スザクは走っていた。
死に物狂いで、後ろから聞こえる軍靴の音とガチャガチャと鳴る金属音に追いつかれぬよう、七年前親友に体力バカと言われた身体能力を十全に使って。
軍人となるために行われた訓練で培った能力を、軍隊から逃げるために使うというのはなんとも皮肉な話だが、スザクに迷いはなかった。たとえここで殺されるのだとしても。親友を撃たなかったあの選択に、後悔など微塵もない。
(ルルーシュ……)
七年振りにあった親友は変わっていなかった。背は伸びていたし、顔立ちは大人っぽくて、声だって低くなっている。けれど頭の良さや、いつもクールに見えて気性が激しいところ、それにこんな状況でも自分を気遣ってくれる優しさは何一つ変わっていない。
きっと彼の妹のナナリーも同じように変わらず成長しているのだろう。
そんな二人の事を思えば、ここで果てる事になろうと自分の選択に間違いはないのだと胸を張って言える。
「いたぞ! こっちだ!」
背後から聞こえる怒鳴り声に速度を上げる。
追いつかれるのは論外だが、引き離しすぎるのも良くない。そしてただ逃げるだけではいけない。それではわずかな手勢が差し向けられるだけで彼らはルルーシュ達を追い続けるだろう。
だからこそスザクは逃げながら一定の距離を保ち、なおかつ相手の戦力を削りつつ逃走しなければならなかった。
既に何人かの兵は無力化し、その際に銃や弾薬も奪っている。
牽制に威嚇射撃をバラまきながら物陰に身を潜め弾を入れ替えるが、自身が徐々に追い詰められているのがスザクには分かった。
おそらくこのままではものの数分で逃げ場がなくなるだろう。
そしてその瞬間が自分の命の最期だ。
しかしだからといって、諦めるわけにはいかない。
自分の逃げる時間が長ければ長いほど、親友の生存率は上がるのだから。
「サルめ。イレブンの癖に手間取らせてくれたな」
予想に反して約十分。スザクは死に物狂いで逃げまわった。
だがそこまでだった。
スザクの周囲はクロヴィスの親衛隊に取り囲まれ、奪った銃は弾切れを起こし地面に転がっている。
「しかし、お前の未来はいま終わった」
隊長の男から銃弾が放たれる。
瞬間、咄嗟に身体が動いた。
眉間を狙われているのを銃口の角度から見切り、なんとか首をひねって銃弾を後ろにそらす。
結果、銃弾はスザクの頬を浅く切り裂くのみで、その命を奪うまでには至らなかった。
「ふん。無駄な足掻きを。たった一発躱した程度でどうなる?」
隊長の男が右手を上げると同時に、十を超える銃口がスザクを捉える。
今度こそ避ける事は叶わず、スザクの命は奪われるだろう。
(ごめん。ルルーシュ。ナナリー)
「撃っ……!」
「やめておけ」
命令が下るのを遮り凛とした女の声が響き渡る。
スザクが思わず閉じた目を開くと、そこにはルルーシュと共に逃げたはずの綺麗な緑髪の女性が立っていた。
「貴様は……」
「お前達が捜していたのは私だろう? 光栄に思え。捕まりに来てやったぞ」
髪をかき上げながら傲岸不遜に言い放ち、女は瓦礫の上に立ってこちらを見下ろす。
それに不快感を覚えた隊長の男は眉根を寄せたが、すぐにスザクに向き直る。
「ふん。そこで少し待っていろ。このサルを殺したらすぐに……」
「断る。私をいますぐ連れていけ。待たされるくらいなら、私はお前達についてはいかない」
「なにぃ……?」
圧倒的不利な立場にいるはずの女からの言葉に、プライドの高い男は今度こそ看過できず部下に命令を下す。
「貴様ら、女を捕らえろ」
『イエス・マイロード』
指示を受けた部下がスザクから銃口を外し、女に近付く。
当然逃走を図るかと思われた女だが、予想に反して一歩も動かずスザク達を睥睨している。
距離を詰めた部下が命令を果たそうと女に触れた瞬間、それは起こった。
「うわああぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁぁ!」
「ど、どうした、おい貴様。何があった!」
「違う! 俺は軍人だから! 違う違う違う! そんな眼で俺を見るな! 俺は! 俺は……!」
両手で頭を抱えながら意味不明な言葉を並べ錯乱する男。
誰もが呆然と見守るしかない中で、愉快気な声が響く。
「おやおや。この様では私を捕まえるどころではないな」
おそらくこの事態を起こした張本人である緑髪の女に、隊長の男は咄嗟に銃口を向けて怒鳴った。
「貴様何をした!」
「知らないな。こいつが勝手に暴れただけだろう」
見え見えのすっとぼけをする女は楽しそうに唇で弧を描く。
「さぁどうする。イレブン一人を殺すために私を見逃すか? 私を殺さずにあんなところに閉じ込めてくれたお優しい総督なら許してくれるんじゃないか? サル狩りが楽しくて命令を忘れてしまいました、とでも訴えればな」
「貴様ぁ……!」
あからさまの挑発に女に銃を向け、だが引き金は絞られない。
殺気を滲ませた隊長の男の睨みを、女は飄々と受け流す。
やがて男は銃を下げ苦々し気に命令を下した。
「……女を連れて帰還する」
「しかしこのイレブンは……」
「二度は言わん! さっさとしろ!」
『イエス・マイロード』
反論しようとした部下を怒鳴りつけ、親衛隊はスザクを放って女を捕らえるために動き出す。しかし触れれば先程のような得体のしれない何かが待っているかもしれず、女は銃で四方から銃で取り囲まれる。
そのまま連行されそうになる緑髪の女に、スザクは思わず口を開いた。
「待ってくれ、君は……」
「感謝しろ、枢木スザク。お前を救った私と、お前の無事を願った友にな」
首だけで振り返りそう言った女は、これ以上答える気はないとばかりに、銃を向けられながら悠然とした足取りで連行されていった。
力。それはルルーシュが求めて止まないものだ。
力さえあれば、国から逃げ、隠れ住む生活などしなくて済んだだろう。
力さえあれば、暗殺された母の仇を探し出して復讐する事ができるかもしれない。
力さえあれば、こんな状況に追いつめられる事はなかっただろう。
力さえあれば、七年来の友達を一人で行かせる事もなかったかもしれない。
力さえあれば、この状況を利用してブリタニアに一撃を与える事さえできたはずだ。
女の誘いを断った事を後悔しているわけではない。あんな胡散臭い女と契約を結ぶなど常識的に考えてあり得ない。
けれどそれは決して、力ない自分を肯定していい理由にはならないのだ。
「俺は、無力のままでいるわけにはいかない……」
でなければ、今日のように理不尽に奪われる。
友を。家族を。自らの命ですら。
女と別れた後、ルルーシュはスザクを探してさまよっていた。
軍に見つからないよう細心の注意を払いながら、広範囲を歩き回る。
起死回生の策があるわけではない。
だがこのままスザクを見捨てて逃げる選択などルルーシュにできるわけもなかった。
何せスザクは、ルルーシュの唯一と言っていい親友なのだから。
「ルルーシュ!」
「スザク! 無事だったのか」
呼ばれた声に振り向けば、探していた人物がこちらに駆け寄ってきていた。
怪我をした様子もないスザクの姿に、安心して膝から力が抜けそうになったが、なんとか堪えて笑む。
殺されている可能性の方が遥かに高いと思っていただけに、安心も一入だった。
「うん。あの子が助けてくれたんだ。でもそのせいで、あの子は……」
「そうか……」
スザクが言い淀んだ先が聞かずとも理解でき、ルルーシュは緑髪の少女を思う。
彼女は宣言通り自ら捕まる事でルルーシュとスザクを助けたのだろう。
正確にはこの状況はまだ助かったとは言い難いが、直接自分達を狙っていた親衛隊が盤上からいなくなっただけで生存率は跳ね上がる。
巻き込まれた事の恨みは忘れ、心の中でルルーシュは感謝する。
彼女を助けに行く事は出来ない事と、彼女の行く末が決して明るくはない事が分かっていたから。
「とにかく、いまは逃げる事だけを考えるぞ。親衛隊がいなくなったと言っても、おそらく新宿は包囲されている。逃げ出すだけでも容易い事じゃない」
「そう……だね。ならまずは地下から出ようか」
スザクの提案にルルーシュも頷く。
地下の方がブリタニア軍がいないので安全ではあるが、入り組んでいるため迷うのがオチだ。このまま隠れていてもいずれ見つかるのは明白なのだから、地上に上がって一刻も早く脱出するしか生き延びる方法はない。
「結局、あの子は誰だったんだろう?」
「さぁな。だがクロヴィスが隠しておきたい何かだという事は確かだ。親衛隊まで動かして捜してたくらいだからな」
そう答えながら、おそらくは人体実験の被験者か何かだろうとルルーシュは高い確率で予想していた。大穴でクロヴィスの隠し子などという可能性もないとは言えないが、そんな相手に拘束服を着せ高圧力ケースに閉じ込めるなんて真似をするほどあの兄も莫迦ではないと信じたい。
「地上に出るよ。流れ弾に気をつけて」
「分かっている。お前こそ、軍に見つからないよう注意しろ」
お互いに警告しながらルルーシュとスザクは地下から出る。
そこには予想していながらも思わず眉をしかめるような凄惨な光景が広がっていた。
「これは……」
「あぁ。これがブリタニアだ……」
至る所で上がる硝煙。遠くから聞こえてくる銃声と機械の駆動音。それに連動して微かに響いてくる悲鳴。無惨に破壊された家屋の瓦礫に、それに付着した濁った赤い血。周りを見渡せば、物言わぬ肉の塊となった人だったものがいくつも転がっていた。
随分と前にも見た地獄を想起させる風景に唇を噛み、ルルーシュは身を翻した。
「行くぞ、スザク」
「ルルーシュ……」
スザクも同じ光景を思い出してるのが分かった。それでも立ち止まっているわけにはいかない。あの時と同じくルルーシュはスザクを促す。
「逃げるんだ」
「……うん」
なるべく軍に見つからないよう瓦礫や建物の影に隠れながら移動するが、この現状からして殲滅作戦が実行されているのは確実。誰一人として逃がさぬよう新宿は完全に包囲されているだろう。
途中で歩兵に見つかりそうになるもスザクが即座に倒した事で連絡はされずに済む。ついでとばかりにルルーシュは気絶している兵士の身ぐるみを剥いで物陰で着替えた。
「なんだか君、ガサツになったね」
「そういうお前は随分と優等生になったんだな。こういう事はむしろ、率先してお前がやっていたものだろう」
「ここまでの事はしてないよ。ナナリーが見たらなんて言うか……」
額に手を当てて嘆くスザクを尻目に着替え終わったルルーシュは、見た目だけなら完全にブリタニア軍人の一兵となっていた。
「これで戦場を歩き回っても目立ちはしないな。さすがに学生服のままじゃ捕まえてくれと言ってるようなものだからな」
「そういえば、ルルーシュっていまは学生なの?」
「ああ。アッシュフォードの好意で、学園のクラブハウスに住まわせてもらってる」
「そうなんだ。ナナリーも?」
「一緒に暮らしているよ。目も足もあの時のままだが、優しい子に成長してくれている」
戦場とは思えないほど穏やかな顔でそう口にするルルーシュに、スザクも自然と笑みが零れる。
最愛の妹のためにも必ず生きて帰るとルルーシュは心中で誓い、スザクはそんな二人のためにも絶対に新宿の外に親友を送り届けると決意を新たにする。
しかしほどなくしてルルーシュとスザクは、壁にぶち当たった。
「封鎖されているね」
「あぁ。だが遠回りしようにも戦闘区域を横切らなければならない上、運良く突破できたしてもそこから先もここと同じように封鎖されている可能性が高い」
「つまり……」
「あそこを突破する以外に新宿から脱出できる可能性は限りなく低い」
目の前に立ちふさがるのはナイトメアが二台に歩兵の小隊が同じく二隊。
とても生身で立ち向かえる相手ではない。
「ルルーシュ、ここは僕が……」
「囮になる、なんて二度と言うなよ。ここを突破したからと言ってすぐに新宿から出られるわけじゃない。同じような封鎖にぶつかって捕まるのがオチだ」
「でも……」
「やめておけスザク。下手に考えたところで、お前に良い案が浮かぶわけがないだろう。頭を動かすより身体が動くタイプなんだから、お前は」
思いつめていたスザクの顔が、呆れ半分の言葉に面白いようにキョトンとなる。
そしてすぐにクスクスと笑いだし、それにつられてルルーシュもニヤリと笑う。
「何か、良い考えがあるんだね」
「勝算の高い策とは言えない。だが、お前の案よりはマシだろう」
「酷いな。でも、確かにそうだね。ルルーシュより良い作戦が僕に思いつけるわけないか」
「そういう事だ」
ひとしきり笑い合い、作戦の説明に移る。
全てを聞き終えたスザクはすぐに立ち上がった。
「分かったそれでいこう」
「お前、少しは疑問とか躊躇いとかはないのか?」
「ないよ。君が考えた作戦だもの。それ以上にいいものが僕に浮かぶはずがないだろう?」
先程の言葉をそのまま返され、苦笑する。
何も訊かない事、それがそのままスザクからの信頼の証なのだ。
「行ってくる。君はここで待ってて」
「あぁ。くれぐれも不自然な言動だけは避けろ。状況が状況だ。堂々としていればバレる可能性は極めて低い」
「うん。任せて」
そう言ってスザクはブリタニア軍に向けて走っていく。
その姿が視認できたのか、ある程度近付いたところでナイトメアに騎乗した軍人がコックピットから出て声を張り上げる。
「止まれ! そこで所属と階級、IDを述べよ!」
「自分はブリタニア軍・名誉ブリタニア人第三部隊所属、枢木スザク一等兵。IDはELE-35846であります!」
「元イレブンの部隊か。何をしに来た! 貴様らの作戦区域は別であろう!」
「それが、作戦行動中に親衛隊の方が岩盤の崩壊に巻き込まれ動けない事態となっております。そのため救助を要請したくこちらに参りました」
「なにぃ! そのような通信は入っていない。なぜ名誉ブリタニア人の貴様が直接来る!」
「通信機が岩盤崩壊の際に壊れて使えなくなってしまったからであります。同じ親衛隊の方に救援を求めようにも作戦区域は広範囲に渡っており正確な位置情報が掴めず、無暗に捜し回るよりも一番近くで待機していたこちらの隊に救援を要請すべく窺った次第であります」
胸に拳を当てて敬礼しながら、ルルーシュから言われた通りの言葉を口にするスザク。
予測される問いの答えを全て教えられているスザクが言葉に詰まる事はなかった。
「経緯は分かった。救助の部隊を送る。貴様は該当の場所まで部隊を案内せよ」
「イエス・マイロード!」
作戦通りにナイトメア一台と小隊が救助隊としてスザクについてくる。
岩盤の崩落があったのだから救助にナイトメアは必須。しかしナイトメアだけでは怪我人の救護は難しい。結果部隊を完全に二つに分けるしかない。全てがルルーシュの言った通りだった。
スザクの案内に従って救助隊は持ち場を離れていく。
それがルルーシュの罠とも知らずに。
「行ったか……上手くやれよ、スザク」
ブリタニア軍を率いて遠ざかっていく親友の後ろ姿を見送り、ルルーシュも立ち上がった。
スザクならこの後もきっと自分の役目を果たすだろう。次は自分の番だ。
「止まれ! そこで所属と階級、IDを述べよ」
「ブリタニア軍・第八哨戒部隊所属、アラン・スペイサー軍曹、IDはSG5-KRB4Uです。至急お伝えしたい事があり参りました」
「ふむ。こちらは第五遊撃部隊のクロウツ少尉。IDはGW7-LKN57Fだ。どのような要件か述べよ」
「ハッ。まずはこちらをご覧ください」
「それは……通信機か?」
「はい。これはテロリスト共の通信機です」
「なにぃ!」
身を乗り出し男の目の色が明らかに変わる。
さすがに驚きすぎかとも思ったが、こんな後方に配備される隊では大した報告も上がる事はないだろうからそれも当然かと思い直す。
「これがあればテロリスト共の作戦は全て筒抜け。逆探知すればテロリスト共の巣穴を叩く事も容易かと思われます」
「その通りだ。よくやった、スペイサー軍曹よ。……しかし、なぜこれを私達の隊の元に持ってきたのだ? 自隊の隊長に報告するのが筋だろう」
来た。ここだ。ここで失敗すれば、自分はあえなく捕まり脱出は不可能になる。
わずかに唾を呑み込み、ルルーシュは正念場へ踏み出す覚悟を決める。
「失礼ながら、少尉殿はこの通信機をどうなされるおつもりでしょうか?」
「ん? 当然司令部へ持っていき……」
「それが最善だと少尉殿はお思いでしょうか?」
上官の言葉を遮ると言う不敬を犯しながら、それを咎められる事はなかった。
それよりも不穏なルルーシュの言葉が上官の不安を煽る。
「少尉殿が通信機を司令部に持っていけば、司令部はその通信機からテロリスト共のアジトを特定し強襲を掛けるでしょう。テロリスト共が我が軍を相手取る戦力など持っていない事は明白。簡単に殲滅が可能です」
「だからこそ司令部へ……」
「しかしそれでは、テロリスト殲滅の手柄は司令部がそのまま持っていく事となります」
ハッとクロウツ少尉は目を見開く。
それを好機と捉え、ルルーシュは口を挟むのを許さず畳み掛ける。
「確かに機材のないこの場では逆探知は難しいでしょう。しかしテロリストの通信を傍受する事は可能です。となればテロリストの作戦は全て盗聴できる上、運が良ければアジトの場所をテロリストが喋る事もあり得るかと思われます。テロリスト共の戦力は型落ちのグラスゴーが一機に、銃火器を持った歩兵が小隊規模しかいないのは明らか。サザーランドであれば容易く殲滅できるでしょう。そしてテロリスト殲滅の功績はそれを実行した部隊のみが得られる」
クロウツ少尉が食い入るように自分の話を聞いているのを見て、ニヤリと、相手にも見えるよう笑みを浮かべる。
それはまるで共犯者ができた事を喜ぶ犯罪者のように。
「少尉殿は私がなぜ自部隊の隊長に報告を上げなかったとお尋ねになりましたね。ですが、もうお分かりではありませんか?」
「なるほど。貴様も手柄が欲しいと言うわけか」
「ここの封鎖は私が承りましょう。いまやテロリスト共は逃げ回るばかり。こちらに来たとしても撃退は容易いかと思われます」
新宿封鎖の任務放棄は自分が受け継ぐ事で引継ぎとし、暗に自分がいなければ軍令違反になると告げる事で手柄の独占をさせぬよう釘を刺す。
軍人ではないルルーシュには手柄などまるで意味のない話だったが、その上昇志向がブリタニア軍人らしいと受け取ったのかクロウツ少尉は声を出して笑った。
「よかろう! アラン・スペイサー軍曹、貴殿には我が隊の代わりにこの場の封鎖任務を言い渡す。テロリストはもちろん、イレブン一匹通す事は許さん!」
「イエス・マイロード」
敬礼をし、慌てた様子でこの場を離れていく部隊を見送る。
まるで疑う様子もない、ある意味ブリタニア軍人の見本ともいえる出世欲に溺れた姿に、心労の汗をぬぐいながらルルーシュは一人吐き捨てる。
「何が弱肉強食だ。あれではただ餌に群がる豚と同じだ」
強い者が上に立つのではなく、上に立つために小さな手柄を奪い合う。醜い競争社会とそれを生み出しているあの男への嫌悪が、作戦成功の安堵と達成感を奪い去る。
しかしそんなルルーシュを諫める声が横合いから掛かった。
「口が悪いよ、ルルーシュ」
振り向けばそこには予想通りの友人の姿。
「上手くやったようだな」
「そっちもね。まさか本当に、戦わずに封鎖を解くなんて……」
「条件さえクリアできれば、この程度の事は造作もない」
事も無げにルルーシュは言う。
スザクには道に迷ったふりをして隊を分散させ、捜索のどさくさで引き返してくるようにと指示していた。
体力バカのスザクに演技ができるかは不安だったが、怪我した様子もなく戻ってきたところを見ると騙した事には気付かれていないのだろう。
「だが稼げた時間はそう多くないはずだ。追いつかれればナイトメア相手に俺達に勝ち目はない。急ぐぞ」
「うん。早くここから逃げよう」
口八丁で封鎖は超えられたと言っても、ルルーシュが騙した隊はまだしも、スザクが騙した方は親衛隊が見つからないとなればいずれ戻ってくるだろう。その時封鎖が解かれていると分かれば、通った人間がいないか確認しに追ってくる事は火を見るより明らかだ。
「ルルーシュ。君の予想だと猶予はどれくらいなの?」
「おそらくは三十分――いや、二十分が良いとこだろうな」
希望的観測は捨て、現実的な時間をルルーシュは告げる。
「それだけしか時間がないなら、追いつかれないようにある程度進んだら一度隠れた方がいいんじゃない?」
「いや。ナイトメアのセンサーには熱探知の機能があるから隠れるのはむしろ危険だ。堂々と歩いていれば哨戒だと勘違いしてくれるかもしれないが、隠れていればやましい事があると言っているのと同じだからな」
上手く隠れられたとしても、新宿が封鎖されている以上いずれは見つかる。待ちに入った時点で命はない。
「といっても、そんな誤魔化しが利くとは思えないから見つかった時点でほぼ詰みだ。なら少しでも遠くに逃げて、追いつかれるより先に新宿を出るしかない」
「あとどれくらいで出られるのかな?」
「さぁな。俺もゲットーに来る事なんてまずないから、地図もなしに目測はつけられない。だが俺がトレーラーに乗っていた時間からして、そう遠くはないはずだ」
トレーラーが時速何キロで走行していたかなどは分からないが、それでも軍から逃げていた事や乗っていた時の揺れから悪路である事は分かっているため、大体の速度は予測可能だ。方角も中心地から遠ざかって行けばおそらくは大丈夫だろう。
ブリタニア軍に見つからないように急ぎながら、二人は最速で新宿からの脱出を図る。
「こんな時に言う事じゃないかもしれないけど、こうして二人で走ったりするの、なんだか懐かしいね」
「呑気な奴だな。見つかっても追いつかれても死ぬかもしれないんだぞ。感慨に耽ってる余裕なんてないだろうに」
そう言いながらも、ルルーシュの口元には笑みが浮かんでいた。
あの短い夏の一時は、二人にとって最も大切なガラスのような時間だった。
だからこそ、ルルーシュには隣の友人の姿が信じられなかった。
「なぁスザク。お前どうして、ブリタニア軍人なんかになったんだ?」
自らの国を攻め、占領した国の軍隊なんかに。
あの時間を粉々に砕いた国に忠誠を誓う名誉ブリタニア人なんかに。
「この光景を見れば分かるだろう。いや、七年前から分かっていたはずだ。ブリタニアは腐っている。お前が仕える価値なんかない」
悪しざまに祖国を罵るルルーシュ。
その言葉を否定せず、意志を感じさせる強い瞳でスザクは頷いた。
「そうかもしれない。でもだからこそ、僕はブリタニアを価値のある国に変えたいんだ」
「変える、だと?」
「うん。間違った方法で手に入れたやり方に、それこそ価値はないと思うから」
「だからブリタニア軍に入ったというのか?」
「それしか、この国を正しく変える方法はないと思ったんだ」
迷いを見せないスザクの真っ直ぐな宣言にルルーシュは言葉を失う。
それは自分が考えもしなかった事で。考えるのすらバカバカしいほどの方法で。だからこそその道を進めばどうなるかが簡単に分かってしまった。
「スザク、それは……」
「ルルーシュ。何か、聞こえない?」
口に仕掛けた言葉を遮られ、足を止めたスザクが真剣な表情でそう問うてくる。
出鼻をくじかれたルルーシュは、その不快さも相まって少々乱暴に答える。
「曖昧過ぎるぞ。そこかしこから破壊音がしてるんだ。どんな音かくらい言え」
そう言いながらルルーシュも耳を澄ます。
街の破壊音や銃声に紛れて確かに微かな音がする。
それは徐々にはっきりとした形になり耳へと届き、軍人として感覚が優れたスザクが先にその正体へとたどり着く。
「これは……ランドスピナー! 追手だ!」
「なんだと!」
「ルルーシュ! 急いで」
いままでとは違い体力など気にせず走り出す二人。
そしてすぐにルルーシュの耳も、ナイトメアが移動に用いるランドスピナーの音をはっきり捉える。
ナイトメアと人では速度が桁違いだ。音はどんどんと大きくなり、二人を追い詰めていく。
「ルルーシュ僕が囮に!」
「二度と言うなと言っただろう! それに囮になったところで生身じゃ大した時間稼ぎにもならない。結局はすぐに殺されて終わりだ!」
「でもだったらどうすれば!」
切羽詰まったスザクの声に答える言葉をルルーシュは持たない。
全力で思考をフル回転させるも、先に言った通り追いつかれればそれで詰みだ。逃れる術はない。
ナイトメアが地面を駆る音は建物の向こうのすぐ近くまで迫っている。
見つかるまでもはや十秒の猶予もないだろう。
(終わるのか、こんなところで! ナナリー!)
『全軍に告ぐ。直ちに停戦せよ』
ルルーシュの頭脳が白旗を上げたのと同時に、新宿全体にこの場で最も逆らい難い声が響き渡る。
『エリア11の総督にして第三皇子クロヴィス・ラ・ブリタニアの名の元に命じる。全軍直ちに停戦せよ。建造物などに対する破壊活動もやめよ。負傷者はブリタニア人、イレブン関わらず救助せよ。クロヴィス・ラ・ブリタニアの名の元に命じる。直ちに停戦せよ。これ以上の戦闘は許可しない』
あまりに予想外な停戦命令に、ルルーシュは呆然と空を見上げる。
隣ではスザクも似たような顔をしていた。
やがて二人を追っていたナイトメアが遠ざかっていく音を聞き取り、ルルーシュはスザクと顔を見合わせた。
「助かった……のか?」
「みたいだね……」
総督の命令で停戦命令が出された以上、自分達が殺される可能性はもうないだろう。
だがあっさりと助かった事に実感が湧かず、二人は互いの命を喜ぶ事すら忘れて呆気にとられる。
「でも、どうして……」
「分からない。クロヴィスは新宿を殲滅するつもりだったはずだが……」
そう口にしている途中で、ルルーシュは高慢な口調で去っていた緑髪の女を思い出した。
(まさか本当に、あの女の仕業? あり得ない。一体どんな力があれば、あの状況からクロヴィスに停戦命令を出させる事ができると言うんだ)
疑問に感じる事は多々あれど、助かった事には変わりはない。
頭をめぐる疑問を全て後回しにしてルルーシュはスザクを促す。
「とりあえず早くここから出るぞ。いつ停戦命令が撤回されるとも限らない」
「そうだね。行こう……」
そこから新宿を出るまで、二人は無言だった。
話したい事も話すべき事もあるはずなのに、それは言葉として形を成す事はなかった。
そしてようやく脱出した新宿を振り返り、二人は並んで廃墟と化したその街を見る。
「酷い……」
「あぁ。確かにテロリストもいただろうが、大半は普通に住んでいた民間人だっただろうに」
血で汚れた巨大な鉄の塊がうろつき回る瓦礫ばかりの街並み。もはや人の住める場所ではなくなった新宿と呼ばれていた街を見て二人は顔を歪める。
それは在りし日の光景と瓜二つで、それを見て立ち尽くす自分達まで含めて何も変わっていなかった。
「皇族の気まぐれ一つで、街一つ、何百何千もの命を簡単に奪っていく。これがブリタニア。奴らが掲げる弱肉強食だ」
クロヴィスにも理由はあっただろう。テロリストに機密を奪われ、それが本国にばれれば立場が危うかったのかもしれない。だが皇族の保身のためだけにこれだけの人が殺されていいわけがない。なのにそれが認められるのがブリタニアという国なのだ。
弱い者は何をされても仕方がない。強い者がする事が正義。
あの男のふざけた理念が、こんな外道な行いを肯定している。
「行こう、スザク。俺達にできる事は何もない」
踵を返してルルーシュは立ち去ろうとするが、ついてくる足音が聞こえずに振り返る。
「スザク?」
「ごめんルルーシュ。僕は戻るよ」
一瞬ルルーシュにはスザクが何を言っているのか分からなかった。
「戻るって、軍にか? バカな!? 殺されるだけだ!」
命令違反に親衛隊への反逆行為。たとえスザクが名誉ブリタニア人ではなく純ブリタニア人だったとしても、問答無用で銃殺刑は免れない軍律違反だ。
親友の真面目を通り越して自殺としか思えない愚行に、ルルーシュは声を荒らげる。
「でもそれがルールだ。僕はルールを破った。ならその罰は受けないと」
「それがバカだと言うんだ。死ぬために戻るようなものだぞ!」
「分かってる。それでもこれ以上ルールを破るよりマシだ」
「バカげている。ルールを守る、それだけのために死ぬ気か。お前はそれでいいのか!」
自らの死をもってしても揺るがず、驚くほど凪いだ瞳で自分を見つめるスザク。
囮になると言った時もこうだった。
なぜこうも死を簡単に受け入れるのか。親友の考えが分からず、疑問と焦燥だけが募る。
「ふざけるな! ここまで逃げてようやく助かった命だろう! それを捨てるなんてどうかしている!」
「そうかもしれない。でもここで逃げてしまったら、ブリタニアを中から変える事なんてきっとできない」
「中から変えるだと? そもそもそんな事は不可能なんだよ! お前がいくら努力したところで、この国は変わらない!」
「だとしても、変える努力はするべきだ。そうしなきゃ、絶対に何も変わらない」
頑なに意見を翻そうとしないスザク。
その頑固さは変わらない。昔と何一つ。なのにどうして、こんなにも昔のスザクとは違うのか。その違いに、ルルーシュは驚きを通り越して困惑する。
「どうしてだ、スザク。昔はそんなんじゃなかっただろう。昔はもっと、自分勝手で、俺様で、自分から死ぬなんて、そんなのは死んでも選ばないような、そんな奴だったはずだ」
出会った頃、スザクは我が強く、何よりも自分の意志を一番に考える人間だった。
ナナリーがいなくなった時も、助けなど必要ないと言うルルーシュに『枢木スザクは日本男児だ。助けたい人間を助けるのに、やりたいことをやるのに、理由なんかいるもんか』。そう言ってルルーシュの主張などお構いなしにナナリーを捜してくれた。
だからこそ、俺達は唯一無二の友となった。なのに――
「君は、変わらないね。ルルーシュ。あの時と同じで、頭が良くて、プライドが高くて、そして――優しいままだ」
風が吹く。
それは二人の間を通り過ぎて、まるで踏み入る事を拒絶し隔てているようだった。
「ありがとう、ルルーシュ。引き留めてくれて。僕の命を、心配してくれて。君が友達で、本当に良かった」
「くっ……この、バカが!」
説得の言葉が思いつかず、咄嗟に罵倒が口をついて出る。
スザクは目を細めて笑んだ。
「懐かしいな。昔もそうやって、よく怒られたよね」
そして二度目の別れをスザクは口にする。
「ごめん、ルルーシュ。バイバイ」
それだけ告げて、スザクは廃墟と化した街へと駆けていった。
答えを返す事は、できなかった。
その後ろ姿を見送るルルーシュは、止める事ができない己の無力をただ噛み締めていた。
ブリタニア軍本陣の旗艦、その一室で二人の男女が向き合っていた。
「さすがだな。総督は看板役者などとほざくだけの事はある」
「これで満足だろう? それとも次は歌でも歌おうか?」
二人の足元には多くの軍人が意識もなく倒れていた。
その中には女を捕らえていた親衛隊の面々も、男の側近だった将軍の姿もある。
「充分だ。お前の役目はもう終わった」
「なに……やめろ! 私はエリア11の総督だぞ!」
「知っているよ。シャルルの息子」
女が男に触れる。
した事はそれだけだった。
しかしその瞬間、男は頭を抱えて絶叫する。
「あぁぁああぁぁぁ! やめろやめろやめろ! 私は悪くない! 仕方なかった! 仕方がなかったんだ! もし逆らっていれば、私も同じ事に! あああぁぁぁ!」
ここではないどこかを見て錯乱する男は、膝をついて小鹿のように震えながら倒れ込む。
「済まない。ルルーシュ、ナナリー……」
それきり、男は意識を失った。
もはやこの場に立っているのは女一人のみ。
地に伏す男達には目もくれず、女はどこか楽しそうな足取りで部屋から立ち去った。
次回:穴の開いた箱庭
舞台は新宿からアッシュフォードへ。