「見て、雪よ」
窓の外の景色を見ていたマリアがそう呟いた。
見れば、静かに雪が降り始めている。
天気予報では降るとは言っていなかったが、今日はここ最近で一番の冷え込みだったし降ってもおかしくはないか。
タイヤ交換、しといてよかった。
「ねえ、少し歩きに行かない?」
「雪降ってるのにか?外は寒いぞ」
「それくらい平気よ」
よいしょと立ち上がったマリアは上着を取ってくると言って寝室へ。
どうやら、本気らしい。
まあ、本人が望むなら付き合ってやろう。
当然だが、外は寒い。
おかげで人通りも少なくて静かである。
近くの公園の整備された道を楽しそうに歩くマリアの背中を見ながら、初雪という特別に思いを馳せた。
「ねえ、覚えてる?シェム・ハとの戦いが終わってすぐの雪が降った日」
足を止めたマリアがそう言ったので記憶を遡ると、恐らくマリアの言っている日と同じであろう雪の日の記憶があった。
「ああ。雪うさぎの時だろう?」
「ええ、そうよ。雪うさぎを作って……私が、千鶴に恋した日」
「え……」
それは、初耳だった。
そういえば、マリア自身からは何時、どのタイミングで好意を抱いたのかという話は聞いたことがなかった。
聞くものでもないかと思って自分から聞くことはしなかったが……。
「まあ、恋した日といってもいろんなことが積み重なって、その日からちゃんと意識するようになったというか、その日だけが全てではないんだけれどね」
そう前置きしたマリアが白い息を溢しながら語り始めた。
今回は、聞き役に徹して自分自身の記憶と照らし合わせよう────。
シェム・ハとの戦いが終わり、世界は復興へと進み始めた。
あの戦いで人類は繋がることが出来たのだ、復興は困難かもしれないが皆が頑張れば大丈夫。
きっと前より良くなる。
そしてそのために私が、ううん。私と翼が選んだのは歌で勇気を伝えることだった。
頑張っている世界中の人達に勇気を届けたい。
その思いを皆に伝えて、行動に移し始めて、日本を発つその前に。
ある一人の男にもちゃんと話をしておきたかった。
六堂千鶴。
S.O.N.G. に編入した私の直属の上司となった男。
そして、少しばかり他の異性よりかは親しい。
そう思っていた人物。
彼とちゃんと話をしておきたかったと言ったが少々、この時はあることが理由で話し難かった。
それは、風鳴本家へ強制捜査に入る前のこと……。
この時、仲間である翼の殺害も考慮に入れることを伝えられたが私は反発し、翼を連れ戻す気でいた。
彼女のマネージャーである緒川さんも任務だからとその事を承服しているようだったが
そして、この作戦には千鶴も参加していた。
荒事となれば駆り出されるのが六班。
この作戦に参加しない理由がなかった。
「千鶴はどう思うの!これまで仲間だった相手の殺害だなんてそんなこと……」
正直を言えば、あの場で私の意見の賛同者が欲しくて千鶴にも声をかけたのだ。
彼の人となりは半年近い付き合いで知り尽くしているつもりだった。
しかし……。
「私は、司令の意志に従う」
いつもの無愛想で、これ以上何も言わないといった顔で千鶴はそう言うと口をつぐんだ。
私は、ショックだった。
裏切られた気分だった。
そのせいで私は彼に対して、その……あまり思い出したくないがかなり酷いことを言ったと思う。
そのことが尾を引いて、千鶴に対して勝手に私は話をしにくいと思っていたのだ。
本当は千鶴だって、殺せと言われてなんとも思っていないわけがないのだ。
むしろ、助けることが出来るのなら助けたいと思うぐらいには優しい人。優し過ぎる人である。
しかし彼にも守らなくてはいけない仲間と部下がいる。
風鳴翼一人と自身が背負う仲間達を天秤にかけて千鶴はあんな風に言ったのだ。
そして、組織というものに尽くす彼はきっと殺せと命じられれば殺すのだろう。
相手と、自分自身の心を……。
六班の人に千鶴がいま何処にいるか訊ねて、探して歩き回ると彼は鎌倉の風鳴本邸にて証拠物品の押収等に出ていると聞いたので車を走らせ鎌倉へと向かった。
寒さに震えながら雪が薄く積もった石造りの階段を昇り、本邸に入ればそこかしこに戦いの傷が見受けられた。
こんなところにこれ以上証拠らしい証拠なんてあるのか?と思わずにはいられない。
作業は既に終了していたようで、エージェント達が段ボール箱を抱えて風鳴邸を出ていくのにすれ違った。
彼等から千鶴の居場所を訊ねるとまだ少し残ると言っていたとのことで邸内を探して歩き回ると、石組の庭の中に千鶴を見つけた。
それと同時に雪が降り始めてきて、雪の中にいる彼はその名にある通り、鶴のように美しい佇まいで降り続ける雪を眺めていた。
声をかけるのも憚られるほどに美しいと思ったが、もう、今しかないと意を決して声をかける。
「千鶴」
「……マリアか。何故ここにいる」
顔色ひとつ変えないで、私に気付いていたんじゃないかと思うほどに千鶴は私の登場に驚きもしなかった。
「少し、話したいことがあって……」
そう答えたのだが、いやに本題を話すのが辛くなっていた。
だから、雑談から入ることにした。
「千鶴は、雪が好き?」
訊ねると千鶴は、「ああ」とだけ返して再び沈黙。
彼は自分から積極的に口は開かない。
しかし、この日の千鶴は少しお喋りだった。
「雪は不思議だ。ただ白く、色もついていないのに、いやに美しい……」
「そうね……。やっぱり、空から降ってくるからじゃないかしら。ゆっくり、静かに……」
「そうだな……」
「雪と言えば雪合戦したり雪だるま作ったりとか、色々楽しいわよね」
そう言うと千鶴は私に顔を向けてまじまじと見つめてなんて言ったと思う?
そこまでは覚えてないですって?
もう。
あれ言われた時、わりとショックだったんだから……。
え?話を戻せ?
じゃあ戻すけど、千鶴はこう言ったのよ。
「……随分と、子供っぽいことを言うんだな」
「わ、悪かったわね!子供っぽくて!」
「すまない。気分を害したなら謝ろう」
そうは言われてもあんまり感情が込もってなかったから謝罪された気はしなかったのだけれど。
「……この雪では、雪だるまは作れんな」
その言葉は、本物だった。
残念がる気持ちが分かったのだ。
千鶴も雪だるまが作りたかったようだ。
「……あ、そういえばこの間、翼から教えてもらったのよね。雪うさぎ。あれなら作れるわ」
「雪うさぎ?なんだそれは」
「知らないの?雪で作ったうさぎよ」
「……すまない。そういったものには少し疎いものでな」
「そうなの?じゃあ、私が作ってあげるわ」
手袋はないけど少しぐらいなら平気でしょう。
ということで早速、雪を集めて形を作って……。
「あ、おい。別に私は……」
「いいからいいから!」
お誂えむきにナンテンが植えられていたのでそこから赤い実を二つと葉を二枚いただいて目と耳にして……。
「はい。これが雪うさぎ」
両手の中にすっぽりと納まったこれはだいぶ可愛く出来たと思う。
もし、私が小さい時にこれを知っていたらセレナとたくさん作っていただろう。
「……」
雪うさぎを見つめたまま、千鶴は無言だった。
どうやら、お気に召したらしい。
「この子、千鶴にあげるわ」
「いいのか?」
「ええ。気に入ったんでしょう?」
そう笑顔で、すこし千鶴をからかう意味も含んでの笑顔だった。
だけど、すぐに私の顔が変わったのだ。
千鶴の両手が、私の両手を包むようにしてきたからだ。
本人としては雪うさぎを受け取るつもりの手だったのだろうが、私にはまったく違う意味に思えて仕方なかった。
「えっ……」
「当然だが、冷たくなっているな」
確かに、手は冷たくなっていた。
だけど、それ以上に顔が熱くて気にならなかった。
「どうした?頬が赤くなっているが……霜焼けか?早く暖かくして……」
「ち、違うわよ!」
私は思わず、千鶴に背を向けた。
気恥ずかしさが勝って、どうしようもなかった。
真っ直ぐ、千鶴を見ることが出来なかった。
だけど……。
優しく、後ろから千鶴は私の手を暖めるように触れたのだ。
彼の身体にすっぽりと納まるような感じになって、背中からも千鶴の熱を感じて……。
「ち、千鶴……」
「……行くんだろう?」
そう、耳元で囁かれて私はハッとした。
すっかり雪うさぎとこの状況のせいで忘れていた本題のことを千鶴は既に知っていたのだ。
「話は、風の噂だが聞いた」
「ええ……。私、歌で世界中の人に勇気を伝えたいの。だから……」
だから、何だと言うのだろう。
彼には私が何処へ行こうと関係ないはずなのに。
なのに……。
「お前の歌なら、大丈夫だ。きっと、いや、絶対に届くさ。だから、気にせず行ってこい」
ポンと、背中を軽く押された。
軽くだけれど、それは確かな一歩で。
だけど、何処か切なくて……。
「ええ。私、やるわ。私の歌を世界に響かせる」
だから……。
少しだけ、待っていて。
その言葉は胸にしまって、私は日本を発ったのだ。
「なーんて、そんな感じ」
そう言って、照れ隠しの笑みを浮かべるマリア。
座ったベンチには二匹の雪うさぎが寄り添い、風に耳を震わせていた。
「あの時、か……。思えば、昨日のことのような気もしてくる。時が過ぎるのは早いな」
「そうね……。今じゃこうして、夫婦だもの。早いだけじゃなくて、色々なことがあったものよね」
マリアは懐かしむ顔をするが、この六年でも色々あったというものだ。
それはさておき……。
「まあ、夫婦にもなったわけだがな、マリア」
そう言いながら立ち上がり、雪を掴んだ。
このぐらいの量が丁度いいかな。
マリアは?といった顔を浮かべているが、すぐに分かるから少しだけ待ってくれ。
近くのナンテンの実と葉をいただいて、出来上がりと。
これを二匹の雪うさぎの上に乗っけてと……。
「これからは父親、母親になるわけだ。まったく……二年前の俺に言っていたら絶対に信じなかっただろうが、今はこうして、とても嬉しく思う」
マリアの大きくなったお腹をさすると、お腹の子が蹴って反応した。
元気に育っているようだ。
「……アリア」
「え?」
「この子の名前だ」
かなり頭を抱えて、考えた名前。
マリアの意見だとか義妹だとか妹……のは少し古風が過ぎたので却下したのだった。
「アリア……。アリアって独唱曲って意味よ?」
「まあ、な。けれど、元の意味じゃ単に歌とも言うしなにより……」
「なにより?」
「マリアと音が一緒だ」
そう言うと、クスクスとマリアは笑いだした。
失礼な。
真面目に考えたのに。
「ほ、本当にそれが理由なの……?ふふ……」
「別にいいだろう……」
アリアには『歌』という意味がある。
きっと、この子に何があったとしてもマリアと同じように『胸の歌』が守ってくれるだろう。
まあ……。
「何もないように、頑張らないとな……」
「何を頑張るの?」
意味が分からないといった風に疑問が顔に出るマリア。
……可愛い。
「風が強くなってきたな。そろそろ帰るぞ」
「ちょっ!私の質問に答えなさいよ!」
帰りは逆にマリアに背を見せ歩き出す。
少しずつ歩く速さを落として、隣にマリアが来て……。
手を握り、家へと帰った。
寒いが、まあ……この手の温もりがあれば、大丈夫だろう。