くゆりくゆりと煙が脳を揺さぶって、着崩した着物に意識が持っていかれそうになる。
カンカン、とキセルを叩く音で引き戻されれば、目に入るのは狐耳のあやかし。
真っ赤な紅を塗った口元が上がれば八重歯が覗く。
「して、わっちが欲しいというのはお主かや?」
「あぁ、そうだ。お前に会いに来た」
「わっちに、ねぇ……くふふ」
嬉しいのか、それとも別の感情か、手で覆ってわからない。
ただ、細められた目にはこちらを選別するような色。捕食者が被捕食者を選ぶようなそんな視線が、こちらをねめつける。
「言い伝えでも聞いたかえ? このうつけ」
さらに細まる目に背筋が凍る。背骨を鷲掴みされたような緊張感。冷たくなった手と、いやに鼻につくお香の香り。
「まぁ……よいか。して、主様は何を望む? 願いを叶えるのもわっちは思うまま」
「己れは………」
「わっちを殺しに来た。違うかや?」
「……あぁ、そうだ。妖魔よ、お前を殺しに来た」
「なんとまぁ、味気ない殺し文句」
くふふ、と再び笑う彼女は怪しくもあり、そしてこの世のものとは思えぬほどに綺麗な存在であった。
まるで灯火に舞う蛾のように、ふらりふらりと近寄ってしまいたくなる。
「おいでおいで、愛してあげる」
ごくり、と生唾を飲み込む。そして、額にも唾をつける。
心なしか落ち着いた。
「笑止。お前が望むのは愛よりも食だろうに」
「ひどい殿方。わっちがそんなに女に見えるのかえ?」
しなり、としなだれかかる手を払う。
「貴様がっ──!!」
「くふふ………裏切らなければ?」
「……ぐっ、なぜだ」
彼女は、幼き頃から知る彼女はただ笑みを浮かべるばかり。
「なぜだ……なぜ、お前は! 人を喰った!!」
「何故? はて、不思議な事を言うのう主様。お主は朝餉を食べるのに理由がいるのかえ?」
「………っ!?? …………もう、いい。口を開くな」
「接吻でもくれるのかや? くふふ」
「黙れと、言っている!!!」
すらり、と腰に履いた太刀を抜き放つ。
灯火が揺れて、障子の影が大きく揺れる。
「乱暴にされるのも……お主様なら悪うない。くふふ。おいで私の胸はここだよ」
着崩した着物がはだけて、乳房がこぼれる。
白い、真白い雪のような美しい肌。
「おいで、愛しい仔」
何かを言おうとして、口を開きかけまた真一文字に結びなおす。……今さらなんと言葉を掛けるのだ。迷うな。こいつは………仇だ。
「──いざ」
ゆっくりと、刃を突き立てる。白磁のような肌に先端が当たり、つっ、と赤い雫が肌をなぞっていく。
「ん……くふふ、初めは痛いもの。ゆっくりとおいで」
「お前は………間違ったのだ」
懺悔とも、後悔とも取れない言葉が溢れる。
彼女は口からも血をこぼしながら答える。
「これでよい、わっちは間違ってもおらぬよ?」
ゆっくり、ゆっくりと、肌をついて、骨の間を縫って、私の心臓へと届く感触。それを主様は一生忘れることが出来ないじゃろ?
血染めの華が畳に開いていく。とくとくと命の結晶が流れて、白い肌は更に白く。着物に染み渡った血液は更に紅く。狐耳も、尻尾もすでに飛び散ったもので汚れている。
彼女は血にまみれた手で、こちらの頬に弱々しく触る。
「………これで私は主様のもの、これで主様は私のもの。くふふふ、嬉しい」
「なぁ………お前は」
たらりと、力無く垂れ下がる腕と血の沼に沈んだ肢体。息絶えてもなお彼女は美しい。
口元が微笑んでいるように見えて、静かに首を振る。
せめともと、今まで犠牲になった者達に手を合わせるばかりだった。
「なぁ、終わったよ……」
返ることない声が血染めの部屋に虚しく響いた。
◆◆◆◆
くふふふ、幼き頃からずっと見てきた。大きくなるまでずっと。
結ばれるものだと思っていた。幸せになれると思っていた。
なのに、あやつは婚約者と結ばれた。
あぁ、憎らしい。あな、口惜しい。
婚約者と結ばれた彼、それは幸せそうで、その隣にいるのが我ではなくて気が狂いそうだった。
だから、喰ってやった。あやつの婚約者を、そして親族を。
義務のように、仕事のように。
味はしない。否、それはとても裏切りの味がして、ぽっかりと胸に穴が開いたようだった。
彼に会いたかった。愛しい愛しい彼に。だからわっちは、わっちに会えば願いが叶うと噂を流し立ち寄るものを喰い続けた。
ついに彼がやって来たとき、胸が満たされた。憎しみに濁った目を向けられる度に、心が震えた。あぁ、ついにひとつになれる。と。
既に噂を流して幾星霜。わっちはもはや人食いの悪鬼。それを彼が殺せば名声を得る。
そして、優しくも可愛らしい彼。きっと人の子を殺めたことすらないだろう。
今夜、私は彼の殺しという初めてと、添い遂げられる事を想像するだけで、頬は上気し体は震える。
「おいでおいで、愛しい仔」
悪鬼たるわっちを殺せば、名声はずっとついて回るだろう。そして言われるのだろう。英雄、と。
その度に嫌が応でもわっちのことを思い出す。思い出しては殺めた時の感触すらも甦る。
彼に肌を晒す。吐く息が熱を帯びて、喜びに震える。
「おいで、愛しい仔」
刃が突き立てられ、激痛が脳幹を刺激する。それすらも歓喜になりそうで口元が上がってしまう。
──すべてすべて狙った通り。わっちは間違ってもないよ。なぁ、わかるじゃろ主様なら。
血が抜けて、力が抜ける。あとはもう召されるだけ。
きっと、この先苦しむだろう顔を納めるようにじっと眺め、頬に手を添える。
「これで私は主様のもの。これで主様は私のもの」
くふふふ、本懐……遂げたり。
──愛しているよ、愛しい仔。これからも、ずっと、ずっと添い遂げてあげる。
……あぁ、どうして。どうしてこうにもなって。
なぁ、主様………わっちを、見て。そしたら私は……