近すぎるキミ、遠い始まり   作:沖縄の苦い野菜

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それでは、本編をどうぞ。




第五話 仲直り

 

 茜色が照らすグラウンドに影法師が駆け巡る。ボールを追って健脚を振るう影は、飲料水のCMにでも出てきそうな壮大な動きを見せている。写真を撮って切り抜けば、いかにもロゴマークにピッタリな走りっぷりだ。

 

 そんな影法師も、別の影法師が近づけばひとつの影となって人型を失ってしまう。そういう時はボールを追って選手自身の動きを見た。相手に背を向けてボールを取らせまいとしている選手と、そのボールをどうにか奪おうと重心を動かしてフェイントを入れる選手。読み合いに負けた方が手痛いカウンターを受ける場面。

 そんな時に、ボールをキープしていた側の味方がボールと同じ横のラインまで攻め上がってきた。上がってきた味方はフリーで、正面にはDFが1人、他はFWのマークについている。手を挙げて「パスをよこせ」とアピールしていた。

 

 まずい、と焦ったのはボールをとろうとしたDFだ。パスが通れば一対一、FWがDFのマークを逃れてきたならそこにパスの選択肢が作られる。咄嗟に、攻め上がってきた相手へのパスをカットするように踏み込み――

 

 ――踏み込んだ瞬間、ボールをキープしていた選手が先読みしていたかのように反転してDFを見事に突破してみせた。

 

「ワオッ!」

 

 茜色の差す教室で観戦していた彼女は、その光景に思わず声を漏らした。普通なら通るはずのパスを一足先に潰そうと動いたDFもさることながら、それを先読みして突破した彼の肝っ玉も見事だった。

 手に汗握る攻防を制した彼がフリーとなって攻め上がり、最後のDFと対面した時、攻め上がってきた味方もいることで1対2の数的有利を作り出している。

 

 さぁ、ここからどうする――といったとき。

 

 ――鈍いバイブレーション音が孤独な教室の中で木霊する。

 

「あっ」

 

 机の上に置いていた携帯に表示されたメッセージを見て、彼女はグラウンドから校門の方に視線を移すと……こちらへ元気に手を振っている、ベストフレンドの姿があった。

 

「あとでリョーゴに聞けばいいよネ」

 

 結果は後のお楽しみに。校門に向けて大きく手を振り返すと、彼女はエメラルドの波を立てて教室から飛び出した。上靴の乾いた音が、沈黙に包まれた校舎の中でよく響き渡る。それが楽しくなって、ついついタップを刻むように緩急をつけた。ただの走る音から、踊る音に。楽しそうな足音は下駄箱まで続き、到着すればローファーに履き替えて走り出す。

 

 

 

「メグミー!」

「あっ、エレナ―!」

 

 夕暮れ時の校門は人もまばらだった。部活帰りには早く、帰宅部が通るには遅すぎる。そんな中で、勢いのままに抱き着いてきたエレナの力を受け流すために、恵美はその場で一回転。なめらかなターンは、彼女たちがレッスンで培ってきた技量が惜しみなく発揮され、綺麗な円を描いてみせた。これでも挨拶ついでのハグなのだ。

 

「もー、そんな走ってきたら危ないって! 他の子にやるとバランス崩して倒れちゃうよ?」

「メグミだから大丈夫かナーって思ったノ。学校の子達にはやらないヨ」

「それならいいけどさー。……じゃ、サッカー部に案内してくれる?」

「うん、コッチだヨ!」

 

 小言もほどほどに、本題に入るとすぐにエレナが恵美の手を引いて学校の敷地を跨いだ。他の学校の生徒を許可なく学校に入れる。あまり褒められた行為ではないが、エレナも恵美も気にした様子がない。気にしていないというよりは、頭の中から抜け落ちていた。

 

 ここがエレナの学校かー、と物珍しそうにキョロキョロと校内を見回す恵美だが、そんな時間も1分と経たないうちに終わってしまう。

 

「あっ、リョーゴー! 来てきてー!」

 

 サッカー部は紅白試合がちょうど終わったところで、グラウンドの人工芝の上で思い思いに座り込んで水分補給をしていた。そんな中に、エレナのどこまでも明るい声が響き渡り、良悟は何事かと顔を上げてエレナの方を見た。隣にいた秀一や先輩後輩は、彼を茶化す様に肩を叩き、背中を押して、半ば追い出す様にエレナの方に差し向けた。

 

 そんな仲間たちをひと睨みすると、良悟は日差しが眩しいのか手を日差し除け代わりに掲げながら、エレナたちの方に歩み寄る。

 

「エレナどうし……って、他校の子? 本当にどうした?」

「あのね、メグミがサッカー部に用があるんだって。ハンカチとジャージかりちゃったらしいノ」

「……は?」

「……あ――っ!?」

「っ、はい!?」

 

 恵美が唐突に声を上げ、良悟はそれに驚き恵美の顔を確認して素っ頓狂な声を漏らす。良悟のことを指差して大口を開けて驚く恵美に、瞠目して固まる良悟。エレナはそんな二人の様子に首を傾げるしかなかった。

 

「えっ、すっごい偶然じゃん!? この前はほんとゴメンね? アタシも友達と話し込んじゃっててさ」

 

 先に驚きから脱したのは恵美だった。一息に良悟との距離を詰めて目の前に立つと、いつもの調子で言葉が飛び出した。

 

「あっ、そうそう。この前かりちゃったハンカチとジャージ返しに来たんだよね。……ちょっと待ってね」

 

 未だに驚き固まっている良悟をよそに、恵美は自分のカバンの中から綺麗に畳まれたジャージと、薄っすらとくすんでしまった白いハンカチを取り出した。

 

「はい、この前はありがとね! ……ハンカチの方、完全に色落ちなくてさ。ゴメン、綺麗な状態で返せなくて」

 

 ニカッと、エレナとはまた違ったタイプの笑顔。少年のように茶目っ気のある溌溂とした笑顔が咲いて……そうかと思えば、次の瞬間には眉と肩を落として目を伏せる。お礼には笑顔を、謝罪には真剣な様子を。そんな恵美の様子に、良悟はようやく忘れていた瞬きをすると、差し出されたジャージとハンカチを受け取って口を開いた。

 

「いや、俺の方こそごめん。ハンカチの方は、全然いいよ。綺麗に使うもんでもないし。どうせ汚れてくから、気にしなくていい。それより、俺の方こそ服汚してごめん。あれ、色落ちたか?」

 

 恵美は「あー」と言葉に詰まって視線をふと逸らして沈黙を作る。答えでも見つけるように視線を泳がせると、彼女は軽い調子で言葉を紡ぐ。

 

「まぁ大丈夫。制服だから何着も持ってるし。それよりハンカチの方が重大だって! どう見たって既製品とかじゃないじゃん!」

「いや、だからハンカチはどうせ汚れるんだからいいんだって。色ついても使えるんだし。それより色ついたらダメなシャツの方が――」

「いやいやいや、そのハンカチの方が――」

 

 お互いに、自分の方が責任は重いんだと譲らない。そんな変な言い合いが何度も繰り広げる姿は、まるで気のしれた親友同士のじゃれ合いのようだった。性格か波長か。かみ合い過ぎていた二人は、永遠とそんな押し問答を繰り広げている。

 

「もー、メグミもリョーゴも、それだと話が進まないヨ?」

 

 そんな中に割って入ったのがエレナだった。弟や妹を宥めるような視線を二人に向けると、良悟も恵美も「うっ」と声を上げてバツが悪そうに口を閉じた。

 

 そうして二人が冷静さを取り戻していくと、今度は押し問答を繰り広げてしまった羞恥心が押し寄せる。謝っているはずなのに、お礼を言いたいはずなのに。相手は悪者じゃないはずなのに。そんな主張はいまだに譲らないまま、羞恥心が反省を促した。

 

「それよりも、ほらっ! 仲直りするんでショ? なら、仲直りの握手っ!」

「うわっ」

「ちょっ――」

 

 そんな二人の手を間からとると、エレナは引っ張るように手を差し出させて、強引に握手を結び付けた。

 エレナに急に引っ張られたことで恵美は体勢を崩すも、日ごろのレッスンが功を奏して良悟にぶつかる寸でのところで立ち止まった。

 良悟の方は体勢こそ崩しそうになったものの、前のめりになるだけで踏ん張りをみせてその場から動くことはなかった。

 

「もーっ、エレナ。急に引っ張ったら危ない――へっ?」

 

 エレナに愚痴をこぼしながら顔を上げると――眼前に、鼻と鼻がくっついてしまいそうなほど近くに、良悟の顔があった。思わず間の抜けた声が喉の奥から飛び出した。

 

「――っ」

 

 急に恵美が顔を上げて視線がぶつかって、良悟は思わず息を呑む。

 深い水底を見ているかのようだった。海に潜って、果ての見えない深海を見ているような、濃い青色。覗き込んでいくうちに、水の中に自分の体が溶けていくような浮遊感に襲われる。深みのある綺麗な瞳を覗き込み、覗き込まれて、深海に呑まれたのか呼吸さえ忘れた時――

 

「リョーゴっ、ボーっとしすぎだヨ」

 

 つん、と彼の頬にエレナの人差し指が当たる。

 我に返って彼女の方を見てみれば、モチモチの頬をほんの少し膨らませて、不満を訴えるようにジっと強い視線が向けられている。

 

(……ほんと、ボケっとし過ぎた)

 

 良悟は長めの瞬きを一回、自身を戒める意味を込めて行った。エレナの親友相手に、不躾が過ぎたと反省を胸に、改めて彼は恵美に向き直った。

 

「……何か、ファミレスでも服でもいいから奢らせてくれ。それで今回は仲直りってことで、頼む」

 

 呆然としていたのは恵美も同じだった。間の抜けた表情と、開いた口。それが引き締まって、閉じたのは、彼がそう切り出して数秒経ってからだ。意味を噛み砕いて、ようやく話の流れを理解した少女は「うん」としっかりと頷いて見せると。

 

「……というか、二人ってどういう関係? すっごく仲良しに見えるけど」

 

 そんな頭によぎった疑問を、単刀直入に二人にぶつけた。

 この素朴な疑問を口にされたのは、一体いつ以来だろうか。

 

 良悟とエレナはお互いに顔を見合わせて、微笑みをこぼし合う。エレナは花が咲いたように、良悟は悪戯小僧のように。

 

「幼馴染だな」

「ファミリーみたいなカンジだヨ」

 

 良悟は簡潔に、エレナは率直に。

 息がピッタリなようで、どこか個性の違いで食い違っている二人の様子に気づいた風もなく、恵美は「へー!」と大げさに驚きながらパチンと指を鳴らした。まるで、名案を思い付きました、とでも言いたそうな得意な表情で。

 

「じゃあ、ファミレスの奢りでさ、エレナも一緒に行こっか! エレナの昔話って興味あるなー」

「三人で小さなパーティだネ! 予定とかどうしようカナ?」

「予定は追々で、とりあえずそうしようか。エレナの昔話は……まぁ、本人が許してくれる範囲でな?」

「うん。じゃあ、決まりだねっ! ちゃんと、話題用意しておいてね? えっと……」

 

 快活で好調な様子だった口元が、ふと勢いを失った。気まずそうに眉を下げて目を泳がせる様子に、良悟もエレナも首を傾げた。

 

「……あのさ。――名前、なんていうの?」

 

 一世一代の告白でもするように、勿体つけて出てきた言葉がそれだった。恥ずかしいような、気まずいような表情をしている恵美。

 

「――ぷっ」

 

 そんな様子を見て、思わず笑いが漏れたのは良悟だった。彼は一度大きな息が漏れたのを皮切りに、口元を手で覆って喉をくつくつと鳴らして声を必死で抑えようとしている。

 

 良悟の様子に、恵美は言いようのない羞恥心をあおられていく。首元から頬まで朱が差して、「笑わないでってばー!」と抗議したものの。良悟は片手をひらひらと振って軽い謝罪のジェスチャーをするだけで、笑いが収まることはなかった。

 

「もーっ、ちょっと笑い過ぎだってば! えっ、そんなにおかしかった!?」

「うーん、ラブシーンが過ぎて告白かと思ったら、名前を聞いたってカンジだネ」

 

 エレナの悪戯を仕掛ける子どものような笑みを受けながら、恵美は考える。

 ラブシーン。甘酸っぱくて、あるいは甘々な恋をしている中で……ようやく告白を迎える! といった手に汗握るシーン。話によってはクライマックスだ。そんなクライマックスで告白――ではなく、相手の名前を聞く。

 

 ――シュールギャグじゃん。

 

「……あぁぁぁ」

 

 やっちゃったー!? と、恵美は心の中で盛大に悲鳴を上げる。現実に出るのは羞恥心を殺すためのうめき声。あまりの恥ずかしさに目を合わせていられず、彼女は下を向いて悶えに悶えることとなる。

 

 その様子を見て、良悟はとうとう腰を曲げて下を向き、必死に笑いを噛み殺そうとする。喉と腹が痙攣して、プルプルと体まで震え始める。

 

 仲直りの握手はいまだに続いている。良悟の手の震えと、喉から漏れる彼の声が、どれだけ笑っているかを如実に伝えてきて、それが伝わるたびに恵美は顔に熱を帯びて目じりに涙が溜まっていく。羞恥心はもう溢れそうだ。

 

「くっぷっ……けほっ。あー……うん」

 

 繋いだ手は汗ばんでいくのをお互いが自覚していた。強く握れば滑って握手が解けそうなほどで、ともすればマラソンの後のような発汗量。そんな状態が追い打ちのように恵美の羞恥心を刺激する中、ようやく良悟の震えが止まった。

 

「……新田良悟だ」

「――へっ?」

 

 あっさりとした物言いだった。今日の天気でも答えるように、さらりと口からこぼれ落ちる名前。恵美は不覚にも、彼の名前を聞き逃してしまった。人の名前も、誕生日だって覚えるのを得意としているのに。

 

「自己紹介だろ? 俺は、新田良悟。エレナの幼馴染だ」

 

 今度は前置きを置いて、誰もが聞き取れるようにしっかりと、その口から名前が紡がれた。幼馴染だと言い切った時、彼は男の子のように純粋で小憎たらしい微笑みを浮かべた。

 

 愛らしさを覚えるその表情に、心臓が小さく跳ねた。幼い微笑みは、どうしてか包み込みたくなるような。胸の奥をくすぐる感覚に、視線と意識を奪われて――

 

恵美はハッと我に返ると、彼の名前を頭の中で慌てて反芻する。聞き取れなかった分、忘れないように。今度こそ聞き逃さないように。

 

「うん。リョーゴくん、よろしくね! アタシは所恵美。エレナの親友だよ!」

 

 恵美は張り合うように、その顔いっぱいに挑戦的でお転婆な少女の笑顔を咲かせた。

 

 良悟の微笑みが、ポカンと呆然に塗り替えられる。見たことない種類の笑顔に目を奪われた。少女ではあるが、女の子の笑顔とは少し違う。大人というには幼く、元気いっぱいというより挑発的。ギャルのように挑戦的で悪戯っ気があるくせして、花の咲いたような満面の笑顔。垢抜けきれない彼女のような笑顔を、良悟は見たことがなかった。

 

 彼の視線を釘づけにして、恵美は「してやったり」と口元に弧を描く。

 それを見た良悟は「やられた」と肩をすくめてため息を吐き。

 エレナはそんな二人の様子に、見守るように微笑みを浮かべる。

 

「よろしくな」

「うん。よろしくね!」

 

 二人が初めて、お互いの意思で握手を交わした。繋ぎなおしたわけではなく、もともと繋いでいた手に力を入れただけだが、それだけでもお互いの思いが伝わるようであった。

 

「仲直りだネ!」

 

 エレナの締めの言葉に、二人は各々の笑顔で頷いた。そんな二人に釣られるように、エレナも太陽のように表情を輝かせて。

 

 

 

 夕暮れ時に、太陽は光届かぬ場所に濃い影を作り、茜色の光で世界を照らす。

 明日の天気は、まだ誰にもわからない。

 

 

 

 




お互いを庇い合うように責任を背負おうとする二人は、まるで兄妹のように似た者同士。
仲が良さそうに見えても、思いの外。
人間関係とは、うまくいかないものである




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