ホモではない(ただし見抜きはする)

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第1話

 人生で一番最悪な日、なんてものがあるとして。まぁ大抵の人は失敗とか、挫折とかがそれに値すると思う。

 かくいう俺も、これまでの人生で一番最悪な日と言えば、下校途中道端で見つけたひらひらのパンティーに性的興奮を覚えたら、巡回してたお巡りさんに下着泥棒の現行犯として捕まったことくらいだ。ちなみにその下着は近所に住んでる五十歳くらいのおばさんのものだった。若作りも大概にしろよこの野郎。触り心地がやたら良かったのほんと許さねぇからな。

 ともあれ、赤いひらひらパンティーにトラウマを覚えた俺にとって、人生で最悪な日というのは間違いなくそれだった。

 つい最近までは。

 

 

 アンダーグランドオンライン、略してアングラ。一般的なMMORPGとは違い、ファンタジーではなく過去、現代、未来の裏社会をモチーフにした世界観がウケて、じわじわと人気になっているゲーム。

 さて、そんなアングラ内。過去、現代、未来の三つのワールドの中で現代ワールドにあるごく一般的な町の喫茶店で、二人の男が向かい合っていた。

 一人はサングラスにハット、スーツとこれだけ見ればただの用心棒にも見えなくもない。しかしアイコンからすると彼のジョブはファントムシーフ、怪盗である。

 もう一人は見るからに汚ならしい落武者だった。ジョブは攘夷志士で、顔もやや覇気がないが、それは怪盗から聞いた話が原因だった。

 

「……あーー、ごめん。もっかい言ってくれる?」 

 

「聞いてくれるか、ジョーさん」

 

「うん、聞くから。今度はちゃんと言ってくれ、インコ。何だって?」

 

 怪盗、インコは少しの間を置いて、真剣にチャット欄へこう書き込んだ。

 

「ネカマで抜けなくなっちゃった。どうすればいい?」

 

「知るかボケ」

 

 

 

 落武者、ジョーさんが席を立ったが、俺はチャット欄にポポポンと書き込む。

 

「待って!? ごめん悪かった、言葉を間違えた。正しくは『今まで見抜きしてたネカマと段々仲良くなっていく内に抜けなくなってきた』んだ!!」

 

「もっと気持ち悪いわ。お前の性癖でチャット欄ドロドロに濁ってダマになってるわバカ」

 

 喫茶店から出ようとするジョーさんのアバターに己のアバターを重ね、何とか逃亡を阻止しようとする。まるで画期的なダンスみたいになってきたが、ネカマで見抜きするフレンドから逃亡するダンスなど流行らない。そんなエモート欲しくもない。

 

「こんなこと話せるのジョーさんくらいなんだよぉ!! 頼むってば、ねえ!?」

 

「いや頼むって、俺にどうしろって言うんだよそもそも」

 

「俺、また見抜きしたいんだよ! なのにこのままじゃそれが出来ないだろ!?」

 

「インコじゃなくて猿じゃねーか最早」

 

 まあそうなのだけど、と否定しない。否定しろバカとジョーさんはため息をついた。

 ジョーさんと俺の付き合いは、精々半年かそこらだ。ゲームをプレイする中で、何となく気があって、気づけば下ネタすらバンバン飛ばせるような仲になっただけなのである。

 だからこその相談。そしてジョーさんは優しい。渋々だが彼はまた席に戻る。落武者にしがみつくなんてこの先の人生でもうないといいなあ。

 

「……とりあえず一から話してくんない? どういうことなのよ?」

 

「あ、うん。話しますハイ」

 

 うーん何処から話そうか。

……とりあえずは。

 

「ええっと、ジョーさんって見抜きの経験ある?」

 

「言わせんな馬鹿」

 

 流石マイフレンド、剛の性癖をお持ちだった。

 

 

 

 その子との出会いを遡ると、九ヶ月も前になる。

 四月。季節は春、高校生になって新たな門出を迎えたそんなめでたいときに、俺は不幸にも下着泥棒の容疑で捕まった。

 無論冤罪である。幸いその日の内には勘違いだと分かり、警察や被害者は何度も謝ってくれたのだが、世間はそうは思わない。メディアが一部を切り取って印象を悪くするのと同じだ。

 下着ドロの汚名を被せられるという、人生で最低な日を何とか乗り越えた俺に待っていたのは、当然のようないじめだった。冤罪だったとはいえ、警察にあれこれ聞かれたり連行されている瞬間を同級生に見られていたのか。とにもかくにも、翌日学校に行ってみれば、それはまぁ陰湿なイジメが横行していたのだ。

 変態にはどんな言葉を浴びせても、暴力を振るおうとご褒美になる。だから何をしたっていい。鬱憤晴らしにカッターナイフで切り付けられたりとか、病原菌だからと消毒液を頭からぶっかけられたこともある。

 まぁ正直、自業自得でもあったし(パンツ拾ったのは確かなんだもの)、そうなるだろうなという予感はあった。入学して間もなく友達もいるわけがない、必然だった。

 そんなこんなで学校に行くのも何だか面倒になってきた頃。

 季節は夏になって、彼女と出会った。

 

「当時の俺は無気力少年でさ。リアルの女が怖くなって、抜くのも決まって二次元の清楚気取ったクラスメイトだった」

 

「お前の当時のおかず事情いる? つかなんでハット目深に被ってんの?」

 

 寂れた雰囲気出るかなって。えへへ。

 

「俺にとって、辛い現実からの逃避はここと、そして抜くことだけだったんだ。インしてる時間も平日で五時間くらいはザラにあったし、抜く回数も」

 

「それは言わんでいい……ま、一応リアルのお前を知ってるから改めて言うけど、本当に大変だよな。いくら生粋の変態でもいじめを快楽に変換出来ないんだし」

 

「愛がないからいじめなんだよ。自分のために殴ってるだけだもの」

 

 美少女補正がかかっても、このバイキン野郎とローファーで蹴られたら痛いし気持ちよくもない。俺はソフトMなのだ。もっと優しく責めろこの下手くそと言わない器の大きい男です。

 なお、ジョーさんはリアフレではあるのだが、現実で彼を見たことは無い。現実でつるむのはいじめの的になりそうだからやめよう、と俺が言ったのだ。ならせめてネットでは友達でいようぜ、とあちらから言ってきた。良い奴である。これで中身が美少女なら文句なしだが、ジョーさんが間違って繋げたボイチャで男だと確定している。バーチャルでもシュレディンガーの猫はこの世にいない。いないのだ……。

 

「で? そんな傷心変態怪盗野郎とネカマがどうしたんだよ?」

 

「いやぁそれがね。まぁ聞いてくださいよ落武者の旦那」

 

 そう、あれはいつものようにミッションメニューで今日は何に行くか吟味していたときだ。

 突然レイドパーティーに招待されて、まあたまにはと参加したパーティーに彼女はいた。

 快活な雰囲気の少女だ。小さくまとめたツインテールは黄金色で、身長こそ低いが、引き締まりつつも出るところは出たスタイルは、チアガールのような印象すらある。しかしカンフーシューズに真っ赤なチャイナ服、それにあどけない顔立ちと、どちらかと言えばカンフーガールだろう。ディスプレイ越しなのに、その姿に嫌でも目を惹かれた。

 しかし衝撃はそれで終わらなかった。

 

「インコさんですね、よろしゃーす。あ、自分男です。ネカマに間違われたことあるんで、あらかじめ言っときます」

 

 そのチャットを読んだ瞬間、俺に衝撃が走った。それこそ雷に打たれたような衝撃が。

 このいかにも男ウケする見た目で、素っ気無い対応。無論分かっている。初対面の人間には誰だってそう。ましてや中身は男であり、そんなものに興奮するのは倒錯していると言われても仕方ない。

 だが……。

 

「……すこだ……」

 

 オウムちゃん、めっちゃタイプでした。

 

 

 

「そんなこんなで、カンフーマスターのオウムちゃんのフレンドになって、一緒にミッションをこなしていく間、見抜きしたりしたんだ」

 

「お前って大変だけどクズだよな」

 

 まぁですよね。ジョーさんの肩を竦めるエモートに同意する。我ながら金髪ロリ巨乳チャイナ娘のネカマで抜くのはどうかと思う。

 

「いやそうじゃねぇよ。どうせそのオウムとやらのアバタ―の前で、露骨に立ち止まって見抜きしたんだろ」

 

「そんなヘマやるわけないでしょ。ミッション進めながら見抜きしてやったわ。勝利画面でフィニッシュしたわ」

 

「そんな男優と一緒にフィニッシュしたような汚い勝利宣言自慢しなくていいから」

 

 そもそも、とジョーさんは続ける。

 

「そのオウムちゃんって中身は男なんだろ? ホモじゃん」

 

「ホモではない」

 

「いやホモだろ」

 

「ホモじゃねぇんだよッッ!!!!!!!」

 

 バンバンとテーブルを叩く俺のアバタ―。

 そう、この苦悩は俺にしか分かるまい。

 

「そりゃ俺だって純粋な女体で抜きたいよ。でもリアルの女はおっかないし、何よりその、トラウマがあって。だから抜けないんだよ!! 二次元の女でもその恐怖を中和し切れないんだようぉーーん!!」

 

「こんなに下品な慟哭初めてなんだけど」

 

「いやだからね? 女であって女じゃない女ってすげぇ安心するというかね。分かる?」

 

「何かそこまで必死だとこっちが悲しくなってきたな」

 

 それはともかく。

 

「で? 仲良くなってきて抜けなくなったと? 良かったじゃんか、変な性癖から抜け出せそうで」

 

「いや、それだけじゃないんだなこれが」

 

「あ?」

 

「オウムちゃんの中身が……その、知り合いだったんだよ」

 

「……は?」

 

 つまり、

 

「見抜きしてたオウムちゃんは、毎日顔合わせてた同級生だったんだよォ!!!」 

 

「……うわぁ……」

 

 二度目の慟哭。ああ、何と悲しき運命。俺はもうネカマすら信じられないのか。では一体誰を信じればいいのか。神は何も言ってくれない。

 

「つか俺以外にリアフレいたんだな、インコって」

 

「いるわぁ!! お前と張るかそれ以上に良い奴がいるわぁ!!! そもそもアンタがリアフレなのかも怪しいけど!!!」

 

「さらっと刺してくるよなお前。で、お前はそのクラスメイトで抜いてしまったと、なるほど」

 

「そうなんです……」

 

 嘆息し、ジョーさんは一言。

 

「大事な話と聞いてみれば、お前さ……てっきりあの話かと思ったぞ」

 

 あの話? 心当たりが全くなくて首を傾げる。ジョーさんと話すのは精々馬鹿話か下ネタくらいで、他に話すことなんてないんだけど。

 

「お前はほんと……アングラ運営からの大事なお知らせ見てないのか?」

 

「ダイジナオシラセ???」

 

 こちらが何も知らないことを察して、ジョーさんは軽い調子で言った。

 

「アングラ、明後日でサービス終了だってよ」

 

「ゑ?」

 

 

 

 検索すれば、SNSやウェブサイトは何処もかしくもお祭り騒ぎだった。キャンプファイヤーというよりは油をぶっかけて放火することに近かったが。

 しかし情報は何処も同じ。

 アンダーグランドオンラインは明後日の零時サービス終了、とのことだった。

 

「……えぇ……???」

 

 サービス終了の理由は錯綜していて、どれも要領を得ない。やれ開発スタッフが引き抜かれただの、会社が倒産しただの、ドッキリイベントだから心配ないだの、みんな好き放題言っている。

 ちなみに当の運営からは、『あらゆる観点から見て、これ以上のサービス継続が難しい』とお決まりのフレーズしか書いていない。いや分かる、分かるのだ。だってそれ以上に書きようがない。

 でもサービス終了のお知らせから猶予が二日って。なんやねん二日って。そんなんじゃ何も出来ないだろうに。しかも今日は水曜で、明後日は金曜だからアングラにはそこまでログイン出来ない。有給が取れる社会人やニートならまだしも、俺みたいな学生には余りに急だ。

 

「……うーむ」

 

 同じような情報しか出てこないスマホを閉じて、ベッドに身を投げる。

 アングラをプレイして一年。別に課金とかはしてないし、サービス終了ならそれはそれで構わない。大好きなゲームではあるが、あくまでこちらは遊ばせてもらっているのだ。それに文句を言うつもりはない。

 だけど、一つ減る。

 辛い現実から、逃げる場所が。

 そのことだけがずっと、気掛かりだった。

 

 

 

 翌日。よく眠れないまま朝を迎えても、学校には行かないといけない。

 目を擦りながら指定のブレザーに袖を通し、学校へ向かう。一月の通学路は冬一色で、つい最近まで黄金色のコートを着るように生い茂っていた銀杏の葉は、全て地面に落ちていて、丸裸の木々が手を振るみたいに風に揺れる。吐く息が白いのにも関わらず、学生は歩いていて、たまにその間を縫うようにサラリーマンやOLが先を急いでいた。凍結しかけた車道はいつもより法定速度を守っている車が多く、心なしか穏やかに思える。

 何の変哲もない、青空の下で広がる朝の風景。

 なのだが。

 

「よう、陰誇(インコ)くんよぉ」

 

 どんっ、と背中を押されて、つんのめった俺を笑う声が複数。振り返れば、同じ学校指定のブレザーを纏っている同級生達がいた。もれなく髪をガッツリ染めたヤンのキーである。生徒指導の先生に怒られると分かっててなんで染めるんだろう。馬鹿なんだろうか。

 ちなみに陰誇、とは俺の本名である。陰キャのインコくんだ。両親はどんな思いでこの名前つけたんだろう。

 ヤンのキーの内一人が、ニヤニヤよくもまぁ楽しそうに笑いながら俺に近付いてくる。

 

「なぁなぁ俺ら言ったろ? 変態なんだから制服なんて着ないで、全裸で登校してこいって。なんでまだ制服着てんの?」

 

 返事はしなくていい。格下を思い通りに出来ないと、こういう奴はイライラするものだ。ほら、今にもイライラが溜まって拳を振り上げ……。

 いやイライラ爆発すんの早くない? 早漏か?

 しかしその拳が、俺に届くことはなかった。

 

「ウッス。おはよーう、インコ!」

 

 ぱし、と拳を掴んだだけでなく、勢いを殺さずにそのまま一回転。合気道だか太極拳だかの技だ。引っくり返ったいじめっ子は背中からコンクリに叩きつけられた。痛そうだなあ。

 陽気な挨拶と共に、ぬぅ、と大きな影が俺を包む。

 からっとした笑顔で俺に挨拶してしたのは、金髪の少年だった。百九十に近い高い背丈に、精悍な体。顔もベビーフェイスとか女子から噂されるくらいには童顔だが、一息で同年代をのしてしまったところを見ると不気味ですらあるだろう。

 が、そんな彼に、俺は手を上げた。

 

「うっす、陽夢(オウム)。おはよ」

 

「おう! 今日も絡まれたな、やっぱりだ!」

 

 へへ、と笑う彼の顔は、誰かに似ていた。具体的に言えば俺が見抜きに使っていたロリ巨乳チャイナ娘のネカマに。

 そう。彼こそオウムちゃんの中身、城崎陽夢(おうむ)である。当て字どころかそもそもそうは読まねぇだろって感じの少年は、俺の唯一の友達であり、いつもこうして守ってくれる優しい奴だ。陽キャのオウムとは誰が言ったか。実際一年では異性同性問わず大人気の凄い奴である。

 そんなマイ守護神の登場に、ヤンのキー達は色めき立った。

 

「またテメェか、オウム!! 毎度毎度俺達の邪魔しやがって!!」

 

「ダチが袋にされかけてんだ。放っとけるわけねーだろナメクジ野郎ども」

 

「何がダチだ。そもそもインコの奴が盗んだのは、てめーの母親(・・・・・・)の下着だろ!!!」

 

 そう。俺は盗んでないがそういうことになっている下着は、オウムのお母さんのものだったりする。オウムからすれば、それこそ俺は最高に気持ち悪い奴のはずなのに。

 

だからどうした(・・・・・・)

 

 彼はそれらの事実を、簡単に踏み砕く。

 

「ダチがやってねぇって言ってんだ。それだけで信じる理由になんだろ。つか、インコは俺の家すら入ったことすらねぇんだぞ。もし家に来てたんならよ……」

 

「き、来てたんなら……な、なんだよ?」

 

 オウムはヤンのキー達に迫真の表情で叫んだ。

 

 

「うちの両親に挨拶ってことだろ?ーーーー俺も一緒にいねぇと可笑しいだろうが!!」

 

「いや何も可笑しくはないだろ。家近いし」

 

 徒歩五分の距離じゃんお前の家。何度かすれ違ったことあるわ。

 て、もうこんな時間か。急がないと間に合わないな、学校。

 

「相手しなくていいよ、オウム。遅れちゃうし行くぞ」

 

 その筋肉質な肩をぱんぱんと叩いて催促すると、彼も渋々ついてきてくれた。いや助かる。君がいないと俺はろくに登校できないからね。主にヤンのキーに絡まれるから。

 が、我が親友殿は渋面を浮かべながら、隣を歩く。

 

「ちっ……ったく、暇な奴らだよな。仮にも被害者だぜ、俺もお前も。それを一方的にお前が悪いって決めつけて、こんなくだらないことやってんだからな。腹立つわ」

 

「みんな体のいいサンドバッグが欲しいんだろ」

 

「……お前もお前だよ、インコ。毎度言うけど、何でやり返さないんだよ?」

 

「面倒だもん」

 

 誰も俺の言うことなんて信じない。ゴキブリが声を出したって相手しないのと一緒で、仮にも人気ナンバーワンを誇っていて、被害者であるオウムが声を大にしてもいじめは無くならないのだ。これはもう仕方ない。

 そして俺も真実が届くだなんて都合のいい未来は期待してない。それに、

 

「もし仮に悔い改めたとしても、今度はあっちが苦しいだけだろ。なんていうか、ただでさえ自分が痛いのに、他人まで痛い思いしてたら嫌じゃん。だから俺が痛いだけで済んでるなら、それでいいよ」

 

「……お前のその、他人が大事発言もどうかと思うぞ。いやマジで。心配だよ」

 

「はぁ? いや大丈夫でしょ」

 

 だってこんな完璧超人に守られているわけだし。大丈夫大丈夫。

 

「……俺は心配で大好きな黒ギャルもので抜けねぇってのに……」

 

「ああそうだ、お前の好きそうな黒ギャルがナースにコスプレしてる奴あったから今度貸すわ」

 

「うおマジでか!? サンキューインコ!」

 

 バンバンと張り手みたいな勢いで背中をどつくのは勘弁して。中身出る。今朝の味噌汁が出る。

 それより、と俺は昨日から悶々としていた話題を切り出した。

 

「オウムはさ。アングラの話、聞いたか?」

 

「あー、サービス終了の話だろ?……まぁ、一応は。残念だよなー。俺達、アングラで繋がったようなもんだし」

 

「……うん」

 

 色んな思い出があった。見抜きしたり、レイド行ったり、見抜きしたり、スクショしたり。

 ああでも、確かアングラで出会う前にオウムと出会ったときは最悪だったっけ。

 今でも思い出せる。

 そう、あれは冤罪事件から二か月が経った六月のことだ。

 

 

 

 その時は勿論、オウムのボディガードもなかったから、俺は当然のごとく一年生全員からいじめを受けていた。百人以上の男女がたった一人を啄みまくるその環境は地獄の一言に尽きる。歯止めもなく、寸止めなどない。教師も止めない。ただの泥棒ならまだしも、下着泥棒ともなれば、擁護した瞬間にその矛先は二つに別れるだろう。殺人犯を弁護する弁護士と同じだ。

 だからそれが治まることはない。肉塊が肉片になっても、彼らはその肉を踏みつけてこう言うのだ。少しは反省した?、と。

 結局のところ、俺の高校生活とはそんな地獄だった。

 殴られ、蹴られ、斬られ、叩かれ、罵られ、見下され、追い出され、煙たがれ。そんなことばかり繰り返した。どうしてと問うことすら許されず、逃げるなと首を絞められ、反省しろと髪を引き抜かれた。

 色んなことを諦めるしかなくて、色んなことから逃げるしかなかった。

 けれど、それでも願うことはある。

 ああ、痛いのは嫌だ。

 この痛みを味わうこともそうだが、もし他人にーー知人にこれを叩き付けられたら、自分は耐えきれない。誰も知人がいなかったことは、本当に僥倖だったと今なら思える。何なら親もいないので、誰かに迷惑をかける心配がない。

 俺が何も反応しなければいい。

 人形みたいに無反応でいられれば、それでいつかはみんな飽きる。人形を殴ることに快感を覚える人間はいても、ずっと殴り続けられる人間は早々いない。

 だから我慢する。拳を握らずに、自然体のまま受け続ける。

 そんなときだった。

 俺を地獄に叩き落とした女の息子が、頭を下げてきたのは。 

 

「ごめん」

 

 いきなり席の前に来て、そういった彼は、震えていた。同学年どころか、大人でも中々見ない屈強の肉体が、まるで小さい子供のように震えていたのだ。

 城崎陽夢。

 スポーツ万能、センスもあって人当たりもよく、極め付けには今時のカッコ可愛い顔。学年人気ナンバーワン。色んな単語を羅列しても、俺に関係あるのは一点だけ。

 下着泥棒の被害者家族。

 間接的にこの地獄へ、叩き落とした元凶。

 

「ごめん、俺のせいで。こんなにお前を傷つけた。だから、ごめん」

 

 オウムはずっと頭を下げていた。糾弾されたくて来てるだろうに、卑怯にも彼は目を合わせようともしない。ずるい。

 けど、ダメだった。いくら自分を煽っても、怒りなんて欠片も湧かない。そんな気力すら、その時の俺にはなかったのだ。

 むしろ感謝したかった。自分の椅子を隠されて、馬鹿みたいに立ち尽くすしかなかった俺は、目の前の彼のおかげで、少しだけ惨めな思いをせずに済んでいる。

 

「……なんで城崎が謝るのさ」

 

「だって……だってお前、酷い扱いされてきたじゃねぇか。服剥がされたまま一日過ごしてたり、空き教室に連れていかれて、そのまま下校時間までずっと殴られてたりもしてた。そういうの全部、俺のせいだ。だから」

 

「別に城崎がしたわけじゃないしさ。いいよ、別に」

 

「で、でもよ……こんなの」

 

「どうにもならないよ、何言ったって」

 

「……え?」

 

 城崎が頭を上げる。彼の怯えた瞳に映っていた自分は、痣だらけの顔で、薄気味悪い作り笑いを浮かべていた。

 

「お前が何言っても、みんなやめないし、止まらないよ。いくらお前が強くても、一年みんなを相手にするつもりないだろ? 怖いもんな。だからやらなくていい」

 

「そ、それは」

 

「それに、見てたんだろ? 何もしないで」

 

「……、っ」

 

 あ、ちょっと嫌味ったらしくなってしまった。反省。

 

「ああごめん。別に助けてくれとは言わないよ。ごめん悪口言って。どうもその、最近人とまともに喋ってないからさ……ちょっと、愚痴っぽくなった。本当にごめん」

 

「なんで……お前が、謝って……」

 

「傷ついただろ? 酷い顔してるもん、城崎。痛かったよな、心が。ごめん。俺もそれが痛いのは知ってるからさ、だから」

 

「だから……って……」

 

 オウムの声を遮るように、キーンコーン、とチャイムが鳴る。

 慌ただしくクラスメイトが席につく中、俺は言った。

 

「授業始まるよ、城崎。お前違うクラスだろ、早く戻った方がいい」

 

「……、悪い……」

 

「いいよ、ほら」

 

 しっしっ、と追い払うと、オウムは教室を出ていった。

 やがて先生が来ると、椅子が無突っ立ってる俺を見て、鼻で笑う。

 

「また椅子を壊したのか、お前は。これで何度目だ? もういいよそのままで、立って聞いとけばいい」

 

 くすくす、と教室で笑いが起きた。

 玉ねぎの皮以下のゴミクズ(クラスメイト)達が、矢継ぎ早に罵倒してくる。

 

「センセー。変態くんに授業受けさせたって意味ねーよ、絶対。頭ん中下着のことしかねーよ」

 

「トイレにでも行って教科書読んどけよ、なぁ? 千切って使えるじゃん。なあ?」

 

「だねー。教室にいたら、うちらまで変態の空気吸うことになるじゃん」

 

 聞き流していると、最後に女子の一人が呟いた。

 

「ほんと。被害者(城崎)くんにあそこまで言われてさ。別にいいよー、だって。ありがたみが分かってないよね、犯罪者のくせに」

 

 一瞬。

 一瞬だけだが。

 忘れかけた炎が、胸の奥で吹き荒れたが、それを無理矢理掻き消した。

 どうしようもないと、何度も言い聞かせて。

 それでも。

 あの家族がいなければ……と、無駄な考えが脳裏から離れなかった。

 

 

 

 結論を言えば、その後もオウムは俺と関わろうとしてきた。

 普通の人間であれば、滅茶苦茶鬱陶しいことだろう。実際俺もそうだった。何処にでも現れてごめん!の一言である。ストーカーか?と思わなくもない。偽善者め、と罵る奴もたまにいた。

 ただ、この学校で最も俺と関わり合いたくないはずなのに、誰よりも真っ直ぐ俺に話しかけてきてくれたのは……オウムだけだった。ジョーさんみたいに画面越しじゃない。きっと罪悪感とか、色んな感情があるだろうに、そんなもの全部胸の中に押し込んで、オウムはずっと話してくれた。

 それだけじゃない。あいつはずっと俺を守ってくれている。俺のためにそのでかい身体で盾になってくれた回数は数え切れない。なのにアイツはいつも笑って、手を差し伸べてくれる。

 陰キャの俺でも、心開かざるを得ない、陽キャの権化。それが城崎陽夢というヤツだった。

 そんな奴で、そんな奴で俺ァ……。

 

「……何回か抜いちゃったんだよなぁ……」

 

「あ? 何回か抜いた? もしかして今朝から? お盛んだなぁオタクくんは」

 

 ちげーわ。金髪ヤンのキー(が中身の好みの女)で五回以上見抜きしたなんて口が裂けても言えるわけねーだろこの陽キャ。

 

「今朝じゃねーよ。昨日だよ」

 

「変わらないだろ別に。一昨日も明日も抜くんだろ?」

 

 まぁそうだけど。お前ではもう二度と抜かないからな?

 昼休み。空き教室に忍び込んでの昼食は、毎回恒例だった。今日も二人で惣菜パンにぱくついて、ちゅーちゅー紙パックのジュースの啜る。これぞ青春の味、とオウムが力説していたけれど、確かにこれは青春の味と呼ぶにふさわしいと思った。

 

「お前いつもジャムパンだよなオウム。今日のジャムの味は?」

 

「イチゴ」

 

「女子か? お前それ女の子だったらぐっと来るけど男だと何の魅力もないようであるぞ」

 

「どっちだよ。そういうインコだって、毎回ハムと卵挟んだ揚げパンじゃん。スポーツ部かよ」

 

 生きる気力を生成するにはこれが一番いいんですぅ。糧なんですぅ。

 会話しながらスマホをタップしているが、別にネットサーフィンとかしているわけではない。そこには俺のアバターである怪盗のインコと、カンフーマスターのオウムがボス相手に大暴れしていた。

 アングラはPCだけでなく、スマホでも出来るため、昼休みはこうして二人で集まってアングラをやるのが日課になっていた。それはサービス終了直前でも変わらない。

 

「しかし……いざサービス終了となると、何したものか分からんなぁ」

 

 ネトゲというものは、限られたリソースをなるべく消費しないように最大限立ち回るのが大前提だ。しかしサービス終了ともなれば溜め込む理由もないのだが……。

 

「……ふむ」

 

 思案する中、えいえい、と俺のアバターの横でエモートを連発しているオウムちゃん。ぬぅん、可愛い。愛らしいツインテも、それが似合うロリフェイスも。たゆんたゆんと無駄に揺れる胸すらも、背丈の低さも相まって引き立つ。そして声優の声を少し弄った声も良い。それでいてネカマ。リアルの女を信じられない俺にとって、まさしくオアシスみたいな存在だ。

 この陽キャが中身であることを除けば。

 

「なーインコー。何行くよー」

 

 エモートを連続で選択したせいか、やった!と喜ぶところがキャンセルされてやっやっやっやっ、と少し何か抑揚が付き始める。いけない。これはいけない。俺の暴れ竜が画竜点睛してしまう。このカンフーガールがそんな声を出すところを想像すると色々捗りかける。

 しかし地獄は続く。

 

「なー、なーってばー。何とか言えよー」

 

 くいくい、と俺の制服の袖を引っ張る親友殿。だが待ってほしい。右耳にはやっ、ぁっ、なんて可愛らしくも艶めかしいキャラボイスが入り、左耳からは巨漢の野太いおねだり声が滑り込む。俺の好きなオウムちゃんと現実のオウム野郎が嫌でも結びつく。リアルフレンドと紐づけされては妄想が変な方向へドッキングする。ああやめろ俺の脳。中とガワでカップリングしてそのまま濡れ場まで片付けようとすんな。

 

「お、おぉけぇい……じゃあタイムアタックしよう。だからそのエモート連打やめろ今すぐ」

 

「んお? 分かった、じゃあ『二人』で行こうぜ!」

 

 二人。

 二人。

……二人か。

 オウムちゃんと二人でタイムアタック。これはつまり、デー、

 

「ふんッッッッ!!!!」

 

「うお!? またかよ? 前から思ってたけどなんでいきなり自分の顔殴るのお前? こわいんだけど」

 

 いや、邪な考えを追い出した。大丈夫、と返す。にやけそうになった。不味い。ネカマとデートするという思考に行き着くのが不味い。それを想像してニヤけんのも不味い。見抜きはいいのか? 不可抗力なのでそれは仕方ない。

 そう、俺はホモではない。見抜きはするが、ホモではないのだ、俺は。そこをはき違えたら性癖のアビスで空中分解してしまう。例えガワが最高級に好みのパツキンロリ巨乳であってもだ。

 と、

 

「ほら、明日までしかプレイ出来ないんだぜ? さっさとやろうぜ」

 

……明日まで、か。分かってはいるのに、改めて言われると嫌でも現実に引き戻される。

 

「分かってるよ」

 

 ひとまず頷いてみたが、モヤモヤは晴れない。

 そう、アングラはこれでもう二度とプレイ出来なくなる。逃げる場所も、これで無くなる。

……いいや、そうじゃない。ゲームがやりたいなら他のゲームをやればいいし、逃げ場所なら作ればいい。俺がモヤモヤしているのは……オウムちゃんともう会えないかもしれない事実に対する、隠し切れない寂しさだ。

 

「……、」

 

 画面の中の彼女は、元気に跳ね回って、モンスターをバッタバッタと撲殺している。その様子は微笑ましくて、見ているだけで癒された。

 大前提として、これは女の子の形をしたデータであり、俺に何か喋りかけているわけじゃない。そして何より中身は隣の男であって、ただ単に薄皮が剥がれるくらいの話なのだろう。

 けれど、それで済ませられないほどの感情が、俺の中にはあった。

 それが何なのかは、分からない。ガチ恋という奴かもしれないけれど、中身のオウムに対してはそういうことじゃないのは百も承知だ。

 ただ俺は、オウムちゃんのことが好きなのだ。恋とか、友情とか……そういう言葉に出来るような陳腐なものを飛び越えて、俺はこのアバターが好きなのだ。俺にとって彼女はただのフレンドじゃない。辛いときに救ってくれたオウムと同じように、オウムちゃんもまた、俺を現実という地獄から救ってくれた恩人なのだ。

 だからこそ、このままサービス終了を待っているだけで良いのだろうか? こんなモヤモヤを抱えて、俺はこれからオウムにどんな顔をすれば良いのだろうか?

 オウムとは友達でいたい。そうありたい。

 

「お、そうだ。朝は忙しくて忘れてたんだけどさ。これみろよ、インコ」

 

 にしし、と彼が顔の前に持ってきたのは右手。正確に言えばその爪だ。本来透明感のある爪は、べったりと真っ黄色に染まっていた。

 

「ふっふっふ、凄いだろ? アングラのアバター仕様のネイルなのです、ってな」

 

……コイツ、人の気も知らないでほんと……。

 

「男なのにネイルってお前それどうなん?」

 

「バッカお前。最近はそういうのもやってこそのオシャレなんだよ。そもそも、これはアングラがサービス終了するからやったの。記念だよ記念。後悔したくはないからさ」

 

 後悔、か。

 確かにオウムちゃんのことを消化しないままでは、きっとこれからのオウムとの関係も変わってくるだろう。

 それこそ、後悔一つで。

 ふと。気付けば俺は、オウムにこんなことを聞いていた。

 

「オウムはさ。あと二十四時間で世界が終わるとしたら、なにやる?」

 

「あ? 何だよいきなり。あー、もしかしてサービス終了でやりたいことと掛けてる?」

 

「なんだっていいだろ。で、何やんのさ?」

 

 うーん、と眉根を潜める金髪オウム。しかしすぐに、彼は答えた。

 

「俺なら……今まで言えなかったこと言うな。告白とかするべ」

 

「へー。案外乙女じゃん。ちなみにお前好きな人とかいんの?」

 

「……いたら悪いかよ?」

 

「いいや、それなら同じだと思ってさ」

 

 え……、というオウムの反応を尻目に考える。

 世界が終わるまで、残り二十四時間。その短い時間の中でやれることなんて少なすぎる。

 だけど、それでもやれることがあるのなら。

 やることは、やるべきだ。

 

 

 

「というわけで俺、オウムちゃんに告白することにしたから」

 

「いやなんでそうなった」

 

 昨日と同じ現代ワールドにある、喫茶店。落武者もとい攘夷志士のジョーさんと、またもや会っていた。

 現在の時刻は夜の零時前。アングラサービス終了まで本当の意味で、残り二十四時間。

 ジョーさんはまたもや肩を落とすエモートを連発しながら、俺の話を聞いていた。

 

「いやほら、大事な話って言ってたじゃん。昨日も同じだったけど、今度はサ終することも知ったし、リアルの俺に会いたいとかそういう話かと思うじゃん。それがどうなればそうなるの」

 

「後悔したくねぇんだ」

 

「いや一生笑われんだろ。後悔を恥と性癖で錬金しようとしてるよお前」

 

 大体なぁ、とジョーさんは続ける。

 

「アングラが無くなれば、俺との繋がりもなくなるんだぜ? だったらほら、かける言葉とかあるだろ? な?」

 

「いやそれは別に明後日以降も出来るじゃん」

 

「普通に即答されたんだけど……なに、俺ってそんなに優先順位低いの?」

 

 比べるまでもない。

 

「明後日以降もリアルで会えるジョーさんより明日までしか会えないオウムちゃんの方が大事に決まってんだろ」

 

「てめえそろそろドタマぶち抜いてPKしてやろうか? なぁ? 許されるよね?」

 

 しかし、彼も俺の頑固さは分かっている。やがて諦めたように、アバターが土下座した。

 

「……で? どう告白すんだよ」

 

「流石ジョーさん、手伝ってくれるのね。だいちゅき」

 

「キモいからやめろオタクくん。お相手はお前の素性もアバターも知ってんだろ? 真正面から告白したら、それこそリアルでのお前は友達ゼロ人の歌とか作れる悲惨な高校生になるぞ」

 

 うう、それは勘弁したい。オウムを失ったらちょっと立ち直れないし。

 が、そこはもち、考えてある。

 

「複アカ作ったからそれで告白する。これでバレない」

 

「……ネカマに告白するから複アカ作る奴とか、お前以外いないよなぁ」

 

 何を言うか。世間にはネカマに告白する人間なんて大勢いる。無論その全てが玉砕してしまうのだが、もしかしたら一杯いるかもしれないだろ。

 

「つか、告白するって言ったけどさ。そもそも告白したところで意味なくねぇか?」

 

……それ言っちゃう?

 

「さっきも言ったでしょうに。俺はオウムとこれからも友達でいたいから、けじめつけるためにさ」

 

「そんだけなら別に告白することもねぇだろ。お前の言う通りなら、確かに複雑だけど。人生懸けるほどのことじゃない」

 

「人生って大袈裟な……」

 

「大袈裟だよ。もしもお前のことが他人にバレてみろ。そん時はお前、冤罪のこととか特定されたら本当に人生終わりだ。ただでさえ生き辛いのに、そんなことになれば……」

 

「心配してくれてんの? ありがたいねぇ」

 

「……ああそうだよ、心配してるよ」

 

 ジョーさんはずっと首を振っている。

 

「オウムが助けに入るまでのお前を知ってるからな。そりゃ心配にもなるさ。あんときのお前は、誰も信じない、信じられない、信じたくないの三拍子だったろ。それに逆戻りどころかもっと悪い事態になるかもしれないんだ。それが分からないお前じゃないだろ?」

 

 確かに、ネカマに告白なんて馬鹿げているのだろう。まともな頭をしていれば、そんな結論は出さない。

 でも。

 

「俺はちゃんと、お別れしたいんだよ。オウムちゃんと」

 

 それを差し引いてでも、価値があると俺は思う。

 

「別に恋人になりたいとか、彼女を独占したいとか、そんな個人的な理由じゃないんだ。ただ、もやもやするんだよ。このまま消えるって分かったら、いてもたってもいられないくらい、俺の中でオウムちゃんの存在はでかいんだよ」

 

「……ガチ恋じゃん」

 

「違いますー! 恋とかじゃないですー! ただの命の恩人なんですー!」

 

 今でも覚えている。

 現実からも仮想からも逃げて。どうしようもないほど追い詰められて。

 一人じゃないと、そう教えてくれた。

 誰も側になんていないのに、手を握ってもらえた気がした。 

 勘違いで良い。痛々しくたっていい。  

 最悪バレたとしても、それはそれで構わない。

 だけど。

 

「上辺だけ見て人を足蹴りに出来るような、ニンジンの蔕並みにくだらない奴らのことなんて、どうだっていい。こんな俺と、正面から関わってくれた人との関係を壊したくない。ただそれだけなんだ」

 

「……全く」

 

 ジョーさんは席を立つ。そして、

 

「ならもう何も言わねぇよ。後は頑張れや、若人」

 

 俺は落ち武者の前に割り込んだ。

 

「……いや、何してんの?」

 

「ジョーさんこそ何お勘定ムード出してんの? え、ログアウトすんの? このタイミングで?」

 

「は? そりゃ帰るだろ、これ以上踏み入っても野暮だし。サプライズにしときたいし」

 

「いやアンタが告白されるんじゃないんだから、一緒に考えてくれよ」

 

「ハァ!?!?」

 

 なして君がそんなに狼狽えてんの? why???

 

「いやいやいや、可笑しいだろ。なんで、……他人宛の告白なんて考えなくちゃいけねぇんだよ。嫌だぞそんな惚気聞くの」

 

「そんな重いもんじゃないから大丈夫だよ。これまでありがとう、さようならくらいの挨拶だし」

 

「それで告白とか舐めてんのかテメェ? オォン? 相手の気持ち考えろこのクソオタク」

 

「だから何故にそこまでご立腹なのか教えてくれません? なんで?」

 

 首を傾げながらも、俺はジョーさんと作戦会議と洒落込むことにした。

 しかし俺は知らなかった。

 今日、まさか人生で一番最悪な日を更新することになろうとは。

 黒ギャルモノで抜いた俺は、知らなかった。

 

 

 

 朝。アンダーグランドオンラインのサービス終了日。

 一つの世界が終わるって言うのに、現実は呑気なもので、学生である俺はいつも通りオウムと一緒に登校し、学業に専念している。

 

(……早く放課後になんねぇかなぁ)

 

 授業を半分聞き流しながら、思考に耽る。

 ジョーさんと考えた作戦はこうだ。

 放課後、オウムとアングラで落ち合い、そこでフレンド達みんなでレイドを初めから攻略可能な箇所までやる予定になっている。無論それを抜け出すことは出来ないが、それが終われば恐らくオウムちゃんと二人っきりのまま、サービス終了までプレイすることになるだろう。となれば、狙いはそこだ。俺がトイレとかでいなくなっている間に複アカでオウムちゃんの元へ行き、告白する。

 無論、そこで初対面になるため、彼女からは警戒されるだろう。故に、最初のレイドから複アカでも参加して、初対面ではない状況を作る。ついでに自己紹介で前からオウムちゃんのアバタ―が好きとか言わせてれば告白する違和感もない。

 完璧な流れだ。

 

(しかし、オウムの奴も流石に今日はそわそわしてたなぁ)

 

 いつもなら陽気な挨拶で脳を揺らしてくれるあのハワイの現地民みたいな金髪頭も、アングラが気になって仕方ないのか、登校しているときから何か夢心地といった感じだった。

 実際俺も落ち着かない。何せ人生で初めての告白、しかも中身は男の二次元キャラだ。倒錯してるのは重々承知だが、それでも胸の奥が早鐘を打って仕方ない。

 けど、止めるつもりは毛頭ない。今日退けば、もうチャンスは二度とない。これは前に進むための儀式なのだ。返事? 知らんわ。言うだけ言ってそれで終わるだけなのだから。

 そんな風に授業中考え込んでいると、ぱら、と背中に何か当たった。椅子の下をまさぐると、背中に当たったモノは真っ暗になった消しゴムのカスだった。

 

「……、」

 

 姿勢を戻すと、背後のクラスメイトの何人かが、ニヤついた顔で消しカスの弾を見せびらかしてくる。

 いくらオウムが守ってくれるとはいえ、クラスが違う彼では授業中までは守るのは不可能だ。そうなると遅れを取り戻すガリ勉みたいに、クラスの連中は授業中にちょっかいを出してくる。

 必死過ぎて笑えてくるが、まぁ授業中にやれることなんてたかが知れている。無視してれば済むだろう。

 そうして、何度か妨害を受けつつも、午前の授業が終わった。

 

「、……!」

 

 チャイムが鳴った瞬間、学生鞄を背負って廊下に出る。そのまま最短で飲み物とパンを買うと、待ち合わせの空き教室に向かう。

 ようやく昼休みだ。今日は気が立っているから、授業もやけに長く感じる。クラスの奴ら、いつもの五割増しで消しカス投げてない? カリカリし過ぎでしょ。ニキビでも潰してればいいのに。

 でも、これでやっとオウムと会える。俺が学校で安心して良い場所は、オウムの側だけだ。それ以外の場所は何処も危なくて、危険すぎる。

 見慣れた空き教室の扉を掴んだところで、安堵した。

 それがいけなかったのだろうか。

 扉が空き切るのと同時に、飛び出してきた何かが顔に激突した。

 

「……、っ!?」

 

 衝撃の元は鼻。ゴリリリ……!!、と鈍い音と共に衝撃が走り、そのまま薙ぎ倒される。つーんとしたワサビの辛さをもっと凄惨にしたような痛みが、鼻を突き抜けた。

 ぼた、と鼻から温かいものが零れる。鼻を始点にそれは喉に入り、舌を通して脳に味を伝達させる。

 血。つい四か月前までは、毎日嚥下していた、敗北の味。

 

「よぉ、インコくん」

 

 かつん、と前方で音がした。だが見れない。明らかに鼻孔が可笑しい。噴水みたいに血が止まらなくて、口の中に広がる半端な熱が気持ち悪くて仕方ない。

 

「随分逃げてくれたじゃないの。いやぁ、俺達は寂しくて仕方なかったよ。何せほら、育ち盛りで元気が有り余ってるからよ。でも、元気があるからって人を殴るのっていけないことだろ。だから」

 

 再びの衝撃は、左肩に炸裂した。屈んでいた俺をかち上げるような打撃に、身体の芯が砕かれるような激痛が走る。たまらず転がり、仰向けになったところで、凶器が分かった。

 木製のバットだ。それも先端に釘が何本か打ち込まれていて、俺の血がべったりと付着している。ああ、そりゃ痛いはずだわな……なんて、何処か他人事のようにそれを見つめていた。

 

「君みたいなのが俺達にとっては必要なんだよ。欲求不満解消するために」

 

 そこにいたのは、坊主頭の男だった。女にモテそうもない、典型的な芋顔に、野球部からパクったのだろう改造バット。オウムほどではないが、程よく鍛えられた身体は、俺より筋肉が確実にある。

 会うのは四か月ぶりか。そういえば、全治三か月くらいの怪我してたっけ。

 

「……トンビ……」

 

「トンビ『さん』だろ、陰キャのインコくんよ」 

 

 坊主ーートンビは俺が買ってきたジュースを拾うと、それを握り潰して、俺の顔にぶちまける。

 鼻から溢れる血と、降ってくるオレンジジュース。疑似的な水責めに、胃の中まで吐きそうになる。

 トンビ。彼は一年の不良達のボスみたいな存在であり、俺への虐めが一番酷かったヤンのキーだ。オウムがぶっ飛ばして、つい最近まで入院してたはずだが……どうやら回復したらしい。何ともまあ、タイミングの悪い。

 

「久々に会えたんだからよ。ちったぁ俺を出迎える用意くらいは出来てんだろ、インコくんよ」

 

「……出迎え……? は、……誰がするかよ、お前みたいなイモの芽みたいな顔してるやつ」

 

「……へぇ」

 

 トンビが一段と声を低くする。

 

「言うようになったなぁ、インコくんのくせによ。前はあんだけビビッてたくせに、臣下を手に入れて王様気分か? 良いご身分だよなぁ?」

 

「……オウムにボコボコにされて、顔を耕された奴が、今更威張ったって怖くねぇよ。それともこう言われたいか? 喧嘩で負けて、涙でぐちゃぐちゃになった顔面里芋野郎が」

 

 直後。ヒゥン!、と鉄が空気を裂き、空恐ろしい音が俺の身体から響いた。

 一瞬だけ、心臓すら止まった気がした。腹に深くめり込んだ釘バットで、胃が不自然に捻じれて、喉の奥から胃液が込み上げてくる。血と一緒にそれを飲み込むと、色んなものを吐きそうになったが、震えながらそれに耐える。

 しかしトンビは嘲笑いながら、俺の頬を踏みつける。煙草でも消すように。

 

「……ほんと、よく言うぜ。前は死んだような顔して全部受け止めたくせに、ゴミが付け上がりやがって。わかんねぇか、お前のことだよゴミクズ」

 

「ゴミクズ踏んで勝ち誇ってる三下が、よく言う、な……」

 

「……状況が分かってねぇようだな。インコくんよ。なんで俺がここにいるのかくらい、考えねぇのか?」

 

 どうしてここに、トンビがいるのか。

 確かに、トンビがいるのはここにいるのは可笑しい。この時間に俺がここに来ることを知ってるのは、オウムだけ。

 であれば……。

 

「……オウムに……何をした……?」

 

「さてねえ。お前自慢の兵隊に何をしたか。何があったのか……気になるか?」

 

「答えろ、トンビ。オウムに、何をした?」

 

 トンビの顔が崩れる。愉悦に、揺れる。

 

「……いいねえ、その顔。久々に見る、お前のその顔が好きなんだよ、俺ぁさ。ちゃんと反応されるとよ、殴りがいがあるよなぁ!?」

 

「答えろ、ハゲトンビ……!! 俺の友達に何をしたんだ、おい!!!」 

 

「うっせぇな」

 

 痛みが抜けかけたところで、トンビが爪先で俺の鼻を蹴り飛ばした。今度こそ折れたかもしれない、と思ったけれど、そんなことよりも今はオウムの安否が大事だ。あいつが何かあったら、俺は。

 そう思ったときだった。

 

「悪い、遅くなった! 何か先生に呼び出されて、これがまた話が長くて……よ……」

 

 息を切らしながら現れたのは、オウムだった。見る限り、彼は何もされていないのだろう。無傷同然で、だからこそ俺を見て、動きを止めた。

 絶句。そんな言葉が、今のオウムを表すには相応しい。

 

「ようオウム。先に始めてるぜ、秘密の溜まり場でよ。二人きりとは寂しいもんじゃねぇかよ。俺も混ぜてくれよ、なぁ?」

 

「……ってんだよ……」

 

 ぞわ、と鳥肌がたつようだった。オウムの表情がみるみる内に陽気な親友から、敵対者を排除する守護者へと変化していく。

 

「しかし男二人でこんなとこで食ってるとはなあ。お前らもしかしてデキてんのか? は、だとしたら笑えるな。オタクと陽キャ、正反対カップルってか?」

 

「なに、やってんだよ」

 

「にしても、この踏み台はいいもんだなあ。お前も日頃使ってるのか? こうやって、よぉ!!」

 

 がっ、とトンビが俺の鳩尾を蹴りつける。

 それで一線を越えた。

 オウムは烈火のごとく瞳を燃え上がらせて、咆哮する。

 

「……俺のダチに、何やってんだァッッ!!!! このハゲ野郎ォッッ!!!!」

 

 それは俺が見た中でも、一番と言ってもいいほど速い動きだった。まるで豹のように鋭く、精密にトンビの額へ拳が迫る。

 しかし、

 

「はい、ストップ」

 

 トンビの釘バットが、俺の血だらけになった鼻先に添えられる。その瞬間、オウムはその拳をトンビの目と鼻の先で止めた。

 やられた。トンビはこれを見越して、俺に暴行し、人質にとったのだ。

 

「……へへへ、チョロいもんだよなあ? おい」

 

 トンビの一声で、ゾロゾロと三人ほど空き教室に入ってくる。彼らはオウムの前を取り囲み、構える。

 

「さーて。どうしたもんかねえ、オウムくんよ。煮られるのと焼くの、どっちが好きだよ。お前は?」

 

「……てめぇをブン殴るのが好きだよ、俺は」

 

「よせ、オウムっ……!!」

 

 それ以上刺激すんな、と言い掛けたところで、またもや鳩尾に一発入って言葉が続かない。オウムもそれで身動きが取れず、金髪が揺れる。

 

「やめろ!! インコは関係ねえだろうがよ!! 俺がテメェぶちのめしたのが気に食わねえんなら、俺本人を狙えばいいだろうが!!」

 

「そのお前を苦しめる方法で一番簡単で、長く苦しめられんのがこれなんだよ。ほれ、やれ」

 

 トンビの合図に従って、取り巻き三人がオウムに向かって凶器を振り下ろす。メリケンサックや鉄パイプなどが、まるで彫刻刀のようにオウムに傷をつけていく。

 

「オウムっ!! 俺のことはいい、逃げろ!!」

 

「逃げられるわけねぇだろ……お前置いてよ」

 

「でも、このままじゃ……!!」

 

 死んでしまう。俺の友達が。

 しかし、取り巻き三人の手がすぐに止まった。

 トンビだ。彼は俺に足を載せたままの状態で、手を上げて止めていた。 

 

「なあ、インコくん。勝負しね?」

 

「……勝負? 何の勝負だ」

 

「ま、友情ゲームってところか?」

 

 里芋野郎は上機嫌で、

 

「夜の九時。もしもお前がオウムを助けたいなら、駅前公園の裏道まで来い。勝負はそれだけだ」

 

「……それだけ?」

 

 駅前公園なら学校からそうはかからないし、場所も分かっている。これだけなら勝負にならないが、

 

「ただし、敗者にはちょっとしたご褒美があってな」

 

「ご褒美?」

 

「もしも、万が一お前が時間までに来なかったら。そうだな。もうお前のことを虐めねぇよ。ついでに一年全員からの虐めもやめさせてやる。俺が無理矢理でもな。悪くない話だろ」

 

「、……」

 

 一瞬。

 言われた意味が分からなかった。

 

「誰の、せいで、こうなってると……」

 

「おいおい。人のせいにしちゃあいけねぇよ……と言いたいところだが。俺はそこまで面の皮は厚くねぇ。でもよ、これで水に流せるチャンスなんだ。自分を地獄に叩き落とした家族と仲良しこよしより、復讐した方がスッキリするだろ?」

 

 それに、とトンビは続ける。

 

「たった一人切り捨てれば、お前はまた学園生活をやり直せる。俺が守ってやる。だから見捨てちまえよ、インコ。薄い友情よりも、手厚い暴力の方がお前を確実に救ってくれるぞ?」

 

「……お前には、従わない」

 

 その一言を絞り出すと、トンビはさして興味も無さそうに吐き捨てる。

 

「あっそ。ならお前、仮に逃げずに来て、何か出来んのか? まさか俺に勝てるとでも思ってんじゃないだろうな、えぇ? 何なら俺だけじゃないんだぜ、相手は? 全員と喧嘩でもやるか?」

 

 トンビの声が、嫌に耳にするりと入ってくる。それは毒のようで、心が諦めへと傾きそうになる。

 

「そもそもお前が巻き込んだんだ、オウムを。お前がいなければオウムがここまで大変な目に合うこともなかった。それでも関わろうとするのなら……お前ら二人とも、口ん中の歯が全部砕けても、殴るのやめねぇからな」

 

 ふざけんな……!!

 無理矢理立ち上がろうとしても、上手く身体に力が入らない。血も止まらない。それに失笑したトンビは、俺から足を離すと、

 

「じゃあ、寝てろや。インコくん」

 

 最後に釘バットが、脳天に叩きつけられて、

 

 

 

……気がつくと、耳鳴りが酷かった。

 視界が霞んでいて、頬が上手く動かせない。身体は痛みこそあれど冬の寒さで震えているのに、顔は歪な熱を帯びていて、額からは汗が滲んでいた。

 何が、どうなったんだっけ。前後の記憶が飛んでいて、ふわふわと浮かんでいるような心地よさすらある。うつ伏せのまま、目を凝らした。

 周囲を見回すと、もう真っ暗だった。月明かりが照らすのは、椅子と学習机、チョークで汚れた黒板だけだ。いつも昼休みに使う空き教室。

 

「……ぁ、そうか……」

 

 思い出した。トンビにオウムを連れてかれたのだ。ああもう、最悪な日だ。こっちはこっちでそれどころじゃないって言うのに。あの里芋顔、余計なことしてくれる。

 

「……そうだ」

 

 確かトンビは、ゲームと称して期限を設けていた。それが夜の九時。

 痛む身体に鞭打って、ポケットの中のスマホを取り出す。液晶は割れてはいたが、まだスマホそのものは動く。

 現在時刻は、夜の八時二十分。あともう、四十分しかない。

 

「……くそ……」

 

 膝をついて立ち上がり、走り出す。けれど身体の制御が効かない。ふらふらと墜落間近のヘリコプターみたいに、椅子や机、壁にぶつかってまともに走ることすら出来ないまま、教室を後にする。

 駅前公園までは走って二十分。しかしこの調子では、駅前公園どころか、学校を出るだけで二十分かかるかもしれない。全く、こんな時間まで誰も起こしてくれないなんて、流石に少し凹むぞこの野郎。

 こんなときオウムなら。

……オウムなら、すぐに肩を貸してくれるのに。

 俺のせいで。

 

「ぅ、……」

 

 グラウンドを横断しようとしたところで、足がもつれて転ぶ。すぐに起き上がろうとするが、身体は泥の中にいるようで、身動ぎすらまともに出来ない。

 体が、重い。いやそれ以上に、心が沈んでいる。傾いている。諦める方へと。

 これ以上進んだところでどうする。奴らは俺が着いた途端歯が砕けるまでオウム共々殴り続けると言った。逆に言えばそれは、俺が行かなければそうならない可能性もある。

 酷い考えなのに、それがまるで名案のように思えるから、一人でいるのはいけない。間違いを正してもらえないから。でも実際どうしろと言うのだろう。俺じゃ絶対にトンビ相手に喧嘩で勝てない。ガタイも、反射神経だってそうだ。それに相手は一人じゃない。オウムだって、仕方ないと笑ってくれるだろう。

……あー、本当に。一人というのはいけない。

 確か。前にもこんなことあったっけ。

 そうだ。あれは……俺が、自殺しよう(・・・・・)と思ったときのことだ。

 

 

 

 いじめが始まって四か月が経ち、流石に俺も終わりのない暴力には限界だった。

 馬鹿とか、変態とか、一見それだけでは煽りにもならない単語なのに、それが束になって何か月も降り注ぐと、じわじわと効いてくる。物理も言葉も、暴力は暴力だ。いくら俺が我慢強くて、人として何処かぶっ壊れた精神を持っていても、回復する暇すらないとどうにもならない。やり返したって意味がない、やがて俺にも興味をなくす。それだけを頼りにやっていたのに。

 終わらなかった。

 彼らはサンドバッグに飽きるのではなく、サンドバッグをどう使い潰すかだけを考えて、俺の存在を許していたのだ。

 

ーーなぁおい。どうしてお前のことを殴ると思う? みんな冤罪だと分かってるのに。

 

 家まで土足で入り込んできたトンビは、俺を殴りながら言った。

 

ーーそりゃお前、丁度いいからさ。みんなストレスを抱えて、刺激のあることを求めてる。そこに、何度も使い捨てられる二足歩行の猿が居たら、最高に興奮するだろ。だって、何をしたっていいんだからな。

 

 終わりがないという結論に至ったとき、俺がどれだけ絶望したか。

 毎日毎日、苦しみに耐えて。歯を食い縛ることすら相手を挑発することだと分かったから、ヘラヘラして、ただ生きることだけにしがみついてきた。きっとすぐに終わるからと。

 でも、結果はこうだ。誰もいない。俺を助けてくれる人なんて誰もいない。

 いや……いたことはいた。でも信じられなかった。信じたくなかった。信じたいとすら思わなかった。自分でこれだけ苦しいのに、それを他人に背負ってほしいなどと、そんな残酷なことがどうして言えよう。

 だから、その存在が目障りだった。

 

「なぁ、大丈夫か?」

 

 他の人間とそう変わらないのに、一人俺と関わろうとする、金髪のバカ。もういいと何度も言ったのに、それでも。陰キャと関わろうと付き纏う陽キャ。

 その存在をありがたいと思ったことは一度もなかった。だから、限界だったそのときに、無神経にこう言ってきたそいつが、本当に、鬱陶しかった。

 

「何でも言ってくれよ。俺がお前を助けて『やる』から」

 

「……助けて『やる』って、なんだよ」 

 

 思わず、漏れていた。誰にも言ってこなかった、ぐつぐつと煮え滾った感情が、流れ落ちる。

 

「元はと言えばお前の母親が、俺に難癖つけてきたのが原因だろ。それをなんだよ。助けてやる? 上から目線の募金活動くらいの気持ちで嫌々やるくらいなら、最初から関わろうとしてんじゃねぇよこの薄ら笑いの気持ち悪いヤンキー野郎が」

 

 言って、思わず口を押さえた。これ以上何も言わないように。

 だが遅かった。

 見上げると、そこには沈痛な面持ちのオウムが、口を一文字に結んでいた。

 何も悪くないのに。俺が全部悪いのに、彼は何も言わずに頭を下げた。

 

「……ごめん」

 

 傷つけた。

 分かっていたのに。その痛みを。だから傷つける側にだけは、ならないようにしてきたのに。

……そして、俺は逃げた。

 多分生まれて初めて、死に物狂いで逃げた。

 それが学校から逃げようとしたのか、オウムから逃げようとしたのか、それとも何も悪くない人を傷つけてしまった事実からだったのか。あるいは全部か。

 とにかく走った。荷物もろくに持たないまま、気付けば自宅に帰ってきていて、PCの前にいた。

 親が数年前に死んで、その遺産で暮らす俺には、家族はいない。こうして昼間に帰ってきても叱る母親も、ましてや間違ったときは叩いてでも引き戻してくれる父もいない。

 誰もいない。俺の側には、誰も、誰もいない。

 

「……、」

 

 どうして生きているの?、と毎日言われてきた。

 なんて幼稚な罵倒なんだろうと最初は思っていたが、事ここに至ってはそれが何より心に突き刺さる。

 何故、俺は生きているのだろう?

 何故俺は……まだこんな世界にしがみついているのだろう?

 

「……死ぬか」

 

 言ってみて、すとん、と胸のつかえが取れた。そうか。死ねば、そんなことからも解放されるのか。

 それはなんて素晴らしいことなのだろう。全部から逃げられるのならば、これほど待ち望んだことはない。

 

「……どう、死のうか」

 

 苦しんで死にたくはない。もうそんなものは感じたくはない。よく聞くのは安楽死か。ではそれはどうやるのだろう。

 PCをつけて、検索しようとして。

 アングラのバナーが俺の目に入った。

 

「……死ぬなら、挨拶しないとダメだよな」

 

 薄い繋がりではあったけれど、フレンドになってくれた彼らは、確かに本当の俺を見てくれた人達だった。下ネタとバカ話ばかりで、将来の夢みたいな生産性のある話はしなかったけど、だからこそ現実を忘れていられた。

 あるいはこれも、一つの逃避だったのだろう。

 そして俺はアングラにログインして、今日で引退することをフレンド達に話した。

 昼間にも関わらず、フレンドはほとんどいた。ジョーさんは連絡つかなかったけど、会社員らしいし、彼には他のフレンド達から伝えてもらうようにした。

 そのときだった。

 まさに慌ててと言わんばかりに、彼女が来たのは。

 

「あの、インコさん……引退するってほんとすか?」

 

 オウムちゃんだ。彼女は俺が引退すると聞いて、わざわざスマホでログインしてきたらしい。何だか嬉しくなって、思わず笑みが零れた。

 俺が頷くと、オウムちゃんは思案顔で、

 

「……ちょっと話しませんか、二人で」

 

 急にそんなこと言うもんだから、心臓が少しだけ高鳴ったのを今でも覚えている。死にたいだのなんだの言っても、悔しいことにこの性分は変わらないらしい。

 了承して、話す場所に選んだのは……現代ワールドのとある喫茶店だった。そこで個人チャットを開くと、オウムちゃんは話し出した。

 

「突然引退なんて驚きましたよ。理由を聞いてもいいすか?」

 

 いいよ、と返す。基本女性(中身はともかく)には優しくしたいところだ。

 しかしどうしたものかなと思う。適当にでっち上げてもいい。ただ、もう死ぬのなら。一人でも多くの人に、俺のことを知ってもらいたい気持ちがあった。

 これも一人でい過ぎた弊害と言う奴か。俺は、どんな形でもいいから、この女性ーーを操作する人間に、俺のことを記憶してほしかった。例えそれが、悲劇という形であっても。死ねばそれで終わりなのだから……身バレもクソもない。

 

「少し、重い話になるけど。それでも?」

 

「……ん、全然オーケーすよ」

 

 彼女の了承を経て、俺は包み隠さず全てを話した。 

 冤罪のこと。ここ四か月の虐めのこと。何をされて、何を奪われて、何を壊されたのか。その全てを詳細に。

 彼女は気休めの返事をしなかった。ただ聞き役に徹して、俺の全てを受け止めてくれた。

 まるで身体についた傷を、一つ一つ紹介するような気分だった。どれも大きすぎて、人に話してやっと、その傷の深さに気付けた気がした。

 そして。今日負った、一番大きな傷の事も。

 

「……オウムさんと同じ名前のストーカーがいてさ」

 

「す、ストーカーすか?」

 

「うん。しかも百九十くらい身長のある、ストーカーでね。なのに見た目と性格はお天道様みたいな奴で、暑苦しいし、うざいし、鬱陶しいしで……そのくせ俺のこと助けたいとか言ってさ。正直、元凶のくせに何言ってんだかって話なんだけど……」

 

 そういえば、と思い出したようにチャット欄へと打ち込む。

 

「多分、滅茶苦茶良いヤツなんだよ、そいつ」

 

「そうなんすか? 聞いた感じ押しつけがましいというか、厚かましさすらありますけど」

 

「いいや。そいつは下着泥棒の被害者家族でさ。俺のことを誰よりも嫌ったってよかったのに、そんなことはしないでずっと俺を助けてくれた。確かに何かされたわけじゃないよ。ずっと見殺しみたいなもんだった。だけど、それでもあいつは、俺の側にいてくれた。ボロボロになった俺に、手を差し伸べようとしてくれた。だけど俺は……手を取るどころか、お茶を濁して、最終的には突っぱねたんだ」

 

「……それは、仕方ないんじゃないすか? だって被害者ってことは、インコさんにとっては、自分の全てを奪った相手でしょう? なのになんで、アンタが傷ついてるんすか?」

 

 確かに、オウムちゃんの言う通りかもしれない。

 いや、だからこそ。

 

「あいつ、最初は滅茶苦茶怖かったと思うんだ、俺のこと」

 

「え?」

 

「だって、自分を恨んでるかもしれない奴に、ずっとストーカーするんだぜ? 俺だったらまずやらないよ。体験したから分かるんだ。多分まともな人間がこれをされたら、誰も信じないし、手を出されたら一人くらいは刺し殺すかもしれないなって」

 

 俺は、自分が痛かったことが嫌で、他人が痛みを感じるのも嫌だった。

 だからやり返すことをせずに、人形のように振る舞うことで、自ずと興味を薄れることを期待していた。まさかここまでおままごとの大好きな奴らが学校に集まってるとは思わなかったけど。

 

「……出会ったとき。いきなり頭下げてきて、なんだろうと思ったらさ。震えてたんだよ。今にして思えば、あいつはずっと怖かったんだ。俺に刺されるんじゃないか、罵倒されるんじゃないかって。それでも、あいつは止めなかった。俺の味方になろうとしてくれた……それを俺が突っぱねたんだ。これだから一人ぼっちはいけないんだよな。間違ってるときに、引き戻してくれる誰かがいないから、人を傷つけてしまう」

 

「……それは、違うだろ」

 

「……オウムさん?」

 

 曲がりなりにも敬語を使っていたチャットが、急に荒っぽくなる。彼女はしばらく黙り込んだけれど、意を決したように呟いた。

 

「……だって、俺が知ってるんだよ。お前は一人じゃない。一人になんてさせない。俺はそのために、このゲームだって始めたんだ」

 

 まるで、俺のリアルを知っているような口振り。

 いや……オウムというプレイヤーネームが、本名なら?

 一つの可能性に思い当たり、俺は恐る恐る文字を送信する。

 

「……お前。まさか、城崎か?」

 

「ああ、そうだよ……城崎陽夢(オウム)だ。悪いな、騙すようなことして。別にそんなつもりじゃなかったんだけどよ。その」

 

 城崎が……オウムちゃん。いやそもそも……。

 

「……なんで? なんでお前、こんなところに……学校は?」

 

「スマホでログインしたんだよ。お前がアングラ引退するってフレンドのSNSで話題になってたから、自棄起こしたんじゃないかって思って……さっきのこともあるしよ」

 

 さっきのこと、と言われて、胸の奥で鋭い痛みが弾けた。

 ああそうだ。彼にあんなに酷い言葉を投げかけた。だから謝らないと。

 でも、手が動かない。怖い。自分が悪いのは分かっている。だけど、もしも。

 

ーーどうしてまだ生きているの?

 

 彼も大勢の暴力に加わってしまった可能性を考えると、何も言えない。

 俺は彼を拒絶した。その救いを、信じられなかった。

 なんて間抜け。本当はひとりぼっちでいることが嫌だというのに、俺は、自分で全てを壊した。

 だから。

 なのに。

 

 

「さっきはごめん、インコ。お前の気持ち、何も考えてなかった」

 

 

 また、オウムがそう謝ったとき。

 俺はそれが、理解出来なかった。

 

「……なんでだよ……」

 

 震える手で、キーボードを叩く。知らず知らずに、キーを押す音が大きく、速くなっていく。

 

「俺、凄い酷いこと言ったじゃんか。それだけじゃない。ずっと態度で、お前を受け流すことで、お前の存在を突っぱねてた。俺なんかに構ってんじゃねぇって、憐れむなって。ずっとそう思ってた。なのになんで、なんでお前が先に謝んだよ!! 一回も相手にされずに我慢してきたお前に、今日一番傷ついたお前に、俺が謝るのが普通だろ!?」

 

 そうだ。俺が謝らなきゃいけないんだ。俺が、お前に、

 

「……俺さ。正直に言って、怖かったんだよ。お前の事」

 

「え……?」

 

 どこが、と問う前に、ぽん、とチャットは続く。

 

「それは別に、お前が冤罪の被害者だからじゃない。お前がずっといじめを、ニコニコと受け止めてたからだ。百人以上から殴られても、お前が一回もやり返したりしなかったからだ。だから怖かった。何処に沸点があんのか、何が切っ掛けでその矛先が俺に来るのか、怖かった。お前を理解出来なくて、怖かった」

 

 でも、

 

「アングラでお前と話す内にさ。いつの間にか、お前と仲良くなってたんだよ。現実よりずっと簡単に。何でもないようなことで大笑いして、当たり前のように悪口言って。俺と同じような奴なんだって、ようやく分かったんだよ」

 

 それは。

……それは、違う。本当は、そんな綺麗事なんかじゃない。

 ただ、俺に現実に立ち向かうだけの勇気が、なかっただけだ。分からされたのだ。俺に勝てるわけがないって。そんな気概があっても、結局俺一人じゃどうにもならないって。そう気付かされた。

 怖かったのだ。傷つくのも、傷つけられるのも。俺は怖くて、逃げたくて、ネットにのめり込んだ。

 だから。

 

 

「お前がそんな優しい奴だから。俺はお前を助けたかったんだよ、インコ」

 

 

 俺は、その言葉をずっと、待っていたのだ。

 

 

「……、……っ」

 

 キーボードを叩いていた右手で、思わず顔を覆った。

 声が、口から溢れる。視界がぐにゃりと歪んで、手の隙間から雫が流れ落ちる。

 堪えようもない熱は凄まじく、あれだけ他人を押し退けようとしてきた壁を、涙と共に呑み込んでいく。

 

「お前は一人じゃないぜ、インコ。だって、そうだろ。例え今は側にいなくても、例えどれだけか細い繋がりでも。俺がいる限り、お前は絶対に一人なんかじゃない、例え百人が相手だろうと、俺はお前の側につくって決めた。そうありたいと思った」

 

 顔を覆っていた手を、もう片方の手と合わせる。まるで祈るような形になった両手に、不思議と温かさを感じた。無論それは感覚的なものではなく、気の持ちようと言うべきものだったのかもしれない。

 だけど、それでもその熱を、言葉に表すのなら。きっとそれこそが、友情というものなのかもしれないと、俺は思った。

 

「……ネカマやってたのもそうさ。リアルじゃ力になれねーし……せめて、ネットで先に友達になれたらなって思って、このアバタ―作った。こんなやり方になっちまったのは、謝るしかなかったけどよ」

 

 ああ、全くだ。他にやり方あったろ、見抜きしたわバカめが。

 けれど……その行いに、どれだけの勇気づけられたか。

 

「俺のために、してくれたんだろ? ありがとう、オウム。そしてごめん、さっきは酷いこと言って」

 

「良いってことよ……これで、友達か、俺ら?」

 

 ああ、それは。

 それはなんてーーいい響きなんだろう。

 

「うん、友達だよ」

 

 俺のアバタ―と、オウムちゃんが握手をする。それは一見規則的な行動の範疇で、ドライにも感じるけれど……固く握られた手は、二度と緩むことはないと、確信していた。

 そうして、俺はオウムと友達になった。

 程なくして彼とつるむようになり、なんだかんだと仲良くなっていく内に、いじめも縮小していった。今ではオウムがいるときに限っては、いじめそのものが少なくなった。

 確かにまだ殴られるし、罵倒もされる。

 それでも、俺にとってオウムとオウムちゃんは、命の恩人なのだ。

 この世で誰よりも、俺を見てくれた人。

 それが、俺にとってのオウムだった。

……そんな友人を、見捨てる?

 我が身可愛さに逃げる?

 馬鹿言え。

 そんなことするくらいなら、俺はとっくに自殺している。

 

「ぅ、く……ぅ……!」

 

 起き上がる。ふらつくが、それでも多少はさっきよりマシになった。ざ、とグラウンドの砂を蹴って、勢いそのままに走り出す。

 アングラサービス終了まで、残り三時間と数十分。

 足はもう、止まる気配は無かった。 

 

 

 

 今日も夜は冷え込んでいて、走っていると空っ風が体温を奪ってくる。

 けれど、それも怪我だらけの身体を冷ますには丁度いい。

 スマホで時間を確認する手間すら、走ることに費やし。

 辿り着く。

 

「……、へぇ」

 

 街灯がぽつぽつと点いた、駅前公園。その裏。整理された公園内とは違って、そこはまるで裏路地のように荒れていた。元々不良の溜まり場なのだろう。あくまで裏口の役割だった場所は、空き缶やペットボトル、煙草の吸い殻などが路上に捨てられ、道を縁取るように植えられたツツジは、押し潰れた跡があった。恐らく椅子代わりにしたのだろう。

 そして、裏道の中央。彼らはいた。

 

「……本当にきたんだなぁ、インコくんよ」

 

 薄白い照明に照らされる坊主頭……トンビだ。彼の背後には取り巻きが二人いて、その間に見慣れた金髪はいた。

 オウム。俺の友達。どうやらここに来るまでの間、そこまで殴られたわけではないらしく、思ったよりぴんぴんしていた。いや殴られても効かなかっただけかも。お前ってそういうやつだもんな。ターミネーターか?

 

「……馬鹿野郎。なんで、きた」

 

 オウムは縛られた様子はない。だが彼は、今も取り巻き二人から逃げる素振りを見せない。何か事情があるのか、彼は浮かない顔をしていた。

 

「逃げりゃあよかったんだ。俺なんて気にしないで、自分の身体を一番大事にしろって、いつも言ってるのに。お前はいつも、俺の言うことなんて聞きゃあしねぇ」

 

……だな。ごめんオウム。でも、

 

「悪いけど、ここだけは誰がなんて言おうと譲れないよ。ここで退いたら、一回も逃げなかったお前の友達ではいられない」

 

「くせぇ友情ごっこはそこまでにしてくんねぇかなぁ?」

 

 呆れた顔のトンビが、俺とオウムの間に割って入る。奴はツツジの中に突っ込んでいたバットを引き抜いて、肩に担ぐ。

 

「ったく、なんで来るかなぁ、インコくんよ。言ったよな、来れば二人まとめて歯が無くなっても殴り続けるって。殴られ過ぎて耳が遠くなっちゃったかぁ?」

 

 煽り下手かコイツ。

 ならこっちが煽り返そう。

 

「なぁトンビ、俺と喧嘩しようぜ(・・・・・・)

 

「……あ?」

 

「おいおい聞こえたろ。喧嘩しようって言ったんだよ。もしかしてオウムに殴られ過ぎて、耳が遠くなっちゃったか?」

 

 トンビの顔色が変化する。余裕じみた表情が何処へやら、真顔のまま眉を痙攣させる。

 

「……てめぇ舐めてんのか? お前みたいなもやしが、俺に敵うと?」

 

「だったら勝負すればいいじゃないか。お前は俺をボコボコに出来るし、歯を折ってでも殴るんだろ? 喧嘩なら同時進行で出来る。決着もつけられて一石二鳥だろ?」

 

 それとも。

 

「俺にすら負けるから、わざわざバットなんて持ってんのかな?」

 

「……いいぜ」

 

 トンビがバットを公園の方へと投げ捨てる。

 

「喧嘩、やってやるよ、インコ。サシでな」

 

「じゃあそゆことで。あ、俺が勝ったらオウムを帰してくれよ。そんくらいの報酬がないと、流石に気合いが入らない」

 

「俺の報酬は?」

 

「俺をボコれるんだから、トンビだっていい報酬になるでしょ」

 

 違いねぇ、とトンビが構える。

 俺は構えない。ただ腰を低くして、攻撃に備える。

 

「じゃあ……行くぞオラぁ!!」

 

 だん、とトンビが踏み込んで、拳を耳の辺りまで振り上げる。一発目から全力、テレフォンパンチ。

 しかし速い。俺ですら予備動作が見え見えなのに、ガードしようと両腕を顔の前に持っていく直前には、拳が打ち出された。

 鼻に衝撃。鈍い音は砕けた音か定かじゃない。ただ言えるのは、日に二度も鼻から出血するのは大変よろしくないということだけ。 

 胸倉を掴まれて、無理矢理立ち上がらせられる。ああ、また視界が霞んできた。

 

「……らしくないくらい煽ったから、何か秘密兵器くらいあんのかと思ったらよ」

 

 来る。右ストレート。手打ちでも野球ボールが顔に炸裂したような激痛が、連続で叩き込まれる。

 

「蓋を開ければこれか? はは、笑えるなぁ! 殴られにきたってか、なぁクソインコよォ!!!」

 

 腹に膝が入って、たまらず崩れ落ちた。当たり前だが、反撃する暇なんてない。トンビも血を浴びてアドレナリンが出始めたのか、笑いながら拳を振るう。

 

「お前は最初っから、全部が気に食わなかった。俺より小さいくせに、どんなに殴っても、どんなに辱めても、涼しい顔で全部甘んじて受けやがる。俺の思い通りに痛い振りでもすりゃあいいのによ……!! お前はいつも、いつも!!」

 

 突き出す形で胸を蹴り飛ばされ、ツツジへと倒れ込む。まるでロープに体を預けるボクシング選手のようだが、トンビは追撃を躊躇わず行う。

 

「だから最高だよ。お前をぶっ潰せるならそれでいい。嬉しいぜインコくん、お前がそうやって苦しそうな顔見れるのがよォッッ!!」

 

 殴る。蹴る。投げる。絞める。

 一切の手加減すらない、処刑じみたワンサイドゲーム。

 けれど。

 ここまでは、俺の計画通りだ。

 

 

 

 さて。

 ここで一つ、小話をしよう。

 そもそも、喧嘩に勝つ方法とは、一体なんだろうか?

 圧倒的な力? 意表を突く駆け引き? それとも磨き上げた技術や蓄積した経験?

 どれも大事だし、きっと喧嘩が強いとは、これらの要素をどれだけ伸ばすかにもよるのだろう。現実はチャクラとか魔力がないのだから、ひょろい俺が自分より身体の大きな人間に勝つには、それこそ奇策を用いる他ない。

 例えば。

 相手の拳が使い物にならないくらいボロボロにさせる、とか。

 例えば。

 相手がどんなことをしても倒れない、とか。

 そう。

 つまり、俺のやろうとしていることは、そういうことだ。

 

「お、らぁ……!!」

 

 奴の渾身の一発が、横顔に炸裂する。奥歯がついに砕けて、がり、と欠けた歯が口の中でポップコーンみたいに跳ね回った。

 路上に倒れる。視界が霞むなんてレベルじゃない。目がふやけてしまったのか、まるで世界が乱回転しているよう。

 しかし満身創痍なのは俺だけじゃない。

 

「はぁ、はぁ……ぁ、はぁ……、っ、つぅ……!?」

 

 奴が息を荒くしていると、顔を歪めた。見れば、手の皮がずるりと剥けていて、手首に至っては内出血を起こしていた。あれは、さぞ痛いだろう。

 もう何発拳を叩き込まれて、何回仰向けに倒れたのか、分からない。顔どころか全身に熱を帯びて、時折吹く風が冷水のように感じられた。

……立ち上がらないと。

 喧嘩は、まだ、続いている。

 

「……おい。立ったぞ、あいつ……」

 

「ありえねぇ……もう二時間半も一方的に殴られてんだぞ。なんで倒れねぇんだ……?」

 

 取り巻き、うるさい。こちとら耳の鼓膜だって破裂してるかな?ってくらい敏感なんだ。もうちょいソフトな声だせ。耳にソフトタッチするような声をさ。

 

「……てめぇ……!!」

 

 トンビが脂汗を大量に流しながら、俺を睨んでくる。あーらら、また怒ってらっしゃる。そんなに嫌かね。なら、最高に嬉しいけど。

 

「……どう、したよ。休憩でも、したいのか? そうじゃないなら……早く、やろうぜ。喧嘩の続きを、よ」

 

「ふ、ざけやがってェ……!!」

 

 耳の先まで真っ赤にして、トンビは襲い掛かってくる。最早痛覚なんて正常に機能してないのか、腹を蹴られても頭を殴られても全身にずっと激痛が走っていてガードの予備動作すらおぼつかない。

 けれど、何故か焦っているのはトンビの方だった。拳は痛め、徐々に足すらも上がらなくなっているからか、動きに精彩さが欠けている。あれではまともなフォームで拳を突き出せまい。

 そしてそれこそが、俺の狙いだ。

 確かに、俺じゃトンビに勝てない。経験も、技術も、力も、全て。だけど一つだけ、俺でもこいつに勝てるところがあった。

 忍耐力。

 四か月もの間、俺はたった一人で彼らの暴力に耐え切った。

 それに比べれば、()()()()()()()()()()()()()ことなんて、そんなに難しいことでもない。

 人を殴るという行為は、案外疲れる。それも毎回テレフォンパンチなら尚更だ。一発一発が小さく見えても、スポーツ部でもなければ休みなく全力で殴れるのは精々十五分が限度。そして疲労が蓄積すれば、フォームは簡単に崩れ、拳を痛めるリスクも増える。

 そして何より、あの四か月と違うのは、俺は一人じゃないってことだ。

 

「くそがァ!!」

 

 フックに近い軌道で飛んできた拳は、後頭部に直撃する。その鞭にも似た殴打は、流石に効いた。揺れる脳、逆転する視界。頭から倒れたからか、路上で擦りむいた頭皮から血が流れていくのが分かる。

 痛い。目の前が霞んでくる。もう顔の判別すらつかない。下には疲れてる里芋と、上に太鼓持ちがいるくらいしか。

 ああ、でも。

 目を少しだけ、動かす。

 上へと。

 

「……インコ……」

 

 お前の泣き顔だけは、どんなに離れていても、すぐに分かる。

 イケメン野郎が不細工になってるからな。見えなくても見えるわな、そらな。

 

「……インコ……お前……そんなに、なってまで……なんで……」

 

「……おまえこそ、なんで、にげねぇんだよ」

 

「え……?」

 

 トンビが休憩している間に、俺は何とか言葉を絞り出す。

 

「拘束されてるわけでも、ないんだろ。だったら、にげろよ。結構、しんどいんだから」

 

「……出来ねぇよ……」

 

 オウムはやっぱり泣きながら、

 

「俺は、今までお前を守ってると思ってた。でも違った。トンビがこんなことやってる原因は、俺のせいだ。俺があのとき、トンビをぶっ飛ばしたから、だから俺と一緒にいると」

 

「不幸になる、か?」

 

……確かに。今回のことは、オウムに助けてもらったからこそ、起きたことだ。オウムがいなければ、こんな怪我を負う必要なんて無かっただろう。トンビ達にそのことを言われたからこそ、オウムは振り切れないのかもしれない。

 でも。

 

「んなわけ、ねーだろ。馬鹿か、このパツキン」

 

 口の中で転がる歯を、血と共に吐き捨てながら、膝に手をかける。

 

「あの頃。付き纏ってたお前に、俺が、同じこと言ったろ。ろくなことないぞ、って。そしたらお前、こう言ったじゃんか」

 

 ああ、覚えている。

 なんてことのないように。別に特別なことでもないように。お前は、一人ぼっちの俺に言ったんだ。

 

ーーだからって、放っておきたくないんだよ。そうやって簡単に、諦めたくなんかねぇんだよ、お前のこと。

 

 いつだってそうだ。

 責任なんて感じる必要のないことを、お前は全部背負い込んで、必死に抱えて。そんなの見せられたら。

 

「お前のこと、放っておけるわけ、ねぇだろうがよ……!!」

 

 分かってるよ、オウム。

 お前は優しい奴だから……きっと苦しいんだろう、ダチが傷ついて。

 見えないけど、お前が今、傷ついていることだけは分かる。

 俺はきっと、こうやることでしかお前を助けられない。関われない。痛みを与えることでしか、きっと誰かを助けられない。

 でも、だから倒れないんだ。

 お前が痛いと、俺も痛いから。痛がるお前を、絶対に放ってなんておけないから。

 だから、俺は、何度でも立ち上がれる。

 お前を助けるためなら、何度でも。

 この膝を握り締め、溢れる血を飲み下し、俺は立ち上がろう。

 

「なんでだ……なんでだよ、なんでぇっ!?」

 

 トンビが情けない声で吠える。痛めた拳を隠すように、

 

「なんで、立ち上がれんだよ!? そんな身体で、そんな今にも死にそうな顔で!! なんで、まだ倒れねぇんだよ!! たかが喧嘩ごときに、なんで!?」

 

……なんだ。

 そんな理由か。

 

「そりゃあ。お前が、俺を、()()()()()()()()からだろ」

 

「……は?」

 

 ぽかん、とトンビは口を開ける。

 ああそうだ。だって、

 

「遊び半分で人を殴ってきたような奴がさ。俺なんかに、命懸けてるわけないもんな。未来ある若者が、俺をもし、殺したら……待ってるのは、破滅だけだもんな」

 

「なん……だよ、それ……まるでお前が、命懸けてるみてぇな……」

 

「懸けてるに決まってんだろ、このクソ野郎」

 

 ミシ、と拳を握る。

 

「俺はこの喧嘩に、命懸けてる。俺を救ってくれた友達のために。だから倒れない。命懸けてない奴の拳なんかで、倒れるわけがねぇだろ」

 

「……イカレてるよ、お前」

 

「イカレてんのはどっちだよ、この里芋顔」

 

 まだ分かっていないのか。

 これは、ただの喧嘩じゃない。

 

「俺はこの喧嘩に人生の全部をベットして、ここにいる。俺を救ってくれた友達を助ける、それに全部を懸けた。だから俺に勝ちたいのなら、お前も全てを懸けろよ、トンビ。この先の人生、俺に負けたなんて汚点をつけたくなかったら、お前もその全てを懸けて来いよ」

 

 まぁ、最も。俺は鼻で笑う。

 

「百人がかりで四ヶ月間、俺を虐め抜いておいて。ついぞ殺せもしなかったボンクラどもなんかに、そんな勇気があるとは、到底思えないけどな」

 

「……イン、コ……」

 

 ギリ、と歯軋りさせて。トンビが拳を振りかぶる。

 

「ぶっ殺してやる、てめぇええええええええええええええええええッ!!!!」

 

 繰り出してきたのは、右ストレート。恐らく最もやりやすいから、トンビが多用してきた技。しかしそれは最初と比べて、余りに遅く、そして滅茶苦茶な振り方だ。あれではまともにダメージも与えられまい。

 軌道は勿論、顔。一番当てやすく。そしてダメージを与えやすい場所を選んだつもりだろうが、むしろそれはこっちの思惑通りだ。逃げそうになる身体を、何とか縫い止める。迫る拳。芯がブレているそれに、思いっきり頭を打ち下ろした。

 ぽきん、といっそ乾いた音が、夜更けに鳴り響いた。それは俺の頭蓋骨が粉砕した音……ではなく。

 トンビの拳が、ついに折れ曲がった音だった。

 単純なヘッドバッドで。

 

「あ、が、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!??」

 

 絶叫を聞きながら、俺はその場に倒れ込んだ。

 右手は折った。もうトンビは戦えない。そう考えただけで、どっと身体から力が抜けてしまう。

 満身創痍の状態で一度力が抜けた身体に、もう一回力を入れるのは、至難の技だ。凍結しかけているコンクリートは、まるで水風呂みたいな心地よさすらあった。

 再度見上げると、オウムが何か言っていた。でも、もう駄目だ。意識が遠のいて、

 

「……ゆる、さねぇ」

 

 からん、と路上が擦れる音で、目が覚めた。

 それはトンビが目を血走らせて、バットを引きずる音だった。その迷いの消えた動きが意味するのは、彼が本気になったということだ。

 バットを天高く、構える。片手なのに、その威圧感は先程など比べ物にならない。

 そして。

 

「……てめぇは、ここで、死ねや。なぁ、インコよぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

「お前がな、クソ野郎」 

 

 さ、と大きな影が、俺の身体を覆った。

 次の瞬間、首が取れるかと見紛うほどの力で、トンビは殴り飛ばされた。

 ようやっと苦労して右手の骨を折った奴の身体は、回転しながら近くの大木に叩き付けられた。うわ、痛そう。マジで痛そう。死んだんじゃねあれ?

 と思っていたら、続いて俺の番だった。

 

「おいインコ、大丈夫か!? しっかりしろ、おい!!」

 

 オウムが俺の身体を助け起こした。そこまではいい。ただ彼は非常に俺のことが心配だったのだろう。肩を掴んで俺のことをぐわんぐわん揺らしている。馬鹿野郎そんな振ったら頭すっぽ抜けるだろつかやめろ今血で気分最悪なん、……、……。

 

「うわ吐いた!? わ、悪い! そうだよな、こんだけ血を吐いてれば気持ち悪いよな、ほんとごめんな……!!」

 

 寝ゲロかましながら背後を見れば、取り巻き二人もいつの間にか無力化されていた。具体的には気絶である。お前それやれるならもっと初めにやっとけばよくない? 俺殴られ損な気がしてきたんだけど。

 

「……ほんとに、ごめん」

 

 と、そんな俺の心の声が聞こえたのか、オウムは申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「俺……俺さ。いつも、こうだな。何かしてやろうって、上からやって、これだ。お前の邪魔ばっかしてる。ほんと、どうしようもないよな」

 

「……いいって。友達だろ」

 

「……ああ。でも、もう今日からは、そうじゃない」

 

 え。

 今……なんて?

 

「前々から思ってたんだよ。お前とはもう、友達ではいられない」

 

「オウム……? お前、……何、言って……」 

 

 オウムは優しく、俺を寝かせる。そしてスマホを取り出すと電話すると、そのまま公園の方へと消えていく。

 

「待て、よ……」

 

 遠くなっていく背中へ、手を伸ばす。

 しかしあれだけ大きかった背中は、あっという間に遠くなっていく。何を捨てても守りたかったものは、手からすり抜けてしまう。

 

「お、……ぅ、……!!」

 

 声がかすれて、上手く名前を呼べない。そのもどかしさでまた声を上げようとしたが、唸り声のような何かが、白い息となって零れただけだ。

 しかしオウムは、一度だけこちらを振り返った。

 戻ってきてくれるのか。一瞬そう思ったけれど……彼は一度だけこちらを見て、すぐにまた闇へと進んでいく。 

 と、ぴぴぴ、とアラームが鳴った。

 零時にセットしておいたそれは、アングラのサービスが終了したことを、意味していた。

 もう会えない。

 オウムにも、オウムちゃんにも。

 感謝の言葉も、突然すぎるさよならも、何も口に出来ないまま。

 そうして。

 俺の人生で一番最悪な日は、寒々としたコンクリートの上で、幕を閉じた。 

 

 

 

 一つの世界が滅びて、一つの友情が壊れて、翌日。

 その後すぐに気を失った俺は、救急車で病院に搬送された。

 百五十分ノンストップも殴られ続けた結果、とりあえずみたいな感じで全身包帯ぐるぐる巻きになっている。正直映画に出てくるミイラよりよっぽどミイラやってると思う。ハロウィンの仮想でももっとクオリティ低いぞ。ガチ勢かよ。

 正直怪我をしてないところがないし、骨折もあり過ぎて先生に説明されている間も全然耳に入ってこなかった。まぁ普通に治るらしいので、そこは不幸中の幸いと言ったところか。

 見舞いは誰も来ない。当たり前と言えば当たり前なんだけど、前よりも寂しい気持ちになるのは……きっと、たった一人の友達すら側から離れてしまったからだろう。

 どうしてオウムが友達でいられないと言ったのか、最初俺には分からなかった。

 でも、夜が明けて……何となく分かった。

 多分オウムは、怖かったのだと思う。

 俺が命を懸けて助けたことに。当たり前だ。正直に言って、その行為は依存に近かったと思う。離れるくらいなら死んだっていい。そんな独り善がりな考えは、オウムも恐怖するしかなかっただろう。

 友達でいられない。ああきっと、それは俺が余りに彼の存在を求め過ぎたからだ。絆を結んでいるからと、彼に甘えていた部分を取り上げられたことで、その感情は爆発した。

 

「……まるでホモじゃねぇか。見抜きはするけどそうじゃない、だろ……」

 

 無論、愛とかではない。ただその感情が、単に友情だったと……そう言い切れるかは分からない。結局は複雑な感情を抱えていたのを、オウムに見抜かれただけなのだろう。

 ただ今は、心に空いた穴が大きい。まるで心臓がごっそり引き抜かれたみたいで、天井のシミを数える機械になりかけている

 でも、一つだけ言えることがあるとするのなら。これから一人で生きていくことは、多分もう無理だろう。

 俺は思い出してしまった。他人に背中を預けた感触を。肩に手を回した力強さも。全部、思い出した。それを忘れるなんて、俺には出来ない。忘れて、思い出をゴミ箱に捨てることは、きっと出来ない。

 だから。

 

 

「うーすインコ、大丈夫かー?」

 

 

 件の金髪スットコドッコイが、普通にガラガラ、と扉を開けたときは、いよいよ幻覚が見え始めたかと疑った。

 

「……は?」

 

「って、うお。なんだこれ。お前すげーことになってんなぁ。いやぁすげぇよ。流石俺の……おほんおほん。うん! 流石だ!」

 

「いや……あの、オウム? オウムだよな?」

 

 夢……ではないのか?

 

「あ? そうだけど。なんだよインコ、包帯だらけで目が何処にあるか見えねぇぞ。つかインコだよなこの人? 新手のミイラとかだったりしない?」

 

「んなわけねーだろパツキンヤンキー」

 

「おっインコだ」

 

 何で人を識別してるか分かるぞキサマ。

 というか、

 

「あの……なんで、いるんだ? 俺達、もう友達じゃいられないって……俺はてっきり」

 

「ああ、あれか。あれはな」

 

 オウムは腕を組んで、さぞ名案のように、それを口にした。

 

 

「俺達、付き合っちゃえばいいかなって思って。だからほら、友達じゃいられないだろ?」

 

 

「…………………………………………、」

 

 ん?

 

「いや何て?」

 

「だから、付き合おうぜ」

 

「は?」

 

「は?」

 

 いや『は?』じゃないが。

 どうしたマイフレンド。昨日のショックで頭のネジが弾け飛んだのか。だとしたら俺のせいだが、この弾け方は一回ぶん殴ってリセットした方がいいのかな? んん???

 

「一回整理しようか、親友殿」

 

「おう、いいぜ」

 

「俺、男。お前、男。オーケー?」

 

「おう」

 

「昨日のことでお前は頭が可笑しくなった。オーケー?」

 

「失礼だな。俺は可笑しくないぞ?」

 

「いや黒ギャルもので抜くホモとか聞いたことねーよどんなホモだよ」

 

「ホモじゃない、俺はバイだ。黒ギャルも男子高校生もいけるだけだ」

 

「うるせぇ知るかボケ」

 

 待って、じゃあなに? え、なに?

 

「いつからお前は……そーなの?」

 

「いつからも何も、最初からだけど」

 

「いやいやいやいや待て待て待て」

 

 やばい。頭が混乱してきた。足元が瓦解どころか土砂崩れに巻き込まれてそのまま洗濯機で乾燥まで洗われてる感じなんだけど。言っててよく分かんないけどそんな感じなんだよ。

 

「まぁ、とりあえずお前がどっちもイケると。そう仮定した上でだ。その、じゃあ俺に近寄ってきたのも、最初から……そういう関係になりたかったからか?」

 

「まさか。俺だってこれが知られたら、虐げられるって自負はあったからな。お前の認識と同じだよ、インコ。俺はただ放っておけなかったんだ。つい昨日まではな」

 

 何かもう全部引っ掛かるが、とりあえずはいい。

 で、だ。問題はその、昨日の事だ。話のオチが見えてきているが、最後まで聞くしかない。

 

「ええっと……それで?」

 

「お前、俺のために頑張ってくれただろ。アレがすげぇ響いてさ。まー、なんつうか……あんなに必死になってくれた奴は、出会ってきた男と女の中で、お前だけだったんだ。ほら、俺って守ることはあっても、守られることには慣れてなくてさ。だからその……コロッと、いきまして」

 

 行きましてじゃねぇだろ前方不注意で確実に交差点で大クラッシュしてんだろ俺の頭の中で。

 ちょっと鼻の頭を擦って照れる顔で、分からされてしまった。こいつ、マジだ。目がハートマークになってやがる。

 

「まぁ、コロッといったことは知られたくなくてよ。それで友達ではいられないって言ったんだ、俺。それに色々整理したかったから、俺も」

 

「なるほどな。いや全然納得が行ってねぇけど。なるほどなと言っておくね、うん」

 

……これ、もしオウムちゃんに告白してたら、不味いことになっていたのでなかろうか。具体的に言えば、俺の複アカだとバレたとき、そのままオスとオスのぶつかり稽古が始まって、あっという間に組み伏せられる流れしかない。でも、昨日のことで流れが変わったようだし、そんな流れはないのか?

 ともかく。そういう意味では告白なんてしなくて、本当に良かっ、

 

「ああでも、()()()()()()()()()()()()んだよな、インコは。何だか嬉しいよ、俺」

 

 ゑ?

 

「あっ」

 

「……ゑ?」

 

 いや待て。

 お前、何故そのことを知っている。

 

「あー……いやぁ、その。何と言いますかねー、ははー」

 

 告白のことはジョーさんしか知らない。だがジョーさんは絶対に誰にもばらさないと言っていた。身バレの危険とかも心配していたし、他人に漏らすなんてそんな……。

………………。

…………。

……おいまさか。

 

「ジョーさんも……お前か?」

 

「……はい、そうです。城崎の城からとりまして……」

 

 こ、コイツ~~~~!!

 

「お前バリバリ狙ってきてんじゃねーか!!!! ライオンもびっくりの肉食じゃねーかよ!!!!!」

 

「ち、違うんだ、インコ。最初はその、お前と仲良くなるためのリサーチアカウントであってだな。深い意味はなかったんだ、本当に」

 

「じゃあオウムちゃんは!?」

 

「あ、あれは……ジョーのときに聞いたお前の好みを反映させたネカマなら、釣れるかなって思って」

 

「ちくしょう!!!!!! まんまと釣られちまったどちくしょう!!!!!!!!!」

 

 包囲網が完璧すぎる。くそぅ……なんだこの、全部が全部先回りされてる感じは。本来気持ち悪い行為のはずなのにフレンドフィルターのせいで『あっ俺を心配してくれたのかな☆』くらいの認識になっている。なまじ友情を失った喪失感と友人を救えた達成感があるから感情がバグってる。

 いかん。これはいかん。俺はホモじゃない。見抜きはするけど。

 

「ああそうだ。前に見抜きはしたことある?って聞いてきたけどよ、俺はお前であるぞ。お揃いだな」

 

「どんなお揃っちだてめコラ。廊下のマスターキーでお前の身体をお揃いのオブジェにしたろかコラ」

 

 で、だ。問い質さなきゃいけないことは沢山あるが、最優先で確認したいことがあった。

 

「……じゃあさ。お前は、俺が関係を拒否ったら……もう、前みたいな友達には、なれないのか?」

 

「……まぁな」

 

 そうか。

……そうか。

 何だか色々あったけれど、結局分かったことは、俺が昨日まで信じていた世界は、これで粉々に壊されたってことだ。

 ここまで破壊されると、いっそ後腐れがなくていい。

 そう思っていた。

 

「友達は無理だけどよ。親友になら、なれるぜ」

 

「え……?」

 

 顔を上げる。

 そこには、昨日壊れたはずの、何も変わらない親友の顔があった。

 

「俺だって嫌と言われれば、そりゃ引くよ。ただ、それを差し引いてもお前とはそうありてぇ。その思いは、変わんねぇよ。むしろより強固になった。俺は、お前の親友になりたい。そう思ったんだ」

 

「……、オウム」

 

 ああなんだ。

 何も変わってないじゃないか、こいつ。

 底抜けに優しくて、腕っぷしが強くて、うざくて、責任感が強くて。

 そして、何だかほっとけない奴。

 

「ああでも女が無理だと分かったらすぐ俺に声かけろよ? いつでもいいからな」

 

「お前もうちょい隠せよそこは。虎視眈々って言葉知ってる?」

 

「獅子心中の虫って奴だな!」

 

「いやバレてるから。それ隠れてないと成立しないことわざだから」

 

 前言撤回。やっぱりこいつは変わった。

 その変化は大きいし、正直あんまり知りたくもない事実だったけれど、それでも隠し事されるよりはよっぽどいい。

 親友の事なら、尚更だ。

 そして何より……こいつはきっと、俺の側にいてくれる。

 一つの世界が終わったけれど、それは大多数の人間にとって、何の影響もないのだろう。

 だけど、俺にとっては違う。

 その終末は本当に最悪だったけれど。

 俺の最高な人生は、今日も続いていく。

 

「なんだよインコ。病院食、食わないのか? あーんしてやろうか?」

 

「いいよ別に、ナースさんにやってもらうから。お前もう帰れよ、明日学校だろ?」

 

「は? ナースにやってもらうとかずるいわ。どっちの側でもお前ずるいわ」

 

「いやねオウムくん、君流石に性癖オープン過ぎない? いいから帰れよほんとマジで、あとでメールするから」

 

「一時間ごとにメールしても?」

 

「ダメに決まってんだろタコ。寝れないわ」

 

 今日も明日も明後日も。

 いつかも。

 なんだかんだでコイツと一緒にいるんだろうな、なんて。

 そんなことを胸の奥に仕舞って。

 ひとまずナースさんで抜いた。

 

 

 

 

 




・インコ

 ホモではないがネカマで見抜きする主人公。友情バフと耐久極振ステのおかげで倒れない。性欲もりもりの高校生だが冤罪のせいでリアル女子がトラウマになり、ネカマだと分かっている相手で見抜きするくらい性癖が壊れた。友情に依存していると思っているが、実際は男の娘で抜けるため素質はある模様。


・オウム

 ホモではないバイのパツキンヤンキー。見境がないわけではなく、インコは単にほっとけなかった。だが性癖に刺さった。基本良いヤツだが、本性を露わにしてから何かやけに料理とか裁縫とかし出すようになる。金髪なのは実は金髪好きのインコのためだったりしなくもないが、たまにインコが性癖語る度に髪色が変わる奉仕系。


・トンビ

 ホモではないが顔面里芋野郎のクズ。好物はじゃがいも。よくある二人の愛を阻む坊主。どんなに潰しても倒れないインコが気に食わず執拗に狙うようになる。ちなみに今後、ルートによってはインコに命懸けで助けられて改心からのヒロイン化が待っている。ホモではない(大嘘)





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