Aとりあえず、頭空っぽにして読んでください。
「それじゃあおやすみ。マリア」
「ええ、おやすみなさい」
マリアがベッドに寝たのを確認して電気を消す。
そして俺はベッドの隣に敷いた布団へ寝転ぶ。
妊娠中のため、現在は寝床を別々にしているのだ。
マリア的には別に一緒でもいいらしいが万が一を考えてである。
「あ、千鶴。明日……」
ふと、マリアが話しかけてきたが分かっている。
「ああ。明日はセレナの墓参りだろう?忘れてないぞ」
「それならいいわ。……おやすみなさい」
おやすみと返して、俺も目を瞑る。
実は宵っ張りなのだが今日は仕事もあったのですぐに眠れそうだ……。
……あれ。
なんだろうこの感じは……。
浮いているような、だけど沈んでいるような……。
水中。
そうだ、水中にいるかのようだ。
夢か……。
しかし、水中というのは全ての生命が始まった場所。
寝るには安らか過ぎるというものでいつまでも眠れそうで……。
「……さん!千鶴義兄さん!起きてください!」
幽霊である義妹の声で目を覚ました。
俺をわざわざ起こすなんて珍しい。
「ん……?何の用だ?」
少々離れたところにいたセレナ。
柵の向こう側にいるがあんなところに何故いるのだろう。
「何の用だ?じゃありません!早く準備してください!」
早く準備してって……何の準備?
って、周りを見回したらここは俺とマリアの寝室ではない。
辺り一面に広がる岩の大地。
そして謎の柵に囲まれている俺。
なんだ……もっといい寝床で寝させてくれ。
夢の中とは言え。
「夢じゃありません!いいから早く!早くしないとゴングが鳴ってしまいます!」
「ゴング……?」
ゴング?
なんだ?
ボクシングでも始まるのか?
格闘技は……習いこそすれ娯楽として見るほどファンというわけでもないので別にいいや。
寝よう。
おやすみ~。
「ふへへぇ!!!あの使い魔寝惚けてやがるぜ!」
「こりゃ早く決着がつきそうだな!」
どこからか男達の下品な声が聞こえる。
使い魔だかなんだか知らないが話すならもう少し静かにしてほしい。
なんせこちらは就寝するのだから。
「千鶴義兄さん!早く!もう試合が始まっちゃいます!就寝どころか永眠しちゃいます!」
ゴォン!!!とゴング、というより銅鑼が鳴ったような音が響いた。
なんだ?ボクシングじゃなくてカンフーとかそっちだったのか。
セレナは銅鑼を知らなかったんだな多分。
「その綺麗な顔潰してやるぜぇ!!!ヒャッハー!!!」
……ッ!!!!!
「うるさい!!!!!!寝てるってのが分からないのか!!!!!!!」
ごきゃっといったような音が俺に襲いかかった男の顔面から響いた。
肉と骨の感覚が拳に伝わる。
そして、襲いかかった男は殴り飛ばされて柵を破壊し場外へ。
「逃がさん」
跳躍し、吹き飛ばされた男にマウントを取り首を掴み上げる。
「ひぃぃ!?許してくだせえ!お願いだから命だけは!!!」
「命だけはってそりゃ殺すつもりはないが……。お前、やけに顔が赤いな。それにデコからなんか生えてるぞ。痛くないのか?」
「デコからってそりゃ角ですぜ」
「もしかしたら命に関わるかもしれん。切除してやろう」
「ひぃ!?そ、それだけは勘弁を!角はあっしらの大事なも……ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
荒野に、男の断末魔が響きわたった。
「勝者!セレナ・カデンツァヴナ・イヴ&六堂千鶴!」
勝ちました。
いや、そうではなくて。
「おいセレナ。さっきから何がなんだかさっぱりなんだがこれは一体なんだ?何故か死装束だし頭に天冠ついてるし……」
「さっぱりなのは私の方ですよ……。初戦でいきなり獄卒さんを一撃でKOしたあげくに角切っちゃうんですから。もうそこら中千鶴義兄さんの話題で持ち切りですよ……」
「いいから答えてくれ。順を追って」
「分かりました。それでは、最初からお話しますね」
ついさっき、幽霊仲間の皆さんがとある話題で盛り上がっていたのです。
話に聞くと、一瞬だけ蘇る権利を手に入れることが出来る『再誕戦争』なる催しが近く開催されるとのことで気になって調べてみたらエントリーはなんと今日、ついさっきまでだったのです。
そしてエントリーには一人一体のスタンd……いえ、サーヴァンt……使い魔が必要だったので千鶴義兄さんの魂をお借りしてこうして『再誕戦争』に挑んだというわけで先ほど、千鶴義兄さんが倒した獄卒さんは参加者をふるい落とすための予選。
……まあ、あそこまでやる必要は全くなかったんですけど。
「どうですか?理解しました?」
「いや、その。うん。理解はしたというか無理矢理理解したとしよう。まずひとつ質問なんだが、何故俺をその……スタンdじゃなくてサーヴァンt……でもなくて使い魔に選んだんだ?」
「それはですね。千鶴義兄さんは一度死んだことがあるので普通の人より魂が抜けやすいので、こう、さ~って感じで魂を抜いてですね……」
「そんな簡単な感じで抜けるのか俺の魂はッ!?」
つまり俺はいつでもセレナに殺されるかもしれないということか……。恐ろしや恐ろしや……。
「それとその……スタンdでもなくてサーヴァンtでもない……いや、そもそもこの名称大丈夫なのか?いろいろとヤバくないか?」
「そうですね……ではここはひとつ……。スターヴァントでどうですかッ!?」
バァーーーーーーン!
「ただ悪魔合体しただけだろうそれはッ!あとそんな決め顔で言うんじゃあないッ!」
まったくこいつは……。
あ、あとまだ質問があった。
「ところで、その再誕戦争なんだが……。本来生きてる俺が参加して大丈夫なのか?ちゃんと現世に帰れるんだろうな?」
「えぇっとちょっと待ってください。いまルールブックで確認するので」
ルールブックなんてあるのか……。
「あ、ありました!生者が参加した場合。スターヴァントに生者を選んだ場合、勝利すればそのスターヴァントは現世へと帰ることが出来る。もし、敗退したら死者になるそうです。ちゃんと帰れるみたいで良かったですね!」
そうかそうか。
ちゃんと帰れるのか。
それは良かった……。
「良くはないだろうッ!!!負けたら死者になるんだろうがッ!!!!!」
「うわーん!ごめんなさーい!知らなかったんです!ルール確認する暇もなくて急いでエントリーしちゃったからー!!!」
よし、こいつ殺そう。
一回死んでるから二回目ぐらいいいだろう。
馬鹿は死ななきゃ治らないからな。
「喜べセレナ。介錯はしてやる……!」
「まま、待ってください!今の千鶴義兄さんは私のスターヴァント!そして私は千鶴義兄さんのマスターです!マスターがやられたらスターヴァントも一緒に敗退です!つまり私と千鶴義兄さんは一蓮托生ということですッ!」
ッ!?
つまり、セレナをやられても俺は死ぬということか……。
「しょうがない。ひとまず今は殺さないでいてやる。で、再誕戦争に勝利して俺は現世に帰る。お前は一瞬だが蘇ると……」
「そうですね……。私のためにも千鶴義兄さんのためにも勝たなくてはいけません。そう!勝てばよかろうなのですッ!」
口調がおかしくなっているが、まあそうだな。
とりあえず、やるしかないか。
「あ!一回戦が始まりますよ!行きましょう!」
さっきまでとは変わって祭りを楽しむかのように俺の手を引くセレナ。
まあ、楽しそうにしているのならいいか……。辛気臭いのに比べたら。
しかし、もっと楽しめるイベントなら素直に喜べるんだけどなぁ……。
「まずは戦いの前にステータスを確認しましょう!」
「ステータス?」
「はい。千鶴義兄さんの今の状態や強さを表すものです。これをしっかり確認して千鶴義兄さんの強みやスキルを確認するんです」
なるほど。
で、どうやって確認するんだ?
「ステータスオープンって言えばいいみたいです」
「そうか。じゃあ、ステータスオープン」
六堂千鶴
・スキル 護国の血 D 全ステータスアップ
女神の加護 EX 幸運上昇
無窮の武練 B 武器の扱いに長ける
愛妻家 A 妻のためなら頑張れる
・筋力 A
・敏捷 A
・耐久 A+
・魔力 E
・幸運 EX
「おお、なかなか強いんじゃないか?」
「いや、ちゃんと全部見てください」
全部?
・甘党 A
・かわいいもの好き A
・危険人物 A
・刃物マニア A
・下戸 A
・うなじフェチ A
「おい、なんだこれは」
「これはですね、ギャップステータスと言ってですね。これが高いと通常のステータスにマイナス補正がかかるみたいです」
ほお……。
いやいや待て待て。
「つまり何か?今の俺は弱くなってるってことか?」
「まあ、そういうことになりますね」
……。
「き、きっと大丈夫ですよ!だって千鶴義兄さんですから!」
「理由になってない……」
マリア、すまない……。
俺はお前を置いて先に逝ってしまうかもしれない……。
「一回戦Aブロック。セレナ・カデンツァヴュナ……カデンツァヴナ・イヴさんと六堂千鶴さんのペア~。待機してくださーい」
あ、あの獄卒はスタッフか……。
「あの、いま噛んでましたよね?何事もなかったかのようにしてますけど噛みましたよねあの獄卒」
「いいから行くぞ。別にいいだろ噛んだぐらい」
「よくありません!文句のひとつでも言わないと……!きゃっ!?」
今にもあのスタッフ獄卒に食ってかかろうとするセレナの首根っこを掴んで再誕戦争の試合会場へ。
セレナをマスターポジションと書かれた線の前に立たせて俺はリングへ。
とりあえず、ネガティブになっても仕方ない。
マリアのもとへ帰るためにも勝たなくてはならない。
それが、例えどんな相手であっても。
「さあ、リングへと上がりましたセレナちゃんのスターヴァント。六堂千鶴選手。今回、唯一の生者スターヴァントとなっております。果たして、彼は無事に勝ち残り現世へと帰ることが出来るのか!そして、対戦相手の登場です」
……!?
あれは……!
「嘘……。そんな……」
「赤コーナー!マスターは……ナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤ!!!通称……」
「マムッ!!!どうして!?」
セレナが叫ぶ。
ああ、やはり見間違えではなかったか……。
「セレナ。あなたと戦うこと、心が痛みます。ですが、私にも譲れないものがあるのです。申し訳ありませんが、ここで敗退していただきます」
「そんな……」
初戦からセレナにとって厳しい戦いとなるか……。
ここは俺が心を鬼にするしかない。
俺は生きて帰らなければならないのだ。
マリアとセレナの母親のような存在だとしても、負けるわけにはいかない。
「マスター同士の話はその辺りにしてさっさと出しな。テメーのスターヴァントを……」
「いいでしょう。義理の息子と言えど容赦はしません。さあ、いきなさい!私のスターヴァント!」
『
リングに現れた二台の車椅子。
そしてそれが変形し人型となってそれぞれ構える。
……。
「おい!スターヴァントは一人一体じゃないのか!?」
「私のスターヴァントは二台で一騎。ルール違反はしていません」
審判獄卒も反応しないのでどうやら本当にルール違反ではないらしい。
チッ……。
「それでは、スターヴァントファイト!レディ……ゴー!!!」
審判獄卒が勢いよく叫び銅鑼が鳴る。
それと同時に二体の車椅子ロボが迫る。
ッ!?
思ったよりも速い!
後ろへと飛び退きながら、懐に備えていたメスを投げつけるが怯む様子はない。
流石は機械と言ったところか。
これは少々難敵だな……。
とにかく、数で不利なので挟まれないようにとにかく動き回る。
Powerful-2……面倒くさいから力の2号でいいや。
力の二号の赤い豪腕を掻い潜り、技の1号の素早い格闘攻撃をいなし、回避して反撃……。しかし、力の2号の邪魔が入る。
パンチ攻撃をジャンプして回避し、リングのロープの上を駆ける。
「六堂選手さながら曲芸師のような動き!しかし、避けてばかりでは勝てないぞぉ!」
そんなの分かっている。
しかし、なかなかのコンビネーションだ。
崩せない。
「セレナ。あなたの願いはなんですか。なんのためにここにいるのですか」
「私は……」
「ろくな願いもないまま参加したのですか?それも、負ければ死することになる生者をスターヴァントに選んで」
「ッ!!それ、は……」
「耳を貸すなセレナ!そういうあんたはそれ相応の蘇りたい理由があるんだろうなッ!」
「当然です。私の願いは……初孫が見たいのです」
え。
「え?」
「そこ、隙ですよ」
「しまっ……ガアッ!!!」
「千鶴義兄さん!?」
チッ……変なこと言い出すもんだからそっちに集中してしまった……。
それに、力の二号のパンチを諸に受けた。
今の俺は霊体なわけだがそれでも痛みはあるようで、内臓がやばい。
呼吸が、出来ない……!
息を整えろ。
まだ自分は立ち上がれる。
「マリアが子を成したのです。つまり私の孫とも言える。孫に会いたくない祖母がどこにいるというのです」
……とんだ婆さんだ。
しかし、それほどまでにマリアのことを思っているとも取れる。
まったくあいつは幸せ者だな。
だがな……。
「さあやってしまいなさい技の1号・力の2号。まずは初戦の決着をつけるのです」
ナスターシャ教授のスターヴァント二体が空高く飛ぶ。
そして、回転し……ダブルキックが飛来する。
「避けてください千鶴義兄さん!」
セレナが指示する。
しかし、これで良いんだセレナ。
俺はこうなると既に予測していた。
もうとっくに呼吸は整えた。
あとは声を張るだけである。
「ナスターシャ教授!いいか、一回しか言わないからよく聞け!俺が死んだらなぁ……
「ッ!?」
「ふっ……それ、隙だぞ」
懐から取り出すお気に入りの短刀。
ナスターシャ教授に迷いが生じたことで、技の1号・力の2号のダブルキックに綻びが生まれた。
今なら……斬れる。
技の1号・力の2号だったものが地面へと堕ちた。
リング上に立っているのはこの俺ただ一人。
「試合終了!勝者!セレナ&千鶴!」
審判獄卒が自身の眼帯を外しながら宣言した。
……その眼帯、意味あるのか?
普通に目あるし!
「……負けました。あなたの言う通り、あなたを殺せばマリアは悲しみます……」
「いや、こっちも危なかった。あんたが真っ当な人間だったからあの作戦が上手くいった。悪いが、先に進ませてもらう」
こうして、ナスターシャ教授と会話するのは独身時代以来。
マリアと結婚しろと夢枕に立たれた時以来である。
「マム……」
「セレナ。勝つのですよ。勝って、私の分もマリアに会ってきてください」
「マム……。うん!」
涙を拭い、決意を表したセレナ。
強い瞳は真っ直ぐと前を見ていた。
「二回戦があるから行くぞ」
ナスターシャ教授に会釈して、先に進む。
こうして、相手の願いを踏みにじり、屍を越えて俺達は願いを叶えようとしている。
これはなかなか、きついな……。
「けど、あんな勝ち方でよかったのかな……」
「あの時はあれしかなかったんだ。仕方ない。それに、お前が言ったんだぞ」
「……え?」
「勝てばよかろうなのだってな」
そう言って、二人で笑った。
俺はしっかり、マスターの命令通りに動いたのだ。
なかなかに出来たスターヴァントである。
さて、この調子で勝ちを獲りに行きますか……。
~ここからはダイジェストでお送りします~
~二回戦~
「ぐはっ!?嫁だけでなく、その旦那にまで殴られるなんて……」
「そういう運命というワケダ」
~三回戦~
「安いものだな、命の価値は」黄金錬成つまり抜剣
「きゃー!?///」
「見るなセレナ!」
「セクハラにより失格!」
「馬鹿な……この僕がセクハラだと!?」
~四回戦~
「エンキ様と一緒にいられるならそれでOK」
「幸せならOKです!」
フィーネ&エンキ組リタイア
~五回戦~
「いや、うちの翼の方が」
「いやいやキャロルの方が……」
「俺も将来、ああなるのかな……」
「まあ、娘を思ういいパパさんでいいじゃないですか……」
八紘&イザーク組仲間割れによりリタイア
~六回戦~
「こふっ!?」
「こふっ!?」
「こふっ!?」
「三人だった上に全員同時に吐血したッ!?」
ノーブルレッド組反則及び血がないため再起不能!
そして、決勝進出!
「納得がいかん」
「ちゃんと戦ったの一回戦と二回戦だけでしたからね……」
なんやかんやで決勝まで来たわけだが、これは行けるのでは?
俺も蘇ることが出来て、セレナも一瞬だが現世に蘇ることが出来る。
これまでのことを振り返ると決勝もなんやかんやでいけるのでは?
いやいや、慢心、ダメ、絶対。
「それでは、準備お願いしまーす」
「はーい。それじゃあ、行きましょう千鶴義兄さん」
……。
「ちょっと、待ってくれ」
「?なんですか?」
「お前の……蘇りたい理由を、聞いてなかったからな。聞かせてくれないか?」
口を閉じるセレナ。
言いたくないのだろうか?
ナスターシャ教授に問われた時も答えようとしなかったし、何かあるのだろうか?
言いたくないなら無理して言わなくていいと言おうとした瞬間、セレナは自身の願いを語った。
「マリア姉さんに会いたい!……それだけじゃ、駄目ですか?」
マリアに会いたい、か……。
会うだけなら、セレナはマリアと会っている。
マリアからはセレナが見えないが。
だからこの会いたいは、マリアにも自分の存在に気付いてもらいたいとかそういう会いたいなのだろう。
「いや、充分さ。……さあ、勝つぞ。勝って、お前の願いを叶えるっていう誕生日プレゼントをくれてやる」
そう言うとセレナは目をぱちくりとした。
そして、小さく誕生日?と呟いて首を傾げた。
「お前、気付いてなかったのか?明日はお前の誕生日だぞ」
「……すっかり忘れてました。幽霊になってから誰も祝ってくれなかったので」
「そうか。じゃあ、俺が。いや、俺とマリアが祝ってやるよ」
「……はい!」
とびきりの笑顔を見せたセレナ。
さて、こいつのためにも勝たないとな……。
しかし、決勝の相手が思ってもみない相手だったのである。
「嘘……。どうして……」
「おやぁ?セレナじゃあないか。まさか君も再誕戦争に参加していたなんてね!まあ、ここで敗退するというわけなんだけどね!この僕!真実の人!ドクタァァァァ!ウェルッ!!!とそのスターヴァント!ザ・ネフィリムの前にねッ!!!!!」
狂気の英雄志望者ドクターウェル。
そして、より人型に近くなったネフィリム。
……よりにもよって、こいつが決勝の相手か。
ああ、くそ。
さっきまでのいい表情が消えている。
前にマリアから聞いたが、セレナの死の原因はあのネフィリム。
自分の死の要因となった相手なんて、怖くて堪らないだろう。
だが……。
「狼狽えるなッ!」
「……千鶴義兄さん?」
「勝って、蘇るんだろう。だったらしゃんとしろ」
「……はいッ!!!」
強い決意を宿した瞳。
ああ、マスターがあんなんじゃこっちまで弱ってしまうというものだ。
さあ、行くぞ。
試合開始を告げる銅鑼が響く。
これまでで一番の踏み込みでネフィリムの懐へと入る。
手には短刀。
最初から飛ばしている。
さっさと終わらせる!
神速の域にも達した短刀による強襲。
しかし……。
「ッ!?」
ネフィリムは人差し指と中指で短刀の刃を挟むとそのまま千鶴を振り回し、投げ飛ばす。
「ハッ!僕のザ・ネフィリムはパワーもスピードも精密動作性もお前みたいな優男とはダンチなんだよッ!!!」
リングを転げ回る千鶴。
しかし、すぐに態勢を立て直してネフィリムに攻撃の隙を与えまいとするが既にネフィリムは目前まで迫っていた。
そして……。
「ネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィネフィ!!!」
「うおぉぉぉ!!?!」
強力で強烈な拳のラッシュが千鶴を襲う。
全身を襲う強打は千鶴の意識を刈り取った。
「千鶴義兄さんッ!!!」
「巨大化は負けフラグ。ならぁ、人型に落とし込むことでそのフラグをへし折って、最強パワーアァップッ!!!!さあ、行けッ!ザ・ネフィリムッ!」
再び千鶴を襲う拳の嵐。
既に、千鶴の身体はボロボロであり、最初こそ対応出来ていたラッシュにもう防御のひとつも取れなかった。
「行けぇ!ザ・ネフィリム!刻むんだぁ!ネフィリムのビートッ!!!」
「ネフィネフィネフィネフィネフィッ!!!」
強烈なアッパーが千鶴の顎を打った。
宙を舞い、地面へと堕ちる千鶴。
彼の意識は、もう……。
「そんな……ごめんなさい千鶴義兄さん……私がこんなことに無理矢理参加させたせいで……。これじゃあマリア姉さんまで悲しませちゃう……ごめんなさい……ごめんなさい……」
虚空へと消えるセレナの慟哭。
だが、その悲しみは……彼の耳に届いていた。
「おいセレナ……セレナァ!!!」
もはや、意識があるだけでも奇跡。
しかしそれでもこの男は……。
「……千鶴義兄さん?」
「今、マリアが悲しむとか言ったか!!!お前はマリアを悲しませるのか!?お前は願いを諦めるのか!?」
「私、は……」
俯くセレナ。
しかし、すぐにセレナは前を向いた。
「嫌です!マリア姉さんを悲しませたくありません!願いも諦めたくありません!」
声を張った。
涙声でも、それでも……。
「……俺も、マリアを悲しませたくはないし、お前の願いを叶えてやりたい。正直、難しいかもしれないが…」
ボロボロの身体を引き摺りながら、千鶴は立ち上がる。
最初は覚束ない足だが、少しずつ力強い足取りとなり……。
「馬鹿な……!?立ち上がるだとぉ!?ザ・ネフィリムに全身を殴られてるんだぞぉ!!!」
「……人間は時に限界を越える力を発揮することが出来る。それは……愛があるからだッ!!!」
「な、何故そこで愛ッ!?ハッ!?」
「さて、ツケを払ってもらうぞ……」
千鶴が取り出したのは短刀でもなく、メスでもなく、サバイバルナイフでもなく、ナイフでもなく……。
白鞘────。
長ドスと呼ばれるそれは、千鶴のもっとも得意とする武器。
「武器を変えたところでぇ!!やれ!ザ・ネフィリムッ!!!!」
「ネフィィィィ!!!!!」
ネフィリムの拳が千鶴に迫る。
しかし、そこには既に千鶴は存在しなかった。
「遅いぞ、どこを見ている」
「ネフィッ!?ネフィィィィ!!!」
ザ・ネフィリムの背後を取っていた千鶴。
声のした方に拳を放つザ・ネフィリム。
しかし、再び空振り。
既に、ザ・ネフィリムの捉えることが出来るスピードを千鶴は越えていた。
「それでは、こちらから行くぞ」
どこからか、声が響く。
そして、ザ・ネフィリムの捉えられない超スピードで千鶴の拳、蹴撃、斬撃が放たれる。
「おぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」
そして、トドメの居合。
その刃が抜かれたことも、鞘に納められたことも認識されなかった。
突然、ザ・ネフィリムが頭部から縦に入った亀裂により壊れていく様のみが、この場にいた者に与えられる。
「そんな……馬鹿な!この僕が死んでもこっそり続けていたネフィリムの研究成果が……!」
「……」
ドクターウェルの泣き叫ぶ声が響く。
しかし、すぐに気にならなくなった。
ああ、自分は帰るのだと千鶴は悟った。
「千鶴義兄さん!」
「セレナ……上手くやれよ?」
「……はい!」
朝、眩しさに目を覚ました。
朝日が部屋に差し込んだのだろうか?
まだ少し眠い頭と身体を起こして、いま何時か確認しようとして……。
「マリア姉さん」
「えっ……」
そこに、セレナがいた。
あの頃と変わらない姿のセレナが……。
「セレナ……セレナ!」
手を伸ばした時には、もうそこにセレナはいなかった。
「……なんだ、朝から大声出して」
眠そうに目を擦りながら千鶴が目を覚ました。
「千鶴!いま、そこにセレナが!」
「セレナ?……夢でも見てたんじゃないのか?」
「本当にいたんだって!」
「そうか……。じゃあ、本当にいたんじゃないか?なんせ今日は……セレナの誕生日だからな」
そう言って、千鶴はセレナがいた方に微笑んだ。
穏やかな微笑みだった。
……千鶴がそういうなら、そうなのかもしれない。
それはきっと、誕生日の奇跡。
幻だとしても、私はセレナに会えた。
本当は誕生日を祝う側なのに、私の方が嬉しくなってしまったのだ。