コードギアス~あの夏の日の絆~   作:真黒 空

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とうとう文字数が20万字を超えました。まだ内容としては序盤の域を出ませんが、感無量です。
書き始めた当初は評価☆10を10件、感想100件、調整平均評価☆9以上を目指していましたが、いまやそれも全て達成できました。みなさんの応援のおかげです。ありがとうございます。


19:親子の絆

 

 暗い室内。

 明かりもつけず、光源は部屋の中心で燃え盛る炎だけ。

 その炎を取り囲み5人の老年の男が密談を交わしていた。

 

「玄武の忘れ形見、とうとう姿を現しましたな」

「保護するために派遣した者も見つけられなかった事から、生存は半ば諦めていましたが……」

「しかし生きていたのなら好都合。反ブリタニアの神輿にこれ以上の人材はおりますまい」

「待たれよ。枢木スザクは一人で立ち上がったのではない。誰とも分からぬ馬の骨の下についておるのだぞ」

「ゼロか……」

「正体は分からぬのか?」

「あれは枢木の息子が用意した張りぼてでは?」

「可能性はあるが、実際のところは接触してみなければ分かりようのない事」

「では枢木の息子を呼び出し我らの元で……」

「一つ重大な事を忘れているのではないか?」

 

 話がまとまりそうになったところで、それまで黙っていた老人が初めて口を開く。

 全員が注視する中、その男――桐原はそれを口にした。

 

「黒の騎士団、あやつらは草壁とその部下を殺しておる」

 

 その言葉に全員の表情が曇る。

 独断とはいえ、日本のために立ち上がった同志。それを殺害した事を見逃すわけにはいかない。

 

「活動にしてもレジスタンスとは言えないものが目立つようだ。本気でブリタニアと事を構えるつもりがあるのかも不透明じゃ」

「確かに。巷ではコーネリアの秘密部隊という噂もあるようで」

「くだらん。仮にも枢木の息子がそのような日本男児に非ざる行いをするわけが……」

「しかし元は軍属の名誉ブリタニア人。あの脱走すら作戦だとすれば、張りぼてのリーダーを仕立てる理由としては充分かと」

「そうであるならば、直接の接触は避けるべきでしょうな」

 

「そのような腹芸、従兄弟殿にできるとは思えぬ」

 

 炎を囲む5人のさらに外側、御簾に隠れた御座から凛とした高い声が割って入る。

 普段は話に入ってこない娘が口を挟んだ事に、桐原は感情の読めぬ表情で目を細めた。

 

「7年もお会いになられてはいないはずですが、随分と信頼がお有りのようですな」

「お主も分かっておろう。どのように変わろうと、あれにスパイの真似事ができると思うか?」

 

 老獪な狸の皮肉に一切の動揺を見せず、毅然と言い返すのはまだ14の女子。名を皇神楽耶という。

 日本の象徴する皇の娘。最も身分高き日本の姫である。

 神楽耶に問いを返され、桐原は首を横に振る。

 

「無理でしょうな。いくら成長していようが、あの小僧ではそこらの小学生も騙せますまい」

「ならば眠れる獅子がようやく目覚めた事を祝福すべきであろう。紅蓮弐式、あれを送ってはどうじゃ?」

 

 その提案に驚きの声が上がるが、すぐに老人達はその案について議論を交わし始める。

 

「まだ接触もしていないうちからそれは性急では?」

「しかし象徴とするには良策。枢木の忘れ形見と唯一の日本純正ナイトメア。民衆の目には映える」

「あれを枢木が使うとは限らぬのでは? もう専用機があるようでしたが」

「そんなもの、他の者に渡せばいいだけであろう」

「静まれ」

 

 桐原の一言で場が一瞬で静寂に包まれる。

 

「まだゼロの真価も測れておらぬ。草壁を殺した事一つ取っても、見極める時間は必要であろう」

「……確かにまだ彼の組織が旗揚げしてから間もないのも事実。焦る必要はない」

「紅蓮弐式は我々の切り札も同じ。安易に切るのは愚策でしょうな」

「いまはまだ裏が取れぬように他のレジスタンスと同じような支援をしておけば良いでしょう」

「もしゼロが愚物であるなら、化けの皮が剥がれるやもしれん」

 

 全員が桐原に一目を置いてはいたが、桐原の言葉が絶対というわけではない。そうであれば、このように集まって話し合ったりなどはしない。だが慎重策を好む日本人の中にあって、桐原の提案は受け入れやすいものだった。また旧日本の政治関係者が集まっているこの場の者達は、日本軍を母体とした日本解放戦線に絶大な信頼を置いている。その組織に刃を向けた者に味方する事には全員が抵抗があったのも桐原の提案を後押しする結果となった。

 

 老人たちの出した結論に、御簾の向こうで日本の姫が誰にも気付かれず唇を噛み締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校が終わって、カレンはすぐに黒の騎士団のアジトにやってきた。

 最近は家、学校、アジトの順に回る一日が習慣化してきている。その中でも滞在時間が最も少ないのが家であるのは自分でもどうかと思うが。

 

「あれ? 泉さん」

「ん? ああ、カレンか。学校は終わったのか?」

 

 カレンがアジトの中に入って一番最初に出会ったのは元大和同盟リーダーの泉だった。

 もう黒の騎士団を立ち上げて半月以上も経っているため、知らない仲ではない。むしろ数少ないテロリスト経験のある元扇グループと元大和同盟のメンバーは頻繁に話す間柄だ。

 

「ええ。泉さんは何してたんですか?」

「新人に銃火器の使い方を教え終わったところだ。といっても、俺も軍人だったわけじゃないから最低限しか教えられないけどな」

 

 苦笑しながら肩を竦める泉。

 彼はカレンの学生服姿を見てその苦労を察し労った。

 

「お前も大変だな。学生との二重生活なんて」

「いえ、そんな。みんなに比べたらこの程度……」

 

 謙遜ではなくカレンは首を横に振る。

 確かに睡眠時間もまともに取れない生活はつらかったが、ゲットーで暮らしている他のメンバーに比べれば遥かにマシな環境だ。不満を口に出すのは贅沢が過ぎる。

 

「本当ならカレンみたいな子供がこんな事するべきじゃないんだけどな……」

「それって、どういう意味ですか?」

 

 ボソッと呟いた泉の一言にカレンは眉を吊り上げる。

 まだ学生であるカレンではあるが、レジスタンスとしての心構えはできているつもりだ。戦士として、子供扱いされる謂れはない。

 

「おっと、気に障ったなら悪かったよ。他意はないんだ。ただカレンやスザクさんはまだ20歳にもなってない子供だ。なのに武器なんか持ってテロ活動をしてるっていうのは、酷い時代だと思っただけだよ」

 

 両手を上げて謝罪する泉。

 だがその内容は素直に頷けるものではなかった。

 

「……子供でも、武器を取ります。それが許せないって思ったら……」

「ああ。そうなんだろうな。それがまかり通っちまうのがいまの日本だと思うと、ホントに酷い世の中になっちまったもんだ」

 

 吐き捨てるように言って、泉は大きくため息をついた。

 重たくなりそうな雰囲気を嫌い、カレンは話題を変える。

 

「泉さんはどうしてゼロについて行こうと思ったんですか?」

「ん? そりゃあ命を救われたしな」

「でもあんなに否定されたのに……」

 

 埼玉の戦いの後であった一幕を思い出して言葉尻がしぼむ。

 そんなカレンの様子に泉は苦笑いを浮かべた。

 

「まぁ、な。確かに最初ガキの癇癪だとか言われた時はふざけんなと思ったよ。俺達だって命懸けで戦ってる。それを上から目線で何様だってな」

「ですよね……」

「でもま、よく考えてみれば、その通りだったんだよ」

 

 視線を地面に落とし、泉は語る。

 

「あの埼玉の戦いの時、何度死ぬって思ったか分からねぇ。包囲された時、敵のナイトメアを見た時、コーネリアの親衛隊が出て来た時。勝てるわけないんだから投降しちまうのもありなんじゃないかって血迷いもした。どうせ降伏したって殺されるだけなのにな」

「……」

「それで分かった。俺の覚悟はその程度のものだったんだって。命懸けなんて言いながら実際に死にそうになったら、憎んでるはずのブリタニアにみっともなく尻尾振っちまうような、そんなちっぽけな男だったんだって思い知らされたんだ」

 

 そう口にする泉はカレンの目から見てもとても小さく見えた。

 

「ゼロは言ってたよな。日本を解放したいならそれなりのビジョンを持てって。きっと俺にとって日本解放は言い訳だったんだ。だから本気でできるなんて思ってなくて、ゼロの言う通り嫌がらせみたいなテロをして満足してた。俺は戦ってる。ブリタニアなんかに負けてない。そんな風に思えれば、それで良かったんだ。後はきっと日本解放戦線とかそこら辺の凄い奴らがなんとかしてくれるなんて、他人任せに考えてな」

 

 泉の言葉は全てではないがカレンにも共感できるものだった。

 兄のナオトに全てを任せていた自分。彼について行きさえすればなんとかなるのだと、無責任で身勝手な期待を押し付けていた。

 

「分かります。日本解放なんて言っても、どうすればいいのか想像もつかなくて、でも諦めて戦わない事なんてできなくて……」

「きっとゼロに言わせれば、それが子供なんだろうな」

 

 ため息と共に頷いて、泉は天井を見上げた。

 

「カレンは実際まだ子供だからそれでいいんだろうが、大人の俺がそれじゃあ、情けない限りだよな」

「……良くないですよ。ちっとも良くないです。だってそれで傷付くのは、私だけじゃないんだから」

「……そうだな。ちと失礼な言い方だったか。悪い」

 

 重たい空気が流れる。

 こんな雰囲気になる事を嫌って話題を変えたはずなのに、結局引き戻されてしまった。

 

「正直埼玉の戦いで心底ブルっちまってな。レジスタンス、やめようかと思ったんだ」

 

 沈黙を破って泉が語る。

 

「このままやってもコーネリアに殺されるだけだ。なら大人しく頭を下げてれば生きてく事だけはできる。それが嫌だからレジスタンスなんてやってたはずなのに、そんなもんがひっくり返されるくらい、死ぬのは怖かった」

「……誰だって、そうですよ…………でも、それでも、譲れないものがあるから……」

「ああ。そうだな。だから結局こうやって戦ってるんだ」

 

 おそらく全てのレジスタンスに共通した思い。

 それを確認し合って、二人は頷く。

 

「ゼロやスザクさんについて行けば、とりあえず死ぬ前には逃げられる事は実証されてるしな。それなら尻尾撒いて逃げるより、あの人達について行く方が俺には合ってる。どっちにしろ情けない話だけどな」

「そんな事……」

 

 カレンが否定しようとするのを泉は首を振って止める。

 年下の女の子に気を遣わせるような真似は大人としてしたくないという、なけなしのプライドが彼にもあった。

 

「実際、ゼロとスザクさんはスゲェよ。まだ組織結成してから半月くらいしか経ってないのに、世間じゃ正義の味方だぜ?」

「それは……確かに。考えてみるととんでもないですよね」

「スザクさんはコーネリアの親衛隊と渡り合うし、ゼロはそのコーネリアすら出し抜いた。しかもあの人の言う通りに動けばなんでも上手くいく。あれじゃ俺達の活動が子供の癇癪に見えるのも仕方ないってもんだ」

「……」

「別に自分を卑下してるつもりはないけどな。それでも思い知らされるよ。あの人達は格が違う」

「そうですね。本当に、ゼロとスザクは凄いです……」

 

 それは黒の騎士団に所属した誰もが思っている事だろう。

 この半月で10を超える作戦を決行しているのに、その全てに成功している。しかも負傷者を出す事すらなく。

 もし黒の騎士団に入っていなければ、半年あっても同じ成果を得る事は難しかっただろう。

 

「俺はもうあの人達に賭けてみる事にしたよ。あの二人ならきっと、とんでもない事をしてくれる。命も救われちまってるしな」

「でも、いいんですか? ゼロが誰かも分からないのに」

「まぁ怪しくはあるけどな。それでも俺達を助けるためにあんな絶望的な戦場に来てくれたんだ。それを考えたら、顔が分からない事くらい小さな事だろ」

 

 そう告げる泉の顔に迷いは見られない。

 同じようにゼロについて行く事を決めながら、未だに進むべき道を決められないカレンとは違って。

 

「なんか柄にもなく語っちまったな」

 

 恥ずかしそうに笑って、泉はポケットから長方形の箱を取り出した。

 

「悪い。タバコ、良いか?」

「あっ、はい」

 

 許可を得て泉はいまではすっかり見なくなったタバコを咥えて火をつける。

 白い煙を口から吐き出しながら、それを目を細めて眺める泉。

 

「昔はいくらでも吸えたこいつも、いまの世の中じゃ贅沢品だ。少なくともイレブンにとってはな」

 

 嗜好品なんてものを買える余裕はいまの日本人にはない。

 その日暮らしするだけで精一杯なのだから。

 

「俺のこれも大事に大事に取っといた一本だ。ま、子供にはまだ分からないだろうけどな」

「20歳超えても、ここが日本に戻っても、吸うつもりはないですけどね。お兄ちゃんも嫌いでしたし」

「そいつは勿体ない。俺はこいつのために武器を手に取ったって言っても過言じゃないぜ」

 

 おどけて笑い、泉は急に真剣な顔つきになって言った。

 

「だからよカレン。こいつの美味さを知るまでは、無理すんなよ」

「えっ……?」

 

 唐突に言われた忠告にカレンは目を瞬かせる。

 それに構わず泉は続けた。

 

「お前みたいな子供が、身削ってまでやるような事じゃねぇよ。テロなんて。学生との二重生活がきついってんなら、来れる時だけでいいんだ」

 

 あまりに脈絡のない言葉にカレンはついて行けず、戸惑いながら首を傾げた。

 

「別に私は無理なんてしてませんよ。どうしたんですか? いきなり」

「大人の意地だよ。正直、お前やスザクさんが俺達より強いのは知ってるけどな。見てて気持ちいいもんじゃないんだよ。子供が人殺しの道具を使ってるところなんてな」

「また、それですか……」

 

 泉が自分の事を気遣って言ってくれている事は分かっていたが、カレンには自分が一人前として見られていないようで気分が良いものではなかった。

 顔を顰めるカレンの内心を察し、それでも泉は続ける。

 

「大人のお節介なんてウザいだけかもしれないけどな、俺も扇に賛成だよ。黒の騎士団を辞めろなんて言わないが、テロなんかより学生を優先させた方がいい」

「扇さんとそんな事話してたんですね」

 

 自分の知らないところで自分の扱いを相談されていた事に、カレンの口から思わずため息が零れた。

 

「余計なお世話です。私、無理なんてしてませんから」

「ま、そう言うだろうな。俺だってお前くらいの年の頃は親や教師の話なんて聞いた事なかったし」

 

 その頃の事を思い出したのか、泉は懐かしそうに笑う。

 咥えた煙草を手に持ってフーと煙を吐く。

 

「それでも頭に留めるくらいはしておいてくれよ。年取るとみんな、子供が心配になるもんだ」

「……」

 

 大人の包容力、みたいなものを感じこそばゆくなるカレン。

 扇と話していてもたまにこんな風な気持ちになる事がある。

 

「泉さんや扇さんは、優しいですよね。…………お母さんとは、大違い」

「ん? なんだって?」

「みんながみんな、泉さんや扇さんみたいに子供の心配してくれるわけじゃないって言ったんです。身勝手な人だって、いっぱいいますよ」

 

 どこか投げやりにカレンはそう告げる。

 泉はそれにタバコを手に持ったまま頬を掻く。

 

「いまは誰だって余裕がないからな。そういう奴もいるかもしれねぇが……」

「そうですよ。自分が良ければそれでいいとか、そんな人ばっかりです」

 

 吐き捨てるような、それでいてどこか悲しそうにそう呟くカレンの表情に泉は何かあるのを察したが、知り合って間もない自分が踏み込む事ではないと、追及する事はなかった。

 代わりに気休めにもならないお節介を口にするだけに留める。

 

「ま、俺が言いたい事はそれだけだ。親に学校に通わせてもらってる間くらいは、素直に大人に甘えとけ。こんな世の中じゃ難しいのも分かるけどな」

「…………親なんて」

「なんか言ったか?」

「別に。分かりました。一応頭の隅っこには入れときます」

「はいはい。それでいいよ。生意気な事で」

 

 肩を竦める泉にカレンも憂鬱な話題を掘り起こす気もなく、話題の転換ついでに気になっていた事を訊ねる。

 

「そういえば、一つ訊いてもいいですか?」

「あ? なんだ?」

「なんでスザクはさん付けなのに、ゼロは呼び捨てなんですか?」

 

 その質問に泉はハッと吹き出した。

 

「明らかに本名じゃないのに敬称付けるなんて間抜けだろうが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰ってくるのは日付を跨いだ深夜、そして学生である身の上では朝早く起きて学校に行かなければならない。

 カレンとしては別にサボってもいいのだが、目上の人間である扇や泉からあれほど口を酸っぱくして学業を優先しろと言われてしまえば、眠いからといって安易にサボるのは躊躇われる。

 帰宅するなり泥のように眠る生活にもいい加減慣れ始めていたが、睡眠不足に慣れる事はなく、登校時間ぎりぎりまで爆睡するのがカレンの日課だ。

 しかしその日は少し違っていた。

 

 ――――ガシャン!

 

 けたたましい目覚ましの音ではなく、何かが割れるような音とその直後に響いた金属音で目が覚めたカレンは、見苦しくならないようガウンだけ肩にかけ部屋のドアを開ける。

 原因はすぐに分かった。

 倒れた脚立と落ちたシャンデリア。そしてその前で膝をついておたおたと慌てるメイド。

 見慣れた光景だ。そんなものに見慣れたくもなかったけれど。

 メイドはこっちに気付いたようで表情を輝かせる。

 

「あっ、カレン……お嬢、さま……」

 

 名前を呼んだ後、言いづらそうにそう付け加える。

 いつもならその程度で言い淀む事はない。しかし先日交わしたあの会話が尾を引いているのだろう。

 あの日から母とは話していない。

 屋敷で顔を合わせれば母親が何か言いたそうに話し掛けてくる事はあったが、疲れを言い訳に全部無視してきた。親子といえどもこの屋敷の中では家主の娘と使用人。カレンが拒絶すればメイドである母にはどうする事もできない。

 寝不足と疲れから反射的に苛立ちが湧き上がり、それをぶつけてしまいそうになるのをカレンは寸前のところでなんとか抑え込む。

 スザクや扇、泉さんに言われた事を思い出して深呼吸し、一度部屋に戻る。

 心を落ち着けながら簡素な部屋着に着替え、もう一度部屋を出た。

 廊下ではまだ母親は何もできず狼狽えている。

 ため息をつきながら近付いて、倒れている脚立を持つ。

 

「カレン……?」

「脚立は私が片付けるから、あなたは掃除道具を持ってきてここを片して」

「えっ? ……は、はい!」

 

 一瞬呆けた母が嬉しそうに返事した時にはもう、カレンは脚立を持ってその場を離れていた。

 こんな事に意味があるとは思わない。母の事情を知りたいのなら、もう一度話し合う機会を作るべきだ。頭では理解しているのに、どうしても逃げてしまう自分の弱さにカレンは唇を噛む。

 脚立を物置に置いて戻ると、甲高く耳障りな声が聞こえてきた。

 嫌な予感がして足を速めれば、飛び込んできたのは予想通りの光景だった。

 

「まったく、何をしているのよあなたは! これで何度目なの? 嫌になるわ。女を売る事しか能がなくて」

「申し訳ございません奥様。すぐ片しますので」

「イレブンのあなたを屋敷に置いてあげてるのは温情なのよ。使えないならゲットーに戻ったらどうなの? ホント、恥知らずでおぞましい」

 

 何度も何度も頭を下げる母に、それに嫌味と罵倒をぶつける継母。

 その光景を見ていると、色んな感情がごちゃ混ぜになって自分が何を思っているのかも定かではなくなってしまう。

 怒っているのか悲しんでいるのか憐れんでいるのか恨んでいるのか蔑んでいるのか、とにかくそれを見ていたくなくて――見ていられなくて、カレンは口を挟む。

 

「騒がしいわね。人の部屋の前でキーキーと、静かにしてくれる」

 

 二人の母と呼ばれる人達は、それでようやくカレンがいる事に気付いたようだった。

 継母は露骨に顔を顰めると、汚いものでも見るかのような目をカレンに向ける。

 

「嫌ね、育ちが悪いと口まで悪くなって。これもどこかのイレブンの血が入っているからかしら」

「主人がいないからといって男漁りをするような血が入っていない分マシだと思うけれど?」

「なんですって……!」

 

 嫌味を皮肉で返すと簡単に顔を赤く染める継母。

 いつもなら適当にあしらうところだったが、ここ最近色々あって苛立っていたカレンは継母からの喧嘩を真っ向から買う構えを見せた。

 一触即発の雰囲気に、どちらともなく口を開こうとしたところで予想もしないところから邪魔が入った。

 

 ――――パリン!

 

 続けてパリン、パリンと同じ音が何度も響く。

 音のした方を振り向けば、カレンの母が床に落ちたシャンデリアの電灯を誤って踏んづけていた。

 

「何をやってるのあなたは!」

「すみません。奥様すみません」

「ホントに使えないわね! あなたが壊したものがこれでいくらになるか分かっているの? イレブン如きじゃ一生掛かったって買えないようなものばかりなのよ!」

「すみません。本当にすみません」

 

 ヒステリックに叫ぶ継母に、必死に頭を下げる母親。

 気付けばカレンは母親の手を取っていた。

 

「えっ? カレン!?」

「なっ、待ちなさい!」

 

 驚く母も制止する継母も無視して、カレンは母親と共に自室に入り鍵を閉める。

 扉の外では継母が喧しく何かを怒鳴っていたが、そんなものは気にもならなかった。

 無理矢理自室に連れ込まれた母は、目を真ん丸にしてカレンを見ている。それが一層カレンを苛立たせた。

 

「いい加減にしてよ! あれだけ侮辱されて、なんで言い返さないのよ! あんな人にペコペコ頭下げて、そうまでしてこの家にいたいわけ!?」

 

 さっきは我慢したはずの怒りを、もう抑える事ができなかった。

 こんな様では前と同じだと分かっているのに、言葉は感情のままに溢れ出して止まってくれない。

 

「あんな風にして私を守ったつもりなの? それを私がいつ頼んだの? 私はそんなに弱くない!」

 

 いままでも何度か似たような場面があった。

 カレンと継母が口論になり、母がドジをして継母の怒りがカレンから逸れるのだ。今日までまるで気付けなかったけれど、あれが母の意図したものだった事をようやくカレンは悟った。

 きっとスザクや泉の話を聞いていなければずっと気付かないままだっただろう。でもそんな事に、カレンは気付きたくもなかった。

 

「そうやって私を守った気になってあなたは満足なんでしょうけど、そんなのは余計なお世話よ! あなたの力なんて、私には必要ない!」

 

 だってあんなに嫌っていた母に守られていたなんて、それに気付かず甘えていたなんて、今更どんな顔をすればいいか分からない。

 酷く滑稽だ。酷い道化だ。

 守ってくれていた相手に冷たい態度を取って、自分は好き勝手に振舞って、これでは本当にただの反抗期の子供ではないか。

 そんな事実は認められなくて、そんな醜い自分を認めたくなくて、カレンは母の行動を否定する。

 

「あなたなんかに……」

 

 そうやって必死に否定する事が、どうしようもなくそれを肯定するのだと無意識のうちに自覚しながら。

 

「あなた……なん、かに……」

 

 いままでなんとか耐えて、その度に積み重なっていたものが、とうとう擦り切れてしまう。

 

「あなたなんかに、私は守られたくなかった!」

 

 数えきれないほどの感情が爆発した叫びが部屋の中に響き渡る。

 それが言うべき言葉ではない事は分かっていた。

 それが自分をさらに貶めるだけの言葉である事は分かっていた。

 それが身勝手で理不尽な我儘でしかない事など、分かり切っていたのだ。

 

 でも、ダメだった。

 

 感情が言う事を聞いてくれない。

 口が、喉が、心臓が、心が、暴走して理性なんて置き去りにしてしまう。

 ここにきて、ようやくカレンは自分がどうしていつも母に冷たい態度ばかり取ってしまっていたのかを理解した。

 この人の前で感情を出してしまえば、抑えきれなくなってしまうと自分は分かっていたのだ。

 だってこの人は母親だから。

 どんなに嫌ったって、どんなに軽蔑したって、自分の母親だから。

 母親の前で、子供が感情を隠せるわけがない。

 それは当たり前の事だった。

 

 透き通った涙を零すカレンを、母はじっと見つめていた。

 

「ごめんなさい……」

 

 やがて母から零れ落ちたのは、そんな謝罪とカレンと同じ大粒の涙だった。

 また泣かせてしまったと、どこか冷静な頭でカレンは思う。

 

「ごめんなさい。カレン」

 

 謝りながら母が近付いてくる。

 気付けば、カレンは母に抱きしめられていた。

 

「あっ……」

 

 いつぶりだろう。

 最後にこうやって抱きしめられたのは、いつだっただろうと、懐かしい体温を全身で感じながらカレンは考える。

 けれどそんな思考は意味がなかった。

 浮かんでくるのは無機質な日付なんかじゃなくて、昔飽きるほどに母に抱かれた時の光景と感情ばかりだったから。

 テストで100点を取った時。クラスの子と殴り合って家に帰った時。お化けが怖いと母の布団に潜り込んだ時。お兄ちゃんと喧嘩した時。

 色んな記憶が抱きしめられた体温を通じて蘇り、カレンは声を上げて泣いた。

 

 こうじゃなかった。自分達親子は、こんな風じゃなかった。

 仲の良い家族だった。父はいなくても、母と兄さえいれば、それだけで幸せだった。それがずっと続くと信じてた。そんな幸福な日々が、未来永劫失われないんだと、根拠もなくそう信じていたのだ。

 だから許せなかった。幸せな時間を奪った理不尽が。家族を引き裂いた半分の血が。兄を殺したブリタニアが。そして、失われた日々を象徴するような使用人の母が。

 

 結局、カレンは子供だったのだ。

 幸せな時間が過去になってしまった事を、ただ受け入れられなかっただけ。つらい現実を直視したくなくて、癇癪を起していただけ。母はそんな自分をずっと、見守っていてくれたのだ。

 昔のように泣きじゃくるカレンの頭を優しく撫で、母はずっと抱きしめてくれた。

 

「つらい思いをさせてごめんね。カレン」

 

 ようやくカレンが泣き止み話せるようになると、身体を離して真っ直ぐに視線を合わせながら母は言った。

 鼻を啜り、カレンはもういいと言おうとした。こっちこそごめんと、そう言おうとした。けれどさっきまで泣き喚いていたせいで喉が痙攣して上手く言葉が出なかった。そうしてカレンが返答に困っている間に母は続ける。

 

「お母さんがいるせいであなたが泣いてしまうくらいなら、私はここから出て行くから」

 

 思わずカレンは目を見開いて母を見る。

 ずっと思っていた事だった。私の前からいなくなってくれればどんなに楽か。どこでもいいから消えていなくなってほしいと、そんな事ばかり考えていた。だがいまのカレンにはもうそんな風には到底思えない。

 

「い、いや……」

 

 震える声をカレンは絞り出す。

 いま言わなければ、また自分の大切なものが失われると、そんな恐怖に怯えて。

 

「いや、いや、嫌だよ……! どこにも、いかないで。……都合が良いって分かってる。こんな事言う資格なんて、私にはないのかもしれないけど……でも、だけど……!」

 

 何度も何度も首を横に振ってカレンは母が自分の前からいなくならないよう抱きしめる。

 そして昨日までの自分なら絶対に言わなかったであろう本音をぶつけた。

 

「ずっと、私の傍にいて……お母さん」

 

 母の胸の中で涙を流しながら、まさしく子供のようにカレンは我儘を言う。

 必死に取り繕っていた冷静な自分など、もうカレンにはまるで見られなかった。

 

「カレン……」

 

 涙声で、母が名前を呼ぶ。

 そしてまたカレンの頭を撫でようと腕を持ち上げたその時――

 

「あっ……」

 

 母の手がカレンに触れる事はなかった。その手は意思に反して大きく震え、息まで突然荒くなる。

 

「お母さん……?」

 

 母親の異変にカレンも気付き、身体を離す。

 そして驚愕した。

 呼吸が乱れ、瞳孔が開き、全身が震えている。顔からは血の気が引き、顔色は青いどころかもはや白い。そのまま倒れてもおかしくない程に異常をきたしているのは明らかだった。

 

「お母さん! どうしたのお母さん!」

 

 母の二の腕を掴み、カレンは叫ぶ。

 焦点の定まらない瞳で母はカレンを見る。

 

「か、カレン……」

 

 名前を呼び、だがそこまでが限界だった。

 母はカレンを振り払って扉の鍵を開けると部屋を飛び出した。

 

「お母さん!」

 

 一瞬呆けてしまったカレンは慌てて出て行った母を追いかける。

 母に代わりシャンデリアを片付けていたメイドがぎょっとした顔でこちらを見るが構っている暇などない。

 廊下を走る母を見つけその背中を追う。

 だが追いつく前に母はどこかの部屋に入った。

 数秒程遅れてカレンもその部屋に辿り着く。そこは使用人としての母に与えられている自室だった。

 

「お母さん!」

 

 叫びながら扉を開けたカレンの目に飛び込んできたのは、狭い一室の壁に埋め尽くされる侮蔑の落書きだった。

 人を人とも思わぬような罵詈雑言が所狭しと書き殴られている。

 そしてそんな部屋の中心。

 ベッドの前に膝をついて、鍵のついた棚から取り出した何かを腕に当てている母親の姿。

 それが何かを、カレンは知らない。

 何かの注射器のような形状をしているそれを、カレンは見た事などなかった。

 けれど何度も戦場で感じてきた嫌な予感に、母を止めようと咄嗟に飛び出す。

 

「やめて、お母さん!」

 

 だが遅かった。

 カレンがそれを奪うより早く、母は腕に押し込んで銀色の物体を握り込む。

 

「ああ……」

 

 気持ちの良さそうな声を上げる母から、カレンは無理やりそれを取り上げる。

 そして自らも膝をついて母と視線を合わせた。

 

「お母さん大丈夫!? これなんなの?」

 

 だが母の目はもうカレンを映してはいなかった。

 

「こらこら。走ったら危ないわよ。カレン」

「おかあ、さん……?」

 

 立ち上がって何かを追うように歩き出す母の肩を掴んで、カレンは叫んだ。

 

「どうしたのお母さん! 私はここだよ! ここにいるよ!」

 

 しかし目の前にいるカレンを無視して、母は進もうとする。

 

「こらナオト。ちゃんとカレンの事見ててあげないとダメでしょ」

「えっ……」

 

 屋敷の中では見た事もない、けれど7年前には見慣れていた穏やかな微笑みを浮かべる母。

 そんな母の笑みを見て、カレンはそれがなんなのかようやく理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カレン? 珍しいね、こんなに早く。学校は良いの? まだ授業中でしょ?」

 

 黒の騎士団のアジトで、椅子に座りながらタオルで汗を拭いていたスザクがやってきたカレンに気付き声を掛ける。

 

「スザク……」

 

 沈んだ表情で名前を呼ぶカレンに、すぐ異常を察したスザクはタオルを置いて表情を険しくした。

 

「何か、あったの……?」

 

 カレンは無言で表情を歪めた。

 そのまましばらく声を発さず俯いた。

 やがて顔を上げたカレンは何かを決意したような強さを感じさせる瞳をしていた。

 

「相談したい事があるの。ゼロに」

「分かった。すぐに呼ぶよ」

 

 理由を訊ねず、スザクは頷いた。

 席を立ち、携帯を取り出してどこかへ連絡を取る。

 そして数分もせずスザクは戻ってきた。

 

「準備してこっちに向かうってさ。多分一時間もしないうちに来ると思う」

「ありがとう。無理を言ってごめん」

「いいんだよ。気にしないで」

 

 待っている間、スザクはカレンを気遣ってか何も訊ねようとはしなかった。

 中断していたトレーニングを再開させるスザクを視界の隅に入れながら、カレンは深刻そうな面持ちで何かを考えこんでいる。

 そしてスザクの言っていた通り一時間も掛からずにゼロは姿を見せた。

 

「待たせてすまなかったな。カレン」

「いえ、こちらこそお呼び立てしてすみません」

 

 重要な話だろうからとゼロの私室へ場所を移し、ソファに腰を下ろして対面する。

 スザクは席を外そうかと提案したが、他ならぬカレンが一緒に話を聞いてほしいと頼んだためゼロの隣に座っている。

 

「それで、私に話があると聞いているが?」

「はい」

 

 ゼロの問いに頷き、カレンは懐からあるものを取り出してテーブルに置いた。

 

「これを……知っていますか?」

 

 銀色の特殊な形をした注射器。

 カレンの母が自らに打っていたものだ。

 

「ふむ。実際に目にするのは初めてだが、リフレインか?」

「リフレイン?」

 

 聞いた事がない単語だったのかスザクが繰り返すと、ゼロは頷き説明を始める。

 

「最近流通し始めた麻薬の一種だ。まだそこまで広がってはいないようだが、拡散速度はかなり速い。特徴としては、使用すると幸福だった過去に戻る夢を見せてくれるらしい」

 

 その説明を聞き、スザクは顔を顰める。

 

「嫌な薬だ……」

「日本人に的を絞った薬だな。製作者の邪悪さが見て取れる。それで、なぜ君がこんなものを?」

 

 問われたカレンは、一度目を瞑り深呼吸した。

 そして目を開いて幾分かの勇気と共に口を開いた。

 

「私のお母さんが、これを使ってたんです」

 

 スザクから息を呑む音がした。

 

「今日の朝にそれに気付いて、すぐに病院に連れていったので母はいま入院してます。使い始めたのは昨日今日じゃないみたいで、依存症になっていて薬が抜けるまでには相当掛かるそうです……」

 

 苦しそうにカレンが語るのを、ゼロは黙って聞いていた。

 

「もう少し使い続けていたら、後遺症で話す事もできなくなってたかもしれないって、医者にそう言われました」

 

 最悪の事態だけは避けられたと、カレンはそう語る。

 だがそれが素直に喜んでいいものであるわけもなく、重苦しい沈黙が室内を支配する。

 

「病院に行ったって事は、お母さんは……」

 

 沈黙を破り、スザクは言いづらそうに口を開く。

 濁された言葉を汲み取り、カレンは首を縦に振った。

 

「退院したら薬物乱用で捕まる。刑期は、判決が出るまで分からないけど」

「そう、なんだ……」

 

 違法な薬物の使用は日本が植民地になる前から変わらず犯罪だ。

 テロリストである黒の騎士団も言ってしまえば犯罪集団ではあるので、母親が逮捕される前に匿う事はできなくもないだろうが、唯一の母親を巻き込む事をカレンは望まない。

 

「ゼロ。お願いがあります」

 

 立ちあがり、強い意志の感じられる面持ちで、カレンは黒の騎士団総帥であるゼロに嘆願した。

 

「お母さんをこんな風にした薬を、私は許せない。黒の騎士団でリフレインを根絶してください」

 

 深く、深くカレンは頭を下げる。

 自分勝手な事を言っているのは分かっていた。

 組織の活動を私情で決めていいわけがない。

 ゼロには黒の騎士団を大きくするための構想があり、組織を立ち上げて間もないこの時期は最も忙しく、最も大変な時だろう。

 そんな大事な時期に、組織の一人でしかない小娘の私情に付き合っている暇などあるわけがない。

 だがそれが分かっていながらカレンは願わずにいられなかった。

 母の現状は、元を辿ればこれまでの自らの行いが元凶だと、それを理解しながらカレンはこのリフレインという薬を許すわけにはいかなかった。

 やっと取り戻せると思った母親との絆を再び切り裂いた、この悪魔の薬だけは。

 

「黒の騎士団は正義の味方だ。国を腐敗させる麻薬が広がるのを見過ごす理由はないな」

 

 いつもと何一つ変わらない声音で、淡々とゼロは言った。

 その言葉にカレンは勢い良く顔を上げる。

 

「スザク。扇にリフレインについて調べさせろ。早急にだ。情報が揃い次第、即座に叩く」

「了解。ゼロ」

 

 指示を受けて携帯を取り出しながら、アジトにいたかなと呟いて部屋を出て行くスザク。

 カレンは呆然とそれを見送りながら、ハッと気付いてもう一度深く頭を下げた。

 

「ありがとう、ございます……!」

 

 カレンの足元を、大粒の涙が濡らした。

 

 

 

 

 

 その三日後、リフレインの取引現場が、そしてさらに二日後には生産工場が黒の騎士団の襲撃に遭い壊滅した。

 違法な薬物の根絶に黒の騎士団の正義の味方としての名声はさらに上がった。

 そしてリフレインを撲滅したその日、カレンは病院で再び母親と対面していた。

 

「大丈夫? お母さん」

「ええ。大丈夫よ。ごめんね。心配かけて」

「そんな、私のせいなんだから謝らないでよ……」

 

 沈黙が流れる。

 母親が薬物を使用していると判明したあの日、誤解は解けて和解しているとはいえ、それまでの蟠りがなくなったわけではない。

 母は娘を想って自分を犠牲にし、娘はそれにやっと気付いて母を許した。

 言葉にすれば美談のようにも聞こえるが、現実はそんな簡単なものではない。

 

「あのね…………私、ずっとお母さんが嫌いだった」

「カレン……」

 

 しばらくしてポツリと、カレンは切り出した。

 

「いつもヘコヘコ頭下げて、それを気にしてないみたいに笑って、プライドがないんじゃないかってバカにしてた。あの家にいるのも昔の男に縋ってるんだって勝手に思い込んで、私の事を考えてくれてるなんて……そんなの私、思ってもみなかった」

 

 今日までとうとう言えなかった醜い本心をカレンは包み隠さず吐露する。

 その声からは隠しきれぬ悔恨が滲んでいた。

 

「私のために薬にまで手を出して、それでも私の傍にいてくれたのに……」

 

 それがどれだけつらかったか、苦しかったか、想像しただけでカレンは知らなかった頃の自分を殴り倒したくなる。

 プライドを殺して、下げたくもない頭を下げ、慣れない仕事を罵倒されながら毎日こなし続けた。得する事など一つもない。できるならとっとと家を出て自分のためだけに生きたかったはずだ。なのに母はそれをしなかった。

 愛する娘に軽蔑されながら、それでも娘のために艱難辛苦を耐え凌ぎ、薬にまで手を染めて、それでも娘とのたった一つの約束を守り続けた。

 それほどの無償の愛を注がれながら、勝手に勘違いして一方的に嫌っていた愚かな子供。

 唇を強く噛み、顔をぐちゃぐちゃに歪めながらカレンは頭を下げた。

 

「ごめんなさい。お母さん。いままで冷たい態度ばっかり取って。酷い事いっぱい言って。本当にごめんなさい」

 

 これまで一度も言えなかった謝罪の言葉を口にして、カレンは涙を流す。

 都合の良い事を言っている自覚はあった。いままで散々嫌っていながら、事情を知った途端に手の平を返すなんて身勝手にも程がある。

 けれどそんなカレンの頭を柔らかい温もりが撫でる。

 

「いいのよ。私こそごめんねカレン。つらかったでしょう?」

「そんな事、ない……結局全部私の独りよがりで、お母さんに比べれば、こんなの全然……」

 

 顔を上げられないままカレンは何度も首を振る。優しさに甘えて救われた気になってはいけないと分かりながら、心が揺れ動くのを止められない。

 

「バカね。それでいいのよ」

「お母さん……」

 

 笑った気配に、カレンはようやく顔を上げる。

 そして随分と久しぶりに、屈託のない母親の笑顔を見た。

 

「子供は我儘なくらいがちょうどいいんだから」

「なに、それ……」

 

 薬まで使って自分を追い詰めたにも関わらず、いたずらを叱るような調子で微笑む母親に、カレンも笑みをこぼす。

 戦争があってから初めて、親子は本当の意味で笑い合った。

 

「お母さん……私、頑張るから」

 

 しばらくして、カレンが母の目を見据えながらそう言った。

 

「お母さんとまた普通に暮らせるように、私……頑張るから」

 

 これから母は依存症と戦い、それが終われば刑務所に入る事になる。

 けれどそれも、永遠ではない。刑期が終われば、また二人で暮らす事ができる。

 ただブリタニアが日本を占領している限り、昔と同じようにとはいかないだろう。

 だからこそカレンは決意と共にそう告げる。

 

「ええ。楽しみにしてるわ」

 

 優しく微笑んで、母はそう答えた。

 娘が何をするつもりなのか、あるいはもうしているのか、それを悟ったように強い口調で後押しをして。

 

「頑張れ、カレン。私の娘」

「うん……!」

 

 また涙が零れる。こんなんじゃまた母に笑われると思いながら、カレンは力強く頷いた。

 

「でも、無理しないでね」

「約束する。だから待っててね。お母さん……!」

 

 なんのために戦うべきなのか、兄が死んでから見失いかけていたそれを、カレンは再びその手に掴んだ。

 





河口湖を挟んでの再びカレン回。
彼女の抱える二つの悩みのうち一つを無事消化できました。
時系列としては原作のリフレイン回よりも時期が多少早まっています。

そして殆どオリキャラの元大和同盟のリーダーである泉さん。
本当はあまりオリキャラみたいなのを出したくはなかったんですが、ポジション的に扇と同じ位置にいるので出さざるを得ませんでした。ただ元大和同盟のキャラは代表して泉さんしか出すつもりはありません。原作で名前がついてるのも彼だけですし、原作キャラをメインで進めていきたいので。一応口調や性格は少ない登場シーンから汲み取って書いていますが、埼玉を経験して考え方が変化している設定なので、原作よりも性格が丸くなって良い奴風味が出てます。こうして登場はさせましたが、彼が今後活躍する事はあまりないかと思います。それどころか、こんなに多く話すのすら今話だけかもしれません。

次回:鬼に届いた手紙

これだけ書いたのに、原作ではまだ9話が終わったところだという事実。まだまだ先は長い……。

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