1:魔神は生まれない
「殺すな! これ以上」
賭けチェスの帰りに事故を起こしたのを助けようとして乗り込んでしまったテロリストのトレーラー。
飛び降りる事もできず、トレーラーがようやく止まったのを見て状況を確認しようとしたところを、突然襲い掛かってきた軍人らしき男に取り押さえられルルーシュは床に抑えつけられた。
一体自分が何をしたのかと、ルルーシュは唾を天にでも吐きたい気分だったが、生憎抑え込まれたこの状況ではそんな行為すらまともにできない。
「待て。俺は……」
「しかも毒ガスなんて」
「えっ?」
「とぼけようとしても!」
事情を説明しようとしても男は聞く耳持たず、それどころかこちらを抑え込む力を強くする。
それにとうとうルルーシュの堪忍袋の緒が切れた。
「だから!」
怒りに任せて蹴りを放つが、鍛えられた軍人の男は飛びのいてそれを躱す。
「どうせその毒ガスだって。ブリタニアが作ったんだろう」
「お前……」
「殺すな? だったらブリタニアをぶっ壊せ!」
理不尽な現状に対する不満をぶちまけるようにルルーシュは吠える。
それに対して男は反論するわけでもなく静かに呟いた。
「ルルーシュ……」
男に名前を呼ばれルルーシュは戸惑うが、その疑問に答えるように男はヘルメットを外す。
「僕だよ、スザクだ」
それは七年間一度も見る事のなかった親友の成長した顔だった。
「すざ……く……?」
思わず告げられた名前を繰り返すルルーシュに、スザクは屈託なく微笑む。
「お前、ブリタニアの軍人になったのか?」
「うん。君は、まさかこれ……」
「そんなわけないだろう。巻き込まれただけだ」
疑いの眼差しに否定を返すと、安心したようにスザクは息を吐く。
「良かった。君は……」
話を遮るように、突然目の前のカプセルから光が漏れる。
(毒ガス……)
スザクに聞いた言葉が頭をよぎる。
そう思った時にはルルーシュの身体は飛び込んできたスザクに抱え込まれ床に伏していた。
同時にマスクを装着させられる。それがスザクのものである事に気付いた時には、カプセルが完全に開ききる。
二人の目に飛び込んできたのは、鮮やかなライトグリーン。
毒ガスとは無縁なカプセルの光がまるで後光のように拘束衣を着た少女を照らしていた。
「毒ガスじゃ、ない……?」
ルルーシュの口を塞ぎながら、呆然とスザクが呟く。
一瞬視線が合ったかと思うと、少女はそのまま気絶して倒れ込んだ。
慌てて駆け寄り抱き起こす。気を失っているだけで、怪我をした様子はない。
「答えろよスザク。毒ガスか? この子が」
「しかし、ブリーフィングでは確かに……」
女が着ている拘束衣の拘束を解きながら話していると、突然横合いから眩い光に照らされる。
「このサル。名誉ブリタニア人にはそこまでの権利は与えていない」
侮蔑塗れの薄汚れた言葉にスザクは即座に反応した。
「しかしこれは、毒ガスと聞いていたのですが……」
「抗弁の権利はない」
その様子を見てルルーシュは一瞬で事態を理解した。
この少女はスザクの言う通り、確かに毒なのだ。スザクの主人達が危うくなるほどの。そして自分達を殺すほどの。猛毒。
「だがその功績を評価し、慈悲を与えよう。枢木一等兵、これでテロリストを射殺しろ」
「彼は違います。ただの民間人で、巻き込まれただけです」
「これは命令だ。貴様はブリタニアに忠誠を誓ったのだろう」
「それは……」
やはりこうなった。だがルルーシュにはどうする事もできなかった。ここで安易に動けば、即座に射殺される。
ルルーシュの聡明な頭脳がそれでもなんとかして事態を切り抜ける方法を模索する中、スザクは指揮官と向き直る。
「でも、できません」
「なにぃ……!」
「自分はやりません。民間人を。彼を撃つような事は」
振り向いてスザクはルルーシュを安心させるように微笑む。
だがルルーシュは気付いた。スザクが視線を外したと同時に指揮官の男が拳銃を持った腕を動かすのが。
「スザク! 避けろ!」
「!」
ルルーシュの叫びに瞬時に反応したスザクが超人的な身のこなしで飛びのくと、一瞬前までスザクがいた場所に銃弾が通り過ぎる。
もしルルーシュの呼びかけがなければ、少しでも動くのが遅れていたなら、スザクは撃たれていただろう。
「何を!?」
「命令に従えないサルを生かしておく理由はない」
無慈悲に告げられる問答不要の言葉に、ルルーシュとスザクは息を呑む。
「枢木一等兵を射殺したのち、女を捕らえよ。学生も殺せ」
『イエス・マイロード』
死刑宣告がなされる。
起死回生の策など何も浮かばないまま向けられる銃口。
意味がないと分かりながらルルーシュがやめろと叫ぼうとしたところで、それをかき消すような轟音と共にトレーラーが爆発した。
「何!?」
爆風に吹き飛ばされそうになり腕の中の彼女を抱える腕に力を込める。
そんな二人にスザクは駆け寄る。
「ルルーシュ! こっちだ!」
「なっ、スザク!」
スザクに手を取られ、女と共にその後を追う。
爆風の中を必死に走り、途中後ろで岩盤が崩れる。
最悪下敷きになるところだったが、それは都合よく道を塞ぎ、三人は追手を振り払う事ができた。
けれど状況は最悪だ。おそらく機密である少女を見た自分達を、あの指揮官の男は決して逃がさない。
元々テロリストを追っていた事もありこの周辺は既に封鎖されているとみていい。なんの装備もない一般人が突破できるわけはなく、それは軍人のスザクが一人いたところで変わらない。
控えめに言って、この状況は死ぬのが少し延びただけだ。
「クソっ! 一体どうなっているんだ!」
目まぐるしく表情を変えて襲い掛かってくる理不尽の嵐に、ルルーシュは我慢できずに少女に叫ぶ。
「お前のせいなんだろう! この騒ぎは! なあ!」
少女は答えない。口の拘束は外れているはずだが、ただ感情の読めない瞳でにルルーシュを見つめていた。
「ルルーシュ。彼女を責めても仕方ないよ。きっと彼女はただの被害者で……」
「分かっているさ、そんな事は! ……だが、どうしろというんだ! この状況を」
五指で顔を掴むように覆い、ルルーシュは唇を噛む。
冷静でいろと、心の中で自分に言い聞かせながら、それができる気はまるでしない。
「落ち着いてくれルルーシュ。君ならこの状況を打開する方法をきっと思いつくよ。僕なら好きに使ってくれていい。ここからなんとか脱出して……」
「無理なんだよ、スザク」
「えっ……?」
希望的観測を話すスザクに、ルルーシュは悔しそうに首を振る。
スザクが七年も離れていた自身の頭脳を未だに信じていてくれるのはありがたいが、この状況はいくら明晰なルルーシュの頭脳で以ても対処のしようがなかった。
「この女はきっと軍の――いや、あれはおそらくクロヴィスの親衛隊。だとすると皇族が隠しておきたい機密だ。となればそれを見た可能性がある者は全て殺される。テロリストはもちろん、もしかすれば民間人さえも。もし殲滅作戦が実行されるとなれば今頃この新宿は封鎖されているはずだ。そんな中で大した武器もない俺達が軍の封鎖を突破する事は不可能なんだよ」
「そんな……」
いま言った事は全てルルーシュの推測だ。本当にそんな状況になっているとは限らない。だがルルーシュが予測を外すところなどスザクは見た事がなかった。
何より本心を隠す事が得意なルルーシュが焦燥を隠せていない。その様子を見たスザクは、静かに覚悟を決めた。
「ルルーシュ。僕が囮になるよ」
「……何を言っている、スザク」
「僕が囮になって親衛隊の目を引きつける。だから君はその間になんとか逃げてくれ」
「バカを言うな! さっきまでの事をもう忘れたのか! 殺されるぞ!」
民間人の射殺という非道な命令といえど、それに従わなければ立派な命令違反だ。
しかもスザクは名誉ブリタニア人。純粋なブリタニア軍人ですらないスザクがもしまた見つかれば射殺は免れない。
「でも、これ以外に逃げる方法はないだろう?」
「ふざけるな! そんなのは手段ですらない! 単なる自殺だ!」
激高するルルーシュに対して、スザクの瞳は驚くほど凪いでいた。
自ら死地へ赴こうとしている者が宿すには、あまりにも不釣り合いな静謐さをもってスザクは微笑む。
「ルルーシュ。君が生きていてくれてよかった。なんとかして、逃げ延びてくれ」
「待て、スザク!」
「バイバイ、ルルーシュ。元気でね」
引き留めるために伸ばした手から逃げるように、スザクは凄まじい速度で駆け出した。
一度離れてしまえば、体力が人並み以下にしかないルルーシュがそれを追うのは不可能に等しい。
「クソっ! あの体力バカが!」
壁に拳をぶつけて口汚く罵るが、すぐに頭を切り替える。
いまは取り乱している場合じゃない。
「落ち着け。考えろ。考えるんだ。この状況を脱する一手を。スザクを助け、俺達が生き残る道を……!」
いくつもの作戦が頭をめぐり、しかしそのどれもが実行不可能という結論に行きつく。
所詮学生でしかない非力な身の上だ。武器もない。道具もない。人手もない。地図も環境データもないこんな状況で、できる事などあろうはずがなかった。
「力が欲しいか?」
「何?」
振り返れば、先程から一言も発しなかった拘束衣の女が無表情にこちらを見ていた。
「友を助ける力が。この状況を脱するだけの力が。理不尽な運命に抗う力が」
疑惑の視線を向けられながら、女は好き勝手に話し続ける。
その言葉はどこか神秘的な響きを宿し、拘束衣を身に着けているにも関わらず高貴な気品と底知れない不気味さが同居していた。
「これは契約。力をあげる代わりに私の願いを一つだけ叶えてもらう。契約すれば、お前は人の世に生きながら人とは違う理で生きる事になる。異なる摂理。異なる時間。異なる命。王の力はお前を孤独にする。その覚悟があるのなら、私の手を取れ」
差し出される手。それは神からの救いの手のようにも、魔女からの誘惑の手にも見える。
女からの雰囲気に呑まれそうになり、思わずルルーシュは唾を呑み込んだ。
女は待っている。
ルルーシュが手を取るのを、せかすでもなくただ待っている。
それに抗いがたい誘惑を感じながらも、ルルーシュはそれを断ち切るように鋭さを持って拒絶した。
「断る」
「なに?」
「誰がそんな怪しい契約をするものか。こんな状況で力を与えるだと? そんな胡散臭い話に乗るのは考えなしのバカだけだ」
例えばこれが身を挺して自分を守ってくれた相手だったり、次の瞬間には死ぬかもしれないような状況であれば選択肢の余地なく契約したかもしれない。
しかし実際に自分の目の前にいるのはクロヴィスが機密にしているほど得体のしれない女であり、このままでは死は確実とはいえ、事態を打開するための策を考える時間だけはわずかながらに残っている。
この見るからに怪しい女の誘いに乗る理由などルルーシュにはなかった。
「だがこのままではお前は死ぬ。お前のお友達も。なら一縷の希望に賭ける事も必要ではないか?」
「騙すつもりならもう少しマシな誘い文句を考えるんだな。そんな力があるのなら、俺に契約させるのではなく自分で使えばいいだろう。そもそも親衛隊が本当に狙っているのはお前の方であり、俺達はついででしかない。状況は俺達よりもむしろお前の方が悪いと言える。だというのに自分で力を使わずに契約を迫るなど、状況を盾に取った脅迫以外の何物でもない。そんな相手をどうやったら信用できるというんだ?」
巻き込まれたのはこちらの方であり、もし本当にそんな力を持っているなら自分達を助けるのはこの女の当然の義務のはずだ。なのに一方的に契約を持ち掛けてくるその行為の裏を考えれば、信用などできるわけがない。
「もし本当に力があると言うなら、クロヴィスに捕らえられていた事それ自体が既におかしい。不意を突かれて捕らえられたとしても、力を使って逃げ出せたはずだろう。それができないと言うのなら、この状況をどうにかできるというお前の言葉そのものが眉唾である事の証明だ」
「しかし力が要らないと言うなら、この状況をどうするつもりだ? 私と契約する以外に、この状況を脱する策がお前にあるのか?」
「お前と契約する選択肢など最初からない。いいから黙っていろ! 何を言われようとお前の口車に乗るつもりはない!」
一喝し、ルルーシュは再びこの事態を脱する方法を考える。
そんなルルーシュの様子を無表情に見つめながら、女は再度口を開く。
「私は信用できないか?」
「くどい」
「なら、信用させてやる」
「なに?」
予想外の言葉に眉を寄せる。
女は変わらぬ調子でなんて事のないように続けた。
「この状況からお前を救ってやる。そうすれば、信用できるだろう? 私は敵ではないと」
「……矛盾している。俺がこの窮地から脱する事ができたなら、力を求める必要はなくなる。つまり、お前と契約する理由はなくなる」
「いいや。お前はいずれ必ず力を求めるさ。私には分かる」
「何を……」
見透かすような事を告げ、女は踵を返して歩き始めた。
イレギュラーな事態にルルーシュは戸惑う事しかできない。
「おい、どこへ……」
「またな、ルルーシュ」
後ろ手に手を振り、女がスザクの去った方向と同じ方へ歩いていく。
呆然と、ルルーシュはそれを見送る。
「なんなんだ、あの女は……」
プロローグが終わるまでは早めに更新していきたいと思いますので、是非お付き合いいただければと思います。