そこに入った瞬間、立香は驚きの余り息を呑んだ。
「見るがよい、しかして感動に打ち震えるのだっ! これが余の都、童女でさえ讃える花の都である!」
「……っ」
「みんな笑ってる……」
ネロの後を追って着いた都市は今まで何度も恐ろしい思いをしたであろうことは間違いないだろうに、それでもそこで暮らす人々は笑顔を絶やしてはいなかった。その事に立香は驚いていた。
辺りを見渡せば大道芸をやって周囲を笑顔にさせる者もいる。溌剌とした声で商売を行う者もいる。決して不安を抱いていないという訳では無いだろうにそれでも彼らは皆そんな不安を吹き飛ばそうと元気に振舞っているのだ。
──この国の人達は凄いなぁ。
立香は純粋にそう思った。
仮に自分が同じ状況に陥ったとして彼らのように振る舞うことが出来るのだろうか。恐怖を感じながらもそれでも必死に今を生きようとすることが。
胸に生じた不安から無意識的にちらりと望幸の方を見た。
(あれ……?)
普段変わらない無表情ではある。一見して興味も何も無いのだろうと思ってしまいそうではあるが、幼馴染の立香にはなんとなくだが、この国で暮らす人々を見つめる目がどことなく優しい気がしたのだ。
その青空のように輝く瞳も相まってその姿はまるで──
「ん、どうかしたか?」
「あっ、ううん。何でもないよ!」
「そうか」
立香は慌ててそう言って彼から目を逸らす。いくら幼馴染と言えど見惚れてた、なんてそんな恥ずかしいことは立香には言えなかった。
立香が悶々とした気持ちを抱いている中ネロは果物を売っている屋台に近づくとその中から一つ林檎を手にした。
「店主よ、この林檎一ついただくぞ?」
「へいらっしゃ……ああっ、皇帝陛下! どうぞお持ちください。陛下とローマに栄光あれ!」
ネロは店主から戴いた赤く熟れた林檎にそのまま齧り付くと満足気な表情を浮かべた。
「うむ、うむ……これは実に良い林檎だな」
シャリシャリと音を鳴らしながら食べるネロは立香達の方へと視線を向けるとお前たちもどうだと聞いてきた。
「やや行儀は悪かろうが戦場帰り故に気にするな。戦場疲れには甘い果物が効果的だ」
「なら、俺にも一つ林檎を貰えるか?」
「うむ、構わんぞ」
その言葉に反応したのは望幸だった。ネロはもう一つ林檎を手に取ると彼に渡そうとする。
──瞬間、不意に望幸の横顔が誰かと被って見えた。
絹のように艶のある白い髪に赤く輝くルビーのような宝石の如き赤い瞳のよく分からない誰か。輪郭や顔立ちはぼやけて良く分からず、せいぜい分かるのが髪の色と目の色だけ。
艶のある黒髪に快晴の空を思わせる青の瞳を持つ望幸とは正反対にも程があるというのに、どうしてか立香はその人が彼の横顔と被って仕方がなかった。
──もう少しで思い出せそうな気がする。
記憶の奥底に沈められていた記憶を掘り起こそうとじっと望幸の横顔を見ていると不意に現れた誰かとぶつかってしまった。
「おっと、ごめんよぉ?」
「わわっ、こちらこそ──って、あれ?」
いた筈だ。そう、確かにそこにいた筈なのだ。だと言うのにぶつかったであろう人は辺りを見渡しても影すら残っていなかった。
思わず首を傾げているとその様子に気が付いたマシュが立香の方へと近づいてきた。
「どうかしましたか先輩?」
「ああ、うん。今ね、人にぶつかったと思ったんだけど周りにぶつかった人が見当たらなくてね」
そう伝えた瞬間、マシュはとても不思議そうな顔で立香を見つめた。
「
「へっ?」
ぶつかりそうな人はいなかった?
それは一体どういう事なのだろうか。現に私は誰かにぶつかった。当たった感触からしてもそれが幻とは思えない。だが、マシュの言う通りならばそもそも私の周りには人がいなかったという事になる。
なら私がぶつかったのは一体──?
そこまで考えたところで立香の背中にじわりと嫌な汗が吹き出る。
「……ねえ、ロマニ。私達の周辺にサーヴァントか何かがいないか分からないかな?」
『ちょっと待ってね。……うん、サーヴァント反応は特にないかな』
「クーフーリンは?」
「いんや、俺も特にこれといった気配は感じなかったが……」
立香に尋ねられたクーフーリンは左右に首を振る。カルデア側からの観測にも戦士として超一流のクーフーリンの気配察知にも引っかからないのであれば、あれは立香の思い違いであったと考えた方が余程納得がいく。
──だが、それでも立香は何かが喉に引っかかるような感じがしてならなかった。
声からして男ではあると思う。だが、それ以上に不思議なのは全身を襲った寒気と尋常ではない忌避感だった。あの一瞬、ぞわりと全身が総毛立った。
「それじゃあロマニ、他に何か変わったこととかない?」
『他に変わったことと言えば……って、うん? 珍しいな、望幸くんのバイタルに少し乱れがある。立香ちゃん、今望幸くんはどんな様子か教えてくれないかな』
ロマニにそう言われて立香が視線を望幸の方へと向けると、そこには珍しくしょんぼりした様子の彼の姿があった。とは言っても幼馴染の立香だけに分かるような微妙な表情ではあるのだが。
「ちょっと落ち込んでるのかな」
その原因はなんだろうとじっと望幸の方を見つめていると、彼が手に持っているのが林檎ではなく洋梨であることに気がついた。
「……もしかして林檎が貰えなくて落ち込んでる?」
もしそうだとするのならばよく無愛想な奴だと勘違いされている彼にもあんなにも可愛らしい所があったのだなと思われる事だろう。
何せ林檎が貰えなくて若干落ち込んでいるのだから。
彼の新たな一面が見ることができたと落ち込んでいる彼には悪いが立香は内心喜んでしまう。
『へえ……望幸くんって林檎が好きだったんだね。ならいつも色々な和菓子貰ってるお礼に僕も彼にいくつか林檎をあげようかな』
ロマニがなんとなしにそう呟くとその言葉に真っ先に反応したのは望幸ではなく、アルトリア・オルタであった。
「おい、一応聞いておくがそれは金色に輝く林檎ではないだろうな」
彼から少し離れた所にいるアルトリア・オルタは彼に聞こえないぐらいの小声で尚且つドスの利いた声でロマニに問い質すという何とも器用なことをして聞いてくる。
『いやいや、流石にそんな金色に輝く林檎なんてもの持ってないよ。僕が彼にあげるつもりなのはそこらで売られている極一般的な林檎だよ』
「ふん、ならば良い」
アルトリア・オルタはそう言うと最早話すことは無いと言わんばかりに望幸の方へと向かっていった。
その後ろ姿に立香は苦笑しながら彼女もまた微妙に落ち込んでいる彼のもとへと走り寄る。この特異点を無事に修復することが出来たのなら彼の好物であろう林檎を使ったお菓子でも振舞ってみようかなと考えて。
「あれ? そう言えば私──」
「──
望幸の横顔を見て何かあったような気がしたが、まあいいかと立香は一人納得して彼の後について行く。きっと忘れるということはさほど大切な事ではなかったのだろう。
そう考えた立香は何やら望幸と話しているネロとの会話に混ざるべく彼等の話を聞く。
「さて、ひとつ聞きたいのだがそなた達は余を助けるのが目的とそう言っていたな?」
「ああ、そういう事になる。俺たちの求めるものは聖杯と呼ばれる特別な力を持った魔術の品だ。その聖杯が今の異常な事態を引き起こしている。故にそれを回収出来ればこの異常事態は自ずと終息するだろう。……ん?」
「突拍子のない話だと思われるでしょうが、凡そ望幸さんの言う通りです」
その言葉を受けてネロは何やら考える素振りを見せる。
「いや、不思議と違和感はない。だが、その聖なる杯というのは……妙に気にかかるというか。いや、何でもあるまい。余の杞憂であろう。いつかそんな悪夢を見たような気がしただけだ」
ネロはそう言うと左右に首を振って、いつも通りの天真爛漫で華のような笑顔を浮かべる。
「よし、話の続きは余の館にてゆっくりやるとしよう──って、む? あの者達は何処へ行った?」
ネロにそう言われて立香達は今気がついた。先程までいた筈の望幸がいつの間にかいなくなっている。いや、望幸だけではない。彼のサーヴァントであるアルトリア・オルタもいなくなっていた。
一体何処に──
そう言おうとした途端、市場の方から何かが空から落ちてきたような轟音が鳴り響いた。
「う、うわああああ!? 怪物が出たぞぉぉおお!」
市場から悲鳴が上がった。
加えて悲鳴の主は怪物と言っていたことからこのローマに来てから初めて戦った異形の巨大生物が来たということだろうことは簡単に予測がついた。
「何っ!? 余のローマで、余の民に対して何たる事を! 参るぞ!」
「先輩、私達も行きましょう! 市民が襲われています!」
「うん! クーフーリンも力を貸して!」
「おうよ、任せな」
悲鳴のした方へ人波を掻き分けて急行するとそこには──
「こんなものか」
空から来たであろう約10mはあろう大きさの怪鳥が首を切り落とされた死体となり、そのすぐ側にいる剣を血に染めたアルトリア・オルタの姿、そして血を浴びてしまったのか血みどろになっている望幸の姿があった。
「そなた達は何故ここに──いや、今はそれはいい。怪我人はおらぬか?」
ネロは近くにいた市民に話しかけると、市民は恐縮しながらもネロの質問に対して答えた。
「は、はい。私達には怪我はありません皇帝陛下。そこに立っている御二方が、あの怪物が暴れる前に倒してくれたおかげで被害もさほどありません」
「ふむ、そうか。ならば良い。凡そ予測はつくが、これは何が起きた結果こうなったのだ?」
ネロがそう聞くと市民は少々歯切れ悪くもポツポツと語り始めた。
「私の目には速すぎてなにが起きたかは詳しくはわからんのですけど、あの怪物が空から落ちてきて暴れようとした途端、彼らが怪物と同じように空から落ちてきたと思ったら怪物の首が落ちていたんですよ」
「成程な、二人共被害が出る前に倒してくれたことを感謝するぞ。だが、あれにいつ気が付いた? それにどうやって空から一緒に降ってきたのだ」
それは当然の質問と言えるだろう。先程まで一緒に横に歩いて喋っていたというのにいつの間にか離れており、その上市民を襲ってきた怪鳥を被害が出る前に倒しているのだ。
「話をしている時に偶然上空にいたのを見つけてな。後は俺の魔術を使って移動しただけだ」
「……ふむ」
何の気なしにそういうが、ネロには妙な引っ掛かりがあった。偶然上空にいたのを発見したと言ってはいるが、対処するまでが異常とも言える程に早い。
──まるで予め分かっていたかのように行動している。
考え過ぎと言われればそこまでだが、ネロにはそういう風に思えて仕方がなかった。それに加えてこの妙な既視感だ。
今まで見たことも無い事態だというのに、何故か知っているような気がしてならない。そしてそれが一番当てはまるのが目の前に立つ青年──望幸と名乗る者だ。
分からない、分からないが何故だか彼のことを知っている気がする。
彼らがこのローマを助けに来たということはネロの直感とこの既視感も相まって間違いはないだろう。だが、目の前に立つ彼を見る度どうしようもない不安に駆られるのだ。
彼はこのローマで
(ここで問い質してみるのも良いが……)
ネロは彼の顔をじっと見てみるが、返ってくるのは機械的なまでに一切の感情を浮かべない無表情であった。その容貌に何処か胸の奥に小さな痛みを感じる。
(……いや、問い質すのはよそう。余の直感がそれはまずいと訴えかけておる)
そう決めるとネロは彼から視線を切り、自分の持つ館へ行くために付いてくるようにカルデア一行に伝える。
「まあよい、余の民が無事であったのだ。それに感謝こそすれど他の何かを思うことなどありはせん。では改めて余の館へ来るが良い。今のローマの詳しい話はそこでするとしよう」
ネロがそう言うと館の方へと足を運ぶ為に体を翻したその瞬間、ネロの横を黒いフードを被った何者かが通り過ぎた。
「……っ!?」
──瞬間、強烈な既視感を感じた。
知っている、知っている知っている知っている! 余はあの者の匂いも、身に纏う雰囲気さえも何もかも知っている。
ネロは急いで後ろを振り向くがそこには何事かと驚いた様子の立香達しかいなかった。
気のせいか? いや、そんな馬鹿なことがあるか。アレを余が忘れるはずが──
「──む? 余は今何を……」
ズキズキと急に痛み始めた頭をネロは抑えこむ。
「大丈夫ですか!?」
「……ん、心配かけたなもう大丈夫だ盾の少女よ」
ネロはそれだけ言うと今度こそ館の方へと歩き出した。
何かを忘れてしまったような気がする。だが、思い出そうとしてもノイズが走ったかのように鮮明に思い出すことが出来ない。余が忘れたものとは一体なんだったか、そう考えるも忘れたということはさほど大事という訳でもあるまいとネロは一人納得した。
「さあ行くぞカルデアの者達よ! 余の後について参れ!」
溌剌とした声を上げるネロの後を追って立香達は今度こそ館へと向かった。
その後ろ姿を遥か遠くの建物の屋根で黒いフードを被った何者かがじっと見つめていた。
「立香ちゃんの記憶が戻りかけているのは予測出来ていたが、まさかこの時代のネロの記憶まで残り始めていたとはね。お陰様で俺が出張ることになるとはね」
これも因果の歪みって奴かねと黒いフードを被った者はため息を吐きながらそう呟く。そしてその黒いフードの影から薄らと見える赤の瞳は彼女達に何処か優しさを含んだ視線を向ける。
「フフ、彼奴も上手くやってるみたいだし、俺達も舞台から落伍した者らしく他の連中にバレないように裏方に徹そうかね」
黒いフードを被った者は愉しげな笑みを浮かべると黒い霧がその者を包み込み、そして晴れた時にはまるで最初からそこに誰もいなかったかの如く何も無くなっていた。
ネロが望幸くんに林檎をあげなかったのはなんか物凄い嫌な感じがしたからという理由で林檎をあげなかったり……。
これはRTAなのか、勘違いものなのか…。 タイトル詐欺小説みたいになってきた真夏の夜、加速するRTAはついに危険な領域へと突入する。
キャストリア爆死したメンタルで古戦場回したので完全にメンタルが潰れました`( °꒳° )´
遅くなって申し訳ないので失踪させていただきます。