どうも東さんから聞いたお話を統括すると以下のような事態であったと言います。
太刀川さんは地獄の日々を送っていました。
溜め込んでいるレポート課題五つのうち三つが必須科目のものであることが判明し、風間さんも忍田さんも大激怒。しかも一つは二日後にまで提出をしなければならないものだったと。
それで問答無用で二日間タコ部屋に押さえつけたわけなのですが、風間さんの防衛任務と忍田さんの会議が重なり両者とも太刀川さんから目を離さずをえなかった空白の時間が生まれてしまった。
その隙に太刀川さんはこっそり持ち込んでいた鉄輪で餅を焼いていたそうなのですが、炭火の付きが悪くコピー用紙を一部千切り燃やし火種にした所あまりにも勢いがよくなりすぎてモクモクモク。無意識のうちに練炭自殺をやらかそうとしていたのだそうです。その時トリオン体に換装していたからよかったものの。下手をすればボーダー№1隊員が一酸化炭素中毒で死んでいたという事実に忍田さんの背筋に凄まじい悪寒が走ってしまったのだと。
そんな彼はレポートにプラスして反省文まで提出を求められ二徹でどうにかこうにか全てを終わらせました。
そして全てのレポートを書き上げた太刀川さんは思うがままに個人戦を行っておりました。
そんな時です。
太刀川さんは何と加古さんに「レポートを終わらせた記念」という理由付けにより食事会を開こうかと提案されたのだそうです。
こういった場面での太刀川さんの頭の回転の凄まじさというのは見事なもので、単純な拒否では断れないだろうと判断をした彼は架空の予定を作り出すことによりその場を切り抜ける事を考えました。
それが、この鍋パーティーだったという事です。
まさかまさかの加古さんからの逃げ口上に使用されたことも驚きですが、ここに至る経緯まで含めると太刀川さんという一個体の人間としての根本部分がどうにも疑わしくなるのですが。その辺りも含めて東さんが認識したうえで許諾を与えているという事は、きっと太刀川さんにものっぴきならない理由があったのでしょう。そう信じます。はい。
そして。
メンバーを見ます。
太刀川さん、風間さん、二宮さん。そして隊の皆
A級上位部隊の隊長が集まるという。
何かの嫌がらせでしょうか?
そして僕の隊の結成を祝う会であるのに、食材の準備をさせるのは何故なのでしょうか。
と。
不条理な気分を少しばかり味わいながら、まあでもああ先輩に言われたら逆らえる根性はありません。残念ですが、僕は体育会系の理屈に染まっていて、かつ意志が弱いのです......。
「では二人とも。これから用事はありませんか?」
「すみません、俺は一度家に戻ってもいいですか?」
「はい。大丈夫ですよ樫尾君。後でスマホに寮の場所を伝えておきますから」
「私は今家に連絡したよ。今日はお父さんがいるから大丈夫だって」
「了解です。それじゃあ」
鍵を取り出し、三上さんに渡します。
「え?」
「先に待っていて下さい。食材の買い出しに行ってきますので」
近場のスーパーまで徒歩で二十分。
僕の歩行スピードを考えると、三上さんを付き合わせるのは少々申し訳がない。
「部屋は、奇跡的に昨日ちゃんと片付けていたので。そんなに見苦しくはないと思います」
「.....」
「すみません。俺急いで家まで帰ります」
「はい。お待ちしています。──では、三上さん。先に向かってもらっても....」
「ううん」
僕の言葉を遮り。
「私も行く」
と。
普段の三上さんには珍しい、断固とした口調で、そう言いました。
「行こう? 場所を教えて」
そして。
僕に先導するように彼女は歩いていく。
「....」
どうやら。
買い物に僕一人で行こうとすることが、不服であったらしい。
僕の左足の状態を知っているからでしょうか。
だとしたら気を遣わせて少々申し訳ないな、と思いました。
※
それから。
僕達は三門市の西側にあるスーパーまで向かう事となりました。
松葉杖をついて歩く僕を気遣ってか、三上さんは車道側にポジションを取り、歩調を合わせていました。
特に何も意識してはおらず、至極当然に行っているのでしょう。
一緒に隊を結成してから理解しました。
この人は、本当に気遣いの人だ。
無意識のうちに他者を慮り、気遣い、そしてそれを本当にさりげなく行える人なのだと。
宇佐美先輩が大好きなのも頷ける。というより、この人を嫌える人はよっぽど偏狭な視野の中で生きている人でしかありえない。特に同性の人に好かれる人だろうな、と思えた。
スーパーにつくと一足先に買い物かごを手に取り、
「どんな鍋にする?」
と聞いてきました。
「シンプルに醤油鍋にしようと思います。嫌いな人あんまりいないでしょうし。お酒とみりんと醤油は家にもありますし」
「お肉はどうする?」
「鳥にします。今日は鳥のミンチが安いみたいですので」
手早くキャベツとしらたき、舞茸と白ネギと大根を手に取り、三上さんが持つ籠に入れます。
「白菜じゃなくて、キャベツなんだ」
「普段はボリューム的に白菜ですけど。今回はお客さん用ですので。甘みが強い野菜の方がいいかな、と」
「使い分けているんだ」
「鍋って、基本連日使いませんか? せっかく出汁取ったのに一回で終わるの勿体なくて。そうなるとキャベツはすぐにひたひたになってしまうので」
「何だか凄く所帯じみてるなぁ。一人暮らしでしょ?」
「根っからの貧乏性なんです....」
元々。
両親から食費を渡されて、金額内で材料を買ってきていた事があって。
僕はその時とにかく少しでも身体を大きくしたくて、安い材料を見つけ出して少しでも多く量を確保しようと頑張っていた時期があります。
その名残でしょう。
「でも解るなぁ。私も、一番上だから」
「兄妹がいらっしゃるんですね」
「うん。四人」
「それは大変でしょう....」
そうか。
だからこの人は、頻繁にご家族と電話をしているのか。
「大変だけど、やっぱり可愛いから」
そう彼女は言うと、僕を先にスーパーの外に向かわせ、ささっと買い物袋に材料を入れて外に出てきました。
「それじゃあ、行こうか」
「あの....」
流石に。
ここからの道まで三上さんに荷物を持たせるのは忍びない。
7人分の材料です。
せめて二つある袋のうち一つくらいは持たせてほしい。片腕は空いているのですから。
「大丈夫。私、結構体力はあるから」
「いえ。そういう事ではなく....」
「松葉杖ついている人に持たせるわけにはいきません」
それに、と三上さんは言って
「私も、隊の一人だから」
ふふ、と笑う。
「勝山君が──その病気を治したい、って思っているなら。私もちゃんとその手伝いをしたいし、助けになってあげたい」
「.....助けになりっぱなしで、すみません」
「ううん。──私も助けられてる。だから、こうしているの」
ひらひら、と。
買い物袋をちょっとだけ掲げて。
少しはにかむ。
多分。
この人にとっては、だから、じゃないのだと思う。
何も関係のない他人にも、きっと優しくしているのだろう。
そう。ちょっと気恥ずかし気にはにかむ姿を見て──そう思ったのでした。
※
それからというもの。
「まあそこまで急ぐ必要もありませんし。ゆっくりやりましょうか。樫尾君から連絡はありましたか?」
「うん。お家の用事が終わったから、すぐにこっちに来るって」
「了解です。──あ、すみません。鰹節とってもらっていいですか?」
「はい。どうぞ」
三上さんはすぐにこちらのキッチンの配置を確認すると、手早く調理の手伝いを始めました。
僕が調理をしている間、三上さんが洗い物や片づけを行う。
調理と言っても簡単なものですが。
昆布を水に戻し、弱火でだしを取った後に沸騰させ鰹節を入れる。そのまま煮立つまで待ち、だし汁に醤油みりんお酒を投入し、これまた煮詰める。
「──お、いい感じですね。すみません三上さん」
僕は味見用の小皿にスープを写し、味見を一つ。
割と整っているように思いますが、どうせなら三上さんにも味見してもらおう。
「どうしたの?」
「ちょっと味見してもらってもいいですか」
僕はもう一つ味見用の小皿を取り出そうとして、
「了解──うん。これでいいと思う」
三上さんは特に躊躇う事もなく、鍋の横に置かれた、先程僕が味見に使った小皿を手に取ってスープを移し、飲んでいました。
「どうしたの?」
「いえ」
特に気にしていない辺りが。
この人の凄さだと、本気で思います.....。
※
「──という訳で」
「──勝山、隊結成おめでとう」
太刀川さんと風間さんが、向かいからそう声を上げていた。
準備を終えて十分後くらいに樫尾君が来て、それから三十分ほどして他の方がでっかいテーブルとドリンクとお酒とコンロを持ち運び、来るやいなや手早くセッティングしました。
「ありがとう! 俺の為に鍋の用意してくれてありがとう!」
「.....すまん。この馬鹿のせいで。本当にすまん....」
珍しく。
風間さんが神妙な表情を浮かべつつ、頭を下げていた。
あと太刀川さん。やっぱり僕たちの為というのは詭弁だったんですね。
「まあまあ、太刀川はああいっているがな。皆お前が隊を結成したから祝おう、という話は出ていたんだぞ」
おお。
そうなのですね、東さん。
「本当は店でも取ろうか、って話だったんだがな。まあ、その辺りはちょっと太刀川を同情してやってくれ。加古にやられかけたんだ」
「8割の可能性にかけるつもりはなかったのですか.....」
「加古の買い物袋からな......プリンと、イカと、はちみつが見えていたと....」
あ。
ああ.....。
「そういう事だ。──お前の善意のおかげで俺の命は救われた訳だ。ありがとな」
「本当ですよ。僕はいいですけど、太刀川さんはもうちょっと周囲の善意に感謝するべきです」
「全くだ。そろそろいい加減にしろ太刀川。今度は生身の肉体のまま練炭部屋に叩き込んでやろうか」
「わっはっは。──ところで鍋はまだか。腹が減った」
「話を聞けこの馬鹿が」
太刀川さんと風間さんが、何だか漫才のようなやり取りをしている中。
「勝山。鍋の材料はいくらかかった? 領収書はとっているか?」
「はい。二宮さんの分のジンジャーエールも買ってきました。お酒と割るかなと思って無糖のも」
「ああ。感謝する。──後であの馬鹿に全額支払わせるから、その領収書をこちらに寄こしてくれ」
二宮さんは二宮さんで。二宮さんらしく振る舞う。
「.....何というか」
「あの方が、個人総合ナンバーワンの....」
「ああ。アイツがだ」
「....」
樫尾君は。
絶句していました。
.....それはそうでしょう。ショックでしょう。
でも残念、あんな人なのです。
あんな人が、ボーダーの全隊員のトップです。
現実を受け入れる勇気を持ちましょう、樫尾君。
「どうだ。三上。お前ははじめての奴ばかりだろう」
「いえ。大丈夫ですよ。皆さん優しい方ばかりで」
東さんは、この前まで本部勤務ではじめての人ばかりであろう三上さんを気遣って声をかけています。
さて。
「そろそろ鍋も煮えて来たので、はじめましょうか」
僕はコンロの上で煮立つ鍋を開ける。
それと同時に。
「それじゃあ──乾杯って事で」
そして。
鍋パーティーが始まりました。
※
時間は少し前後する。
「.....よう迅」
「あ、こんちゃす諏訪さん」
迅悠一と諏訪洸太郎は本部でばったり会い、そして挨拶を交わした。
「タバコ休憩ですか?」
「おう」
諏訪は胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけようとする。
「諏訪さん」
「あん?」
「一応言っておきますね。──ここで吸わない方がいいですよ」
迅はそう言った。
諏訪は、怪訝そうに顔を顰める。
「なんだなんだ。俺が肺やられてくたばる未来でも見えたのか?」
「悪い未来ではありますね」
「けっ。そんな事で止めるかっつーの」
ジポ、と火をつける。
ああ、と迅は思う。
迅は。
副作用を持っている。
多量のトリオンを持つ人間のみが発現する、特殊な能力。
迅のそれは──未来視であった。
「じゃあ、諏訪さん。俺はここで」
「おーう。暗躍頑張ってなー」
その後。
諏訪は思い知る事になる。
「──あら、諏訪さん」
この休憩所に訪れる。
一人の女性。
そして。
「加古に......堤?」
細い目を、更に苦し気に細める。
堤大地の姿。
「こんにちわ。ところで──」
笑う。
笑う。
加古が、笑う。
「本当は太刀川君に振舞う予定だったけど、予定があったらしくて。──これから堤君と一緒に炒飯を食べるのだけど、ご一緒にどうぞ」
諏訪。
地獄への道への、ご招待。
震える口元。
そして煙草。
全て理解した。
ここで行使される悪夢。
先程耳にした悪い未来というのは──
「迅.....あの野郎ォォォォォォ!」
未来を知る男。
そして──悪夢を引き込んだギャンブラー。
あまりにも酷な、悲劇であった。
好きなアーティストがどんどん薬で捕まっていく。
へっへっへ。