近すぎるキミ、遠い始まり   作:沖縄の苦い野菜

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プロローグ 夢のあと

 

 

 祭囃子を背景に、人々が行き交う雑踏の中での出来事だった。

 自分たちより一際背の高い人々の往来に、流されるがまま石畳の上を歩いていると、繋いだ手はいつの間にか虚空を掴んでいた。

 

 一瞬の出来事だった。気づいて捜したときには、人間樹林とも呼べる光景に視界をふさがれていた。すぐ目の前までしか視界は及ばず、まるで水の中のように身動きの苦しい状況に、彼は思わず身を縮こませた。

 

 自分がどこにいるのか、相手がどこにいるのか、何もわからない。わからなくて、不気味で、まるで空中に放り出されたかのような孤独感が、喉からヒュ、と鋭い息を吐き出させた。鼻の奥と、目頭が急に熱を持ち始めてきたから、彼は必死にしかめっ面を作って虚勢を張った。顔に力を入れていれば、涙だけは我慢することができたから。

 

 そんな中でふと、はぐれた相手のことを思い出す。

 一際目立つ少女のことだ。純粋な日本人ではなく、ブラジル人とのハーフ。光にきらめくエメラルドの長髪が綺麗な少女。太陽の現身のような明るい性格が持ち味の彼女のことを。

 

 彼女は、まだ日本に来て間もないこともあって、日本語を聞き取ることも、喋ることもできなかった。誰かに頼ることもできない、正真正銘のひとりぼっち。自分がどこにいるかも、わかっていないに違いない。

 そんな状況を想像して、心臓が竦み上がるようにキュッと締まる感覚。背中に怖気が走り、夏の夕暮れ時だというのに鳥肌が立った。顔からサッと涙も血の気も引いていく。

 

 彼女がどんな状況に向き合っているのか想像した途端に。

 自分の恐怖なんて吹き飛んでいた。そんなことが気にならないほどの衝撃を受けて、身体が突き動かされていた。

 

「エレナ――ッ!」

 

 祭囃子にも、雑踏の音にも負けない声を張り上げて地を蹴った。

 注目が途端に集まった。無数の視線が、声を出すたびに向けられた。驚きに見開かれた無数の瞳。疑問に首を傾げる不気味な瞳。物珍しさに寄せられた好奇の瞳。そんな不躾で遠慮のない視線が向けられる度に、肩が跳ね上がった。心臓が重苦しく鼓動を打った。それでも、彼は「こんなもの」と子どもならではの無鉄砲な勢いに任せて、周囲を見回しながら走り、力の限り声を上げた。

 

 近くにいるなら、きっと反応してくれる。何か声を出してくれるはずだ――なんてことは考えていなかった。ただ、自分がここにいる。それが少女エレナに伝わってくれればそれでいいと、がむしゃらに行動した。心に這いよる蛇のように細長い恐怖を振りほどきたくて、振りほどいてあげたくて、彼はひたすらに声を上げた。

 

 しばらく、雑踏の中をかき分けて声を上げるも、彼の知っている気配はどこにも感じられなかった。声すら聞こえない。急いではいるものの、人混みのせいで所々立ち止まり、前にはなかなか進まない。森の中を歩くとは、きっとこういうことを言うのだろう。

 

 先が見えない。周りを見渡せない。並ぶものは人影ばかり。

 声を張り上げ、人間樹林をかき分ける。

 どこかに居てくれと、願うことしかできない彼はとにかく叫ぶ。

 

「エレ――げほっ、けほっ」

 

 喉が枯れてきた。思わずむせ込んで足を止めると、人間樹林は波を打ち、たやすく彼の小さな体を前に前にと押し出した。その力にたまらず、彼は脇道にそれるように、屋台と屋台の隙間に滑り込み、人間樹林を抜け出した。

 

 そこでようやく、一息ゆっくり吸って吐く。

 人間樹林は、未だ影絵のように黒く塗られて蠢いている。見るたび姿形を変えていき、自分がどれだけ進んだのかさえ示してくれない。

 

 そこでようやく、彼は頭を冷やして考え始める。エレナなら、どこに行くだろうか、と。

 はぐれたと知れば、がむしゃらに動き回るだけではないはずだ。これだけ濃い人間樹林の中に、たまたまエレナが居るとは思えない。むしろ彼女は、もっと何かに釣られるように、どこかを目指して歩きそうだ。

 

 幼い時分に、そんな論理的な思考を行っていたかと言われれば違うけれど。

 子どもならではの根拠のない、確信めいた予想と直感が、彼の中で囁いた。エレナはここに居ない、と。

 

 ――自分なら、どこに行く?

 そう考えたとき、真っ先に浮かぶのは、道端によけて泣き叫ぶ自分の姿だ。ちょうど、今いるような位置で、自分の存在をアピールするように泣きじゃくるだろう。

 

 迷子になったら、相手に気づいてほしい。

 だから、迷子を自覚したら精一杯に何かをするはずだ。気づいてほしさに、自分にできることをすると思う。

 

 日本語を聞き取れない、喋れないエレナがする行動。アピールとは。

 泣き叫ぶ、というのが真っ先に思い浮かぶけれど、あれだけ前に進んで泣き声一つ聞こえない。だから、エレナは泣き叫ぶ以外の行動に出ている。

 

 実際に当時の自分は、「エレナはもっと別の場所にいる」くらいにしか考えていなかったけれど。

 直感に従って、彼は思い切って行動に出ることにした。

 

「おじさん! エレナみなかった!? ミドリのカミの、小さい女の子!」

 

 彼は、近くの屋台の店主に、大きな声で前置きなしに質問を投げかけた。最初は、人間樹林の影さえ反応した発言に、坊主頭の店主もチラリと彼の方を見ただけだった。しかし、改めて視線を感じて何だと目を向ければ、まっすぐ店主を見上げる彼の姿がある。店主は彼が自分に話しかけていることをようやく悟った。

 

「……あ? おいおい、坊主。ガールフレンドかぁ何かか? てか、お前さんも親とはぐれているようにしか見えねぇ――」

「みた!? みてない!?」

 

 切羽詰まった、焦ったような様子。言葉を遮られて、鬼気迫る様子に「タダ事じゃない」と感じ取った店主は坊主頭を人差し指で掻くと、膝をついて彼に視線を合わせてから口を開いた。

 

「坊主。そんな闇雲に探しちゃダメだ。おっちゃんが一緒に、祭り会場全体に放送してやるからよ。会場本部まで行こうや」

 

 諭すように、強面な見た目からは想像もつかない柔らかい声音で彼に言った。大人として、店主は冷静に状況を見て、それがベストだと思っていた。

 

「ほうそう……? いや、ダメ! 日本語じゃわからない!」

「日本語じゃ……って、外国人のお嬢ちゃんってことかい!?」

「みた!? ミドリの長いカミの女の子!」

 

 そこに来て、店主はいよいよ状況が甚だ不味いことに気が付き、血相変えて「ちょっと待ってくれ」と頭を捻った。必死に、特徴的な女の子のことを思い出そうとしている様子だ。数秒、「うーん」とうなり声を上げるが、答えは一向に出てきそうにない。

 

「俺は見てねぇ」

「っ、わかった!」

 

 声を掛けてダメだった。だからもっと前に進もう、と人間樹林に飛び込もうとした瞬間、店主は「ちょっと待ちな!」と彼に言葉を掛けた。彼の足が、店主の声によって地面に張り付けられた。

 

「俺は見てねぇが、見てる仲間がいるかもしれねぇ。ついてきな」

 

 店主は彼の手を引いて、前にある屋台の店主。筋骨隆々とした巨人のような男のもとに駆け寄った。

 

「おう、ちょっといいか?」

「あん? ……どうした?」

「いやよ、実はこの坊主がガールフレンド捜してるっぽくてよ。それも、国際カップルだぜ! 日本語通じないらしくて、緑の長髪の女の子だってよ。見てねえか?」

 

 軽快な口調で話し出したかと思えば、本題にさっくりと切り込んだ。二人の店主は長年の付き合いなのか、それだけの説明にも関わらず巨人は真剣な顔して頭を捻り始めた。

 

「――あぁ、いたな。小さくて人混みの中に埋もれそうになっていたが」

「っ、どこいったの!?」

 

 思わず小さい彼が食いついた。目の色を変えて、睨みつけるような眼力をもって巨人の店主を見上げてみせる。

 あまりに堂々とした様子に、巨人の店主はまなじりを緩めてひとつ頷くと、顎でさらに先の方を示して見せた。

 

「目輝かせて、先に行ったぜ。この先には、確か神社の本殿と……あと、盆踊りの会場が見どころだな」

「ぼんおどり、かいじょう?」

「あぁ。さっきから、太鼓とかの音が聞こえるだろう? これに合わせて思い思いに踊るんだ。階段をのぼった先でやってる」

「――! おじさん、ふたりとも、ありがとう!」

「おっ、目途がついたかい。俺たちも見かけたら……本部につれてっとくよ。言葉通じねえのが厄介だが」

「その時は、その時だ。少なくとも、迷子でいられるよりはずっといい」

「もしまたみたら、おねがいします!」

 

 それじゃあ、と今度こそ彼は人間樹林の中に飛び込むと、その姿は一瞬にして見えなくなった。

 店主二人はその姿を眩しそうに見届けながら、思い思いに口を開き、店番に戻っていった。

 

 

 

 そうして、彼が真っ先に向かったのは盆踊りの会場だった。

 太陽のように明るくて、サッカーとダンスが大好きな少女。それが、島原エレナだ。

 

 石段を誰よりも早く駆け上がり、べったり染みつく汗をかき。パンパンに張った足でもう一段、もう一段と勢いの限り上っていき。

 ようやく頂上に到達したとき、目の前に広がっていたのは、きらびやかな舞台であった。

 

 赤い漆塗りの巨大な鳥居を潜れば、美しく静謐にたたずむ本殿が目についた。ある一角では祭囃子を演奏する奏者たちが、力強く雄々しく太鼓を叩き、すっと生え立つ竹のように美しい姿勢をもって笛を吹く。太鼓を叩く木造の櫓を中心に、思い思いに人々が踊っている。

 

 息も絶え絶えの様子で、俯きながらそんな様子を上目で見つめていた時のことだ。

 

 

 

 すっ、と残光のように視界に緑色が焼き付いた。

 ハッと顔を上げて、視線でその色を追ってみれば――

 

 

 

 

 ――緑の長い髪が、宝石のように煌めいて宙を舞う。

 ――白魚のような指先はピンと伸び切り一本の線となり、宙に軌跡を描き出す。

 ――小さな体が回転すれば、無垢にきらめく笑顔があらわになって。

 ――元気に跳ねれば、宙にエメラルドの波が打つ。

 ――元気いっぱいに、力の限り踊り倒す小さな少女は、その舞台でまさしく主役のようで。

 

 

 

 ――夕暮れも終わったというのに、太陽はまだまだ健在だった。

 

 

 

 息を切らした彼は、疲れた足を引きずって、輝く少女の肩を叩く。

 踊りながら振り向いた彼女は、彼の存在を認めた途端にピタリと止まると――途端に涙をあふれさせ、そのくせ思わず元気をもらえるような輝く笑顔を見せて、彼に勢いのままに抱き着いた。

 

 あぁ、怖かったんだな、と彼は「もうだいじょうぶ」と声を掛けながら、背中を優しく叩いていると。

 

「――Te amo.――」

 

 聞きなれない音が、熱い息と共に耳元で囁かれた。

 なんて言ったのか、意味もわからないにも関わらず。耳の奥で熱く木霊して離れない。

 

 抱き着いているせいか、ずいぶんと体が熱かった。心臓の音が聞こえてくるほど近くて、その小さな体は爆発しそうなほど熱を持っていて。

 

 彼女は、茫然としていた彼の手を取ると、引っ張って一緒に踊り始めようと動き出す。

 

 珠の雫が宙に舞い、はじけるように笑顔が咲いた。ほんのり赤く染まった頬と目元は幸せ色に輝いて。誰よりもきらめく小さなPassistaは、いっぱいの感情を乗せて踊り出す。

 

 そんな、太陽のような笑顔が大好きで。

 彼もつられて笑顔になって、調子に乗って踊り出すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うっすらと、間延びした意識の中で、頭がゆらゆらと揺れている。肩に力が加わって、身体全体が揺れていた。遠のいて聞こえる誰かの声。まだ言葉として認識はできないが、それもわずかな間だった。

 

「――ご……良悟!」

「あ……? ん、あぁ……なん、だぁ?」

 

 モザイク画像のような視界が、ようやく正常に目の前を映し始めたとき。最初に見えたのはサッカー部の仲間の顔だった。間抜けな声で何事かと聞くと、仲間はあきれたような様子でひとつため息を吐いた。

 

「はぁ……バス、もう停まってるぞ! 降りろ降りろ! 今からファミレスでお疲れ様会だよ!」

「……あー、うん。わり、ちょっと眠くてぼーっとしてる」

 

 もうちょっと起き上がるのに時間がかかりそうだ。と、そういうニュアンスの言葉を告げれば、仲間は困ったように顔を引きつらせながら、彼……新田良悟の頭をポンポンと眠気覚ましに叩き始めた。

 

「おーい? 寝るな寝るな。でないと、寝言で『エレナ―!』とか言ってたのばらす――」

「はぁ!?」

 

 イタズラ心の働いた仲間の言葉は、良悟の眠気を一息に吹き飛ばした。素っ頓狂な声を張り上げると、目を白黒とさせて仲間の肩に掴みかかった。

 

「……マジで?」

「大マジ。ちなみにお前の近くの席のやつは全員知ってるぞー」

「……やっちまったぁ」

 

 周囲を見渡せば、良悟と仲間の彼以外に誰も人は残っていなかった。最後列の窓際の席にいたせいだろう。それほど拡散されてはいないと思いたいが、悪ふざけが好きな部員たちのことだ。どこまで広まっているのかわかったものじゃない。

 

「いやぁ、いいネタ収穫収穫。ちょっと俺から暴露しようかなぁ」

「……ちなみに、誰に?」

「そりゃあ、もちろん――」

 

 いやらしく弧を描いた仲間の顔を見て、良悟はうんざりとした様子で「もういい」と言葉を止めさせた。言葉を止めさせたものの、仲間は依然と意地の悪い笑みを浮かべたまま彼の顔を覗き込んでくる。

 

「彼女、今日のお疲れ様会に遅れて来るんでしょ? やっぱ俺的には暴露して面白くしたいかなぁって」

「やったらお前の彼女に、去年の文化祭のときのお前の女装写真渡すからな」

「――待て。どうして俺の彼女を知っている良悟よ。というか連絡先なんで持ってる」

「エレナ経由」

「ふぁあああああ?!」

 

 奇声を上げたかと思えば、そのあとはキリッと締まった表情で良悟の方に向くと、半ば無理やり彼は握手を交わしてきた。

 

「よし、俺たちは不可侵同盟だ。いいな?」

「俺の寝言、暴露されてたら道連れだよ、地獄に落ちろ」

「くそったれぇぇぇ!」

 

 パチン、と仲間はとんだ掌返し……というより、握手していた手を叩いて放すと、すぐに振り返ってさっさと一人バスから降りようとした。

 そんな振り返ったところで、仲間はこれまたいやらしい笑みを浮かべて、良悟の方を改めてみた。

 

「……なんだよ」

「いやぁ、お前の彼女がバスの前で待ってるぜぇ?」

「――」

 

 言葉が詰まる。まさかそんな、と窓から外を見てみれば――

 ――頭の上からぴょこんと飛び出た一房の髪と、長髪のシルエットが見えた。

 

「……なんで、いんの?」

「知らんがな。でも、いじらしいねぇ?」

「うっせ」

 

 バスの出口で、彼女は待っていた。つまり、他のサッカー部の面子ともすれ違っているわけであり――

 

 ――その寝言やらを伝言されている可能性はあまりに高い。

 

「よし、やっぱりお前も一緒に地獄に落ちような。旅は道連れ世は情けっていうだろ?」

「ふざけんな! 煽っただけで別に俺関係ないだろうが!」

「同罪、同罪。というわけでこれからも仲良くしよう、な?」

「良悟の鬼! 悪魔!」

「何とでも言いな。俺はもう何も怖くない」

 

 そう言いながら、良悟は荷物を持って立ち上がり、さっさと仲間の横を通り過ぎる。

 そんな良悟を、仲間は後ろから掴んで何度も説得の言葉を投げかけるが、彼はまったく聞く耳を持たず、バスから降り立った。

 

 

 

「――待たせて悪い。なんか、元気出たよ」

 

 良悟は、彼女に向けて屈託のない笑みを浮かべて話しかける。

 そんな様子の良悟を見て、仲間は肩をすくめてそそくさとその場を立ち去って。

 

「――」

 

 彼女も良悟に笑みを返しながら、言葉を紡ぐ。

 

 

 

 ここまでたどり着くのに長かった、と。

 良悟は彼女の手を取って、横に並んで、笑顔を向け合いながら歩き始めるのであった。

 

 

 




まず最初に
「余滴は星彩に溶けて」をリメイク作品として投稿してしまった件について、まことに申し訳ありませんでした
前作の方ですが、更新は停止させていただいて、「近すぎるキミ、遠い始まり」を更新させていただくことになります。

理由ですが、物語を書いていくうちに「本来書きたかったテーマ」を書き出せなくなったためです。
このような不甲斐ない結果になってしまったことは、二次創作者の私の力量不足によるところです。



今度こそ、作品の「テーマ」を伝えきるためにも、このリメイクを書き切っていきたいと思っております。クオリティの上昇を、約束いたします。

そんな一度やり直してしまった拙作ですが、それでも良いとおっしゃってくださる方々には、どうかこれからも、ご愛読の方をよろしくお願い申し上げます。

それでは、また次話にてお会いできれば幸いです。

※更新は最低週一回ペースを予定しております。



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