コードギアス~あの夏の日の絆~   作:真黒 空

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28:正義の否定

 

「なに!? では間違いないんだな?」

「は、はい。自分が見たのは確かにこの学生でした」

 

 ヴィレッタが詰め寄ると、名誉ブリタニア人の男はブンブンと首を縦に振る。

 先日成田で父親を亡くしたアッシュフォード学園の女生徒が持っていた写真、そこに写っていた男子生徒。

 テレビ屋からの情報も含め、念のため確認しておくかと例の新宿の現場にいた名誉ブリタニア人に見せたところ、予想外にも核心に触れる情報が齎されヴィレッタは食い入るように写真の男を見つめる。

 

(この男が、枢木スザクの協力者……)

 

 大人しそうな顔をしてとんだ極悪人だと、ヴィレッタは心の中で口汚く罵りながら目の前の男に労いの言葉を掛ける。

 

「ご苦労だった。もしこの情報が正しかったなら、貴様には褒賞を与えよう」

「ありがとうございます!」

 

 深々と頭を下げる名誉ブリタニア人の男を放って、踵を返して訓練所を出るヴィレッタ。

 待たせていた車に乗り込み、目的地を告げた後すぐに写真の学生に関しての情報を見直した。

 といっても大した情報はない。テレビ屋に依頼した情報収集は大した成果がなかったからだ。

 なんでも、テレビ屋曰くこの学生が通っている私立アッシュフォード学園は、貴族の子息や子女も通う学園であるため他の学校と比べても恐ろしく情報セキュリティのレベルが高いらしい。

 かろうじて理事長の孫娘が生徒会長をしているとの情報は得る事ができたらしいが、他の生徒の個人情報は殆ど出て来ない。ネットを漁ってもSNSやブログで学生自身が発信しているもの以外の情報は見つける事ができないという。

 よってこの学生についてもテレビ屋からの情報で分かっているのは名前と役職くらいのものだった。

 

「ルルーシュ・ランペルージ。生徒会の副会長か……」

 

 容姿端麗のため学校内にファンクラブがあり、女生徒のブログに度々名前が出ていたらしい。シスコンなどと揶揄されてもいたらしいので、少なくとも身内に一人姉妹がいるのだろう。

 

「適当な理由をつけて拘束し、情報を吐かせるべきか……」

 

 最も手っ取り早い方法が頭に浮かぶが、もし根っからの主義者であったり、己よりも組織を優先させるような人間だった場合、我が身可愛さでは口を割らない事も考えられる。そうなると貴重な情報源が無為に失われる結果にしかならず、黒の騎士団にも警戒される恐れが出てくる。しかもこちらには証言はあっても学生がテロリストだという証拠がないのだ。強引な方法は避けるべきだろう。

 

「だとすると学生自身を見張るか、経歴を洗うべきだな」

 

 といっても自分には軍務があるのだから24時間見張るという事はできない。それに学園に入れない以上、見つからずに監視するのは至難の業だ。この写真を持っていた女生徒に接触してテロリストである事を仄めかし、疑心を煽って利用する事も思考の端に浮かぶが、もし彼女が見つかり軍人が探っているのがバレてしまえば学生がどこかへ身を隠す事も考えられる。不確実な方法は避けるべきだろう。

 それならまずは、経歴を洗う事を優先すべきか。

 その過程で枢木スザクとの関係が明らかになれば、ジェレミアに報告し監視や調査に人員を割いてもらう事も可能になる。軍が本腰を入れて個人の調査に乗り出したなら、ただの学生にテロリストの関係を隠しきる事はほぼ不可能だ。十中八九尻尾を掴めるだろう。

 

「ヴィレッタ」

 

 軍の基地に戻ってきたところで声を掛けられヴィレッタは振り返る。

 そこにはオレンジ色の髪をした美青年が立っていた。

 

「キューエル卿。いかがされましたか?」

「なに、こんな時にどこに行っていたのかと思ってな。準備は抜かりないか?」

 

 表面上は取り繕ってはいるが、探るようなキューエルの視線にヴィレッタは丁寧に頭を下げる。

 

「ご心配いただきありがとうございます。今夜の出撃の準備は事前に行っておりますのでご安心を。直前になって慌てるような無様は晒しません」

 

 その答えに軽く頷き、キューエルは視線で続きを促してくる。

 日本解放戦線の殲滅を控えたいま、軍の基地から出る事は禁じられてはいないが、推奨されるような行為ではない。理由を問い質すのは上官として当然の行いと言える。

 

「以前ジェレミア卿より引き継いだ枢木スザクの捜索のため、情報提供者から話を聞いて参りました。最近は成田の件もあり時間を取れませんでしたので」

「そういえば、貴公にはその案件も任せていたな。目ぼしい成果はあったか?」

「残念ながら、直接枢木スザクに関わるものはございません。しかし幾つか気になる情報もあったので、これから精査していこうと考えております」

 

 慎重に、嘘にならないようヴィレッタは言葉を選ぶ。

 迂闊に枢木スザクの仲間かもしれない学生を見つけた、などとこの場で報告するような愚は犯さない。証拠はなく、根拠となるのは名誉ブリタニア人の証言だけ。そのような真実も定かではない情報を得意気に上官へ報告しては、無能の烙印を押されかねない。

 

「ふむ、理解した。何か進展があれば言うがいい。場合によっては便宜を図る事もできるかもしれん」

「ありがとうございます」

 

 鷹揚に頷くキューエルの様子に、ヴィレッタは恭しく頭を下げながら内心眉を顰めた。

 まだ何も成果が上がっていないような状況で、目の前の上官がここまで口にするのは珍しい。

 

「そういえば聞いているか? 現在ユーフェミア副総督がご自身の騎士をお選びになるかもしれないと噂が出ている」

 

 突然キューエルが話題を変える。

 先程より幾分か軽い口調に、ヴィレッタも緊張を緩めながら答えた。

 

「いえ、存じませんでした。なるほど、確かにエリア11の状況を考えれば副総督が騎士をお選びになるのも当然の判断ですね。ならば相手はグラストンナイツの面々でしょうか」

 

 グラストンナイツとはコーネリアの懐刀であるアンドレアス・ダールトンが、孤児の子供を養子にして引き取り騎士として育て上げた精鋭部隊だ。姉であるコーネリアからの信頼も厚く、ユーフェミアの騎士としてこれほど相応しい人材もいないだろう。唯一の難点を挙げるとすれば、コーネリアの信が厚いからこそ、それを利用した強引な推挙が通ったと見られかねないという点だろうか。武人であるコーネリアが部下の横車を許すような性格でない事は周知の事実であるが、そういう風に見える、というだけで弱みになりかねないのもまた一つの事実なのだ。

 

「明確に相手が誰とはまだ決められてはいないようだ。むしろそれが決まっているのなら、噂ではなくもっと明確な形で発表があるだろう」

 

 だからこその噂止まりだというキューエルの言に、ヴィレッタも納得して頷く。しかしその口ぶりから、ユーフェミアが騎士を選ぼうとしている事自体は根も葉もない噂ではないらしいとヴィレッタは察する。

 

「そしてこれが肝要なのだが、その騎士の候補にジェレミアの名前が挙がっているという話がある」

「ジェレミア卿が!?」

 

 思いもしなかった名前を挙げられ、ヴィレッタは驚愕に目を剥いた。

 しかし考えてみれば、それは意外な事ではないのかもしれない。元々ジェレミアは辺境伯という高い地位にいる。それは皇族の騎士として充分な身分であり、その実力も白兵戦、ナイトメア戦共に軍内でもトップクラスのものだ。コーネリアやユーフェミアとはこれまで関わりがなく目に留まりようもなかったが、先の成田の件での総督救出劇は奇しくもジェレミアの実力を示すデモンストレーションになったという事だろう。

 

「実際ジェレミアにも確認してみたが、後日副総督と会う機会を設けられているという。もしこの話が実現すれば、我ら純血派がユーフェミア副総督の親衛隊に任命されるのは殆ど確実と言っていいだろう。皇室に忠義を誓う我らにとって、これほど栄誉な話はない」

 

 親衛隊はその皇族の騎士を中心に結成される。ユーフェミアの場合、姉であるコーネリアの子飼いの者がごり押しされる可能性もあるが、それではジェレミアが上手く指揮を執れずにむしろユーフェミアの危険が増す可能性もある。その点を考慮すれば十中八九、ジェレミアがリーダーを務める純血派が親衛隊の役割を担う事になるだろう。

 

「たとえまだ候補だとしても、ジェレミアがユーフェミア副総督の騎士になるかもしれないという話が出回れば、奴をリーダーと仰ぐ我らにもより一層の忠義が求められるだろう。ヴィレッタ、貴公も自身の言動には細心の注意を払うように心掛けよ」

「イエス・マイロード」

 

 ヴィレッタが胸に手を当て返すと、キューエルは満足気に頷き、今夜の作戦の準備を進めると言い残して去って行った。

 その背中を見送りながら、キューエルが機嫌が良さそうに見えた原因はこれかとヴィレッタは納得する。

 全ては皇室のためにと主張する純血派において、皇族から目を掛けられ、そのために働けるというのは至上の誉れだ。皇族への忠義ではなく出世のために純血派に入ったヴィレッタとしては、今回の話はそういう意味ではどうでもいい話なのだが、純血派の立ち位置が変わるかもしれない、という点においては無視できない問題でもあった。

 純血派におけるヴィレッタの立場はジェレミア、キューエルに次ぐ組織のナンバー3である。しかし生まれは庶民だ。これが皇族の親衛隊になる上で非常にネックになるだろう事は予想に難くなかった。

 なぜなら上流階級では、部下の身分が低いというだけで主が侮られる可能性があるからだ。

 もしそういった話が出た場合の対処法は主に二つ。

 一つは原因となる部下を切る事。これが一番手っ取り早い。

 身分の低い部下を親衛隊から外せば、それだけで事は済むのだから大抵の皇族はこの方法を取る。

 しかし当人であるヴィレッタからすればこれはたまったものではなく、なんとしても回避しなければならない方法だ。

 そしてもう一つの対処法が、その部下に相応しい立場を用意する、というものだ。

 部下の身分が低いのが問題なら身分を高くすれば解決する。そんな言葉にするだけなら簡単な対処法である。

 しかしこれを行う皇族は少ない。

 皇族の親衛隊ともなれば必要になるのは爵位だが、当然の事ながら爵位を授けるというのは簡単な事ではない。そもそもユーフェミアのようななんの実績もない皇族では一個人に爵位を与える権限はなく、それができるのは高い発言権と皇位継承権を持つ皇族だけなのだ。

 有名なところでいえば第一皇子であるオデュッセウス、帝国宰相でもあるシュナイゼル、侵略戦争において多大な貢献をしているコーネリア。彼らには個人の裁量で爵位を与える権限がある。

 つまりもしジェレミアがユーフェミアの騎士となり、純血派が親衛隊となった暁には、ヴィレッタはなんとかしてコーネリアに爵位を与えるだけの価値がある存在だと認識してもらう必要があるのだ。

 現状では認められる可能性は皆無に等しい。

 おそらくコーネリアが評価しているのは騎士候補として挙がっているジェレミアだけであり、純血派はそのおまけ程度にしか思われていない。ジェレミアが擁護してくれたとしても、妹であるユーフェミアの名誉と秤に掛ければ、コーネリアは迷わずヴィレッタを切り捨てるだろう。ヴィレッタは純血派の幹部であるとはいえ、その上にはキューエルがいる。ジェレミアが騎士となってリーダーの座から退いても、キューエルさえいれば純血派はまとめられるのだ。無理をしてまでヴィレッタを組織に残すメリットは薄い。

 もし純血派から弾き出されてしまえば、名前に傷がつきしかも庶民の出であるヴィレッタにもはや出世の目はない。軍人としての輝かしい未来への道は永久に閉ざされてしまうだろう。

 しかしこれはチャンスでもあった。

 コーネリアに存在価値を示す事さえできれば、念願である爵位を手に入れる事は決して不可能ではないという事だからだ。

 本来なら手柄を立て、地道に出世し、ジェレミアについて行く事でなんとか手に入れようとしていた爵位が、そんな長い階段をすっ飛ばしてすぐ目の前に落ちている。こんなチャンスは滅多にあるものではなかった。

 しかも自分にはコーネリアに存在価値を示せる功績の当てがあるのだ。

 

(枢木スザク――ひいてはゼロを捕らえる情報を私が掴んだとなれば、コーネリア総督も私を親衛隊から外そうとは考えまい)

 

 ぐっと、ヴィレッタは拳を握りその瞳に炎を灯す。

 まだジェレミアがユーフェミアの騎士になるという話は噂であり、決まった事ではない。

 しかしもしそうなった時に蹴落とされず、そしてチャンスを掴むために、必ずや黒の騎士団中枢につながる情報を手中に収めるのだと、ヴィレッタは決意を燃やした。

 

(待っていろ、ルルーシュ・ランペルージ。貴様の正体は、私が暴く)

 

 誰にも気付かれないところで、ルルーシュの仮面へ伸びる手は着実に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふとした時に、カレンはそれを考えている自分に気付いた。

 もし仮に兄が生きていたなら、兄も黒の騎士団に入る事に賛同したのだろうか。

 兄は別に自分がリーダーである事にこだわるような性格ではなかった。

 むしろ自分より適任の人間がいるようなら進んでリーダーの座を譲るような人だった。

 だから強烈なカリスマ性を持つゼロと、日本最後の首相の息子である枢木スザクの下につく事に抵抗を示したとは思えない。

 だが同時に兄は思慮深い人だった。

 もしかしたら兄なら、自分がいま抱いているのと同じ不信感を入団前に感じ取り、初めから黒の騎士団に入らなかったかもしれない。

 それともゼロの真意を察し、それでもついて行く事を選んだだろうか。

 いくら妹とはいえ、紅月ナオト本人ではないカレンにはその答えが分からない。

 だからこそカレンは、絶対に答えが得られないその問いを繰り返すしかなかった。

 兄はゼロにどんな印象を抱くだろう。どんな評価を下すだろう。

 兄の目には、ゼロは自分のリーダーに足る人間として映るのだろうか。

 

「成田での忘れ物を、今日、この夜に取り戻すのだ!」

 

 郊外の港にある数多くの倉庫の中の一つ、そこで団員達を鼓舞するゼロの声が響き渡る。

 仲間達はその宣言に士気を上げ、戦意を滾らせた。

 そんな中にあって一人暗い顔をするカレンは、踵を返しその場を去ろうとするゼロを咄嗟に呼び止める。

 

「ゼロ! えっと……その、話があるんですが……」

 

 相談内容をメンバーがいるこの場で口にするのは躊躇われ、カレンの言葉は尻すぼみになる。

 しかしそれを気にした風もなく、振り返って仮面を向けたゼロは悠然と頷いた。

 

「私も君に話しておきたい事がある。格納庫までついてきてくれ」

「は、はい」

 

 言われるがままにゼロの後を追い、カレンは格納庫まで歩く。

 その間に会話はなかった。

 時間を無駄にしないためにもいま話すべきかとカレンは迷ったが、歩きながらする話ではないと沈黙を保つ。

 格納庫に着き、ゼロは一際目立つ赤い機体の前で立ち止まった。

 紅蓮弐式。世界唯一の純日本製ナイトメアフレーム。

 その威容にカレンは思わず喉を鳴らす。

 

「マニュアルには目を通してあるな?」

「はい。一応は……」

 

 ゼロの問いにカレンは首を縦に振る。

 昨日の夜にキョウトから下賜され、そのマニュアルを熟読するように指示されていたカレンは、現実逃避もあってその内容を一日掛けて頭に叩き込んでいた。

 

「よろしい。既に察しているとは思うが、この紅蓮弐式のパイロットは君だ」

 

 そう言ってゼロは紅蓮の起動キーをカレンへと投げる。

 条件反射でカレンはそれを受け取るが、半ば予想していたとはいえその大役に戸惑いを隠せない。

 

「ですが、紅蓮弐式の防御力ならあなたこそが……」

「紅蓮の真価は防御力ではなく、輻射波動をメインウエポンとした攻撃力だ。残念ながら私の操縦技術ではその性能の全てを引き出す事は叶わない。紅蓮の真価を十全に発揮できるパイロットは、私達黒の騎士団の中ではスザクと君だけだ」

 

 スザクはランスロットのパイロットである以上、必然的に紅蓮はカレンのものだと語るゼロ。

 しかし尊敬するゼロから実力を認められたというのに、カレンの表情は晴れないどころかさらに曇る。

 

「私に……できるでしょうか?」

 

 手の中にある紅蓮の起動キーを見つめながら、カレンは迷子の子供のように不安気に訊ねた。

 それに答えるゼロの声は揺るぎない。

 

「君ならばできると、私は判断した」

 

 いつもならば舞い上がりかねない言葉にも、カレンはまるで喜びを感じなかった。

 むしろ胸の内にある蟠りは一層大きくなり、彼女の心を苛んだ。

 起動キーを握りしめた手を胸に抱き、その感情の揺らぎを示すかのように伏せられた視線が地面のあちこちを行き来する。

 何かを言おうとしては、それは言葉としての形を成す前に口の中で消えていき、カレンは抑える事のできない不安に耐えるようにぎゅっと瞼を閉じてしまう。

 

「……」

 

 それを口にしてしまう事で、何かが変わってしまうかもしれない事をカレンは恐れた。

 もしかしたら、ゼロを信じる事ができなくなるかもしれない。自分の過ちを認める事になるかもしれない。もうナイトメアに乗って戦う事ができなくなるかもしれない。

 そんな不安からどうしても勇気を出す事ができない。

 頑なに瞼を閉じ、内側から溢れる恐怖に耐えようとするカレン。

 ゼロはそんなカレンを見ても何も言わなかった。

 ただじっとその場に佇み、カレンからの言葉を待つ。

 

 ゼロから何も反応がない事に気付いたカレンが恐る恐る瞼を開く。

 もしかしたら呆れて立ち去ってしまったかもしれないと考えていたカレンは、目を閉じた時と同じように自分を真正面から捉える仮面に少しだけ驚いた。

 驚いて、すぐに自分を待ってくれている事に気付く。

 それが分かった時、カレンの心に消えかけていた活力が戻った。

 

「……ゼロ。聞きたい事があります」

 

 その瞳にはまだ怯えが見て取れた。しかしそれを抑え込もうとする意思も宿っていた。

 

「私は黒の騎士団の活動が正義の行いであると信じて戦ってきました。ですが、本当に正しいのでしょうか?」

 

 ずっと心の内に抱えてきた疑問をゼロへとぶつける。

 スザクに問い、答えを貰い、しかしそれでも納得できなかった迷い。

 それを誤魔化す事はもうできないと、カレンは思いの丈をゼロへ訴えた。

 

「私達の戦いは本当に弱い人達を守れているのでしょうか? このまま戦い続けて本当に世界を変えられるのでしょうか? 私達は本当に、正義の味方足り得る存在なんでしょうか?」

 

 いままでずっと信じてきた事が信じられず、何度も繰り返し本当にと問うカレン。

 黒の騎士団に入る前、兄のチームでレジスタンスとして活動している時から、カレンはただ言われた事に従って戦うだけだった。

 兄を妄信し、ただついて行けばいずれ望みは叶うのだと根拠もなく信じていた。

 それが過ちである事を兄の死で気付き、黒の騎士団に入った当初はゼロの道を見定めるのだと考えていたのに。気付けばあの頃と同じようにゼロの後に続き、ただがむしゃらに走っているだけになっていた。

 答えも出さないまま自分達を称える声に気分を良くして、己が正義であると信じて疑わずに。

 その裏にある犠牲を見ないまま。

 

「私がこんな事を言うべきではないのだろうが」

 

 カレンの悲痛な葛藤を前にしても、ゼロの態度は揺らがなかった。

 堂々として迷う素振りすら見せず、カレンが思いもしなかった言葉を口にする。

 

「絶対的な正義などこの世のどこにも存在しない」

「えっ……?」

 

 思いがけず呆けた声がカレンの口から零れる。

 それは黒の騎士団の存在意義を揺るがしかねない発言だった。

 正義の味方。それこそが黒の騎士団の目指すものであるのに、その根本たる正義がないなど矛盾も甚だしい。

 

「なぜなら立場によって、人の行いは正義にも悪にもなるからだ」

 

 ゼロの声はいつもと変わらず、力強く淀みない。

 そしてその表情は仮面で隠されているため分からない。

 しかし真摯に自分の思いに答えてくれようとする気配を感じ取り、その一言一句を聞き逃すまいとカレンは耳を傾けた。

 

「我々はブリタニアの横暴に対抗するため戦っている。弱者を虐げるブリタニアという強者から、弱き者を守るために力を振るう。そうだな?」

 

 無言でカレンは頷く。

 自分達の行動が正義であるか疑いはすれど、ブリタニアと争っているのは紛れもない事実であり、カレンもそれを否定するつもりはない。

 

「だがブリタニアからすれば我々の行いはテロでしかない。弱者には正義でも、強者には自己満足の悪にしか映らないだろう」

「でもそれはブリタニアが間違って――」

 

 咄嗟にカレンは反論しようと口を開く。

 だが手を上げる事でゼロはカレンの言葉を制した。

 

「君の言いたい事は理解している。弱者を虐げるブリタニアが悪だから。非はブリタニアにこそある。違うか?」

「……はい。その通りです」

「だが自国の利益と発展のためという理屈からすれば、一概にブリタニアが間違っているとは言えない」

 

 ゼロがブリタニアを肯定する言葉を口にした事に、カレンは目を瞠る。

 いままでゼロがブリタニアの行いを認めた事は一度もなかった。

 

「他国を植民地にする事で生産量を上げ、技術を取り込み、国全体を豊かにする。自国発展の観点からすれば、ブリタニアの行いは極めて効率的であり、その成果は目に見えて明らかなものだ」

 

 世界の3分の1を占める大国ブリタニア。その圧倒的な国力は植民地政策が自国発展に寄与している証拠であり、ブリタニアという国が栄華を誇っているのはそういった政策を推し進めてきた結果だ。

 

「ブリタニアの行いを肯定するわけではない。たとえ自国のためとはいえ、他国の人間を虐げる事が許されていいわけがないのだから」

 

 手段を選ばず、人道すら無視する行いが正しいのではない。ただ見方を変えれば、ブリタニアという国の利益や発展だけに主眼を置くのであれば、ブリタニアという国はこの上なく成功しているのだとゼロは語る。

 しかし日本に対する非人道的な行いを見てきたカレンは、その理屈に納得できず眉間に皺を寄せて押し黙る。

 

「もう少し分かりやすく言うべきだったな。カレン、君は先の成田連山での戦いで多くのナイトメアを撃墜したな」

「えっ? ……は、はい」

 

 カレンが納得していないのを気配で察したゼロは、先日のブリタニア軍との戦いを持ち出す。

 突然話が飛んだ事にカレンは戸惑ったが、それでも頭を切り替えてすぐに頷いた。

 

「その中には脱出が間に合わず死んでいった兵士もいたはずだな」

「それは…………はい。いました」

「責めているわけではない。我々が行っているのは戦争であり、敵兵を沈めるのは当然の事だ」

 

 表情を曇らせるカレンに、ゼロは嘆く必要はないと首を振る。

 敵を倒さずして勝利は得られない。カレンの行いはなんら非難される謂れのないものだ。

 

「だが君が屠った兵士にも当然家族がいる。その家族は君の事を恨むだろう。国のために忠誠を尽くし懸命に働いていた夫を、父親を殺された家族は、テロを起こした黒の騎士団に憎悪を抱き、復讐を誓うかもしれない。君はそれを間違っていると否定するか? 先に拳を振り上げたのはブリタニアなのだから、夫が、父親が死んだのは因果応報であり、その死を受け入れろと君は遺族に言えるか?」

「っ……!」

 

 ゼロの問いにカレンは唇を噛んで目を逸らす。

 カレン自身も少なからず兄を奪われた恨みをブリタニアへ向けている。ゼロの言った憎しみを否定する事は、己の気持ちを否定する事と同義だった。

 どちらが先など関係ない。大切なものを奪われた事実は変わらないのだから。

 

「それが先程の私の言葉の真意だ。絶対的な正義や、悪と呼ばれる事のない正義などこの世には存在しない。視点によって人の行いは善にも悪にもなり得る。私達の行いも争いを助長しているだけという見方ができる事も確かだ」

 

 ブリタニアと日本。そういった国だけの枠組みで事を測ろうとするから、正義や悪といった二元論で結論付けようとしてしまう。だがブリタニアにも日本にも、そこに住む人がいて、思いがあって、命がある。考え方は人それぞれであり、それらをひとまとめでくくる事などできはしない。

 少し考えれば、それは当たり前の事なのだ。

 

「だがそれでも、目の前で踏みつけられている弱者を見捨てる理由にはならない。だからこそ私は、たとえ悪を成してでも巨悪を討つ。それは悪を討つという結果だけを見れば正義の行いかもしれない。だが人殺しなど、正義と呼んでいい行いではない。いや――たとえ人がそう呼んでも、己だけはそれを正義と肯定してはならないんだ」

 

 正義の味方を目指すと口にしながら、悪を為すという矛盾。

 スザクと同じくゼロも、自らの行いは正しくないのだと否定する。

 その理屈はカレンにも理解できるものだった。

 しかしそれで納得できるかは、別の問題だった。

 いままでずっと正しい事をしていると思って戦ってきたのに、それを信じて人を殺してきたのに、いきなりそれは違うと言われて「はいそうですか」と頷けるわけがない。

 自分達のやっている事が悪だというなら、何を寄る辺に立てばいいのか。何を支えに戦えばいいのか。

 悪に染まってまで戦うと語るスザクとゼロは、どうして間違ってると分かっていながらそれでも毅然と立っていられるのか。

 カレンにはそれがどうしても理解できなかった。

 つまるところ、正義である事はカレンの心の拠り所だったのだ。

 自分が正義であるからこそ、非情な殺人という行為にも手を染められた。ブリタニアという強大な敵にも立ち向かえた。

 なのにそれを奪われては、カレンはただの女子高生と変わらない。

 己を悪と認めて戦えるほど、紅月カレンは強い人間ではなかった。

 

「カレン。君の迷いは分かっているつもりだ。犠牲を気にしているのだろう? 民間人や、罪のない人達の犠牲を」

「――っ!」

 

 その心中を見透かすように、ゼロはカレンの迷いの核心を突く。

 ずっと考えながらも目を逸らし続けていた罪に触れられ、彼女の表情がクシャリと大きく歪んだ。

 己が正しくないと頭では理解していても、それを受け入れられない最たる理由。

 もし黒の騎士団の行動が正義でないなら、あの心優しい友人の父親はなんのために死んだというのか。

 彼女の父親のような弱い人を守るために、自分達は正義の味方として戦っていたのではないのだろうか。

 

「私達がしているのは戦争だ。そして歴史上、犠牲の出ない戦争は存在しない」

「だから……だから割り切れって言うんですか! 仕方ない事だから諦めろと、あなたはそう言うんですか!」

 

 情の欠片も感じないゼロの言葉に、反射的にカレンは言い返した。

 出会ってから初めて、尊敬するゼロに対して声を荒らげる。

 目の前が真っ赤に染まっていく感覚を覚えながら、カレンは猛然と感情のままに言葉を吐き出した。

 

「あなたは言いました。行き当たりばったりのテロをするだけだった私達に、民間人を巻き込むなと。無責任な行動はするなと。あれは嘘だったんですか!? 武器を持たない弱者のために戦うと言ったあなたの理想は、私達を扇動するための出任せだったんですか!?」

 

 犠牲を許容するゼロの言葉にカレンは色を成して反論した。

 たとえ摂理なのだとしても、避けようのないものなのだとしても、それだけは否定してほしかった。

 だってそうじゃなければ、ゼロを信じる事ができない。

 ゼロが弱者の味方でないのなら、主義主張を違えるような人であったなら、顔も見せないリーダーをどうやって信じろというのか。

 理不尽な力を振るう強者から力ない弱き人を守るために戦う。その言葉を信じてみんなゼロについて行くと決めたのだ。

 

「虚言を吐いたつもりはない。だが私達がどれだけ崇高な理想を抱き、そのために刃を振るおうとも、それが争いである限り犠牲は生まれる。初めから民間人を巻き込む事を前提とした戦いは論外だ。しかし被害の規模を小さくできたとしても、それでも犠牲を無にする事はできない。私達が戦う陰で、傷付き涙する者は必ず存在する」

「そんな……!」

 

 詰め寄ってくるカレンにあくまでゼロは冷静に答える。

 理想は理想でしかなく、現実は理想通りにはいかないのだと、そんな当たり前の事実を突きつける。

 それを跳ね除けるだけの言葉を、カレンは持っていなかった。

 自分の言っている事がどれだけ無茶で不可能な行いであるかを、カレンだって理解していたから。

 けれどゼロなら、数々の奇跡を起こしコーネリアの軍とも互角に渡り合うゼロならば、あるいはそれを実現してくれるかもしれないと。そんな妄信ともいえる淡い希望を抱いていた。

 そんな事があるわけないのに。

 それができるなら、自分はこんな風に迷う事態になどなっていないのに。

 スザクと同じようにゼロにも自身の思いを否定され、返す言葉もなくカレンはうなだれた。

 結局自分のこの気持ちは意味のないものなのかと、そんな考えが頭をよぎって涙が滲む。

 

「それでももし犠牲を出したくないと言うのであれば、戦いを止めるしか道はない」

 

 その言葉に、カレンは涙を堪えながら唇を噛む。

 スザクにも提示された、紅月カレンではなく、カレン・シュタットフェルトとして生きる道。

 己の気持ちと折り合いをつけるにはもうそれしかないのかと、あの時は感情のままに拒絶した選択肢にカレンの心は揺れる。

 

「君がそれを選ぶというなら、引き留めはしない。ここから先の道は強制するようなものではなく、自ら選び、覚悟を持って歩まなければならない道だ」

 

 覚悟。

 改めて問われ、カレンは己を振り返る。

 兄の後を追うように、ブリタニアと戦う事を決めた自分。

 幸せだった家庭は消え、兄が死に、それを引き起こしたブリタニアが許せず戦い続けてきた。

 けれどその戦いのせいで、なんの関係もない人達が傷付き犠牲になっていると気付かされた。

 ゼロもスザクもそれを理解しながら、それでも戦い続ける覚悟を持って進んでいる。

 対して自分はどうだろう。

 級友の身内が死んだくらいで迷い立ち止まってしまう自分が、この先も生まれるだろう犠牲を前にして、ゼロやスザクのようにそれを乗り越えて進んでいけるのだろうか。

 今回はシャーリーの父親だった。次はリヴァルの母親かもしれない。会長の祖父かもしれない。ニーナの友達かもしれない。ルルーシュの妹かもしれない。あるいは、彼ら本人かもしれない。

 その亡骸を前にして、それでも戦う意思を持ち続ける事が、果たして自分にできるのだろうか。

 ブリタニアを倒すための犠牲だからと、全てを置き去りに走り抜く事ができるだろうか。

 その答えが、カレンはもうとっくに分かっていた。

 ――――私には、きっと無理だ。

 

「だが一つ訂正しておこう。私は犠牲を割り切る事も、仕方ないと言い訳する事も許しはしない」

「えっ……?」

 

 カレンが結論付けたと同時に、ゼロがそれを否定する言葉を口にする。

 いままでの議論を全てひっくり返すかのような発言に、カレンは訳が分からず呆然とゼロを見た。

 

「どんな理由であろうと、それがたとえ弱者を助けるためであろうと、自らの行いの結果生まれた犠牲は、決して取り返しのつかない己の罪だ。己の信念を誇るなら、その信念を貫いた結果生まれた犠牲も背負わなければならない。それを背負う覚悟もなく割り切る事など、私は許さない」

 

 強い語調でゼロは言い放つ。

 どんな理由があっても罪は罪なのだと。人を助けても、命を救っても、悪人を討ったとしても、その過程で犯した過ちはなかった事にはならない。正義を隠れ蓑にして責任から逃げる事は許されない。犠牲を切り捨てる事は覚悟ではなく甘えなのだと、無意識に自己を正当化しようとする弱い心をゼロは真っ向から否定する。

 

「もし己の罪から目を逸らし、ブリタニアを倒すためには仕方ないのだと数多の罪なき者の犠牲を顧みる事がなくなったなら、ブリタニアを打倒できたとしても、その時私達はブリタニアと同じ存在になっているだろう」

 

 それはとても醜い争いだとゼロは告げる。

 自分達のしている事は正義なのだと妄信し、犠牲も厭わずブリタニアと戦う戦場。

 その戦いに巻き込まれ、次々と亡くなっていく罪なき人々。

 そうしてやっと終わった戦いの果てに、守りたかった人達の屍の上に立つ己の姿。

 自らを正しいと思い込んだ、正義の味方の成れの果て。

 ゼロの語る未来を想像し、カレンは恐怖に身体を震わせた。

 そしてようやく思い至る。

 ゼロがそれを恐れて、自らを戒めている事に。

 悪を打倒する正義に溺れないように。己の振るう刃で傷付く人を一人でも減らせるように。

 

「カレン。犠牲から目を逸らすな。彼らの命は私達の罪だ。その重さに耐えきれず、理想や他者の悪事を言い訳に罪から目を背けた時、人は己の正しさを見失う。私達がブリタニアを倒したとしても、私達の罪は決して消えない。その罪は私達が一生背負うべきものだ」

 

 正義を求めていたカレンに、そんなものはないとゼロは容赦なく否定する。

 自分達が進むこの道は、血と罪に塗れた修羅の道であり、決して綺麗で正しいものではないのだと。

 漆黒の仮面に遮られて見えないゼロの視線が真正面から自分を見据えているのを感じ取り、カレンは心臓が痛いくらいに脈打つのを自覚する。

 

「これからも私達は多くの犠牲を生むだろう。もしかしたら守ろうとした人から憎悪と怨嗟の声をぶつけられ、刃を向けられる事すらあるかもしれない。だがそれでも、たとえどれほどの罪を背負う事になったとしても、成し遂げたい願いがあるなら、その覚悟があるのなら――――私と共に来い。私が必ず、その望みを叶えてやる」

 

 バサッと大きくマントを翻し、ゼロはカレンへと手を伸ばす。

 そしていつものように力強く宣言した。

 

「私はゼロ。奇跡を起こす男だからな」

 

 堂々としたゼロの威容に、目を奪われた。

 導くように差し出された手に、カレンは唐突に、そしてようやく理解する。

 

(ああ、そうか……)

 

 これだ。これなのだ。

 初めてゼロと会った時から、ささくれのようにずっと心に刺さっていた思い。

 あの時突きつけられた、自分達の戦いの影で傷付く人への責任。

 ゼロについて行けばその答えが分かると信じた自分は、間違っていなかった。

 答えを見つけなければ本当に意味で進む事はできないと感じていた事もそうだ。

 だって人の命だ。責任なんて取れるわけがない。償おうと思って、償えるものじゃない。

 それがどんなものでも、かけがえのない、たった一つの命なのだ。

 誰にだって大切な人はいる。叶えたい夢がある。大事にしている思いがある。

 人を殺すという事は、それらを理不尽に奪い去るという事。

 それが許されていいはずがない。

 

 本来なら自分は、こんな血生臭い人生を送る必要などなかったはずだ。

 誰が死んだとか、誰を殺したとか、重すぎる命の責任を持てあまして苦悩する事などなく、勉強しても成果が出ないとか、好きな人に好きな人がいたとか、そんなどうでもいいくだらない悩みに一喜一憂するような生活を送れていたはずだ。

 けれどこの世界はそんな当たり前の幸福を許してはくれなかった。

 幸せ色をしていたはずの日常は真っ赤な血色に染め上げられ、ペンを握るはずだった手は気付けば銃を掴み、兄の背ばかり追っていた弱い自分は先陣を切って仲間の前に立ち戦場を駆けていた。

 理不尽だと、不条理だと、そう叫んだ日もあった。

 だがいくら叫んでも、世界は何も変わってはくれなかった。

 だからカレンは戦うしかなかった。

 その結果、友達の父親を殺した。

 

 シャーリーの父親は、良い人だったのだと思う。

 会った事はなくともその人柄は分かる。

 奥さんは埋葬される夫を前にもう苦しませないでと泣いていた。

 シャーリーは涙が枯れるほどに泣いたと、いまにも泣き出しそうなつらそうな表情でそう告げた。

 お互いを思いやり、愛する、理想的な家族だったのだろう。

 

 そんななんの罪もない家族の幸せを奪ったのは――――自分だ。

 

 その行いは、自分達家族の幸福を奪ったブリタニアと何が違うだろう。

 昨日まで何も変わらなかった穏やかな日常を理不尽に奪われた痛みは、あの日カレンが味わった絶望そのものだ。

 葬儀でのシャーリーと、シャーリーの母親の悲しみに満ちた顔を見て、カレンはそれを理解した。

 だから正義を求めた。

 自分は正しい事をしているのだから、これは仕方ない事なのだと、世界を変えるためには必要な犠牲なのだと、そうやって己の罪から目を背けようとした。

 けれどそれがなんの言い訳にもならない事なんて、本当は分かっていたのだ。

 だってその裏にどんな崇高な理想があったとしても、その行いのおかげで数えきれないほどの人の命が救われたのだとしても、私は私の幸せを奪ったブリタニアを許す事なんてできないから。

 

『撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ』

 

 ゼロが言っていた言葉を思い出す。

 その言葉の本当の意味がようやく分かった気がした。

 死者は蘇らない。人を殺すという行為は、全ての命に与えられた当たり前の権利を理不尽に奪い、その人を大切に思っている周囲の人間全員を不幸にする。

 それは決して許される事のない非情な罪科だ。

 どんな大義があろうと、その行いが正当化される事はない。

 人の死を仕方ないで片付けていい理由など、この世界のどこにもありはしないのだから。

 そんな当然の事から目を逸らして、都合の良い正義を求めていた自分をカレンは恥じた。

 恥じると同時に決意する。

 迷いが断ち切れたわけではない。

 無関係な人を巻き込み、犠牲にしてしまった事に後悔が尽きる事はない。

 だがそれでも、懺悔だけはするまいと、いまこの場で己の心に誓う。

 決して取り戻す事のできない失われた命を前に、それを奪ってしまった自分が許しを請うなどあってはならない。

 許しを望むような脆弱な信念しか持てないのであれば、初めから武器など持つべきではない。

 

 誰にだって分かる、当たり前の真実。

 どんな人間であっても、人を殺す権利なんてない。ましてや悪人だから殺してもいいなんて、そんな命の選別をする事は許されない。

 それを理解しながら、しかしそれでも武器を手に取るのであれば、正義など求めてはいけない。

 必要なのは正義ではなく、覚悟。

 自身の行いで生じる責任、罪を背負って進む、絶対の意志。

 それをなくして、この先の道は決して歩む事は出来ない。

 清廉潔白に、ただ自身の正義を信じて進むには、この道は血で汚れ過ぎている。

 人の返り血に塗れた身体でどうして、自分が正義であるなどと声高に主張できるだろう。

 積み上げた死体を足場に立ちながら正しさを語ったところで、そんなものは空々しく響くだけ。

 

 根本的に間違っていた。

 正義だから戦っているのではない。

 正義だから人を殺していいのではない。

 それがたとえ悪と呼ばれる行為なのだとしても、そうする事でしか手に入らない理想のために、紅月カレンは武器を手に取ったのだ。

 ならば正義や正しさなどは、自身の罪から目を背けるための言い訳にしか過ぎない。

 決して譲れない願いを叶えるために、そのただ一つの綺麗なものを手に入れるために、私はこの身を汚さなくてはいけない。

 

 手の中にある紅蓮の起動キーを見る。

 重量なんてあってないようなものなのに、とても重く感じた。

 きっとそれは、いままで必死に目を背けてきた命の重み。

 その全てを背負って歩み続ける事が自分にはできるだろうかと、改めてカレンは自身に問う。

 

「……」

 

 分からない。

 安易に背負いきれると言えるほど、それは生半可なものではない。

 もしかしたら心が耐えきれず、絶望の中で己の無力を呪いながら力尽きてしまう未来が待っているかもしれない。

 そんな想像をしただけで、いますぐこの場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。

 だがそれでも――――ブリタニアを許せないという思いは、昔のように家族と幸せに暮らしたいという願いは、捨てられるものではなかった。

 もう兄はいない。最も幸福であったあの瞬間が返ってくる事はあり得ない。

 それでもいつか、母と共にあの幸せだった日常に戻るのだと、カレンはそう決めていた。

 何があろうと譲れない、己の中のたった一つの真実。

 それをようやく理解し、カレンは手の中の紅蓮の起動キーをギュッと握り締める。

 

「共に進みます、ゼロ。私は、あなたと共に」

 

 願いと覚悟を込めて、カレンは目の前に差し出されている手を取る。

 いずれ罪の重さに押し潰されてしまう日が来たとしても、この道を選んだ事だけは悔いたりしないと、そう思えた。

 

「ありがとう。君の決断に感謝する」

 

 冷淡にも聞こえるゼロの言葉に、カレンは笑みを零した。 

 未だに顔も本名も分からない、全てが漆黒の仮面と共に謎に包まれているゼロ。

 だがそれでも、この人について行く事にもう迷いはなかった。

 流されたからでもなく、力があるからという理由でもなく、罪から目を背けるなと、そう言ってくれた人だから。

 その言葉は素顔や本名なんかよりもずっと、信頼に値するものだと思うから。

 犠牲を当然と割り切らず、全てを背負ってそれでも進むのだと語ったゼロならば、きっと道を誤る事はない。

 彼の理想の先には多分、私の願いも含めた多くの幸せが待っている。

 それが免罪符になるとは思わないけれど、それでもその理想のために、私は血に塗れてでも戦おう。

 

「カレン。紅蓮のパイロットは、君だ」

 

 もう一度、仕切り直すようにゼロは任命の言葉を告げる。

 一度は苦悩し受け取れなかったそれを、今度は胸を張ってカレンは受け取った。

 

「はい!」

 

 ずっと心の中に燻っていた霧が晴れたような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋でベッドに横たわりながら、C.C.は天井を見上げていた。

 部屋の主であるルルーシュは日本解放戦線の残党を国外へ逃がす作戦に出ているため不在であり、C.C.はそれについて行く理由もなく留守番をしている。

 成田の時のようにルルーシュが危険に陥る可能性を考えればついて行った方が良かったのかもしれないが、前回と違って部隊を広範囲に展開する作戦ではないため、黒の騎士団の団員でもないC.C.が紛れ込むのは難しい。それに今回はスザクが意地でもルルーシュから目を離す事はしないだろうから、何かしらの予想外があってもなんとかしてくれるはずだという目算があった。

 そういった理由から部屋に引きこもり、ゴロゴロとベッドの上でチーズ君を抱え怠惰を貪るC.C.。

 電気を消しているのは、主不在の部屋に明かりがついていては怪しまれる、なんて理由ではなく、単にそういう気分だからというだけだった。カーテンさえ閉めてさえおけば姿を見られる心配はなく、電気の消し忘れだと思われるだけなので過剰に警戒する必要はない。

 する事もなく、明日注文するピザの内容にC.C.が頭を悩ませていると、その耳が部屋の外からこちらに近付く足音を捉える。

 部屋には鍵が掛かっているため慌てる必要はないが、壁越しにこちらの気配を悟られないようC.C.は息を潜める。

 そうしながら、足音の主は誰かと思考を巡らす。ルルーシュはまだ作戦の真っ最中のはずであり、少なくともあと数時間は帰ってこない。車椅子の音もしないので、ナナリーでもないはずだ。ならばおそらくはメイドの咲世子だろうと当たりをつける。

 日が沈んだこんな時間帯に学園のクラブハウスにいるのは、ルルーシュとナナリーの兄妹以外には彼女しかいない。

 C.C.が物音を一切立てずに足音が通り過ぎるのを待っていると、その足音はなぜかルルーシュの部屋であるこの部屋の前で止まる。

 嫌な予感がして、C.C.は極力気配を消しながらベッドから降り、その下に潜り込んだ。

 結果的にその判断は正解だった。

 

「……ルル、いる?」

 

 ノックの後で、躊躇いがちな問い掛けが扉の向こうから聞こえてくる。

 当然C.C.は返事などしなかったが、わずかな沈黙の後で鍵が開く音と共に何者かが部屋へと入ってきた。

 その事実にC.C.は眉を顰める。

 ルルーシュの部屋の鍵を持つ人間は限られている。

 妹のナナリー、親友のスザク、あとはこの学園の理事長であるルーベン・アッシュフォードがマスターキーを、同居人の自分以外ではそれくらいのはずだ。顔は見えないが声は女性のものであり、ナナリーではない。となると、この部屋の鍵を持っている者ではあり得ない。何かしらの理由でメイドの咲世子がナナリーから鍵を預かった可能性も考えたが、声は彼女のものでもなかった。

 扉が閉まり、部屋の明かりがつけられる。

 しかし侵入者の顔はベッドの下に隠れるC.C.には見えなかった。

 自分が出て行き侵入者を取り押さえるかと、バカな考えが一瞬頭をよぎって苦笑する。

 わざわざルルーシュのために危険を冒してやる義理などC.C.にはなく、そもそも自分はこの部屋にはいない事になっている。たとえ相手が不法侵入者とはいえ、騒ぎになればナナリーと咲世子が駆けつけてくるだろう。そうなればルルーシュがいない現状では、自分も不法侵入者扱いされるのが関の山だ。しかも以前にナナリーにした言い訳を考えれば、好いた男の部屋に忍び込むストーカー女だと誤解される可能性が極めて高い。それだけはC.C.のプライドが許さなかった。

 出て行くのは愚策もいいところ。自分の役割はこのまま隠れ続け、侵入者の目的と素性を確認する事だろうとC.C.は静観を決め込む。

 

 侵入者は慎重に――というよりはどこか怯えたような、おっかなびっくりした足取りで部屋の中を歩き、クローゼットを開く。

 そしてその中からアタッシュケースを取り出した。

 興味のないものにはとことん注意を向けないC.C.ではあったが、そのアタッシュケースの中にあるものが何かは知っていた。

 侵入者はアタッシュケースを床に置き、自身も膝をつく。

 その際にアッシュフォードの制服であるスカートと、オレンジ色の髪がベッドの下からでも見て取れた。

 

(こいつは、確かルルーシュに父親を殺された娘か……)

 

 記憶の中から侵入者の正体を引き出すC.C.。

 

(しかしこの娘がどうして――いや、どうやってこの部屋に……)

 

 その疑問に答えを出す前に、侵入者――シャーリーはアタッシュケースに手を伸ばす。

 だがそのアタッシュケースが容易く開けない仕様である事をC.C.は知っていた。

 部屋同様、アタッシュケースには鍵が掛けられている。しかもそれは通常のように鍵で開けるシリンダータイプのものではなく、予め定められた数字を入力しなければ開かない番号錠だ。しかも警戒心の強いルルーシュが定めた桁数は12桁。適当に入力していては数日掛かっても開錠はできないだろう。

 その番号を知っているのはルルーシュ本人を除けば、直接教えられたスザクとその場に居合わせた自分のみ。たかが12桁の数字をルルーシュが暗記できないわけもなく、スザクにも無理やり憶えさせたため、番号を記したメモはこの世のどこにも存在しない。たとえ部屋の鍵はどこからか調達できたとしても、アタッシュケースを開ける事は不可能だろうと、C.C.はそう高を括っていた。

 しかし現実は違った。

 迷う素振りすら見せずに、シャーリーは12桁の数字を入力してみせる。

 一度も間違う事なく、一発で。

 そしてC.C.が驚く間もなく開かれる。

 ルルーシュが厳重に隠していた、そのアタッシュケースが。

 

「う、嘘……! まさか、本当に……?」

 

 それを目にしたシャーリーが、呆然と、震えた声を零す。

 そこには信じられないという驚愕と、どこか予想通りだったという納得が含まれていた。

 

「……本物…………なの?」

 

 シャーリーは手を伸ばし中にあるものの一つを手に取る。

 それは漆黒の仮面。連日ニュースで報道されるテロリストの首魁の象徴。

 

「……うそ、嘘だよね? 本当にルルが……お父さんを殺した――――――ゼロ?」

 

 ルルーシュの日常が崩れていく音を、ベッドの下でC.C.はなす術もなく耳にした。

 





カレンメイン回と見せかけたゼロ回。
『第一部・黒の騎士団結成編』はこれにて終了です。
ついでに17話から絡んでいた日本解放戦線関連の話も一区切りですね。
次回からは『第二部・暴かれる秘密編』が始まります。でももしかしたらその前に幕間を挟むかもしれません。

先にお伝えしておくと、紅蓮の初陣でもある今回の戦いは詳細を描写せずダイジェストで終わります。
熱い戦いを期待していた方がいたら申し訳ありません。

そして年内での投稿はこれで最後です。他に書かなければいけない作品もあり、年明けの投稿は遅れてしまうと思います。ただ息抜きおふざけ企画を別作品として年明け一発目に投稿予定ですので、もし時間があれば円盤片手にご覧いただければ嬉しいです。本編に影響を及ぼす事はないので、無理して読む必要は全くありません。

あと諸事情により今回の次回予告はなしとなります。
それではみなさま、良いお年を。

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