調味料は適切に(リリカルなのは短編集) 作:北乃ゆうひ/YU-Hi
通称『執事の馬鹿力シリーズ』。その記念すべき第一弾。
筆者の中で、ほぼほぼオリキャラと化した『鮫島さん』初出のSSでもあります。
初出2006/03
アリサ・バニングスは自室で窓の外を眺めていた。
何か見えるわけでも何かあるわけでもなく、ただなんとなく、眺めていた。
「はぁ」
嘆息。
これがどこから来たものなのかはイマイチ判然せず、そもそも理由すら思いつかない。
なのはの家から帰ってくる途中からずっとこんな感じだった。覇気が出ないというか、胸が苦しいというか。確かに会ったこのない人がなのはの家に来ていたとはいえ、自分は人見知りするタイプではない事を自覚している。それに人見知りとは出合った直後に起こるものであり、ひとしきり遊んでからなるのはおかしい。
なぜか、顔も熱い。不思議と思い描くは……彼?
肩を竦める。始めて出合ったから印象に残っているだけだろう。
ぼんやりとした思考でふと気がつく。
自分の周囲には偶然か必然か、聴こえてくる喧騒はどこか遠巻きで、屋敷に人がいるはずだし、きっとそこの廊下を通っているメイドとかがいるはずにも関わらず、音らしい音や声らしい声は聞こえない。
「お嬢様」
何となく自分が呼ばれた気がする。ただその声もやはりどこか遠巻きであり、まるで呼ばれているのが自分ではないように思える。
もしかしたら、ここからかなり離れた場所に住んでいる友人が家で呼ばれている声が聞こえたのかもしれないと思いはしたが、そんな自分の空想にあるはずないじゃないと胸中で苦笑した。
「お嬢様」
そもそもその友人の家に住んでいるお手伝いさんは二人とも女性だ。こんな渋い男性の声なんてだせるはずがない。
「お嬢様」
そうまるで、アリサのお付である鮫島のような――
「……って、鮫島?」
「あぁ、お嬢様ようやくお気づきになられましたか」
鮫島はホッと胸を撫で下ろすように息を吐く。
「えーっと、ごめん。ぼーっとしてたかも」
「はい。お部屋の外よりお呼びしていたのですが、お返事がありませんでしたので、無礼を承知で入室させていただきました」
深々と頭を垂れる鮫島。普段のアリサならそんな行為は適当に流す事なのだが、さすがに今回の場合、呼び掛けに応じなかった自分が悪い。にもかかわらず、頭を下げられるのは――別に珍しい事ではないが――なんとなくバツが悪かった。
「いいわよ別に。今回は返事しなかったあたしが悪いんだし」
「ありがとうございます」
こういった時に、こんな不遜な言い方ではなくもっと寛大な物言いが出来ればきっと大人なんだろうな――などと思うが、どういう態度が寛大といえるのかよく分からない。
その為、アリサにとってはこれが精一杯の寛大さだと、本人は思っている。
「それで? 何の用?」
「はい。夕飯の準備が出来ました事を申し上げに」
「わかったわ。それじゃあ行きましょう」
椅子から立って、少し身体を伸ばす。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「え?」
突然の質問にアリサは鮫島を見、目をぱちくりさせる。
「なのはお嬢様のお宅からお帰りになられてからご様子がおかしいようですが」
「そう?」
「はい」
深々とうなずいてから、鮫島は続ける。
「ご友人方と何かおありで?」
言葉ではそう言っているが、鮫島からはどことなく――またケンカでもされたんですか、と言ったものを感じ、それを踏まえてアリサは首を振った。
「別にケンカはしてないわよ。変わった事だってなかったわ」
そこまで答え、少し思い出したことを付け加える。
「強いて変わった事を上げれば、フェイトのお兄さんが遊びに来てたくらいかしらね」
それだって別に変な事ではないでしょ、と肩を竦めるアリサに、彼はどこか意味深な表情で訊いてきた。
「そのフェイトお嬢様のお兄様のお顔はどうでしたか?」
「そうね……カッコよかったけど……それがどうかしたの?」
質問の意図が分からず眉をひそめるアリサに、鮫島は自らの思考の結果を、
「お嬢様……」
淀む事なく、躊躇う事なく、詰る事なく、噛む事なく、真っ直ぐに、内角高めの剛速球――でもちょっとカーブ気味――で告げた。
「恋を……されたようですね」
実はその発言が、どんなキャッチャーも取ることが出来ない暴投であったなど、この時のアリサは気づきもしなかった。
★
クロノ・ハラオウンはゆっくりと目を開けた。
見慣れぬ天井。起き抜けの頭で周囲を見渡し、ようやく思い出す。
「そっか。なのはの家に泊まったんだっけ」
今居るのは二階に二部屋ある客間の一室。フェイトも一緒に泊まったのだが、彼女はなのはの部屋で寝ている。
クロノも誘われたのだが、さすがに男女が一緒の部屋なのは色々と問題があると思い、何とか説得してこの部屋にしてもらった。もっとも、自称なのはの友達は同室らしいが。
「まったく。うら……いやらしい奴だ」
誰も聴いてはいないだろうが、出かけた本音を言い直し咳払い。
とりあえず布団から出て時計を見る。一般的には早い時間ではあるが、クロノからしてみると割りと普通の時間である。仕事の関係でここ最近の睡眠時間が短かった事を考えれば、むしろゆっくりと休めたと言えなくない。
それでもやはり一般的には早い時間であるため、あまり物音を立てるのはまずいかもしれないな……などと考えていたのだが、どうやらそれは考えすぎであったようである。
「わりと……みんな起きてる?」
隣の――なのはの部屋のみんなはまだ起きてはいないようだが、この家全体としては目覚め活動していた。
「なら……」
クロノは手早く着替えると、運動がてら庭へと出る。
ちょうどそこへ、早朝のロードワークから恭也が帰ってきた。
「おはようございます。恭也さん」
「ああ、おはよう。早いなクロノも」
「ええ。少し、運動をしようかと思いまして」
「そうか」
相槌を打ってから恭也はややクロノを見つめる。
「あの……なんですか?」
「いや……クロノ。腕に覚えは?」
「それなりには」
その答えに恭也は満足そうにうなずく。
「それじゃあ、適当に身体が温まったら道場に来ないか? 一本やろう」
「僕でよければ」
微かな笑みを浮かべるクロノに、恭也も小さな笑みで返す。
どことなく、よく晴れた早朝に似合うような、そんな爽やかに感じなくもない二人のやり取りの間に一陣、優しい風が吹く。
だが、
「ほーほっほっほっほっほっほ」
唐突に、そんな空気をぶち壊す気満々としか言いようがなく、その上で大よそご近所の迷惑を考えていない高笑いが響き渡った。
あまりにも怪しい。怪しすぎるその高笑いに、クロノと恭也は臨戦態勢で声した方へと身体を向ける。
そこには――
「ほーっほっほっほっほっほっほっほっほっほ…………」
右手を口に、左手を腰に当てたネグリジェ姿のアリサ・バニングスが塀の上に居た。
「な、なに?」
「ア……アリサ?」
「……ほっほっほ……げほげはごほげほ」
どうやら呼吸が続かなくなったらしい。
だが彼女の奇行はそれだけでは終わらず、呼吸が整うなり足を曲げ、
「とう」
と、身体を伸ばした。
とはいえ、流石に塀に高さがあったからか飛び降りたりはせず、ゆっくりと近くの木を使って降りて来てから、さも塀の上から着地したような仕草をする。それから指をこちらにビシッ! と向けて、
「どう?」
とか訊いてくる。
「いや……どうって……」
「言われてもなぁ……」
二人してリアクションに困っていると、今度は背後から――それこそ本当に背後からパチパチパチ拍手が聞こえた。
「――な!?」
「――ッ!?」
その拍手から遠ざかるように、クロノと恭也はそれぞれ飛び退き驚愕する。
「きょ……恭也さん……この人……」
「あぁ……まったく気配がなかった」
二人にしてみれば戦慄に値する事態だ。この初老の男性――鮫島氏に殺意があったのなら、間違いなくやられていた。
だが、そんな二人を余所に、鮫島氏は素晴らしいものを見せてもらったかのように自らの主人に賞賛を送る。
「デモンストレーションとしては完璧でございますお嬢様。『あの人の振り向いてもらいたい。気付いて私の小さな思い作戦』……今の感じでしたらお嬢様が思いを寄せる殿方もきっと振り向く事でしょう。その証拠にこちらのお二方は振り向かれました」
「ていうか……あんな高笑いされたら誰だって振り向く」
クロノは執事とその主人にツッコミを入れるが聞く耳を持っていないようである。
「突っ込むべきは作戦名だと思うんだが」
呆れたように、恭也。
だが、どうであれ二人は聞いちゃいない。
「して、お嬢様――アリサお嬢様が一目惚れしてしまったかも知れないというクロノ様とはどちらに?」
「え? そこ。鮫島から見て左。恭也さんじゃない方の男の子」
指を差し事も無げに言うが、鮫島氏の顔は先ほどのクロノと恭也とは比べ物にならないほどの驚愕した顔をした。
そして、
「いけなぁぁぁぁぁぁぁい!! 危険が危ないですぞお嬢様ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫ぶなりアリサを抱きかかえて思い切り跳躍した。間合いが開く。いや――この場合、間合いが開いたからどうだという事もないかもしれないが。
「さ、鮫島?」
「危ないところでしたお嬢様。極秘裏に練習していたはずの『届け私の思い。どこまでも作戦』が敵に漏れてしまっていたようです!」
「作戦名が違ってないか?」
「まさか、ターゲットがこの場所に居るとは私の想定外でした!」
「さっきから僕ら、ナチュラルに無視されてますね」
「ああ」
話の流れからすれば一応当事者と言えなくもないハズなのに、すっかり蚊帳の外気分な二人は同時に嘆息する。
と、それと同時に今更ながら、クロノは鮫島氏が実はさりげなくとんでもない事を言っていた事に気がついた。
「一目惚れ? 誰が? 誰に?」
聞くまでもないし自問するまでもない。そもそもそれの答えは彼が口にしている。
「えーっと……」
「しかしわざわざ向こうから出向くとうは好都合。さぁ、お嬢様こちらを」
当惑しているクロノを余所に、執事はアリサに何やらスイッチのようなものを手渡す。
「それは昨晩お嬢様がお考えになられた作戦をベース私が作りました恋文ボタン。名づけて『一所懸命恋をしました作戦』。さぁ、それを押せば彼方よりクロノ様へ恋文が届きますぞ」
「うん。それはいいんだけどさ、鮫島。あたし、ラブレターなんて書いた覚えないけど」
恋文ボタン――とか言うらしいそのスイッチを受け取りながら彼女は首を傾げる。
「はい。それに関しましては、僭越ながら私が」
「書いたの?」
「はい」
クロノの問いに恭しくうなずき、続ける。
「お嬢様のお気持ちを考えまして、お嬢様になりきり一字一句お嬢様の筆跡をコピーして書かせていただきました」
「恐しくて心底想像したくない絵面だな」
うかつにも鮫島氏が乙女の恥じらい風にラブレターを書いているシーンを想像しまった恭也は心に深い傷を負いうめく。
「ささ、お嬢様。ボタンを」
そんな落ち込んだ恭也を無視して、執事は主人を促す。
「なんか釈然としないけど、まいっか」
「押すのッ!?」
いともあっさりとボタンを押したアリサに驚くが、それから間もなくクロノに向かって何かが飛んできた。
それはクロノの目にも恭也の目にをしっかりとした形で移っていた。
矢。その矢尻には何かが結んである。矢文だ。間違いなく。
それが、クロノの脳天めがけて飛んでくる。
「わっと」
声は出したがとりたてて慌てる事なくクロノは余裕を持って避けた。
しばらくそれを無視していたのだが、やがて、
「なぜ、その
「さっきあなたが書いたって言ってませんでした?」
「そんな妄言でお嬢様の思いを踏みにじるのですか!?」
「そうよ! あたしが一生懸命に書いたのよ!」
胸を張りさぁ読めと言わんばかりのアリサと、ハンカチを噛み、ああ口惜しやと嘆く鮫島氏の対応に困りながら、クロノは恭也に目配せをする。
沈痛な面持ちで恭也はうなずく。
気重げに、クロノは矢へと近づくとその文に触れた。
刹那――クロノの経験から来る本能が警鐘を鳴らす。それに伴う反射神経に身を任せその場所から一瞬にして飛び退いた。
何故か矢があった辺りに土煙が俟っている。やがてそれが静まると土煙の原因が姿を見せる。
それを見、
「「ちょっと待てぇぇぇぇぇっ!!」」
クロノと恭也は同時に叫んだ。
手斧。狩猟用の投げやすい斧。ハンドアクスとか呼ばれるアレが、矢を砕き地面を割るように刺さっていた。
「ちっ」
執事の舌打ちが聞こえた気がする。被害妄想が生んだ空耳かもしれない。
「鮫島……あれはさすがに……」
「何をおっしゃいますお嬢様」
斧を指差す主人に、大仰な仕草で首を振ってから諭すように告げる。
「よろしいですか? すでに矢文とは時代遅れなのです! 今の時代は火力! だからこそ、斧文の時代が到来したといえるのです」
「そうだったの……知らなかったわ」
なぜだか言いくるめられてしまっているアリサを横目にクロノと恭也は――まだ何か飛んでくるのではないかと警戒しながら――斧を見る。
その刀身に、字が彫ってあった。丁寧な女の子の字で。
「やっぱり、この文字ってあの人が彫ったんですかね?」
「だろうな……」
うんざりとしながら、二人は彫ってある文字を読む。
頭が痛くなった。きっと気のせいではないはずだ。
「嫌な誤字だなぁ……」
「まったくです」
二人して頭を抱えていると、ヌッっと二人の間に執事の顔が現われてた。
「わッ!」
「うおっ!」
またも気配なく近づかれさすがにプライドが傷つき始めたクロノと恭也を横目に鮫島氏はじーっと斧を見つめ……そして、
「しむぅぁぁぁぁったぁぁあぁぁぁぁっ!!!!!!」
叫んだ。
その後、アッと言う間にアリサの横まで戻ると沈痛な面持ちで主人に告げる。
「申し訳ございません。私としたことが……」
「どしたの?」
イマイチ事情を理解できずアリサ。
さすがにあの位置から斧に書いてある文字は読めないらしい。
「私とした事が語尾に読点を打ち忘れておりました」
「誤字はッ!?」
「もう止せクロノ。もう言葉は通じない。甘んじて鮫島さんの行動を受け入れよう」
「そんな意味不明な泣き寝入りって……」
妙な悟りを開いた恭也にクロノは涙する。
「しかし……」
そんな二人を知ってか知らずか、鮫島氏はこちらに意味ありげな視線を向けて、ふむ……とうなずく。
「ここまで私とお嬢様を追い詰めるワナが用意されているとは」
「あたし達……何かされた?」
ワリと冷静なアリサに執事は大げさにうなずく。
「はい……ですので一旦はここで退きましょう。クロノ様に出会ってしまったせいかアリサお嬢様のお顔も赤くなられていますし」
言うが早いか、鮫島氏はアリサをお嬢様抱っこで抱き上げると恭しく一礼をしてから、身体をこちらに向けたまま背後へ向かって跳躍。塀の上に着地する。
「それではクロノ様、恭也様。また後日、日を改めてお伺いいたします。では」
再び礼をすると、なぜか一瞬だけ強風が吹いた。その風に二人は思わず目を伏せる。目を開くともうそこには執事の姿も気配もなく、なぜか主人の気配すらなくなっていた。
しばらく呆然としていたクロノはやっとの思いで、
「な、なんて面妖な……」
喉からその言葉を搾り出す。
そんなクロノよりもう少しだけしっかりと立ち直った恭也は彼の肩をポンと叩き告げた。
「よかったな。君を好いてくれる女の子がいたぞクロノ」
恭也にしては珍しい――非常に珍しい爽やかな笑顔でそう言うと家の中へと消えていった。
「え?」
ぐるぐると、よかったなという言葉が頭の中を回り続け呆然とするクロノ。
アリサと執事が現われる前に吹いたような朝に相応しい爽やかな風が、そんな彼の頬を撫でていった。
★
「おはよーすずかちゃん」
「おはよう。なのはちゃん」
「あれ? アリサちゃんは?」
「うん。風邪引いちゃったんだって」
「確かに、昨日の帰り、ちょっと辛そうだったけど……」
「帰り、お見舞いに行こうか」
「うん……あ! そういえばアリサちゃんって言えば……」
「どうしたの?」
「お兄ちゃん、クロノ君組みとアリサちゃん、鮫島さん組みが言い争ってる夢を見たんだ」
「全然想像できない夢だね」
「あ、あははは……で、朝起きたらさ、夢と同じ光景が外で展開されてた気がしたんだけど……気のせいだよね」
「そうだよ。四人が争う理由なんてないし」
「そうだよね。夢、夢」
「うんうん」
「こんな寒い日の朝にネグリジェ姿で高笑いなんて、いくらアリサちゃんでもしないよね」
「それ、ほんとどんな夢?」
結局、アリサの顔が赤かったり、呆っとしていたのは、多々単純に風邪をひいていただけという。まぁわりと、そんなどうしようもなくどうでもいい話。
お読み頂きありがとうございました。