成り代わり騎士   作:トクサン

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肩書と素顔

 

 エトの足取りは重い。鎧という重りに帯剣した状態、更に幾らか立て直したとはいえ衰弱した精神に体力。長時間の歩行に耐えられないのは明白であった。こんな事ならば馬を使い捨てるような真似をせず、大事に連れてくれば良かったと後悔したが後の祭り。それに逃亡者としてのエストに、そんな事を考える余裕などなかった。

 重い足取りで森を抜け、凹凸のある平原と森の境目を歩く事一時間ほど、早くも体力的に限界が訪れ、どこかで休憩しようと考えたエト。

 そんな彼の耳に――金属の摺れる音、そして少なくない人数の足音が届いた。

 

「ッ!」

 

 思わず身を竦ませ、腰に差した剣の柄を握りしめる。誰だ、賊か? それとも国境警備隊――もしそうなら、自分の演技次第で結末が変わる。慌ててフルフェイスヘルムを被り、金具を締め付ける。

 エトは剣の柄に手を掛けながら森の中から聞こえてくる金属音に備えた。そしてブッシュを掻き分け、姿を現したのは――エトと同じ、鎧を纏った騎士達であった。

 数は十名程、バイザーを下げ、何の警戒もなしやってきた彼らは目の前のエトに面食らい、慌てて腰の剣に手を伸ばすも――刻印された紋章が自国のものである事に気付き、また階級章が自身の持つソレよりも遥かに高い事を知り、剣に伸ばした手を引っ込めた。

 

「お前たちは――」

 

 エトは森から現れた騎士達、その鎧に刻印された紋章が自国のものである事を確かめ、意識して威圧的な声を出した。軍の階級になど大して詳しくはないが、こんな場所に少佐以上の階級持ちが居ないと高を括っての行動だった。

 実際その行動は功を奏し、十名ほどの騎士達はエトで姿勢を正した。三名ほど、負傷しているのか動きがぎこちなく、また腕に添え木をしている者も見える。

 

「は、はッ、自分は四○三騎兵隊所属、臨時小隊長のダルツ少尉です! 前線にて敵主力と交戦中、本隊と逸れ、方角を見失い彷徨っておりました!」

「前線――」

 

 一歩前に出た騎士が胸に手を当て、やや強張った声色でそう叫ぶ。前線、本隊と逸れた。エトはそう口の中で言葉を転がし、自身の知る国勢と現在が全く異なったものであると理解した。

 

「どこかの国と戦争でもしているのか? 私の、囚われていた一年半の間に……」

 

 ぼそぼそと呟くエト。それは騎士たちの耳には届かない。もしそうであるのならば、この鎧の持ち主がああして独り彷徨っていたのも納得だ。恐らく敗走したのだろう。だとしたら、ここからそう遠くない場所に戦場が?

 冗談じゃない――エトは眉間に皺を寄せた。

 

「私は――エト、エト・シュトゥノイア・ミルティアデス少佐だ」

 

 偽りの身分を告げ、一瞬言葉に詰まった。目の前の騎士と同じように所属を口にしようとしたが、彼はエトという女性の所属を知らなかった。

 

「……少佐、質問を、宜しいでしょうか」

「良い、許す」

 

 しかし、その間を潰す形で目の前のダルツと名乗った騎士が問いかけた。その間エトは後ろの騎士達に目を向け、「負傷者も居る、気張らず、休め」と口にする。騎士たちは明らかに安堵し、添え木をしている騎士は地面に座り込んだ。余程疲労していたのだろう。ダルツただ一人が姿勢を正し、心なしか疑わしそうな口調で言った。

 

「少佐は何故この様な場所に居らっしゃったのでしょうか」

「……前線に向かう途中、敵部隊の待ち伏せにあった、後ろから矢で射抜かれてな、間抜けな話だが暫くの間意識を失っていた、気付けば落馬し、屍の仲間入り――という訳だ、運が良いのか悪いのか、生きてはいたがね」

 

 エトは脳を回転させ、嘘偽りのカバーストーリーを語って見せた。その際背中を見せ、矢で射抜かれた穴を見せつける。それを見たダルツは「お怪我を?」と問いかけるが、エトは「いや、チェーンメイルを着ていたのが幸いした」と笑った。無論、そんなモノは着込んでいない。全てホラだ。

 

「徒歩で味方と合流するなら邪魔になると脱ぎ捨てたが、備えあれば憂いなしというのは本当の様だ、背中は少し痛むがな」

「そうでしたか――失礼しました、少佐、我々も同行させて下さい」

 

 ダルツが正していた姿勢を更に伸ばし、そう言った。背後の騎士達もどこか縋るような視線で此方を見ていた。この鎧と階級を疑る素振りはない。

 

「……分かった、貴殿らを臨時小隊として私の指揮下に置く」

「はっ、ありがとうございます!」

 

 ダルツは声を張り上げ笑みを見せた。反対にエトは彼らに見えない様、内心で渋顔を作った。偽りの身分でどこか別の場所、平穏な環境の中隠れるつもりだったが。もしこれで彼らの言う本隊、或いは本国に帰還など果たしてしまったら――必ず嘘が露呈する。

 

「兎も角移動しよう、方角を見失ったと言っていたが、私は凡その方角を記憶している、馬を失った騎兵とは何とも間抜けな絵面だが――それも母国へ戻るまでだ」

 

 エトは思考とは反対に、それらしい言葉を告げる事で頼れる指揮官を演出した。これはエトが良く本を読み、意図して物語の主役級の登場人物を演じた結果だった。ダルツを含めた十名の騎士を引き連れ、エトは南下する。

 無論、方角を記憶しているなんて嘘だった。しかし騎士達が来た方角に戦場があるのならば、そちらに進むのは論外。そして一瞬自分の来た道を戻り、あの街に向かうという選択肢も考えたが――自分の脱走が露呈していて、彼女が捜索の手を伸ばしていたらと考えると、とてもではないが選べなかった。

 彼女はやるだろう、自分を手元に置いておくためならば家の力を躊躇いなく行使する。彼女の執着心を良く知るエトはそう断じた。

 結局、エトは然も道を知っているかのように振舞いながら騎士達が来た方向とは逆、南の方角へと足を進めた。

 

 ☆

 

 部隊は小休憩を何度もとりながら遅々とした足取りで目的地を目指した。無論、目的地など存在しなかったが、然もそれを目指して歩いているかのようにエトは振舞った。三十分程歩いては休憩し、小まめにエトは足を止めた。

 

「負傷兵を見捨てるような真似はしない」

 

 小休憩は負傷兵を労わり、部隊全員で帰還できるようにする配慮だと彼は言った。しかし本当は違う、単純にエトの体力が限界なだけだ。けれどそんな素振りを見せれば疑われてしまうとトは小休憩の理由を負傷兵に求めた。

 

「少佐はお優しい方ですな」

 

 三度目の休憩中、ダルツ少尉がそう言った。疲労が残った顔、しかし男性らしい厳つい、無精ひげの残る野性味あふれるそれはそれ以上に生気に溢れていた。「そうかね」とエトは肩を竦める、額に流れた汗を詰めたい鋼鉄の指で拭った。

 

「顔色が良くない、少佐も疲労が溜まっているのでは」

「なに、背中に受けた矢が存外響いていてな、動くと少し痛むのだ」

「診ましょうか、多少なら心得があります」

「いや、それには及ばない、この程度で根を上げていては騎士の名折れよ」

 

 ダルツはエトの疲労を見抜いている様だった。流石に本物の騎士を騙す事は難しい。エトは疲労の理由を矢傷にあると説明した。勿論、そんなものはないし、疲労は単純に体力不足だ。近場の石に腰かけながらエトは部隊員を見る。

 誰も彼もが汚れ、傷ついている。戦場帰りと言えば納得だ。その中でも負傷兵は三名、それぞれ腕、肩、足を負傷している。足を怪我した騎士は落馬した際に強く打った様だった。最悪骨が折れているかもしれない。鎧を脱がせ、補助に二人の騎士をつけ、半ば担がれるような形で歩かせていた。曲がりなりにもエトが彼らの行軍についていけているのは、この負傷兵が居るからだった。そうでなければこんな、クソ重い鉄の塊を纏いながらの行軍など、早々に脱落していただろう。

 そこからエトは更に半日程歩き続けた。持っていた水を飲み尽くし、糒も食べつくした頃。疲労した兵を見て、これは拙いかと内心で焦りを見せたエト。自分も余裕はないし、今にも倒れてしまいそうだが、戦場帰りの彼らの疲労は更に酷い。最悪水源の確保だけでもと考え陽の沈みかけた空を見上げ――立ち上る僅かな煙を見つけた。

 破れたカーテンの如く緋色を地面に映し出す木漏れ日。その向こう側に立ち上るソレは飯炊きの煙に相違ない。疎らに見えるそれを目視した時、エトは内心で歓喜の声を上げた。

 

「少尉、漸く到着したぞ」

「少佐?」

「目的地の集落だ」

 

 そう言ってエトは空に立ち上る煙を指差した。グルツも流石に疲労が気力に勝っていたのが、顔色悪く俯き加減だったが、エトの指差す煙を目視した途端、幾分か顔色が良くなったように見えた。

 全く持って偶然の産物だ――脱走の機会然り、このエト少佐との邂逅然り、ほとほとこの数日は神に愛されているとしか思えない。

 

「少佐はこの集落を目指していたのですか」

「そうだ、食料も水も心許ない、なら補給できる場所に一時身を寄せるしかあるいまい」

 

 腹が減っては戦は出来ぬ――素晴らしい言葉だ、実にその通りである。腹が減り、喉も乾き、体全体を疲労に打ちのめされたエトはその言葉を実感した。

 部隊の騎士達に飯炊きの煙を指差し、目的地が直ぐ其処にあると告げると、負傷兵を含め皆が皆瞳に生気を取り戻した。もう少し、あと少しで休める、ゴール手前に辿り着いた小隊は疲れた体に鞭打って集落の手前まで足を進めた。

 薄手の森の中にひっそりと存在する集落は家も疎らで、畑や田、井戸も必要最低限しか見受けられない。道も舗装されていない、軽く土を均して作ったようなもので、遠くには納屋、そして馬小屋も見えた。恐らく街に行商に出掛ける為のものだろう。

 典型的な限界集落――しかし十人程度の騎士ならば匿えそうな規模ではある。幸い出歩いている者はいない、夕刻なのが良かった。エトはダルツの傍に身を寄せた。

 

「よし、余り大勢で向かっても警戒される、まずは少数で向かって交渉を――」

「は? いえ、少佐、まずは村が敵の手に落ちている可能性を考え、周辺を偵察するべきかと……」

 

 目の前にゴールがある、その気持ちが僅かに思考を鈍らせた。横合いから僅かに動揺したような声が届く。ダルツだ、彼は目を見開いて此方を見ていた。

 

「――っと、そうだな、すまない、気が逸った」

 

 エトはダルツの言葉に肩を揺らした。そうだ、自分は『そういう観点』が存在しない。

 然も今思い出したとばかりに苦笑し、額を押さえながら軽く首を振った。隣のダルツが何かを訝しむように眉を寄せ、口を開く。

 

「いえ……人選は如何しましょう? 偵察と、それと村に向かう者も」

 

 エトは額に手を当てたまま考え込む。少佐という階級をぶら下げている以上、自分が交渉に向かうのが一番効果的だと思った。しかしエトは『口上』が分からない。こういう戦争時、街や村に入って物資を強請るのならば高圧的に接するべきなのか? それとも下手に出て、あとから国に請求でもしてくれと所属を明かして振舞うべきか? そのテンプレートがエトには分からないのだ。結局エトは数秒黙り込み、「よし」とひとつ頷き、決断した。

 

「少尉、それと……お前と、お前」

 

 エトは後ろを振り向き、自分の直ぐ後ろに座っていた二人を指差した。指差された二人は突然の事に驚きを露にするも、「はっ」と即座に返答する。

 

「交渉役は少尉が、二人は少尉に同行しろ、余り驚かせたくはないが万が一がある――残りの四名は周囲を探れ、偵察だ、もし集落が敵の手に落ちている様なら即座に撤退する、私は此処に残り負傷兵の護衛と撤退時の指揮を執る、良いな? さぁ動け」

「は、はっ!」

 

 反論させない様に捲し立てた。先ほどのダルツの言葉で生まれた疑念を、強い権力と意志を背景に有耶無耶にしようという思惑があった。

 騎士達は礼をひとつ残し、疲労の残る足取りで集落の周囲に散って行った。ダルツと残された二名、そして負傷兵は息を殺し報を待つ。

 

「……少佐、失礼ですが自ら交渉はなさらないので?」

 

 隣のダルツが僅かに声のトーンを落として問いかけた。エトは自身を横目で見るダルツの方を視界に捉えぬよう、強張った表情で溜息を吐いた。

 

「先のやり取りで分かったのだが、自分が思った以上に頭が働いていない様でな――下手な口上で顰蹙を買っても困る、ここは安全策だ少尉、少尉は私より頑丈そうだからな、平気だろう?」

「誉め言葉として受け取っておきます」

 

 淡々とした口調だった。エトは自分の背中にびっしりと冷や汗が流れているのを自覚した。

 暫くすると偵察に出した四名が戻り、周辺に敵兵なしの報を出す。念の為、集落が既に制圧され、中に入り込んでいる可能性も考えてエトはその四名を少尉達交渉役の後ろに潜ませた。

 少尉達を見送り、エトは集落の手前で負傷兵の傍に寄り添う。少尉が村の広場に踏み込んだのを見届け、その背中から視線を逸らした。

 

「すみません、少佐、御手間を……」

 

 樹に凭れかかり、青白い顔をした騎士が呟いた。彼は足を負傷し、現在動けない。半ば担がれて移動していた彼にとって、自分が部隊の足を引っ張っているという事実は精神的にも彼を追い詰めていた。

 エトは努めて明るい声を意識し、顔に笑みを張り付けた。

 

「なに、そんな顔をするな、村に入って飯でも食べて、ひと眠りすればすぐ良くなるさ、気に病む必要などない、お前の負傷は『名誉の負傷』という奴だ」

「しかし、本来ならば自分が少佐をお守りせねばならないというのに……」

 

 足を酷く腫れさせながら、騎士は自身の腰に差した剣を握っていた。まだ戦うつもりなのか、エトは内心で戦慄した。自分が足を折られたら戦意など喪失する事請け合い。だと言うのにこの騎士は。

 

「……今は休め、何か思うことがあるのならば、その怪我を治した後に存分に果たせば良い、だが今は黙って守られてくれ」

「――ありがとうございます、少佐」

 

 騎士の手が剣から離れた。その事に安堵したエトは、しかし自分は剣など振るえない事を理解している。多少の心得はあるが――所詮は『ごっこ』だ、貴族剣術など試合形式の『当てたもの勝ち』でしかない。レイピアなどがその最もたる例だろう、鎧を纏わない素肌が相手ならば話も変わって来るだろうが。

 

「さて、頼むから来ないで欲しいね」

 

 騎士に聞こえないよう、小声で呟いた。ホラを吹いてはいるが、エトという人間はどこまでも無力なのだ。

 

 ☆

 

 交渉はほんの十分足らずで終了した。何だ何だと外に出てきた集落の人間に対し、少尉は啖呵を切った。どんな言葉を口にしていたかは分からないが、集落の人間は快く――とは決して言えないが、村で宿代わりになる場所を明け渡し、少ないが薬品も手に入った。

 

「食料を徴収しました、医者や薬師は居ませんでしたが、代わりに備蓄されていた薬品を」

「良くやった少尉、なら負傷した連中を見てやってくれ、出来る限りで構わん」

「了解しました」

 

 提供された場所は集落の集会所とも言える場所で、十人程度が集まってもまだ余裕があった。テーブルと、倉庫代わりにしていたのか積みあがった木箱。それに幾つかの木椅子。剥き出しの床に毛布を敷き、その上に負傷者を寝かせる。他の騎士達は交代で見張り番を行い、エトは集会所の奥で椅子に腰かけ、安堵の息を吐いた。

 漸く休む場所を見つけられた、まさか騎士達と合流する羽目になるとは思わなかったが――まだ致命的ではない。

 

「さて、これからどうするか」

 

 呟き、エトは天井を見上げる。本隊と合流――騎士として動くのならば本国へ戻る事が先決だろう。しかしエトはそんなのは死んでも御免だ、本国などに戻れば偽物である事が露呈する。となると此処の連中を見捨てて何処かに逃げるか? 元々、偽りの身分を手に入れて、どこか遠い所で穏やかに過ごすのが目的だった。

 しかしエトは首を緩く振って自分の考えを否定した。情が沸いた訳ではない、けれど彼らを手放すのは単純に惜しかった。

 自覚はあった、それは――強い権力を手に入れ、それを行使する事へ対する悦び。

 屈強な騎士が、明らかに自分より強い人間が、その自分に逆らわず、何の疑いもなしに従う事への充足感。昏い感情だ、それを良く理解していた。

 それに単純な利点もある。自分一人では野盗などに襲われてしまったらひとたまりもないが、騎士の連中と一緒に動いてればその限りではない。単純な護衛、戦力として考えると大きな利点であった。

 本隊と合流させず、自分の目的も達成させる方法。

 エトは暫くの間、背凭れに体を預け考え込んでいた。

 

「少佐」

 

 そんなエトの前に影が落ちる。見上げると騎士のひとりが自分に何かを差し出している。布に包まれたパンと水筒だ。

 

「少佐もお疲れでしょう、食事を摂って、少しお休みになられては? それと、宜しければ怪我の治療も……」

 

 フルフェイスヘルムを取り払った騎士の素顔は、何というか想像以上に年若かった。二十半ば程だろうか、少尉と比べると入隊したてと言う感じだ。短く切り添えられた髪と、剃られた髭、それが如何にも好青年という印象を与える。

 

「いや、怪我は良い、他の連中を見てやれ」

 

 エトはそう言って水と食料を受け取り――そして思い出したかのようにヘルムの留め具を弾いた。今の今まで被っていたのを忘れていた。相応に疲れてはいるのだが、この狭い視野と如何にも【守られている感】のある閉鎖が心地よかった。

 ヘルムを脱ぐと籠っていた熱気が霧散し、爽やかな空気が肺を満たす。

 

「――ふぅ」

 

 張り付いた髪を払い一息吐く。すると、目の前の騎士が自分をじっと見つめている事に気付いた。まさか【本物】の知り合いかと焦り、幾分か低い声で問いかける。

 

「……なんだ?」

「あっ、いえ――ただ、その、少佐は、男性……ですよね?」

 

 僅かに頬を赤らめ、恐る恐る問いかける。一瞬何を言っているんだ、当たり前だと言いかけて、しかし本物の性別を思い出し咄嗟に口を噤んだ。数舜、間を開けて答える。

 

「……私は、一応女性だ」

「えっ!? こ、これはとんだ失礼を――」

「お前から見て私は女に見えんか」

 

 意識して若干拗ねたような声を出せば、騎士は「と、とんでもありません!」と首を横にブンブンと振った。俯いた騎士は言いにくそうに口をまごつかせ、それから呟く様にして答えた。

 

「男性にしては、その、御綺麗でしたので、お、思わず」

「……そうか」

 

 なら良い。エストとしては不満だが、男性にしか見えないと言うのならソレはソレで今後が問題だらけになる。胸を撫でおろし、エトは騎士に向かって手を払った。

 

「もう行け、私も少し休ませて貰う」

「は、はっ!」

 

 先程とは異なり、肩肘を張った騎士が目の前から去って行く。エトは溜息を吐き出し、抱えていたヘルムを横に置いた。そしてどうせなら重い鎧も脱いでしまおうと金具に手を掛ける。そして一つ一つパーツを外し、胸と腰、手の鎧を丁寧に取り外した後、具足も脱いでしまおうと足を伸ばした。

 そして金具を弾き具足からそっと足を抜き出していると、自分に視線が集中している事に気付いた。部屋の中にいる騎士達が全員自分を凝視している。その事に若干驚きつつ、「な、なんだお前達」と震えた声を上げた。

 声を掛けると、全員がさっと視線を逸らした。

 まさか自分は何かやらかしてしまったのかと内心で恐々とする。鎧を脱ぐのに作法もクソもないと思ってはいるが、騎士にしか分からない決め事などがあったのだろうか。エトは若干泣きそうになりながら具足を脱ぎ、そのまま椅子に凭れかかった。そして手渡されたパンを齧りながら思う。

 何だか鎧を着ていた時より見られている気がする、と。

 齧っていたパンは味がしなかった。

 

 ☆

 

 こいつ、本当に騎士か?

 ダルツは目の前で鎧を脱ぎ、鎧下着の姿となったエトを見てそう思った。日に焼けていない白い肌、鎧を着こみ、剣を奮うには余りにも細い手足。整った――否、整い過ぎた顔立ち。名前から貴族である事は分かっていた、故にその『少佐』という階級に不満は覚えない。実家の力が働いているのだろう、だから疑問はない。ないが――目の前の人物を『騎士』として見ることはどうしても出来なかった。

 相応に使い込まれた鎧、反して中身は余りにも『お嬢様』。

 どこか森奥の屋敷で本でも読みながら微笑んでいる、そんな生活が彼女には似合っている。間違っても骨肉の争い、血で血を洗うような戦場に居るべき存在ではない。それは他の面々も同じなのだろう、余りにも戦場に相応しくない雰囲気と外見を持つ彼女の姿に見惚れながらも、どこか困惑した様子が隠せない。

 鎧を着ていて分からなかったが――どうにも、中身を知ってしまうと疑ってしまう。

 そんな視線を感じているのか、どこか居心地悪そうにしながらパンを齧る少佐。

 やがてパンを食べ終えると暫くの間思案顔になり、そして五分もしない内にうとうとと船を漕ぎ始めた。ダルツは負傷兵の包帯を新しいものに巻き替えながら、その様子を見ていた。

 十分もすれば少佐は完全に意識を飛ばし、足を投げ出したまま両手を股の間に挟んで、半ば椅子からずり落ちながら眠りに落ちた。くぅくぅと寝息を立てながら熟睡する我らが上官。その様子に騎士達の視線を釘付けだ。

 

 あれが……少佐階級の騎士?

 

 余りにも緊張感がなく、上官としての威厳も、意識も、持ち合わせていなかった。ダルツは唸りながら頭を抱えた。どこからどう見ても、【アレ】は少佐という階級に相応しくもなければ、騎士でもない。お飾りの将校――いや、それ以下だ。

 

「しょ、少尉」

「……分かっている」

 

 傍に立つ騎士が何か言いたげに此方を見た。ダルツは渋い顔で頷きながら、巻き終えた包帯の端を留める。負傷兵三人の容体は悪くない、本国に戻るか――或いは駐屯地、砦に戻り療養すれば良くなるだろう。衛生兵ではないので断言は出来ないが悪化する兆しはない。足をやられた騎士は、「少尉、ありがとうございます」と小さく頭を下げた。

 ダルツは軽く手を振って答え部屋の中を見渡す。外に出した兵士は二名、負傷兵の内二人は食事も摂らず、此処に到着した直後から寝入ってしまった。現在この部屋に居て起床しているのはダルツを含めて六名――内、三名程がじっと少佐を見つめながら唇を噛み締めていた。

 その瞳に宿るのは――情欲だ。

 ダルツは目を閉じ、重い溜息を吐いた。男だと思っていた上官が女性、それも飛び切り美人な。そんな人間が無防備な姿を晒し寝入っている、疲労を考えると暫くは起きそうにない。ダルツはその後の展開が容易に想像できた。

 

「……気持ちは理解できるが、相手は貴族だ、手を出したら最後、たとえ生きて本国に戻れても二度と太陽の下は歩けないぞ」

「ッ……す、すみません、少尉」

 

 ダルツの声が部屋の中に響き、少佐を邪な目で見ていた三名の騎士が肩を震わせ、バツが悪そうに眼を逸らす。しかし気持ちが理解できるというのは嘘ではない、こうしてみると人形染みた美しさだ。更に戦帰りで気分も昂っている、ダルツとて何も感じない筈がなかった。

 

「少尉、あまり大きな声では言えませんが、その、少佐は、余りにも――」

「あぁ、論外だ、正直何故前線に出てきたのかも分からない程に、様々なものが不足している様に見える」

 

 ダルツとひとりの騎士は小声で言葉を交わす。ダルツと言葉を交わす騎士は長年、ダルツと共に戦ってきた戦友でもあった。彼から見ても少佐は階級に相応しいどころか騎士と呼べるかどうかも怪しかった。

 

「少佐の年齢は幾つに見える?」

「……外見だけならば十代後半から、二十と少し程度でしょうか」

「仮にそれよりも歳が上だとして、少佐など……あり得るか?」

「貴族階級を加味しても従士(騎士見習い)が精々に思えます、或いは余程実家が力のある家柄なのか――しかし、貴族階級に詳しくないとは言え、ミルティアデスという家名には聞き覚えがありません」

「ならば余程才能に愛され、それを軍部の上に認めさせたか」

 

 二人が少佐の寝顔を見つめる。年相応の可愛らしい寝顔だ。揃ってため息が漏れる。

 

「少尉、申し訳ありませんが、とてもそうには……」

「俺もだよ」

 

 声は重々しく部屋に響いた。

 

 


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