今月が終わったら面倒ごとがほとんど終わる筈なので、ご容赦ください。
鞠が転がった先、視界に子供の足。
見上げると、いつも遊ぶ少女の顔。
笑顔で駆け寄り、鞠を突こうと笑いあう二人。
夢に見た景色まであと少し。
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さて、どうやって目の前の二面四手の怪物を止めようかと思案しているところ。
木乃香を取り返すにしろエヴァンジェリンが一撃でリョウメンスクナを斃すにしろとりあえず動きを止めねば話にならない。
とりあえず手札の確認だ、と千雨の目が茶々丸に向くと、エヴァンジェリンも同様だったようだ。
「茶々丸、さっきの結界弾はもうないんだったな?」
「はい、マスター。格が落ちる銃弾が一発。止められて5秒です。それも準備が必要かと」
「‥ふむ。よし、止めてこい千雨」
「おい。茶々丸には戦力確認してんのに何も確かめてないわたしに行けってのはなんだよ」
「やれるだろう、やれ」
「大した信頼だな‥」
体躯が20メートル近い怪物、両面宿儺。
その肩には宿儺や式神を操る陰陽師、天ヶ崎千草。
直ぐ近くに木乃香が囚われている。
こちらは千雨、エヴァンジェリンが主な戦力。
空を飛べる刹那と茶々丸。
ネギは左腕石化、現在進行中の上ほぼ魔力切れ。
明日菜は健在未だ無傷だが、ネギからの魔力供給が既に切れかけている。
「桜咲、飛べるな?」
「問題ありません、身体に鞭打ってでも!!」
「‥よし。神楽坂、お前ネギと魔力を練るエヴァンジェリンを守れ」
「守れって‥!私も行くわよ!?」
「どうやってあのデカブツ止めるんだよてめーは。足切っても何にもなんねーぞ、それともアイツの身体でもよじ登ってくか?守りに入ったら基本お前を傷つけられる奴いないから」
「でも!」
「心配すんな」
負けねーよ、とリョウメンスクナノカミを睨む。
対する千草は、恐らく相当の実力者だったであろうフェイトを吹き飛ばしてしまった助っ人2人に注意を払っていた。
1人は眼鏡をかけ、栗色の髪を後ろに一括りしている。
恐らく、月詠とフェイトが目につけていた少女。
しかも今夜は月詠が戦いを挑んだはずだったのだ。
‥まさか、あの天才剣士が負けた?
もう1人はサウザンドマスターの息子と同い年くらいにしか見えない少女だが、こちらもフェイトを一突きで吹き飛ばしてしまった。
この落ち着いた姿、寧ろ眼鏡の女よりも侮れない。
だが、両面宿儺の力を以ってすれば、助っ人2人の相手も事足りる。
ここまで来て、ここまで上手くいって。
「道が途絶えるなんてあってはならんのや!!!」
千草の大喝に両面宿儺が応えるように口を開ける。
両面宿儺の前顔の口元が光り始め、魔力が収束されていく。
「あ、あれは!?」
「神楽坂、ハリセン構えて前に出ろ!!」
「うん!!」
ネギを引っ張って庇う千雨。
他の皆は言われるまでもなくすぐに千雨と明日菜の後ろに避難する。
明日菜はハマノツルギを両手で盾のように構えた。
まるで本来の使い方を知っているかのように。
両面宿儺の口から放たれたのはただの魔力が集められて口から出されただけのものだった。
ビームと言えばビームだが、魔法ですらない。
それでも、一般的な魔法障壁や“気”の防御なら、貫くどころか簡単に防御ごと押しつぶすだろう。
だが、それも明日菜の前には意味などない。
明日菜のハリセンに、正確に言えば明日菜に当たったビームはすぐさまバターが溶けるように消えていく。
無論後ろのネギたちも無傷だ。
「な、なにあれ!?て言うかこのハリセンすごくない!?」
「‥いや、すげーのお前だから。普通ビビるぞ」
「あれはただの魔力の塊だ。近衞木乃香の魔力で蘇っただけはあるがな」
「あんなのに暴れられたら‥。やっぱり早々に止めねえとダメだな。‥茶々丸、桜咲。10秒だけ囮を頼む」
「ええっ!?ちょっと千雨ちゃん何言って‥!」
「了解しました」
「私が先に出ます。茶々丸さん、先程と同様に結界弾をお願いできますか?」
「はい。お気をつけて」
「待ってください、僕も何か‥」
「‥そんな状態で出て来んじゃねーと言ってやりてえが、言っても聞かねえなお前は。じゃあ目眩し頼む。桜咲の援護だ」
「は、はい!」
よし、と千雨は龍樹の芽鱗杖を取り出す。
リョウメンスクナノカミの背丈は目算20m強。
なんとか杖の魔力も
「じゃ、行ってくるから頼むぞ桜咲」
「へ?」
「ど、どこに?」
「下」
下と指差されても、下には湖しかない。
と皆が疑問を頭に浮かべてると、なんと千雨は服を着たまま湖に飛び込んでしまう。
龍樹の芽鱗杖は大地に刺さなければ使えない。
普通に使うこともできなくはないが、それだと本来の使い方はできないのだ。
精々先刻月詠との戦いで出した腕一本か植物を操るくらいだろう。
すぐさま湖底に辿り着く千雨。
(‥龍樹)
思い浮かべるのは友達だとか抜かし始めたラカンの顔と悠然と在る龍樹の姿。
あれだ。
相手は鬼神。
神格を持つ怪物を、神格を以って止める。
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千雨が湖に自ら飛び込んだが、驚く間はないと直ぐに飛び立つ刹那。
茶々丸もネギたちから離れてアンチマテリアルライフルを構える。
ネギも右腕に持った杖を気丈に構えた。
「ラス・テル マ・スキル マギステル!魔法の射手・連弾・光の13矢!!」
「ふん、手伝ってやろう」
ネギは詠唱呪文で、エヴァンジェリンは無詠唱呪文で
ネギの光の矢は前面の顔に、エヴァンジェリンの氷の矢は後面の顔にそれぞれ放たれ、両面宿儺の視界を塞ぐ。
「お嬢様!」
「小癪な真似を!スクナ、腕!!」
チャンスと見て刹那は両面宿儺の肩の木乃香の元へ飛び込もうとするが、千草の声に反応したスクナが腕を畳んで木乃香への道を塞いでしまう。
目が見えずとも防御はできる。
それがどうしたと腕を飛び越えようとするが、さらに後ろ右腕と後ろ左腕が轟音を鳴らしながら刹那目掛けて迫ってくる。
闇雲に振っているのだろう、狙いが正確ではない。
何とか上昇して躱すが、これでは近づけない。
刹那の飛行方法は烏族特有の翼で大気を蹴るように滞空・飛行すること。
その場の大気に大質量がぶつかれば、当然刹那は飛行しにくくなる。
だが。
刹那の目的は確かに木乃香を救い出すことだが、まだ早い。
今はまだ刹那はただの囮である。
口元に笑みを浮かべ、挑発するように両面宿儺と千草の気を引く。
「何を笑ろうとるん‥‥!!?」
「マスター、結界弾セットアップ」
「やれ」
「了解」
二度目の結界が両面宿儺を中心とした半径30mの球状に張り巡らされ、すぐに両面宿儺は動けなくなる。
同時に、水面から大きな気泡が一つ浮かんだ。
先程千雨が潜った地点の水面である。
両面宿儺の出方を窺う刹那だが、スクナの腕の動きは先程よりも速く、結界の軋む音もより大きい。
やはり両面宿儺は先程よりも覚醒しているのだろう、明らかに出力や動きが違う。
時間が経てば経つほど自分たちは不利になる。
「急がなければ‥!!」
両面宿儺を見上げていたカモたちも、その危機を察知していた。
「おい、アレ‥もう結界が破られちまうぞ!?」
「そんな‥千雨ちゃん!まだなの!?」
「いえ、ご覧ください」
茶々丸の指摘に水面を見ると、次々と水泡が浮かび上がっているところだった。
一体千雨は何をしているのか。
両面宿儺が結界を破ったのと、水面から何かが出てきたのは同時だった。
結界を破った両面宿儺が目にしたのは、龍。
自分の目線よりも高く浮かび上がり、大量の水を滴らせる木龍とも呼べる者。
古龍龍樹。
エインシャントドラゴンと呼ばれる、帝国の守り神。
「‥誰だ、そんなものをあの者に手渡した愚か者は‥」
「あ、あれ‥‥なに‥?」
ふるふると震えた指を古龍に向け、疑問をエヴァンジェリンに投げかける明日菜。
目の前に突如現れたドラゴンについて、知ってそうなのがエヴァンジェリンしかいないためだ。
ネギやカモなどは驚きのあまり口も聞けず、特にカモは野性を持つ小動物の全力で逃げろと叫ぶ本能と、ネギに仕える使い魔としてのプライド
がせめぎ合ってショートしてしまっている。
そんなネギたちを見て、口をゆっくり開くエヴァンジェリン。
「‥あれは龍樹。竜の中でも神格を持つ古龍だ」
「し、しんかく?」
「神だ。平たく言うとな」
「へ」
「実物よりもだいぶ小さいが‥恐らく擬似顕現させる術はあの杖だな。本物とはいかずとも神格すら再現しているとなると‥‥今の奴は無敵ともいえる」
神格を持つ神は殺せない。
どうやら本体の千雨の身体は龍樹の頭部内部にある様だ。
自らの肉体を龍樹の樹木で纏っているという解釈が正しいのだろう。
その可否はともかく、神格を持つ龍樹の身体を破られなければ千雨は確かに無敵である。
だが、とリョウメンスクナノカミを見る。
恐らく鬼神。
両面宿儺もまた神。
しかも覚醒しかけている。
魔法障壁ではないだろうが、障壁の様なものまで自然と張り始めた。
障壁の強度にもよるが、今の両面宿儺の肉体を崩すには骨が折れるだろう。
「千雨め‥一体どうする気だ?」
その肩に乗っていた千草は、龍樹を虚仮威しだとは笑えなかった。
異様な威圧感は両面宿儺に勝るとも劣らない。
場の緊迫感はまさしく鬼神と巨龍がつくりしもの。
自分など脇役に過ぎないのではないか、と弱音が溢れかけるが、今の両面宿儺を操っているのは自分なのだと持ち直す。
そんな千草に目も向けず、千雨は龍樹を保つので精一杯だった。
自分の魔力を使っておらず、杖に蓄えられた魔力で操っている為普通に魔法を使うよりも余程難しい。
浮き上がった龍樹の中で、樹木の魔力が急速に減衰して行っているのを感じる。
時間がない。
戦い始めても持って30秒。
『‥簡単な話だな』
樹木の翼を広げ、巨体の後ろに更に巨大な魔法陣を顕現させる。
千草の命令を受けずとも両面宿儺も両手を広げた。
迎え撃たなければならない敵だ、と感じ取っているのだろう。
『30秒でノしてやる!!』
『オオオオオオオオオオオオオオオオ!!!』
初めて両面宿儺が咆える。
咆哮に気圧されることはなく攻勢に出る龍樹。
龍樹の後ろから圧倒的な量の樹木や花びらが嵐となって両面宿儺に飛び向かう。
無詠唱・春の嵐。
奴は無詠唱呪文は使えなかったはずだ、と千雨の始動キーが初心者共通のキーだったことを思い出すエヴァンジェリン。
本人だけの始動キーは、魔法への魔力の込め方をスムーズに出来る、
アレだけ戦える千雨が何故始動キーを設定していないのか疑問だが、魔法戦闘に於いては致命的なミスと断言できる。
‥が、それは普通の魔法戦闘者の話だ。
気弾を飛び道具として使える千雨は、無詠唱呪文を使えなくても大して不利にならなかったのだろう。
「無詠唱呪文は龍樹に変身したことで使えるようになったというわけか。春の嵐はそもそも妖精や自然に生きる魔法生物の魔法。それに加えてエンシェントスペルクラスの威力。計り知れんな、あの魔法具」
だが、障壁でいとも簡単に防ぐ両面宿儺。
見かけ倒しという訳なはずがなく、強力な障壁だ。
しかも障壁を張ったまま前の両腕を振りかぶり、そのまま真空波を巻き起こして龍樹に振るった。
真空波と春の嵐のぶつかり合いがまた衝撃波を生み出して暴風となって吹き荒れる。
桟橋に待機していたネギたちも、例外なく嵐の影響下にいた。
「こ、こんなのどうしろってのよーー!!?」
「馬鹿者、貴様はぼーやが吹き飛ばんように押さえているだけで良い。間違っても手を出そうとするなよ、魔法が効かずともどうなるかわからんぞ」
「ぼ、ぼくよりも木乃香さんのことを!」
「いや、大丈夫だ兄貴!不幸中の幸いというか、このか姉さんとあの呪符師は一切影響を受けてねえ!‥‥あ!?」
龍樹の目がカッと光ると、両面宿儺の周囲の水面から巨大な四本の樹木が飛び出す。
そのまま両面宿儺の胴体に絡みつき、勢いそのままに両面宿儺の四つ腕を縛り付けていく。
障壁の内側、両面宿儺の足元の湖底から樹木を伸ばしたようだ。
「何やこれは!!?あのドラゴン、魔法以外でも樹木操れるんかいな!?お札さん‥!」
「させん!!」
巨大怪獣二匹から大きく離れた上空に待機していた刹那が、千草の反撃に割って入る。
翼をたたんで急降下を始め、そのまま腕を縛られた両面宿儺の胸元へと飛び込む。
「またお前か!!邪魔ばかりしおって小娘!!」
「邪魔は貴様だ!!私と‥お嬢様の!!」
『良いじゃねえか嫌われても。好きになってもらえる努力をしろよ。お前が何を遠慮してんだか恐れてんだか知らねえけどな、嫌われても危険な目に合わせても、それを全部お前が何とかしてやりゃいい話だろうが。それを今日この場で、お前が証明してやれよ』
私は桜咲刹那。
近衞木乃香様の護衛剣士。
そして、このちゃんの友達。
千草と刹那の間に猿鬼と熊鬼の式神が現れ、刹那に向かってもこもこの腕を振り被る。
邪魔をするな。
式神にも、呪術師にも、鬼神にも。
私は、お嬢様を護ると誓ったのだ。
そして、お嬢様と。
「私たちの今までの歩みを!手と手を取り合えるその時を!!邪魔するなぁぁぁ!!!」
刹那の握る刀、夕凪に電光が走る。
神鳴流奥義。
「雷鳴剣!!!」
両面宿儺に目掛けて雷が落ちた。
明日菜もネギもカモも刹那の身を案ずる声が出るが、エヴァンジェリンと千雨は違う。
雷煙が晴れ、雷に打たれて痙攣しながら立ち尽くす千草が見えた。
刹那の姿はない。
「どうやら上手くやったようだな」
「え!?」
エヴァンジェリンの視線の先を辿ると、大樹に縛られて動けなくなった両面宿儺のその向こうに、白翼をたなびかせて飛ぶ刹那と、刹那に抱えられた————木乃香。
「お嬢様、お嬢様!」
「‥・せ、せっちゃん?」
「‥お嬢様!!よかった‥!」
「うおおおおお!!?刹那の姉さん、やったのか!?」
「やったー刹那さん!!」
「茶々丸!」
「はい」
いつの間にかアンチマテリアルライフルを格納し終わった茶々丸が、いつぞやの時みたくネギと明日菜を抱え、カモをむんずと掴み上げる。
「え?」
「あ、あの‥茶々丸さん?」
「おれっちいつもこんな扱い!!?」
「避難します」
「避難って‥‥え、エヴァンジェリンさん、どうする気ですか!?」
「トドメを刺すだけだ、邪魔だからどいておけ」
「と、トドメって‥。まだアイツは‥‥え!!?」
「ん?」
龍樹との真空波と魔法の撃ち合いをやめた両面宿儺が、口から炎を吹き出し、大樹全体を燃やし始めていた。
大樹全体がバキバキと音を立てて崩れていく。
「ちょっ!!あの化け物動いちゃうんじゃないの!?」
「まあそうかもしれんな」
「あれでトドメって言えるの!?」
「言える。奴がどうにかする気なんだ、やらせておけば良い」
「へ?」
奴と言ったら1人しかいない。
龍樹を見ると、いつの間にか龍樹がゆっくり両面宿儺に向かって動き始めていた。
龍樹の全身からざわざわと樹木や蔦が伸び始め、ゆっくりと両面宿儺に巻きついていく。
それを見て呪文詠唱に入るエヴァンジェリン。
恐らく両面宿儺に妙なことをさせないように龍樹自体を使って抑え込む気だろう。
「‥フ。ようやく出番か、待ちくたびれたぞ‥!」
「ちょっとエヴァちゃん、その顔で悪い顔するのやめてよ‥」
『オオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
『オオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
両面宿儺の前と後ろの顔が両方とも叫ぶ。
自らの危機を察知したのか、膨れ上がるエヴァンジェリンの魔力に呼応したのか。
巻きつく樹木や草木を燃やしても燃やしてもキリがないと、まだ樹木が巻きつかれていない腕を振りかぶり、龍樹の胴体に打ち込む。
龍樹の身体を突き破り、心なしか両面宿儺がニヤリと笑ったように見えた。
「ち‥」
「千雨さん!!!」
明日菜の顔が青ざめ、ネギの悲鳴のような声が上がる。
龍樹の身体はそのままずるずると、両面宿儺に寄り掛かるように力無くずり落ちていく。
だが、エヴァンジェリンは詠唱をやめない。
寧ろ、こちらもニヤリと笑っていた。
「‥ふん、奴め。義理の親子どころか‥瓜二つだ」
人の身の丈数十倍もあるような剣を振りかぶるその様は。
龍樹の頭、その上空。
千雨は既にもぬけの殻と化した龍樹の上で、超巨大な剣を構えていた。
剣の丈は龍樹の背丈すら越えている。
そんな剣を振りかぶった千雨は、エヴァンジェリン戦の時同様、“気”による身体強化までしていた。
「
「な、何でいあの剣!!!デカ過ぎるぜぃ!!あんなの振れんのか!!?」
「緊急離脱します」
「お嬢様、掴まっていて下さい!!」
「せ、せっちゃん?」
ネギたちと木乃香をそれぞれ抱えた茶々丸と刹那が、急いで湖の外に出る。
2人とも千雨が何を起こすか察したのだ。
「斬艦剣!!!」
千雨の両腕に持たれた巨剣が、まるで普通に剣を振り下ろすかのように半月を描く。
刃というより石柱のような剣だが、それでも鬼神兵用の剣は障壁どころか、両面宿儺の胴体を龍樹の身体もろとも深々と突き破った。
両面宿儺を通り抜けた刃はそのまま湖底に突き刺さり、突き刺さった地点から大波が円状に水面を荒らす。
未だ雷に打たれた衝撃から動けなかった千草の目には、まるで天が落ちてきたように映っていた。
巨木に縛られ、巨剣によって湖底に縫い付けられた両面宿儺。
——もう、動きようがない。
「エヴァンジェリーーーン!!!」
「上出来だ」
剣を手放した千雨が姿を消したと同時に、龍樹と両面宿儺の身体周辺の空間が丸ごと氷で覆われる。
燃え盛る大樹もその炎がそのまま一瞬で鎮火され、その氷の魔法の威力を物語っていた。
緑と水面が揺れていた光景が一面銀世界へと変貌し、それをしでかした魔力の元を信じられないようなものを見る目で捉える千雨。
4月の停電時よりも更に魔力が大きい。
千草を肩に抱えた千雨が荒れ狂う水面に降り立ち、氷の造形物と化した2体の怪物を眺めた。
よくあんな化け物にネギも自分も挑んだな、と若干後悔している。
今のエヴァンジェリンはラカン式戦闘能力測定で10000は余裕である。
ちなみにラカンは12000らしい。
ラカンとエヴァンジェリンがどちらが強いかなど千雨が考えるまでもない。
見当もつかないのだ。
昼間の少年は2500くらい、妖刀を持った月詠も同じくらいだろう。
さらに言うと、昼間の“気”で造られた千雨の分身は1500といったところだ。
「ったく、吸血鬼は反則くせー‥いや、数百年も生きてるババアだからか」
「貴様も氷の彫刻になりたいか?」
「うげっ」
いつの間にか背後の影からエヴァンジェリンの上半身が伸びていた。
音も気配もなく、完璧に闇に溶け込んだ実寸大の人形姫。
千雨の五感をもってしても気が付くのが一瞬遅れる。
なんて心臓に悪い奴だ、と恨めしい目。
「おい、あの両面宿儺とかいうのはもうやったんだろうな」
「ああ、さすがに神だろうからな‥殺せはしないが、動けもしまい。あとで関西呪術協会の連中にでも封印させておけばいい。‥それで、そいつか?今回の首謀者は」
「そうっぽいな。気絶してるし、このまま詠春さんに渡すよ」
「サムライマスターともあろう男が、不意打ち程度でやられおって‥‥」
「それだけ今回の敵が巧妙な手を使えたんだろ。‥あの白いガキだな、多分」
「彼奴なら既に逃げた‥だろうな。これにて一件落着というわけだ」
パチンとエヴァンジェリンが指を鳴らすと、氷の彫刻が二つ共砕け散った。
巨体2つが氷片に崩れ、湖だった氷の大地に降り注ぐ。
氷の湖に立つ物は何も無くなってしまった。
‥そう、何もかも。
具体的に述べれば千雨が呼び出した鬼神兵用の剣もない。
「てめ、エヴァンジェリン!わざわざ壊すんじゃねーよわたしの剣を!」
「どうせアーティファクトを使ったら直るんだろう、細かいことを気にするな小物め」
「そーかそーか、なら用事も済んだら帰れ万年引きこもり」
「ここまで来て15分でUターンなどしてたまるか!!私は意地でも京都観光していくぞ!!貴様も付き合え、助けてやったんだ!!」
「そういや、どうやって登校地獄‥」
「千雨ちゃん、エヴァちゃん!!!」
「おい、ちゃんとは何だ神楽坂貴様」
「どうした?」
ようやく終わった争いをまた始めようとしていた千雨とエヴァンジェリンの2人に、明日菜の鋭い呼びかけが入る。
それに反応して勢いそのまま明日菜に突っかかりそうだったエヴァンジェリンを抑え込み、湖岸から大声を出した明日菜の方を向く千雨。
随分明日菜の顔が青い。
何かあったっけ、と首を傾げるが、すぐに思い出してエヴァンジェリンの首根っこを掴む。
「お、おい!貴様の馬鹿力で掴むなぁ!!」
「おいエヴァンジェリン!お前石化解除の魔法使えないのか!?」
「なに!?」
「ネギだ!アイツ、左腕が石化して‥まだ進行してるんだよ!」
エヴァンジェリンも顔色を変える。
エヴァンジェリンを抱えたまま湖岸に向かって跳ぶ千雨。
すぐに明日菜と合流し、明日菜と共に横たわったネギと、ネギの周りで集まる少女たちのところへ向かう。
よく見ると楓や夕映、古菲に龍宮といった今回力を貸してくれたクラスメイトが全員揃い、刹那と目を覚ました木乃香も降りてきていた。
だが、何故か千雨の見覚えのない半獣人の少年もいる。
昼間にネギが戦ったという少年だろうか。
「どういう状態だ?茶々丸」
「はい。‥危険な状態です。ネギ先生の魔法抵抗力が高すぎるため石化の進行速度が非常に遅いのです。このままでは本来の石化による仮死状態にすぐに移行せず、体の一部の機能のみが停止してしまう状態が続きます」
「い、今どの辺だ!?」
「現在左腕部完全石化。‥心臓までおよそ5分程度かと」
「ど、どうにかならないのエヴァちゃん!!」
「‥エヴァンジェリン!」
「‥わ、私は夜の血族だぞ。不死身なんだ。それに大別すればアンデッドの一種だ、治癒の呪文など使えんし使う必要もない‥」
「わたしも‥使えるのは
他に希望がありそうな奴は、と楓、真名を見るが楓は沈痛な顔持ちで首を横に振り、真名も表情は変わらないが同様の仕草で千雨の希望を絶つ。
ここまで来て。
ネギが自ら魔法使いとしての任務を果たし、巻き込まれた戦いすらも明日菜たちと共に凌ぎ、収めようとした。
‥なのに。
魔法使いの、
「———お待ちください」
「‥桜咲?」
「まだ、手立てはあります」
「なに?」
「‥お嬢様」
「うん」
刹那に呼ばれ、今まで一歩下がっていた木乃香が皆の輪の中心、ネギのそばに歩み寄る。
昨日までの何も知らない、お嬢様の木乃香はもうそこにはいない。
ネギの惨状におびえながらも、ネギから目を逸らしてはいない。
遂に魔法の世界に東西の姫様が踏み込んだということだろう。
「みんな‥ウチ、せっちゃんに色々聞きました。‥‥ありがとう。今日はこんなにたくさんのクラスのみんなに助けてもらって‥ウチにはこれくらいしかできひんから‥」
「‥なんだ?」
「あんな‥アスナ‥ちさめちゃん。ウチ‥‥ネギ君にチューしてもええ?」
「え?」
「は?」
木乃香の突然の問いに慌てふためく明日菜となんで私に訊くんだとうろたえる千雨。
そんな明日菜の肩の上で木乃香の発言の真意を見抜いたのはカモだ。
シネマ村で木乃香が刹那の傷を治した治癒力。
木乃香の身体に眠る治癒力を、
「なるほどな‥確かに、それしかないか。でもなんで私にんなこと訊くんだよったく」
「やはりお主も明日菜殿と同様、ネギ坊主を大事にしているのがわかるからでござろう」
「‥どーかな」
「?」
楓の目が横に立った千雨を捉えるが、千雨の表情は今まで見たことがないものだった。
二年生の頃はあやかやハルナに絡まれていつも眉を顰めたような表情しか見なかったので、ネギが来てからその顔はようやく動かし始めたようなものだった。
だが、千雨の今の顔は、ネギの前でもしたことがない顔。
まるで、何かを悲しむかのような、憐れむような。
ネギと木乃香の
********************
ネギが木乃香のアーティファクト二振りの扇のうちの一つ、ハエノスエヒロによって石化が完全解除され、目を覚ました後。
ネギの無事を確かめた千雨は、真名・楓・刹那、茶々丸がいれば大丈夫だろうと先に関西呪術協会総本山に戻らせた。
ついでに木乃香のアーティファクトで総本山の人間たちの石化が治せないかと聞いてみたが、アーティファクトの制約が一日に一回、ハエノスエヒロの方は制限時間30分という二つの制約があったため、やはり明日の朝に到着するという応援部隊を待つしかないのだろう。
それはそうと湖に残った千雨、更にはエヴァンジェリン。
リョウメンスクナノカミが本当にもう無力化されたのかの確認と、千雨の用いた巨兵剣を千雨のアーティファクト、鍛造神の小瓶を使って復元させるためである。
「そういえば貴様のアーティファクトには制限はないのか?」
「あ?はじめのうちは火の中でしか使えないってのはあったな」
「何?」
「そのうち色々使ってみると、水に入れても使えるようになっててな」
「‥アーティファクトは本人の成長と共に強化されることがある。貴様の父、ジャック・ラカンも昔は武器一つのみしか出現させられなかったと聞く。今は複数どころかいくつも同時に出せるようだがな」
「はっ、あのバケモンと一緒にすんなよ。まあ、もうこのアーティファクトをもらって10年経ってるからな。流石にそのくらいは‥」
「なにぃ?」
そういえば、まだエヴァンジェリンにはナギと
仲間うちで千雨が教えたのはネギ、楓、古菲だけである。
ちなみにそのネギの口からカモへ、そして刹那へと伝わっている。
だが、エヴァンジェリンにそれを言うと凄まじい剣幕で捲し立てるエヴァンジェリンの顔が予想できるため、詳細は言わないでおこうと胸の内に留めた。
鍛造神の小瓶をカードから呼び出し、湖を覗き込む。
湖の底にはリョウメンスクナノカミや巨兵剣、その他の氷塊が至る所に沈んでいた。
それを確認してから湖に小瓶の液体を振りまくと、湖全体が沸騰し始めた。
「‥湖全体が沸き立っているな‥これは実際に熱を持っているんだろうが‥」
「お前の氷も解けるんじゃないかってか?」
「馬鹿を言うな、私の魔力で作られた氷葬が熱程度で解けると思うか?大体、貴様のアーティファクトの本領は熱などではあるまい」
「まあな。‥よし、出てきた」
千雨の元へ導かれるように、丸い石柱のような剣の柄が湖から浮かんでくる。
その大きさに合わせた魔法陣を出現させ、再び巨兵剣を収納させていく。
「それで?」
「何がだ?」
「何しに来たんだてめーは。リョウメンスクナノカミの様子を見に来たわけじゃねーだろ?お前が凍り付かせて砕いたんだ、本当にあの鬼神が動けるかどうかなんて見なくてもわかるはずだ」
「‥なに、お前と同じだ」
「‥なんだ。つーわけだ、出て来いよ白ガキ」
「気づいてたんだ、さすがだね」
「気づいてくださいと言わんばかりだったが?」
「もちろん、君たちにだけさ。‥いや、寧ろ君にかな」
「なんだと?」
湖から波紋すら起こさずゆっくりと白髪の少年が浮かびあがってきた。
しかもなんと千雨に用があるという。
まだ木乃香を狙ってやがるのか、と少年の相手をするために残ったのだが、その心配をする必要はないようだ。
「‥用だってんなら手短に頼むぜ。今夜の首謀者を返してほしいとかなら聞けねぇがな」
「天ヶ崎千草かい?彼女はリョウメンスクナノカミありきの存在だった。リョウメンスクナノカミが敗れた今、もう用はないよ」
「‥リョウメンスクナノカミ‥奴に何か特殊能力があったわけではあるまい。戦力として招くつもりだったのか」
「戦力?こいつ、こんなガキの癖にどこかの組織の人間なのか?」
「気が付いていなかったのか?おそらく奴はそもそも人間ではない。人形か、それとも‥」
「ああ!?」
ここまで自在に動くとなると千雨が見たことこのないほどの技術だ。
エヴァンジェリンのドールたちの様に意思を持っていないわけではなく、どちらかというと茶々丸よりか。
だが、科学と魔法の融合の存在の茶々丸とて人工関節が見えるし、未だに放熱の為に長い髪を縛らず下ろしていなければならない。
明らかに茶々丸よりも人間のように見える。
「‥こいつ、なにもんだ?」
「私はそれを確かめるために残ったのだ。‥気をつけろ、奴の狙いは貴様なんだ」
「あ?心配してくれてんのか」
「馬鹿言え、貴様に死なれてはナギへの手がかりが一つ減るからな」
「だろうな、可愛くないガキだ」
「貴様の40倍は生きているんだぞ!!」
「じゃあババアじゃねえかやっぱり」
「ぬあーー!!!」
「‥緊張感がないね」
「なんだ、もっとてめーにビビれってか?」
「君たちのような人間は、自分に自信がある人間だ。それも、君は移ったというのかい?君が追いかけ続ける人間たちから」
「‥? 何が言いたい」
「‥君は、
「!!」
千雨とエヴァンジェリンの目が変わった。
20年前、
教科書ですら載っている彼らの名前を、わざわざ聞いてきた。
知っているかと。
つまり、この少年は千雨が
もしくは既に確信しているのかもしれない。
「だったら?」
「長谷川千雨。君は‥ジャック・ラカンの関係者かい?」
「‥なんでそう思うんだ?」
「君が使った技は一度だけ見たことがある。ジャック・ラカンは大戦後、ほとんど隠居して、僕たちと戦ったことがあるのも一度だけのはずだ。どちらかというとその後の小競り合いはナギ・スプリングフィールド、アルビレオ・イマの両名とよく会った。それに加えて
少年の言葉に固まる千雨。
なんだ。
このガキは何を言っている?
小競り合いだと?
ナギたちと小競り合いを起こせる奴なのか。
いや、起こしてしまう奴らなのか。
「‥お前、
「ああ、それも知っているんだ」
「!!」
千雨の戦闘スイッチが即座に切り替わり、一気に"気"と魔力が同時に溢れ出る。
エヴァンジェリンが暴風の余波をまともに受けるが、そんなことなど気にせず思考の海に沈んでいた。
エヴァンジェリンも目の前の少年がなんとなく何者か見当がついたのだ。
「これは‥‥魔力?昼間の魔法は本当に君が出したものだったのか」
「言え‥」
「?」
「言え!!いや、吐け!!!
左手に魔力、右手に"気"を纏わせた千雨。
少年も魔法障壁を前面に出し、戦闘態勢に入った。
どちらもやる気なのだろう。
その横で少し勢いに乗り遅れたエヴァンジェリンは千雨の変貌っぷりに眉を顰める。
恐らく目の前の少年こそ
だがなんだ、この千雨の怒りは。
まるで親の仇を目にしたかのような姿だ。
年齢的に千雨は20年前までの世界大戦に関わっていないはず。
まさか。
エヴァンジェリンの推測が、最悪の状況を思い浮かべようとしていたその時、湖の中心で始まろうという戦いを、更に後ろの森から観測しようとしている『目』があった。
『‥‥ふむ、これが歴史の裏にあった戦いカ。ようやく貴女の潜在能力が見られるネ、救世の英雄殿』
修学旅行編あと一話‥のはずです。
もう少し頑張ります。