石兵八陣とは巨岩で構成された陣であり、侵入した者たちを迷わせ死に追いやる諸葛亮孔明が保有する軍略の極みに至った宝具である。
諸葛孔明の十八番である「奇門遁甲」を利用した地理把握・地形利用・情報処理・天候予測・人心掌握の五重操作からなる軍略の奥義にして最終形態というべき閉鎖空間。
地の理を把握し進軍・撤退の有利を読み、地形を利用して敵軍の進軍・撤退を阻み、現在・過去・未来の三点をつぶさに予測し次なる手を打ち出し、風と雲の流れを読んで天候を予測して利用し、人間の思考と心理に精通してその心と考えを操作する。
だが、その恐るべき宝具よりも諸葛孔明という軍師が恐れられた最大の所以は、その莫大な知識を適切な判断能力に反映させた頭脳にある。
原典である『三国志演義』では、夷陵の戦いで敵対していた呉軍の陸遜は、敗走する蜀軍を追撃していたが、異様な殺気を放つこの陣に逃げ込まれたため、これ以上の進軍は不可能と判断して撤退したという逸話が有る。
諸葛亮孔明という英霊の宿主である黒髪の男──ロードエルメロイⅡ世はこれを「移動する魔術工房」と評価していた。
その石兵八陣をロードエルメロイⅡ世は殺傷性を排除した代わりに外からも内からも出られないように改造したものを作りあげた。
殺傷性が消えた分、その耐久性は折り紙付きで魔術の極致である固有結界にすら匹敵するだろうと自負している。
そんな封鎖空間内にて黒と紅の残影が激しく虚空に激突する。
殺意と共に散華しながら花火のように散り行く様は、実に絢爛華麗だ。息の合わさった攻防の連続は演舞なのではと錯覚させるが、互いが宿す力を撒き散らし、当たれば死に至る攻撃がそれを否定する。
「はははっ! 凄い、凄いなぁ! 人の身でまさかこうまで僕に喰いついてくるなんて! これが人が持つ秘めたる力って奴なのかな!」
アレキサンダーは機嫌良く高らかに笑う。肉体性能で劣る彼が平然と食らいついてくる姿は中々に異様だ。こちらのあらゆる攻撃を全て的確に捌き、動きを先読みしているかのように攻撃を当ててくる。
「もしかしてあれかな。君、千里眼でも持ってる?」
「さあ、なっ!」
アレキサンダーの斬撃を下から斬りあげることにより軌道を逸らし、返す刃で袈裟斬りを放つ。しかしそれはアレキサンダーの純粋な身体能力のみによって容易く回避される。
しかし回避されるのは織り込み済みで彼は更に前進し、アレキサンダーに喰らいつく。そしてもはや何度目かも分からない激突。
彼はアルトリアのように魔力をブースターとしてロケットのような推進力を得たまま剣を叩き付ける。それに対してアレキサンダーは純粋な身体能力のみによって鍔迫り合いへと持ち込んだ。
ギリギリと互いの剣が軋みをあげる。底冷えするほどの無機質な殺意と子供のように無邪気な意志が衝突する。
そして最初に動いたのはアレキサンダーだった。彼の剣を弾きあげると唐突に頭突きを繰り出した。
「そらっ!」
「ぐっ……!」
強烈な頭突きに脳が揺れる。ふらりと体勢が崩れた瞬間にアレキサンダーは膝蹴りを打ち込んだ。大きく吹き飛ぶ彼にアレキサンダーは深い笑みを浮かべた。
「凄いな、あれを避けるんだ」
少なくともサーヴァントの力で膝蹴りを入れたものなら骨くらいは粉砕出来る。だが、感じたのは軽く触っただけのような感触だった。骨くらいは砕こうと力を込めて放ったが、接触した瞬間に衝撃が全て消失したのだ。
大きく吹き飛んだ彼が着地した瞬間に地面にひび割れが発生したところを見てアレキサンダーはなるほど、と内心納得した。
(これがカエサルの言ってた彼の異質な置換魔術って奴なのかな。うぅん、確かにこれは少し変だ。魔術に対してあまり詳しくない僕でもおかしいことは分かる)
何事もなかったかのように剣を構えて此方を睨み付ける彼にアレキサンダーは掌に雷を発生させる。
「それじゃあ、次は少し本気で行くよ」
バチリと雷が空気を焼く。
アレキサンダーはヘラクレスとアキレウスを祖とする英雄だ。なればこそ彼はゼウスの雷霆を扱うことが出来る。
本家本元には敵わないだろうが、それでも雷は雷だ。まともに当たれば即死するだろうそれをアレキサンダーは何の躊躇いもなく使用し彼に放つ。
大気を焼きながら彼に向かって瞬きの間に到達する雷は着弾する直前に不自然なまで捻じ曲がり、近くにあった岩に激突し、木っ端微塵に粉砕する。
「これ、は……」
唖然とするアレキサンダー。彼は決して外すつもりなどなかった。それこそ本当に当てるつもりで放った。無論、彼ならば必ず対処するだろうと信頼をしていたが故に放ったものだが……今の事象がまるで理解が出来なかった。
いっその事、最初から外すつもりで放ったと考えた方がまだ納得のいく事象だった。
「余所見とは随分と余裕だな」
その隙を彼が見逃すはずもなく──気づいた時には懐に潜り込んでいた彼が剣を振るう。そっ首を叩き落とそうとする無情の殺意がアレキサンダーを襲う。
「くっ!」
咄嗟のところで体を傾けて回避するアレキサンダー。だが、それすらも此奴ならば躱すだろうと一切の迷いもなく信じていた彼はコンマ1秒ほどのタイムロスもなく、更に斬撃を叩き込んだ。
それをアレキサンダーは己の筋繊維が悲鳴を上げているのを自覚しながらも強引に放った横薙ぎの一撃が絶死の斬撃を打ち払った。
弾かれた彼の剣が空を舞う。くるくると回転しながら己の頭上を飛んでいく剣にほんの一瞬視線を向け──ミシリと筋肉が膨張する音がアレキサンダーの耳に届いた。
目を向けた先には彼がまるで獣の爪のように己の胸を抉らんと構えていた。常識的に考えれば素手でサーヴァントの魔力障壁を突破して霊核を砕くなどと無理だろうとアレキサンダーの明晰な頭脳が結論を出すが──直感が最大級の警鐘を鳴らしていた。
彼が今まで振るっていた剣より……魔術よりもあれが
だからこそアレキサンダーは──
「ゼウスよ!」
自傷覚悟の雷で己ごと周りを焼き払った。
「ぐうぅゥァァア──ッ!」
皮膚が焼け爛れる、肉が焼ける、骨が焦げつく。
痛みに絶叫を上げながらもそれでも耐えて活路を見出す。ぶすぶすと体から黒煙を出すほどの怪我を負ってもアレを貰うよりかはマシだとアレキサンダーは己の自爆を食らったであろう彼を見て──乾いた笑いが漏れた。
「嘘だろう?」
爆心地にいたと言うのに、決して回避出来る筈がないと言うのに……彼が負った怪我は先程攻撃しようとした手が多少火傷していたくらいだった。
そしてそれもまた異常な回復力によって痕も残らず修復された。
彼は弾かれて突き刺さっていた剣を拾い上げると変わらず無機質な殺意と身震いするほどの決意が秘められた双眸で荒く息を吐くアレキサンダーを睥睨していた。
ここにきてアレキサンダーは漸く彼の異常性を正しく理解した。
「これならまだ未来予知をされてた方がマシだね」
膨大な量の経験に裏打ちされた未来予知を超えた予測に似たナニカ。
加えて幾千幾万もの戦いで得たであろう戦闘技術。
そして何よりも恐ろしいのは絶体絶命の状況下でも平時と一切変わらない冷静さで微塵の躊躇いもなく突っ込んでくる勇気だ。
命を投げ捨てる蛮勇? いいや、違う。あれはそんな生易しいものじゃない。
例えコンマ数mmズレれば死ぬ状況だとしても彼はここならば当たらないと己の経験則に基づいて叩き出した結果に狂気じみた信頼を持って平気で踏み込んでくるだろう。
「ふーっ……」
故にアレキサンダーは己の甘い考えを全て捨てた。
あの彼女が本気で殺そうとしている彼にそもそも加減をするというのが間違いだった。一介の人間がサーヴァントには敵わないという常識は今の彼には当てはまらない。
あれはほんの一瞬の隙をついて此方の喉笛を噛み千切る存在だ。なればこそ、全身全霊を以って彼と戦おう。
それは今も尚、この封鎖空間の外で絶好の機会を作り上げた我が軍師の努力の全てを否定する行為に他ならないが為に。
「加減はなしだ。本気で行こう」
大気を焼き払うゼウスの雷がアレキサンダーの周囲に満ちる。アレキサンダーの肉体を満たす魔力が唸りを上げる。
もはやこれから始まる戦いを言葉にしたところであまりにも陳腐で──
両者の宿す決意に揺らぎはなく──
二人は言葉を交わさずに激突した。
「「オオオオオオオ──ッッ!!!」」
剣がぶつかる度に火花が舞う。封鎖空間内を瞬く間に荒らしていく。殺傷性を失った代わりに耐久性が大幅に上昇したはずの石兵八陣が二人の激突の度に軋み始める。
激突の度に天井知らずに跳ね上がり続ける両者の出力。斬り結ぶ度に魔力が上昇し続ける。雷で肉体が焼け焦げるのすらもはや気に止めない──否、そもそも知覚すらしなかった。
宿主の感情に呼応するように聖杯が際限なく魔力を注ぎ込み、肉体を更に強化していく。そしてそれはどういう事か、
光は万物に平等に降り注ぐように──彼と感応して聖杯は無差別に強化を施す。
なればこそ、その差が最も出るのは肉体性能だ。
サーヴァントと一介の魔術師ならば肉体性能は圧倒的にサーヴァントであるアレキサンダーに軍配が上がる。肉体の損壊すらも一切の考慮をしない万能の願望器はアレキサンダーと彼の肉体を破壊しながら出力を上昇させ続ける。
故に最初にその限界が来るのは当然の如く──彼だった。
「ぐっ、ゥァッ……!」
出力に対して彼の肉体性能が追いつけなくなった。激突の度にどこかしらが破損する。
剣を振るった腕が衝撃に耐え切れず関節部が砕け散る。
高速で移動する度に強化魔術すらも突破した圧力が肉を潰す。
そもそも冷静に考えれば、これまでの強化に耐え切っていた事こそが奇跡どころか異常なのだ。
人の体はそれほど頑丈に出来てはいない。いくら幼い少年のサーヴァントとは言え、一介の魔術師がそう何度も打ち合えるわけもないのだ。それが強化されていくサーヴァントとなれば尚更の事だ。
故に彼の体の方が先に自壊していくのは当然の道理で──
「ハァッ!」
──アレキサンダーが彼の体を切り裂くのもまた当然の道理だ。
煌めいた刃は彼の体を的確に斬り裂いて血を噴出させ、臓腑が零れ落ちる。大量の血を噴出しながら余りの衝撃に大きく吹き飛ばされた彼が大地を赤く塗り上げる。
そこまでして漸くアレキサンダーは
「……は?」
血溜まりに沈む彼と血に濡れる己の剣を何度も見て、冷静になった。それと同時に己の為した所業にアレキサンダーは大いに混乱していた。
今更ではあるが、アレキサンダーは彼を殺すつもりなど一切なかったのだ。ただ見極めるつもりで戦っていたというのに何をどうすればこうなる。
何故自分は彼を殺した?
どれだけ自問自答しても答えは出てこない。ただ分かるのは戦っていたあの瞬間、己の思考は間違いなく焼き尽くされていた。
自壊しながら戦う彼の姿を視認した時点で止まるべきだったのに止まるという思考すら湧かなかった。
何故、どうして──と疑問で思考が埋め尽くされて、ハッとした。
今はそんなことよりも彼の治療をしなければと血溜まりに沈む彼に駆け寄ろうとして──
「──まだだ」
──聖杯が大暴走を開始した。
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アレキサンダーと彼を閉じ込めてから一体どれだけの時間が経ったのか。想定よりも多くの時間を確保出来たとは思うが……それは己の願望なのかもしれないとロードエルメロイⅡ世は何処か自嘲したように失笑する。
「これで終わりね」
直死の魔眼を輝かせながら残った最後の駒を斬り捨てて此方を見つめる根源接続者に対して、もはや呆れを含んだ笑いしか出なかった。
あの手この手で無数の策をぶつけて何度も不利な状況を作り上げたというのに持ち前のフィジカルのみで策を全て潰されてしまった。
これだから常識外れの奴は嫌なんだと内心愚痴を吐いた。
あの馬鹿も根源接続者も魔法使い共ももう少し常識に従え。
そんなことを考えながらゆっくりと此方に向かってくる三人のサーヴァントを見つめて、どうやって時間を稼ぐかと考え始めた。
「貴方を殺せばアレは消えるのかしら?」
「さて、どうだろうな? あれは耐久性を大幅に引き上げたものだ、私が死んだとしても残るかもしれんぞ?」
大嘘である。
流石に術者本人が死ねばあれも消えるだろう。けれど少しでも悩んでくれればこっちとしては御の字だ。
「そう……でも最悪私が殺して消滅させればいいわね」
微塵も悩まずに結論を出した式にエルメロイは卒倒しかけた。
──これだから根源接続者は……!
なまじ何でも出来てしまうが故に下手なブラフにも引っかからない。どうとでもなると理解しているが故に思案するということがない。
純粋な力押しのみでどうにかしてしまう根源接続者は軍師である彼にとって最も苦手とするものだ。何せ仕掛けた罠も策も全て無意味と化す。
軍師泣かせもいいところだ。
ここで終わりかと覚悟して──それでも消滅する最期の時まで宝具の維持をしてやろうと最期まで足掻こうと決意する。
だが、その決意は石兵八陣から発生した異常現象によって砕かれた。
「──は、ぁ?」
最初に気づいたのはエルメロイだ。唖然とした声を上げて目の前にまで近付いてきた式を無視して己の宝具に目を見張る。
それに釣られるように式が、アルトリアが、ジャンヌ・オルタが目を向けるとそこにあったのは黒い、あまりにも黒い穴だった。
その黒い穴は出現と同時に石兵八陣の八つの石柱を砕き、そして火山の噴火を思わせるほどの衝撃と共に石兵八陣の蓋を消し飛ばした。
「ガァアアア──ッ!」
そうして苦痛の悲鳴と共に飛び出してきたのはアレキサンダーだった。一体何があったというのか、彼の片腕が欠如していた。
そしてその黒い穴から石片を踏み砕いて現れたのは彼だ。
間違いなく彼の筈だ。
「──
燃え滾る熱情を宿した瞳。絢爛と輝きを放つ銀色の魂。正しく彼を象徴するものだ。だと言うのに──彼から放たれる言葉には一切の熱がなかった。
淡々と、冷徹に、目の前の障害を排除すると言わんばかりにアレキサンダーに突き刺さる無色の声音だけが本来の彼と全く一致しなかった。
「クソッ
血反吐を吐きながらも立ち上がるアレキサンダーをよく見れば腕だけでなく脇腹もごっそりと欠落していた。動く度に臓腑と血が零れ落ちていく。
「我が軍師! 彼女に伝えろ!」
「ライダー?」
「僕はもう無理だ!
「待て、ライダーそれは一体どういう──?」
「彼を追い詰めるなと、彼を退化──いいや、
アレキサンダーはそう言って彼に飛び掛かる。それに対して彼は瞳に秘める熱情はそのままにアレキサンダーの攻撃を精密機械よろしく最適解を出し続けて捌ききると隙だらけになった彼の抉られた脇腹から素手で霊核を掴んだ。
「ごぶっ……」
瞬間、アレキサンダーを襲う激痛。そして勢いよく血を吐くとそれが彼の顔を赤く染めた。
「ねえ、望幸。君は、さ……勇者にだって、魔王にだってなれる可能性の持ち主だ」
力の入らない手で彼の頬に優しく手を添えると熱情を秘めた瞳を覗き込む。どうか、どうかその輝きを失わないでと願うから──
「だから、せめて君が勇者になってくれるよう僕は願い続けるよ」
その言葉を最後にアレキサンダーの霊核が砕かれた。
「──我が
黄金の粒子が彼の心臓部に吸い込まれる。そして全ての粒子が吸い込まれると今度はロードエルメロイへとその視線を向けた。
「残るはお前か」
「……いいや、私の役目はもう終わったよ。彼が消えたのなら私がここに存在する意味もないしな。大人しく自主消滅するさ」
その言葉の通りエルメロイの体が黄金の粒子へと変換されていく。それを確認した彼は興味が失せたように視線を切った。
(ライダー……お前があの馬鹿に何を見たかは知らん。だが、全て伝えたぞ。お前が私に思念も含めて伝えてきた全てを。だから、後は頼んだぞ──遊星の巨神)
「──ああ、私が全てに決着をつけよう。ここを彼の旅の終局とするために」
漸く2章の終わりが見えてきました
まだ2章なの……?