わった。
名をルーミア。かつて日ノ本の空から太陽を奪った大妖怪。私とは因縁があるものと思っていたのだけれど、彼女は全くと言っていいほど意に介していなかった。いや、本当意になんて介していないのだろう。
妖怪たちの世間一般では闇の妖怪は八雲に敗れたことになっているけれど、真実は異なる。闇の支配者を下したのは、私の力ではない。
参戦の意図を聞けば、理由は実に単純で紅魔館の地下にいる彼に会うため、蓋をしている上の館を吹き飛ばしたいから。我々に協力する理由はそれで完結していた。
……彼が紅魔館の地下にいる。初耳だ。紅魔館を襲撃する理由が一つ増えた瞬間だった。
四六時中彼の影に棲みつくルーミアが彼から離れているのは、曰く奇妙な鏡に弾かれたからだと。どうやら紅魔館の地下には何か秘密があるらしい。
加えて、ルーミアの協力には我々に、というよりも博麗の巫女に条件を課していた。
それは自らの封印の約束。此度の騒動の終結後に自身の力を抑える封印を施すようにという奇妙な条件を突き付けてきた。
何の利益も見えてこない不気味な提案だったけれど、訳を聞けば得心はいった。
彼女の常闇の妖怪としての力は大変強力なものの、その強大さ故か、半ば強制的に長い休眠期間を設けなくてはならないという。私が冬季に冬眠を行うように、ルーミアはそれをより長いスパンで行っているらしい。
彼女は現在頻繁に短い睡眠を繰り返し意識を保っているが、その実相当な寝ぼけまなこであると語った。今や自らの力に毛ほどの未練もなく、むしろ力の代償に休眠の必要な体質が煩わしい。
故に封印を求めている……という理由だった。
あの人が幻想郷に移住することは確定しているし今更首を横に振ったところで絶対に認めないので、ルーミアも当然彼と共に幻想郷に滞在するだろう。となれば私情を抜きに考えても彼女の弱体化は幻想郷の勢力の安定のためにも都合がいい。
私人としても幻想郷の管理者としてもこの話に乗らない手はなかった。
彼女が一人いればそれだけで容易く幻想郷の勢力図はひっくり返る。それも、彼女を頂点としたピラミッドとして。
その彼女が自ら力の大半を手放そうというのだ。これほどありがたい話はない。
戦後の幻想郷の盤面を脳裏で描きながら、私は紅魔館への襲撃を決行した。
後に吸血鬼異変と呼ばれ伝わるこの全面戦争は、幻想郷側の圧勝で終わった。
ただし、この異変が終わったとき、私は身を裂かれるような酷い悲壮感に襲われることになる。
◆
世の中を生きていると、本当に何が起こるかわからないものだ。
長く生きれば経験から先の事もわかるかと思った時期もあったが、思い違いも甚だしい。
長い長い石段の最上段に腰を下ろし、眼下に広がる古い日本の原風景を展望しながらそんなことを思った。
空は遥々として青く、一面を日照が照らしている。塞ぎこんだ紅魔館の地下室とは大違いだ。
軽く首を動かして振り返れば、背後には古めかしい神社がひっそりと佇んでいる。そびえ立つ鳥居は朱く染まっており、額に記された『博麗』の文字を読んで俺は深いため息を吐いた。
短い間に色々なことがありすぎだ。正直、今自分がここにいることにも絶妙に整理が追い付いていない。
呆けたように果ての無い青空を見上げながら、自分の身に起こったことを一つずつ整理していく。
俺はまずひとりでに石化の解除された蜘蛛姫に糸でぐるぐる巻きに捕縛され、そのまま抱きかかえられた。身動き一つとれない簀巻きの状態だ。もはや為す術もない。気づけば姉のクラーグもさも当然と言った風に石化を解き、静かに妹の元へ寄り添った。
フランドールは石像が人に変わり動き出すという大事件にはしゃいでいたが、俺の混乱はますます深刻化していった。
とって食われるかと思えばそうでもない。手も足も出ないから、せめてもと口を開いて訳を聞いてみると、彼女らは俺が太古に救ったあの魔女の姉妹だと言うではないか。
しかも『老魔女の指輪』をしていないにも関わず会話が通じる。どうやらエンジーたち従者の声を聴き、人の言葉を習ったという。呪術の祖クラーナがそうしていた以上、彼女たちに不可能な道理はないが、ゲームの頃の名残だろうか、俺は彼女たちと真っ当な手段では意思疎通ができないものだと勝手に決めつけていた。
最大の疑問として、なぜ"あの周回"の彼女たちがここにいるのかを俺は問うた。あの周回は、もう終わらせた。無かったことになったはずだった。
きっかけは俺が用意した出処不明の秘薬とソウルだという。自然の摂理を超えた手段に彼女たちは疑問を持ち、その秘密が時の輪廻にあることを突き止めた。次に求めたのは、時の巡りを超越する手段。
生命の巡り、時の流れ、来たるべき滅び。それらから隔絶した存在を彼女たちは知っていた。
すなわち『石の古竜』である。竜との戦争を経験した魔女の娘だ、竜の力にも造詣が深かったのだろう。
石は永久の象徴。超越の為の手段として、彼女たちは自ら石になることを選んだという。混沌の従者の献身から石化させる力を持つバジリスクと、石化を癒す香木の存在を知りそれらを用立てた。
捜索の矢面に立ちつつ、バジリスクの飼育をしていたのは全身棘だらけの騎士だったそうだ。
彼女たちは石化のコントロールの為に実験を繰り返し、香木を糸で包んだまま飲み込むことで石化から意図的に復活する手段を確立させたという。
もちろんぶっつけ本番などというリスクは犯しておらず、数多の実験を繰り返しこの方法にたどり着いたらしい。
進んで実験体となって石化解除の方法の立証に尽力したのもまた棘だらけの騎士だったとか。
俺は体に糸を巻かれ身じろぎ一つできない姿で、蜘蛛姫に抱きすくめられつつそう教えられた。なお、信じがたい事象を前に俺が呆然としている内にクラーグとフランドールは打ち解けたようで、親し気に談笑していた。他人事だと思いやがって。
ここで事態が急変する。地下室の天井が崩落したのだ。俺は唖然とすることしかできなかった。いつもなら咄嗟の反応くらいはできたかもしれないが、あの時ばかりは体はおろか指一本動かせなかったからな。
なんと俺がここに来てフランドールがのんびり談笑したり蜘蛛に捕まっている間、上の紅魔館の住民はこの館を本拠地に構えて、幻想郷との戦争行為を行っていたという。
ここから先は今の俺の背後に築かれた神社に居を構える『博麗の巫女』なる人物から聞いた話だ。
理想郷の行く末を見届ける。そんな約束があったが、俺はその理想郷に知らず知らずのうちにエントリーしてたらしい。
ざっくり言うと、紅魔館が丸ごと幻想郷に転移して幻想郷に喧嘩を売ったってことだな。
俺たちは博麗の巫女が紅魔館のロビーの床を崩落させたのをきっかけに、地下から突如出現した気の触れたヤバ気な吸血鬼と怪物蜘蛛の姉妹、カスみたいな不死者という意味不明な組み合わせの第三勢力として急遽異変に途中参戦した。
既に戦場は混迷を極め、収拾がつかなくなっていた。
フランは敵味方問わず好き勝手暴れるし俺を奪い返しに来たと勘違いした蜘蛛姉妹が炎の嵐を呼ぶしで大混乱。吸血鬼側にも大勢の屍鬼や狼男、首無し騎士に魔法使いと、舞台は東洋と西洋の入り乱れた妖怪大戦争の様相を示していた。
中にはどこかで見たようなステゴロで戦う赤髪緑衣の女や、どさくさに紛れて大将首を狙うヴァンパイアハンターなどなどお祭り騒ぎ。
紅魔館で暴れている連中には他にも色んなのがいたが、最も目立っていたのは夜の簒奪者ルーミア。
おい。最近見ないと思ったら何してんだ。そう叫びたくなった。
後で聞くとルーミアは俺の影の中でぐっすり眠っていたようだが、紅魔館で召喚されたときに『王の鏡』を境界に影から弾き出されたらしい。全然気づかなかった。
天を蝕む深淵が奪うのは光であり、昼であり夜である。月明かり、星の輝き、天体の力。夜空が吸血鬼に注ぐ魔の力の一切を闇によって遮断した。
文句なしでお前がMVPだよ、多分な。
謎の法則でばたばた妖怪を仕留める境界の妖怪もインチキ臭かったが、一番人間離れしていたのは素手で大気を殴り割って妖怪の大群をブルドーザーのように蹴散らしていく博麗の巫女だった。何者だよマジで。
ちなみに俺は何をしていたのかというと、当初の俺は糸で拘束されたまま蜘蛛姫のデーモン部分の背に縛り付けられていたんだが、激化する戦いから床に振り落とされ、色んな奴にボロ雑巾のように踏み躙られ蹴り飛ばされてしまった。
こんな場所で死亡数を数えるのも癪だったので 『鉄の身体』『大魔法防護』『激しい鈍麻』で防御を固め、初手に『鎮魂』で辺りをひしめく小物のアンデッドには全員ご退場いただき、残りは『神の怒り』『生命の残滓』『封じられた太陽』『天の雷鳴』『ソウルの奔流』などなど、枚挙に暇がないから詳細は省くが、広範囲魔法やドラゴンウェポンを中心に火の時代総集編スペシャルをお楽しみいただいた。
全く釈然としないんだが、気づけば異変の終盤で俺が戦っていたのはルーミアや射命丸に花妖怪、緑衣の女に九尾、あとちゃっかりフランドールも。
あの時は流れで戦っていたが、どう考えてもおかしい。
何してんだお前ら吸血鬼と戦えよ戦力偏りすぎだ余所いけ余所。
というか何で妹とはいえ吸血鬼と団結してんだよ。そう思った俺は絶対に間違っていない。
正体不明の『青い剣』と呼ばれる誰かを俺と思って襲ったとかが理由として考えられるか。納得はいかないが。
さて、この異変の終結だが、どうやらずっと視界の端に映っていた気障な貴族被れのような風体の紳士が総大将だったようで博麗の巫女がそいつをぶち殺したことで紅魔館の軍勢が完全に瓦解し収束へと向かった。
こうして振り返るとあっさりに感じるが実際はひどい泥仕合で、博麗の巫女は独力で吸血鬼を殺し切ることができず決め手が無いままにじり貧の長期戦を強いられていた。
長引いた戦いのトドメは、俺の所からの流れ弾。死角から飛来した『太陽の光の槍』を博麗の巫女が掴み取り、吸血鬼の心臓に杭のように突き立てたことで決着となった。
職務を全うした博麗の巫女に俺は拍手を送りたい。
この戦争はそうして幕を閉じた。
というか俺が『深い沈黙』と『緩やかな平和の歩み』によって半ば強制的に戦いを終わらせた。
やっぱり最後に頼りになるのは平和だな。本当に平和をもたらす為に使うのは大変稀有なケースだが。
そして後日。フランの姉にあたる人物が新たな紅魔館の当主となり、博麗の巫女と契約を結んで和解し決着となった。
父親が目の前で消し炭になったフランドールだが、当の本人からしてみれば父親は"ほぼ他人"だったようで何ら気落ちした様子も無くけろっとしていた。これが当人の性格故なのか吸血鬼の倫理観故なのかはわからん。
一件落着とは言い難いが、幻想郷始まって以来の大異変(らしい)は収まった。
今は巫女と幻想郷の管理者が新たなルールを制定する為に奔走しているところだ。
まあ今の体制じゃいずれ似たようなことが起きるだろうし、異変のたびにこれをする気にはなれんわな。
幻想郷の管理者と言えば、境界の妖怪と九尾には悪いことをした。
異変の熱が冷めた後もう一度顔を合わせる機会があったのだが、二人が親しげに声をかけてくるのに対して俺は悪びれることもなく『誰だお前ら』と返してしまったのだ。
まあ、俺も不死をして長い。凍り付いた二人の表情を見ればおおよその事情は分かったさ。大方俺の知人だったんだよな。それも結構長めの。
ただ、手元の記憶をどれだけひっくり返しても思い出せるのは境界の妖怪として伝え聞く大妖怪の外聞だけ。顔も名前も思い出せない。二人からは過去の体験なんかを執拗に思い出せないかと詰め寄られたがね、生憎と一つも心当たりがなかった。
不死が記憶を喪うときはいつもそうだ。忘れるんじゃない。失くすんだ。
記憶が、体験が、思い出が。そういうんが全部自分のものじゃあなくなっちまう。失くしたもんの重さも自分じゃわからねぇ。
二人の様子を見てりゃ、そんな軽いもんじゃなかったんだろうけどよ。
幸いだったのはその……ゆかり? と交わしたっつう約束だけは覚えていたことだな。一つが理想郷の行く末を見守る。
もう一つが絶対に紫を見捨てず、どんなことがあっても添い遂げるという約束。
──俺がそんな約束をするか? と疑問に思っていたらルーミアにどつかれていた。どうやら俺の記憶がないのをいいことに妙なことを吹き込もうとしたのを彼女が察知したらしい。
だが丸きり嘘というわけでもないのだろう。なんで俺が今更『青の守護者』の誓約を交わしたままなのかずっと釈然としてなかったんだ。どうやら俺が忘れていただけでそういう背景があったらしい。
まあ、本当のところは単純にヤバかったら助けるとかその程度の約束だろ。俺のことだしな。
ちなみに蜘蛛姫姉妹だが紅魔館の厄介になるらしい。フランと意気投合していたのもそうだが、今更幻想郷に住処がないのも理由として大きいだろう。
なおその結論に至るまでに絶対に俺と一緒に来ると言って憚らない蜘蛛姫と、急いては事を仕損じると説得する姉で壮絶な姉妹喧嘩があったことをここに記す。
件の異変でのあらましはこんな所だろうか。
幻想郷に漂着した俺は俺で、適当に幻想郷の風雨を凌げる場所でも見つけるつもりだった。ただし紅魔館は論外。蜘蛛姫の文字通り粘着質な拘束を受けるのは勘弁だったからな。
あとフランにそのうちもう一回くらい殺される懸念もあった。
基本無気力な俺だが、それでも自由の中であえて無気力でいたいのだ。
何かしたくてもできない環境に身を置くのは気が進まなかった。その何かをする予定なんてものが無かったとしてもな。
とりあえずこの幻想郷を一望できる場所を聞いてみたら、最も端にある博麗神社が良いということになった。
俺が博麗の神社の苔むした石段に腰かけるまでになったいきさつはこんなところか。
「……冷えるぞ。中に入れ」
俺がぼけーっと思慮に耽っていると、唐突に背後から声が掛かった。
声の主は、赤一色の巫女装束を身に纏った艶やかな黒髪の女性。まさにこの神社の主、博麗の巫女その人であった。
声を掛けられるまで、すぐ後ろにいることに気づかなかった。まるで気配を感じさせない振る舞いは、流石に戦場に身を置く戦闘者といったところか。
地力でこれだというのだから、やはり本職というのは違うものだ。
ただ、妙だ。
「晴れてるぜ」
空高くには太陽が燦々と輝いている。肌寒さとは縁が無いように思う。
言葉の意味を訪ねてみると、巫女は僅かに間をおいたのち、短く答えた。
「……じきに雨が降る」
「巫女の勘ってやつか?」
「ああ」
言われて空を睨んでみるが、雨の気配などさっぱり感じ取れない。付き合いは短いが、この巫女の勘はよく当たると評判だ(本人の自己申告)。俺だって好き好んで雨に打たれるような物好きでもない。言う通りにするのが吉だろう。
「なら、軒下でも借りるかね」
石段から腰を上げ、鳥居をくぐって境内を渡り、今度は神社の正面脇、賽銭箱のすぐ隣に腰を落ち着けた。先ほどよりはやや景色が悪いが、まあまあ落ち着く場所だ。
ましてつい最近までは湿気た洋館の地下に缶詰だったから、尚更にそう感じる。
年季の入った材木特有の、焦げ茶色の黒い木造建築。境内に敷き詰められた鼠色の敷石は降り注ぐ日光をほのかに照り返し、細やかに煌めいている。敷石の隙間にひっそりと佇む青々とした苔は、何やら居心地が悪そうだ。
いかにも日本といった風の景色。
こう、あれだ。日本人の血が騒ぐってやつだな。転生した身の上だからもう血は流れていないが、感慨深いものがある。
博麗神社。いい場所だ。
家主の巫女に尻を蹴飛ばされて追い出されでもしない限り、俺はここに居着くだろう。
「……最近」
「……あん?」
博麗の巫女がぽつりとつぶやく。こいつが話し始めるときはいつもこんな風だ。
紅魔館で彼女を目にしたとき、俺はこいつを愚直で一辺倒な戦いぶりからさぞ豪気で粗暴な人物だろうと勝手に思い込んでいたのだが、実際はその真逆。
厳かで静謐な雰囲気の持ち主だった。寡黙な性格で、たまに口を開いたとしても口数も少ない。
あぐらをかいて大酒を呷り馬鹿でかい声で笑うカタリナの戦士のような人物像を事前にイメージしていたので、最初に会話したときは第一印象からの乖離に無駄に苦労させられた。
そいつが、眉を顰めてひどく深刻そうに言う。
「霊夢がお前に似てきた」
「知るかよ」
霊夢。次の博麗の巫女の名前だ。
博麗の巫女には本来名前が無いらしい。次の巫女が特別だそうだ。
興味本位で話を聞いてみれば、当然だが俺のように忘れたのとは違う。自分の生まれもわからない孤児のまま博麗の巫女に見出され、巫女になる。
「単純。のんき。怠惰。ものぐさ。享楽的。まるでお前の娘だ」
博麗の巫女として生まれて死んでいく妖怪を退治するだけの機能に"博麗の巫女"以上の名は不要だから、というのが理由らしい。
「そりゃお前の教育が悪い」
「違う。
だが、これから時代が変わる。"博麗の巫女"は情け容赦の無い殺戮者ではなくなる。
妖怪が力を失うことの無いように決闘が行える、妖怪が人間を襲い易く、人間が妖怪を退治し易く、同時に人間の数も妖怪の数も減らさずに済む平和的な決闘のルールが考案された。スペルカードルールとかいうやつだ。
そのルールの下では、幻想郷の調停者たる博麗の巫女の役目が変わる。
妖怪と人間が本当に共存する時代がやってくるのだ。
次の博麗の巫女はその旗頭になる。
だから名前が要るのだと、この赤染めの博麗の巫女は考え"博麗霊夢"という人物が生まれた。
一方で今の"妖怪を殺す人間"という無慈悲な処刑人は不要になる。いっそ邪魔と言い換えていいだろう。訪れる新しい幻想郷に、今の博麗の巫女は相応しくない。
こいつも哀れな女だ。
世知辛いね。人生一本丸ごと棒に振って力を磨き鍛え抜いたってのに、時代が変わればハイさよなら。
ハハ、博麗の巫女ってのも気の毒な仕事じゃねえか。
自分の生きた理由まで奪われておきながら、今度はどこで拾ってきたかもわからねぇ愛想の無えガキの母代わりまでやらされてよ。
それでも、こいつはそれを聞いた時、『こんな私にも人に託せるものがある』と嬉しそうに微笑んでいた。
いかにもいずれ死が訪れる人間らしい言葉だ。俺も同じ人間のはずだったんだがなぁ、そういう感覚はさっぱりだ。
その巫女も今じゃ人に向かって『お前が教育に悪い』などと言い出す有り様。なんちゅう言い草だ。人を何だと思っていやがる。
まあその発言の背景には次の博麗の巫女──霊夢が勤勉で真面目腐った先代を苦手に思っていて、自堕落に呆けている俺のほうに懐いていることに嫉妬している──というのがある。
「お前の修行が厳しすぎるんだろ。よく抜け出して俺の所に顔を出してるぜ」
「知っている」
「知ってて放置してんのかよ」
「……あの子は天才だ。私など容易く超えるだろう」
霊夢がずいぶんな天才肌らしいことは少し話してなんとなく感じていたが、こいつにそう言わせるほどだったか。
この博麗の巫女の怪物っぷりはこないだ目の当たりにしたばかりなんだが、それを才能で超えるとはなんとも末恐ろしい。
万が一にもないと思うが、うっかり牙を剥かないようにしないとな。
「ま、だとしてももう少し面倒見てやれよ」
「……だが、私が教えられることなど、もう幾許もない」
「それでもだ。お前の事もあいつなりに尊敬しているみたいだぜ。悪いようにはならんだろう」
打ってもまるで響かない石のような奴かと思っていたんだが、霊夢の理想の師でいられないことに、一丁前にヘコんでるらしい。
今日霊夢は紫の所へ行っているので博麗神社を空けている。本人に訊かれることもないので、話してしまっても構わんだろう。
俺の隣に無音で佇む巫女の、右腕に視線をやる。そうすれば、否が応でも人体にあるまじき"漆黒"が目につく。
「お前の腕。良かったのかよ」
「……? 謝罪なら不要だ」
「そうじゃねえ。もう使い物にならないんだろ」
博麗の巫女の右腕。素手で『太陽の光の槍』を掴んだ彼女の手は、指先から肩にかけて墨染めのような染みが蛇がのたうつように走っている。肌が黒く焦げつくほどの凄惨な火傷痕だ。
「良いんだ。……今まで、ただの義務で力を振るってきた」
黒い手のひらを陽に翳し、巫女が続ける。
「霊夢には『太陽を掴んだ証』と自慢した。あの子にしては珍しく驚いていたよ。信じたかもしれない」
信じたも何も、真実だぜ。お前が掴んだのは本当に太陽の光だよ。
旧世界の、だけどな。
「初めから先の異変を最後の務めにすると決めていた。霊夢を見つけたとき、そう決めた」
「命が惜しくなったか?」
「いいや」
あえて投げた意地悪な質問。巫女はそれをすぐに否定した。
「あの子の為に、楽園とやらを作ろうと思った」
「へえ」
「私はその為にあの館で拳を振るった。幻想郷はこれからもっといい場所になる。霊夢がなるのは楽園の素敵な巫女だ」
楽園の素敵な巫女ね。今の凄惨な殺し屋とは正反対だな。
実際、あの吸血鬼異変の解決を皮切りに幻想郷は変わろうとしている。
こいつの尽力で、本当に幻想郷は人妖双方にとっての楽園となるだろう。
「霊夢の巫女装束も新しくした。もう見たか」
「紅白だったな」
「ああ。もう博麗の巫女は臓腑を潰したり脳漿を撒き散らさない。返り血を浴びなくなるから白い生地を使うことにしたんだ」
理由がおっかねえな。むしろお前の巫女服が紅いのはそれが理由だったのか。
「でもあいつは母さんと一緒のが良いって言ってたぜ」
「絶対ゆるさん」
意志は固そうだ。この前霊夢がこっそりこいつの紅い巫女服に袖を通そうとしていたのを軽く窘めて阻止したのは正解だった。
この調子なら何も心配はいらんだろう。
「それでいいじゃねえか」
「何が」
「べつに巫女の師はできなくたって、母親はできるだろ」
「…………そうか。そうだな」
巫女は暫し押し黙った後、静かに頷いた。
「……本当に、よく似ている」
「急になんだよ」
「人も妖も隔てず、ありのままに接しておきながら、本人は何ものにも囚われず、また誰の影響も受けない」
「あー?」
「人に興味がないようで、変に律儀だ。色んな人妖を惹きつけるだろう。」
憮然とした表情のまま、まるで未来を確信したように巫女が言う。
「きっとあの子も苦労する」
それも、なぜか俺を見ながらの言葉だった。
「……それも巫女の勘ってやつか?」
「いいや、母の慧眼だな」
「なんだそりゃ。急に調子付いたじゃねえか」
結局、その日雨は降らなかった。
吸血鬼異変をダイジェストでお送り。やっと幻想郷にやってきましたね。
八雲家主従が青ニートくんの記憶メモリからロストした件はフランちゃんを恨んだって仕方がありません。不死ってそういうもんですから。
ところでゆかりん視点か藍しゃま視点で再会を喜んでたら「誰だお前」って言われる世界線もあったんですけど心情描写がしんどすぎて作者が「ン゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛(絶命)」ってなるのでやめました。