長らくお待たせしました。
果たして最初に声を出したのは誰だったのか。
敵であるロムルスか、或いはこの異常性を正しく理解しているマシュか、それとも世界を塗り潰すという大偉業を初めて見た立香か。
もしくは全員かもしれない。
ネロの全身から解き放たれた魔力と共にネロの作り出した黄金劇場は現実を侵食し、この場にいる全員を劇場の舞台上へと問答無用で引きずり込んだ。
「これは……」
豪華絢爛たる黄金劇場。
それはネロという存在を象徴するように一目見ただけでその美しさに感動に打ち震えるものだ。
だと言うのに、これは何だというのか。
空があまりにも禍々しい。世界の終焉が始まるかのような、滅びしか感じ取れない程に禍々しい黒天。
これがネロ・クラウディウスの心象だとでも言うのか?
馬鹿な、それこそありえない。ああも眩しく光り輝く彼女の心象がこれほどまでに終わっているなどと──!
「ぐっ……!」
最初に力なく膝から崩れ落ちたのはネロの最も近くにいた望幸だった。
立つことすらままならないようでぐったりと座り込む彼に立香は急いで駆け寄り肩に手を回してその場から引き離した。
それと同時に立香は気付いた。
──望幸の体、凄く熱い。
体温が高すぎる。
服越しに触れているにも関わらず火傷しそうなほどに彼の体は熱されていた。
無茶を通した代償?
それとももっと別のものなのか。
立香にはその判断がつかないが、流石の立香でもこの熱量は不味いと理解出来た。
──急いで彼の体を冷やさないと。
「……立香、俺はいい。自分で動けるからお前は自分の安全を──」
「嘘つき、全く動けないでしょ。その状態の望幸を放っておくなんて私は嫌だよ」
「だが、それでお前に危険が及べば俺は……」
「あーもう、うるさい! 黙って私にしがみついてて!」
「……」
ぴしゃりと立香は彼を黙らせると急いでクーフーリンの下へと向かった。
「クーフーリン、ルーン魔術で体温を下げたりすることとか出来ない!?」
「マスターそいつは少し難しいぞ。キャスターの俺なら兎も角ランサーとしての俺は細かい調整があまり効かねェ。ましてや人間の体温の調整をルーン魔術でやれば下手すりゃ凍え死んじまう」
「そんな……」
返ってきた言葉に立香は頭を抱えた。
この状態の彼を放置しておくなどまずありえない。
服の上から触っても火傷しそうな熱を放っているのだ。
常識的に考えてこのまま放置すれば彼は死に至るかもしれないし、そう出ないとしても重度の障害が発生するのは間違いないだろう。
その為には何がなんでも彼の体を冷やさなくてはいけない。
けれどこの場所には体を冷やせる場所はありはしない。
一体どうすればと必死に思考を回転させる。
その思考を遮るようによろけながらも彼が前に出た。
「クーフーリン、冷やすことは出来るのだろう。ならばそれで構わない」
「……話を聞いてたか坊主。下手すりゃ凍え死ぬかもしれねえ──」
「──俺は死なない……! こんな所で終わるつもりはない」
そう言って食い気味に否定する彼は表情は己が生き残ることを確信しているように見えた。
加減はするとはいえサーヴァントの、それもクーフーリンのルーン魔術だ。
それを前に彼はなお生き残るという。
そこまで啖呵を切ったのならば是非もない。
「なら、耐えきってみろよ坊主」
クーフーリンがルーン魔術を起動させる。
それは
氷を意味するルーン魔術だ。
それによって周囲の温度が一気に冷え込んでいく。
ならばそれを直接仕掛けられている彼は?
当然身体の芯まで凍えていく。
吐き出される息を白く、毛先に霜が降りていく。
しかしそれは一瞬のことだった。
彼の身体から大量の水蒸気が発生した。
彼のやった事は至極簡単だ。
体温が下がり過ぎて凍え死ぬというのであれば、上がれば良いと、火の魔術を行使して体表面に高熱の空間層を生成。
それと同時に冷却に必要な分だけの熱を取り込むことで体温の調整をしていた。
「……っ?」
だが、それは非常に繊細なコントロールを必要とするものだ。
ほんの少しの変調で容易く崩れ去る。
徐々に徐々に体温が下がり始めていく。
致命的なものにはなりはしないものの体温低下による睡魔が襲いかかる。
それを見ていた式はため息を吐いた。そして──
「流石にこれは見逃せないわよね」
虚空に向けて刀を抜いた。
煌めく銀閃がぷつりと目に見えぬ極細の魔力糸を断ち切ったのだ。
「チッ、まあ良い楔は打ち込んだ。ふふ、ああ楽しみだ」
次瞬、コントロールを取り戻した彼は驚異的な速さで効率的に熱を放出し、危険水準を大幅に超えていた体温を無事に正常なものへと戻すことに成功した。
「……助かった」
「おう、礼はマスターに言いな」
「ああ、そうだな」
そう言って彼は立香の方へと向き直ると深く頭を下げた。
「俺の無能さ故にお前を危険に晒してすまなかった。……それから、助けてくれてありがとう立香」
「うん、どういたしまして。ああ、でも──えい」
そう言って立香は彼の両頬をグイッと思いっきり引っ張った。
「お前が怒るのも当然の事だ。気の済むまで責めて貰ってもかまわな──」
「望幸、いい加減にしてね? いくら望幸自身でも望幸の事を悪く言うのは私は許さないよ」
「だが……」
「だがじゃない」
「──分かった」
そう言って渋々といった様子で立香の言うことに従う彼の様子を見てクーフーリンは意外そうな顔をしていた。
「……あいつ、マスターの言うことにはそれなりに聞くのか」
クーフーリンはまだ長い付き合いというわけではないが、それでもこれ迄過ごしてきた期間と幾度か手合わせをした経験からあれは相当な頑固者だと思っていた。
いいや、事実今もそう思っている。
そしてそれは間違いではないのだろう。
でなければサーヴァントやロマニ、ダヴィンチといった上司に当たる者から注意を受けてもいざとなれば平気で自分の身を危険に晒すわけがない。
その上、彼奴は英霊に──もしくは神霊並に意志を貫いていける存在だ。
だからこそ、彼奴を本気で止めるのならば実力行使で無理矢理黙らせるしかないと思っていた。
思っていたのだが──
「それから私が偉そうに言えることではないけど望幸はあまり前に出ないで欲しいんだ。少なくとも私はそんな状態で前に行って危険な目にあって欲しくない」
「どうしてもか?」
「うん、どうしてもだよ」
「……善処しよう」
「善処じゃ駄目ですけど!?」
「……」
「あっ、顔を逸らすなー!」
ぷいっと立香から顔を逸らして距離を取ろうとする彼に対してそんなことは許さないとばかりに開いた距離以上にぐいぐいと間を詰める立香。
それを見てクーフーリンはどうしてか安堵の息が零れた。
「あの、望幸さん。体の方は大丈夫なんですか?」
「ああ、さして問題はない。今のところはな」
未だに立香と目を一切合わせようとしない彼は無理矢理顔を固定しようと捕まえようとする立香をひょいひょいと身軽な動きで躱しながらそう答える。
ジャンヌ・オルタに取り込まれたとは言え、ファヴニールの竜血を浴びたからか、その回復速度は常人のそれとは目に見えて違う。
そう理解してはいるのだが、マシュの顔から曇りは取れない。
短い付き合いではあるが、それでも分かってしまう。
不安なのだ。
この人は自分を何処までも押し殺せてしまう人だから。
この場にいる誰にも悟らせない程に自分を押し殺し続けて──いつかは本当に自壊してしまうのではないかと、どうしても不安が拭い切れない。
「あのっ、私じゃ頼りないかもしれませんけどっ! それでも先輩と望幸さんを守れるように頑張りますので……だから──」
「──大丈夫」
気持ちだけが先走って言葉が上手く纏まらないマシュに彼はマシュにでも分かるくらい微笑ましいものを見たように笑っていた。
そう、彼が笑っていたのだ。
「マシュは頼りになる。それは立香にとっても、俺にとっても」
そう言い切る彼の瞳にはマシュに対する信頼しかなかった。
今まで何度も頼りない姿を見せてきたというのに、デミサーヴァントになっても周りに来る他のサーヴァントに比べれば雲泥の差だった。
けれど、そんな自分を彼は信頼している。
まるでずっと長い間、付き合っていたかのような……そんな深く固い信頼だけが彼の瞳に存在した。
「……少し休む」
戦いが始まってから常に起動し続けていた彼の魔力回路から光が消えると同時に彼自身から漏れ出ていた魔力も消えていく。
「そうしときなさいな、少なくとも私は今のあんたを前に出すつもりはないわ。……本当なら前に出させたくもないのだけれど」
「そこだけは突撃女に同意しよう。それに──今の彼奴なら私達が出る必要もないだろう」
そう言うアルトリア・オルタの視線の先にいたのは『あの』神祖ロムルス相手に一歩も引かない所か、徐々に徐々に押し始めてすらいるネロの姿だった。
これがネロが成長した結果──ならば良かっただろうが、アルトリア・オルタが覚えている限りではネロの宝具はこんなにも禍々しさがあるものではなかった。
それに先程から何処かピリピリとした雰囲気を醸し出す式の様子からも異常事態が起きていると察することが出来る。
そして先程彼の魔力から感じた微量な違和感。
何かしら厄介な事が発生したとしか考えられない。
……警戒はしておくべきだろう。
いつ何が来てもいいように。
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ロムルスは現在、ネロ相手に劣勢を強いられていた。
ネロの華奢な腕からは想像も出来ないほどの剛剣。
一度打ち合うだけで手が痺れるような感覚すら覚える。
ネロが強くなったというのはあるだろう。
だが、一番の原因はそれではない。
「ぬぅ……!」
ネロだけが強くなったのであればまだ対処出来る。
此方の姿とは言え、ネロ一人に押されるほど神祖は弱くない。
ならば何が原因なのか?
この劇場に引き摺り込まれてから発生する永続的な弱体化──即ち、己のローマがネロのローマに喰われていることが原因だった。
宝具の力を振るおうにも展開されているネロの劇場がそれを妨げ、満足に振るうことも出来ない。
加えて──これだ。
「はぁぁっ!!」
「ふんっ……!」
打ち合う度に己の力が失われるのを強く感じる。
膂力が失われる、敏捷性が衰える。
ネロの宝具は元来そういうものだとは知っているが、それでもこれほどまでに早く力が削られるのは──
「……ふむ」
あちらは力が増す一方でこちらは力が下がる一方だ。
今はまだ己の武により喰らい付けてはいるが、時間が経過すればするほどにその差は如実に現れ敗北は濃厚なものになるだろう。
敗色濃厚──結構。
それで諦めるつもりは到底ない。
これまでのローマ皇帝達が連綿と繋げてきたように己もまたバトンを次へと繋ぐのだ。
我が身はローマなれば──!
「ぬんっ!」
「くぅぅっ!」
ロムルスの槍が僅かに紅く光る。
それと同時に互いの武器を打ち合った瞬間、ロムルスの槍がネロの剣を大きく吹き飛ばした。
ネロの剣が空を舞う。
膂力も敏捷性も魔力も既にネロが勝っているというのに、今やあらゆる肉体性能が劣っているはずのロムルスの一撃に耐えるどころか、たった一撃で剣を弾き飛ばされた。
そして──淡く光る紅の残光がネロを襲う。
「チィッ──!」
それをネロは高く跳躍することで未だに空中に舞う剣を回収すると同時に回避する──が
「
ぞわりと全身が総毛立った。
これはまずいと、一撃でも喰らうなと生存本能が大警鐘を鳴らす。
紅の残光が空中で逃げ場のなくなったネロに襲いかかった。
「──
赫耀の流星群がネロに落ちた。
「むっ、ぁああああああ!!」
弾く、弾く、弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く──!
一発でも当たるな、当たれば根こそぎ持っていかれるぞと本能が警告する。
本来ならば弾く度に赫耀の煌めきは失われていくはずだというのに、弾けば弾くほどその煌めきは激しさを増す。
──ああ、本当に……!
そんなことを思っていられるほど、余裕がないと理解しているのに、それでもかの神祖の姿を見て誇れずにはいられない。
神祖様はこんなにも素晴らしい方なのだと、こんなにも偉大な方なのだと誇らしくて堪らなくなる。
だから、だから──!
「余はっ! 余こそがっ!」
そんな貴方に誇れるような皇帝でありたいと願うから──!
「ああ、見せておいでネロ」
原初の火の名を冠するネロの真紅の剣が燃え盛る。
この禍々しい天蓋を焼き払うようにそれはより強大に、より燦然に輝きを放つ。
刮目せよ、これこそローマ帝国第五代皇帝の輝き──永遠の栄華を謳うローマを示す皇帝の一撃なり!
「
紅の流星と皇帝の炎が激突する。
この世界の終わりを想起させる禍々しき天蓋を繁栄の光が塗り潰す。
そしてほんの少しの拮抗の後──
「見事!」
皇帝の炎は紅の流星を飲み込み、禍々しき天蓋を焼き払った。
そして瞬きの間にも満たぬ僅かな一瞬、繁栄を謳歌する絢爛たる黄金劇場が開かれた。
「……まあ、良かろう。繋がりは作れたのだからな」