逃げ足だけが取り柄なんだが、いつの間にか胡蝶様に捕まってた。 作:サヴァン
最近、うちに来た男がいる。
男の名前は榊原隆景。長い黒髪を一つにまとめている容姿端麗な男だ。
その男は、元花柱である胡蝶カナエ、つまり私の姉の命の恩人だ。
姉さんが上弦ノ弐・童磨との戦いで負傷し、そのままであれば殺されていたであろう所を助けてくれたのだ。その後、姉を背負ったまま童磨に追いかけられ、疲労困憊ながら夜明けまで逃げ切っていた。
何故、事細かに知っているかって?
…実は私もその現場にいたのだ。いたと言うだけで、彼のように童磨に刃を向けることは出来なかったが。
理由は、ただ怖かった、という簡単なものである。私は、唯一の家族である姉さんを失うことより、童磨に相対する恐怖に勝てなかった。
だからこそ、あの男が頭にチラつく度、どうしようもなくイライラする。
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今日はあの男がここに来て最初の日だ。
全集中の呼吸・常中を知らないとのことで姉さんに稽古をつけてもらうらしい。
全集中の呼吸・常中は常に全集中の呼吸を行い続けるというもので、大幅な身体能力の上昇に繋がる。しかし、呼吸を行う上で強靭な肺が必要であり、まずはそれを鍛えることから始まる。
男は貧弱だった。いや、体格としては恵まれているのだ。常中でないにしろ、呼吸を行い童磨から逃げ切ったのだから。
ただ、常中で全集中の呼吸をしてきた私たちより肺が弱かっただけだ。
それ自体は隊士なら別段珍しくもないことなのに目に付いてしまった。
私よりも呼吸が弱いやつが姉さんを助け、上弦ノ弐から逃げたことが気に食わないんだ、そう自分の感情を分析した。
とりあえず、全集中の呼吸の効果を見せるために、目の前で瓢箪を割ったらゴリラって言われた。
さすがに酷くないですかね?
うら若き乙女を捕まえてゴリラですよ?
つまり、私と同じことをした姉さんにもその言葉は当てはまるわけで…
お前、表にでろ。
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稽古は元柱である姉さんが基本的に行う。
ただ気になるのは姉さんの距離が近く感じてしまうこと。
ほら!姉さん近いから!もっと離れて!!
…とは思うけど、こう言ったところで姉さんは気にも止めないのは分かってる。
だから、近づくなと言うなら男に言った方が早い。
「それ以上、姉さんに近づいたら殺す」
とガンを飛ばす。
男の体は一瞬固まった。
「(稽古中だから直ぐには)無理だって…短気は損気だぞ?」
はぁぁぁあああ?
私の!どこが!短気なの!?しかも無理って何なの!?早く離れてよ!!
姉さんは渡さないんだから!
我慢が出来なくなって思わず刀を抜いてしまった。笑顔で男に刀を突きつける。
「おとといきやがれください」
さすがに姉さんに怒られた。
…仕方ないじゃない。早く離して!このままじゃ姉さんがあの男の毒牙に…!
────
男が来て2週間経った。
蝶屋敷は怪我をした隊士の治療を行うため、人の出入りは地味に多い。もちろん、隊士の中には男の同期もいて治療を受けている。
今日も男の同期が蝶屋敷に来たと思ったら、男と話し始めた。
「お前って硬派というかさ、堅物だよなぁ。あの胡蝶姉妹とひとつ屋根の下で暮らしてるのに浮いた話も何も無く2週間過ごしてるんだろ?」
「たしかに胡蝶様達は才色兼備だけど、元柱と毒の開発をする才女だぞ?俺とは釣り合わない」
「そういうこと考えるのが硬派だよな」
「ただ、今は余裕が無いのもあるけどな。鍛錬が厳しくてさ」
「そんな理由で手を出さないなんて男の風上にもおけねぇな。…あぁ、お前、
あ、男が切れた。木刀で打ち合いを始めた。
打ち合いをするのは稽古になるしいいんだけど、もうちょっと場所を考えて言葉を発して欲しいわね。
…人の胸の話をするのはやめてくれるかしら!?
驚き(怒り)のあまり手に握っていた筆を折ってしまった。お気に入りだったのに…。
八つ当たりだとは思うが、男を殴りたくなった。
────
蝶屋敷の庭では、姉さんがあいも変わらず稽古をつけている。ただ呼吸を身につけた今は剣術指南に重点を置いているようだが…
そう、男は何事もなく、順調に稽古の段階を終えていき、2週間経った今では全集中の呼吸を常中で行えるようになっていた。
正直ここまで早く習得できるとは思っていなかった。
もともとの体格を鑑みても才能はあったのだろうが、負けたという感情が徐々に湧き上がってくる。
稽古に一段落つけた姉さんがこちらを見てくる。
「あ、しのぶも隆景君と鍛錬したいんだって。相手してあげてくれるかな?」
は?姉さん何言ってるの?
「妹さん、よろしくお願いします」
あんたも何、頭下げてんのよ!
え、何、本当にやる流れなの?
仕方なく対面した男を見る。
身長は高く、私とは頭ひとつ分は違う。
…前に立ったわりにぼうっと呆けるのもやめて欲しい。隙だらけだ。
人は頭から離れるほど認識が鈍くなる。
木刀で足を叩くと、ハッと顔を歪めた。
ちっ、どうせ姉さんに見とれてたんでしょ?
「あらあら、足元がお留守ですよ。その目は飾りですか?ならその目は要らないですよね、抉りとってあげましょうか」
今は、私を見なさいよ。
私と試合をしているのに、その目は私を捉えていないような気がして、苛立つ。
脇腹もふくらはぎも、なんなら首だって隙だらけだ。
この男は、私を舐めているのか?稽古だから、試合であって死合いでないから油断しているのか?
「隙だらけですね。姉さんは甘いですけど、私はそんな調子なら殺しますよ?」
私は自慢の突き技で、確実に突ける箇所を攻めていく。
少しくらい私を意識しろ、馬鹿野郎。
稽古が終わった時には、男の体には私が突いてできた痣が多くあった。
やりすぎたかもしれない。謝らないけど。
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この後は、夕食を食べてから、仕事である夜の見回りだ。
見回りのある日は姉さんがご飯を作ってくれる。
ふと、童磨との戦いで生きて帰れなかったら、こんなことももう無かったんだと気づく。
私たち姉妹は、あの男に日常を守られたのだ。
そう考えると、男への苛立ちは一瞬なりを潜める。
まあ、だからって受け入れるわけでもないけど。
夕食の席で、また男がぼうっとしている。
いや姉さんの料理が美味しいから、箸はよく動き、ぱくぱくと口を動かしている。
男の視線の先を見ると、ずっと姉さんを見てる気がする。
あんたねぇ、そんなに姉さんを見るんじゃないわよ。
背中をバシッと叩く。
男はなぜ叩かれたか分からず、終始顔をキョロキョロさせていた。
姉さんはそのやり取りを見て優しく笑う。
なんだか、家族みたいだ。
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見回りは特に何も無く終わった。
毎夜毎夜、鬼が出る訳でもないのでこんなこともよくある。
個人的には毒の調合の成果を試したかったのだが、仕方ない。
家に帰ったら、姉さんが朝食を用意してくれた。
ああ〜、お味噌汁が美味しい〜〜。
一口飲み、冷えていた体が温まる。
ふぅっ、と緊張を緩める。
姉さんのお味噌汁は見回りから帰ってきた時、現実に戻してくれる、私の必需品だ。
男はまだ帰ってきてないが、別に待つことも無い。
早々に湯浴みをして寝よう。
今日はまた、新しい毒の調合を試さなきゃ…
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仮眠を終えて、居間に行くと姉さんがあるものを見ながら赤い顔をしていた。
どうしたの…?
あっ、つげの櫛??誰から?
あいつかァ!
どうせ贈る意味も何も分かってないんだろうと決めつけるが、問いたださなくてはいけない。
男の部屋に行き、枕元に立つ。
このまま頭を踏みつけてしまいたい。
…とっとと、起きてください、クソ野郎。
男は都合よく目を覚ました。
私の顔を見てヒェッと声を上げる。
そんなに怖い顔してますかね?
「極楽かと思ったら地獄か…」
お前、口から出てるんですよ。もうちょっと聞こえないようにとか言わないようにしてくれませんかね?
「…今から聞くことに正直に答えないと首を斬ります」
今日、鬼で試せなかった毒があるんです。
思わず持ってきた日輪刀に手をかける。
男はダラダラと汗を流した。
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結局、あのつげの櫛はただの贈り物で深い意味はなかったらしい。
私の気にしすぎであっただけで、良かった。
男は私にも手鏡を買ってきたらしく、それをみたらなかなかセンスがあって悔しかった。
でもなんで手鏡なんだろうと聞いたら、前に手鏡を割ってしまってしょげていた、と姉さんに聞いていたらしい。
わざわざ私のことを考えて贈り物をしてくれたのかと、まあほんの少しですけど胸が暖かくなりました。本当に少しですけど。
まあ、あの贈り物が本当にそんな意味を持ってたとしても、まだ貴方に姉さんは渡しませんから。
もう少し我慢してくださいね。
話としては全く進んでなくて許してつかぁさい…( ˆ̑‵̮ˆ̑ )
感想とか評価とか、まじでありがとうございます。
特にプロットとかなくて、行き当たりばったりその場で書いてるんで、投稿遅くなったりするかもです…。