頑張って感じてください(--;)
首を跳ね飛ばされたのだろう。
視界が宙を舞い、床に着く衝撃と共に横たわった。
痛みを感じない。そういえば少し前に、せめてもの慈悲に痛みを感じ無いように斬ると紗夜は言っていた。なるほど、だから痛みを感じないのか、流石だ。
まぁ、それに――、
「お姉ちゃんに殺されるなら仕方が無いか…」
最愛の姉である紗夜に殺されるのなら仕方がない。なぜなら、最愛の姉であるからだ。これ以上の理由はいらない。
ふと日菜の中で違和感が生じた。
意識が少しも遠くならない。そして何より、
「ぁ…」
やはりだ、声が出る。おかしい、それはいくらなんでもおかし過ぎる。
首を跳ね飛ばされたと言うことは、もう声を発する器官がないと言うことだ。例え、斬られた場所が声帯よりも下の部分であっても、肺から排出されるら空気が無ければ声は出ない。奇跡が起こったとしても、せいぜい掠れ声程度しか出ないだろう。
確認のために出した声は小さかったが、初めに出した声はいつもと変わらなかった。そして、今もなお意識はハッキリしている。
これらから分かることはつまり生きているということ。
「なんで……?」
生きているのが不思議でたまらなかった。
躱したのか。
いいや、それはない。ありえない。なぜなら、目の前であの美しい刀が振り下ろされた時には、日菜の心は既に死を受け入れていた。だからあの状況で体が動くはずが無く、躱すことは不可能、絶対に出来ない。そもそもやろうとしない。
頭がこんがらがってきたところで、一度分かっている事を整理することにした。
まず、今の姿勢は床に倒れており、膝の辺りが擦りむいたかのような痛みがある。
そして、腰辺りに何か少し重い物体が乗っている。刀の重さでは無い、それじゃあ何だ?
最後に、足が何かの液体に触れている。これはいったい、
「ぅっ……!」
呼吸を瞬間に液体のニオイが鼻をかすめ、一気に不快感が増した。いつになっても慣れないニオイだ。でもそのおかげで液体の正体が分かった。
血だ。血が足に纏わりついている。
頭が痛い。この何処から出ているのか分からない血のニオイを吸い込むとどんどん痛みが増してゆく。
痛みに耐え切れなくなり体を起こすと、下から腰に乗っていた物が床に転げ落ちる音が聞こえてきた。
何が乗っていたのかは分からない。けれども、確認はしなかった。何故かは、直感がそうしろと告げていたからだ。
「流石ね。」
声がした方へ振り向くと、最後の家族――紗夜がそこにいた。
握られている刀は赤く染まっていたが、まるで刀自身が血を吸っているかのように次第にその色は薄れ、元の美しい蒼色に戻っていった。
「そうすると信じてたわ。」
紗夜はこちらの方へ向き、そっと呟く。
その眼差し、声からは先程までには無かった、尊敬のようななものが感じられるのが不思議だった。
身に覚えの無い賞賛が更に不快感を招き、日菜は眉を顰める。
「!!」
紗夜が一歩踏み出した途端、反射的に立ち上がり、柄を握っていた。
それは、他の柱と比べるとあまりに少ない戦闘経験の中で培われた防衛本能なのか、それとも――、
「…闘う気なの?」
「っ……」
闘う気は無い。
ついさっき、一度死を受け入れた。全てを諦めた日菜が闘う覚悟を持てるはずがなく、今もこの場から――この現実から逃げ出したくて堪らない。
しかし、日菜は背を向けなかった。
これほど逃げ出したくて堪らないはずなのに、目には見えない『何か』が、日菜が逃げ出さないように――紗夜と向き合うように必死に訴え続けており、何故かそれに応えるかのように体は紗夜と向かい合い、視線は紗夜から離さない。
「上弦の肆……」
日菜と同じ黄緑色の紗夜の瞳には、多くの鬼の中でも極めて強いという証拠でもある『上弦』、そして『肆』の文字が入っていた。
上弦の鬼――同じ『柱』である蟲柱 胡蝶しのぶが、今まで多くの『柱』が上弦の鬼に殺されて来たか、そして、倒すには『柱』が三人いるだろうと、その強さの危険さを説明していた事を覚えている。
笑顔の裏に人一倍強い鬼に対する憎悪を持っていた彼女が言っていた事だ、それは間違っていないだろう。
十二鬼月とは一度戦ったことがあるのだが、その時倒した下弦の弐とは比べ物にならない。それは例え、前に立つのが最愛の姉でなくても勝てるか――、
どうして今、勝てるかどうかを考えていた。
何故か『何か』分からない謎の意志に支配――導かれているように変わっていた思考に日菜は困惑する。
「こんなのはただの文字、関係ないわ。日菜、私が聞いているのは氷川日菜に氷川紗夜を斬る覚悟があるかどうか、それだけよ。」
「……それは………」
紗夜から向けられる視線に熱が篭もる。
逃げ出したくて堪らない。今すぐ終わらせてと叫びたい。全て嘘であると思いたい。闘わずに済むように祈りたい。悪夢を見ているだけと願いたい。
改めて湧いてくるのは残酷な現実から目を背きたいという思いばかりだ。
きっとこれらが『何か』に影響されていない日菜の本心なのだろう。
ハッキリ言って、絶えず日菜を鼓舞し続ける『何か』に苛立ちさえ感ていた。
諦めさせて欲しい。これ以上向き合えと言わないで欲しい。そして何より信頼に満ちた視線を当てないで欲しい――自分はそんな期待に応えられるほど強くないのだから。
「………」
ほら、今だって何にも答えられていない。それが何よりの弱い証拠。
闘いたくないという自分の本心を言葉にできない。かと言って、本心を偽ることさえもできない。
昔から日菜は弱い。
鬼に捕まった母の手が離れたあの時に、再び走り出せたのは目の前にいる紗夜がいたからであって、自分の力では無い。
そして、今こうして立っていられているのも『何か』の存在があるからだ。
うんざりするほど何も変わっていない、大切な存在が傍にいなければ何も出来ない――少しも成長していない。
家族を失ったあの瞬間から、まるで時間が止まってしまったかのように、日菜は一歩も前に進めていない。
きっともう時間は動き出す事はないのだろう。それが日菜自身の本心だった。
親を失い、紗夜は鬼になってしまった。そして唯一残された『何か』さえ、それが何なのか忘れてしまっている。
『何か』とはいったいなんなんだ。分からない、分からない。
――何も考えたくなかった。
「いい加減に覚悟を決めなさい。貴方には本気になってもらわないと困るのよ。」
紗夜の声が聞こえた。返答をしない日菜に痺れを切らしたのか、その声からは苛立ちが感じられる。
「……おねー…ちゃん……」
頭を過るのはあの日の夜――全てを壊した化け物、失った両親、手を引いて守ろうとしてくれた紗夜。
その時とは全くといって良いほど状況も景色も異なっている。そして何より、日菜の手は握られていない。
それでも日菜は、あの日の夜と今を重ねられずにはいられなかった。目の前にいる存在は、もう自分の知る紗夜ではないと分かっていたとしても、思い出に浸ることで少しでも現実を忘れれるなら、『何か』からの訴えすら目を逸らす事が出来るのならと。
しかし、紗夜の声はそれらの願いさえ切り刻み、すぐに日菜を現実へと引き戻す。
「貴方は強い。だからこそ私は本気の日菜を倒したい。貴方がまだ闘う覚悟を持てないと言うのなら…」
あたしは強くなんか無い。紗夜の言葉に反応し、日菜は紛れもない本心を言おうとする。が、刀と共に突き立てられた殺意がそれを許さない。
――死は既に怖くないはずなのに。
「私を殺したくて堪らなくなるまで他の鬼殺隊員を、それでも足りないなら地上にいる人間達を貴方の目の前で殺していくわ。」
「!?…や、辞め…」
「それが嫌なら刀を抜いて。そして本気で殺しに来なさい。私が生き残り、日菜が死ねばどの道、貴方の周りの人間は死ぬ事になるわよ。」
「っ……」
自分の死は自分だけでは収まらない。
少し考えれば分かるそれを今まで気付いていなかった。
もう死を受け入れることは出来ない、闘わなければならない。しかし、何度も言うがそんな覚悟は持っていない。
それならば、闘えない日菜の代わりに他の柱に紗夜を任せるか、いや、それは駄目だ。
恐らく他の柱は既に戦闘を始めている、そこに紗夜が加わったら一気に戦況が不利に傾きかねない。柱にこれ以上犠牲者が出れば、大本命の鬼舞辻無惨を逃す確率が大きくなってしまう。鬼舞辻無惨を逃せば、お館様やしのぶが落とした命が無駄に――、
いや、耳心地が良い言葉を並べるのは辞めよう。確かに奪われた命の為に、という思いはある。しかし、それは建前に過ぎない。
一番の理由は、紗夜の首が他の誰かに斬られる所を少しでも想像しただけで耐えられない。という自分勝手な我儘だ。しかし、いや、だからこそと言うべきか、それを破ることは日菜には出来ない。
日菜の逃げ道は完全に無くなった。
「どうしたら…」
「でも、■■■さんを殺しても変わらなかったのは予想外でしたね。」
「…えっ……?今…なんて……?」
思考が完全に止まり、真っ白になる。
「??…だから、つ■■さんを殺したのに日菜が怒らないのが意外だったって言ったのよ。」
突如、頭痛に襲われた。
紗夜の言葉の一部分が――聞こえなかったところが頭から離れない。
「うぅッッッ!」
痛みは増していき、まるで頭が割れたかのような激しい痛みが日菜を包む。
その痛みに悲鳴を上げ、日菜は頭を抱えながらその場に崩れ落ちた。
「貴方…まさか気付いて無かったの?」
「何が…ヴッッ!?」
「…あぁ、受け入れないようにしているというわけね。」
日菜は、『何か』に助けを求めるように手を伸ばした。
しかし、痛みに震えるその手を取る者はいない。
「助…け……」
蹲りながら居ない存在に助けを乞う日菜に呆れ果て、紗夜は大きなため息をつく。
「日菜、現実と向き合いなさい。」
何度も問われ、何度も逃げてきた覚悟。
紗夜にとって日菜が覚悟を持つということは何よりも大事な事なのだろう。しかし、日菜はそれに応えることは出来ない。
痛みに狂い、日菜は伸ばした手をもがくように暴れさす。
「!!?」
手に何かが触れた。
そして、奇跡かのように触れた途端痛みは消えていく。
日菜の手は縋るように触れた物を強く握りしめた。そうしてようやく気付く、自分が握っている物は誰かの手だということを。
誰かが来てくれた。そう思いたかった。しかし、そうではなかった――、
「えっ……」
「やっと見たわね。」
『何か』がそこにいた。
「つ…ぐ……ちゃん…」
つぐみがそこにいた。
呼び掛けてもいつものような笑顔を浮かべてこない。それどころか完全に反応が無く、手は冷え切っている。
そう、それはまるで――、
「つぐみさんは死んでるわよ。」
「そん…な…っ。」
死んだ。
それはもう生きていないということ、それはもう動かないということ、それはもう笑顔を浮かべないということ、それはもう一緒にお団子を食べに行けないということ――それはもう隣に並べないということ。
『私、いつか日菜さんの隣で肩を並べて戦えるぐらい強くなります!』
熱い覚悟をそのまま込めた視線で見つめ、そう言ってきたことをハッキリと覚えている。それほど時間が経っていないからでは無い。
表せない程嬉しく思ったからだ。
だから例え、この先何年、何十年の月日が経とうとも、寿命が尽きる寸前のその時でも鮮明に思い出せると断言出来る。
しかし、もうその覚悟が篭った約束は果たされることはない。
そして、日菜も同じく約束を果たせなかった。
「どうして…」
「それは貴方が闘う覚悟を持たなかったからよ。」
「?!」
「貴方がいつまでも動かなかったからつぐみさんは身を投げ出して守ったのよ。つぐみさんはいざという時にとても頼りになるからね、私も人間の時に良く助けられたわ。」
守られた。守ると約束した命を犠牲にしてまた守られた。
そしてそれは、目の前の現実から逃げ続けた結果であり、昔から嫌な現実に向き合わなかった――成長しようとしなかった今までが積もりに積もって引き起こした必然。
恐る恐る握る手を引き寄せ、そのままつぐみの体を抱き締める。
つぐみの体はまるで天使の羽のように軽かった。
下半身を失った相棒を無言で抱き締める日菜を見て、紗夜は確信する。あと少しだと――――――、
「クッ……!どうしたら…」
出血が止まらない左腕を布で強く縛り付け、奥歯を噛み締めるのは階級 丁 の鬼殺隊員――氷川紗夜。
紗夜は茂みに身を潜めて、一つの人影を睨みつける。
「隠れても無駄だ、お前の左腕から出る血の匂いは隠しきれていない。そこにいるのは分かっている。」
一歩、また一歩と真っ直ぐ近づいて来る人影――下弦の弐に、紗夜の背筋は凍りつく。
左腕はもうほとんど感覚が残っておらず、疲労も溜まって全身鉛のように重い。
今、下弦の弐と闘えば間違いなくやられる。そう分かっていても紗夜の頭には闘うという選択肢しか無かった。
必ず勝って帰る。そう相棒と約束を交わした。例えそれが、こちら側からの一方的な約束であっても破ることはできない。
だから、臆して逃げ帰るということは決してしない。
紗夜は刀を強く握り、大きく息を吐く。そして、見据えるのは憎き鬼。狙うのは首、ただ一点。
「つぐみさん……私に力を貸してください。」
鬼との距離はおよそ三間。
この距離なら呼吸を使えば一気に狙える。そう思い紗夜は、めいいっぱい息を吸って肺を膨らます。そして、取り入れた酸素を足に集中的に送り、思い切り大地を蹴った。
繰り出すのは突進技である陸ノ型 鬼雨・斬。
間合いに入った瞬間に紗夜は、握る刀を鬼の首に目掛け――、
「!?」
鬼と目があった。
その瞬間に、今までの記憶が一斉に流れ出す。これは走馬灯。それは死の直前を意味する。
しかし、もう紗夜には止められない。
突き出される鬼の手が、自分の顔の数寸前まで来ている。刀は間に合わない、防ぐ術は無い――死、
「?!!」
「誰だ!!?」
紗夜の頭は貫かれることなかった。
紗夜を死から救ったのは突然横から飛んできた日輪刀――紅い刀身を持つ刀が鬼の手を斬り飛ばした。
突然の出来事に動揺して剣先がブレてしまい、紗夜の刀は鬼の胸を浅く斬るに終わる。そして、紗夜は落ち着くためにもう一度茂みに隠れた。
隠れたところで気休めにもならないのは分かっている。しかし、それでも死を感じさせられたばかり鬼と面と向かって立っているよりかは幾分かマシであった。
起きた出来事を整理し、呼吸を整える。
相棒――つぐみの物では無い、自分を救った刀の持ち主は何者なのか、協力出来るのか、そう考えているうちに聞き覚えのある鼻歌が聞こえてきた。
「お?意外と当たってるものなんだー!」
「この刀の持ち主はお前か……よくも俺の腕を斬ってくれたな!!」
鬼は怒りを露わにし、戦闘態勢に入る。斬られた片腕はすでに治っている。
下弦の弐ともあって、実力は高い。その危険度は、闘った紗夜が一番理解していて、一番恐怖している。
しかし、そんなことは今の紗夜にはどうでもよかった。
「日菜…!」
現れたのは守ると誓った家族――日菜だった。
日菜を見た瞬間に色々な感情が湧き上がってきた。しかし、それらの感情は一つの疑問で一瞬で塗りつぶされてしまう。
「なんで…鬼殺隊の服を……っ?!」
日菜にはあの日以来、鬼とは関わって欲しくなかった。そのために紗夜は日菜から離れ、鬼殺隊に入った。
しかし、どういうわけか、目に映る日菜が着ているのは紛れもなく鬼殺隊の隊服。特別な素材で作られているその服は、鬼殺隊に入らない限り手に入らない。
つまり、日菜もまた紗夜と同じく鬼殺隊に入ったということの証明となる。
「刀が手元にない状態で俺を倒すつもりか?舐められた物だな。」
「うーん、それはちょっと出来ないから返して欲しいな。」
「わざわざそんなことすると思ってるのか?」
「ううん、思ってないけど一応念の為に聞いただけ。それに…」
日菜の影がブレて消えた。
「まさか!?」と鬼は、後ろに刺さっていた刀の方へ振り返る。すると、消えた少女が片手に刀を持ってニコリと笑みを浮かべていた。
「ほら、自分ですぐに回収出来るから特に問題はなかったんだよね。」
「お前、いつの間にこの俺の背後を……殺す!!」
鬼は日菜から距離を取り、大地に両手を添える。それは下弦の弐が血鬼術を使う時にする体勢。本気で殺しにくる証拠だ。
「お願い、逃げて日菜ッッ!」
紗夜は、つぐみに重症を負わせ、自分の左腕を使い物にならなくしたその強力な技を思い出し戦慄する。
しかし、紗夜の声は、血鬼術の音に掻き消され日菜には届かない。
「防げるものなら防いでみろ!!」
鬼の周囲の地面が浮かび上がり、形、大きさが不統一な土の塊が十数発次々と放たれ、日菜を襲う。
その土塊の勢いは凄まじくもはや弾丸。一発でもまともに喰らえば最後、そのあまりにも強い衝撃に体の自由は奪われ、その隙に別の弾丸が容赦なく体を撃ち、致命傷を負わせる。
そして、何よりも厄介なのが、他の土塊とはひと回り小さい刃だ。先端が鋭利に尖ったその土塊の切れ味は、掠めるだけで容易に肉を断つ。しかも、下弦の弐は小さく見落としそうになるそれを、他の土塊を使う事で更に隠し、常に死角から急所を狙ってくる。
迫ってくる脅威を前にしても、日菜の表情は変わらなかった。
「?!」
「えい!やぁ!そぉれ!」
力が逆に抜けそうになるその掛け声だが、繰り広げられるは目にも止まらない斬撃の数々。襲ってくる弾丸を片っ端から斬っていくという荒業。
紗夜は目を見開いたまま、茂みから出れないでいた。
あまりにも自分と差がありすぎる日菜の実力は、紗夜から言葉と覚悟を奪った。
「なんだと…?!」
「うーん、もういいかな?」
「ま、まだだ!!くら…えっ?」
鬼の首が地面に落ちた。
そして、紗夜は逃げ出していた。
「ん?誰かいたのかな?まぁいいや、ところで鬼さん、十二鬼月がいるって聞いたんだけど、どこにいるか知ってる?」
紗夜は日菜から背を向けて走っていた。
日菜が鬼殺隊に入っていた事は衝撃だったが、日菜の事だから鬼殺隊の存在を見つけ出し、そうなる可能性は十分にあった。今思えば何の不思議も無かった。
約二年ぶりの成長した妹に、「大きくなったね。」と声をかけたい。頭を撫でてやりたい。しかし、その想いとは裏腹に、紗夜の体は走るのを辞めなかった。
自分が何故逃げているかは分からない。日菜の才能に打ちのめされることは初めてではなく、今まで何度もあった。そして、家から去ったあの夜に覚悟を決めた。それなのにどうして今更、日菜を見て逃げ出したのか分からなかった。
「そこの鬼殺隊、止まれ。」
その声を聞いた途端、息ができなくなった。
恐怖だ。全身、全神経が限界を突き破り警鐘を鳴らしている。
どうしても止まらなかった足が止まっていた。
「あ…貴方は……」
名前を聞かなくても分かっていた。
初めて聞いた声、初めて見た容姿。それでも、感じ取る絶望がその正体を紗夜に告げていた。
「鬼舞辻無惨っ…!!」
「誰が喋っていいと言った?私はお前に止まれとしか言ってない。」
「っ!と、父さんと母さんの仇!!……えっ…?」
鬼舞辻無惨を斬るために地面を蹴ったはずだったが、その場に倒れていた。起き上がろうとしても上手く起き上がれない。
「また仇か…鬼殺隊はそれ以外に思考は無いのか?全く…低族の相手はうんざりする。」
「あ、あれ…?」
「いいか、言動と行動には気をつけろ。私を不快にさせるな。脚の次は腕を頂く。」
右足の膝から下が無くなっていた。全く気が付かなかった。
叫びたくなる程の痛みが全身を貫くが、それよりも目の前にいる絶望そのものへの恐怖が紗夜を支配していた。
「死なれては私がわざわざ姿を見せた甲斐が無くなる。なので、率直に言う。鬼となり私に尽くせ。」
「い…嫌だ…!」
刀を握っていた右腕が無くなった。
「アっ…ガッッ……ッッ!!」
「私がしているのは問いではなく、命令だ。お前は、承諾だけをしていればいい。」
紗夜は蹲り、息を荒らげる。
二度目の走馬灯。薄れていく意識の中、最初に浮かび上がったのは――、
「下弦の弐を倒したのはお前の家族か?その割には随分と力に差があるのだな。」
「!!」
驚き、紗夜は顔を上げる。
無惨は上がった紗夜の顎に手を添えそのまま固定する。そして、紗夜の顔を見詰め、ゆっくりと口角を上げた。
「そう、その目だ。私はお前のその強い欲望に満ちた目を気に入ったのだ。」
「欲…望…っ?」
「己の才能では決して届かないと分かっていても、あの娘よりも強くなりたいのだろう?力を求める事は何も間違ってなどいない。そして、お前は幸運なことにその力を得る機会を迎えた。」
「わた…し…は……」
「これが最後の機会だ。よく考えろ。…鬼となり私に尽くせ。そうすれば、お前の求める強さをくれてやろう。」
悲劇の元凶。そう分かっていても何故か無惨の声は、紗夜の心に染み渡る。
「……………お願い…します………。」
血を多く流し、意識が消える直前で紗夜は折れてしまった。
紗夜の心にはもう、覚悟も約束も、誓いすらも無く、残っていたのは歪な形に変わった、強さを求める欲望だけだった。
「よかろう。私が直々に血を与えてやる。光栄に思え。」
無惨は気を失った紗夜の頭に指を突き刺し、血を投入する。すると、直ぐに紗夜の体に異変が起こる。刺された頭から皮膚の色は変わってゆき、やがて全身が痙攣を始めた。
「ほう…、呼吸を使う者は時間がかかるものだが、もうこれほどまでに順応するとはな。」
失った腕と脚が少しずつ形を取り戻していた。
それは鬼が持つ再生能力。あまりにも早い鬼の血への順応に無惨は更に興味を煽られる。
「ならば、特別にお前には更に血を与えてやろう。耐えられずに死ぬという私を失望させるような事だけは決してはするなよ。」
「ガッあ、…アッあっっがッッッ!!」
――――――――――――――――
――――――――――
――――――
――
紗夜は気がつくと家にいた。しかし、今までに入ったことはない、覚えのない家だった。
口の中にあった液体を飲み込むと酷く気分が良くなった。
喉は潤ったはずだが、本能は乾きを訴え、更なる潤いを求める。
何か、満たす物は無いのか。そう悩んでいると、食欲を唆るいい匂いが漂ってきた。紗夜は惹き付けられるように、その匂いの出処を探す。
ここではない、ここではない。あぁ、やっと見つけた。しかも二つ。何か得をした気分だ。
押入れの襖を開けるとご馳走が二つも隠れていた。
紗夜は本能に抗わず、そのご馳走を掴み、口へと運び、咀嚼する。
求めていた物だ。堪らない。
紗夜は止まることを忘れ、次々とご馳走を口へと運びんでは咀嚼し、飲み込むを繰り返す。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、
――あぁ、幸せだ。しかし、まだ足りない。
「お前……まさかあの時の…紗夜か…?」
振り返るとご馳走が増えていた。
しかし、このご馳走は先ほどと違って物騒な事に刀を持っている。これは危ない、怪我をしてしまうかもしれないではないか。
「っ!やっぱり紗夜だな…、どうしてだ、どうして鬼になった?!親の仇を!妹を守るんじゃ無かったのか?!!!?!」
ご馳走が何か叫んでいる。親の仇?妹?胸の辺りが少し反応したような気がしたが、何の事を言っているのか分からない。
そんなことよりも、食事が邪魔されたことにより、幸せな気分が害された。頭に来た。
紗夜は口に入っていた物を飲み込むと、立ち上がる。そして、振り返り、
「うるさい、邪魔しないで。」
「……完全に鬼に染まってしまったんだな。…紗夜!俺がお前の首をここでたたっ斬る!!」
そう叫ぶと、ご馳走は思い切り刀を振るった。それに対し、紗夜も腰にあった刀で対抗する。
次々と紗夜に向かって繰り出される清流の如き美技。しかし、紗夜は表情を一切崩さずに次々と捌いていく。
紗夜はそれらの技に見覚えがあった。が、それをいつ見たかは思い出せそうで思い出せない。しかし、紗夜はその事について深く気にしなかった。この刀を振るうご馳走を食べれる時が少しでも早く訪れるのであれば、そんなことは些細な問題でしか無いと思っていた。
始まってから約十五分。
水の流れが荒れ始め、ついには致命的な隙が生まれた。
――それを紗夜は見逃さない。
「!!」
軌道が少しズレた技の隙間を、紗夜の刀が突破し、そのまま胸を貫く。そして、その状態のまま床に叩きつけられたご馳走は、刀を手放した。
「……ごめんな…救ってやれなくて……」
「…なんの事?」
その言葉を最後に動かなくなった。
紗夜はようやく仕留めた
頭に来ていたので気にしないでいたが、冷静になって思い返すと、いくつか気になる言葉を言っていた。
それに、このご馳走はどこかで見たこと――、
思い出した。あの日の夜だ。
そして、それと一緒に思い出した、初めに言っていた『守るべき妹』の存在――、
「ヒ…ア……ヒ……ナ…ヒナ……ひナ…ヒな……ひな……日菜。思い出した、日菜!私が超えなきゃいけない妹、日菜!!!日菜!そう、日菜よ!!」
笑い狂う紗夜は、横たわるご馳走――かつての命の恩人に覆いかぶさり、そのままかぶりつき貪り食う。
血、肉、骨、臓器、脳。それらを飲み込む毎に紗夜の体は満たされ、それが力となっていくのを感じる。
――これだ。本当に求めていたのはこの感覚だ。
「私は強くなってる!日菜を超えるために強くなってる!!だけど、私はもっと強くなるわ!もっと強くなって、私は日菜を
日菜を超える。日菜より強くなる。それが日菜を守る唯一の手段。
そのために鬼になった。そのために力を得た。そして、その想いは今も変わらない。
だからこそ、紗夜は本気の日菜と闘えるこの機会をずっと待っていた。
「貴方がもっと早くに闘う覚悟を持っていれば、死ななかったかも知れないのにね。まぁ、つまり…」
日菜を
その一心だった。
「つぐみさんが死んだのは日菜のせいね。」
「私の…せい……」
日菜は抱き締めるつぐみを引き離し、その顔を見つめて何度も呟く。その目にはもう感情は宿っていない。
「私のせい…死んだのは私のせい…つぐちゃんが死んだのは私のせいだ。つぐちゃんが殺されたのは私のせいだ。現実から逃げ続けた私のせいだ。向き合おうとしなかった私のせいだ。覚悟を持とうとしなかった私のせいだ。刀を抜かなかった私のせいだ。動かなかった私のせいだ。大丈夫と言った私のせいだ。守れなかった私のせいだ。約束を果たせなかった私のせいだ――」
私のせいだ。
私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ――、
「私っ……の…………。」
日菜の中で何かが切れる音がした。
「!!」
刹那、太陽の如く紅い刀身が空間を斬り裂く。
「ようやく戦う気になったのね!日菜!!」
片腕を切り落とされた鬼の狂喜に満ちた声を合図に姉妹の剣戟は幕を開けた。
こんばんは、ヒポヒナです。
前から結構空いちゃいましたね、すみません。
思ってたより伸びてしまって…というより、どう表現したら分かりやすいかを考えていたらこんなに時間が(それでも分かりにくいのは許して)
あと、最後らへんに初めてルビ機能を使ってみました。なんか面白かったです( ˙꒳ ˙ )
そして、次回ようやく最終回です。たぶん。
あまりにも長くなりそうなら分けるかもですが…個人的には2万字ぐらいなら走り抜けたい…!
それでは、最後まで読んで頂きありがとうございました。ばいちっ!