界境の市   作:丸米

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心にゆとりとさわやかマナー

 へぇ、と僕は声を上げました。

「こんな感じになっているんですね」

 

 ランク戦ラウンド1が終了した後なのですが。

 今回僕たちの試合の実況を担当してくれた武富さんが声をかけてくれて、音声データを一緒に確認しました。

 今期から採用された実況・解説ブース。武富さんが粘り強く上層部と交渉していった結果採用されたこのシステムですが、これらの音声データはボーダー側では管理をしないとの事です。

 なので。

 その創設者である武富さんが個人的に録音をし、個人的に所有する方針であるとの事です。

 

 ......盗聴にならないのか大変心配になりますが、黙認します。

 

 さて。

 とはいえこのデータは非常に為になります。

 今回の試合運びについて詳細な解説と実況がついているこの試合。振り返りを行うにあたって非常に便利です。

 

「勝山先輩!」

「はい」

「これから先輩には、出来るだけ優先してこの音声データをお渡しいたします!」

「おお!」

「その代わり!」

「なんでしょうか」

「──本当に本当に本当にお願いします。東さんを解説にお呼びして頂いていいですか本当にお願いしますよろしくお願いします」

 

 こんな場でも。

 東さんの求心力のお世話になるのでした。

 

 

 その後。

 いいぞ、と東さんからの許諾を受けました。

 

「それで他の試合の音声データも貰えるんだろう。いい事じゃないか」

「はい。でも東さんに迷惑が掛からないかと.....」

「俺も勝山隊の一員だ。このチームの利になる事なら、喜んで行おう。──まあでも、そうだな」

 東さんは何か思いついたかのように、少しだけ顎先に手を置きます。

 そして。

「俺の解説の時には、お前か樫尾のどちらかを隣に座らせようかな」

 

 と。

 そんな事を仰ったのでした。

「僕か樫尾君が......?」

「ああ。お前らにとっても、いい勉強になるだろう。他の試合を見て瞬時に状況を把握するのも戦術理解には役立つだろう」

 

 という訳で。

 次に東さんが解説に座る際、僕がまずもって座る事となりました。

 

 

 バシィィィィィィィ!!! 

 

 隊室から出て、食事でもしようかと思い立ち食堂に向かい歩いていると。

 実に見事な破裂音が聞こえてきました。

 

「──いいパンチだ」

 そう言いながら倒れ伏す誰かがいます。

 その方は額に薄めの色をしたサングラスをかけた方でした。

 その隣には──握り拳を掲げる一人の女性。

 

「──迅さん」

 僕と、その方──熊谷さんとの声が重なります。

 

 迅悠一さん。

 この方はB級でも、A級でもなく──S級隊員という特別な立場にいらっしゃる方です。

 S級とは。

 一言で言えばボーダー規定のものではない、特別なトリガーである──黒トリガーを使用する人たちに与えられる階級です。

 まさにエリート中のエリート。

 そんな方が。

 何故か熊谷さんに殴られ、そこに倒れ伏しているのです。

 

「えっと」

 熊谷さんは当然のことながらのべつまくなし暴力をふるう女性ではございません。

 余程の事情が──殴らなければならない早急の理由が生じたために、行使したくもない暴力を行使する羽目になったのだと。そう僕は解釈しました。

 

「何かあったのでしょうか?」

 僕はそう尋ねると。

 熊谷さんは自分の手をお尻に当て、そして倒れ伏す迅さんを再度見ました。

 

 成程。

 理解できました。

 

「迅さん」

「何かな.....勝山」

「ご趣味がいい事で」

「......皮肉はやめて....」

 

 そうでしたそうでした。

 あまりにも常識の埒外すぎて当初信じておりませんでしたが、この方はエリートらしからぬ趣味を持っていたのでした。

 女性のお尻を触るという。

 倫理的にも法律的にも当然の如くアウトな行為を至極当然に行っている方なのでした。

 

「ふむん」

 僕は、少しばかり考えました。

 

「熊谷さん的には、殴っておけば取り敢えずこの場は収まるということですね」

「まあ、うん。──次やったら、今度こそ訴えてやるけど」

 

 一応聞いておきました。

 

「多分──トリオン体って痛覚がないので、報復の意味合いは薄いと思うんですよね」

「えっと、勝山?」

「あ、いえ。殴るのならばトリオン体を解除した上で行うのが妥当じゃないかな、って」

「怖い事を言わないで....」

 とはいえ。

 生身の人間に大してトリオン体で暴力行為に及ぶなど当然のことながら規律違反ものです。

 

 野球部にいた時。

 問題を起こし、迷惑をかけた生徒に対して何らかの罰が下されるのが定例でした。

 その感覚をボーダーに持ち込むのは当然あってはならないことですけど。

 少々迅さんにはお灸を据えてもいいのではと、思ったのでした。

 

「あの。迅さん。二日前に沢村さんにも同じ不貞を働いたとお聞きしたのですが」

「ふ。健康的なお尻には、俺も目がないのさ」

「どうでしょう。熊谷さん」

「......」

 侮蔑の目を迅さんに向けています。

 

「決めた」

 熊谷さんは一つ、うんと呟く。

「何をですか?」

「迅さんにお灸を据える」

 

 

 その結果。

「なあ、勝山」

「はい」

「お前は優しいなぁ。こんなのでも一緒に飯を食ってくれるなんて」

「いえいえ。僕が笑われている訳ではありませんので」

 食堂内。

 僕はずるずるとうどんを啜っていました。

 おいしい。

 

 周りからひそひそと声が上がっています。

 こういうひそやかな声が嫌いな影浦先輩も、こればかりは笑みを浮かべてくれることでしょう。

 

 迅さんの背中には現在張り紙が張ってあります。

 

 ただ一言。

 そこには「痴漢者!!!!!!」と書かれてありました。

 

「熊谷さんもちゃんと小南先輩を通して林道支部長に伺いを立てた上でこの報復を行ったのですから。義理堅い人です」

「......わざわざ支部に連絡を入れなくてもやっていたよ」

「この未来は読み逃がしてましたか?」

「思い切り読み逃がしていたな.....」

 

 まあでも。

 随分とマイルドな報復ではないでしょうか。

 

「報復できるときには、させた方がいいんです。取り返しがつかなくなる前に」

「こわっ!」

「特に女性に関してはそうですね。──という訳で、我慢して笑われましょう」

 

 一味をかけ、うどんをすする。

 うどんとラーメンのどちらが好きかと問われれば迷いなくラーメンを選びますが。悲しいかな。ラーメンは健康にあまりよろしくない。

 なのでこうして、普段はうどんを頼める我慢強さを持つ事こそ、人生を最良の道へと導くのだと思っています。

 

 その様を。

 迅さんはニコニコと笑みながら見ていました。

 

「どうしたのですか?」

「うんにゃ。C級の時に初めて会った時、覚えてる?」

「ええ。覚えていますよ。僕が散々迷走していた時期でしたね」

「──あの時よりも、いい未来が見えているよ。勝山」

 

 へぇ、と僕は呟きます。

 

「どんな未来ですか?」

「今のお前には言わない方がいいかもなぁ。まあでも漠然と、この先いい事があると思いながらやっていけば間違いはないと思う」

「へぇ。それは、楽しみです」

「まあ。東さん引き入れる未来は流石の俺でも見えなかったな」

「あら。そうですか」

「仮にだけど──お前、俺がS級止めたタイミングだったら、声かけていたりした?」

「迅さんが僕等の隊に入る事のメリットを見つけられれば、交渉はしていたと思います」

 東さんにはその立場を鑑みて入隊するメリットがありました。だからこそ入ってもらった訳で。

 

「隊、作ってよかったと思う?」

「はい」

「なら、よかった」

 

 何というか。

 僕は根本の部分にチームで動くことが好きな人間なのかもしれないです。

 野球をやっていたからでしょうか。戦う場所に、他の人がいてもらいたいのです。

 

「──ところで」

「はい?」

「この張り紙、支部でも張っていなきゃダメ?」

「迅さんの良心にお任せいたします」

 

 

「こんにちわ」

 うどんを啜っていると。

 隣に──知ってはいるけれども、話したことはない人が隣に座ってきました。

 

 オールバックに引き締まった顔立ちをしている方が。

 

「生駒さん──ですか?」

「そういう君は──かつやん」

「か、かつやん」

 僕の名前の最後尾はいつの間にま、から、ん、になったのでしょうか。

 

「名前まちがっとった? 王子に君の名前聞いたら、あの子はかつやんだよ、って教えてもらったんやけど.....」

「勝山です.....」

「勝山......ええな。かつ丼が山盛りで出てきそうな名前や」

 出てきません。

 

「あの斬撃メチャカッコよかったやん。ほら、逆手でびゃ、って抜刀する奴」

「ありがとうございます」

「こう、上にはねたり、下に下ろしたり......ラーメンの湯切りみたいやった!」

 カッコよさが一切伝わらない例えをありがとうございます.....。

 

「で、迅」

「ん?」

「何やその背中の痴漢者の文字は」

「俺が背負った罪業だよ」

「......ま、まさか! お前さん痴漢冤罪で裁判でもかけられとんのか!!」

 冤罪じゃないんです。

 

「な.....なんやて迅! お前、くま......むぐぅ、むごぉ....!」

「すみません。名前を大声で出さないで下さい」

 熊谷さんの名前を出そうとしていたこの人を、即座に僕は口を封じます。

「ふぅ....。なあ、迅...」

「何だ...」

「お前はけしからん」

「そうだね....」

「これは早急に──同年代の人間に相談をせねばならないと思う」

「え?」

「俺は解っとる。お前がただ自分の欲望のままにそんなことしてるんちゃうって。尻を触らなければ、好転できない未来があったんやろ?」

「いや、ちが....」

「俺達は、お前を見捨てたりせーへん。きっとや。嵐山もザキも弓場ちゃんも。きっと見捨てたりせーへん」

「待って。超待って」

「どんなときも。──俺達は俺達らしく、や。ちゃんと相談するんやで」

「.....」

 迅さんの顔は。

 面白いくらいに引き攣っていました。

 特に、弓場さんの名前が出た瞬間に。

 

「ところで、生駒。お前今日の夕飯」

「ああ。カツカレーや」

「カツカレー」

「そう。カツカレー。カツにカレーや。美味くない訳がないやろ。──という訳で、食ってみるわ」

「ナスカレーはどうした」

「そこにかつやんがおるやん」

「はい。いますけど....」

 もうかつやんは固定なのですね。

「だからカツや」

「さいですか」

 うん。解りません。

 

 僕の脳裏に。

 確かに生駒達人という人物の名前が刻まれました。

 

 個性的な面々が揃うボーダーの中でも──恐らく二宮さんに並ぶ天然型の変人であると。そうこのやりとりだけで理解できました。

 

 

「ところで。かつやん」

「はい。どうしましたか、生駒さん」

 生駒さんは無表情のままうまい、うまい、とひとしきり感嘆の声を挙げながらカツカレーを食べ終えると、僕にこう提案をしました。

「ちょ──っとだけ。手合わせ願ってもいい?」

「えっと...」

 今日の予定は、この後は特段ありません。

「はい。大丈夫ですよ」

「了解や。そいじゃあ、個人ブース行こか」

 なんとなんと。

 生駒さん直々に僕の手合わせをしてくれるというではありませんか。

 

 生駒達人さん。

 この人は──現在、ボーダーの全攻撃手の中で上から六番目にポイントを稼いでいる方です。

 

 これは受けざるを得ません。

 

「是非ともよろしくお願いします」

 という訳で。

 ブースに向かう事となりました。

 

「.....これは面白そうだ」

 そう痴漢者の張り紙をひらひら背中で揺らしながら、迅さんもそう呟きついてきていました。

 

 

「今回やけど。出来れば色んな方式で手合わせをしてみたいんや」

「色んな方式.....ですか」

「せや。最初の形式は、弧月一本のみでの戦い。距離は五メートル位でええかな」

「ふんふむ」

 おお。

 本当に色々なルールで戦うようです。

「次にオールトリガーを使っての戦い。これはお互いの距離が五十メートル離そうか。次に──」

「次に?」

「ランダムでお互いが転送されてからのスタート。ここで実戦に近い形でやるんや。──どうや?」

「やります」

 わざわざこういう形式で個人戦をするという事は、何かしら意図があるのでしょう。

 僕は迷わずそう答えました。

 

「今回。──純粋にかつやんの抜刀に興味があるのと、そんでもって幻踊の使い方に興味があるのと、またそんでもって全体的な戦い方に興味があるんや」

「ははあ」

「全部味わうために、こういう方式にさせてもらった」

「了解です」

 

 成程。

 純粋な剣の腕を確かめるための一つ目の勝負。

 お互いが決まった距離感からの果し合いをするための二つ目の勝負。

 そして、互いがアトランダムな状態から戦いに入る三つ目の勝負。

 

 異なるシチュエーション内で、それぞれどういう戦い方をするのか。

 その辺りを、生駒さんは見極めようとしているのでしょう。

 

「では──改めて。僕は勝山市です。よろしくお願いします」

「生駒達人や。──好きなものはナスカレーや。よろしく!!」

 

 こうして。

 僕と生駒さんとの個人戦が始まりました。

 


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