近すぎるキミ、遠い始まり   作:沖縄の苦い野菜

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第三話 一息のサンバ

 キュッ、キュッ、とシューズが鋭く床を擦る。音の強さ、踏みしめる音、タイミングはバラバラで、一体感とはかけ離れていた。まだレッスンを始めて間もない少女たちは、その面持ちを引き締め、あるいは楽しそうに笑顔でステップを刻む。

 

 その中でも、一際輝いている少女が居た。太陽のような笑顔で、額の汗を雨雫のように飛ばしている。まるで、彼女の一帯だけ天気雨が降り注いでいるかのように煌めいている。指先までピンと伸ばして、美しい線のような姿勢、おおらかな動き。

 

 彼女たち全体の様子を見ているトレーナーさえ、ふとした瞬間、その太陽に視線を吸い寄せられる。異彩を放つとは、まさにこのことだ。やはり、別の課題を与えることも視野に入れようと、トレーナーの彼女は頭の片隅に留めて、他のメンバーに視線を移した。

 

 額に汗をにじませ、肩で息をして、足を震えさせて。これが普通なのだと、トレーナーはひとり小さく頷いた。様子を見る限り、彼女は「頃合いか」と手を打ち鳴らす。

 

「はい、いったん休憩! 水分補給しっかりして。5分後に再開!」

「ハーイ!」

 

 トレーナーの声に答えたのは、やはりというべきか太陽のような少女であった。笑顔で手を挙げて返事をする様子は非常に幼く見えるが、彼女は高校生だ。

 少女を尻目に、トレーナーは背を向けて今後のレッスン方針の思案に暮れるのであった。

 

 

 

「え、エレナ……ほんと、よくそんなに、元気残ってる、ね……」

 

 仰向けに倒れて、そんな体勢のままスポドリを飲みつつ、息も絶え絶えな少女の一人である所恵美が、唯一元気そうなエレナに声を掛ける。

 周りも恵美と似たような状況で、うつ伏せのまま床に頬をくっつけて「冷たい……」と休んでいる者もいれば、肩で息を繰り返しながら体育座りでスポドリ片手にぼーっとしている者もいる。

 

 そんな控えめに言って死屍累々といった状況でも、太陽が曇ることはなかった。ステージの上のアイドルのように輝いた笑顔を浮かべて、鼻歌交じりにスポドリを飲んでいるのが島原エレナという少女であった。

 

「んー、楽しいからだネ。メグミは楽しくないノ?」

「た、楽しいとか、それより……つ、疲れたよ……」

 

 楽しんでいる余裕がない。エレナと他の少女たちとの違いは、そんな基礎的な体力の差にあった。もしも高坂海美、北上麗花、舞浜歩などの面々が居ればいい勝負をしただろうが、この三人のレッスンは別日で今日は来ていない。

 

「大事なのは、パッションだヨ。体を動かすときのワクワクをエネルギーにするノ! スポーツとかといっしょだネ」

「ワクワクをエネルギーに、かぁ……うん、次やってみようかな」

「うん。楽しむのが一番だヨ!」

 

 ふんふふーん、と鼻歌混じりにエレナの笑顔が咲く。

 

 そんなエレナの笑顔を見ていると、恵美の体の奥から力が湧いてくる。負けていられない、とか。追いつきたい、といった反骨精神もあっただろう。

 しかし、何より恵美はエレナの「楽しそう」な表情を見て、気持ちが高揚していた。その笑顔を見るだけで、引っ張られるようにやる気がみなぎってくる。「楽しい」が伝播して、それに感化される。まるで手を引かれてエスコートされるように、恵美の感情もエレナの笑顔に引き寄せられるのだ。

 

 ――仲間に勇気を与え、みんなに元気を配り、誰よりも輝いて照らしてくれる。

 そんな魅力が、エレナの笑顔にはある。

 

 

 

(……高坂とも、舞浜とも、北上とも違うタイプ。高坂は繊細な動きと柔軟性、舞浜はダイナミックで大味の効いたアメリカンスタイル、北上は自由奔放なようでキレのあるギャップ。そして島原は――感情で踊る)

 

 積み重ねてきた経験、培ってきた技術、天性の才能。

 アイドルのダンススタイル、特に長所と呼ばれる部分はあまりにも多岐にわたる。高坂海美がバレエで積みかねてきた経験を活かしているように。舞浜歩が本場アメリカで培ってきた技術を駆使するように。北上麗花が天性の才能で奔放に踊るように。

 バレエ、ヒップホップ、ブレイク、タップ、サルサ、社交ダンス……例を挙げればキリがない。それだけの種類があるダンスの枠組みに、彼女たちアイドルは囚われない。

 

 生粋のダンサーとは、バレエならバレエだけを。タップならタップだけを極めていくことが多い。その系統の世界に肩までどっぷりと浸かり込んで、競技の世界で勝った負けたを繰り返す。

 

 しかし、アイドルはダンサーではない。必要であれば、タップも踊る。サルサも踊る。本職からみて付け焼刃だろうが、会場と観客を沸かせるために練習を繰り返し、ひとつのパフォーマンスとして披露する。会場を支配する要素はダンスだけにとどまらず、歌に、笑顔に、アドリブなんかもあるだろう。

 

 そうした総合力をもって会場を制するのがアイドルだ。ダンスは一つの武器に過ぎない。重要なのは、アイドルの長所として活かされるかどうか。それだけだ。

 

 

 

 エレナのダンスは、間違いなくアイドルとしての長所だ。仲間を引っ張り、見る者の視線を釘付けにして、笑顔を咲かせる。

 

 超絶技巧で会場を圧倒するわけではない。

 本人の「楽しい」という感情を、周りに伝えて会場と一体になるダンス。

 

 惜しむらくは、エースであってリーダーではないという点か。周りのメンバーと手を取り合うには、あまりに飛びぬけている。本人も、よく言えば前向きで……悪く言えば、向こう見ずなところがありそうだ。

 

(島原は……もう少し、様子見でいいだろう)

 

 島原エレナのダンスと笑顔がステージでどう影響するか。ユニットでどう作用するか。それはトレーナーの知るところではない。一緒にレッスンを受けるライバルに対してどう影響を与えるか、それも未知数。

 

「よし、休憩は終わりだ!」

 

 トレーナーが声を張り上げると、真っ先に視線を惹かれたのが、やはりエレナであった。待ってました、と言わんばかりの満面の笑みでこちらを見つめて、すぐさま立ち上がる様は「らしい」といえるほどよく見た光景だ。

 

 他のアイドルが疲れたように、あるいは緊張に顔を引き締めるようにしている中で。彼女だけは笑っている。

 隣にいて、エレナと話していた恵美の表情も柔らかくはなっているが、笑顔とはまだほど遠い。どちらかと言えば、リラックスしているというべき顔つきだ。

 

「じゃあ、さっきと同じように並べ!」

 

 太陽は、彼女たちにどんな影響を与えるか。

 トレーナーはその視線を鋭くしながら、少女たちに指示を出すのであった。

 

 

 

 

 

 

「あー、ほんとつかれたーっ!」

 

 生まれたての小鹿のように足を震えさせながら、恵美は愚痴をひとつ、更衣室の中で制服に着替え終わって椅子に座っている。エレナの着替えが終わるのを待ちながら、彼女は自分の足をもみほぐしていく。

 

「でも、いい汗かいたでショ?」

「そりゃそうだけどさー。帰るのも一苦労だよー!」

 

 エレナの無邪気な声に、恵美はついついこの後のことを考えて気分を落ち込ませた。いい汗をかいたといえば確かにそうだ。練習中の疲れは二の次に、とにかくダンスに燃えていた。だからといって、疲れを感じなくなるわけではなかった。足が棒になる、という表現がこれほど間近に迫ったことは初めてだ。

 

 ふと、恵美はエレナの方を見て「はえー」と感心したような声が飛び出した。

 

 肩甲骨からヒップのラインが、なめらかな曲線になっている。女性的な肉感のあるお尻が山となり、そこから波打つようにくびれた腰が、透き通るような白い背筋は肩甲骨のくぼみと相まって立体的な質感を遠目からも出している。

 

 ――と、そこまで見たところで彼女の白い制服が背中を隠し、さらにその上をエメラルドに波打つ髪が覆ってみせる。

 

「エレナってさ、姿勢すっごくイイよね。何か特訓でもしてるの?」

「姿勢? うーん、意識したことないかナ」

「えー? でも弓なりっていうのかな。すっごいキレイなのに」

「エヘヘ……あっ、もしかしたらサンバのおかげかもネ」

「サンバ? ダンスだから姿勢が大事ってコト?」

「うん! どんなダンスでも、猫背になったらキレイに見えないからネっ」

 

 そう言いながら、エレナは恵美の方に向くと途端にステップを踏み始めた。

 

 ――膝関節を曲げて、そこからピンと膝を伸ばすまでの間に。

 ――彼女は腰を左右に振って、くびれたスタイルと氷のように透き通る白い肌に注目を集めて目に焼き付けさせる。

 ――視線が乗ったところで、腰の近くに小さな手の動きを添えて躍動感を作り出す。まるで、魚がヒレをパタパタと動かす様に。可愛らしく、元気に。それに同調するように白い制服の裾が尾ヒレのようにひらひら宙を舞う。ヒレは徐々に翼のように広がり、大きく宙を掻いて全身のプロポーションをまっすぐ焼き付ける。腰を振り、脇を細かに動かし、背筋はどこまでもまっすぐに。その肢体を惜しげもなく、艶やかに輝かせて魅せる。

 

 たった、それだけの踊り。膝関節を曲げて、伸ばすまでの短い、それだけの。

 大きく動いたわけでもない。足場にしてみれば、最初の位置から数センチも動いていない。

 

 服装だってそうだ。制服の白いシャツに、下着だけ。着替えの途中というだけなのに、恵美にはまるで、それが今の踊りのために作られた衣装のように思えた。

 美しい魚がエメラルドの海を飛んだかのような光景が、瞼の裏に張り付いて離れない。

 

「こんなカンジだヨ。手の動きと、腰の動きのバランスが大事だネ!」

「はぇー……」

 

 放心状態だった。今魅せつけられた光景に囚われたまま、恵美は熱っぽく浮いたようにエレナのことを見ていた。

 しかし、そんな恵美のことなどお構いなしに、エレナはこれでおしまいだと彼女に背を向けて着替えを再開する。そんなエレナの様子を、恵美はまだ夢でも見ているかのように見つめている。

 

 シャツのボタンをかけて、スカートを履いて。学校指定の上着を羽織って、少しの身だしなみチェックを終えて早着替え。見つめている時間は、あっという間だった。

 

「おまたせっ! メグミいこっ?」

 

 振り返って、いつもの明るい笑顔を見せるエレナにようやく、恵美は現実に引き戻される。「あ、うん」と気のない声が、非現実のなごりとして口から出るものの、彼女は椅子から立ち上がる。

 

 そうして改めてエレナをみたところでふと。左袖の肩あたりに記された校章が目に入る。「あれ?」と恵美は思わず声を上げた。

 

「どうしたノ?」

 

 エレナの不思議そうな表情に、恵美は「あー、えっとね」と、どう切り出したものか考える。しかし、やましいことも何もないのだから、と彼女は単刀直入に聞いた。

 

「エレナって、〇〇高校だっけ?」

「うん。あっ、もしかして遊びに来るノ?」

「あ、そうじゃなくって。えっと、実はそこのサッカー部の男子からジャージとハンカチ借りちゃっててさ。できればでいいんだけど、橋渡しとか、お願いできない?」

「それくらいなら、お安いご用だヨ!」

「ほんと!? エレナありがとーっ!」

「わっ、ハグだネ! ギューっ!」

 

 笑顔があふれる更衣室。お互いに、笑い合いながら優しく抱きしめて。

 それが終われば、隣を歩いて一緒に帰る。学校のこと、レッスンのこと、家のこと。明日の天気まで。他愛のない話を繰り返しながら。

 

 夕暮れ時に、そんな少女たちの影が伸びる。

 オレンジ色に染まった街の中に溶け込む、そんな帰り道。

 

 

 少女たちの一日は、こうしてまたひとつ、過ぎ去って。

 

 ――明日もまた、陽は昇る。

 

 

 




エレナがサンバを踊るなら、きっとこんな感じじゃないかな、とか思いながら描写をさせていただきました。臨場感が伝われば幸いです。




お気に入り登録の方、順調に数を伸ばしているようで、ありがとうございます。
それを糧に、まずは第一部の方を完結させていただきます

更新ペース、できる限り落とさないように頑張りますので
これからもご愛読の方いただければ幸いです

感想、コメント、評価、ご指摘、お気に入り登録など、心よりお待ちしております
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それでは、また次話にて。
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